HALF AND HALF JOURNAL
無 意味 な 破 片 無意味な破片
Fragments
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★〈悪い風〉はスタンダードだが、現実には吹いてもらいたくないな[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated 2007.4.29
ナモネ氏―そうだな。〈ネコヤナギ〉というサイトを見たら、約200万人がシリアとヨルダンに逃げて、約200万人が国内をさ迷ってるそうだ。 特派員―国連難民高等委員事務所(Haut commissariat de l'ONU pour les réfugiés HCR)の報告によれば、宗派間の争いで毎月5万人が家から根こそぎに引き抜かれてる〔1〕。 ジャズ・トリオ アロマ―日本のマス・メディアは冷淡ね。 ナモネ氏―避難民に対して歴史的に鈍感なのだ、歴史的に。中国人がよく知ってる。沖縄の人たちも嫌というほど体験してる。 特派員―国連のバン(Ban
Ki-moon)事務局長もそうでしょう、1950年から3年続いた朝鮮戦争で。国連のニュース・センターによれば、バン事務局長は〈無知な市民の非人道的な大量殺人のエスカレートに向かって強い憤りを表明した。〉 ナモネ氏―今や日常茶飯事のカミカゼだなあ。 アロマ―せめて市場を攻撃するのは、やめてほしい。最近はスーパー・マーケットで何となく不安になるときがある。 ☆ ナモネ氏―ううむ。カレンダーが2007年になってから、1回の自爆テロの犠牲者が増えてるな、と思ってたが… 特派員―バグダッドで18日と19日起きた連続自爆テロは、凄惨ですね。国連事務局の報告によれば、市民約500人が生肉を引き裂かれて死んだ。それで、バン事務局長が〈イラク国民との連帯を表明して、あらゆる共同体に呼びかけて最大限の自制を示すように求めた〉わけです〔3〕。ちょうどジュネーブでは国際連合が世界各国の力を結集するための協議会を開いていた〔1〕。 ナモネ氏―イラクの内戦はいよいよ深刻だな。韓国人のバン事務局長はそれが見せしめだと知ってる人だが、妙案はないものかなあ? 特派員―見せしめというのは、要するに、作られた劇場ですね。他の面から見れば、避難民が増大すればするほど政府は窮地に追いつめられる。政府もあとを追って逃げなければいけなくなる。アメリカもそうです。 ナモネ氏―よく言ってくれた。ブッシュ(G.W.Bush)政権に対する風当たりが強まってるが、国際テロ組織の作戦にはめられるようなもんだ。私はむしろシーア派とイラン政府を非難する。だが、妨害されているのか、そういう声はほとんど届いてこない。 アロマ―妙案は、攻撃欲を麻痺させる薬を発明することよ。 ナモネ氏―日本がそうならないためにはどうすればいいか、考える時期だと思うよ。いくら野菜の苗を買っても、根こそぎだ。 特派員―今日の会話はとても有意義でした。しかし、編集長と半分半分放送局長は仕事に夢中なふりをして、関心を示そうとしませんでした。70年コンビは本当に頼りになるのでしょうか? ☆ ☆ ☆ A Ill Wind; Les
Brown & His orchestra 1
GENEVE (AFP) 17 Avril 2007 7h39 Radio France 2
CRI
2007-04-18 16:50:55 UNHCR イラク難民支援国際会議開催 3 CENTRE DE NOUVELLES ONU 2007.4.19 Ban Ki-moon exprime son indignation face aux
carnages perpétrés à Bagdad |
★〈フランチェスカ〉の清らかさは御茶ノ水に似合うかもしれない[A]。 ☆
☆ ☆ Updated 2007.4.16
編集長―そういう背景を置いてみても、否定的な出来事しか想い出せない。ぼくが気になるのは、顔を知らない関係者と会ったことがない関係者だね。それはあとで考えてみるのも悪くないな。 放送局長―ああ、そうしよう。あのころ〈色が白い〉とよく言われてたよ、な? 編集長―江戸っ子だと宣伝したら、東京の愉快な連中と遊び仲間になったね。 放送局長―キャンパスで一番陽気な集団だった。 明治屋の〈ベスト・スリー〉 アロマ―亡命ロシア人って、ロシア革命のとき逃げてきたロシア人? 編集長―そうだ。 ☆ 放送局長―ハセはドストエフスキーの《悪霊》を読んで、70年前後の大学紛争を〈今は悪霊の時代だ〉と定義して共感を巻き起こした〔1〕。金沢出身のマスターは警戒心が強かったが、何をおもしろがったんだろうか? 編集長―さあ、ね。ロシア料理店はニコライ聖堂から遠くないが、彼は大館も曲田のハリストス聖堂も知らなかったと思う。大館と函館を聞き間違ったかもしれないな。ぼくがロシア的な雰囲気を感じさせたとすれば、それはあとで客観的に見直すようになる問題だ。といっても、大館の風土が中心だった。 放送局長―しかし、アイヌという言葉にロシア風のメロディを響かせてるな、と皮肉を言いたかったよ。《夜の風景》を読んだときだ。 編集長―前にも言ったけれど、北海道は大陸経営の原型だった。 放送局長―小坂町の康楽館と鉱山事務所の話も書いてくれていたら、もう少し人間を理解できたと思うが? 編集長―あの歴史的な建物を見たのは、80年代になってからなんだ。 特派員―北秋田地方の風土には、秘密のざわめきが多い。 放送局長―そうか…ハセとは喫茶店でミーティングを開いたり飲み歩いたりしたものだが、あのロシア料理店は名前すら聞いたことがなかった。ところが、5年ほどたって神田の喫茶店を2軒回ったあと、どこへ行くか、という話になった。そのとき、ハセが〈赤いサラファン〉を想い出したように口に出したので、真っ暗な裏通りに目をやった。〈山の上ホテル〉の横の通り。しかし、看板は見えなかった。 編集長―そうだったな。駅に近い方の狭い通りで、赤い看板だったように思う。他のロシア料理店にはボルシチやピクルスを食べるためにときどき行く習慣があったけれど、〈赤いサラファン〉にはなぜか行かなかった。 放送局長―おれは《東京ローズ》を読みながら、あの日のことを考えていたね。ゼロ・アワーは1943年3月スタートしたが、12月にNHKから文化学院に移って本格的に心理戦の放送を始めた。文化学院というのは〈山の上ホテル〉の隣りにあって、当時は自由主義教育という理由で閉鎖されていた大学だ。 特派員―二人で即興のドラマを作ってるとは、思いませんでしたね。 アロマ―もっと、もっとおもしろいドラマにして! ☆
☆ ☆ □ V字型の階段の記憶 8 A Francesca ; Stan Kenton & His
Orchestra 1 Fyodor M.
Dostoevskii 19世紀後半の世界的な小説家。 東京ローズに関するNHKの裏面について |
★スタン・ケントンの〈冷ややかな目〉はいつまでもフレッシュ[A]。 ☆
☆ ☆ Updated 2007.4.6 アロマ―世紀末からの長い不安が一枚の画面を構成したっていうのは、何なのかな? 放送局長―不安がカメラのシャッター・ボタンを押した、ということだよ。 アロマ―普段はヴィデオ撮影みたいなもんね? 編集長―そう言ってもいいな。アロマの目に映る周囲の映像は、一瞬一瞬変化している。それは時間の中にある映像だから、別に考えなくても習慣的に、窓は窓、カーテンはカーテンだと分かっている。何かするとき、アロマが迷うようなことはどこにもない。しかし、時間から切り離されたように見えるときがある。一枚の写真というのは、もう時間の中にない。歴史を失った世界だ。目に映る事物を成立させた社会の歴史、その中で暮らした生活の記憶、それが突然消えたのだ。哲学者は、それで、自分が住んでいる見なれた世界の事物の配置を再確認しなければならなかったのだと思うね。 放送局長―おれなら、そこで一言、〈意味が分からない!〉と言うだろうな。 編集長―そう、ハイデッガー(Martin Heidegger)は、不安の中では環境世界の事物は無意義性に沈む、と言っている〔1〕。恐怖は、それの内容が理解できる。原子力発電所の事故という指示記号を見れば、その地域に住む人たちは生存の不可能な絶滅という指示内容として受け取る。指示内容はメッセージあるいは意味と言い換えてもいいが、状況が違えば、それも変わる。ところが、不安の中にあると、事物の指示記号は、テーブルなどの有意義連関から孤立して、何か意味ありげに見えるが、その内容は空虚なんだ。それは、たとえば、絵描きが信号の青を見て、青い色のニュアンスをじっと考えるような場面に似てる。 ☆ 放送局長―場合によっては、存在に対する疑惑だろうな。それが言葉に反映すると、単語が理路整然と並ぼうとしないんじゃないか?新村出が言葉の定義に情熱を傾けたのは、父親の事故死で激しい不安に落ちこんだからだろう。 アロマ―今日のテーマは、日本社会の実態についてでした。 編集長―うむ、テロにはそういう残酷さがある、な。 特派員―ぼくは《東京ローズ》を想い出しましたね〔2〕。有名なゼロ・アワーについて書いた本だけど、それによれば、陸軍参謀本部第2部諜報謀略戦の海外放送がムール(鋳型)で、NHKの中に開設された。開戦1か月前に恒石重嗣少佐が満州から内地に帰って心理戦放送を指揮したが、この軍人はあきれたことにセックス中心の写真雑誌〈フロント〉の発行もやった… 編集長―満州帰りが、ね。 放送局長―ドウス昌代というチャーミングな女性が、ゼロ・アワーの秘密を70年代に暴いたときは、ショックを受けたよ。おれも、暗い不安の渦の中に落ち込んだときがあるんだ… アロマ―あたしが言ってあげる。つまり、恐怖と不安の中では自分の肉体が意識の背景から前の方に出てくる。病気になったときのように、ね。 編集長―そうだ。それが20世紀の特徴だ。工業の発展で環境が悪くなると、身体と健康について悩まないわけにはいかなくなったのだ。哲学も例外じゃない。頭だけで世界を考えていたから、環境世界の中に自分の身体があるという事実は想い出したことがなかった。 放送局長―悪い意味で客観的に考えたということだな。カメラのように日常生活を見ていた。 特派員―肉体が背景から前に出てきたというアロマの意見は、ベルグソンの回想に似ていないか、な?テーブルの前に自分が立っていることを最後に意識した。プレヴェールの《朝の食事》でも女が最後に〈私は〉と言う。男と別れたあとに初めて主語を取り戻して、〈Et j’ai pleuré
そして、私は泣いた〉 編集長―背景を問題にするのは、絵描きにとっても非常にいいことだよ。 ☆
☆ ☆ □ ある哲学者の回想 後編
前編 A Cool Eyes; Stan
Kenton & His orchestra 1 存在と時間 1927年出版 2 Masayo Dous 文芸春秋社 1977年出版 |
カセット・ラジオとCDプレイヤー |
☆〈茶色の小瓶〉はグレン・ミラーの飛行機が消えたあとラジオから流れた[A]。 ☆
☆ ☆
Updated 2007.4.1 編集長―ベルグソン(Henri Bergson)は第1次世界大戦が起きた1914年8月4日〈ドイツ、フランスに宣戦布告する〉という新聞〈ル・マタン〉の見出しを読んだ。そのときの回想は、哲学者の言葉なので、何かの参考になると思う。 特派員―戦争が始まった日なんて経験したくないけど、どんな回想ですか? 編集長―彼は突然目に見えないものの現前(présence)を感じた。それは〈過去全体が準備して予告していたもので、後にある物体が投射している影のような形を取った。〉幻覚とは言っていないが、その影は伝説の人物が本から抜け出て静かに椅子に腰を下ろしたように見えた。そして、哲学者は少年時代から戦争が切迫しているという意識を友だちと共有していたが、その不安な43年がめざしていたのは、何か?〈家具のある小室、テーブルの上に広げられた新聞、テーブルの前に直立した私、まざまざと現前している出来事…こうした画面を構成することだった。〉そして、彼は抽象的な恐れが容易に具体的なものに移行したことに感嘆した、というのだ。 半分半分放送局長―《道徳と宗教の二源泉》だったな〔1〕。偶然について考察した中でそんなことを書いていた。確かに、不意に激しいショックを受けると、ありふれたせりふだが、時間が止まったような感じがするよ。目に映るのは、ただ一枚の写真なんだ。いつまでも変化しない。 特派員―トラウマの映画的な説明ですね、それは。伝説の人物のような存在が現前したとは、どう考えればいいんでしょうか? 編集長―長木川の源流に巨大ダムを建設する計画があったね…あれが政府に承認されたとき、ぼくはまるで白鳥広場にでもコンクリートの馬鹿でかい壁が立つような恐怖を感じて、それを怪獣の出現にたとえた。 特派員―なるほど、そうだった。怪獣と呼びたい気持は、多くの市民に潜在していましたね。あんな知覚は、ちょっと他に想い出せない。ダムと政治権力集団が無気味な怪獣に化けて襲いかかってきたという感じでした。 アロマ―人はそういうプロセスを無意識に表現するのよ。 放送局長―おお、うまい言い方だ。哲学者は伝説の人物にたとえたが、政治権力の幻影だったかもしれない、なあ。 編集長―記憶の外化だろうな。忘れていた映像(イメージ)が視覚領域に投影されるんだ。そういうイメージは想像力の働きだが、現象の全体をとらえて理解しやすいものにする。 ☆
☆ ☆
□ ある哲学者の回想 前編 後編 A Little brown
jug; Glenn Miller Big Band 1 1932年出版。昭和28年に出た岩波文庫の日本語訳では〈現前→現存〉 ▼ EN PASSANT ; 森の木から銅像へ/知性の映画仕掛け/空間の着こなし |
有栖川宮通り |
★〈君が微笑むとき〉を聞きたいが、どこで見つければいいのか[A]? ☆
☆ ☆
Updated 2007.3.27
特派員―ええ、しかし、著作権保護法では〈権利の目的とならない著作物〉に入りますね。憲法その他の法令、国と地方公共団体の機関と独立行政法人などの公文書、裁判所の判決文などの公文書。それらは著作権を保護されない。 ナモネ氏―社会的影響が大きいと認めたマス・メディアなんだから、適当に要約した判決文しか読ませないのは、おかしい。国民の正しい判断を助ける意思がないと言いたい。 特派員―その通りですね、はい。裁判官の考え方を知るというのは、大事なことです。国民が参加する裁判員制度が正常に機能するためにも。 アトリエに忍びこむ光線 特派員―それが、よく分からないけど、一般国民やHHJのようなミニ・ジャーナリズムと違って、たぶん許可されていると思う。 ナモネ氏―大館市議会と同じだろう。録音と撮影は許可をえなければ禁止だが、関係者から聞いた話では議長は絶対に許可を出さないっていうことだ。理由も何もない。 特派員―有名なブラック・ユーモアで、あの編集長が市議会の閉鎖性をぶち破った。今はいくらか変化して、市庁舎のロビーなどに生中継したり、大館ケーブルテレビが市議会ニュースを放送するようになった。 ☆ 編集長―2月のいつだったか、忘れたが、あそこの製作チームの一人高瀬聖吾がCATVの宣伝に来て、HHJを知らないというのだ。アミダクジ・モードだと直感して、例の著作権問題に話を向けたよ。 特派員―ニュース番組のタイトル〈Oh!date(おおだて)〉のことですね。 編集長―そう。同じメッセージが含まれてるが、〈ODATE(零の日付)〉の複製盗用ではないということにした。読み方を添えてあるのと、それがたとえ模倣でも地域文化の発展につながる可能性があればいい、というのが結論だ。 半分半分放送局長―あの種の流行は、一般的に作者の思想に対する共感だよ。もちろん悪意の汚い色に染まっていなければ、だ。 ナモネ氏―中村政人という大館出身の美術家らが作った団体〈O/DATE(ゼロダテ)〉なんか、ひどいもんだ〔1〕。廃業したデパートの看板を屋上から取り外して2月神田のギャラリーに晒したが、誰が見たって、首切りのメッセージだが、な。 編集長―ケーブルテレビの社員も、あれはどう思うか、と聞いたけれど、ね、斜めの切れ込みは国際テロとの戦争の状況から見ても、ノイローゼ人間の神経を痛めつける記号になる。控えめに言っても、日常的でない連想で意識を混乱させる。それ以外の目的も一片の思想もありえないな。 ナモネ氏―あれは韓国の大学で学んだ。作品よりもその経歴の方が考えさせる。 ☆
特派員―編集長が言った〈文化の発展〉というキー・ワードは、著作権法の目的に出てくる。文化の発展という一言を忘れたら、著作者などの権利の保護は何のためなのか、混乱が広がるばかりですよ。 アロマ―音楽ファンには、自由を縛りつける鎖。 放送局長―アロマと一緒に声を上げる若者は多いよ。インターネットで個人的に音楽を流すのはもちろん、さりげないBGMでさえ法に触れるんだから。 アロマ―細かい区別をつけるという優しさがない。 編集長―営利目的でなければ、私生活と文化活動では音楽の利用は自由であるべきだと思うね。芸術作品は文化に高まらなければ、ほとんど無意味だ。権利の保護に関して日本は先進国の中でも非常に進んでると自慢した浅はかな人がいたけれど、これは裏返せば、民主主義を半殺しにする奇怪な歌が聞こえるレコードなんだ…〈個人の存在を尊重したくない、表現の自由を認めたくない。〉 アロマ―〈幸福追求権を消してしまえ。〉 特派員―〈違法なことをやらせて、あとで罪悪感を裁こう。〉 放送局長―〈文化が何だ、資本家と右翼が大損だ。音楽はもう禁止だ。〉…ところで、インターネット時代に対応した新しい著作権法は、相変わらず怪獣だ。市民社会の主体性は芸術文化が生きる環境なんだよ、君。 ☆ ☆ ☆
■ 表現する者の権利の問題…a A When you’re smiling; Benny Goodman
& His Orchestra 1 北鹿新聞 2006.12.29 |
★〈世界は日の出を待っている〉は縄文時代の人々の気持かな[A]。 ☆ ☆ ☆
Updated 2007.3.15 ナモネ氏―リヴァー・ユートピアは北秋田地方にオゾン測定局の設置を設置するよう秋田県に要望していたが、今年も無視されてしまったな。 大日堂舞楽の一場面 2000.1.2 ナモネ氏―平成18年版の環境白書を読むと、小坂町と北秋田市には依然として大気汚染の測定局がひとつもない。製錬所と空港のある地域がチェックの空白地帯だとは、恐れ入ったことだよ。
特派員―ジャーナリズムが、だ。 編集長―何だ、3人そろってサイレント・ムーヴィか? アロマ―あたしがかわいい土偶の写真をアップロードした翌日、7日の夜、北秋田地方に震度4の地震が発生したの。 編集長―そうか…巨大ダムは地震を引き起こすと言われてるが、しかし、それは、嫌な偶然だな。あの遮光器式土偶は、重要文化財に指定される価値があると言ってるんだよ、きっと。 ☆ 特派員―ショッキングなのは、日本の議会と行政ですよ。秋田県は2月定例議会で政務調査費交付条例を改正した。収支報告書に領収書を添付するのは当たり前だと思うけれど、1件5万円以上にかぎり義務づけるそうです。 ナモネ氏―大館市は、全部領収書を付けることになってる。岩手県も、社会的な常識を尊重してる、まれな自治体だ。 特派員―秋田県はひどい。インターネットで〈美の国あきた〉にアクセスして条例を読んでみると、政務調査費は会派に所属していない議員で月額6万円支給される。使途は、どこに書いてあるのか、なかなか探し出せない。 編集長―HHJは、大館市の政務調査費支給条例についてはあれこれ批判したが、秋田県のは暇がなかった。領収書の添付を義務づけていないとは、あまりにも怪奇幻想的な民主主義物語だ。議員は報酬で活動するべきなんだ。 ナモネ氏―あれは生活費だと思ってるんだから、なあ。 特派員―公費悪用問題で攻撃したHHJから見れば、あの政務調査費なんていうのは議員の怠慢を応援する資金援助ですね。どこに流出するのか、分かったもんじゃない。 アロマ―間違いを直せば、悪は消え、社会は良くなる…そう信じた特派員が若かったのでした。 編集長―しかし、そういう楽観主義は貴重なエネルギーだ。今日の雑談はリンクがいっぱい付けられるね。ぼくは、古い《仮面について》のファイルを作るから、失礼するよ。 ☆ ☆ ☆ A The world is waiting for the sunrise;
Benny Goodman Orchestra 公費悪用の例を見る |
★今日のおしゃべりにぴったりなのは〈何か新しいことを〉[A] ☆ ☆ ☆ Updated 2007.2.26
半分半分放送局長―それもこれも経済と教育の原理で動いてるということだよ。 アロマ―相変わらず義理と人情の時代劇、やってるわけね、康楽館で。 放送局長―日本最古の洋風芝居小屋とルネサンス様式を取り入れた鉱山事務所、かわいらしいマリア園、それらが並んでる明治100年通りで映画やTVドラマを製作するのは、自然な発想だ。しかし、なぜか明治時代をテーマにした作品がない。これは、どういうことなんだ? 編集長―ぼくは明治100年通りに何の関係もないので、それは困るよ。 康楽館 2001年 放送局長―公共放送の自覚を持ってそういう作品を作れ、と要望しよう。 アロマ―そうよ。明治という新しい時代を生きた人たちを忘れてはいけない。あたしたちの明日を教えてくれる。
放送局長―図星だよ。こう言っちゃ悪いが、心が貧しい人は権力を握ると、力関係の芝居を上演したがる。貴族階級に屈折した感情を持つ。名もない人々が影で働いて支えたっていう事実は忘却の彼方さ。 鉱山事務所オープンの日 ☆ 特派員―明治100年通りと名づけたのは、単なるレトロ趣味で終わってしまいそうですね。ぼくが憂えたのは、未来的な目標がないということです。
アロマ―グッド・アイディア。歌舞伎や文楽は江戸時代の芸術文化。明治の芸術文化を再現すると、関心が高まるわよ。 放送局長―江戸の芸術文化ルネサンスは、あとで後悔したが、早稲田でおれたちが火をつけた。ハセは明治にも関心を持ってたな。自由民権運動の時代なんか、探せば、おもしろい芝居があると思うね。なければ、そういうときは新しく作ればいい。 鉱山事務所の螺旋階段2階 アロマ―イベント事業なんていうギャンブルは廃止して、ね。
編集長―NHKエンタープライズやNHKプロモーション、ああいう特殊な種類の株式会社に出資するというのはおかしいんじゃないか、な?構造の変化は目的の変化を表現する、と考えていい。 放送局長―うむ、それはあとでじっくり協議しましょう。返事も外部委託というわけですよ、みなさん。 特派員―放送プログラム以外の活動が気になりますよ、はい。 マリア園 編集長―小坂鉄道に旅客列車を復活させる運動と連携しなければいけないな。 ☆ ☆ ☆ □これからの明治100年通り ---後編 前編
A Something new;
Stan Kenton & His orchestra 小坂と花岡の強制収容所に関するルポルタージュ 会計検査院報告書の疑惑とOBの天下りについて |
★〈雨〉という曲は明るいムードだが、憂鬱な気分になるときもある[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated 2007.2.20 アロマ―アカシアの花から香水ができるんだって。資生堂が開発中なの。
編集長―あの地域はアカシアが繁殖しやすい環境なんだ。川縁ではせっせと伸びざかりの木を伐採してる。ロマンチシズムとエコ・システムの矛盾だ。 特派員―川口博町長の話では、循環型社会のモデルとしてアカシアの木からエタノールを製造するプロジェクトもあるそうですよ〔1〕。 精練所などの施設への入口 アロマ―困ったこと、ねえ。大気汚染対策はしっかりやってもらわないと、昔みたいに長木川流域の自然環境が傷つく。あれは亜硫酸ガス鉱害だったけど、今は何かなあ? 特派員―あの煙は、おそらく金属蒸気回収炉から発生する煙だね。大都市の鉱石つまり携帯電話や廃電子基板から金属を取り出すための製錬炉… 編集長―北秋田地方が推進してるエコタウン計画の柱だな。被害を受けやすいのは女と子どもたちなんだから、秋田県は独自に大気汚染計測装置を設置するべきだ。 アロマ―自然の生物や植物もそうよ。カラスの親子は街に逃げてくるのよ。 特派員―そう。長木川流域に関して言えば、深沢のごみ焼却施設も大気汚染物質の発生源になるね。大館市は生活環境課がモニターで毎日監視しているけれど、基準を越えたことはない。報告書を信用すれば〔2〕。 編集長―いずれにしても、これからは旅行者への責任というのを意識してほしいもんだな。 ☆ アロマ―小坂町を応援する人たちが増えてる。香水もそうだけど、各種の有名人が観光大使の肩書きで小坂町のために活動しようというの。 編集長―めずらしい新型の観光バスに乗りたがってるだけじゃないかな? 特派員―六本木の俳優座が何年か前に小坂町で映画を製作して、それから演劇のワークショップが開かれるようになった。でも、いつの間にか萎れてしまった。 半分半分放送局長―立派な劇場がありながら挫折したのは? 編集長―歌舞伎小屋だから、だろう。 アロマ―バックアップするシステムは整っていたわ、ね? 編集長―じゃあ、主宰する方の構想が空回りしたのかもしれない。知性と感性が違う人間を相手にするんだから、理論だけでは、ね。 アロマ―うん、そうね。自分自身も新しい環境で生きようとしなければ、失敗すると思う。アカシアの並木を眺めて、どうすればあんな風に花や蜜ができるのか、瞑想するのよ。 ☆
☆ ☆ □これからの明治100年通り ---前編 後編 A Rain; Less Brown & His orchestra 1 北鹿新聞 2007.1.6 2 地域関係者協議会 第14回定例会 2007年1月31日 報告書 ▼ オゾンは有害物質!
, オゾン測定局設置の要望書送付と県の回答 |
★〈人生はパーティだ〉って、日本で売れない曲だね[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated
2007.2.14
特派員―2月6日の対話を修正したから、見てください。
半分半分放送局長―それでも、いろんな基本的権利を払い下げるには平和を待たなければ…有栖川宮が理想主義の漸進派かどうか、判断がむずかしい。 編集長―ともあれ、有栖川宮はイギリス流の議院内閣制に関心を持っていた。大隈重信と基本的に方向は同じなんだ。ただ、それを日本の現実に適合させようとすると、さまざまな問題が発生する。 小坂鉱山事務所前と明治100年通り ナモネ氏―天皇絶対主義というが、実際は相対的な意志決定機関だ。 放送局長―天皇の知性と意志が国を左右する可能性がある。 編集長―天皇を神聖な存在とすれば、陰で操られるおそれがあるんだ。 アロマ―王様を取れば勝ちよ。 ☆ 編集長―関口隆吉は興味深い位置にいる人だ。鉄道事故の背景が明治の歴史に新たな光を当てればいいと思うね。 放送局長―最初の重大列車事故が静岡で起きたというのは、おもしろいよ。つまり、静岡市は徳川幕府を開いた家康(いえやす)以来徳川一族の本拠地だった。言うまでもないが、明治まで駿府(すんぷ)と呼ばれていた。 編集長―静岡は自由民権運動で治安が悪化したので、旧幕臣の関口隆吉が知事に任命されたということだ〔2〕。明治維新で活躍した人ではないが、印象的なエピソードがある。江戸の役人の子で、浦賀に黒船が来て鎖国を止めるように迫った当時、一人だけ開国論を唱えていた勝海舟を九段坂で襲撃した。そのとき勝海舟は、無茶な若者に才能を見出したらしく処分しなかった〔3〕。隆吉は勝海舟の下で働き、新しい世界を受け入れた。これといった政治思想は持たない実務家だな。明治になると、静岡で茶畑の開拓事業に従事した。 アロマ―何かドラマチック。 特派員―徳川派が憎む理由は見当たらないけれど、玄洋社の頭山満は復讐の機会をうかがっていたんじゃないかな?1876年(明治9)彼は不平士族が起こした萩の乱に連座して逮捕された。巧妙な作戦で鎮圧したのは山口県令(知事)関口隆吉と例の三浦悟朗中将ですよ〔3,4〕。頭山の孫統一(もとかず)の回想によれば、玄洋社の創設者たちにとって萩の乱は〈不覚痛恨の記録としていつまでも忘れがたいものであったらしい〔5〕。〉 編集長―あの乱は高知の自由民権運動の影響を受けたと言われてる。まあ、いずれにしても、明治政府に武力で訴えるというのは後ろ向きの精神だな。 放送局長―神風連の乱を起こしたのは旧佐賀藩士だが、電線の下を通るときは扇子を頭にかざしたっていう笑い話がある。佐野常民や大隈と全然違う。 ☆ ナモネ氏―現地で治安維持を指揮する者は、恨みを買いやすいだろうな。 特派員―江戸開城のときもそういう任務を受け持った人ですね。 編集長―憲法制定作業にかかわったのが、古傷を刺激したということだろう。 放送局長―憲法それ自体が徳川の恩を忘れたようなものだから、一番危ない立場だな。いくら勝海舟が後ろ盾でも。 編集長―だから、鉄道事故に見せかけたのかもしれないな。 特派員―勝海舟は、明治政府に協力したけれど、憲法については〈野蛮と文明の合いの子だよ〉と鋭い批判をしてる〔6〕。徳川は何と思ったか、資料がないので、想像するしかありませんね。 編集長―不可解な鉄道事故と死後の扱い方が証明してるよ。 アロマ―やはり4.11の鉄道テロは、原敬首相暗殺の11.4にリンクする。無意味な事実だと片づけてはいけない。 特派員―どういう意味なのか、広辞苑の編纂者新村出(しんむらいずる)が関口隆吉の子の一人なんだけれど、本人はただただ単語集めしかやらなかった〔4〕。 ナモネ氏―その点、榎本武揚(たけあき)と対照的だ。函館共和国を建設した。 編集長―明治政府と戦ったんだから、徳川派が悪く思うわけがない。 ☆
☆ ☆ □ 東京駅暗殺事件~22 A Life goes to a party; Harry James and
His orchestra 1 参考---憲法の100年(作品社)より 日本近代国家の形成;
原口清 2 歴史よもやま話 HP; 郷土史研究家 前田匡一郎 3 日本人名辞典; 平凡社 4 wikipedia 5 人ありて HP;
読売新聞 6 憲法の100年(作品社)より 海舟座談 おかしな出会いにリンク 父親の事故死の影響について |
★〈久しぶりね〉とジューンが歌う相手は、何者なんだろう?[A] ☆
☆ ☆ Updated 2007.2
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アロマ―議官とは議員のこと? 特派員―そう。分からないことが多くて、ね、しばらく前に編集長に頼まれてメンバーの名前と顔を探したけど、むだだった。佐野常民だけ。この人は佐賀藩士で、日本赤十字社の前身博愛社の創設者ですね。博愛社は西南戦争のとき政府が創設を認めなかったけれど、有栖川宮が許可した、というから元老院の性格が反映している〔1〕。 半分半分放送局長―ふうむ。明治憲法制定のプロセスで元老院がどんな仕事をしたか、確実なことだけ言ってくれないか? 小坂鉱山事務所から見た 中島橋と映画館の夜景 放送局長―1875年(明治8)4月14日、明治天皇は憲法にしたがって政治を行なう国を作るという勅令を出して、元老院と大審院が設置された。立憲政体は木戸孝允を政府に呼び戻すために彼と大久保利通と伊藤博文と板垣退助らが大阪会議で合意した条件だった。1876年(明治9)9月7日、明治天皇は憲法草案作りために海外の法律研究を元老院に命令した。議長有栖川宮熾仁(たるひと)。10月、元老院の国憲取調局は〈日本国憲案〉の第一次草案を作成した。立憲君主制だが、選挙による議会はない。1878年(明治11))第二次修正草案を議長に提出した。国民が選挙で議員を選ぶ議会の設置が定められた。有栖川宮はさらに草案の修正を命令した。1880年(明治13))第三次確定案を提出したが、これは太政官(内閣以前の政府中枢)で採択されなかった。〈日本近代国家の形成〉によれば、草案はすべて太政官が承認しなかった。公卿代表の右大臣岩倉具視らの保守派が反対した。12月大木喬任(たかとう)が議長に就任した。翌年3月国憲取調局が閉鎖された。同じ月にイギリス流の議院内閣制を取り入れた大隈重信の国会開設意見書が有栖川宮左大臣に提出された。しかし、これは明治14年の政変で大隈重信が敗北して幕を閉じた。1882年(明治15)佐野常民が元老院議長に就任した。明治天皇は伊藤博文参議にヨーロッパでの憲法調査を命令した。1885年(明治18)太政官に代わり内閣が成立して、伊藤博文が首相に就任した。1887年(明治20) 憲法4人組(伊藤博文、伊東巳代治、金子賢太郎、井上毅)がプロシア帝国の憲法を下敷きにした草案を仕上げた。1888年(明治21)5月枢密院が開設された。これが草案を検討して再び修正案が作られ、明治憲法が確定した〔2〕。 ☆ 編集長―元老院の役割が忘れられたのは、枢密院が前面に出てきたからだろう。そうなったのは、元老院の草案が民主主義の要素を取り入れたために天皇絶対主義の維持が難しくなるという危機意識が高まったからだろうね。例えば、国民の政治参加は、聞こえはいいが、歩き出したばかりの近代国家が数の力で不安定になる。政治の民主主義化を紙の上で実現しても、過渡的な時代だから、あまり効果は期待できない。生活という基盤と考え方が西洋的にならなければ、ね。 特派員―首相の伊藤博文が枢密院議長についたけれど、彼が書いた〈帝国憲法制定の由来〉を読むと、先入観と違って、天皇の主権の制限と国民の権利を主張していた〔3〕。そして、生活の中では自分の権利を声に出せない人が多いと皮肉を言ってる。 放送局長―あの時代が政治思想しか持たなかったのは、不幸だ。 ナモネ氏―元老院の草案を読んでみたいもんだな。 特派員―国会図書館のHPに明治憲法関連記事と資料が載ってる。しかし、ところが、元老院の役割に関しては、頬被りです。 アロマ―関口隆吉のことも。ウィキペディア(インターネットのフリー百科事典)にはないのよ。 ☆ ☆ ☆ □ 東京駅暗殺事件~21 A It’s been a long
long time; Stan Kenton & His orchestra
June Christy sings 1 wikipedia 2
憲法の100年(作品社)より 日本近代国家の形成; 原口清
自由民権---明治憲法制定略年表 鶴巻孝雄研究室HP 東京成徳大学 明治天皇; ドナルド・キーン(Donald
Keene) 3 憲法の100年(作品社)より 帝国憲法制定の由来;
伊藤博文 明治憲法と有栖川宮について |
☆名曲〈煙が目にしみる〉は愛の歌だが、今でも好かれるかどうか[A]? ☆
☆ ☆
Updated 2007.2. 1 ナモネ氏―ほう、これは珍しい。お揃いで。調べものか?
ガール―米さん、サインして! 半分半分放送局長―君の名は? ガール―米明と書いて。 放送局長―うむ、分かった。サインがほしい人は並んで、並んで。 アロマ―他にはいない! 特派員―宣伝放送の名人ですね。 放送局長―ついついNHKのラジオ番組でしゃべってる気がして、ね。 窓ガラスに映るライト 特派員―ええ、式典に出席するために官邸を出たとき、西野分太郎という男に包丁で刺されて、翌日死んだ。殺した動機は、森有礼が伊勢神宮で靴を脱がなかったのが皇族を侮辱する行為だということですが〔1〕。 ナモネ氏―事実は全然違っていた。うその伝聞に惑わされたのだ。 放送局長―ふうむ。そのニュースが式典のさなかに伝わったら、恐慌を巻き起こしたにちがいないな。軍人は別として。 特派員―本当の目的は、暗殺のジャスト・タイミングが雄弁に語っていますね。憲法に反対だということです。 アロマ―うそのニュースを話して暗殺劇の主役に仕立てたのは、誰か? 放送局長―犯人の自白を真に受けるっていうのは、悪い慣習だ。状況に目をふさいでしまえば、何も見えない。 特派員―そして、真っ暗闇がいつまでも残る。 ☆ 編集長―そうか…〈東京駅暗殺事件~17〉で鉄道と議会が似ているという話をしたな。事実を見つけたから、愛読者に知らせた方がいいと思う。 特派員―〈時刻表と法律制度は誰も思いつきで自分勝手に変えられない〉という特派員の名言ですね。 放送局長―どういう事実なんだ? 特派員―ちょっと待ってください。〈時刻表と法律制度は誰も思いつきで自分勝手に変えられない。神聖な存在であると憲法に規定された天皇でも、隠然とした勢力を誇る徳川の殿様でも、それは無理。〉ところが、明治30年に実際そんなハプニングがあった〔1〕。皇太后、孝明天皇の后だった女性ですけど、その人が1月11日になくなられた。天皇睦仁(むつひと)と皇后はしきたりで葬儀に出られなかったので、4月京都の後月輪東北陵に参拝した。5月4日東京に帰る予定だった。しかし、東海道線に暴風雨による災害が起きて延期された。侍従日野西資博(すけひろ)の回想によれば、天皇は〈低気圧もよいな〉と言った。生まれ育った京都で楽しく過ごせるから、らしい。奇妙なことに、東京では、それと同時多発的に麻疹が流行した。さらに京都滞在が延びた。天皇が東京に帰るのは麻疹の恐怖が消えたあとで、8月19日午前8時55分発の汽車の予定だった。ところが、天皇は理由を言わないで出発を20分遅らせようとした。天皇の専用列車でも、時刻の変更はできなかった。それで、22日に京都駅を出発した。 ナモネ氏―明治天皇は自分に厳しい人だった。 放送局長―理由を告げないというのは、おかしいよ。それらしい説明ができない凡人じゃないんだから、な。 特派員―明治天皇が鉄道嫌いだったということは書いてないけれど、汽車旅行の逸話がもうひとつあります。明治44年、死の前年、福岡での演習に参加した帰り健康状態が回復しないので、汽車のスピードを緩めさせようとした。侍従がそれに反対すると、〈おまえは鉄道の肩を持つのか〉と怒った。結局、汽車はゆっくり走った。 編集長―問題なのは、京都で出発の時刻を20分遅らせようとしたことだな。8月19日午前8時55分とわざわざ書いてくれてる。理由を言えば、鉄道事故による暗殺計画がある、ということだろう。 放送局長―ノイローゼなんじゃないかな? 編集長―ぼくの推理が時刻表にない方向に走ると思ったら、間違いだ。明治22年4月11日、開通したばかりの静岡・浜松間にある安倍川鉄橋あるいはその付近で列車の正面衝突事故が起きた。新橋から神戸までの東海道線が全通する直前で、当時は単線だと思うが、不可抗力的な災害ではない。人為的なアクシデントだ。それで愛知県の行事に向かっていた明治政府の重要人物関口隆吉(たかよし)が重傷を負って、死亡した。静岡県知事、高等法院陪席判事、元老院議官〔2〕。 放送局長―聞いたことがないな。 ナモネ氏―記憶にないなあ。 特派員―元老院と言えば、有栖川宮熾仁(たるひと)親王が議長で、新法制定と旧法改正を審議する立法諮問機関ですね。帝国議会が開設されるまで。 ☆ ☆ ☆
□ 東京駅暗殺事件~20 A Smoke gets in
your eyes; Artie Shaw and His orchestra 1 明治天皇; ドナルド・キーン(Donald Keene) 2 日本人名辞典; 平凡社 山口あれこれHP |
★〈あなたが去ったあと〉世界が少しずつ狂うとは思いもしなかった〔A〕。 ☆ ☆ ☆ Updated 2007.1.23 特派員―中国が短波放送のラジオ局を持っていたんですか?
半分半分放送局長―そうすると、長谷川テルと劉仁は完全に邪魔者だ。謀略放送となれば、デマ・ニュースを流したり特定の人間に向けた脅迫のメッセージを挿入したりするんだから、犯罪的だ。 小坂鉱山事務所の前庭 編集長―忘れてたよ。しかし、〈ブラック・プロパガンダ〉で知ったが、短波受信機の使用は日本では禁止されていた。パール・ハーバー以前からだと思う。正確なストーリーはNHKに聞いてもらいたい。 ☆ ナモネ氏―二つのリンゴの詩は、おもしろいよ。夢を見て母親の横顔に触れようとしたら、白い石膏像だった。それから始まる。赤いリンゴは頬の赤さだと言ってるが、結核症状がかなり悪化してる証拠だと思うね。 特派員―それで、花輪のリンゴ園に行ったんでしょう? 編集長―まあ、そういうことだ。二つのリンゴとは、ミラー・イメージによる脅迫のメッセージのことだったかもしれない。チョンキン放送局と満映はヘッドが同じテロ活動屋だ。新京スタジオは《悪夢の製造》もひそかにやっていたように思えるね。しかし、日本の音楽事務所がロシアから買った満映のフィルムは、映画とドキュメンタリーだけなんだ〔3〕。本当は、NHKの仕事だ。 放送局長―満州はロシア帝国の植民地だったから、ロシア女を見れば、芸術的な欲求に駆られただろうな。歴史の陰に女あり、だ。悪いことはしなかったと甘粕の亡霊が言っても、信じる馬鹿はいない。 ナモネ氏―中国人を使った生体実験をやった帝国だから、な。 特派員―しかし、甘粕正彦はアナーキスト大杉栄暗殺という過去のイメージで恐怖心を与えるための仮面だったと思いますね〔4〕。心理戦は石油や鉄などの鉱物資源を浪費しない。 編集長―うむ。確かにナチス・ドイツと日本帝国には、心理戦のあらゆる可能性を研究する理由があったね。 ☆ アロマ―だから、サントリーの〈C.C.Lemon〉がテーブルにある。〈死死〉 放送局長―〈アイ・サレンダー・ディア(君には参ったよ) 〉 編集長―《満州帝国の崩壊》というソ連時代の映画に感動的なシーンがあるんだ〔5〕。ヤルタ協定にもとづいてヨーロッパ戦線から猛烈なスピードで満州に向かうソ連軍を描いてるが、将校がこう言うのだ。〈おれは、死んだ人間を数えるとき1人とは数えない。家族と友人がいるから、ね。〉日本政府に聞かせたい言葉だったよ。 特派員―関係のネットワークは個人の実存を構成するけど、それは国家の所有物か謀略の網でしかないと考えてるんですね、あの人たちは。 ナモネ氏―満州と言えば、なあ、花岡・小坂の捕虜から洩れたのか、〈朝鮮人の肉が売られてる〉という噂があった、陰惨なネガ・フィルムの国だった。残念なことに《満州帝国の崩壊》という映画は辺境にある秘密工場の攻略で終わっていた。日本でもロシアでも依然としてあのころの満州は靄の中だ。 アロマ―二つのリンゴに映るのは、東京の母に危険が迫っていることを想像して悩む姿。 ナモネ氏―なるほど。現実は甘くないな。全体主義を反省して、戦後の放送局は民主主義の砦をアピールしたものだが、自由という口実でふたたび暴力装置になってしまった。 放送局長―放送局の在り方も根本的に変えなければ、人間が終わりになってしまう。映像だけの生き物で終わりだ。 編集長―戦後悪いことができるように法律と規則の罠を作ったのは、岸信介でしょうね。 放送局長―石田博英は、大臣になった大館出身の唯一の政治家で、日ソ友好議員連盟の会長も勤めた。しかし、1939年早稲田を出てから中外商業新報のシャンハイ支局で、柳腰のチャイナ・ドレスが揺れる国際都市で活躍したということは、戦後生まれには馬鹿馬鹿しい話だが、長谷川テルの存在を知っていたと考えていいな〔6〕。 特派員―本場のギョウザも味わったという顔ですよ、半分半分放送局長。 ナモネ氏―あの俳優の森繁久弥が博英(ひろひで)の親友で、な、あきれたことに新京放送局のアナウンサーだったということだ。 ☆ ☆ ☆ □ V字型の階段の記憶 7 A After you’ve gone; Count Basie &
His Orchestra 山本武利 早稲田大学政治経済学部教授 1
長谷川テル作品集 2
満映論 4 甘粕正彦 1891年1月26日~1945年8月20日 仙台出身。暗殺事件当時、憲兵大尉。満州国民政部警務司長。 5 制作年度:1982
監督:ユーリー・イヴァンチュク 6
石田博英事務所に置かれていた本、その他 捕虜に関して大館の断面を見ると |
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★〈ロンサム・ラヴァー・ブルース〉を歌うエクスタインは切ない[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated
2007.1.16
夕暮れの小坂鉱山事務所 長谷川テルは、結核に冒されながら戦った。エスペラントで話したレポートは、遠くヨーロッパに伝わった。しかし、ファシズムに反対する立場なので、次第に放送の仕事から遠ざけられた。彼女は共産主義にひかれて、郭沫若(Guo Moruo)の下で対敵文化工作委員会に入る。シャンハイでは日本の兵隊が上陸を拒否する騒ぎがあった。戦争の現実が少しずつ日本人の内面を変えた。反戦作家鹿地亘(かじわたる)は、脚本を書いて日本兵の捕虜たちが出演する反戦演劇を組織した。 1940年6月4日その劇団がチョンキンで公演して、大好評だった。テルがそれを見たら、感激しただろう。しかし、国民党の反共グループは革命的な思想を嗅ぎ取り、2日間の公演で中止させた。重慶政府における共産党代表の周恩来(Chou En-lai)と部下たちは、国民党のCC団による暗殺の恐怖に耐えていた〔3〕。 1941年12月8日、日本はパール・ハーバーを奇襲して、アメリカと東南アジアを戦争に引きずり込んだ。しかし、中国の首都に対する空爆は1943年まで218回繰り返された。重慶は陸軍が近づけない天然の要塞だったが、大防空壕ではテロ工作と思われる換気扇の故障による大量虐殺が起きて約4000人が死んだ〔3〕。それでも、中国は降伏しなかった。 1945年第2次世界大戦が終わると、国民党と共産党の内戦が始まった。テルはその翌年夫の故郷である満州に行く。ソ連軍が満州帝国を崩壊させて去ったあと、東北地方では国民党と共産党の勢力争いが起きていた。蒋介石は日本軍の一部を武装解除しないで共産主義との戦いに使っていた。テルは東北大文学院の教官として招かれた。劉仁の弟の話では、その年の秋チャムスで劉仁がチフスにかかって死亡、半年後にテルも感染して死亡した。劉星(リュウ・シン), 暁蘭(シャオラン)という二人の子どもが残された〔1〕。チフスは日本軍が使用した生物化学兵器の細菌だったことを考えると、テルと劉仁は暗殺された疑いがある。 半分半分放送局長―今日はアロマの声らしくなかったな。 ☆ ☆ ☆ □ V字型の階段の記憶 6 A Lonesom lover blues
; Billy Eckstine & His orchestra 1 長谷川テル作品集 : 宮本正男 著 亜紀書房 1979年 テルの生涯 : 利根光一 著 エスペラント学会後援 2 満映論; 大場さやか シネマガジンネット 京都大学 甘粕正彦---Wikipedia 3 戦略爆撃の思想; 前田哲男 |
★〈チェロキー〉族の強さはバーネット楽団のプレイに乗り移った[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated 2007.1.13
編集長―一言余計だな。 アロマ―うん、その疑問はない。半分半分放送局長が書いたシナリオには、ね。もう一度やり直してよ。 編集長―別にいいよ。シナリオの単語よりも精神を尊重しよう。 アロマ―自由なアドリブを活かせるってことね。 小坂発大館行き最終バス ナモネ氏―最大の被害者が最高の守護神になる、というのは北太平洋岸に住んでいたインディアンのことわざだ〔1〕。アメリカ人は新大陸の歴史を作る過程で弱小民族から美点を学んで政治に応用したように思える。小児麻痺のルーズヴェルト(Franklin
D.Roosevelt)大統領、世界の運命を握る黒人のライス(Condoreeza
Rice)国務長官。日本の右翼は朝鮮を牛耳ったが、そんな例は聞いたことがない。 特派員―キムチだけですね。これが特派員のせりふ? アロマ―NHKの放送局長になればいいのよ。 半分半分放送局長―1月2日初夢の日からNHKのニュース解説者になった米明です。ギ・ムーンについて、BBCのソウル特派員スカンロン(Charles Scanlon)は、宣伝行為をしながらバック・ルーム・ディール(裏取り引き)を大変好む、と打ち明けています〔2〕。これはどういうことか、と言うと、ですね、金を払わない卑劣な視聴者のみなさん、日清戦争以後の朝鮮半島の歴史を見れば、誰でも理解できるんです。NHKは8月の終戦記念日にそれを特集する予定です。 編集長―ぼくは最近韓国併合の歴史を読んで理解したが、こんな複雑な状況でバック・ルーム・ディールに頼ると、迷路を作って、そこにはまり込む危険性が非常に大きい。公表すると困るような政治は、止めるべきだ。 ナモネ氏―アナン(Kofi Annan)事務総長の国連がエチオピア軍によるソマリア解放を支持したので、韓国民は弱気にはなるまい。 特派員―国連がサポートして、12月25日首都モガジシオから残虐なイスラム武装勢力を追い払った〔3〕。 編集長―タイミングから見れば、ヨーロッパとアメリカがイラクと韓国の人々にエールを送ったことになるだろうな。 アロマ―今日のシナリオは最高だったわあ、とシナリオにある。 ☆ ☆ ☆ A Cherokee ;
Charlie Barnet & His Orchestra 1 仮面について 2 BBC Last
Updated: Friday, 13 October 2006, 20:52 GMT
21:52 UK Profile: Ban
Ki-moon 3 BBC Last Updated: Monday, 25 December 2006, 10:26 GMT Ethiopia attacks Somalia airport L'Ethiopie "en guerre" contre la
Somalie
lefigaro.fr (avec Reuters). Publié le 24 décembre 2006 |
★グレン・ミラーの代表曲〈真珠の首飾り〉は世界で一番高価なもの[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated 2007.1.3 半分半分放送局長―〈仮面放送局〉は文明化する必要があるって、本当だよ。 特派員―無理に現実を作る人は、かならず現実に馬鹿にされる。
ナモネ氏―真瀬川のセレクションで、仮面が出てきたな。男の複数形men(メン)が魚を釣ってる写真を見て、これは、と思ったが? 編集長―日本語の面と同じ起源がじゃないか、と思って書いたんですが、ね。 ナモネ氏―ロシアの皇帝はツァールと言う。面は人の顔を意味するとき〈つら〉と読む。 編集長―仮面は神的な存在だったから、高貴な支配者の称号に使われたとしても不思議ではない。 五所川原駅のねぷた飾り 特派員―フランス語風に読めば、ですよ。 編集長―大湯の来満橋、来満峠、十和田南駅の南にある来満踏切、ライマンと読むのは間違いだ。間違いは早く直さなければいけない。 ナモネ氏―そうだ。探せば、その種の〈クルマン〉は結構あるんだ。 特派員―津軽のことを忘れてますよ。ねぷたには金魚の提灯が付く。 編集長―そう。あれがなかなかおもしろいんだ。どうでもよさそうな付属品と言うか脇役が出来事の本質や起源などを語ってる、という一つの例だと思うね。 放送局長―あの〈悲惨な魚釣り〉か!? 特派員―アルコール度が高ければ、酒税も上がる。それで、今夜は… アロマ―フランスのワイン、〈ピア・ドール〉アルコール度14%。 ☆ ナモネ氏―鹿角のリンゴは、明治19年、佐藤要之助という人が女森(おなごもり)に植えたのが始まりだそうだ。それから、鹿角郡全域に普及した[2]。 特派員―〈仮面について〉のプロローグには、アフリカの印象的な言い伝えが載っている。ベドゥアン(Jean-louis Bedouin)が紹介したものです…〈仮面は森の中で女たちが発見した。〉この仮面とは、編集長の推理では北アメリカインディアンの場合と同じく銅の指示記号です。 放送局長―女森で銅が発見された、ということだろう。 アロマ―あたしが見つけた伝説があるのよ。昔、岩手から若い娘と乳母が花輪の村に逃げてきて、日向屋敷の鍛冶屋で働くことにした。ある日、若い娘は乳母と一緒に女森に花見に出かけた。すると、意地悪な継母の命令で行方を捜していた十二人の男たちが二人を見つけて、殺した[3]。 放送局長―それで終わり? アロマ―それだけ。 ナモネ氏―満開の桜の花が散るときは、不吉なイメージがあるもんだ。 編集長―鉱山がある地域の悲劇だな。 ☆ ☆ ☆ A
A Strings of pearls; Glenn Miller and his orchestra 1Le Kirghizstan se dote
d'une nouvelle Constitution LEMONDE.FR avec AFP | 09.11.06 |
11h10 • Mis à jour le 09.11.06 2 北鹿新聞 2006年12月10日付 3 GLN(GREEN
& LUCKY NET)からこんにちは HP 参考:花輪青年会編輯部発行「鹿角」リンゴ,鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」 大湯ストーンサークルとリンゴの関係について想像すると |