2005/05/06 UP
『玄洋社・封印された実像』の反響
玄洋社員・名簿
★2006/05/12 玄海の真珠〜堂守日誌〜(「玄洋社記念館 館長日誌」) とリンクしました。おしゃれです!!
★平成18年 玄洋社記念館関係の行事日程 を追加しました。
★2005/11/27 玄洋社員名簿のリンクの間違いを修正しました。
収録数 延べ630人
(2005年5月14日現在)
東映配給(中国・香港映画)
1911
角川映画配給(中国映画)
孫文―100年先を見た男
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頭山満が登場する中国映画があった!
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2006/02/22
【コロムビアミュージックエンタテインメント】より
DVD化
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【松竹ホームビデオ】より
’87金鶏賞最優秀賞9部門独占受賞
珠江電影制片公司作品
製作 孫長城・監督 丁蔭楠
日本側出演者
宮崎寅蔵……大和田伸也
宮崎夫人……中野良子
頭山満……中谷一郎 |
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(2006/07/08) |
この名簿は石瀧豊美著『増補版 玄洋社発掘』掲載の「玄洋社社員名簿」に追加・増補したものです。
* 『玄洋社発掘』の初版は昭和56年(1981)5月20日。付載した名簿は原稿段階で進藤一馬、妹尾憲介、矢野憲一、財部一雄の各氏に校訂をお願いした。平成9年(1997)8月25日、増補版刊行の時点で若干の補訂を加えたが、基本的には初版当時のまま踏襲している。
同名簿(延べ582人)では、第一に備考・略歴欄の字数に自ら制限を課したこと(特定の人物のみ字数を費やすことを避けたのと、全体の分量の圧縮を計らざるを得なかったことによる)、第二に備考・略歴の根拠とした参考資料・文献を明示していなかったことで、課題を残していました。
その欠を補いたかったのと、名簿に新たな人名を追加する必要から、「玄洋社員・名簿」をUPしました。
基本的に『増補版 玄洋社発掘』掲載時の形を残していますが、新たな資料や事実に気付いた場合は順次、内容を増補・訂正していきます。(* 以下が追記部分。なお、単純な誤記の訂正などで、一々断っていない場合もある。)
誤りや不備にお気づきの場合はメールをお寄せいただければ幸いです。
社員名簿を作成するにあたっての私の姿勢は、『増補版 玄洋社発掘』掲載の「玄洋社社員名簿」に付したまえがき・凡例で明らかにしています。これは別ページにしていますので、そちらをご参照下さい。 →まえがき・凡例へ。
* 同一人物が姓や名を異にして重複して立項されている場合が少なからずあります。明らかに同一人物とわかる場合は、一つの項目だけに説明を付しています。その際、資料番号は代表的な項目へ転記し、矢印(→親項目 へ ←子項目 から)で参照関係を指示しています。
漢数字は洋数字に直しています。氏名の読みは、正確にわからない場合は一般的な読みにしたがいました。幾通りもの読みが可能な場合は、その内の一つを選ぶか、音読みにしました。配列は姓の50音順を優先し、同姓の場合は名の50音順としました。(配列は『増補版 玄洋社発掘』掲載時の形がくずれています。)
〈氏名の読み〉の後の、斜体の数字は当該人物を玄洋社員と判断した根拠となる資料の番号で、〈凡例〉に対応しています。詳しくは凡例をご参照下さい。
◆
喜多島家文書(bP4)から新たに48人を追加しました。これにともない総数は延べ630人となります。bP4による追加・追記は人名・資料番号をグレーで表示して区別しています。
「備考・略歴」の後の▼以下は当該人物に関する参考資料を掲げました。別ページにその記事を掲載した場合はリンクしています。
●その他
人名および「備考・略歴」欄で外部にリンクしている場合があります。これについては
リンク先の一覧表
を作成しました。
著書など/研究書など の項は 国立国会図書館蔵書検索・申込システム NDL-OPAC 「一般資料の検索(簡易検索窓)」から「タイトル」と「著者・編者」で検索した結果です。データは検索結果をそのまま採用しています。個別の点検をしていないので、同姓同名の別人を混同した可能性が排除できないことをお断りします。「出版者」については「一般資料の検索(拡張)」で検索しました。
著書・研究書など の項は 福岡県立図書館 県立図書館の蔵書検索 で「書名」・「著者」・「出版者」で検索した結果を表示しています。 |
相生 由太郎 あいおい よしたろう 8・13・14
生家は魚商を営む。正木昌陽に学ぶ。東京高商卒。大連・福昌公司社長。大連商業会議所
会頭。大連市会官選議員。昭和5年1月3日没。年64。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「相生由太郎」)
1.三線連絡距離比例反対理由書 / 相生由太郎. -- 〔大連商業会議所〕, 〔1916〕
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「相生由太郎」)
1.満洲と相生由太郎 / 篠崎嘉郎. -- 福昌公司互敬会, 昭和7
2.満洲と相生由太郎 / 篠崎嘉郎. -- 福昌公司互敬会, 1932
→(ソウル)景仁文化社【満蒙地理歴史風俗誌叢書】の
■第169−171巻(上・中・下)
に収録。 1997年発行(20060111 付記)
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(書名/著者=「相生由太郎」)
1.九州の巨人 深田 豊一/著 博進社 1915.2
2.満州と相生由太郎 篠崎 嘉郎/著 福昌公司互敬会 1932
檍 正一 あおき しょういち 12・13
九州日報社員。
青木 大十郎 あおき だいじゅうろう 8・13・14
大正8年10月25日没。
青木 藤次郎 あおき とうじろう 14
青木 恭太郎 あおき やすたろう 8・13
柔道家。明道館員。講道館に学ぶ。静岡中学柔道教師。昭和7年5月19日没。
青木 泰太郎 あおき やすたろう 14
青柳 嘉毛岐 あおやぎ かもぎ 9・10・11・13
明道館員。明大卒。九州日報社員。
青柳 真太郎 あおやぎ しんたろう 3・14
青柳 惣太郎 あおやぎ そうたろう 9・10・11・13
明道館員。〔三井銀行福岡支店〕 小倉市信用金庫専務理事。
青柳 豊太郎 あおやぎ とよたろう 8・13・14
大正14年1月30日没。年60。
青柳 義亮 あおやぎ よしすけ 8・13・14
旅館「あおやぎ」経営。大正15年9月14日没。年57。
青柳 六輔 あおやぎ ろくすけ 10・11・13
明道館員。東京高商卒。貝島鉱業所取締役石炭部長。満州皮革且謦役。昭和18年8月
16日没。年64。
浅島 久 あさじま ひさし 1・3・14
福岡の変に参加。
味岡 俊太郎 あじおか しゅんたろう 3・8・13・14
高場塾出身。福岡の変に参加。明治20年2月3日没。年35。
東 新作 あずま しんさく 3・14
麻生 六三 あそうむつみ 11
(旧姓)横山。明道館員。大伊万里炭坑。
阿部 源蔵 あべ げんぞう 9・10・13
東京帝大(法)卒。〔本富士警察署長〕 高知県学務部長。昭和35年福岡市長。昭和49年4
月22日没。年73。《福岡市葬が行われた》
▼「阿部源蔵」『福岡県百科事典』
阿部 瀧次郎 あべ たきじろう 9・13・14
阿部武三郎の弟。高場塾出身。明道館長。昭和10年8月29日没。
阿部 武三郎 あべ たけさぶろう 1・3・8・13・14
高場塾出身。萩の乱連携に参加。筑前共愛会那珂郡委員。第3代玄洋社長。大正11年6
月23日没。年71。
阿部 真言 あべ まこと 9・13
早大卒。東方会創立に加わり『東方時論』発行に当たる。大連・泰東日報(漢字紙)社長。振
東学社総理。昭和10年2月5日没。年52。
阿部 遜 あべ ゆずる 3・14
大久保正名の子。福岡藩洋学館英語教師安部忠吉の養子。千葉県木更津で弁護士開業。
荒木 三郎 あらき さぶろう 1・14
高場塾(興志塾)塾監。
有田 篤太郎 ありた とくたろう 8・13・14
明道館員。大正12年12月15日没。年31。
有吉 春太郎 ありよし はるたろう 3・8・13・14
福岡の変に参加。明治41年5月没。
い
幾岡 太郎一 いくおか たろういち 14
池 稲蔵 いけ いねぞう 3・8・13・14
牛乳業。博多商業会議所議員。明治42年1月29日没。年51。
池田 純亮 いけだ じゅんすけ 9・10・13・14
明道館員。東京帝大(法)卒。〔弁護士〕
石内 百起 いしうち ももき 14
石田 勉之助 いしだ べんのすけ 3・14
福岡の変に参加。
石谷 伝兵衛 いしたに でんべえ 9・10・11・13
明道館員。早大(商)卒。〔東京硫化学工業鰹務取締役〕 静岡酸素KK監査役。
伊地知 卯吉 いじち うきち 1・3・8・13・14
高場塾出身。福岡の変に参加。福陵新報創刊号発行名義人(「社主兼印刷人」)。昭和4年
5月21日没。年69。
石橋 養之助 いしばし ようのすけ 8・13・14
明治36年ごろ崇福寺前で薬店を営む。大正14年4月25日没。年79。
石原 徳 いしはら めぐむ 8・13・14
福陵新報・九州日報発行名義人(「編輯人」)。明治26年、福陵新報記事の内務大臣に対す
る官吏侮辱罪で筆禍。大正14年6月7日没。年67。
石丸 祐正 いしまる すけまさ 10・11・13
泉 研介 いずみ けんすけ 14
板垣 卯吉 いたがき うきち 1・14
板垣 【金+井*】吉 いたがき □きち 3
【* 補助漢字 なし】
市丸 義彦 いちまる よしひこ 3・14
福岡の変に参加。
井手 武右衛門 いで ぶえもん 8・13・14
筑紫村助役。御笠銀行且謦役。明治19年県議。37年代議士(憲政本党)。大正14年12
月13日没。年67。
井手 豊 いで ゆたか 3・14
伊藤 将之輔 いとう しょうのすけ 8・13・14
筑紫郡会議員。昭和6年2月15日没。年78。
伊東 辰次郎 いとう たつじろう 14
伊藤 万吉 いとう まんきち 1・3・14
蔓吉とも書く。高場塾出身。福岡の変に参加。
伊奈 敦志 いな あつし 9・10・11・13
〔歯科医〕 明道館員。(財)明道会理事。
井上 俊一 いのうえ としかず 12・13
明道館員。
井上 留吉 いのうえ とめきち 8・13・14
若松市、請負業。大野仁平や吉田磯吉と兄弟分の侠客。大正5年7月23日没。年60。
井上 秀剛 いのうえ ひでたけ 1・3・9・10・11・13・14
(旧名)勝喜。筑前共愛会那珂郡委員。
井上 政雄 いのうえ まさお 7・10・11・12・13
県立農学校卒。早大(政経)中退。東方会常任理事。昭和4年から福岡市議。31年第45代
福岡市議会議長。
井上 安次郎 いのうえ やすじろう 1・3・14
保二郎とも書く。
井上 隆介 いのうえ りゅうすけ 10・11・13
明道館員。昭和25年1月26日没。年71。
猪俣 峯樹 いのまた みねき 14
井原 勲夫 いはら いさお 9・13・14
宗像郡福間町の旧家に生まる。的野半介と共に八幡製鉄所誘致に奔走。昭和12年12月1
9日没。年74。
井原 金助 いはら きんすけ 3・14
井原 友次郎 いはら ともじろう 3・14
今任 亮太郎 いまとう りょうたろう 8・13・14
今任旅館経営。明治35年2月26日没。年56。
今見 義男 いまみ よしお 1・3・14
萩の乱連携に参加。
今村 為雄 いまむら ためお 1・3・8・13・14
外園と号す。高場塾出身。福岡の変に参加。福陵新報記者。九州日報社庶務主任。小説
家。昭和6年6月25日没。年74。
▼「今村外園」『福岡県百科事典』
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「今村為雄/今村外園」)
1.銘刀光世由来 / 今村為雄(外園子). -- 積善館, 明24.12
2.銘刀光世由来 / 今村為雄(外園子). -- 2版. -- 積善館, 明26.12
1.橘旭翁作譜筑前琵琶歌 / 橘旭翁. -- 橘筑前琵琶宗家, 大正2-3
2.橘旭翁作譜筑前琵琶歌 / 橘旭翁. -- 2版. -- 橘筑前琵琶宗家, 大正3
3.筑前琵琶歌 / 今村外園. -- 今村外園, 明41.5
4.筑前琵琶歌 / 今村外園. -- 政教社, 大正4
5.筑前琵琶歌稽古本 / 村上桂秋. -- 堀田航盛館, 大正2
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「今村外園」)
1.橘旭翁作譜筑前琵琶歌 / 橘旭翁. -- 橘筑前琵琶宗家, 大正2-3
2.橘旭翁作譜筑前琵琶歌 / 橘旭翁. -- 2版. -- 橘筑前琵琶宗家, 大正3
3.筑前琵琶歌稽古本 / 村上桂秋. -- 堀田航盛館, 大正2
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(書名/著者/出版者=「今村為雄/今村外園」)
1.旧友会 今村 為雄/編輯 今村為雄 1920.5
2.旧友会 今村 為雄/編輯 福岡県文化会館 〔1976〕
3.国守忠平 今村 外園/著 林磊落堂 1897.3
4.高峰琵琶歌 盲僧琵琶資料 福岡県文化会館 〔1970〕
入江 海平 いりえ かいへい 9・13
明道館員。東京帝大(独法)卒。朝鮮総督府理財課長。自動車投資会社社長。満鉄理事。
〔拓務政務次官〕 昭和13年1月17日没。年59。
岩隈 久兵衛 いわくま きゅうべえ 3・7・8・14
筑前共愛会福岡部委員。明治13年福岡区議。25年市議。博多商業会議所議員。明治40
年6月15日没。年61。
岩隈 久兵衛 いわくま きゅうべえ 7・8・13・14
大正12年福岡市議。昭和7年5月21日没。年48。
岩倉 音熊 いわくら おとくま 7・9・10・11・13・14
高場塾出身。博多駅長(九州鉄道)。大正14年福岡市議。昭和19年3月29日没。年72。
岩倉 光 いわくら ひかる 1・3・14
高場塾出身。
岩崎 茂成 いわさき しげなり 12・13
彦根藩士竹村茂承の四男。明道館員。京都帝大(法)卒。岩崎元次郎をつぐ。竹村茂孝(故
人・元九州柔道協会委員長)は実兄。岩崎建設且謦役社長。
岩永 周三 いわなが しゅうぞう 9・10・11・13
(旧名)久吉。〔薪炭業〕 明道館柔道部長。(財)明道会監事。昭和32年6月14日没。年7
8。
岩本 利三郎 いわもと りさぶろう 1・3・14
う
上野 新太郎 うえの しんたろう 9・10・11・12・13
明道館員。〔蒲鉾製造業〕
上野 太四郎 うえの たしろう 3・4・14
明治11年筑前第8大区1小区扱所書役。
上野 伍 うえの ひとし 14
卯木 瀑生 うき ばくせい 8・13・14
筑前共愛会志摩郡委員。
九州日報社副社長。市政刷新会幹部。嘉穂郡内野村長。昭和12年11月27日没。年75。
牛島 伍次郎 うしじま ごじろう 9・13・14
〔特許事務所〕 明治25年以来特許事務に従事。福岡市工芸団体連合会副会長。昭和14
年8月1日没。年77。
内田 勝夫 うちだ かつお 9・10・11・13・14
明道館員。〔福岡市水道課〕 (財)明道会理事。
内田 良五郎 うちだ りょうごろう 3・13・14
武道家。平岡浩太郎の兄。内田良平の父。大正10年9月22日没。年85。
内田 良平 うちだ りょうへい 13
硬石と号す。明道館員。柔道家。黒龍会主幹。大日本生産党総裁。天佑侠に参加。『露西亜
論』を著わして発禁となった。日韓合邦を推進した。昭和12年7月26日没。年64。
▼「内田良平」『国史大辞典』
内海 重雄 うつみ しげお 1・6・14
福岡の変に参加。明治15年青森県師範学校教員。26年釜山警察署長。明治43年7月12
日没。年52。
宇部 三郎 うべ さぶろう 10・13
浦上 鮮太郎 うらかみ せんたろう 3・14
浦上 正孝 うらかみ まさたか 1・3・6・8・13・14
高場塾出身。福岡の変に参加。福陵新報社員。朝鮮木浦で開墾事業に従事。大正9年9月
21日没。年59。
浦田 豊五郎 うらた とよごろう 1・3・14
瓜田 磯起 うりた いそき 8・13・14
* 磯喜とも書く。
瓜田 磯吉 うりた いそきち 4
え
江上 清 えがみ きよし 10・11・13
〔弓道教士〕
江波 卯八 えなみ うはち 3・14
江波 富一郎 えなみ とみいちろう 3
江波 富太郎 えなみ とみたろう 14
お
王丸 代吉 おうまる だいきち 7・9・10・13・14
搾乳業。大正2年福岡市議。12年県議。昭和12年第38代福岡市会議長。九州日報社取
締役。昭和24年11月28日没。年78。
大石 多喜夫 おおいし たきお 13
炭鉱業。昭和11年2月5日没。年53。
大内 義瑛 おおうち ぎえい 2・6・8・13・14
(旧名)山崎源三郎。義映とも書く。亀井塾出身。能書家。上海東洋学館幹部。福陵新報特
派員。筆名・剣侠生。明治38年9月9日没。年50。
大岡 克麿 おおおか かつまろ 9・13
〔福岡市有限責任信用組合〕
大岡 九十郎 おおおか くじゅうろう 8・13・14
福陵新報創刊号発行名義人(「編輯人」)。同紙記者。大正9年10月没。
大賀 初三郎 おおが はつさぶろう 3・14
大楠 菊雄 おおくす きくお 9・10・13
明道館員。(財)明道会理事。
大隈 徳三郎 おおくま とくさぶろう 13
福岡の変に参加。明道館員。昭和14年11月19日没。
大隈 桃三 おおくま ももぞう 7・9・13・14
明道館長。福岡市秘書課長、庶務課長。〔日本共立火災保険兜汢ェ出張所会社員〕 昭和
13年福岡市議。昭和13年12月7日没。
大倉 周之助 おおくら しゅうのすけ 8・13・14
高場塾出身。萩の乱連携に参加。明治11年筑前第2大区5小区扱所副戸長。宗像郡長。
門司警察署長。明治41年8月19日没。年63。
大塩 操 おおしお みさお 2・3・14
(旧名)和田玄遵。はじめ真宗僧侶。筑前共愛会憲法草案を起草。明治26年朝倉郡三奈木
村長。明治34年4月没。年54。
太田 嘉兵衛 おおた かへえ 8・13・14
高場塾出身。明治31年福陵新報を管理。博多上東町売薬業ぶんごや当主。《同名の洋画
家には父にあたるか?》 明治39年6月21日没。年42。
太田 勝米 おおた しょうべい 3・14
大谷 仁助 おおたに にすけ 10・13
大塚 千郷 おおつか せんきょう 9・10・13
明道館員。九州日報記者。明治鉱業社員。昭和57年12月12日没。年80。
大塚 多熊 おおつか たくま 9・13・14
大塚千郷の父。昭和26年1月10日没。年81。
大塚 長平 おおつか ちょうへい 13
警察官。明道館師範。
大野 伴三 おおの ともぞう 14
大野 仁平 おおの にへい 8・13・14
博多の侠客。勇敢隊を組織して戊辰戦争に従軍。平岡浩太郎を助けて炭坑事業に従事。大
正7年1月1日没。年71。
大庭 弘 おおば ひろし 14
大畠 梅太郎 おおばたけ うめたろう 10・13
大畠修の子。明道館員。昭和18年2月8日没。年55。
大畠 修 おおばたけ おさむ 3・4・8・13・14
高場塾出身。福岡の変に参加。大正13年1月16日没。年73。
大畠 重次郎 おおばたけ じゅうじろう 3・14
大原 七次郎 おおはら しちじろう 3・14
大原 文輔 おおはら ぶんすけ 3・14
大原 義剛 おおはら よしたけ 3・4・9・10・13・14
友吉。高場塾出身。明治21年6月、慶応義塾入社。明道館員。天佑侠に参加。明治35年
代議士(憲政本党)。九州日報社長。〔立憲民政党福岡支部長〕 昭和20年1月17日没。年8
1。
岡 貞吉 おか さだよし 10・11・13
岡喬の子。
岡 清兵衛 おか せいべえ 3・14
筑前共愛会博多部会員総代、副部長。明治13年福岡区議。
岡 喬 おか たかし 1・3・4・6・8・13・14
はじめ洋学を修め、のち漢学に転ず。福岡の変に参加。北陸民権運動に奔走。玄洋社経営
に当たる。晩年は住吉神社祠官。大正13年12月4日没。年67。
岡 保三郎 おか やすさぶろう 9・10・13・14
岡喬の弟。〔東京、殉国社長〕 昭和19年1月25日没。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「岡保三郎」)
1.来島恒喜 / 岡保三郎. -- 岡保三郎, 大正2
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者/出版者=「岡保三郎」)
1.来島恒喜 岡 保三郎/編輯 岡保三郎 1913.10
岡崎 精造 おかざき せいぞう 3・14
福岡の変に参加。
岡田 三次郎 おかだ さんじろう 3・14
緒方 竹虎 おがた たけとら 12・13
早大(政経)卒。東京朝日新聞主筆、副社長。代議士。吉田内閣副総理。自由民主党総裁
代行委員。昭和31年1月28日没。年67。
▼「緒方竹虎」『福岡県百科事典』
▼「緒方竹虎」『国史大辞典』
▼「緒方竹虎」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
◆文献・資料(石瀧の蔵書を中心にしたメモ)
坂田卓雄著『スイス発 緊急暗号電―笠信太郎と男たちの終戦工作―』西日本新聞社、平
成10年9月30日発行 ※ 緒方竹虎と笠信太郎の終戦工作をテーマとする。
・「緒方竹虎を通じCIA政治工作 50年代・米公文書分析」『毎日新聞』2009年7月26日朝刊(1面記事・2面解説)
岡部 喜三郎 おかべ きさぶろう 7・9・10・13・14
〔福岡市役所土木課長〕
岡部 覚 おかべ さとる 7・8・13・14
明治11年県議。13年福岡区議。25年市議。明治10年開業時の第十七銀行支配人。明治
44年7月8日没。
岡本 利三郎 おかもと りさぶろう 9・10・11・13
真藤慎太郎の弟。明道館剣道部長。〔粕屋郡新宮村農会・農業技術員〕 (財)明道会監事。
小川 丑吉 おがわ うしきち 3・14
小川 斗吉 おがわ ときち 3
* 「斗」は「牛」の間違いか。その場合、「丑吉」と重記か。
小河 義起 おごう よしき 10・11・13
明道館員。昭和32年5月17日没。
尾崎 臻 おざき いたる 8・13・14
明治21年県議。22年県立中学修猷館長。光雲神社宮司。大正11年9月23日没。年83。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「尾崎臻」)
1.日本上古略史 / 辛島並樹,尾崎臻. -- 磊落堂等, 明15.5
尾崎 甚十郎 おざき じんじゅうろう 3・14
小田 周 おだ あまね 10・11・13
明道館員。〔農業〕
越智 誠之助 おち せいのすけ 11・13
乙藤 一蔵 おとふじ いちぞう 10・13
市蔵。神道夢想流杖術師範。杖道振興会会長。全日本剣道連盟範士、杖道九段。
乙藤 春雄 おとふじ はるお 10・12・13
市蔵の弟。全日本剣道連盟範士、剣道八段・杖道九段。
鬼木 栄次郎 おにき えいじろう 3・14
尾西 方 おにし あたる 1・14
尾西 要太郎 おにし ようたろう 9・10・11・13
進藤喜平太の甥。福陵新報発行名義人(「編輯人」「発行兼印刷人」)。〔立憲民政党福岡県
支部会計監督〕 昭和19年12月23日没。
小野 鴻之助 おの こうのすけ 5・6・7・8・13・14
県議小野新路の二男。明道館員。満州義軍に参加して負傷。左脚切断。大正6年最高点で
福岡市議に当選。大正9年3月25日没。年47。
小野 新路 おの しんじ 14
(旧名)熊次郎。卓造とも書く。高場塾出身。福岡の変に参加。
←小野熊次郎
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「小野卓造」)
1.改正監獄則同施行細則・看守以下分掌例・巡査看守精勤証書授与規則・看守押丁賞
与規則 / 小野卓造. -- 磊落堂, 明22.8
小野 直路 おの なおみち 14
小野 義視 おの よしみ 14
(旧姓)三木。隆介とも。筑前共愛会長。各郡長を歴任。明治23年代議士。31年香川県知
事。第十七銀行取締役。大正12年9月4日没。年84。
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(書名=「三木隆助」)
1.小野(三木)隆助碑誌 内野 冨士雄/〔著〕 内野冨士男 1977ハシガキ
小野 隆太郎 おの りゅうたろう 7・8・13・14
小野隆助の養子。東大教授寺尾亨の弟。司法省法学校に進む。明治21年代言人免許。2
5年福岡市議。29年県議。34年判事任官。明治42年7月21日没。年46。
角野 正起 かくの まさき 9・10・11・13・14
明道館員。〔前嘉穂中学校剣道教師、売薬請売営業〕〔マサキール製薬業〕
香椎 源太郎 かしい げんたろう 10・12・13
筑紫郡御笠村出身。釜山商工会議所会頭。電力会社社長。御笠銀行会長。昭和21年3月
23日没。年80。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「香椎源太郎」)
1.朝鮮統治私見 / 香椎源太郎. -- 香椎源太郎, 〔192-〕
梶川 光 かじかわ ひかる 1・3・6・8・13・14
(旧姓)月成。また大神とも称した。高場塾出身。専修学校に学ぶ。閔妃事件に参加。明治4
3年2月4日没。年49。
梶原 景敏 かじわら かげとし 9・13・14
〔予備歩兵大佐〕 昭和10年5月8日没。年65。
梶原 寅太郎 かじわら とらたろう 3・14
梶原 寛 かじわら ひろし 9・10・11・13
明道館員。〔三菱根津鉱山〕 (財)明道会理事。
香月 恕経 かつき じょけい 8・13・14
秋月藩領の医家に生まる。明治3年、秋月藩校稽古館訓導。6年筑前竹槍一揆、9年秋月
の乱で下獄。国会期成同盟に参加。福陵新報主幹。23年代議士。明治27年5月18日没。
年53。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「香月恕経」)
1.記事祝文女子文例 / 香月恕経. -- 磊落堂, 明23.10
2.修身小学辞解 / 香月恕経. -- 星文館, 明18.12
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「香月恕経」)
1.香月恕経翁小伝 / 田中正志. -- 香月恕経翁顕彰会, 1981.11
香月 梅外 かつき ばいがい 10・11・13
明道館員。〔福岡農学校支那語教師〕 「玄洋社支那語研究所」講師。昭和22年2月17日
没。年73。
香月 春蔵 かつき はるぞう 9・13・14
香月恕経の子。〔前三井鉱山梶l 昭和14年2月28日没。年74。
加藤 直吉 かとう なおよし 1・3・4・8・13・14
向陽社会計係。明治41年11月1日没。
(旧姓)福住。長崎県人。長崎亡命中のロシア革命家から火薬製法を学ぶ。満州義軍に参
加。
←福住克己
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「金子克己」)
1.支那革命と其の前後 / 金子克己. -- 藤川知佳子, 1996.8
2.中華民國革命秘笈 / 萱野長知[他]. -- アイシーメディックス, 2004.11. -- (教學書院叢
書)
鎌田 正気 かまた まさき 14
鎌田 昌純 かまた まさずみ 9・13
夢野久作の義弟。昭和8年、神武会福岡支部を起こす。皇道義塾(11年矯志社と改称)を
創設し、農園を営む。昭和13年3月29日没。
亀井 味楽 かめい みらく 10・13
福岡市西新皿山、高取焼第13代窯元。第14代亀井味楽の祖父。大正7年福岡市議。昭和
19年、農商務省指定陶芸技術保存作家に指定された。昭和31年12月28日没。年74。
▼「亀井味楽」『福岡県百科事典』
萱野 長知 かやの ながとも 5・13
▼「萱野長知」『国史大辞典』
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「萱野長知」)
1.中華民国革命秘笈 / 萱野長知. -- 皇国青年教育協会, 昭和16
2.中華民国革命秘笈 / 萱野長知. -- 帝国地方行政学会, 昭15
3.中華民国革命秘笈 / 萱野長知. -- 帝国地方行政学会, 1940
4.中華民国革命秘笈 / 萱野長知. -- 皇国青年教育協会, 1941
5.中華民國革命秘笈 / 萱野長知[他]. -- アイシーメディックス, 2004.11. -- (教學書院叢
書)
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「萱野長知」)
1.萱野長知・孫文関係史料集 / 久保田文次. -- 高知市民図書館, 2001.3
2.中華民國革命秘笈 / 萱野長知[他]. -- アイシーメディックス, 2004.11. -- (教學書院叢
書)
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者=「萱野長知」)
1.中華民国革命秘笈 教学書院叢書 萱野 長知/著 アイシーメディックス 2004.11
川島 甚太郎 かわしま じんたろう 1・3・14
後、純幹。東京帝大(法)卒。滋賀、鳥取、福井県知事。大正9年10月25日没。年58。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「川島純幹」)
1.The glorious friends,with biographical and historical memoirs of their lives and actions.
/ Compiled by Sumimoto Kawasima.. -- Tetsugakushoin,, 1888.
2.衆議院議員選挙要論 / 川島純幹. -- 敬業社, 明22.5
3.日本歴史講義. 第1集 / 川島純幹. -- 敬業社, 明24.7
4.米国史 / 川島純幹. -- 博文館, 明23.10. -- (万国歴史全書 ; 第12編)
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「川島純幹」)
1.新演説. 第1集(第1-5号) / 伊東武彦. -- 大成館, 明22-23
第1号 政治家の徳義とは何の謂ぞ(川島純幹)
第2号 議員の特権(川島純幹)
第3号 政党の態面を汚すものは誰ぞ(川島純幹)
第4号 政事社会の有様を論じて世の青年に告ぐ(川島純幹) を収録。
川庄 到 かわしょう いたる 3・14
河波 荒次郎 かわなみ あらじろう 8・13・14
東京専門学校卒。筑紫郡大野村議。筑紫郡会議長。明治36年県議。大正6年代議士。明
治38年九州日報副社長。昭和7年2月21日没。年68。
河野 鍵三郎 かわの けんざぶろう 1・14
河野 淳一郎 かわの じゅんいちろう 10・11・13
河野半次郎の子。明道館員。九州日報社員。西日本新聞社員。
河野 二郎 かわの じろう 8・13・14
河野半次郎の弟。明道館員。昭和4年九州日報社長。昭和7年11月10日没。年49。
河野 直昌 かわの なおまさ 9・10・11・13・14
明道館員。〔鉱業〕 昭和22年5月29日没。
河野 半次郎 かわの はんじろう 8・13・14
(別名)桃太郎。柔道家。明道館長。海産物問屋業。ロシア兵捕虜を投げとばした武勇伝は
有名。大正4年1月20日没。年36。
川村 仙司 かわむら せんじ 3
河村 武道 かわむら たけみち 5・6・8・13・14
初代明道館長。満州義軍参加。明治40年1月31日没。年32。
菅 新平 かん しんぺい 1・3・14
管とも書く。福岡の変に参加。
神崎 潜一郎 かんざき せんいちろう 3・14
福岡の変に参加。
き
菊池 秋四郎 きくち あきしろう 9・10・11・13
菊地とも書く。宮崎県人。明道館員。大阪朝日新聞福岡支局主任。『玄洋社社史』著者。〔奉
天日報社長〕
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者=「菊池秋四郎」)
1.日本人物情報大系 20 満洲編 10 芳賀 登/〔ほか〕編集 皓星社 1999.10
奉天草分の人々・事業と活躍の人々
→菊池秋四郎、中島一郎共著『奉天二十年史』(1926年)から一部を収録。
菊地 作也 きくち さくや 8・13・14
*菊池とも書く。高場塾出身。
菊池 六郎 きくち ろくろう 3・14
岸本 辰三郎 きしもと たつさぶろう 9・10・13・14
大原義剛・平田常次郎の弟。明治23年9月、慶応義塾入社。明道館員。九州日報社取締
役・販売主任。昭和34年7月28日没。年89。
喜多島 淳 きたじま あつし 7・9・10・13・14
明治31年福岡市議。九州日報社監査役。第6代玄洋社長。昭和19年1月15日没。年80。
衣笠 景徳 きぬがさ かげのり 1・3・4・8・13・14
高場塾出身。昭和6年8月30日没。
木村 茂 きむら しげる 1・3・14
木村 達巳 きむら たつみ 3・14
*達己とも書く。明治11年筑前第2大区5小区扱所書役。
木本 貫 きもと とおる 3・14
木本 峰次郎 きもと みねじろう 8・13
明治21年7月15日没。
清原 強之助 きよはら きょうのすけ 1・3・8・13・14
明治9年に代言人免許。大正6年8月10日没。年66。
く
櫛橋 寿 くしはし ひさし 3・14
高場塾出身。
葛生 玄【日+卓*】 くずお げんたく 8・13
のち東介。千葉県人。新聞人となり、たびたび筆禍下獄。黒龍会幹事。「福岡海軍協会」を創
立。大正15年2月8日没。年63。
【* 補助漢字区点=3433 16進=4241 シフトJIS=91BF Unicode=666B】
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「葛生東介」)
1.金玉均 / 葛生玄〔タク〕. -- 葛生玄〔タク〕, 1916.3
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者=「葛生東介」)
1.西郷南洲と軍事 葛生玄〓/著 軍事研究会 1911
久世 庸夫 くせ つねお 7・9・10・13
明道館員。東京帝大(独法)卒。大蔵省那覇税務管理局長。日本生命東京支店長。大正8
年福岡市長。14年福岡市議。第34代市会議長。昭和15年県議。昭和20年7月31日没。年
70。
▼「久世庸夫」『福岡県百科事典』
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(書名/著者=「久世庸夫」)
1.奮闘秘話事業ト人 1 福岡時事社編輯部/著 福岡時事社出版部 1929.7
久保 才一 くぼ さいいち 12・13
久保 武雄 くぼ たけお 13
明道館員。警察官。
熊谷 【山+君】介 くまがい きんすけ 9・10・13
明道館員。〔福岡玉屋店員〕
熊沢 勁太郎 くまざわ けいたろう 13
明道館員。東京帝大(採鉱冶金)卒。三菱に10年。日鉄に13年勤続。昭和9年日鉄二瀬炭
坑坑長で病気退職。昭和13年3月16日没。年59。
熊本 小太郎 くまもと こたろう 3・14
倉八 正雄 くらはち まさお 1・3・8・13・14
県少参事・大監察の倉八隣の子。明治15年養蚕生徒として県から福島に派遣。同年八県
連合共進会でマユ・生糸入賞。翌年マユ入賞。
来島 金三郎 くるしま きんざぶろう 13
来島恒喜の弟。屯田兵として北海道に渡る。昭和12年12月8日没。年71。
来島 新三郎 くるしま しんざぶろう 8・13・14
来島恒喜の兄。高場塾出身。福陵新報発行名義人(「編輯人」)。明治24年、福陵新報への
投書掲載で官吏侮辱罪に問わる。大正7年1月22日没。年63。
来島 恒喜 くるしま つねき 1・3・4・6・8・13・14
(旧名)恒記。一時、的野家の養子となる。高場塾出身。条約改正に反対し、大隈外相に爆
弾を投じて自刃。明治22年10月18日没。年31。
▼「来島恒喜」『国史大辞典』
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「来島恒喜」)
1.来島恒喜 / 岡保三郎. -- 岡保三郎, 大正2
2.来島恒喜. -- 重遠社・出版部, 1980.4. -- (重遠社叢書 ; 1)
3.政治談話速記録. 第4巻 / 広瀬順晧. -- ゆまに書房, 1998.11. -- (近代未刊史料叢
書 ; 1)
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(書名/著者=「来島恒喜」)
1.来島恒喜 岡 保三郎/編輯 岡保三郎 1913.10
2.来島恒喜 重遠社叢書 重遠社・出版部 1980.4
3.政治談話速記録 第4巻 憲政史編纂会旧蔵 近代未刊史料叢書 小久保喜七氏談
話速記 広瀬 順晧/監修・編集 ゆまに書房 1998.11
こ
合田 毅平 ごうだ きへい 3・14
筑紫郡住吉村長。明治31年中洲埋め立てを出願し、承認されている。大正元年10月2日
没。年68。
高武 公美 こうたけ まさよし 7・10・13
明道館員。東京帝大(独法)卒。宗像郡津屋崎出身。朝鮮総督府中枢院書記官。同忠清南
道内務部長。昭和8年福岡市助役。昭和18年5月3日没。年60。
香江 誠 こうのえ まこと 7・8・13・14
明治15年福岡医学校長。28年福岡市議。37年第20代市会議長。大正9年3月3日没。年
79。
郡 利 こおり とし 2・8・13・14
のち葆淙と改む。月成勲・明石元二郎の岳父。郡・区長歴任。筑前共愛会長。明治13年県
議。福岡日日新聞第2代社長。明治25年代議士。筑紫史談会員。郷土史家。大正7年3月2
7日没。年72。
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者=「郡利」)
1.福岡藩殉難志士小伝 郡 利/編輯 福岡県文化会館 〔1969〕
郡 元次 こおり もとつぐ 10・13
(旧姓)月成。郡利の孫。慶大卒。朝日新聞大阪本社営業部。
郡 嬉至 こおり よしのり 14
古賀 九郎 こが くろう 14
古賀 壮兵衛 こが そうべえ 7・14
博多の侠客。大野仁平の弟分。鉱業家。大正2年福岡市議。
児島 哲太郎 こじま てつたろう 13
天佑侠に協力。田川赤池炭礦礦長。昭和11年4月16日没。年72。
児島 俊之助 こじま としのすけ 9・10・11・13
明道館員。〔第一銀行〕
小谷 仁作 こたに にさく 3・14
児玉 昌太郎 こだま まさたろう 8・13・14
昭和7年2月27日没。年54。
児玉 義男 こだま よしお 3・14
*義勇とも書く。
後藤 豊心 ごとう ほうしん 3・14
小西 泰助 こにし やすすけ 13
小西 和五郎 こにし わごろう 13
小林 義盛 こばやし よしもり 3・14
福岡の変に参加。
小森 茂 こもり しげる 14
古森 善五郎 こもり ぜんごろう 10・13
九州帝大(医)卒。昭和8年九大講師。27年まで久留米大学医学部教授。ドイツ留学中、ド
イツ陸軍軍医少佐として独ソ戦従軍。また、大腿切断の重光葵を治療。
近藤 駿 こんどう はやお 3・14
権藤 貫一 ごんどう かんいち 8・13・14
郡長歴任。明治23年代議士。30年長野県知事。大正4年1月10日没。年73。
斎田 磯次郎 さいた いそじろう 3・14
*斉田とも書く。
斎田 信之助 さいた しんのすけ 1・3・14
*斉田とも書く。福岡の変に参加。
佐伯 武平 さえき ぶへい 11・13
大正10年福岡市議。《明治35年に同名の市議がある。あるいは父親か?》
佐賀 経吉 さが つねきち 13
炭坑界に活躍。昭和11年12月7日没。年70。
坂井 大輔 さかい だいすけ 8・13・14
明道館員。早大(政経)卒。米国遊学。ワシントン会議随行。大正12年代議士(政友会)。昭
和7年5月9日没。年46。
坂井 雄次郎 さかい ゆうじろう 1・3・14
福岡の変に参加。
讃井 弥市 さぬい やいち 9・13
福岡の変に参加。昭和10年2月22日没。年76。
佐野 万一 さの まんいち 8・13・14
佐野 泰雄 さの やすお 13
昭和18年6月27日没。
沢木 三郎 さわき さぶろう 9・10・11・13・14
(旧名)吉三郎。明治18年5月、慶応義塾入社。黒田侯爵家家令。昭和19年4月22日没。
年80。
し
鹿田 鞆二 しかだ ともじ 8・13
大正5年12月21日没。年53。
重松 隆輔 しげまつ りゅうすけ 10・13
明道館員。〔三菱筑豊鉱業所〕
篠崎 昇之助 しのざき しょうのすけ 9・10・13・14
明治29年5月、慶応義塾入社。明道館員。九州日報主筆。相談役。大正7年寺内内閣退陣
要求の九州新聞記者大会座長。〔釜山日報社副社長兼主筆〕 昭和26年7月12日没。年7
3。
柴田 一俊 しばた かずとし 10・13
柴田繁太郎の子。〔東拓支店〕
柴田 駒次郎 しばた こまじろう 6
明治27年東学党偵察。天佑侠の企図に加わる。明治28年2月没。《29歳か?》
柴田 駒太郎 しばた こまたろう 8・13
明治28年2月8日没。《柴田駒次郎と同人か?》
柴田 繁太郎 しばた しげたろう 9・13・14
正木昌陽塾で山座円次郎と同期。豊国炭坑採炭部長。ガス爆発で引責辞任。大正4年福昌
公司苦力配給所長。昭和12年10月23日没。年70。
柴田 常三郎 しばた つねさぶろう 9・13
昭和11年1月1日没。
柴田 徳雄 しばた とくお 12・13
早大卒。九州日報社員。東方会員。
柴田 又十郎 しばた またじゅうろう 8・13・14
明治29年県議。筑紫郡安徳村長。昭和2年8月13日没。
柴田 麟次郎 しばた りんじろう 5・9・10・13・14
又十郎の弟。満州義軍に参加。昭和31年9月17日没。年80。
* 『増補版 玄洋社発掘』346頁で「鱗次郎」としているのは誤植。
島 養三郎 しま ようざぶろう 8・13・14
(旧姓)立花。亀井塾出身。医者。大正15年5月7日没。年80。
島田 経一 しまだ けいいち 8・13・14
生家は博多に旅館を営む。上海製靴店で中国事情を研究。天佑侠に加わろうとして発覚。
下獄。私財を投じて中国革命を援助。昭和2年12月18日没。年62。
清水 駿太郎 しみず しゅんたろう 9・10・13
東京帝大(東洋史)卒。沖縄・滋賀県立中学校長。京都視学。〔元京都市庁学務部勤務〕 明
道館長。昭和16年5月19日没。年61。
白石 入作 しらいし にゅうさく 9・10・11・12・13
明道館員。東京高商卒。〔横浜正金銀行借款部長〕
白石 好夫 しらいし よしお 9・13
明道館員。大化会員。昭和11年1月31日没。年45。
白石 芳一 しらいし よしかず 7・9・10・11・13
明道館員。〔福岡市役所戸籍課長〕
白洲 十平 しらす じっぺい 14
調 円助 しらべ えんすけ 9・10・11・13
明道館員。〔叶寥エ電気商会取締役〕
白水 濯 しろうず あろう 3・14
新開 秋三郎 しんかい あきさぶろう 9・10・13
新開富太郎の弟。明道館員。昭和20年9月20日没。年65。
新飼 為義 しんかい ためよし 1・3・4・9・10・11・13・14
高場塾出身。〔大倉組・木村同族鰹d役〕
新開 富太郎 しんかい とみたろう 9・10・11・13・14
竹雨と号す。歌人。九州日報社重役。〔博多株式取引所監査役・醤油醸造業〕 昭和21年7
月25日没。年73。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「新開富太郎」)
1.何日 / 新開竹雨. -- 歌と評論社, 昭和15. -- (歌と評論叢書 ; 第12篇)
2.さくらの歌 / 大隈言道[他]. -- 新開富太郎, 昭和7
3.水脈 / 新開竹雨. -- 大鐙閣, 昭和4
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者=「新開竹雨」)
1.大隈言道桜の歌 新開 竹雨/〔編〕著 出版者不明 1932.10
2.朱泥 新開 竹雨/著 海鳥社 1995.4
進藤 一馬 しんとう かずま 9・10・11・12・13
進藤喜平太の子。早大(政経)卒。九州日報北九州支社長。東方会総務部長。第10代玄洋
社長。昭和33年代議士。通産、法務政務次官。明道館長。(財)明道会理事長。玄洋社記念
館長。47年福岡市長。平成4年11月28日没。年89。
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「進藤一馬」)
1.天命に安んず. -- 天命に安んず出版委員会, 1984.6
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(書名/著者/出版者=「進藤一馬」)
1.雲峰閑話 進藤一馬聞書 江頭 光/著 西日本新聞社 1987.9
2.天命に安んず 進藤一馬・その人とあゆみ 天命に安んず出版委員会 1984.6
3.吹愁帳 進藤 一馬/著 進藤一馬後援会 1972
進藤 喜太郎 しんとう きたろう 14
進藤 喜平太 しんとう きへいた 1・3・4・6・8・13・14
高場塾出身。萩の乱連携に参加。第2・5代玄洋社長。明治38年福岡市長候補。39年代議
士(憲政本党)。大正14年5月11日没。年76。
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(書名/著者=「進藤喜平太」)
1.進藤喜平太翁追悼録 浅野 秀夫/編 浅野秀夫(印刷) 1955.9
真藤 清 しんとう きよし 1・14
高場塾出身。福岡の変に参加。
真藤 慎太郎 しんとう しんたろう 5・9・10・11・12・13
明道館員。満州義軍に参加。大正8年ベーリング漁業椛n立。昭和13年日魯漁業兜寰ミ
長。17年代議士。明道館顧問。昭和46年1月11日没。年89。
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者/出版者=「真藤慎太郎」)
1.真翁聞きかき 〔真藤慎太郎先生寿筵会〕記念編輯同人/編 真藤慎太郎先生寿筵会
1964
進藤 龍馬 しんとう たつま 9・10・13・14
進藤喜平太の子。進藤一馬の兄。明道館員。第一銀行伏見支店長。昭和18年7月4日没。
真藤 利就 しんとう としなり 3・8・13・14
進藤とも書く。(旧名)驍。旧藩馬廻役・馬術師範で、大隈言道の門人であった真藤利明の
子。福陵新報社員。
進藤 守康 しんとう もりやす 9・10・13
(旧名)善太郎。進藤喜平太の甥で、一時養子となる。明道館員。アララギ派歌人。〔鉄道省
運輸局〕 昭和33年11月6日没。年72。
真藤 義丸 しんとう よしまる 9・13
真藤利就の弟。明治31年3月、慶応義塾入社。〔国士館専門学校・国士館理事〕 昭和12
年12月17日没。年60。
す
末田 金三郎 すえだ きんざぶろう 8・13
高場塾出身。昭和8年5月18日没。年68。
末田 金次郎 すえだ きんじろう 14
末田 墾 すえだ こん 9・10・11・13
明道館員。〔西部電気工業所会社員〕
末田 民次郎 すえだ たみじろう 1・3・14
高場塾出身。
末次 繁光 すえつぐ しげみつ 11・13
信国一門の刀匠。大日本刀剣協会審査員。昭和31年11月3日没。年69。
末永 一三 すえなが かずみ 9・10・11・13・14
高場塾出身。明道館員。大正製麻社長。
末永 賢次 すえなが けんじ 12・13
末永節の子。東亜同文書院卒。
末永 環 すえなが たまき 8・13・14
筑前共愛会那珂郡委員。糸島郡雷山村長。大正13年6月7日没。
末永 節 すえなが みさお 9・10・13・14
明道館員。福陵新報特派員。九州日報社友として武昌革命軍中で通信を送る。孫文援助。
中国革命同盟会機関誌『民報』責任者。遼東新報社長。昭和35年8月18日没。年92。
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者/出版者=「末永節」)
1.秋月 末永節翁を偲ぶ会/〔編〕 末永節翁を偲ぶ会 1960.9
末村 宏 すえむら ひろし 10・11・13
明道館員。〔大正鉱業梶l 昭和27年1月9日没。年65。
杉原 速水 すぎはら はやみ 3・14
杉本 伊平 すぎもと いへい 3・14
杉山 茂丸 すぎやま しげまる 13
号は其日庵。杉山泰道(夢野久作)の父。また杉山龍丸の祖父。日韓合邦を推進。台華社
主宰。昭和10年7月19日没。年72。《玄洋社葬が行われた》
▼「杉山茂丸」『国史大辞典』
薄 氏郎 すすき しろう 3・14
せ
関屋 斧太郎 せきや おのたろう 8・13
石川県人。加賀盈進社員。上海製靴店で中国事情を研究。天佑侠に加わろうとして発覚、
下獄。明治31年7月28日没。年30。
妹尾 憲介 せのお けんすけ 10・11・13
早大(政経)卒。〔日魯漁業株汪ル支店〕 昭和30年福岡市議。42年第49・50代市議会議
長。(財)明道会理事。平成8年10月16日没。年85。
妹尾 朋吉 せのお ともきち 9・13・14
妹尾憲介の父。昭和13年3月6日没。年70。
千田 魁身 せんだ かいしん 3・14
福岡の変に参加。
そ
宗 時次郎 そう ときじろう 14
宗 夢也 そう ゆめや 3・14
副田 直規 そえだ なおき 12・13
昭和8年福岡市議。34年第46代市議会議長。
高木 藤次郎 たかぎ とうじろう 12・13
(旧姓)芳賀。明道館柔道部長。盈進商業、大濠高校柔道教師。昭和52年9月27日没。年
77。
高木 幹夫 たかぎ みきお 3・14
福岡の変に参加。
高島 一祐 たかしま かずすけ 10・13
〔博多織物業〕
高田 真太郎 たかだ しんたろう 9・10・11・12・13・14
*慎太郎とも書く。高田友三郎の子。明道館員。九州帝大(法文)卒。九州日報社経済部
長。荒津商店調査部長。大博証券社長。福岡協栄証券社長。九州証券業協会長。
高田 友三郎 たかだ ともさぶろう 8・13・14
高場塾出身。明治40年1月14日没。年39。
高田 芳太郎 たかだ よしたろう 1・3・4・8・14
高場塾出身。萩の乱連携に参加。書店主。出版業者。明治11年代言人免許。明治13年福
岡区議。明治37年7月5日没。年54。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「高田芳太郎」)
1.日本女訓 / 高田芳太郎. -- 修正3版. -- 金港堂, 明34.6
2.博多湾〔今津〕両築港実測全図 / 高田芳太郎. -- 真海徳三郎, 明31.4
●刊行書籍 国立国会図書館検索結果(出版者=「高田芳太郎」)
1.皇朝略史 / 笠間益三. -- 高田芳太郎, 明21.3
2.土佐日記 / 紀貫之. -- 高田芳太郎等, 明16.5
3.普通小学体操教授法 / 加藤駒吉. -- 高田芳太郎〔ほか〕, 明16.7
高野 増雄 たかの ますお 8・13・14
明道館員。明治37年3月15日没。年32。
高場 乱 たかば おさむ 3・8・13・14
女医(眼科)。亀井暘洲に学ぶ。興志塾主。男装で通し「玄洋社生みの親」の評がある。明治
24年3月31日没。年61。
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「高場乱」)
1.天翔る<高場乱> / 土井敦子. -- 土井敦子, 1988.4
2.凛 / 永畑道子. -- 藤原書店, 1997.3
高場 応 たかば こたう 1・3・4・8・13・14
高場乱の養子(実は甥)。眼科医。明治43年11月26日没。年59。
高場 損蔵 たかば そんぞう 10・11・13
高場応の子。乱の孫。明道館員。陸大卒。陸軍歩兵大佐。小倉連隊区司令官。関東軍司令
部付顧問。銃剣道範士。剣道教士。福岡県銃剣道連盟会長。昭和43年6月9日没。年85。
高橋 道 たかはし おさむ 8・13・14
福岡の変に参加。明治41年4月没。
高橋 吉之助 たかはし きちのすけ 8・13・14
大正10年9月30日没。
高村 守太郎 たかむら もりたろう 1・3・14
高場塾出身。
高山 喜六 たかやま きろく 13
宗像郡勝浦出身。昭和2年神道夢想流杖術、一心流鎖鎌、一達流捕縄の第25代宗家。神
器当流抱大筒も伝える。昭和13年4月13日没。年45。
財部 吉三郎 たからべ きちさぶろう 14
多久 信太郎 たく しんたろう 3・4・14
(旧姓)木村。のち隆之助と改む。大正7年3月6日没。年65。《編者石瀧豊美の祖父石瀧義
男の長兄》
多久 虎作 たく とらさく 1・14
*乕作とも書く。福岡の変に参加。
武井 忍介 たけい おしすけ 8・13・14
安場知事時代、県庁に勤む。昭和2年1月7日没。
武内 惣左衛門 たけうち そうざえもん 3・14
*惣右ヱ門とも書く。福陵新報発行名義人(「編輯人)」。
武内 与七郎 たけうち よしちろう 1・3・4・7・8・13・14
高場塾出身。福岡の変に参加。明治34年福岡市議。大正2年5月16日没。年57。
竹岡 誠次 たけおか まさつぐ 13
玄洋社機関紙『玄洋』編輯主任。
竹下 篤次郎 たけした とくじろう 6・8・13・14
明治19年小笠原島開墾。21年カリフォルニアに農園経営。滞米8年。満州独立論者。昭和
5年4月22日没。年67。
竹田 乙麿 たけだ おとまろ 13
明道館柔道師範。宮相撲(しこ名・谷響)。ほねつぎ「谷響」。大正7年11月17日没。年68。
竹田 禄之助 たけだ ろくのすけ 9・10・11・13
竹田乙麿の子。明道館員。昭和38年3月5日没。年63。
武谷 次郎 たけや じろう 2・14
筑前共愛会憲法草案を起草。明治15年県議。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「武谷次郎」)
1.学徒必携明治文鑑 / 武谷次郎. -- 磊落堂, 明11.6
多田 勇雄 ただ いさお 11・13
代議士多田作兵衛の甥。明道館員。酒造業。甘木銀行監査役。弥寿銀行頭取。朝倉軌道
且ミ長。大正8年県議。昭和3年代議士(政友会)。
谷口 通弘 たにぐち みちひろ 9・10・11・13
〔鉱業〕 昭和32年9月5日没。年85。
谷山 志摩之助 たにやま しまのすけ 1・3・8・13・14
*志麻之助とも書く。福岡の変に参加。昭和6年8月20日没。年74。
玉ノ井 騰一郎 たまのい とういちろう 3・4・8・13・14
玉之井とも書く。福岡の変に参加。須恵焼販売業。明治26年福岡市参事会員。明治40年1
月19日没。
田村 仙司 たむら せんじ 2・14
田村 耐輔 たむら たいすけ 3・14
ち
千賀 環 ちが たまき 6・8・13・14
小学校教師から玄洋社に入り、選挙干渉では相手を傷つけるとともに自身も負傷。晩年、
《『東亜先覚志士記伝』では姓を「せんが」と読み、イロハ順の「せ」の項に上げるが、「ちが」と判断したのでここに移した。》
筑紫 準之助 ちくし じゅんのすけ 3・14
明治4年福岡藩士族隊小隊長。福岡の変に参加。
筑紫 辰五郎 ちくし たつごろう 8・13・14
明治4年福岡藩士族隊小隊長。福岡の変に参加。大正6年5月2日没。年73。
筑紫 昌門 ちくし まさかど 9・10・11・12・13
明道館員。〔満蒙緬羊公司〕
つ
月成 勲 つきなり いさお 1・3・6・7・9・13・14
月成元雄の弟。高場塾出身。明治20年福陵新報社員。34年福岡市議。博多米穀取引所
理事長。第7代玄洋社長。昭和10年12月16日没。年76。
▼「月成勲」『国史大辞典』
月成 功太郎 つきなり こうたろう 8・13・14
広田弘毅の岳父。高場塾出身。大正2年3月5日没。年55。
月成 左門 つきなり さもん 9・13
月成功太郎の四男。〔福岡市役所学務課・市書記〕 昭和29年12月4日没。年61。
月成 重三郎 つきなり じゅうざぶろう 1・8・13・14
明治11年筑前第6大区調所書役。
月成 鼎輔 つきなり ていすけ 9・10・11・13
月成功太郎の長男。
月成 英雄 つきなり ひでお 10・13
明道館員。〔満州国錦州省満州炭鉱兜倹V鉱業所〕昭和22年3月28日没。
月成 仁彦 つきなり まさひこ 10・13
〔満州国錦州省満州炭鉱兜倹V鉱業所〕
月成 元雄 つきなり もとお 13
福岡の変の指導者の一人。明治10年4月1日戦死。《玄洋社設立以前に死んでおり、もとよ
り玄洋社員ではない。誤認か?》
月成 元気 つきなり もとき 10・11・13
月成勲の子。明道館員。〔三井物産鰹ャ樽支店〕 昭和22年6月25日没。年56。
月成 元忠 つきなり もとただ 10・11・13
月成元俊の子。〔全羅南道・東拓農場〕
月成 元俊 つきなり もととし 9・10・11・13・14
月成元雄の子。明道館員。〔共同製氷会社会社員〕 昭和20年12月20日没。年75。
月成 元義 つきなり もとよし 1・3・4・8・13・14
月成元雄の弟。福岡の変に参加。明治37年10月5日没。
津田 幾次郎 つだ いくじろう 7
大正5年福岡市議。昭和10年10月18日没。年67。
津田 喜太郎 つだ きたろう 6・8・13・14
明治21年1月。慶応義塾入社。福陵新報・九州日報記者。崇福寺にこもって写経三昧、仏
学研究に従った玄洋社中の異色の人。大正12年10月31日没。年57。
津田 健次郎 つだ けんじろう 10・11・13
津田幾次郎の子。明道館員。陸軍主計中尉。昭和19年10月8日南方戦線で戦死。年46。
土屋 直幹 つちや なおもと 9・10・12・13
明道館員。長崎高商卒。叶ウ興電機製作所社長。明道館顧問。(財)明道会理事。昭和43
年6月19日没。年82。
筒井 筧 つつい かけい 1・14
筒井 亀来 つつい かめき 3・8・13・14
筒井 楠雄 つつい くすお 10・13
筒井條之助の長男。頭山満の孫。早大(商)。九州日報社員。満州国牡丹江省総務科勤
務。
筒井 條之助 つつい じょうのすけ 8・13・14
筒井亀来の長男。頭山満の甥で娘婿。九州日報記者。大正10年10月19日没。年43。
筒井 力 つつい つとむ 1・3・4・8・13・14
常岡 秀太郎 つねおか ひでたろう 14
て
寺田 栄 てらだ さかえ 3・14
鳩山一郎の岳父。福岡の変に参加。明治15年明治法律学校卒。司法官登用試験合格。大
正6年衆議院書記官長。貴族院議員。大正15年1月13日没。年68。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「寺田栄」)
1.最新心理学概論 / ウイリアム・ゼイムス[他]. -- 中央出版社, 大正7寺田栄訳
2.法律実用 / 寺田栄. -- 大日本新法典講習会, 〔 〕. -- (大日本新法典講習会第1回講
義録)出版年不明
と
藤 勝顕 とう かつあき 1・3・4・6・8・13・14
(幼名)規矩太郎。高場塾出身。福岡の変に参加。舌間道場師範代(柔術・双水執流)。明治
13年県会記録係として令名。閔妃殺害事件に参加。大正5年11月12日没。年58。
頭山 泉 とうやま いずみ 10・11・12・13
頭山 秀三 とうやま ひでぞう 10・13
頭山満の三男。農大卒。天行会主宰。五・一五事件民間側被告。汪政権顧問。昭和27年7
月21日事故死。年45。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「頭山秀三」)
1.皇民十訓抄 / 山口弾正,頭山秀三. -- 玄羊社編輯局, 昭和13
頭山 満 とうやま みつる 1・2・3・9・10・13・14
(旧姓)筒井。高場塾出身。萩の乱連携に参加。福陵新報社長。玄洋社の最長老で「巨人頭
山満翁」と仰がれた。昭和19年10月5日没。年90。
▼「頭山満」『国史大辞典』
▼「頭山満」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
▼頭山満 君は頭山満というサムライを知っているか?
頭山 要人 とうやま ようじん 10・11・13
明道館員。
頭山 立介 とうやま りゅうすけ 9・10・13・14
頭山満の長男。東亜同文書院卒。昭和16年7月3日没。年51。
遠山 克良 とおやま かつよし 3・14
明治41年5月29日没。
徳重 英助 とくしげ えいすけ 11・13
明道館員。新潟高校教諭。津上製作所重役。
徳末 楯雄 とくすえ たてお 3・14
楯夫とも書く。福岡の変に参加。明治28年12月14日没。
徳永 仁三郎 とくなが にさぶろう 8・13・14
徳永 泰次 とくなが やすじ 10・11・13
泰治とも書く。明道館員。〔日本航空会社〕
徳永 吉次 とくなが よしつぐ 3・14
米商仲買。博多商業会議所議員。
戸田 順吉 とだ じゅんきち 9・13・14
明道館員。柔道家。作家夢野久作の従兄。〔外務省情報部聞史〕 静岡県見附農学校教
師。昭和14年7月16日没。
十時 惟隆 ととき これたか 9・10・12・13
柳河藩家老十時惟治の孫。〔前明治鉱業梶l 〔直方鉱山学校講師〕 明道館長。(財)明道
会監事。昭和38年1月8日没。
富田 強之助 とみた きょうのすけ 14
富田 純之助 とみた じゅんのすけ 3・9・13
〔前日本生命保険会社〕 昭和10年5月2日没。年77。
富田 積 とみた つもる 7・10・13
〔福岡市役所秘書課長・文書課長〕
友枝 英三郎 ともえだ えいざぶろう 8・13・14
平岡浩太郎の上海製靴店員。黒龍会同人。朝鮮通信社長。大正4年6月2日没。年49。
友枝 新治郎 ともえだ しんじろう 9・10・11・13
友枝新平の子。明道館員。〔福岡貯金支局〕
友枝 新平 ともえだ しんぺい 8・13・14
大神熊平の二男。一時、剣客浜与四郎の養子。福陵新報社で機械方担当。発行停止の福
陵新報の身代わり紙「玄洋新報」の編輯人(明治26年)。大正15年4月3日没。年76。
中上 中 なかがみ あたる 3・13・14
昭和2年7月23日没。年64。
中川 左馬人 なかがわ さまと 9・10・13・14
中沢 勇雄 なかざわ いさお 3・14
中島 翔 なかしま かける 1・3・4・6・8・13・14
(旧姓)野村。福岡の変に参加。福陵新報社員。大野仁平らの金剛党を率いる。昭和8年1
月6日没。年76。
中島 来 なかしま きたる 1・3・14
永末 晋太郎 ながすえ しんたろう 1・14
福陵新報発行名義人(「編輯人」)。
長瀬 武七郎 ながせ たけしちろう 14
永田 豊 ながた ゆたか 2・3・14
筑前共愛会志摩郡委員。郡会議員。糸島郡周船寺村長。博多商業会議所議員。明治32年
9月6日没。年39。
中谷 虎雄 なかたに とらお 3・14
*乕雄とも書く。
中谷 満雄 なかたに みつお 1
中富 福太郎 なかとみ ふくたろう 10・13
三潴郡出身。〔歯科医〕
中野 敬三郎 なかの けいざぶろう 7・8・13・14
大正2年福岡市議。昭和5年11月25日没。年54。
中野 江漢 なかの こうかん 10・13
〔著述業〕 昭和14年支那満蒙研究会機関誌として『江漢雑誌』を創刊。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「中野江漢」)
※ 18点あり。別記。
中野 三之助 なかの さんのすけ 9・10・11・13
中野和四郎の子。明道館員。〔国民同盟福岡支部〕 東亜同文書院学監。
中野 震太郎 なかの しんたろう 3・14
福岡の変に参加。
中野 正剛 なかの せいごう 9・10・13・14
早大(政経)卒。東京朝日新聞記者。東方時論社長。東方会総裁。大正9年代議士。九州日
報社長。昭和18年10月27日自決。年58。
▼「中野正剛」『福岡県百科事典』
▼「中野正剛」『国史大辞典』
▼「中野正剛」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中野 太三郎 なかの たさぶろう 9・10・13
中野正剛の従兄。明道館員。東京帝大(法)卒。伊藤韓国統監秘書。平安北道知事。〔東
洋拓殖蒲搦磨l 昭和16年11月10日没。年62。
中野 泰介 なかの やすすけ 7・9・10・13
中野正剛の弟。早大卒。九州日報社常務。昭和8年福岡市議。
中野 和四郎 なかの わしろう 7・8・13・14
中野正剛の叔父。明治25年福岡市議。博多商業会議所議員。明治42年11月18日没。
年60。
永野 見龍 ながの けんりゅう 11・13
明道館員。大通寺住職。
長野 重実 ながの しげざね 1・3・4・8・13・14
福岡の変に参加。筑前共愛会博多部委員。明治13年福岡区議。
長浜 竹次郎 ながはま たけじろう 3・14
永松 陽一 ながまつ よういち 9・10・11・13
明道館員。〔東京営林局長〕
永見 忠四郎 ながみ ただしろう 14
中村 確 なかむら あきら 3・14
中村 耕介 なかむら こうすけ 14
▼「中村耕介」『福岡県百科事典』
中村 作次郎 なかむら さくじろう 14
中村 鹿三郎 なかむら しかさぶろう 3・14
明治15年福岡区議。
中村 茂八郎 なかむら しげはちろう 1・14
福岡の変に参加。
中村 政次郎 なかむら まさじろう 1・3・14
後、博。明道館員。
中村 道生 なかむら みちお 9・10・13・14
明道館員。〔在華日本紡績同業会青島支部〕 昭和16年10月没。
中山 繁 なかやま しげる 3・14
高場塾出身。福岡の変に参加
鍋島 政之助 なべしま まさのすけ 9・10・13
明道館員。〔前横浜護謨製造梶A自動車用品商〕
奈良崎 八郎 ならさき はちろう 6・8・13・14
明治18年福岡養鋭学校に学ぶ。日清・日露戦争に軍事探偵として従軍。明治40年5月20
日没。
楢崎 久治 ならさき ひさじ 10・13
明道館員。〔福岡男子高等小学校訓導〕 昭和51年5月没。
奈良原 至 ならはら いたる 1・2・8・13・14
高場塾出身。萩の乱連携に参加。筑前共愛会常務員。大正6年4月6日没。年61。
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者=「奈良原至」)
1.福岡藩庚午藩難有栖川宮殿下御入藩始末聞書 奈良原 至/編纂 福岡県文化会館
〔1968〕
2.明治血痕集 上篇 奈良原 至/編述 福岡県立図書館 〔1989〕
奈良原 時雄 ならはら ときお 3・14
高場塾出身。奈良原至の弟。明治20年3月9日没。
成井 亀三郎 なりい かめさぶろう 1・3・8・13・14
高場塾出身。昭和4年12月20日没。
に
西川 九郎 にしかわ くろう 2・3・14
明治14年12月28日没。
西本 勇夫 にしもと いさお 4・8・13・14
福岡の変に参加。
丹羽 哲郎 にわ てつろう 8・13・14
明治10年に代言人免許。福岡の変に参加。大正11年2月28日没。
ぬ
貫 龍雄 ぬき たつお 1・14
福岡の変に参加。
の
南畝 素行 のうねん もとゆき 3・4・8・13・14
野崎 寮造 のざき りょうぞう 8・13・14
明治11年筑前第8大区7小区扱所戸長。県議。15年福岡区議。
野村 祐雄 のむら すけお 7・8・13・14
妻は月成元雄の姉。明治19年筑陽社社長。22年福岡市議。29年県議。大正5年1月9日
没。年68。
箱田 三吉 はこだ さんきち 1・3・14
*函田とも書く。箱田仙蔵の養子。六輔の義弟。旧姓塩川。向陽社代言局に属す。明治12
年代言人免許。昭和3年1月13日没。年75。
箱田 琢磨 はこだ たくま 9・14
箱田仙蔵の養子。六輔の義兄弟。〔新京日報社長〕
箱田 達磨 はこだ たつま 9・10・11・12・13・14
藤崎彦三郎の子。箱田六輔の死後、養子に。明道館員。明治34年5月、慶応義塾入社。の
ち英オックスフォード留学。帰国後は大日本精糖葛ホ務。昭和22年2月23日没。年69。
箱田 哲太郎 はこだ てつたろう 1・14
(旧姓)山崎。箱田六輔の養子。大正元年8月20日没。年56。
箱田 六輔 はこだ ろくすけ 1・3・4・8・13・14
(旧姓)青木。箱田仙蔵の養子。高場塾出身。萩の乱連携に参加。向陽社長。第4代玄洋社
長。筑前共愛会長。明治21年1月19日没。年39。
▼「箱田六輔」『国史大辞典』
秦 喜四郎 はた きしろう 8・13・14
高場塾出身。福岡の変に参加。
波多江 磯吉 はたえ いそきち 1・3・14
波多江 実 はたえ みのる 10・13
〔福岡県産業奨励館上海支部長〕 昭和15年から玄洋社上海支局長。サンフランシスコ波
多江商会。
畑島 三郎 はたしま さぶろう 13
福岡の変に参加。大正9年10月15日没。年72。
八田 龍見 はった たつみ 3・4・8・13・14
福岡の変に参加。明治30年10月17日没。年53。
服部 利明 はっとり としあき 8・13・14
明治44年1月没。
花房 庸夫 はなぶさ つねお 8・13・14
福岡の変に参加。明治24年3月18日没。年43。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「花房庸夫」)
1.小学修身鑑註解 / 花房庸夫. -- 星文館, 明19.3
2.新天地. 巻之1 / 花房庸夫. -- 花房庸夫, 明治23
3.農商日用文鑑 / 花房庸夫. -- 磊落堂, 明21.11
4.明治女大学 / 花房庸夫. -- 磊落堂, 明22.12
馬場 源一郎 ばば げんいちろう 3・14
馬場 庸太郎 ばば ようたろう 3・14
浜 勇吉郎 はま ゆうきちろう 1・3・14
高場塾出身。大正11年11月2日没。
早川 純三 はやかわ じゅんぞう 9・13
早川勇(勤王家・医師)の孫。宗像郡吉武村出身。明道館員。長崎医専卒。昭和5年宗像郡
医師会長。昭和12年4月30日没。年57。
林 斧介 はやし おのすけ 1・3・4・7・8・13・14
*斧助とも書く。萩の乱連携に参加。書店磊落堂店主。明治13年福岡区議。22年市議。筑
前共愛会福岡部委員。明治41年7月31日没。年58。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「林斧介」)
1.小学民間用字集 / 林斧介. -- 磊落堂, 明13.7
2.筑前地誌略 / 林斧助. -- 磊落堂, 明11.4
●刊行書籍 国立国会図書館検索結果(出版者=「林斧介/磊落堂」)
※ 84点あり。別記。
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者/出版者=「林斧助/林斧介/磊落堂」)
※ 19点あり。別記。
林 角太郎 はやし かくたろう 9・10・11・13
林貢の子。明道館員。大正14年福岡県農会販売斡旋部主任技師。昭和11年福岡青果
梶B昭和31年3月4日没。年72。
林 熊吉 はやし くまきち 3・14
林 重俊 はやし しげとし 9・13
県議林寛一郎の長男。明治23年明治学院入学。28年米国留学。34年帰国し、商船会社
を経営。黒龍会員。昭和10年3月16日没。年66。
林 貢 はやし みつぐ 13
(旧姓)本郷。西南戦争では近衛第一連隊に属し、城山攻撃に参加。大正元年8月17日没。
年59。
葉山 俊一郎 はやま しゅんいちろう 1・3・14
福岡の変に参加。
原 干城 はら たてき 3・14
原 義雄 はら よしお 14
原口 初太郎 はらぐち はつたろう 11・13
明治40年陸大卒。陸軍中将。駐米大使館付武官。第5師団長。ワシントン会議随員。立憲
政友会総務。昭和7年代議士。昭和24年4月30日没。年74。
原田 篤久 はらだ あつひさ 11・13
原田 到 はらだ いたる 14
半田 謙次 はんだ けんじ 4・8・13・14
高場塾出身。明治37年9月25日没。年50。
半田 吾老 はんだ ごろう 1・8・13・14
明治11年筑前第2大区5小区扱所副戸長。
半田 大軒 はんだ だいけん 7・9・10・11・13
明道館員。大正12年福岡市議。昭和27年2月13日没。年80。
ひ
樋口 競 ひぐち きそう 8・13・14
各郡長歴任。筑前共愛会参謀。明治31年8月13日没。年52。
樋口 喜走 ひぐち きそう 10・11・12・13
(現在は)喜壮。樋口満の子。早大(政経)卒。〔日魯漁業株汪ル支店〕 昭和19年三幸建設
兜寰ミ長。三陽且謦役社長。
樋口 憲吉 ひぐち けんきち 9・10・13
明道館員。山口高商卒。〔九州日報社編輯局〕 〔連合通信社〕
樋口 新平 ひぐち しんぺい 8・13・14
明治23年8月26日没。
樋口 種雄 ひぐち たねお 3・14
明治15年福岡区議。
樋口 昌弘 ひぐち まさひろ 7・9・10・13・14
大正10年福岡市議。昭和4年第36代市会副議長。九州日報社監査役。民政党常任幹事。
福岡市収入役。
樋口 満 ひぐち みつる 5・8・13・14
樋口競の子。赤池鉱山学校卒。明治炭坑勤務。満州義軍参加。福昌公司設立に関与。明
治43年順華公司創立。大正8年10月6日没。年40。
樋口 六郎 ひぐち ろくろう 1・3・14
福岡の変に参加。
久田 全 ひさだ ぜん 1・2・4・7・8・13・14
高場塾出身。福岡の変に参加。明治25年福岡市長候補。28年市議。31年福陵新報を管
理。明治39年10月24日没。年56。
久永 芳太郎 ひさなが よしたろう 1・14
久野 吉三郎 ひさの きちさぶろう 1・3・14
久野 藤次郎 ひさの とうじろう 1・2・3・8・13・14
福岡の変に参加。筑前共愛会早良郡委員。大正7年3月20日没。年63。
日下 藤吾 ひのした とうご 12・13
東京帝大(経)卒。元専修大学、青山学院大学教授。関東学園大学学長。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「日下藤吾」)
※ 29点あり。別記。
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「日下藤吾」)
1.経済体制および経済構造 / 土方成美博士喜寿記念論文集刊行会. -- 鹿島研究所出
版会, 1967
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(書名/著者=「日下藤吾」)
1.経済体制および経済構造 土方成美博士喜寿記念論文集 土方成美博士喜寿記念論
文集刊行会/編 鹿島研究所 1967
2.困ったときは老荘の知恵 日下 藤吾/著 叢文社 1993.9
3.獅子の道中野正剛 日下 藤吾/著 叢文社 1986.11
4.討幕軍師平野国臣 日下 藤吾/著 叢文社 1988.6
平石 安太郎 ひらいし やすたろう 14
平岡 浩太郎 ひらおか こうたろう 1・3・6・8・13・14
高場塾出身。福岡の変に参加、西郷軍に加わる。初代玄洋社長。赤池・豊国炭坑経営。明
治27年代議士。九州日報資本主。憲政党創立委員。明治39年10月24日没。年56。
▼「平岡浩太郎」『国史大辞典』
平岡 小太郎 ひらおか こたろう 9・10・11・13・14
明道館員。重慶在住。九州日報社友。明治44年の武昌革命に際し、九州日報に通信を送
る。
平岡 専治 ひらおか せんじ 9・10・13
平岡浩太郎の二男。豊国炭坑経営。
平岡 常次郎 ひらおか つねじろう 9・10・13・14
平岡浩太郎の弟。昭和19年12月4日没。年75。
平岡 徳次郎 ひらおか とくじろう 6
平岡浩太郎の弟。兄を助けて炭坑経営に助力。天真正伝神道夢想流杖術の奥義に達す。
明治44年11月13日没。
平岡 良介 ひらおか りょうすけ 7
良助。平岡浩太郎の長男。明治25年3月、慶応義塾入社。豊国炭坑経営。43年福岡市
議。大正8年4月2日没。年44。
平賀 衡太郎 ひらが こうたろう 9・10・12・13
明道館員。早大(商)卒。福岡高商設立に尽力。〔東邦電力兜汢ェ支店〕 鞄d気ビル。(財)
明道会理事。
平田 倶集 ひらた ぐしゅう 9・13・14
〔前朝鮮総督府〕 昭和13年12月4日没。
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(出版者=「平田倶集」)
1.的野半助 和田 新一郎/著 平田倶集 1933.8
平田 大軒 ひらた だいけん 14
平田 知夫 ひらた ともお 6
宗像郡池野村出身。明道館員。東京帝大(法)卒。外交官。大正7年3月15日没。年39。
広田 弘毅 ひろた こうき 9・10・11・12・13・14
明道館員。東京帝大(法)卒。外交官。昭和8年外務大臣。11年総理大臣。昭和23年12月
23日、A級戦犯として刑死。年71。
▼「広田弘毅」『福岡県百科事典』
▼「広田弘毅」『国史大辞典』
▼「広田弘毅」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ふ
福沢 伝次郎 ふくざわ でんじろう 10・11・13
明道館員。〔農場経営〕
福島 熊次郎 ふくしま くまじろう 5
埼玉県人。二松学舎に学ぶ。台湾日日新聞、東洋日の出新聞(長崎)を創刊。満州義軍参
加。大正13年4月15日没。年56。
福田 喜太郎 ふくだ きたろう 9・10・13・14
皆山と号す。福陵新報・九州日報記者。
藤井 種太郎 ふじい たねたろう 4・5・6・8・13・14
高場塾出身。明治23年10月、慶応義塾入社。福陵新報社員。30年穂波炭坑運炭部長。
満州義軍に参加。立憲同志会福岡支部幹事。大正3年11月21日没。年45。
藤崎 展宏 ふじさき のりひろ 13
藤崎 彦三郎 ふじさき ひこさぶろう 1・2・3・4・8・13・14
明治26年11月23日没。年58。
藤島 一造 ふじしま いちぞう 1・3・4・8・13・14
高場塾出身。福陵新報社員。明治24年1月17日没。年35。
藤島 熊次郎 ふじしま くまじろう 13
藤島 熊太郎 ふじしま くまたろう 1・8・13・14
高場塾出身。八木和一の世話で兵庫県庁に勤務。明治33年1月11日没。年49。
藤島 震四郎 ふじしま しんしろう 14
藤島 長和 ふじしま ながかず 9・10・13
藤島熊太郎の弟。藤島勇三郎の死後、その後を継ぐ。明治22年10月、慶応義塾入社。明
道館員。玄洋社史研究家。昭和17年1月12日没。年73。
藤島 勇三郎 ふじしま ゆうざぶろう 6・8・13・14
(旧姓)木原。高場塾出身。向陽義塾・同志社に学ぶ。東京専門学校卒。明治21年秘密出
版で下獄。24年福陵新報への投書で筆禍(官吏侮辱罪)。明治27年2月11日没。年30。
藤村 勝弥 ふじむら かつや 1・14
後、篠原。
藤村 源路 ふじむら げんじ 7・9・10・11・12・13・14
明道館員。大正10年福岡市議。〔前九州日報社取締役、農業〕
藤原 茂 ふじわら しげる 9・10・11・13
明道館員。〔砂糖粉類卸商〕 (財)明道会理事。
淵上 幸三郎 ふちがみ こうざぶろう 10・13
明道館員。〔物品販売業〕 昭和17年3月5日没。
淵上 保 ふちがみ たもつ 3・14
福岡の変に参加。筑前共愛会那珂郡委員。明治14年県議。
船越 正次郎 ふなこし しょうじろう 3・14
福岡の変に参加。
船曳 享 ふなびき あきら 8・13・14
*舟曳亨とも書く。大正14年5月18日没。年66。
古崎 武作 ふるさき たけさく 3・14
古屋 勝太郎 ふるや かつたろう 9・13
明道館員。〔前三菱商事梶l 昭和14年12月9日没。
不破 国雄 ふわ くにお 7・8・13・14
郡・区長を歴任。明治22年福岡市議(初代市会議長)。県議、県会副議長。25年福岡市長
候補。大正8年2月12日没。年72。
へ
戸次 鉄麿 べっき てつまろ 1・3・14
ほ
堀尾 彦六郎 ほりお ひころくろう 8・13・14
明治14年県議。15年県会常置委員。26年福岡市参事会員。大正12年1月6日没。年7
8。
堀川 義七郎 ほりかわ ぎしちろう 14
本城 安太郎 ほんじょう やすたろう 6
高場塾出身。西南戦争に加わり東京で下獄。新聞「日本」記者。高島炭坑問題で活躍。黒龍
会同人。大正7年7月4日没。年59。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「本城安太郎」)
1.山座公使 / 本城玄海[他]. -- 本城安太郎, 大正4
本田 一郎 ほんだ いちろう 5・14
満州義軍に参加。
本田 一郎祐 ほんだ いちろうすけ 9・10・11・13
〔牧場〕 昭和23年7月7日没。年74。
前田 辰 まえだ たつ 3・14
明治13年福岡区議。22年市議。28年県議。福岡市参事会員。博多商業会議所議員。
蒔田 磯 まきた いそ 3・14
蒔田 悦太郎 まきた えつたろう 13・14
(旧姓)吉田。高場塾出身。昭和2年9月24日没。年64。
増岡 精一 ますおか せいいち 3・14
益田 祐之 ますだ すけゆき 14
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者=「益田祐之」)
1.益田古峯漢詩鈔 前編 〔益田 祐之/著〕 益田古峯漢詩鈔刊行会 1967.4
2.益田古峯漢詩鈔 後編 〔益田 祐之/著〕 益田古峯漢詩鈔刊行会 1967.4
3.益田古峯漢詩鈔 〔解説〕 益田 祐之/著 益田古峯漢詩鈔刊行会 1967.4
増永 元也 ますなが げんや 9・10・11・12・13
代議士中村彦次の孫。筑後出身だが中学修猷館に進む。明道館員。東京帝大(電気工)
卒。鉄道省電気局長。昭和12年代議士。昭和31年7月5日没。年76。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「増永元也」)
1.帝国議会報告書. 第73回 / 増永元也. -- 増永元也, 昭和13
2.電力国家管理法案成立の経過並に今後の対策 / 増永元也. -- 電気日報社, 昭和13
3.東南アジアとその資源 / 増永元也. -- 鱒書房, 1952
松井 幸吉 まつい こうきち 13
警視庁柔道教師松井百太郎(黒龍会員)の伯父。自剛天真流道場師範。明治40年9月22
日没。年57。
松井 泰吉 まつい やすきち 3・14
後、弥久。
松井 林太郎 まつい りんたろう 3・14
松浦 小輔 まつうら こすけ 8・13
松尾 梓 まつお あずさ 14
松尾 新九郎 まつお しんくろう 3・14
松隈 全 まつくま ぜん 9・13
高場塾出身。東京法学院卒。各地の税務署長を歴任。福岡日日新聞社会計主任。昭和13
年10月29日没。
松崎 儀三郎 まつざき ぎさぶろう 14
松田 沃 まつだ そそぐ 14
松原 小助 まつばら こすけ 1・3・14
筑前共愛会早良郡委員。明治11年筑前第9大区2小区扱所書役。
松村 玄三郎 まつむら げんざぶろう 2・3・14
松本 隆次 まつもと たかつぐ 10・13
〔歯科医〕
松本 俊之助 まつもと としのすけ 1・14
俊之輔とも書く。福岡の変に参加。
松本 豊次郎 まつもと とよじろう 9・13・14
昭和14年12月22日没。
的野 半介 まとの はんすけ 1・3・4・6・8・13・14
(旧名)薫。平岡浩太郎の義弟。筑前共愛会遠賀郡書記。明治41年代議士。九州日報社
主。門司新報社長。八幡製鉄所誘致に尽力。大正6年11月29日没。年60。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「的野半介」)
1.江藤南白. 上,下 / 的野半介. -- 南白顕彰会, 大正3
2.江藤南白. 上 / 的野半介. -- 原書房, 1968. -- (明治百年史叢書)
3.江藤南白. 下 / 的野半介. -- 原書房, 1968. -- (明治百年史叢書)
『江藤南白』上巻・下巻 2006年1月10日発行(20060111 付記)
4.経済界ノ警鐘 / 的野半介. -- 的野半介, 明26.1
5.帝国開富策 / 的野半介. -- 的野半介, 明24.12
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「的野半介」)
1.的野半介 / 和田新一郎. -- 月成勲, 昭和8
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(書名/著者=「的野半介」)
1.江藤南白 上 明治百年史叢書 的野 半介/著 原書房 1968
2.江藤南白 下 明治百年史叢書 的野 半介/著 原書房 1968
3.的野半助 和田 新一郎/著 平田倶集 1933.8
4.的野半介関係史料仮目録 福岡県立図書館郷土資料課/編集 福岡県立図書館 200
2.5
み
水野 元直 みずの もとなお 6・8・13・14
疎梅と号す。牟田常儀の娘婿。漢詩人。韓国政府顧問。玄洋社史研究家。大正10年10月
6日没。年58。
溝部 信孝 みぞべ のぶたか 14
三苫 恐三 みとま きょうぞう 14
簑原 強太郎 みのはら きょうたろう 9・10・11・13
宮内 六合太 みやうち ろくごうた 3・14
六合彦とも書く。福岡の変に参加。
宮川 一貫 みやがわ いっかん 9・10・11・13
宮川太一郎の子。早大(政経)卒。早大講師。昭和3年代議士(政友会)。昭和19年3月25
日没。年60。
▼「宮川一貫」『福岡県百科事典』
宮川 五郎三郎 みやがわ ごろうさぶろう 9・10・11・12・13・14
奈良原至の弟。宮川武行は長兄。高場塾出身。明道館員。九州日報記者。天佑侠支援。平
壌日日新聞社を創設。平壌電気且ミ長。昭和24年12月23日没。年82。
宮川 太一郎 みやがわ たいちろう 8・13・14
高場塾出身。萩の乱連携に参加。武道家。汲心流・自剛天真流達人。大正9年6月28日
没。年73。
宮川 武行 みやがわ たけゆき 6・8・13
(旧名)轍次。明治11年平仮名新聞創刊。警部。39年韓国警察部長。九州日報社長。明治
45年2月15日没。年59。
三宅 栄 みやけ さかえ 8・13・14
高場塾出身。
宮崎 逸人 みやざき はやと 14
宮崎 保太郎 みやざき やすたろう 2・3・14
宮原 篤三郎 みやはら とくさぶろう 1・2・3・8・13・14
徳三郎とも書く。高場塾出身。福岡の変に参加。明治44年10月6日没。
宮村 敏郎 みやむら としろう 8・13・14
大正10年7月没。
美和 作次郎 みわ さくじろう 9・10・13・14
明道館員。第8代玄洋社長。国民党幹事。昭和18年1月25日没。年78。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「美和作次郎」)
1.大自然観 / 美和作次郎. -- 公道会, 昭和4
む
牟田 常儀 むた つねのり 4・6・8・13・14
(旧名)止戈雄。秋月の乱に参加。明治20年佐賀新聞社員。明治37年11月8日没。年5
4。
村井 一英 むらい かずひで 2・14
司法省法学校に学ぶ。明治13年2月、筑前共愛会第2期会人民総代委員。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「村井一英」)
1.節倹論 / 村井一英. -- 田村仙司, 明13.12
2.通俗愛国民権論 / 村井一英. -- 弘令社, 明13.11
村上 辰五郎 むらかみ たつごろう 8・13・14
明治23年1月、慶応義塾入社。昭和6年1月23日没。年65。
村上 初三郎 むらかみ はつさぶろう 1・14
村島 丈夫 むらしま たけお 10・13
明道館員。〔福岡市書記〕 昭和17年7月20日没。年59。
村瀬 雄 むらせ たけし 3・14
村山 庸三郎 むらやま ようざぶろう 10・11・13
明道館員。〔陸軍軍医中佐〕
も
本松 邦喜 もとまつ くにき 8・13・14
*国喜とも書く。明道館師範。昭和9年11月23日没。年53。
元満 寛三郎 もとみつ かんざぶろう 3・14
元満 槌五郎 もとみつ つちごろう 8・13・14
昭和4年3月1日没。年75。
(旧名)末次郎。鉄城とも称す。河野半次郎・青木恭太郎と並ぶ明道館の後目録奥義相伝
者。明治35年4月9日没。年31。
森 清 もり きよし 8・13・14
昭和9年3月27日没。年66。
森 左門 もり さもん 7・9・10・13
明道館員。〔長崎市役所水道課長〕
森 祠火 もり しか 2・14
森 茂蔵 もり しげぞう 12・13
森 祠忠 もり しちゅう 3
森 久 もり ひさし 1・14
行徳とも称す。福岡の変に参加。明治36年6月18日没。
森岡 熊彦 もりおか くまひこ 10・11・13
書籍商「博文社」。福岡市書籍商組合組合長。京阪各新聞取次業。
森岡 義晴 もりおか よしはる 13
森田 新七郎 もりた しんしちろう 1・3・14
守田 泰久 もりた やすひさ 8・13・14
九州日報社員。昭和8年6月16日没。年60。
守田 義輝 もりた よしてる 9・10・11・13
守田泰久の子。〔陸軍歩兵中佐〕 昭和19年12月15日没。年50。
森田 善巳 もりた よしみ 3・14
*善己とも書く。
森部 清蔵 もりべ せいぞう 11・13
昭和24年博多祇園山笠振興期成会創設に参加、山笠振興に尽くす。博多の祭りの生き字
引と言われた。博多総鎮守櫛田神社名誉総代。昭和56年4月14日没。年84。
門司 仙次郎 もんじ せんじろう 1・3・14
門司 軌 もんじ のり 3・14
明治13年福岡区議。21年県議。24年筑紫銀行支配人。博多商業会議所議員。大正11年
12月1日没。
八木 虎之輔 やぎ とらのすけ 11・13
安井 惣吉 やすい そうきち 3・14
安川 敬一郎 やすかわ けいいちろう 13
撫松と号す。慶応義塾に学ぶ。明治鉱業且ミ長。大正3年代議士。13年貴族院議員。男
爵。明治専門学校創立。昭和9年11月30日没。年86。
▼「安川敬一郎」『福岡県百科事典』
▼「安川敬一郎」『国史大辞典』
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「安川敬一郎」)
1.女子教育に就て私見 / 安川撫松. -- 〔筑紫史談会〕, 〔昭和5〕
2.撫松余韻 / 安川撫松[他]. -- 松本健次郎, 昭10
3.撫松余韻 / 安川撫松. -- 松本健次郎, 1935.12
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(書名/著者=「安川敬一郎」)
1.九州の巨人 深田 豊一/著 博進社 1915.2
2.撫松余韻 〔安川 撫松/著〕 松本健次郎 1935
安川 第五郎 やすかわ だいごろう 12・13
安川敬一郎の子。明道館員。東京帝大(工)卒。安川電機会長。東京オリンピック組織委員
長。(財)明道会初代理事長。昭和51年6月25日没。年91。
▼「安川第五郎」『福岡県百科事典』
▼「安川第五郎」『国史大辞典』
安川 泰弼 やすかわ やすすけ 9・10・11・13・14
泰輔とも書く。明道館員。〔粕屋郡宇美公民学校教員〕
安河内 弘 やすこうち ひろし 9・10・11・13・14
安田 俊一郎 やすだ しゅんいちろう 3・14
安永 乙吉 やすなが おときち 9・13・14
高場塾出身。明道館員。〔農業〕 昭和14年8月12日没。
安永 東之助 やすなが とうのすけ 5・6・8・13・14
明道館員。東京美術学校入学。明治34年九州日の出新聞、36年九州日報記者。満州義
軍に参加。日露戦争後、満州で暗殺された。明治38年11月17日没。年34。
安永 徳 やすなが めぐむ 8・13・14
昭和2年11月26日没。
安見 辰之助 やすみ たつのすけ 1・3・14
矢野 憲一 やの けんいち 13
明道館員。福岡市中央区選挙管理委員。(財)明道会理事。平成元年11月8日没。
矢野 庄助 やの しょうすけ 11・13
博栄防水梶B
山内 亀三郎 やまうち かめさぶろう 10・13
明道館員。〔大夕張三菱鉱業所〕 昭和33年12月22日没。年66。
山内 惣作 やまうち そうさく 9・10・11・12・13・14
明道館員。早大卒。〔横浜海上火災保険梶l 昭和45年福岡市選管委員長。(財)明道会理
事。
山内 武明 やまうち たけあき 13
山内 義雄 やまうち よしお 13
高場塾出身。福岡の変に参加。福岡日日新聞社員。鼓松と号し、漢詩・画を能くした。昭和1
9年7月5日没。年87。
山口 弾正 やまぐち だんじょう 10・13
〔著述業〕 昭和18年5月9日没。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「山口弾正」)
1.皇民十訓抄 / 山口弾正,頭山秀三. -- 玄羊社編輯局, 昭和13
山座 円次郎 やまざ えんじろう 8・13・14
*山坐とも書く。東京帝大(法)卒。外務省政務局長。ポーツマス会議随行。駐支公使。大正
3年5月28日北京に客死。年49。
▼「山座円次郎」『福岡県百科事典』
▼「山座円次郎」『国史大辞典』
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「山座円次郎」)
1.「冷戦」 / 日本国際政治学会. -- 日本国際政治学会, 1975
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「山座円次郎」)
1.外交界の傑士山座円次郎君の二十三周年を憶ふ / 大熊浅次郎. -- 〔大熊浅次郎〕,
昭11
2.山座円次郎 / 長谷川峻. -- 時事通信社, 1967. -- (時事新書)
3.山座円次郎伝 / 一又正雄. -- 原書房, 1974
4.「冷戦」 / 日本国際政治学会. -- 日本国際政治学会, 1975
●研究書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「本城安太郎」)
1.山座公使 / 本城玄海[他]. -- 本城安太郎, 大正4 追加
山座 三郎 やまざ さぶろう 10・11・12・13
山座円次郎の甥。明道館員。早大(政経)卒。福岡県遠賀地方事務所長。昭和28年筑紫郡
山口村長。31年筑紫野町教育長。
山座 龍太郎 やまざ りゅうたろう 3・14
*山坐とも書く。山座円次郎の兄。福岡税務署勤務。
山崎 銀之吉 やまさき ぎんのきち 13
昭和17年3月5日没。年75。
山崎 羔三郎 やまさき こうざぶろう 6・8・13・14
東京に遊学し、英語を学ぶ。明治21年漢口楽善堂に投ず。日清戦争の軍事探偵。清国兵
により処刑さる。明治27年10月31日没。年31。
▼「山崎羔三郎」『福岡県百科事典』
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「山崎羔三郎」)
1.山崎羔三郎君伝 / 山口村在郷軍人分会,山口村青年団. -- 山口村在郷軍人分会, 昭
和3
山崎 辰巳 やまさき たつみ 1・3・8・13・14
*辰己とも書く。高場塾出身。福岡の変に参加。
山崎 登 やまさき のぼる 3・14
出版業。
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(出版者=「山崎登」)
1.福岡県細見全図 白石 徳郎/編輯 山崎登 1883.3
山崎 和三郎 やまさき わさぶろう 9・10・11・12・13・14
代議士山崎拓の祖父。明道館員。読売新聞高田早苗襲撃事件に参加。〔中島鉱業梶l 鉱
業家。昭和25年11月7日没。年78。
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2005/05/24 |
「落日燃ゆ」の気概を秘めて
→ 『一冊の本』1999年4月号、朝日新聞社
*早野透氏による山崎拓氏へのインタビュー。
・ 父が満鉄の調査部に勤めていて、大連の支局にいたのです。その後、上
海に行きました。父の東大経済学部でのゼミが有沢広巳先生で、その一門
が満鉄調査部に行ったんですね。
・ 親父は……満州から引き揚げてから炭鉱経営に変わった。まあ、炭鉱の
経営の跡継ぎをするために帰ってきたといってもいいんですけど。父方の祖
父(山崎和三郎)は飯塚炭鉱、母方の祖父(山口慶八)は佐賀県で炭鉱を幾つ
もやっておりまして、その一番大きな炭鉱は小城炭鉱です。
・ 祖父は山崎和三郎といって、玄洋社の幹部だった。石炭は玄洋社の資金
源なんですね。和三郎は来島恒喜よりは後なんですけど、同時代に活躍した
んです。来島は大隈重信を襲い、和三郎は早稲田の総長、文部大臣もした
高田早苗を襲ったんですね。
・ 私の祖父は全国長者番付でナンバー2になったこともありました。炭鉱王
でしたからね。私が住んでいた古小烏の家は、敷地が6千坪ありましたもの
ね。母屋の建坪が3百坪、ほかにも点々と家屋があった。
・ 今、母屋が九州電力のクラブになっています。接待用になっていて、料亭
を使うよりもはるかに喜ばれる。
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山路 為吉 やまじ ためよし 8・13・14
大正5年2月25日没。
山田 義隆 やまだ よしたか 10・11・12・13
玄洋社書記。『玄洋』発行責任者。明道館幹事長。昭和34年3月14日没。年72。
大和 徳太郎 やまと とくたろう 10・11・12・13
明道館員。鉄道工業叶齧ア取締役。昭和21年7月4日没。年69。
山中 立木 やまなか たてき 7
明治22年初代福岡市長。昭和6年4月18日没。年87。
▼「山中立木」『福岡県百科事典』
山本 健次郎 やまもと けんじろう 9・10・13
〔九州日報社〕
山本倬也 やまもと たくや 10・11・13
ゆ
結城 虎五郎 ゆうき とらごろう 6・14
福陵新報経営に当たる。朝鮮で漁場開拓に従事。日露戦争中樺太海馬島を占領。鉱業家。
大正10年9月22日没。年63。
よ
横井 豊 よこい ゆたか 1・3・14
福岡の変に参加。
横大路 一 よこおおじ はじめ 12・13
粕屋郡新宮町の旧家に生まる。火災後の九州劇場を再建。博多タクシー且謦役。東方会
青年隊長。福岡市議。新宮町長。平成2年9月15日没。年93。
横田 正米 よこた しょうべい 9・10・13
明道館員。自剛天真流師範。〔大同商会九州出張所・経営機械工具工業用品商〕 (財)明
道会理事。昭和47年11月20日没。年79。
横田 虎之助 よこた とらのすけ 5・9・10・13・14
高場塾出身。明治24年9月、慶応義塾入社。満州義軍に参加。〔西鮮合同電気且ミ長〕
昭和17年12月10日没。年70。
横山 雄偉 よこやま ゆうい 13
(本名)勇。粕屋郡勢門村出身。独ソ和平を画策、スパイ容疑で検挙された。戦後、A級戦犯
容疑者。蒋介石と親しかったという。
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「横山雄偉」)
1.五大強国より四大強国へ / 横山雄偉. -- 横山出版部, 大正8
2.加藤高明論其他 / 横山雄偉. -- 世界雑誌社, 大正6
3.講和条件の基礎をなせるウヰルソン氏の雄弁 / 横山雄偉. -- 横山出版部, 大正8. --
(国際日本協会叢書 ; 第1編)
4.参政権のために / 横山雄偉. -- 横山出版部, 大正9
5.世界戦争に現れたる日本陸軍首脳部の無能力 / 横山雄偉. -- 横山出版部, 大正8
6.セシル・ローズ言行録 / 横山雄偉. -- 内外出版協会, 明43.3. -- (偉人研究 ; 第61編)
7.帝国建設者 / 横山雄偉. -- 民友社, 明37.7
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者=「横山雄偉」)
1.加藤高明論其他 横山 雄偉/著 世界雑誌社 1917
吉浦 英之助 よしうら えいのすけ 1・4・8・13・14
高場塾出身。福岡の変に参加。福陵新報社員。
吉岡 友愛 よしおか ゆうあい 1・14
山座円次郎の義弟。陸大卒。陸軍大佐。歩兵第33連隊長。日露戦争中の明治38年3月7
日奉天会戦で戦死。年43。
●著書・研究書など 福岡県立図書館検索結果(著者=「吉岡友愛」)
1.忠孝義烈吉岡大佐 西川 虎次郎/著 大道学館出版部 1925.5
(なぜか、書名ではなく著者で検索したらヒットした。)
吉住 勉造 よしずみ べんぞう 1・3・8・13・14
福岡の変に参加。明治32年10月21日没。年54。
吉田 熊八郎 よしだ くまはちろう 1・14
吉田 【广+臾*】 よしだ こくら 5・9・10・11・12・13・14
大吉田といわれた黒田藩家老の吉田家14代にあたる。諱は悠年。高場塾出身。明治23年
9月、慶応義塾入社。満州義軍に参加。大正5年九州日報社営業部長。15年取締役。第9代
玄洋社長。明道館長。昭和36年10月31日没。年93。
【* 補助漢字 区点=2846 16進=3C4E シフトJIS=8ECC Unicode=5EBE】
吉塚 熊雄 よしづか くまお 1・3・14
吉留 桂 よしとめ かつら 7
安倍流剣道師範。明治40年福岡市議。
吉留 桂輔 よしとめ けいすけ 8・13・14
明道館員。大正15年8月19日没。年53。
吉留 靖 よしとめ やすし 9・13
吉留桂の長男。明道館員。剣道家。刀剣鑑定家。本阿弥の高足。鴻ノ巣炭鉱顧問。昭和14
年2月3日没。年68。
嘉見 忠四郎 よしみ ただしろう 3
吉村 桜太郎 よしむら おうたろう 3・14
吉村 直吉 よしむら なおきち 14
吉村 発興 よしむら のぶおき 14
吉村 英彦之助 よしむら ひこのすけ 9・10・12・13
参議院議員吉村剛太郎の父。明道館員。早大卒。九州日報社員。〔ハルビン、福岡県産業
奨励館分館長〕 昭和45年7月26日没。年65。
吉本 慶十郎 よしもと けいじゅうろう 3・14
吉本 藤次郎 よしもと とうじろう 3
米沢 生三 よねざわ せいぞう 8・13・14
福岡の変に参加。発行停止の福陵新報身代わり紙「玄洋新報」の発行人兼印刷人(明治26
年)。明治44年10月3日没。
笠 玉雄 りゅう たまお 8・13・14
福岡の変に参加。
笠 彦十郎 りゅう ひこじゅうろう 3・14
和田 三造 わだ さんぞう 9・10・11・13
兵庫県生野町の生まれ。中学修猷館に進む。明道館員。〔洋画家〕 東京美術学校卒。東京
美術学校教授。昭和42年8月22日没。年85。
▼「和田三造」『福岡県百科事典』
▼「和田三造」『国史大辞典』
●著書など 国立国会図書館検索結果(著者・編者=「和田三造」)
※ 44点あり。別記。
●研究書など 国立国会図書館検索結果(タイトル=「和田三造」)
1.白滝幾之助・和田三造・青山熊治展 / 神戸新聞社. -- 加古川総合文化センター,
1985
2.和田三造とその偉業 / 和田三造[他]. -- 六芸書房, 1984.3
渡辺 源太郎 わたなべ げんたろう 1・3・14
渡辺 定 わたなべ さだむ 3・14
福岡の変に参加。
渡辺 素剛 わたなべ もとたけ 6・8・13・14
(旧名)友太郎。大連・福昌公司で埠頭監督に従う。大正5年9月19日没。年52。
以上、630人。
参考資料(▼)として取り上げたものの一覧
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1982年11月10日、西日本新聞社 |
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『国史大辞典』 1〜15
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1979年3月1日〜、吉川弘文館 |
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復刻版・明治百年史叢書 1969年1月20日、原書房 |
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復刻版 1977年7月20日、近代史料出版会 |
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復刻版・講談社学術文庫 1980年8月10日、講談社 |
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『東亜先覚志士記伝』 上巻・中巻・下巻 |
復刻版・明治百年史叢書 1966年6月20日、原書房 |
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『在京福岡県人物誌』 |
石田秀人著、1928年12月15日、我観社 |
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『筑紫史談 総目次便覧』 |
修猷館同窓会資料編集委員会編、2004年12月20日、
福岡県立修猷館高等学校資料館発行 |
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『修猷館同窓会名簿』(U) 創立195年記念号 |
1980年5月30日、修猷館同窓会名簿委員会
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「先賢知名士墓田帳」『筑紫史談』 第82集〜89集 |
大熊浅次郎編、1942年9月〜45年1月、筑紫史談会 |
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陸士・陸大出身者名簿 |
山崎正男編『陸軍士官学校』、1984年3月10日(4版)、秋元書房
上法快男編『陸軍大学校』、1989年2月20日(9刷)、芙蓉書房出版 |
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外部へのリンクの一覧
2005/05/06 UP (582名分の名簿)
2005/05/14 資料bP4より追記終わる。(合わせて630名分の名簿)
2005/06/21 玄洋社員の伝記集 T・U 入力終わる。
2005/06/29 玄洋社員の伝記集 V 入力終わる。
2005/11/27 玄洋社員名簿のリンクの間違いを修正。
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