客自軒
Kakujiken



 
福島市指定有形文化財
旧所在地・福島県福島市北町3-33
建築年代/江戸後期


元客自軒は福島有数の割烹旅館。慶応4年(1868)に北南町の金沢屋に滞在していた奥羽征討軍の参謀・世良修蔵が仙台藩士によって襲撃され、金沢屋の北にあった客自軒に拉致したのちに、阿武隈川畔で斬殺した事件が発生、これが発端となって東北諸藩を巻き込んだ戊辰戦争の拡大に繋がったとされている。明治中期に所有者が代わった折に、福島の自由民権運動家であった河野広中により「紅葉館」と命名された場所でもある。
建築部材は細く繊細で、当時の町家造をベースに数寄屋の手法が随所に採り入れられている。

幕末から明治初期にかけての福島有数の割烹旅館であり、福島の歴史上重要な舞台になったことで知られる。慶応4年(1868)には、奥羽征討軍の下参謀・世良修蔵が仙台藩士に襲撃され「客自軒」に引き立てられた後、阿武隈川畔で惨殺された事件があった。その後も明治11年(1878)福島町議員選挙の投票所としてこの建物が使用された。明治中期の所有者の変更に伴い河野広中によって「紅葉館」と改名され、のち下宿業に転じて使用された。解体前は中庭を囲んで4棟が存在していたが、創建された当初の「客自軒」の姿として、旧東棟、旧北棟の2棟を復原した。建築部材は全て細く、当時の町家造の手法に近い略式化した数寄屋造の手法が見られる。【現地案内看板より】






 

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