日本の城と藩

忍藩 天正18年(1590)の徳川家康関東入国に際し、家康の4男松平(忠吉)忠吉が1万石で入り成立。

松平(深溝)→松平(東条)→松平(長沢・大河内)→阿部→松平(奥平)

松平(東条)家
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 東条忠吉 ただよし 天正18年(1590)〜慶長5年(1600) 徳川家康の四男 10万石
                                                                          尾張清州へ
松平(深溝)家 忍城の修復を兼ね城預かり
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 深溝家忠 いえただ 天正18年(1590)〜文禄1年(1592) 深溝伊忠の長男 1万石
                                                                         下総小見川へ
≪天領≫

松平(長沢・大河内)家 相模の内から
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 長沢・大河内信綱 のぶつな 寛永10年(1633)〜寛永16年(1639) 大河内久綱の長男 3万石
                                                                          武蔵川越へ
阿部家 下野壬生より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 阿部忠秋 ただあき 寛永16年(1639)〜寛文11年(1671) 武蔵岩槻藩主阿部正次の弟阿部忠吉の二男 10万石
二代 阿部正能 まさよし 寛文11年(1671)〜延宝5年(1677) 阿部正澄の長男
三代 阿部正武 まさたけ 延宝5年(1677)〜宝永1年(1704) 阿部正能の長男
四代 阿部正喬 まさたか 宝永1年(1704)〜寛延1年(1748) 阿部正武の長男
五代 阿部正允 まさちか 寛延1年(1748)〜安永9年(1780) 阿部正喬の弟阿部正晴の長男
六代 阿部正敏 まさとし 安永9年(1780)〜天明7年(1787) 阿部正喬の五男
七代 阿部正識 まさつね 天明7年(1787)〜寛政8年(1796) 阿部正敏の長男
八代 阿部正由 まさよし 寛政8年(1796)〜文化5年(1808) 紀伊和歌山藩主徳川宗将の十一男
九代 阿部正権 まさのり 文化5年(1808)〜文政6年(1823) 阿部正由の二男
                                                                          陸奥白河へ
松平(奥平)家 伊勢桑名より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 奥平忠堯 ただたか 文政6年(1823)〜天保9年(1838) 伊勢桑名藩主奥平忠翼の長男 10万石
二代 奥平忠彦 たださと 天保9年(1838)〜天保12年(1841) 奥平忠翼の三男
三代 奥平忠国 ただくに 天保12年(1841)〜文久3年(1863) 奥平忠翼の五男
四代 奥平忠誠 ただざね 文久3年(1863)〜明治2年(1869) 下野烏山藩主大久保忠保の弟忠声の子
五代 奥平忠敬 ただのり 明治2年(1869)〜明治4年(1871) 出羽米沢藩主上杉斉憲の六男

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