福島民家園
福島県福島市上名倉字大石前地内

奈良輪家住宅  福島県指定文化財 (昭和57年3月30日指定)
旧所在地・福島県福島市山田字城裏口35
建築年代/江戸中期(18世紀中頃)
用途区分/農家
福島市南郊に所在していた木造寄棟造、平屋建、茅葺の上層農家建築である。土間が異常なほどの広さで、奥には一部屋の「ざしき」があることが、この住居の特色。側面と背面は厚い土塗りの大壁で、内部は暗く閉ざされており、開口部が閉鎖的であることなど古い民家の要素を持っている。当園には昭和56年5月移築。


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菅野家住宅  福島県指定文化財 (昭和60年3月29日指定)
旧所在地・福島県福島市松川町字熊ノ田44
建築年代/江戸後期(18世紀後半)
用途区分/農家
福島市松川町の西郊に所在していた木造寄棟造、平屋建、茅葺の一般階層の農家建築。平面積の45%を超える土間を持ち、正面を除く側面、背面を大壁造とする。「ざしき」、「なんど」の境も閉鎖的な設えで、県北地方の古い形式をよく伝えている。当園には昭和59年3月移築。


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阿部家住宅  福島県指定文化財 (昭和62年3月27日指定)
旧所在地・福島県福島市大笹生字安養寺44
建築年代/江戸時代中期
用途区分/農家
福島盆地の北西山麓に所在していた木造寄棟造、平屋建、茅葺の一般階層の農家建築である。この時期の県北地域の一般農家住居の平均規模は平面積で26〜28坪程度で、22.8坪の当住宅は少し小振りな建築といえます。日常生活の中心となる「なかのま」が床板を張らない土座となっていることが特徴で、軒も低く、開口部が少ないことや、南側を除く三面は厚い土壁で覆われた大壁造となっていることなど各所に古式が見られます。当園には昭和59年11月に移築されました。


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小野家住宅  福島市指定文化財 (平成3年3月12日指定)
旧所在地・福島県伊達郡伊達町大字伏黒字南屋敷17
建築年代/明治6年
用途区分/養蚕農家
県北地域は戦前までは養蚕が盛んな土地柄で、当家は木造半切妻造、中二階建、茅葺の養蚕農家建築である。一階各室の床には、養蚕時期の保温を目的とした炉が切られ、東端の下屋は糸取場として使われました。足場敷中二階と屋根裏も蚕室として利用され、採光のために屋根を半切妻としている。この形状を当地域では「あづま屋根」と称し、県北地域民家の特徴でもある。当園には昭和57年3月に移築された。


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筧家宿店 福島市指定文化財 (平成3年3月12日指定)
旧所在地・福島県福島市上鳥渡字観音寺14
建築年代/江戸末期〜明治10年代(19世紀後半)
用途区分/商人宿
当住宅は旧会津街道と米沢街道の分岐に建っていた旅人宿である。当家は明治10年代から大正中期まで宿を営んでいたが、万世大路の開通、奥羽本線・岩越鉄道(後の磐越西線)の敷設により宿泊客が激減し、閉業したとのことである。主に2階座敷が宿泊客に当てられたと思われ、1階の「みせ」部分の蔀戸、2階外壁の漆喰塗りの「商人宿」の文字、襖絵などに宿店としての特色が見られる。当園には昭和57年3月に移築されている。


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渡辺家住宅  福島市指定文化財 (平成3年3月12日指定)
旧所在地・福島県福島市上名倉字吉内13
建築年代/江戸後期(19世紀初頭)
用途区分/農家(庄屋)
渡辺家は幕末には庄屋を務めたと口伝される上層農家で、菩提寺の寄進状から元禄年間には旧所在地に定住し、分家も輩出していたことが確認される旧家でもあります。建物の平面積は48坪で、当時の上層農家の平均的な規模が約45坪程であることから、少し大き目な建前である。当住宅の特色として間取りに「とおりのま」と呼ばれる通路があり、当地方には珍しい建前となっています。また「なんど」にある「とこ」、「どま」の前の軒下吹き放し部分があることなども特徴的です。当園には昭和59年3月に移築されました。


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馬場家住宅  福島市指定文化財 (平成14年6月17日指定)
旧所在地・福島県南会津郡南郷村宮床字居平528
建築年代/文化4〜5年(1807〜1808)
用途区分/農家
南会津郡南郷村の旧沼田街道沿いに所在していた木造寄棟造、平屋建曲り棟付、茅葺の上層農家建築である。馬屋中門造と称される母屋に対して鉤型の突出部を前方に突き出す曲屋形式で、先端が入口になっており、中に馬屋や便所が設えられてゆり、人と馬が一つ屋根の下で生活をしていました。会津地方は雪が深く、当時の農民にとって農耕には馬がとても重要な存在であったため、出入口の除雪量が少なくて済むことや、冬季の馬の世話の都合を考えた農民の工夫から、このような形態の家が創り出されたと考えられます。当園には平成7年3月移築。


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客自軒  福島市指定文化財 (平成5年11月24日指定)
旧所在地・福島県福島市北町3-33
建築年代/江戸後期(19世紀後半)
用途区分/割烹旅館
幕末から明治初期にかけて営業していた福島有数の割烹旅館で、福島の歴史上、重要な舞台となったことで知られている。慶応4年(1868)に北南町の金沢屋に投宿していた奥羽征討軍の下参謀・世良修蔵を仙台藩士が襲撃し、金沢屋の北側に在った「客自軒」に引き立てた後、阿武隈川畔で斬殺した事件があり、これが引き金となり東北の戊辰戦争の拡大に繋がっていったとされている。明治中期に所有者が替わり、「紅葉館」と改名されたが、この名称は福島の自由民権運動家であった河野広中が命名したと云われている。建築部材は全て細く、当時の町家造の手法に近く、略式化した数寄屋造の手法が散見される。平成4年8月の移築に際しては、後の増築部分を除き、江戸後期頃の「客自軒」に当たる部分を原形に復している。
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