HALF AND HALF JOURNAL

                                                     

 

 

無 意味 な

破 片

 


無意味な破片

 

 

 

 

           

Fragments

HHJ

             inutiles

 

 

〈イエスタデイズ〉はアーティ・ショウ楽団でなければA

        Updated 2006.8.26    

半分半分放送局長―長谷川テルはマイクの前で天賦の才能を見つけたと思うね。録音が残ってないんで、どんな声だったか、どんなことを話したか、知りようがないが、今生きている状況を知性的に表現できる女性だ。想像力が豊かだ。

編集長―《戦う中国で》という作品は映画的な手法を取り入れて、成功してる。

特派員―刺激されっぱなしの特派員の悪い想像を言わせてもらうと、東郷青児は彼女を知っていたはずですね。長谷川喜作に出会って戦前戦後の暗い時代を想い出したとすれば、声を聞いたときじゃなかったでしょうか?

はせ川食堂のマッチ

編集長―さあ、確か都立美術館で二度会ったが、二科展の最終日の帰りだった…会長と娘の東郷たまみ、荻原寛子とジャニーがエレヴェーターに乗ったとき、ぼくは少し遅れて乗った。美術関係者には近づきがたい人たちだが、待ってるんだから、階段を上がって外に出るのは失礼だと思った。響きはいいが、それほど個性的な声じゃない。

放送局長―スロープの次はエレヴェーターか?…早く扉を閉めればよかったのに、な。

編集長―美術館で考えさせられたのは、東郷たまみの視線だね。絵描きの視線にはちがいないが、何か他のを見ているようなんだ。だから、ぼくもそう思われるような目で見たにちがいない。これは、難しい問題だった。二科展で最初に会った74年のことだ。彼女の青春時代については、あとで荻原寛子が簡単に話してくれた。しかし、あの二人の声はほとんど聞いたことがないな。

ナモネ氏―戦後の浅草国際劇場のレヴュー、あれは、有楽町の日劇と人気を二分してたな。東郷たまみと水谷良江と朝丘雪路は、SKD(松竹少女歌劇団)の三人娘のスターで、色気があって華やかな時代だった。レヴューは、東京に出張するときの一番の楽しみだった。はせ川食堂のベル・エポックにも、もちろん有楽町の日劇と浅草のSKDファンがいた。サハリン帰りの林一幸も、そうだ。

アロマ―食堂の階段は、舞台装置がヒントなんじゃない?

放送局長―そういうこともあるだろうな。こう言うと、嫌がると思うが、ハセの雰囲気は誰かを想い出させたにちがいない…このトランプは脇に置いたほうがいいな。ミステリアスな出来事だ。〈マスク・キングダム〉の話を重ね合わせると、荻原寛子が二科展に誘ったのは美術界の現実を見せるためだろう?

編集長―そうでないとは言えないが、ぼくが見たのは日本の暗い影だね。それは個人的な過去には通じていなかった。しかし、あのころは長谷川テルの名前さえ知らなかったから、そういうとき、ぼくの意識を横切るのは敗戦後まもなく死んだ謎めいた広尾のおばさんだった。

放送局長―なるほど。荻原寛子が招待した〈戦前の前衛絵画展〉には、忘れられた二人の優秀な画家の絵が飾られていた。松本俊介と桂ユキ。俊介は盛岡出身の反ファシズム画家、もう一人は自閉症だ。津軽の小説家太宰治のことも、東郷青児はよく知っていただろうなあ。

編集長―それは分からないが、大都会を描いた松本俊介の絵は一つの発見だったよ。〈音楽が聞こえる〉と感想を言うと、荻原寛子は、〈耳が聞こえない絵描きよ〉と言うんだ。HHJに昔の話を書きたいと言ってくれたけれど、うやむやに消えてしまった。

アロマ―TBSHPを見たけど、ドラマ《望郷の星》はヴィデオでもDVDでも販売していない。

ナモネ氏―そうか…はせ川食堂にはSPレコードのコレクションがあったな。聞くのが楽しみだった。

編集長―あれも、父さんが残念がってたけど、いつの間にか消えてしまった。あの頃のレコードは真ん中に歌手の顔と曲目が印刷されてた。

ナモネ氏―妙な想像させるのは、長谷川喜之助の周辺に緑川大二郎がいるっていうことだ。北秋木材の社長だった人で、大館商工会議所の会頭もつとめた。長谷川とは深い関係だ。

編集長―祖父が他の人たちと家具木工組合を作ったとき、理事長になってもらった、とか。

ナモネ氏―東大法学部と野球部出身、中国戦線で憲兵をやっていた人だ。後輩の佐藤啓治も、六大学で負けてばかりいたんだが、栄町育ちの初代大館市長だよ。

編集長―どっちも親しい名前だったけど、会った記憶はないですね。緑川が憲兵だったことは、父が晩年おもしろくないことがあったとき教えてくれた。奇妙なことに、3中時代に運営委員会で顔を合わせたのが娘の英子で、長谷川テルの別名が緑川英子だと知ったときは、体育館の総会で緑川英子と一緒に司会をしてマイクでしゃべったシーンを何度も想い浮かべましたよ。

放送局長―それは絶対に偶然じゃない、よな、絶対に。彼女は喜之助と緑川の間柄を知っていた。長谷川テルが緑川英子という名前のアナウンサーになると、その情報を、緑川は掴んだ。つまり、国民党のスパイがその秘密を流したのだ。

特派員―放送を直接聞いて誰の声か分かったとも考えられる。

編集長―緑色はエスペラントのシンボル・カラーだそうだ。いずれにしても、戦後そういうアナウンサーの名前を自分の娘に付けたのは、ある種の敬意を表したということかな?

放送局長―しかし、悔悟の表現かもしれない。死んだ女を育てるというのは…

編集長―東京の都新聞のレトリックには想像力を働かせる必要がある、ね。見出しには悪意があって家族を孤立させたけれど、この記事は反面で、大陸で恰好よく日本と戦ってるヒロインの存在を暴露してる。戦争を嫌う人たちは希望の光を見たにちがいない。

特派員―朝日が一番やりたくないことですね。邪推すれば、都新聞の名称はそれで敗戦後東京新聞に変えられたのもしれない。

            

V字型の階段の記憶 5

A YESTERDAYS ; Artie Shaw and his orchestra

▼ V字型の階段の記憶 4

▼ V字型の階段の記憶 6

▼ 高松宮日記メモ; 生の感触---ある画家へのリンクと、それから

 

 

 

スタン・ケントンの〈ラヴァー・マン〉は地平線に向かうA

        Updated 2006.8.23    

編集長―長谷川テルのストーリーに戻ろう。

枯葉

アロマ―エスペラントは、日露戦争後の1906年日本エスペラント協会が創立され、長谷川二葉亭が《世界語》を出版して広まった1。その理想は、エスペラントを作ったザメンホフによれば、〈諸民族のあいだにおける正義と友好〉の確立である。とはいえ、第1次世界大戦で、〈(ヨーロッパの)エスペラント運動は中立主義を反省して階級的運動とユートピア思想に分裂する。ナチスは、エスペラントを否定した2。〉ゲルマン人が支配民族であるというナチスの思想に対立するからだろう。日本でも事情は似ていたが、当時エスペラントの学習がどんな意義を持っていたか、それは姉のユキが満州事変の年に書いた日記が非常に明瞭に伝えている2。〈エスペラントを止めたら、何のたのしみがあるのか。たった一つの精神のより所なのだ。何かそうしなければいられない。けっして明るい希望ではない。一種の闘争的な、ひたむきなものなのだ。〉姉の影響でエスペラントを学んだテルは、書いたり話したりする生活に満足しないで、1936年秋満州育ちの留学生エスペランチスト劉仁(リュウ・レン)と結婚した。

翌年の春、抗日民族解放運動に参加するために別々にシャンハイに渡った。中国人の留学生たちが協力した。シャンハイはアジアにおけるエスペラントの中心地だった。しかし、77溝橋事件が起きて全面的な戦争に発展した。日本政府の首相は近衛文麿、外相は広田弘毅(ひろたひろき?)

半分半分放送局長―ミラー・イメージだ。

アロマ―ヒロヒロ、ね。そして、東条英機が満州帝国を実質的に支配する関東軍の参謀長だった。長谷川テルは日本のエスペラント運動関係者に〈中国の勝利が明日のアジアの鍵である〉という有名な手紙を送った。まもなくシャンハイに危険が迫り、ウーハン(武漢)に行くためにイギリスの船でホンコンに脱出した。小林多喜二虐殺を激しく非難した文学者の郭沫若(クオ・ムールオGuo Moruo)、プロレタリア作家の遺体を囲んだ共産主義者の一人鹿地(かじ)亘の姿も偶然同じ船にあった。そこから19382月コワンチョウ(広州)に向かうが、日本のスパイ容疑で逮捕、列車でホンコンに送り返される。長谷川テルがチョンキンで書いたエスペラントによる第一級の作品〈戦う中国で EN CINO BATALANTA〉は、シャンハイ行きの船が出るシーンから始まり、その列車が真夜中どこか知らない駅に止まったシーンで終わっている3

幸運にも彼女はクオ・ムールオなどの力で釈放され、その年の9月リュウ・レンと一緒にウーハンのハンカオ(漢口)に入った。そこには国民党と共産党の合作後政府機関が置かれていた。テルは、国民党中央宣伝部国際宣伝所対日科のラジオ放送局で活動を始めた。自分で原稿を書き、緑川英子という名前でマイクに向かった。エスペラントの名前はVerda Majo(ヴェルダ・マーヨ みどりの五月)4。しかし、1028日ウーハンが陥落した。蒋介石が率いる中国政府はさらに奥地の揚子江の半島に位置するチョンキンに移る。長谷川テルたちも移動して、放送の仕事を続けた。111日、日本の都新聞は彼女を売国奴と非難する記事を載せた2日本語を操り、怪放送、祖国に毒づく、赤くずれその女の声は2月ホンコン放送局で反戦を歌い上げ、それから、カントン(広東)でも流れたが、正体は知れなかった…

        □ V字型の階段の記憶 4

A Lover man ; Stan Kenton & his orchestra

1        二葉亭四迷: 1864~1909明治時代の小説家 翻訳家 

本名 長谷川辰之助

2 テルの生涯: 利根光一    エスペラント森山賞奨励金付与作品 

要文社 昭和44年出版

Lazaro Ludoviko Zamenhof: 1859~1917 ポーランド人 

ユダヤ系 眼科医

3   長谷川テル作品集: 宮本正男 亜紀書房 1979年出版

4    DWELL INFOMATION HP スカンタン通信 151号 1999.12.1

 

 

 V字型の階段の記憶 3

▼ V字型の階段の記憶 5

 

テルの話のうまさ

▼ 玉音放送の秘密; 敗戦後70年目に玉音盤の原盤の声を放送

 

 

 

 

 

 

 

 

 


グッドマンおじさんの優しさを感じさせる〈君が微笑むとき〉A

            Updated 2006.8.3

特派員―アロマ、十和田湖から日本海まで何キロあるか、計ってくれないか?マップ・メジャーの使い方、知ってるだろう?

アロマ―はい。ちょっと待ってね。100円の地図、新しく買ったの?うん、北秋田市が出てる。八峰町って、八森町と峰浜村がくっついた町ね。十和田湖の休屋から海まで、直線距離で約80km…オーケー?

特派員―そうか。ラジオ・フランスが特集記事にレバント地方の地図を大きく載せてるけど、見る?

アロマ―レバント?

半分半分放送局長―日が昇る地方という意味だ。ヨーロッパ人が地中海の東海岸地方をそう呼んだのだ。

池に映る大館橋と黄色

特派員―ヨルダン川と死海からテルアビブが面した地中海まで、だいたい80km

アロマ―そんな狭い地域で戦争してるの?

特派員―ああ、そういうことだね。レバノンとイスラエルの国境地帯だと、約50kmで、能代と大館の距離だ。

アロマ―まるで戦場にいる気分ね。

放送局長―あの日本赤軍が空港で機関銃を乱射して、一躍アラブの英雄になったのが、テルアビブだよ。

編集長―海外ニュースをそうして見ると、リアリティが出る。イスラエルのオルメルト(Ehud Olmert)首相は、〈長い戦争〉になるだろうと言ってるが、何か、言葉は無用だと悟ったんだろうな1

放送局長―それどころか、人を操る暴力装置だよ。日本的になってしまった。

特派員―75日付けロイターの記事は編集長に見せましたが、北朝鮮の連続ミサイル発射の直後だけに連関が気になった。

編集長―しかし、幸い太平洋地域は静穏だ。

特派員―第3次世界大戦は杞憂でしたね。ナモネ氏に代わって言うけど、杞憂というのは中国の古いことわざで、空が落ちると気に病んだ杞()の国の人たちを笑ったものだよ。

アロマ―ふうん。

特派員―ところが、4日イスラエルは、ハマスに対してこう警告してる。〈彼らの上に空が落ちるだろう。

編集長―ハマスには、北朝鮮という意味があるのかな?

放送局長―急行〈はまなす〉は青森札幌間を走る。いや、悪い冗談だな。

ナモネ氏―海底トンネルは文化の粋だ。民族の精神を超えた人間の勝利だ。

放送局長―誰でも共有できる。ナチのあの独裁者でさえフランス文化の華は大事にした。しかし、アラブ人やインド人は分からない。いや、失礼、失礼。日本人の愛情の反面だった。

ナモネ氏―ふうむ、なるほど。フランスのこれには、ダレナニ君の翻訳が正確なら、レバノンと北朝鮮の連係が示唆されてる2。イスラム教シーア派武装組織ヘズボラを財政的に支援してきたのがイランだとは知らなかった、ねえ。北朝鮮とイランは公然と手を組んでるが。

アロマ―殺人ウィルス、エボラ。焼肉のタレのエバラ。

特派員―金だけでなく、軍事面とイデオロギー面でもエズボラの後ろ盾ですね。レバノンの実体を食い荒らしてしまった3

放送局長―イスラエル絶滅がイデオロギーのエネルギーだよ。石油が出なくなれば、自然に消滅する。

編集長―その記事で不安なリンクを引き起こすのが、イスラエルのレバノン南部侵攻の発端がフランスとの二重国籍を持つ兵士の誘拐だということ。ガザ地区で625日ハマス系の組織にやられた。

放送局長―それでパレスチナ自治政府のハマス幹部が64人逮捕されたり、テレビ局とラジオ局を破壊するような戦争になるんだから、なあ…日本の漫画みたいに。

アロマ―レバント地方と朝鮮半島の出来事の接点にフランスが何気なく顔を出す、っていうことは、つまり、どういうわけなのかなあ?

放送局長―今日の音楽は〈国境の南〉だな。パスポートはないけど。

 

A When you are smiling : Benny Goodman quartet

1 ロイター 75107

2 vendredi 28 juillet 2006  France 2 (TV)

La guerre entre Israël et le Hezbollah

Page réalisée par Eric Chaverou. Avec agences.

3 Le Liban trouvera-t-il la force de se relever de cette nouvelle guerre ?

Par Jalal El Ahdab  Avocat aux barreaux de Beyrouth et de Paris

    Publié le 01 août 2006   Le Figaro

 

 

 

 

 

 

 

 

 


★  スィング・ジャズの〈熱い波〉がきみまち阪にやってきたA?

              Updated 2006.7.28

特派員―精神分析と言えば、フロイト(Sigmund Freud)やラカン(Jacques Lacan)だけど、精神鑑定を担当する医師はどんな学派ですか、ねえ?

半分半分放送局長―うむ、それによって結果が違ってくるよな。

編集長―検察庁が指定するんだから、保守的な学派だろう。そういう情報の開示請求ができればいいと思うね、人権保護と真相解明のために。

特派員―ラカンはフロイトの思想をソシュール(Ferdinand de Saussure)の言語学で切り取ってるようですが、ソシュールと言えば、記号をシニフィアンとシニフィエに分けて考えた人です。意味するものと意味されるものに、ね。

きみまち阪から米代川下流遠望

編集長―どっちも直接読んだことがないが、実存哲学から見れば、人間の現在進行形の行為を取り除いている面がある。再現しようとする過去の時間は、メルロポンティ(Maurice Merleau-Ponty)の言う〈生きられた世界 le monde vécu〉でなければならないんだ。

放送局長―写真と映像の違いがある。そこで生きてる人間と一緒に生きようとしなければ、分からないのだ。ラカンはメトニミー(換喩)の解読に重点を置く。個人の私生活を軽んじてない証拠だよ。ただ社会という背景を取り払ったら、誤解する。例えば、この女性はどういう経緯で無職なのか?

アロマ―うん。どんな鑑定をしたか、市民がその報告書を読めるようにすればいい。

放送局長―少なくとも弁護人のチェックは事前に、最初から最後まで、認められるべきだ。大津放火狂事件でなぜ精神鑑定のために3か月間も閉じ込められる必要があったのか、誰にも理解できない。

編集長―それは一週間もあれば、十分だ。精神科医が正常なら、ね。

アロマ―あたしが見ると、結論はこうよ。特派員ダレナニ、異常。半分半分放送局長、異常。編集長、異常。

大沢橋入口にある八阪神社

放送局長―仕方がないことだ。HHJはそれを心配してるが、〈常識では理解できない〉という理由で狂ってると判断されたら、地球は毎日戦争だ。

特派員―秋田地検も、畠山鈴香容疑者の話を〈常識では考えられない〉と簡単に精神鑑定するそうです1。しかし、どんな内容なのか、公表しない。

アロマ―本人の同意があれば、発表してもいいのよ。

編集長―その常識とは何なのか、疑わせるね。

放送局長―まったくそのとおりだよ。検察官と警察官というのは、一般社会の人間とは違うんだからな。

編集長―何がどう違うのか、言いにくいが、彼らの常識だとしたら、黙ってはいられない。思想鑑定の恐れもある。

特派員―本当ですよ、編集長。

編集長―何かを理解するというのは、自分の習慣的な知識で考えることだ。しかし、犯罪は時代とともに変化する。それに対応できないというのは、司法機関で働く能力がない、と宣伝するようなもんだ。しかし、市民の常識は今や広く世界的に共有されてる。そういう知識と感覚と想像力で現実を認識してる。

放送局長―勉強しても、駄目なんだよな。ああいう大学受験で何度も落ちた連中は、人を転落させることばかり考えてるんだ、君。

編集長―うまい。ぼくが言おうと思ってたことだ。実力がない、危機的な状況に際して冷静な思考ができない、ああいう連中が社会を猥雑にするのだ。

特派員―一触即発の危険が迫ったら、住民は大変ですね。

        

□ 藤里町物語 d

A Heat wave : Les Brown & his orchestra

1 秋田さきがけ新報 2006/07/25 09:28

 

鏡と文字の関係とソシュールの誤解

▼ 見るミラー

 

▼ メトニミー

 

 

 

 

 

 

 

 


スタン・ケントン楽団の〈イージー・ゴー〉で調子よく行った[A]

        Updated 2006.7.19

編集長―ぼくが大沢橋と周辺の映像を丁寧に撮影した理由は、八阪神社前のかんがい用水路の情景が気に入ったからだが、それだけじゃない。鉄板が巻かれた橋脚台が一本あるので、長木川に架かるJR花輪線鉄橋崩落事故を想い出して、事故を起こす準備だろうと冗談半分に思ったのだ。

特派員―その橋で一人の女性が娘を突き落として死なせた、というのが今度のドラマですが、TVと新聞はそれで経営危機から脱出できるでしょうか?

編集長―脱出できないと思うね。古くさい言葉のネットワークに囚われてしまってるから。しかし、〈社会の鏡〉が狂ってしまうと、見る人はどうなるのかな?

半分半分放送局長―一緒に狂うだろうさ。〈社会の鏡〉が鉄砲を持てば、見る人も鉄砲を持つね。

大沢橋から見た岩堰取水施設

特派員―特派員は受動的に行動させられる場合が多いけど、捜査本部のこんな発表には馬鹿馬鹿しくてついて行けませんよ。

アロマ―でも、何とか考えてみなければ、なあ。橋の上から突き落としたというニュースを見て、フラッシュバックしたのは編集長の言葉よ。〈しかし、そういう怒りあるいは憎悪から短絡的に首をしめて殺すという行動に移るかな?普通イメージが重なれば、愛情を注ぐ。これは逆だ。〉それを聞いて、母親が娘を嫌っていたら、と想像したのよ。論理的に、ね。すると、さきがけ新報が〈虐待の可能性がある〉と秋田市の笠松病院の精神科の権威の話をインターネットに送ってきた。例の笠松ですよ。

特派員―それは、特派員と同じだよ。立派なレポートを書けるよ。

ナモネ氏―うむ、アロマのレポートを早く読みたいもんだ。サイン入りの、な。

特派員―特派員は次に来るニュースを予想しました。殺した娘とイメージが重なったので恐れおののいて衝動的に男の子も殺してしまった、と容疑者は告白した…発表では、〈サクラマスを見たい〉と娘が言うので大沢橋に連れて行って突き落とした。

大沢橋の橋脚台

編集長―HHJに対する挑発だな、これは。

                                                 ---716日の会話

          

特派員―フランス革命記念日の714日のニュースは、気の弱い日本人を一人残らず橋から突き落として虐殺したような悲劇的なドラマでしたが、18日このむし暑い梅雨時に県警捜査本部は畠山鈴香を娘の彩香ちゃん殺害容疑で再逮捕しました。

ナモネ氏―天気は関係ない。注意力が散漫だ。

アロマ―裏の意味を翻訳すれば、HHJの特派員はこの事件と何の関係もありません、ということね。琴音(ことね)橋の妙なる調べは、宇宙のディスカヴァリーですわ。

半分半分放送局長―風雲急を告げる第2幕の幕開けにふさわしい調べだな。

警察の取調べのBGMに流したいよ。

大沢橋の欄干

編集長―警察には責任を取ってもらわないと困るなあ。49日の事件の捜査にミスがあったこと、不正確な発表をしていたことに対して。警察庁は、なるべく早く検察庁と同じようにヴィデオによる取り調べの記録を試験的に実施して、人権保護のために捜査の透明化に努めるべきだ。

特派員―日弁連は、取り調べの全過程を記録保存するよう検察庁に要請してますよ。警察庁は、世界の流れを無視するべきじゃないでしょう。

放送局長―14日の発表がなぜ困惑させたか、という問題はどうだろう?

特派員―それは、要するに、犯人を追う人が犯人になってしまったから、ですね。メビウスの環のように、反対側に回ってしまった。ぼくも、編集長が大学2年のときに発表したあの作品を想い出しましたよ。

放送局長―推理小説が好きな男が夜中に、助けてくれ、怪人百面相だ、と叫ぶ声を聞いて夜の大都会で探偵役を演じる。ところが、敵は誰にでも簡単になれるから、主人公はまもなく自分が怪人になったと錯覚して、今度は逃げ回るのだ。

ナモネ氏―批評は変転する。

編集長―幾何学ですね。時間が経てば、角度が変わり、他の面が見えてくる。法学部の騒がしい学生が書いたとなれば、警戒する組織があっても不思議はない。

放送局長―敗戦後の冤罪事件に興味を持っていたから、なあ。

編集長―警察の取り調べは、実態を想像するしかないが、一種の対話で過去を再現する。容疑者は自分が知らなかった事実を執拗に何度も聞かされると、現場にいた犯罪者のような記憶を当然持ってしまう。孤独の中で、それと戦わなければいけない。容疑者の話がこれほど変転するのは、取り調べ担当者がでたらめなシナリオを強制するから、だろう。

特派員―それから現場検証で演技指導を受けると、どうなるか?

アロマ―藤里劇場を作らなければ。

ナモネ氏―そうだ、フィクションは劇場の中でやることだよ。

編集長―シナリオを書く者は藤琴川について勉強しなければ、な。粕毛川との合流地点から米代川までダムの水は常にずっと薄緑色に濁ってるので、サクラマスを見るのは難しいのだ。

アロマ―それに、49日の6時すぎと言えば、ヘッドライトを付けるころなのよ。川の水面は暗いはずよ。

        

       藤里町物語 c

A Easy go : Stan Kenton & his orchestra

参考:

毎日 200678

TBSi 1411:312006/07/14

NHK  714 129

毎日 2006714日 1500

共同 2006 716 () 01:19

朝日 2006 716 () 10:24

さきがけ 2006/07/17 09:53

産経 2006 718 () 15:46

朝日 718 () 06:07

 

▼ 藤里町物語 b

 

 

 

 

 

 

 

 


アーティ・ショウ楽団の〈ビギン・ザ・ビギン〉に暗然[A]

        Updated 2006.7.1

アロマ―あたしが考えたとおり、これは殺人よ。今日の毎日新聞によれば、ほらね、〈遺体や着衣に流された際の傷やほころびはなかった。〉〔1〕

特派員―ふうん、なるほど。そうだったのか…67日付けの記事には、事件に巻き込まれたと警察が推理する根拠の一つに、女の子の〈遺体が流された際の外傷がない〉ことを挙げていた。

編集長―捜査が進んだというより、当局は、その重大な事実を公表しないでいれば世間がもう信用しなくなる、と判断したんだろうな。

藤琴橋から水死事件が起きた川岸

半分半分放送局長―18日付けの情報だが、遺体に軽い骨折痕が見つかった2。捜査本部によれば、〈川を流される際に石などにぶつかってできたもの〉らしい。しかし、身につけていた服には川を流れていた間の傷もほころびもなかったんだから、女の子の遺体は藤琴川を流れなかったということだろう。〈殴られたり、川に突き落とされた時にできるような骨折では〉ないと警察は言ってるが、もう一度調べなおさなければいけない。

ナモネ氏―〈際〉という言葉は、ある変化点に使われる。時間は短い。だから、それは、つまり〈遺体が流された際の外傷がない〉というのは〈水に落ちて流されはじめたとき〉のことだと解釈したが、違うかね?

編集長―警察が特殊な話し方をしてるとは思えないけれど、苛々させられる。しかし、ナモネ氏の解釈だと、女の子は流れに落ちてすぐ死体になったことになる!

ナモネ氏―今年の藤里は、なあ、まるでNHKのドキュメンタリー番組〈風雪〉の時代の秋田で、雪がいっぱい積もって4月でも平地に残っていたもんだ。気温も低かった。藤琴川が、流れのそばで安心して遊べるように見えたとは、私にはとても信じられんな。

魚道のある市川かんがい取水堰

特派員―ところで、秋田地検は25日畠山鈴香容疑者を藤里小学校1年生米山豪憲君の死体遺棄罪で起訴、県警は殺人容疑で再逮捕しました。2軒隣りに住む男の子の殺人は49日に起きた娘の謎めいた水死とどんな関連があるのか、多くの人が関心を持っています。無関係だと決めつける人はいないでしょう。今日はその事件に焦点を移して話してくれませんか?

編集長―間違いないのは、女の子の遺体が藤琴川下流の中州で発見されたこと、米代川に合流して間もない川岸で仲良しの男の子の遺体があったこと、だ。地図を見れば分かるが、合流地点の琴音橋から時計の針の7時方向に約1キロメートルから1.5キロメートルのほぼ等しい距離で発見された。誰かが故意に計画したことでなければ、何なのか?

ナモネ氏―なるほど、なるほど。私の疑問と重なることだな。というのも、男の子の遺体を捨てた場所は対岸の河川敷公園から見えやすい。夕方の4時ころあの長い銀杏橋を白い車で渡って現場に行くと、必ず人目につく。しかし、容疑者にはそんな危険を冒す理由がないのだ。

琴音橋の上から合流地点下流

放送局長―容疑者が藤琴橋のそばにある自宅からそこまで走って行く時間を計ってみなければ。秋田地検はこういう結論だ。〈5月17日午後3時45分ごろ、軽乗用車の荷台に遺体を乗せて約10キロ離れた能代市二ツ井町荷上場の米代川左岸に運び、午後4時5分ごろ、市道脇の草むらに遺棄した〉320分のドライブ。

特派員―銀杏橋経由は最短距離で約11キロ。

放送局長―平均時速60kmで走って信号待ちがなければ、10数分で到着だな。ゴミ捨てのようにさっさと片づけて、20分。二ツ井町の母親の家に行って、それから一緒に晩ご飯…このスピーディな行動はシナリオどおりだとしても、ちょっと無理じゃないか?…

特派員―ええ、おそらく時速60キロメートル以上で走れるのは町の入口まで。渋滞がなくても、難しい。母親は、彼女が〈普段通りだった〉と話しています。そして、〈10分ほど買い物〉に出かけたが、ずっと一緒だった、と4。犯人は果たして夕方の街が混雑する時間帯を選ぶ理由があったんでしょうか?夜では駄目だったんでしょうか?これも異常ですよ。

アロマ―危険なストーリーが大好きだなんて、ね。

編集長―母親思いの女がやることじゃないね。

放送局長―そう。アリバイ工作にもならないからな。

特派員―それほど冷静に行動できるなら、母親の家で軍手と腰紐を燃やしてしまうこともできたはずなのに。

放送局長―殺害するときの心理がおもしろいよ、な。鈴香容疑者は、娘と仲良しだった少年を呼び招いて自宅に入れた。彩香ちゃんの想い出の品をもらってほしいと言って。男の子が玄関で腰をおろして待っているとき、その姿が死んだ娘と重なりせつなくなったというのだ。一方が生きていることにこの世界の不条理を感じたのだ。そういう言葉では自分の気持を言い表わしていないが、ね。

編集長―しかし、そういう怒りあるいは憎悪から短絡的に首をしめて殺すという行動に移るかな?普通イメージが重なれば、愛情を注ぐ。これは逆だ。

特派員―ちょっと邪魔をするようですけど、その可愛いイメージの重なりは遺体発見現場の構図とよく似ていませんか?

編集長―うむ、そうだ。女はそれを意識していない。HHJが集めた情報で判断するかぎり、彼女にはそんな推理小説的な犯罪に仕立て上げる必然性はどこにもないな。誰にあるのか、秋田地検は裁判でその問題を提起して説明しなければいけない。

ナモネ氏―大変なことになりそうだなあ。

       ☆ ☆

□ 藤里町物語 b

A Begin the Beguine : Artie Shaw and his orchestra

       Recorded 1938 RCA

,3 毎日新聞 2006625日 百武信幸

2  TBSi  1814:19

4        毎日新聞 200668日 田村彦志

 

▼ 藤里町物語 a

歴史を視野に入れると

▼ 藤里町物語: 犠牲者が次の事件の犯人になる

 

 

 

 

 

 

 

 


★グレン・ミラーの〈ボルガの舟歌〉は大都会風のアレンジA

        Updated 2006.6.24

特派員―〈犠牲者が次の事件の犯人になる〉…テレビ朝日のゴールデン・アワーのドラマにぴったりですね。NHKは大津と岸和田の連続放火事件を裏番組にぶつければいい。視聴者が楽しい。

編集長―〈このドラマを見終わると、あなたは次の事件の犯罪者になる!!!〉、だろうな。

半分半分放送局長―自動的に犯人に仕立て上げられる!!!

編集長―冗談は別にして、この二つの事件は構造が似てる。外観はかなり違うが、それに惑わされてはいけない。畠山鈴香は娘の水死についての警察の説明に納得できなかった。〈何らかの他人の力が加わっているはず〉だと疑った。それで、目撃情報を求めるビラを配ったり、能代署に再捜査を要求したりしていた〔1〕。普通なら、同情されるべき哀れな母親なんだ

岩堰

ナモネ氏―きのう21日県議会の教育公安委員会で県警捜査本部の岸野篤司刑事部長が答弁したが、ね、おもしろいと思ったのはある県議の質問だ〔2〕。〈水死について事件性があると当初から判断して捜査していれば、約1か月後に発生した殺害事件を防げたのではないか〉というものだ。残念ながら、岸野刑事部長はそれに答えなかった。

特派員―さきがけの新聞記事を見に中央図書館に行ったけど、時間の無駄でしたね。水死についての刑事部長の答弁に関する報道は、これくらいですよ。〈結論を出すだけの証拠が集まっておらず、事件、事故の両面で捜査している。〉〈当時は川に落ちて流された可能性が高いのではないか、ということで発表した。〉〈捜査を継続している。〉議員の質問には具体的に答えようとしない姿勢です。この水死について公表された事実は極端に乏しい。ミステリーですよ。警察もマス・メディアも、現地に行ってない!

アロマ―ところが、取材に行ったジャーナリストは数百人。

編集長―警察を侮辱すると、蝿が押し寄せるということだよ。

大沢橋の下のブロック

放送局長―現地ってのは、どこか?白神山地でも、きみまち阪でもない。川の中だ。藤琴川と米代川の中だ。

編集長―白神山地のイメージが悪くなるのを恐れる声があるのは、当然だ。ぼくは奇妙な想像をしたが、それはリヴァー・ドキュメンタリー撮影の経験と歴史認識から出たものだ。自然の中で生活していない人たちは事件現場の映像を見ても何とも感じないだろうが、デリケートな人ならしばらくそこから下流の川に入れないとか川の水を利用できなくなる。

放送局長―さすがリヴァー・ユートピア代表。おれにも同じような体験がある。何年経っても水が汚染されているような気がしてならない。強迫観念が形成されて、水道の水さえも不安に思えるんだ。

編集長―書き忘れたことがある。藤琴橋からきみまち阪までの間には大きな取水堰が二つあるんだ。市川堰と岩堰。市川堰は、容疑者の娘が転落した現場からおよそ650メートル下流。岩堰は、さらに1.7キロメートル下流にある。

特派員―写真で見ると、どっちも鉄の水門が付いてる。49日それが両方とも閉じていれば、遺体がきみまち阪の近くまで流れるのは無理ではないかな?

編集長―高岩橋の下流まで、ね。ぼくは早合点して大沢橋と書いたが、それは岩堰がある八坂にかかる橋だ。2004年の10月そこを通りかかったとき江戸時代に作られた用水路の風情が気に入って撮影したが、片一方の水路は二ツ井町を通過して能代市に延びているんだ。

放送局長―妙に大沢橋辺りにこだわってるな。しかし、橋の下全面に敷かれたあのブロックは重量のある大きな物体を止めると思うが、どうだろう?

編集長―雪どけの流量を計算に入れないと、答は出せないな。しかし、秋田県警は科学的に捜査するべきだと思うね。途中に堰があることを不自然さの理由に挙げてるんだから〔3〕

アロマ―彩香ちゃんが着てた服に証拠がいっぱいある。堰の汚れが付着していたかどうか、分かれば、謎は解ける。

特派員―そうだ。しかし、それに関する報道はなぜか、どこにもない!

             

□ 藤里町物語 a

A  Song of The Volga Boatemen : Glenn Miller and the army force band

1 毎日新聞 200665  百武信幸、馬場直子

2  さきがけ新報 朝刊 2006.6.21

3 毎日新聞 200667日 百武信幸、馬場直子

 

▼ 藤里町物語 b

▼ 藤琴川ドキュメンタリー セレクション

  [関連する写真はアップロードしていません。]

 

 

 

 

 

 

 

 


★〈マンボ・ラプソディ〉はケントン楽団でさえ何が何やらの騒がしさA!!!

           Updated 2006.5.27

特派員―《他人のための死刑台》はどこからヒントを得たんでしょうか1

編集長―カフカが万里の長城の建設を描いた小説だよ2。建築技術者か設計技師だったか、自分が城のどの辺を受け持っているのか分からない、と嘆く場面があった。それにインスピレーションを受けて、あの機械仕掛けの死刑装置が登場する有名な小説《流刑地で》のシチュエーションを借りた。

特派員―冒頭はよく似てますね。刑務所長が新入りの囚人を案内して、刑務所の独創的な制度を自慢する。

編集長―カフカに捧げる一種のオードなんだ。あの小説を想い出してもらいたい、という記号でもある。

立体交差下の自転車

半分半分放送局長―あっ、なるほど、ね。カフカの小説では囚人は死刑台に乗せられるが、《他人のための死刑台》では囚人に希望と仕事を与える。ところが、その作業が問題だ。

ナモネ氏―私も趣味でやってることだが、な、自分の手で仕上げた一枚の板が何なのか知らないっていう馬鹿な話はない。しかし、それが社会の労働や仕事の一面だ。

特派員―寓話だな、と気づきますよ、当然。

放送局長―しかし、その囚人はかなり鋭い想像力の持ち主だよ。彼が作っているのは単独の製品じゃなくて何か他の物の部分じゃないのか、と疑惑を抱くようになるんだから。

編集長―あの小説ではぼかしてるが、同じ物ばかり作っていたら、自分が死刑台のある部分を製作してるのかもしれない、と想像するのは不可能だろう。

放送局長―刑務所の企みか…何を製作しているのか、囚人がだんだん悟るように仕組んだ、と考えたいね。

アロマ―意地悪く。

放送局長―いずれにしても、囚人の悩みは他人事じゃない。

ナモネ氏―道徳的な人間なら、もっと悩まなくちゃいけない。私なら、そんな卑劣な仕事は断るよ。

放送局長―しかし…!

特派員―道徳と言ったって…!

ナモネ氏―主人公は報酬を貯めて社会復帰するという欲求に負けるが、誰か知らない他人の死刑台でなくて、知ってる人間の死刑台として使われる恐れもあると想像したら…

アロマ―想像で…?

ナモネ氏―どうするのか?主人公は罪悪感をごまかしたために、自分が作った死刑台に乗せられるのだ。

放送局長―主人公がそんな作業を断っていれば、他人が組み立てた死刑台に上がらなくてすんだか、と言うと、それは分からないな。

編集長―異議異論がいっぱいあるようだから、他の機会に、あとで落ち着いて話し合おうか?あれは抽象的に書かれたドラマなんだ。現実の出来事に当てはめると、そう単純明快な図形は描けない、ということはもちろん理解してたよ。

放送局長―国際テロの不可解な状況を生きる者には、おもしろいテキストだ。

          □ 《他人のための死刑台》をめぐる対話 1

 

A Mambo Rhapsody : Stan Kenton & His Orchestra

1 1970年代後半の短編小説。未発表。

2 長城 ;  Franz Kafka  1917年執筆。未完成の断片。

 

例えば、こんなストーリー

  NHK放火狂事件 : 関係者はみんな精神鑑定を

▼ パール・ハーバー関連記事---ニューヨークでの戦艦爆破テロ

               広告看板が話しかける

▼ カレンダーのある事件

 

 

 

 

 

 

 

 

 


〈あの愚かなフィーリング〉はトミー・ドーシー楽団の苦いプレイで〔A

     Updated 2006.5.21

半分半分放送局長―これは絶対テーマにしなければいけない。読売新聞社の渡辺恒雄会長が日本外国特派員協会で戦争問題について語ったことだ。

特派員―ライブドア・ニュースでしか見てないけれど、確かにこれはHHJで議論するべき出来事ですね1323日会長が言うには、〈最大最悪の責任者が東條英機(元首相)であることはまちがいない。戦争に必要な資材の調達能力がアメリカより下回っていたにもかかわらず、勝つ見込みが全くない戦争を始めた。〉

ナモネ氏―資材の調達どころじゃないんだなあ。石油と鉄が手に入らないのだ!

編集長―その現在形は、非常にワサビが利いてる。広大な満州で石油と鉄が採れなかったのは天罰ですよ。

小坂鉄道整備工場

放送局長―保守系の大新聞が今、こういう状況で、外国人に向かって率直に反省の声を上げた、これがポイントだ。〈歴史を検証した上で日本の過去の過ちを謝罪しなければならない〉と訴えているんだ。

特派員―具体的にどうするか、と言うと、〈国会に戦争責任検証常任委員会をつくってもらって、国会としての意思表明をするのが一番いい。〉〈まず、(検証記事などを通じて)読売新聞がはっきりとした態度を示す。〉こうですよ。大人ですね。

編集長―その発言に対して朝日新聞はどう反応しただろうか?

ナモネ氏―あそこは歴史を振り返らないジャーナリズムだ。わざと触れないことがいっぱいある。

放送局長―戦後生まれにとっては左翼系の新聞だったが、人間をどう考えるか、民主主義特に自由をどう認識しているか、なんてことは表明しない。経済だけで歴史の真相をとらえようと、うまく逃げてるんじゃないか?

特派員―パール・ハーバーについて回想した森恭三がいい例ですよ。

編集長―人間不在の歴史学、人間不在の記号論なんていうのは、ナンセンスだ。

特派員―朝日新聞は戦前の歴史資料をかなり隠してるんじゃないかな?

放送局長―そういう暗い歴史をあばくのは毎日新聞の役割だよ、君。

特派員―期待しましょう。最近分かったことだけど、毎日新聞はTBSの安定株主だった。それが、なぜか深刻な経営危機に陥って70年代後半からは両方一緒に受難に耐えた2

放送局長―そうなんだが、肝心の資料がないと、議論は難しいな。三大新聞が検証記事を書いて競争したって、生活に追われている我々一般市民はどれが真実なのか、何が正しい答えなのか、判断できるだろうか?

編集長―うむ。普通の市民が手軽にできるのは疑問点を問いただすことだが、それに対してマス・メディアが個人の顔と名前を出して誠実に答えるという環境が必要だと思うね。

特派員―今まで一番重くて暗い対話。これに合うスィング・ジャズはないな。

 

A That foolish feeling : Tommy Dorsey & His Orchestra

1 Livedoor 2006.3.23

2ウェッブ百科 WIKIPEDIA

 

朝日新聞グループの裏面の例を見る

▼ TVWebEvent製作実行企業の裏面

▼ 人間の可能性が行き着くところ

▼ マスク・キングダム

 

 

 

 

 

 

 

 

 


〈ブルー・スカイ〉は大館の街でも人気があったにちがいない[A]

             Updated 2006.5.8

特派員―カティサークを国際通りのバーに広めた人?

アロマ―林一幸。ずっと35才だったけれど、423日突然、脳内出血でなくなられた。

ミラーに映る階段

編集長―子どもの頃から、田舎の人じゃないな、と思ってたね。運がよければ、一端の芸術家になっていたかもしれない。20数年前〈おれのことを小説に書け〉と酒を飲みながら言ったけれど、ぼくは実際にあった出来事を小説にはしない。林さんも、昔のことは話さなかった。それで、林さんのイメージというのは、アプレ・ゲール(戦後派)の遊び人なんだ。しかし、3年前に仲のいい父が死んだとき母から聞いたのは、林さんの人生の影だった。東京生まれで、戦争前サハリンで暮らしていたが、小学3年生のときソ連軍が攻めてくるというので、父親が子ども3人と妻を北海道に送って、自分は仕事のため引き返した。父親の姿を見たのは、それが最後だった。どんな仕事か、聞いてないが。

ナモネ氏―ふうむ。弘前で共産主義にかぶれたとか、演劇をやってたとか、ということだが、大館に住みついたのはどんなわけなのか、ねえ?

編集長―祖父に預けられたという話ですね。家具木工組合の事務員だけど、何か、はせ川食堂でダンス・パーティを開くために生きていた、と言うと、やばいかな…

ナモネ氏―あれで、よく理事長にまでなったもんだ。晩年は子分が途方もない活躍をして、苦労しただろうが、な。

編集長―ぼくは子分じゃありませんよ。林さんは、どっちかと言えば、家族の一人だった。ぼくが大館に帰ってきたとき、生命を心配してくれた。父が死んだとき、〈じぇんこ()やるから、ロシアに行け!〉と問題解決の妙案を出した。そういう人です。

特派員―本当は、林さんが行って暮らしたかったんじゃないでしょうか?

アロマ―その気持、分かる。晩年はお地蔵さんを彫るのが趣味だった。

編集長―仕方がないことだ。リヴァー・ポート・アワーのヴィデオに日付を入れるよ。

ナモネ氏―はせ川食堂には新しい文化が育つ独特の雰囲気があったが、花は咲かなかった。この理由は一人一人振り返って考えないといけない。恵まれた環境だった、しかし、社会は自然とは違う論理で動いていた。

A  Blue Sky : Les Brown & His orchestra

 

 

 

 

 

 

 

 

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Atelier Half and Half