§.N響、スクリャービンの共感覚に挑戦
[NHK交響楽団の話題#2]
(NHK-SO challenged Skryabin's SYNESTHESIA)

−− 2006.03.08 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2006.03.30 改訂

 ■はじめに − オンリー・スクリャービンに驚喜
 先月の06年2月26日(日)の午後、NHK交響楽団(略称:N響)のNHKホールでのライヴ演奏をラジオのNHK−FMで聴きました。プログラムは
  スクリャービン 『交響曲第1番 ホ長調 作品26』
  スクリャービン 『交響曲第5番 作品60「プロメテウス(火の詩)」』
の様にアレクサンドル・スクリャービン(※1)の管弦楽曲が2つのみという「オンリー・スクリャービン・プログラム」という意表を突く内容でした(放送は無かったですが前日も同じプログラムでした)。
 日本で知名度の低いスクリャービンのみでプログラムを構成することは、今迄有ったかどうか知りませんが大変珍しく冒険です。やはりロシア人指揮者ウラディーミル・アシュケナージならではの選曲と感じましたが、それ以上に今回は後半の『プロメテウス』(※2)で「色光ピアノ」(後述)を実演する「完全版」ということで、これはもう「冒険の冒険」=「冒険の2乗」、私は驚喜しました!
 私は02年に当時チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者だったアシュケナージが04年度からN響の音楽監督に就任が決まったというニュースを知り、直ぐに02年11月27日に「アシュケナージN響次期音楽監督就任に想う」を書きました。その中で私は、アシュケナージが若い頃ピアニストとして鳴らして居た時の想い出やN響の音楽監督就任への期待を述べ、更に今回の様なロシア近現代の作曲家の作品を積極的に採り上げて欲しいという希望を述べました(→アシュケナージの略歴は上のページの「参考資料」に記して在ります)。
 尚、後述の音階や調性や和音については
  資料−音楽学の用語集(Glossary of Musicology)
を参照して下さい。

 ■アシュケナージ就任から今日迄を振り返って
 アシュケナージは予定通り04年9月からN響音楽監督に就任し、その記念公演が04年10月9日サントリーホールで開かれました。そして注目のお披露目の演目は、意外にも
  ベートーヴェン 『序曲「レオノーレ」第3番』
  ベートーヴェン 『交響曲第4番』
  ベートーヴェン 『交響曲第5番「運命」』
という、「オール・ベートーヴェン・プログラム」だったのを覚えて居ます。私だけで無く多くの人が、就任披露にはチャイコフスキーかショスタコーヴィチ、或いはストラヴィンスキーの様な彼の祖国ロシアの有名作曲家の曲が1つは入るだろうと予想(或いは期待)して居たと思いますが。私は既に
  「大植英次と大阪フィルハーモニー交響楽団」
の中で音楽監督就任披露の初舞台での選曲の重要さを記しましたが、このプログラムを見て私はアシュケナージが初登板で真っ向直球勝負に来た、と感じました。つまり「オレはロシア物だけじゃ無い、本格派だぞ」という所信表明だと受け取りました。
 あれから約1年半を経て今回の「オンリー・スクリャービン・プログラム」です。その間にドイツ物を熟(こな)し得意のチャイコフスキーやショスタコーヴィチで本領を発揮して来て、時にはピアノも弾いて、やっとこの日のスクリャービンという訳です。この冒険的企画が次にどう結び付いて行くのかが少し気懸かりではありますが、それについては最後で述べることにしましょう。

 ■対照的な2つの管弦楽曲
 さて今回並べられたスクリャービンの2つの管弦楽曲は、全く性格を異にする曲です。先ずその”性格の違い”から述べましょう。
 『交響曲第1番』(1900年作)は全6楽章から成り終楽章では「芸術賛歌」が独唱と合唱で歌われる構成で、曲の作りは完全にロマン派的な調性音楽ですのでこれ以上の説明は不要でしょう。
 それに対し『交響曲第5番「プロメテウス」』(1910年作)はスクリャービンが奉ずる近代神秘主義(※3)の一派・神智学(※4)に根差した神秘和音(後述)を駆使した作品で、”耳慣れない人”には捉え所の無い曲です。先ず呼称ですが通常は一応『交響曲第5番』とされて居ますが、構成は合唱も入る1楽章形式の標題音楽(※5)で寧ろ交響詩(※5−1)に近いのです。「交響曲」と呼べる要素を辛うじて挙げれば変形された「ソナタ形式」(※6)を採用して居ること位です。事実『管弦楽、ピアノ、合唱、色光ピアノのための音詩「プロメテウス」』などと呼ばれることも多く、今回のNHKも「交響曲」という語を使わずに単に『プロメテウス(火の詩)』にして在ります。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 私もスクリャービンの「交響曲」とされて居る曲の内、この第5番と第4番は「交響曲」と呼ばない方が良いという意見です、何故なら前述の様に内容的には「交響詩」に近いからです。しかし「交響曲」に含めている文献も多いので、一応それに従いこのページでも交響曲番号を記しました。

 又、途中独奏ピアノが主導する部分はピアノ協奏曲の様に聴こえます。そして何よりも”耳慣れない人”に捉え所無く不協和な印象を与えている原因はその無調性(atonality) −長調・短調という調(ちょう)の区別が無いか又は曖昧な感じ− に在ります。しかし、この無調性こそ「モダニズムの音楽」の一大特徴です。尚、「モダニズムの音楽」の特徴については【ブラボー、クラシック音楽!】の曲目解説の補足説明
  「モダニズムの音楽」概論(Introduction to the 'Modernism Music')
を参照して下さい。

 ■考察 − スクリャービンの神秘和音の”秘密”
 ではスクリャービンの神秘和音とは一体如何なるものか?、次にそれを探ってみましょう。尚、以下の説明に出て来る和音については再び「資料−音楽学の用語集」を参照して下さい。
 彼の独特の感性から編み出した神秘和音(mystic chord)とは、下から
  ド・ファ#・シb・ミ・ラ・レ
の音を重ねたものです。後の説明の為にハ調で書くと
  C・F#・Bb・E・A・D
です。こう並べると全てが4度の音程差 −完全4度だけで無く、増4度・減4度も含んで居る− で並んで居ます、神秘和音の解説書にも良くその様に書いて在ります。4度の音程差で6つの音符が並ぶと言うと如何にも人工的なイメージを持ちますが、実際にその和音を聴いてみると”4度和音”には聴こえません。何故か?
 そこで、これを2つのグループに分けて
  「C・E・Bb」+「D・F#・A」
としてみましょう。即ち属七和音(C7コード:「C・E・G・Bb」)の属音Gを欠いた和音(「C・E・Bb」)と3度の主和音(Dコード:「D・F#・A」)の合成と見ることが出来ます。属七和音は3度系の和音であり、主和音に依る解決を待つ未解決な和音です。C7コードの属音Gを欠いている為に未解決感は幾分暈されますが、それにC7と全音の開きを持つDコードの和音が重なるので、未解決感と不協和感を宿した”曰く言い難い”曖昧な響きを呈します。この”曰く言い難い”事を人は「神秘」と呼ぶ訳です。
 一方これを
  C・D・E・F#・・Bb
と並べ替えると、1オクターヴを全音で6等分した全音音階の和音
  C・D・E・F#・G#・Bb
に極めて近い
ことが解ります。全音音階はドビュッシーが行き着いた無調音階ですが、違いはG#がAに変じている点のみで、このAがBbと半音(実際には9度)を成し不協和感と緊張感を齎(もたら)します。
 更に
  C・E・Bb・D・F#・A
     5  7   9 11  13
と並べ替えると、基音Cの上に[5・7・9・11・13]の倍音列を積み重ねた和音と見ることが出来、それ故に人工的では無く”自然な感じ”に聴こえるのです(△1のp63〜64)。これは数字に神秘的な意味を見出す数秘術にも凝っていたスクリャービンの好むもの(後述)でした。
 以上の分析から、無調的で曖昧な不協和音だが不自然では無く何やら神秘的な緊張感が漂う、という「神秘和音」の”秘密”がお解り戴けたでしょう。

 ■『交響曲第5番「プロメテウス」』の神秘和音について
 『プロメテウス』はこの神秘和音を徹底的に使用して居る曲です。この曲は冒頭からピアニシモの神秘和音で始まり少しずつ高揚して行き、途中からピアノが加わって強弱と音程を揺らし乍ら更に高まり、最後は祈りの様な合唱が加わり至福の高揚感(=法悦の境地)に上り詰めた所で未解決感(=渇望感)の残る神秘和音の残像を長く響かせて終わります。”耳慣れない人”には不協和に響く神秘和音も、しかし現代曲モダンジャズなどに”耳慣れた人”には取り立てて不協和には感じられず、ドビュッシーが音楽院時代に言い放った「今日の不協和音は明日の協和音です!」という言葉(△2のp55)を私は実感を持って思い出します。
 別の解釈を試みると、この高揚して行く神秘和音の連なりはワーグナー(※7)の『トリスタンとイゾルデ』を思わせる半音階的進行を想い起こさせ不思議と官能的で、私には丸でセックスの高揚感、エクスタシー(ecstasy)を表して居るかの様に聴こえます。「法悦の境地」とは恍惚たるエクスタシーのことで、この「官能的な高揚感」こそこの曲の隠れた醍醐味と考えられます。そう言えば前作の『法悦の詩』(←交響曲第4番とされる)の英語の原題は正に "The Poem of Ecstasy" ですので上記の解釈は『法悦の詩』にも当然適用出来ますが、『法悦の詩』では最後の高揚でやや痙攣気味に”横漏れ”し一瞬萎えるのに対し、『プロメテウス』では無駄な力みが取れて最後の神秘和音で確実に”直射”して居て「進化」の跡が認められます(→『法悦の詩』については又後で触れます)。
 歴史を振り返れば「男女の合一」は古代に於いては宗教的な「神との合一」と同じ位相で感得され生まれ来る新たな生命は正に”神秘”でした。「男女の合一」が闇に追い遣られ「神との合一」と対極の位相に置かれる様に成ったのはヨーロッパ世界では処女受胎という概念を持ち出したキリスト教(←嘗て私は性教徒革命と呼びました)以降、非ヨーロッパ世界では光が闇を駆逐した文明社会以降です。スクリャービンの音楽はキリスト教以前、文明社会以前に回帰し光と闇が融合する皆既日食の奇跡的瞬間を幻視して居るかの様です。

 ■「音と色彩の共感覚」とその今日的意味
 「音色(おんしょく、ねいろ)」(※8)という言葉が在る通り、音の高さや調性や楽器の種類や和音に依って、或る色彩的なイメージが喚起されることは有りますが、それは主観的で人に依って異なります。しかしスクリャービンという作曲家は「音と色彩の共感覚」(※9)に依り、聴衆に神秘体験を供給する為に大掛かりな『プロメテウス』を作曲しました。その道具がイギリス人レミントン発明の「色光ピアノ(Farbenklavier[独])」という鍵盤楽器(△1のp65)で、鍵盤を押すと音と共に電気的仕掛けで穴の開いた暗箱から、各音階即ち各鍵盤に割り付けられた着色光が照射されスクリーンに映し出される、というものです。しかし1911年3月2日のモスクワでの初演 −スクリャービン自身がピアノを弾いた− 時には色光ピアノは故障して機能せず、漸く作曲者他界後の1915年ニューヨークの演奏会に於いて実現した様です。モスクワでの「音だけ」の初演でさえ賛否両論と伝えられて居ます(△3)ので、ニューヨークでの「音と色彩」の初演の反応には興味有りますが、その時の詳細は今の所は未調査です。
 その後、演奏機会の少ないこの曲が偶に演奏された時に、稀に音楽に合わせて何らかの映像がスクリーンに投影される演出が為されましたが、鍵盤に連動した「色光ピアノ」では無かった様です。
 20世紀初頭に神秘体験に近付こうとスクリャービンが夢想した「音と色彩の共感覚」の実演が、凡そ1世紀後に神秘思想の対極に在るコンピュータを駆使して実現されたことは、皮肉ではあります。この日、演奏時間約20分の『プロメテウス』演奏前に色光ピアノやスクリーンの準備の為30分もの休憩を取りましたが、会場での様子はどうだったのか?、私はFMラジオで聴いただけですので色彩効果の方は未体験ですが、会場に行かれた方の感想などをWebで読ませて戴いた限りでは、ステージ上のLEDパネルやスクリーンにWindowsのスクリーン・セーバーの様な模様が映し出されたとのこと。こういう”健全”な演出ではスクリャービンの理想世界と一体化することは出来ないのですが、それについては後で述べます
 さて、「音と光」或いは「音と色彩」と言うと、現代のロック系ミュージシャンの演奏会などでは音楽に合わせレーザー光線がやたら刺激的に飛び交うのが寧ろ普通の情景です。過剰な音量と過剰な光の刺激で、感覚を麻痺させ無理矢理”一体感”に押し込めていて、当然私は大嫌いですが、凡そ神秘体験とは程遠いものです。私は『プロメテウス』の様な曲こそ寧ろ目を瞑って純粋に神秘和音に浸って聴く方が音に集中出来て心眼(※10)が開かれ音楽と深く共感出来る、即ち音楽は”目先”では無く「心で音を感じる事」が大切、と考えて居ます。カラヤンが良く目を瞑り”瞑想体”で指揮をして居たことを思い出します。事実、Webの感想を読むと「映像の印象が強く、曲の印象が薄い」「終わってみたらどんな曲か覚えて無い」という感想が目立ちました。神秘体験とは奇跡的体験をした時に実感し得るものと私は考えて居ます −私は未だその様な体験をして居ませんが、神智学のカリスマ的指導者・ブラヴァツキー夫人(※4−1)も海に溺れ九死に一生を得た時に「神」の存在を「智(さと)」った様です− が、「音と光」の同時演出が日常的に”当たり前”に成った現代に於いて、100年前に構想された『プロメテウス』の「色光ピアノ」のアイデアは問い直される時期に来ていると、考えさせられたプログラムでした。

 ■FMで聴いた感想
 アシュケナージはピアニストとしてはスクリャービンのピアノ曲を既に何度も演奏し『ピアノ・ソナタ全集』のCDも出して居て、スクリャービンの解釈に於いては筆頭に挙げられますが、彼がオーケストラを指揮したスクリャービンの演奏を聴くのは、これが多分初めてです。今回、色光ピアノに依る大規模な実験を企画したのはN響創立80周年(N響の沿革については前掲ページの「参考資料」をご覧下さい)の記念行事ということで、言わば「お祭」であったのは確かです。私はFMラジオで聴いただけですので、”幸い”にして光に撹乱されず聴くことが出来ました。その感想を述べましょう。
 先ず『交響曲第1番』は中々好演だったと思います。スクリャービン初期のロマンティックな感性が良く引き出されて居たと思います。
 問題の『プロメテウス』ですが、先ずこういう和音進行が好きな人と嫌いな人とで評価、否、評価以前に聴けるかどうか、が分かれる曲です。N響はソツ無く演奏して居ましたが無機的な響きが神秘感を乖離させ、この曲の醍醐味である「官能的な高揚感」を引き出すには至って無かったと感じましたが、この乖離せざるを得なかった理由については後で触れます
 何れにしても同じ作曲家が僅か10年の間に大きく様変わりしたことを対比出来る好企画の演奏会でした。では、その10年間で何が変わったのか?、それが今迄何度も話に出て来ている神秘主義への転回でした。

 ■スクリャービンの生涯と神秘主義への転回点
 一般的に神秘主教の熱心な信者は幼少の頃から神秘的な物事に強い感受性を示す場合が多いですが、スクリャービンも自身の誕生日がロシア暦(=旧暦)の12月25日 −それはキリストの聖誕日とされて居る− であったことに神秘的な暗示を感じていた様です。この様な”聖数”概念は数秘術の一領域なのですが、この「暗示」が何らかの契機で「神の啓示」に変わるのです。
 父はモスクワの貴族の家系の軍人で、ピアニストとしての資質はペテルブルク音楽院の優等生であった母(←生まれた1年後に死亡)から受け継ぎ、1888年(16歳)にモスクワ音楽院に入学、同級にはラフマニノフ −彼は後期ロマン派に留まった− が居ました。手が小さいが故のピアノ練習過多で右手を故障し左手を特訓し、後年の彼のピアノ曲の左手声部の複雑さや『ピアノ独奏曲「左手のための2つの小品」』はその成果です。この頃の作風はピアノではショパン、管弦楽ではワーグナーの影響下に在りましたが、音楽院卒業後は先ずピアニストとして活動を開始し95年(23歳)と96年(24歳)にはヨーロッパ各地の演奏旅行に出掛けて居ます。
 97年(25歳)に突然ユダヤ教に改宗しユダヤ人ピアニストのヴェラ・イヴァノヴナと結婚(←やがて破綻)し、98年(26歳)でモスクワ音楽院ピアノ科教授に就きます。この日の第1演目の『交響曲第1番』は音楽院教授時代の1900年(28歳)に書かれた曲で”健全”なロマン派様式の曲です。唯しかし、スクリャービンに於いては第1番で示された芸術至上主義が、段々と「人間を現世から解放する宗教的なもの」へと昇華して行ったと考えられ、そういう意味では後の神秘主義の作品の萌芽を第1番に見て取ることが出来ます。つまり、この日の第1番と第5番とはスクリャービンの心の奥深い所(=深層心理)で通底して居る訳で、アシュケナージは2曲の外面的差異と内面的連続性を示したかったのだ、と理解出来ました。
 1903年(31歳)に音楽院を辞職、この頃からニーチェの超人思想の影響を受け「心の転機」の兆候を見せて居ます。翌04年(32歳)にピアノ科の教え子タチャーナ・シュレゼールと駆け落ちしスイス、次いでベルギーで同棲、05年(33歳)頃ブリュッセルでブラヴァツキー夫人(※4−1)の著作に触れ神智学(※4)に目覚め神秘和音の無調的作品『交響曲第4番「法悦の詩」』 −この曲も「交響曲」と呼ばれない場合が有ります− や『ピアノ・ソナタ第5番』を07年(35歳)迄に作曲し、神秘主義(※3)へ大きく転回したのです。
 その後アメリカ演奏旅行中に愛人タチャーナを帯同した為ボイコット騒動が起き08年(36歳)にロシアに戻ると、より高次の「法悦の境地」を実現する曲に全精神を投入し遂に10年(38歳)に徹底した神秘和音と色光ピアノに依る「音と色彩の共感覚」を夢想した第2演目の『交響曲第5番「プロメテウス」』を完成しました。彼の夢想は更に舞踊や「香り」を付加した総合芸術『神秘劇(Mysterium)』へと膨張して行きますが、序幕の数10小節を書いただけで敗血症の為1915年に43歳で冥界に旅立ちました。

 ■スクリャービンが夢想した究極的理想世界
 (1)スクリャービンとワーグナー
 未完に終わった『神秘劇』は正に「五感を開いて第六感に至る」方法論の実践に依ってスクリャービンの究極的理想世界の曼陀羅絵(又は曼荼羅絵)に成る筈でしたが、この作品を想う時私はワーグナーが最終的に辿り着いた『舞台神聖祝典劇「パルジファル」』を思い出さずには居られません。どちらも作曲者が最後に夢想した「聖なる儀式」です。スクリャービンが神の僕(しもべ)として「神との合一」を目指したのに対し、ワーグナーは自らが「神」の地位に登り詰めました。ワーグナーはバイロイトに自らの神殿を築き「神」として君臨し、今も毎夏多くの「巡礼者」を集めて居ます(→ワーグナーやバイロイトについてはこちらを参照)。
 スクリャービンは若い頃ワーグナーの影響を強く受けた一人ですので、私には晩年に『パルジファル』を意識して居た様に思われます。序でに言うとスクリャービンのみならず、ドビュッシー始めモダニズムの作曲家は出発点に於いて皆ワーグナーとの対峙を迫られました。それ故に私は彼等がワーグナーを意の如く超え得たかどうかは、一度総括する必要が有ると考えて居ますが、それは別の機会に譲り、話をスクリャービンに戻しましょう。
 私はスクリャービンの『法悦の詩』→『プロメテウス』→『神秘劇』という一連の神秘和音の管弦楽を通観した時、スクリャービンもワーグナーの様に自分の理想世界を実現する為の神殿を築きたかったのではないか、と思わざるを得ません。何故か?

 (2)スクリャービンの神殿と巡礼者
 NHKはこの言葉を嫌うでしょうが、スクリャービンの夢想する「神との合一」とはオカルト(※11)の世界です。そもそも神秘主義(※3)という言葉自体がオカルティズム(※11−1)と密接不可分なのですが、オカルティズムの光や色彩の世界はサイケデリック(※12)、つまり官能的幻覚的幻惑的幻術的なのです。場合に依ってはLSDの様な幻覚剤(※12−1)も必要でしょう、『神秘劇』の舞踊「香り」もその様な幻惑的な効果が有ります。サイケデリックな例としてチベット族のラマ教寺院内部の装飾を参照して下さい。
 プロメテウスの劫罰の元に成った「天上の火」(※2)を神憑りに見せる為には幻覚的効果が必要です。「神との合一」という至高の奇跡的体験 −それは裏で「男女の合一」を暗示して居ます− を集団化するにはここ迄徹底する必要が有ります、『プロメテウス』に神秘和音が徹底して使われて居るのはその為です。
 しかし「公共放送」たるNHK所属の楽団には無理な注文と言うべきで、「神との合一」とも古代的な「男女の合一」とも程遠い文明礼賛的な”健全”な演出に終始したのは当然です。スクリャービンの究極的理想を完全実現する為にはネパール辺りに神殿を築くかヒンドゥー寺院を借り切って秘教的な演出で上演する必要が有るでしょう。その時初めて一般聴衆が「巡礼者」に変わるのです。しかし、そこ迄遣ると新興宗教のマインド・コントロールの儀式(※13)と大差無いのです。
 この様に考えて来ると、「音と色彩の共感覚」に余りリアルさを求めて深入りせぬ為には、私の様に音に集中して心眼を開きイメージ(=想像力)を喚起する、という「中庸な態度」(※14)こそ必要です。ハマりたい人を別にして、「宗教性や儀式性の高い作品」を聴く場合にはこの「聴く側の中庸」を保つことが特に重要で。この事は既に『第九』の曲目解説のページで詳細に論じて居ます。
 因みに、当サイトは@想像力のワンダーランド@ですので、宜・し・く!!

 ■スクリャービンの音楽史的意義
 とは言え、日本ではスクリャービンの業績は今迄過小評価されて来た嫌いが有ります。彼は現代音楽の先駆を成したモダニズムの作曲家の一人として、専門家の間では再評価されつつ在りますが一般の認知度は未だ低いと言わざるを得ません。特に無調的なピアノ曲はメシアンからジャズ・ピアニストたち迄、幅広く現代の作曲家や演奏家に影響を与えていて、日本の山田耕筰もドイツ留学から帰国途中の1913年暮れにモスクワでスクリャビンのピアノ演奏に接し感化された一人 −後に彼は『ピアノ曲「スクリャービンに捧ぐる曲」』を書いた− です。
 皮肉にも『プロメテウス』から半世紀後の1960年代後半、極彩色の色彩と合体したサイケデリックな音楽はヒッピー(※15)の出現とLSD(※12−1)やマリファナ(※12−2)の流行に同期してポップなファッションの一つとして世界的に流行しました。その中ではインド音楽やヒンドゥー的瞑想世界に傾倒したビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967年発売)は異彩を放って居ます。しかし、スクリャービンの神秘和音や「音と色彩の共感覚」への孤独な夢想と実験は思い返されることも有りませんでした。

 ■結び − 一過性の”お祭”では無く
 今回はスクリャービンとはどんな作曲家なのかを知って貰えたという意味で好企画でしたが、これを一過性の”お祭”で終わらせない為にもスクリャービンの全体像が再評価出来る様な企画を続けて打ち出して欲しいですね、アシュケナージに依るスクリャービンのピアノ・ソナタ演奏を1ステージ設けるのも良いでしょう。
 更にはロシアの作曲家をもっと紹介して貰いたいですね。私が「アシュケナージN響次期音楽監督就任に想う」の中で、既に名を挙げた作曲家以外にも、19世紀後半にロシアに生まれた作曲家はモダニズム音楽の分野で大きな足跡を残して居ます。それらを思い付く儘に挙げればカバレフスキーミャスコフスキーグラズノフモソロフグリエール、そして秘教的・オカルト的なオブーホフなど −この中には西側に亡命した作曲家も多い− ですが、これらの作曲家の作品は日本での演奏機会は少ないので積極的に採り上げて欲しいですね。或いは特異な電気楽器テルミンを発明したL.テルミン博士もこれらの作曲家たちと同時代の人ですので、『テルミン協奏曲』(※16)などを是非ライヴで演奏して欲しいですね、日本には竹内正実氏の様な演奏家が居ますから。これが実現したら私は最高に驚喜、そして狂喜です!!
 私は兎に角、ロシア生まれのアシュケナージには日本人の音楽監督では出来ない事を遣って貰いたいと思って居ます。それが将来のN響の”肥やし”、そして聴衆の啓蒙に成る筈です。

 尚、[NHK交響楽団の話題]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

−−− 完 −−−

【脚注】
※1:アレクサンドル・スクリャービン(Aleksandr Nikolaevich Skryabin)は、ロシアの作曲家・ピアノ奏者(1872.1.6〜1915.4.27)。複雑な和声とリズムとに依る神秘思想の表現、色光鍵盤に依る音と色彩との結合を試みた。「法悦の詩」「プロメテウス」などの交響曲、ソナタなど多数のピアノ曲を作曲。

※2:プロメテウス(Prometheus)は、ギリシャ神話で、ティタン族(=巨神族)の英雄。アトラスの兄弟。天上の火を人間に与えてゼウスの怒りを買い、コーカサス山に鎖で繋がれ、禿鷲に不死身の肝臓を生き乍ら永遠に食われる罰を受けたが、ヘラクレスに助けられた。又、水と泥から人間を創り、他の獣の持つ全能力を付与したと言う。
※2−1:ティタン/タイタン(Titan)は、
 [1].ギリシャ神話で、オリュンポスの神々以前の巨神族。ウラノス(天の神)とガイア(大地の女神)から生まれた、6柱の男神6柱の女神の総称。ゼウスと10年に亘って戦い、敗れてタルタロス(冥界)に幽閉された。
 [2].土星の第6衛星で、最大の衛星。半径は2,575km。1655年、ホイヘンスの発見。光度8等。窒素を主体としメタンなどを含む大気を有する。約16日で土星を1周する。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※3:神秘主義(しんぴしゅぎ、mysticism)とは、神/絶対者/存在そのものなど究極の実在に何らかの仕方で帰一融合又は交流出来るという哲学/宗教上の立場。東洋ではインドのヨーガ、中国の道教密教、イスラムのスーフィズム、西洋ではプロティノスに始まり、新プラトン学派エックハルトベーメらのドイツ神秘主義、現代ではハイデッガーなどが代表的。

※4:神智学(しんちがく、Theosophy)とは、冥想と思索に依って神を直接に知ろうとする信仰及び思想。19世紀後半、ロシアのブラヴァツキー夫人が創始し、ヒンドゥー教と仏教を基にし輪廻転生という過程が不可避として居る。
※4−1:ブラヴァツキー夫人(Helena Petrovna Blavatsky)は、近代宗教哲学体系の一つの神智学の創始者・指導者(1831〜1891)。ウクライナ生まれのドイツ人で16歳で結婚したが直ぐ飛び出し、その後の20年間は世界放浪し東洋でヒンドゥー教を修行中、海に溺れ掛け心霊主義に目覚める。1873年ニューヨークに移住後、間も無く神智学協会の創設に参加しその中心人物と成った。1878年にはインドに新たな活動拠点を築くも信者の離反に遭い批判に晒された。主著「シークレット・ドクトリン」。<出典:「Microsoft エンカルタ総合大百科」>

※5:標題音楽(ひょうだいおんがく、program music[英], Programmusik[独])とは、文学的内容・絵画的描写など、音楽外の観念や表象と直接結び付いた音楽。中世から在るが、特にベートーヴェン「田園交響曲」、ベルリオーズ「幻想交響曲」、リスト「ファウスト交響曲」、スメタナ「わが祖国」など19世紀のロマン派音楽で隆盛。←→絶対音楽。
※5−1:交響詩(こうきょうし、symphonic poem)とは、文学的・絵画的な内容のプログラムを持った1楽章の管弦楽曲。自由な形式を持つ一種の標題音楽で、リストがこの語を初めて用いた。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※6:ソナタ形式(―けいしき、sonata form)とは、器楽形式の一。ソナタ・交響曲・協奏曲などの第1楽章に主に用いる形式。普通、2つ又は1つの主要主題を持ち、提示部・展開部・再現部から成り、序奏結尾部(コーダ)を付けることも有る。

※7:ワーグナー(Richard Wagner)は、ドイツの作曲家(1813〜1883)。旧来の歌劇に対し、音楽・詩歌・演劇などの総合を目指した楽劇を創始、又、バイロイト祝祭劇場を建設。歌劇「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」、楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ニーベルングの指環」「パルジファル」など。

※8:音色(おんしょく/ねいろ、tone, tone color)とは、音の強さや高さが等しくても、それを発する楽器の種類などに依って違って感じられる音の特性。音に含まれる上音の振動数や強さの比、その減衰度などに依って決る。

※9:共感覚(きょうかんかく、synesthesia)とは、一つの刺激に対して、それに対応する感覚(例えば聴覚)とそれ以外の他種の感覚(例えば視覚)とが同時に生ずる現象。後者の感覚を副感覚と言い、例えば或る音を聴いて一定の色が見える場合を色聴と言う。感性間知覚。

※10:心眼(しんがん、mind's eye)とは、物事の実体や真相をはっきり見通す鋭い心の働き。しんげん。日葡辞書「シンガンヲアキラムル」。「―に映ずる」、「―を開く」。

※11:オカルト(occult)とは、(ラテン語「隠された」の意)[1].超自然的なもの。神秘的なもの。隠れたもの。
 [2].神秘的・超自然的な事柄を研究する一種の擬似科学。ヨーロッパの中世にはキリスト教とスコラ哲学が画一的原理と成った為、全ての異教的なもの・呪術的なものが広大なオカルトの世界を作り、占星術・魔術・悪魔学などを研究する学者が多く現れた。現代では、所謂心霊現象を始め科学的合理主義信仰に反する全てのものがオカルトと呼ばれる。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※11−1:オカルティズム(occultism)とは、通常の経験や科学では認められない「隠れた力」の存在を信じ、それを研究すること。占星術・錬金術・神智学・心霊術などを言う。

※12:サイケデリック(psychedelic)とは、ギリシャ神話のプシュケー(Psyche)が語源。プシュケーはキューピッド(Cupid)が愛した美少女で霊魂の化身。転じて「霊が見える」の意に成り、更に転じて
 [1].(形容詞として)幻覚を起こさせる。幻覚剤の。(名詞として)LSDなどの幻覚剤を指す。
 [2].麻薬に因って生じる幻覚や陶酔の状態に似ている様子。
 [3].1960年代中頃に生まれた美術・音楽の新動向としてのサイケデリック・アート(psychedelic art)を指す。極彩色の光と音を総合し、一種の幻覚に似た雰囲気を作り出すもの。LSDなどの幻覚作用との関連からLSDアート(LSD art)とも呼ばれた。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」、「研究社 新英和・和英中辞典」より>
※12−1:LSD(lysergic acid diethylamide)は、リゼルギン酸ジエチルアミド。麦角(ばっかく)という麦類その他イネ科植物の子房に寄生した麦角菌が作る菌核から分離され、服用すると幻想・幻覚が顕著。脳内の神経伝達物質セロトニンの作用を抑える。麻薬取締法で規制。
※12−2:マリファナ(marijuana[スペ])とは、大麻の花や葉を乾燥したもの。紙巻タバコ様にして喫煙すると、多幸感や幻影・幻聴などの幻覚が現れる。マリファナの生理活性成分では、テトラヒドロカンナビノールが最も強く、体重1kg当たり0.05mgの微量で幻覚作用を起こす。その含量は大麻の果穂から採集したハシッシュに比べると遥かに少ない。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※13:マインド・コントロール(mind control)とは、[1].狭義には、催眠法で個人や集団を被暗示性の高い状態に導き、暗示で特異な記憶や思考を生じさせること。
 [2].広義には、強制に依らず個人の思想や行動・感情などを或る特定の方向へ誘導すること、又はその技術。精神統制とも言われ、宗教界などで使われる。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※14:中庸(ちゅうよう、moderation)とは、
 [1].[a].偏らず常に変わらないこと。不偏不倚で過不及無しのこと。中正の道。「―を得る」。
   [b].尋常の人。凡庸。
 [2].四書の一。1巻。天人合一を説き、中庸の徳と徳の道とを強調した儒教の総合的解説書。孔子の孫、子思の作とされる。「礼記」の1編であったが、宋儒に尊崇され、別本と成り、朱熹(=朱子)が章句を作って盛行するに至った。
 [3].mesotes[ギ]。アリストテレスの徳論の中心概念。過大と過小との両極の正しい中間を知見に依って定めることで、その結果、として卓越する。例えば勇気は怯懦と粗暴との中間であり、且つ質的に異なった徳の次元に達する、とする。

※15:ヒッピー(hippie)とは、(俗語の hip「進んでいる」「気の利いた」から)既存の制度・慣習・価値観を拒否して脱社会的行動を取る人々。又、その運動。長髪奇抜な服装が特徴。1960年代後半、アメリカの若者の間に生れ、世界に広がる。「愛と平和」を標語とした。

※16:テルミン協奏曲(―きょうそうきょく)は、キプロス生まれでアメリカに帰化した現代作曲家アニス・フレイハン(Anis Fuleihan、1901〜1976)が作曲。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『西洋音楽史 印象派以後』(柴田南雄著、音楽之友社)。

△2:『ドビュッシー』(平島正郎著、音楽之友社)。

△3:『音楽大事典』(平凡社編・発行)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):音階や調性や和音について▼
資料−音楽学の用語集(Glossary of Musicology)
参照ページ(Reference-Page):ロシア暦について▼
資料−「太陽・月と暦」早解り(Quick guide to 'Sun, Moon, and CALENDAR')
新指揮者就任披露演目の重要さやワーグナーについて▼
大植英次と大阪フィルハーモニー交響楽団
(Oue and Osaka Philharmonic Orchestra)

ドビュッシーの反ワーグナー転向について▼
ドビュッシー「ベルガマスク組曲」(Suite Bergamasque, Debussy)
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温故知新について(Discover something new in the past)
キリスト教に於ける処女受胎は性教徒革命であるという珍理論▼
一卵性双子、又は玉子焼きの研究(About identical twins or omelet)
ラマ教寺院内部のサイケデリックな装飾▼
2001年・紅葉の中甸(Red leaves of Zhongdian, China, 2001)
「聴く側の中庸」の大切さ▼
ベートーヴェン「交響曲第9番「合唱付き」」(Symphony No.9, Beethoven)
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「モダニズムの音楽」について▼
(ワーグナーの半音階的進行にも言及)
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