埼玉の民家
小野家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和50年6月23日指定) 埼玉県所沢市林2-426 建築年代/江戸中期(18世紀初頭) 用途区分/農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
平山家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和46年6月22日指定) 埼玉県熊谷市樋春1067 建築年代/18世紀初頭(推定) 用途区分/農家(名主) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
|
内田家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和46年6月22日指定) 埼玉県秩父市蒔田891 建築年代/享保16年(1731) 用途区分/養蚕農家(名主) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 秩父市街北方の高台に所在する永代名主を務めた養蚕農家である。当家の祖先は北條家家臣で、天正18年の鉢形城落城時に帰農し、現在地に土着したとのことである。荒川と赤平川が削り残した秩父山塊の標高200m前後の丘陵に蒔田川によって作り出された平坦地は水田耕作にも適していたようで、当屋敷の風情はまるで平野部に建つかの様である。北風の強い地域であるらしく主屋の北側に屋敷林を背負うが、南面は開放的で、養蚕のために建築当初から設えられた二階部分の採光・通風用に大屋根を切り上げ、兜造としている。せがい軒によって張り出した二階開口部を格子窓とする点は外観を意識したものに違いない。桁行13間にも及ぶ長大な入母屋造の建物は重厚で美しい。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
新井家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和46年6月22日指定) 埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1164 旧所在地・埼玉県秩父郡野上町中野上121 建築年代/延享2年(1745) 用途区分/養蚕農家(名主) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 景勝地として名高い長瀞の宝登山神社参道脇に所在する郷土資料館内に移築されている養蚕農家である。嘗ては当地の北方2km程の荒川の河岸段丘状の平坦地に所在し、江戸期には名主を務めたとのことである。県内農家建築の中で石置き板葺切妻屋根の住居は珍しく、さらには土間東側に差し掛けで茅葺の脱穀場と馬屋を付属させて、板葺と茅葺の屋根が一つの建物に混在する様は類を見ない造作である。桁行10間半、梁間5間の中規模な建物で、部屋境にに柱が林立し、押板が設えられる点など古式を残すが、一方で土間上部の梁組の豪壮さや建物前面に貫を多用し、縁側上部の格子欄間など意匠を意識的に整えた様子が窺われ、味わい深い。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
高橋家住宅 | 国指定重要文化財 (平成13年11月14日指定) 埼玉県朝霞市根岸台2-15-10 建築年代/江戸時代(18世紀前半) 用途区分/農家(本百姓) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 関東平野を縦断する荒川中流域の武蔵野台地の東端に所在する一般農家建築である。当住宅の周辺は東京郊外の市街地化により武蔵野の面影が急速に失われつつある地域ながら、当家に関しては江戸末期以来の屋敷林に囲まれた往時の姿をそのままに残し、主屋の他、納屋や室、畑や雑木林を含めた広大な敷地ごと保存されている。東西に長い屋敷地の西側の一画に斜面林を背に桁行7間半、梁間4間の中規模な主屋を構える。押板やシシ窓など古い民家の指標とされる造作が見られ貴重である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
|
鈴木家住宅 | 国指定史跡 (昭和57年7月3日指定) 埼玉県さいたま市緑区大間木1889 建築年代/1810年前後 用途区分/通船差配役 残存建物/主屋・ 公開状況/非公開 徳川吉宗公の時代に幕府は財政再建のため紀州から井澤弥惣兵衛為永を召喚し見沼新田の開発を任せた。彼はその過程で利根川から見沼代用水路を開削、享保16年(1731)には東西の代用水路を繋ぐ見沼通船堀を通し、日本初の閘門式運河を完成させたのである。当家はこの事業に参加協力したことにより通船堀の通船権を与えられ差配役を務めたという来歴を持つ旧家で、当初は江戸日本橋の通船屋敷で執務していたが、やがて通船堀に隣接する八丁会所に詰めるようになり、当地に居を定めたという。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
|
坂東家住宅 | さいたま市指定文化財 (平成3年10月3日指定) 埼玉県さいたま市見沼区片柳1266-2 建築年代/安政4年(1857) 用途区分/農家(名主) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 さいたま市の南東端の純農村地帯に所在する旧名主住宅である。当家は紀州名草郡加田村の出身で「加田屋」と称した江戸日本橋の商人であったが、享保年間に幕府主導で見沼地域における大規模開発が行われると、その一翼を担う形で加田屋新田を拓き当地との関わりが始まる。屋敷には正面に長屋門を構えていたとのことであるが今は失われている。屋敷林を背後に南面する主屋は桁行約30mの長大なもので、東端で前方に、中央部で後方に角屋を突き出す。富裕ながらも抑制の利いた良い民家である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
|
島田家住宅 | 三芳町指定文化財 (平成6年3月30日指定) 埼玉県入間郡三芳町上富1279-3 建築年代/文化・文政年間(1804-1829) 用途区分/農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
池上家住宅 | 三芳町指定文化財 埼玉県入間郡三芳町竹間沢877 旧所在地・埼玉県入間郡三芳町竹間沢677 建築年代/江戸末期 用途区分/農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
十万石ふくさや | 登録有形文化財 (平成19年10月2日登録) 埼玉県行田市行田20-15 建築年代/明治16年(1833) 用途区分/商家(呉服商) 登録範囲/店舗 公開状況/店舗として営業中 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
小川忠次郎商店 | 登録有形文化財 (平成16年7月23日登録) 埼玉県行田市忍1-4-6 建築年代/大正14年(1925) 用途区分/商家(足袋原料商) 登録範囲/店舗及び主屋 公開状況/店舗として営業中(蕎麦店) 埼玉県北部の行田は足袋の町として有名である。そもそもは利根川、荒川の二大河川に挟まれた立地であったことから綿や藍の栽培に適していたため、近世になって藍染の綿布産業が勃興したことに由来する。記録によれば町中には江戸後期の天保年間には27軒もの足袋屋が軒を連ねていたというから、相当な集積振りである。当住宅は秩父鉄道の行田市駅から5分程歩いた市街地に残る中規模な商家建築で足袋の原料を扱っていた。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
新井家住宅 | 登録有形文化財 (平成26年4月25日登録) 埼玉県日高市大字高麗本郷245 建築年代/明治中期 用途区分/ 登録範囲/主屋・客殿・納屋・南土蔵・北土蔵・石垣 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
柿原商店 | 登録有形文化財 (平成14年8月21日登録) 埼玉県秩父市本町1404-4 建築年代/昭和5年(1930) 用途区分/商家(銘仙問屋) 登録範囲/店舗及び主屋・土蔵A・土蔵B・土蔵C・石塀 公開状況/店舗として営業中 【秩父ふるさと館】 市内中心部に所在し、現在は「秩父ふるさと館」の名称で「銘仙」など地元の産品を扱っている店舗や蕎麦屋などが集っている。ゆえに内部は殆ど往時の面影が損なわれており、外観のみが往時の風情を留めている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
新井商店 | 登録有形文化財 (平成16年2月7日登録) 埼玉県秩父市本町1400 建築年代/明治初頭 用途区分/商家(生糸仲買商) 登録範囲/店舗及び主屋・商品倉庫・倉庫 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
武甲酒造 柳田総本店 |
登録有形文化財 (平成16年2月17日登録) 埼玉県秩父市宮側町4389 建築年代/江戸後期 用途区分/商家(酒造業) 登録範囲/店舗 公開状況/店舗として営業中 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
岡野家住宅 | 登録有形文化財 (平成20年7月8日登録) 埼玉県入間郡越生町越生字町796 建築年代/大正4年(1915) 用途区分/商家(絹織物商) 登録範囲/店蔵・土蔵 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
金子家住宅 | 登録有形文化財 (平成20年4月25日登録) 埼玉県入間郡越生町越生字町769 建築年代/安政5年(1858) 用途区分/商家(生絹仲買商) 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
遠藤家住宅 | 無指定・公開 埼玉県行田市埼玉4834 旧所在地・埼玉県幸手市大字千塚361 建築年代/江戸末期 用途区分/稲作農家 残存建物/主屋 公開状況/公開【県立さきたま資料館】 埼玉県発祥の地である行田市の「さきたま古墳公園内」に移築されている農家建築である。県立の施設内にあるため、当住宅は県の指定文化財にでもなっているのかと思えば、無指定のままで、それどころか隣接するさきたま史跡の博物館で「民家に関する資料はないか」と聞いても、古墳以外の史料は置いていないとつれない返事で、相当に冷たい仕打ちを受けている。さらに少し以前までは対面に所在していた同様の移築民家・山崎家住宅は老朽化のため取り壊され、嘗てそこに存在していたことも完全に抹殺されている有様。酷いの一言である。費用をかけて移築して保存することに決めたのだから、その責任を全うすべきだと文句の1つも云いたくなる。ところで当住宅についてであるが、そもそもは幸手市の旧行幸村に位置する稲作地帯に所在していたものである。昭和44年に実施された民家緊急調査の1次調査対象民家であるが、詳細は不明である。桁行8.5間、梁間4.5間の中規模の建前で、江戸中期の享保年間に利根川から分水して葛西用水路が整備されたことにより当地において新田開発がなされた歴史的事実から、江戸中期以降に入植した比較的豊かな稲作地帯の農家であったと推測される。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
長島家住宅 | 無指定・公開 埼玉県熊谷市小八林1022 建築年代/享保年間 用途区分/地主 残存建物/主屋・長屋門・米蔵・中門等 公開状況/公開【長島記念館】 JR高崎線の吹上駅から南西方向に進むと荒川が立ちはだかる。そこに架かる大芦橋を渡った辺りが小八林の集落で、嘗ては荒川の氾濫原に当たる低湿な稲作地帯である。当住宅は、その集落に屋敷林を背負って点在する大規模農家の1軒で、正面に長東西方向に長大な長屋と薬医門形式の表門、大谷石製の石蔵を並べる姿は圧巻である。現在は長島記念館と称して屋敷内に建つ別の石蔵で近代美術絵画を展覧するとともに、主屋の一部を公開する施設となっている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
|
中村家住宅 | 無指定・公開 【越谷市保存民家】 埼玉県越谷市大間野町1-100-4 建築年代/大正3年(1914) 用途区分/名主 残存建物/主屋・長屋門・石蔵・土蔵・納屋 公開状況/公開 東部伊勢崎線の蒲生駅から西へ1.5km程の平坦地に所在する旧名主住宅である。この辺りは江戸期には大間野村と称したところで、新田開発により元禄8年(1695)頃に槐戸新田村より分村してできた純水田地帯である。当住宅は屋敷南方に桁行約18mの長屋門を構え、やや北寄りに主屋・土蔵・納屋の各建物が軒を接するように配置されている。明治42年から約5年間をかけて建築された主屋は江戸期の名主住居の系譜を遵守しつつも随所に近代的な工夫を凝らし、完成期における民家の在り様が楽しめる。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
|