内田家住宅
Uchida



 
国指定重要文化財 (昭和46年6月22日指定)
埼玉県秩父市蒔田891
建築年代/享保16年(1731)
用途区分/養蚕農家(名主)
指定範囲/主屋
公開状況/公開

秩父市街より北方の高台に所在し、寛永年間以降に蒔田村の代々名主を務めたという養蚕農家である。当家の祖先は「藤田氏」を名乗り、戦国大名で関東地方の覇者・北条家の家臣であったと伝えるが、天正18年(1590)の豊臣秀吉による関東攻略時の鉢形城落城時に帰農し、姓を改め、現在地に土着したとのことである。江戸時代においては、村役を務めたばかりでなく、用水・新田開発・養蚕等の産業振興において多大な功績を挙げたと記録されている。荒川と赤平川が削り残した秩父山塊の標高200m前後の丘陵に、更に蒔田川の氾濫原として作り出された平坦地は水田耕作にも適していたようで、当家の風情はまるで平野部に建つ屋敷の様である。その立地条件から北風の強い地域であるらしく主屋の北側には防風のため屋敷林を背負うが、南面は開放的で、養蚕のために建築当初から設えられた二階部分は、大屋根を大胆に切り上げて兜造とし、採光・通風に配慮した建前とする。せがい軒によって前面に張り出した二階開口部を格子窓とする点は農家建築には珍しく、外観を意識した故の造作に違いない。また平成25年から4年の歳月をかけて実施された解体保存修理工事によって建築年代は江戸中期の享保16年(1731)であることが新たに判明したが、この時期の関東地方の農家建築で本格的な二階を設けた先進事例は稀であるとされている。桁行13間にも及ぶ長大な入母屋造の建物は重厚で美しい。



 

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