快晴の空を飛ぶ飛行機

『君の膵臓をたべたい』から浜辺美波・北村匠海つながりで。

きれいな映画だった。映像も音楽も、演技も筋書きも。

浜辺と北村に焦点が絞られるのかと思っていたら、4人の主人公が個性豊かに、また均等に登場していて好感が持てた。

内容も『キミスイ』のような深刻な話ではなく、高校生の青春と恋愛をさわやかに描いていて、湿っぽい気分に浸っていた私に心地よい風を運んでくれた。

北村匠海は、存在感を増しているように感じた。地味な男子とモテるイケメンの両方を演じられるのはすごい。一方、浜辺美波は山内桜良を演じたときほどの驚きはなかったものの、成長して演技も上手になっている。悪目立ちせず、福本莉子を引き立てていた。さながら姫川亜弓と北島マヤの演技対決だった。

4人が恋に進路に家庭の出来事に迷うモノローグには、私は滅多に使わない言葉だけれど、胸が「キュンキュン」した。


気になった台詞。

好きって気持ちがいつの間にか執着にすり替わっていて

『恋は雨上がりのように』では「夢じゃないんだ、執着なんだ」だった。執着が肯定的に使われていた。この作品では執着は否定的に使われている。

好きや夢のままがいいのか。執着、すべきなのか。どっちが正しいのだろう。

夢は執着すべきだけれど、好き、という気持ちは執着すると相手を苦しめるだけのストーカーになってしまう。あまり好きになり過ぎるのはよくない、ということかもしれない


気に入った場面。

和臣が昇降口で朱里からのプレゼントを見て泣くところ。男の子がうれし泣きするという姿は新鮮だった。

由奈が理央の手を引っ張って走り、説得する場面もいい。強く変わった由奈がよくわかる。理央が由奈に告白する場面もいい。

このストーリー展開ならば、朱里よりも由奈の好感度が高くなるのは自然なことだろう。

浜辺美波は初めて和臣と話すブランコの場面。朱里の明朗快活な性格がストレートに出ている。ラストの走る場面も青春映画らしくていい。

大団円のラストシーンもいい。70年代ならば、海岸で夕陽に向かって走っているだろう。2010年代の若者は朝日のまぶしい丘に立つ。

天邪鬼な私は作品の「その後」をつい想像してしまう。この先、まだまだ選択を迫られる時が訪れる。10年後、20年後、4人はどんな思いでこの場面を思い出すだろう。

主題歌の歌詞とは違って、"La La Land"のように、最後には選ばなかった青春の1ページとして思い出すのかもしれない。そんな想像もしてしまう。


自分の高校時代はふられてばかりで、こんなハッピーエンドなエピソードは何もなかった。文化祭にも図書室にも、甘酸っぱい思い出は何もない。むしろ、高校時代を思い出すとやり場のない怒りにいつも包まれていた気がする。性格もひねくれていた

でも、うらやましいというより親の目線で「いいね、楽しんでるね」と温かい目で見守りたくなった。少しは大人になったか。

親の目線で観ているので、「親の態度が家庭の雰囲気を作っていて、子どもは敏感にそれを察知している」「親の都合で子どもを振り回してこなかったか」などと考えたりもした。


この映画に没入していると、自分にもほんの少し、胸が「キュン」となる、そんな瞬間があったかもしれない、と思わせてくれる。過去を書き換えてくれる、ありがたい作品。

思い出せば、何もなかったわけではない。隣りの席の子を無理やり鎌倉の海へ誘ったり、憧れの先輩と入れもしない大学の学園祭に行ったりした。特別に輝いている思い出ではないけど、「ドキドキ」していたことを思い出した。


最近、邦画の恋愛ものを続けていくつか見ている。結論として『キミスイ』過去の記憶をよみがえらせたという意味で、私にとって特別な作品であることに変わりはない。でも、これから先、高校時代が砂漠のような記憶しかないように思うときに、この作品も観返すような気がする。

48時間のレンタルのあいだ、6回観た。それくらい、この作品は気に入った。

「ちょっと待って、何怒ってるの?」「上がって、上がって」「ジャンケンぽん」など、『キミスイ』の台詞がところどころで使われていたように感じたのは気のせいだろうか。


6月20日追記。

DL版を購入した。

完全に北村匠海と浜辺美波のトリコになっている。


さくいん:咲坂伊織初恋北村匠海『君の膵臓をたべたい』『ガラスの仮面』70年代