−− 2002.11.27 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2003.09.02 改訂
■はじめに − アシュケナージのニュースを知って
私は蕎麦屋の新聞で「ロシア出身のウラディーミル・アシュケナージが2004年度からNHK交響楽団(略称:N響)の音楽監督に就任が決まった」というニュースを読んで(確か11月20日頃)、驚きを禁じ得ませんでした。それは先ず大物であること、そして現在チェコフィルの音楽監督(1998以降)をして居るアシュケナージが、まさか腰を落ち着けて日本に来るということを全く予測して無かったからです。
私は昔からチェコフィルの音が好きで、まあ何故好きかと言うと、世界の一流と言われるオーケストラはやはり「固有の響き」を持っていて、チェコフィルは非常にウェットで繊細な音なのです。解り易く言えば”しっとりしなやか”な訳です。例えばニューヨークフィルやベルリンフィルなどは乾いた音であり、ウィーンフィルやチェコフィルはしっとり濡れて居て、私は後者の音がどちらかと言えば好きなのです。ですから昔からチェコフィルの演奏したレコード盤(CD以前、今ではアナログと言う)を何枚も持って居ました。チェコフィルと言うと直ぐスメタナやドボルザークと為りますが、私はモーツァルトを良く聴いて居ました。モーツァルトは濡れて居ないとダメですね。
尚、このページは「個人的見解」のコーナーの最初のページです。今、同時並行的に5〜6つの原稿を書き進めて居ますので年内には少し格好が付くと思って居ます。しかし、この当サイトは格好では無く「内容」で勝負することを心懸けて居ますよ!
■<ピアニスト>アシュケナージへの思い入れ
アシュケナージもそういう繊細な情感を表現するのが巧いピアニストだった(皆さん、アシュケナージは若い頃はバリバリのピアニストだったのですよ!)ので相性が合ったのでしょうか、又チェコ人もロシア人も共にスラヴ系ですから、チェコフィルの音楽監督に就任以来非常に素晴らしい演奏を繰り広げ、又、何れのCDも名演です。私はそんなアシュケナージとチェコフィルとのコンビを、嘗てのジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団、ゲオルグ・ショルティとシカゴ交響楽団の様な関係と無意識の裡にも比較し乍ら聴いて居ました。ですからアシュケナージが2003年度でチェコフィルの音楽監督を辞める訳で、一方では残念な複雑な気持ちです。
アシュケナージがどういう経歴の持ち主か、N響がどういう楽団か、ということについては私なりの意見は有りますが、ここでは省き下の「参考資料」に概略を紹介して置きます。そういう情報はこのネットで検索すれば出て来るでしょう。唯、私が今このニュースに”或る感慨”を覚えているので、その事を述べたいと思います。
先程も言った様にアシュケナージは元々ピアニストだったということ、そして先程は言わなかったのですが、アシュケナージと私はほぼ同世代だということです。私はショパン・コンクールやチャイコフスキー・コンクールで鮮烈なデビューを飾った若きピアニストとしてのアシュケナージに、将来必ずやピアノ界の巨匠に成るという直感を持って聴いて居たものです。そして彼の演奏は私の勝手な期待に充分答えて呉れるものでした。
あの頃はスビャストラフ・リヒテル(※1) −やはりロシアの名ピアニスト− が居て、特に彼のベートーヴェンには心酔して居ましたし、今聴いても良い演奏だと思います。しかしリヒテルはその頃既に巨匠で、私と年齢は祖父と孫位も離れて居たので、例えばやはり同世代のビートルズに感じた様な、血の躍る様なリアルタイムな興奮はリヒテルからは得られませんでした。そんな時に登場して来たアシュケナージが、若いのに繊細でしっとり落ち着いた演奏をするのに驚嘆し、このピアニストが巨匠へと成長して行く過程をリアルタイムに見詰めて行くことにスリルを感じて居ました。
アシュケナージがデビューした頃は続々と有望なピアニストが出て来た時期で、名前を挙げると、マルタ・アルゲリッチ、ダニエル・バレンボイム、クリストフ・エッシェンバッハ、そしてマウリツィオ・ポリーニです。何れも今現在の巨匠(マエストロ)です。そういう言わば明日を担う若手が塊を成して輩出して来た時期で、これだけ錚々たるメンバーが一時に出て来たのはそれ以来有りません。彼等は一様に何かを予感させるものを、言わばオーラの様なものをデビューした時から持って居ました。ですから私は彼等に、同世代として同じ高さの視点から彼等の成長を見届けて行ける、彼等は何れも明日を担う巨匠に成るという予感に興奮して居たのでした。
余談ですがショパン・コンクールでアシュケナージを1位にしなかった当時のワルシャワの体制と、翌年そのワルシャワ体制を蹴散らして1位をもぎ取った南米出身のマルタ・アルゲリッチの話は非常に鮮烈な印象で脳裡に焼き付いて居ます。彼女のことを書く機会もその内有るでしょう。
そして今、あれからほぼ30年経った今日、感慨も又一入(ひとしお)です。彼等の内、バレンボイム、エッシェンバッハ、そしてアシュケナージは指揮者に転向し、しかも指揮者として今日揺るぎ無い地位を築いて居ます。私は彼等の少し後ろを歩んで来た同世代の者として、解り易く言うとビートルズ世代が何時迄経ってもビートルズの音楽に言い知れぬ郷愁を感じるのと同じ、或る種の懐かしさ、同じ波長の共鳴感を感じるのです。ですから、最初に書いた私の驚きは、「えっ、ポール・マッカートニーが日本に腰を落ち着けて来るの?」と同じなのです。
■N響の方向性と一流への道
さて、N響は発足から今迄ほぼ一貫してドイツ風に成長して来て、私は特にヴォルフガング・サヴァリッシュの功績が大きいと思って居ますが、今現在フランス人のシャルル・ドュトワを音楽監督(1996年以降常任、98年以降音楽監督)にフランス風のおしゃれな味をブレンドして、これからどういう方向に向かうのかと思っていた所へロシア人のアシュケナージですから、そういう意味でも驚きました。日本のオーケストラはヨーロッパの様にオペラハウスに基盤を置いたオーケストラとは当然スタイルは異なるのですが、先程も述べた様に真に一流に成る為には「固有の響き」を創って行くことが必要です。その「固有の響き」こそが名門としてのブランドの中身なのです。
N響がどういう意図でアシュケナージを招聘したかという所は、未だはっきりとは見えて来ませんが、何れにしろN響自体がもう一つ上に飛躍しようとして居ることは確かです。特にロシアはストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、スクリャービン等の近現代の作曲家を多数輩出して居ますから、そういう近現代の作曲家や旧ソ連体制下で埋もれて居た曲などをどんどん紹介して欲しいものです。そういう点では今のデュトワはフランスの近現代モノを可なり積極的に紹介し、N響のレパートリーに新しい1ページを加えたと思います。
そういう色々な要素の「隠し味」が加わって初めて深みの有る響きが出来上がって行くのだと思います。と同時にN響の十八番(おはこ)に成る、これだけは何処にも負けないというレパートリーも確立して貰いたいと思うのです。
■結び − 楽しみなアシュケナージの音創り
今のN響の実力についての私の感想を言わして貰えば、一企業の会社名を出して恐縮ですが、まあトヨタですね。日本を代表する優良企業でサービスも行き届いて世界的に売れて居ますが、トヨタ車は決してベンツの様な真のブランドではありません。ま、これには日本人の舶来好み、自国のものを何処か卑下する様な風潮も影響して居ますが。
N響も非常に巧い優秀なオーケストラですが、聴衆を弥が上にも納得させて仕舞う様なカリスマ性には欠けて居ます。名門オーケストラが頂点に達した時は、オーケストラは必ず神憑っている様な所が有りました。フルトヴェングラー/カラヤンのベルリン、ジョージ・セルのクリーヴランド、ショルティのシカゴ、ベームのウィーンなどです。そういうオーラが又、聴衆をも神憑らせ陶酔させて仕舞うのです。”ベンツに有ってトヨタに無い何か”と言って良いでしょう。
オーケストラの世界でも舶来好みは歴然として在るのは事実ですが、N響も舶来好みの聴衆の眼を覚ます位に成長して欲しいですね。そろそろ「固有の響き」、即ち「N響の個性」で勝負する段階に来ている様に思えますし、その潜在能力は充分有ると思っているからです。そういった時期にアシュケナージが2004年からどういう音創りをして行くかは見モノ、いや聴きモノですよ。今から楽しみです。
ところで、好い音素材(MIDI)が見付かったのでショパンの『幻想即興曲』をBGMにしました。えっ、アシュケナージが弾いて居るのかって?、さあどうでしょう、ムッフッフ!{音素材とこの記事は03年9月2日に追加}
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◆◆◆参考資料 − アシュケナージの略歴とN響の歴史
(1)ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy)の略歴
1937年:7月6日ロシア(旧ソ連)のゴーリキーに生まれる
1955年:モスクワ音楽院入学(60年卒業)
// 年:ショパン国際ピアノ・コンクール第2位
1956年:エリーザベト王妃国際音楽コンクールに優勝
1962年:チャイコフスキー国際コンクールに優勝
1963年:ロンドンに移住
1968年:レイキャビク(アイスランド、奥さんの故国)に定住、今日に至る
(72年アイスランド国籍を取得、74年旧ソ連国籍離脱)
1970年:指揮活動開始。
81年:フィルハーモニア管弦楽団(首席客演指揮者)
87年:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(音楽監督)
87年:クリーヴランド管弦楽団(首席客演指揮者)
89年:ベルリン・ドイツ交響楽団(首席指揮者・音楽監督)
98年:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(首席指揮者)
2000年:10月N響定期公演に初登場
(2)N響の歴史と沿革、主な歴代指揮者
1926年:新交響楽団として発足(日本初のプロ・オーケストラ)
指揮者:近衛秀麿(1926〜35)
1936年:日本放送協会(NHK)と放送契約を結ぶ
指揮者:ジョセフ・ローゼンストック(1936〜57)
1942年:日本交響楽団と改称
指揮者:山田一雄(1942〜51)
尾高尚忠(1942〜51)
1951年:NHK交響楽団(略称N響)と改称し、現在に至る
指揮者:クルト・ウェス(1951〜54)
ヴィルヘルム・シュヒター(1959〜62)
ロヴロ・フォン・マタチッチ(1967〜85)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(1967〜)
岩城 宏之(1969〜)
オットマール・スウィトナー(1973〜)
ホルスト・シュタイン(1975〜)
外山 雄三(1979〜)
森 正(1979〜87)
ヘルベルト・ブロムシュテット(1986〜)
若杉 弘(1995〜)
シャルル・デュトワ(1996〜)
etc
【脚注】
※1:スビャストラフ・リヒテル(Svyatoslav Rikhter)は、ロシアのピアニスト(1915〜1997)。ウクライナ生れ。1960年以後欧米でも活動し著名に成った。
●関連リンク
大フィルの話題▼
大植英次と大阪フィルハーモニー交響楽団
(Oue and Osaka Philharmonic Orchestra)
ベートーヴェンについて▼
ベートーヴェンの合唱幻想曲と第九
(Chorus Fantasy and Symphony No.9, Beethoven)