日本の城と藩

館林藩

  
館林藩は、天正18年(1590)に徳川家康が関東入国に際し、譜代の重臣榊原康政が10万石で入り成立した。
五代将軍綱吉が将軍になる前に藩主を務めた藩でもある。

榊原家→松平家(大給)→徳川家→松平家(越智)→太田家→松平家(越智)→井上家→秋元家

榊原家
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 榊原康政 やすまさ 慶長5年(1600)〜慶長11年(1606) 榊原長政の二男 10万石
二代 榊原康勝 やすかつ 慶長11年(1606)〜元和1年(1616) 榊原康政の三男
三代 榊原忠次 ただつぐ 元和1年(1616)〜寛永20年(1643) 榊原康勝の甥
                                                           陸奥白河へ

松平(大給)家 遠江浜松より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 大給乗寿 のりなが 正保1年(1644)〜承応3年(1654) 大給家乗の長男 6万石
二代 大給乗久 のりひさ 承応3年(1654)〜寛文1年(1661) 大給乗寿の長男
                                                           下総佐倉へ

徳川家 新知
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 徳川綱吉 つなよし 寛文1年(1661)〜延宝8年(1680) 徳川家光の五男:五代将軍 25万石
二代 徳川徳松 とくまつ 延宝8年(1680)〜天和3年(1683) 徳川綱吉の長男
                                                     無嗣断絶

天領

松平(越智)家 新知
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 越智清武 きよたけ 宝永4年(1707)〜享保9年(1724) 甲府宰相徳川綱豊の二男 5万4千石
二代 越智武雅 たけまさ 享保9年(1724)〜享保13年(1728) 美濃高須藩松平(尾張)義行の二男
三代 越智武元 たけちか 享保13年(1728)〜享保13年(1728) 常陸府中藩主松平(水戸)頼明の二男
                                                           陸奥棚倉へ

太田家 陸奥棚倉より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 太田資晴 すけはる 享保13年(1728)〜享保19年(1734) 太田資直の長男
二代 太田資俊 すけとし 元文5年(1740)〜延享3年(1746) 太田資晴の長男
                                                           遠江掛川へ

松平(越智)家 陸奥棚倉より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 越智武元 たけちか 延享3年(1746)〜安永8年(1779) 常陸府中藩主松平(水戸)頼明の二男 5万4千石
二代 越智武寛 たけひろ 安永8年(1779)〜天明4年(1784) 越智武元の四男
三代 越智斉厚 なりあつ 天明4年(1784)〜天保7年(1836) 越智武寛の長男
                                                           石見浜田へ

井上家 陸奥棚倉より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 井上正春 まさはる 天保7年(1836)〜弘化2年(1845) 井上正甫の長男 6万石
                                                           遠江浜松へ

秋元家 出羽山形より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 秋元志朝 ゆきとも 弘化2年(1845)〜元治1年(1864) 周防徳山藩主毛利広鎮の八男 6万石
二代 秋元礼朝 ひろとも 元治1年(1864)〜明治4年(1871) 遠江掛川藩主太田資始の五男

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