鈴木家住宅
Suzuki



 
国指定史跡 (昭和57年7月3日指定)
埼玉県さいたま市緑区大間木1889
建築年代/1810年前後
用途区分/通船差配役
残存建物/主屋・
公開状況/非公開

江戸の中期、徳川吉宗公の時代に幕府は財政再建のため紀州から井澤弥惣兵衛為永を召喚し勘定吟味役に任じて見沼新田の開発に当たらせた。彼はその過程で利根川から東西2本の見沼代用水路を開削、享保16年(1731)に、この東西の代用水路を繋ぐ形で開通させたのが見沼通船堀で、日本初の閘門式運河となった。当家は地元の有力者としてこの通船堀の開削事業に参加協力したことにより通船堀の通船権を与えられ差配役を務めたという来歴を持つ旧家で、当初は江戸日本橋の通船屋敷で通船堀の運行管理を執務していたが、やがて時代が下ると通船堀に隣接する八丁会所に詰めるようになり、八丁堤に現在の屋敷を構えたという。



 

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