知恵と諭しをわきまえ、分別ある言葉を理解するため - アルメニア語の知恵の言葉

見応えのある映画だった。

前々からタイトルだけは聞いていた。酷暑の夏休み、涼しい実家のリビングで鑑賞した。

ポツダム宣言受諾を決定してから終戦の詔書が玉音放送されるまで間の政府と軍部の動きを詳しく描いた作品。ドキュメンタリー風で緊張感が高い。

恥ずかしながら8月14日に陸軍青年将校が起こしたクーデタ、「宮城事件」のことは知らなかった。緊張感が続いたのは、この事件の経緯と結末を知らなかったせいもある。

最初に観賞後に感じた素朴な感想。なぜ、7月に終わらせることができなかったのだろう。その疑問に対する答えは、半分、映画のなかで描かれている。半分は謎のまま


戦争を始めるのは国際法に違反するにしてもその気になれば奇襲戦もできる一方で、戦争を終わらせることはそう簡単にはいかない。条件も交渉しなければならないし、敗戦処理の段取りも決めておかなければならない。そのせいでポツダム宣言を受諾するまでもモタモタしているし、受諾を決めた後でも、いちいち段取りと形式があり、時間が無為に過ぎていく。

そのあいだにも、何も知らず特攻に出撃してしまう兵士もいれば、戦災の中で苦しんでいる国民も多勢いるそういう人々に想いを寄せている様子が閣僚たちにまったく見られない。会議室で煙草をくゆらせながら形式と面子にこだわる閣僚たちの姿には腹が立つ

もちろん、それは作品の意図的な演出であることはわかる。笠智衆が演じる鈴木貫太郎はのらりくらりしているし、三船敏郎演じる阿南陸相は制服組からの突き上げに苦しんでいる。それぞれの人物がそれぞれの役職なりに、苦心や思惑があることを本作は上手に描き出している。その点は、橋本忍の脚本によるところが大きいと思う。

正然とした会議室といまだに戦闘状態にある飛行場が交互に映し出され、戦災地の悲惨な風景も代わる代わる映し出される。対照的な映像を交互が映ることで戦地の緊迫感と政府の稚拙が際立つ。

橋本忍は、同じように軍内部で役職ごとに苦労と思惑が交錯する『八甲田山』でも脚本を手がけている。


遅々としながらも少しずつ「終戦の詔書」が作成される政府の動きの裏側で、陸軍の青年将校たちはクーデタを目論む。熱情に駆られた壮絶な表情をカメラが写し取っていく。

しかし、終戦から75年も過ぎてしまうと、彼らの心情を理解しようにもまったく理解できない。形式と面目を重んじる閣僚の思惑は何となくわかる。政府にしろ会社にしろ、今でも組織というものはそういう傾向がある。それでも彼らは最後には「終わらせる」ことで合意した。

「終戦」すら受け入れない陸軍将校の心情がわからない。「本土決戦」を、彼らは本気でやるつもりでいたのか。そうとしたら、私に言わせれば、それはもう狂気としか言いようがない。それは時代が遠すぎるからだろうか。同じ時代に生きていたら、同意はできなくても心情は推察できただろうか。

横浜で一般住民までかきあつめて決起した佐々木大尉(天本英世)はすでに気がふれているように演じている。本作が製作された1967年でもすでに、「宮城事件」に参加した者たちの心情は理解できないものだったのではないか。少なくとも本作は「宮城事件」首謀者たちに同情の余地はないものとして描いている。

佐々木大尉の表情を見て、『つぶやき岩の秘密』で、地下要塞で「本土決戦の志」を思い出した亀さんの異様な表情を思い出した。どう見ても、正気の沙汰ではない。


「宮城事件」の首謀者たちは何かに取り憑かれた者のように描く一方で、阿南陸相はやや英雄視している感もある。他の閣僚たちについても、8月14日以前どう振る舞っていたのかは語られない。「終戦の詔書」を共同で作成した「戦争を終わらせた者」として描かれている。昭和天皇にいたっては背中や肩しか映らない。

本作は「最後の一日」に焦点を当てているのだから、語られていないことについて「ないものねだり」をしても仕方ない。1967年の時点では、この「一日」の経緯をリアルに描いただけでも一般の人たちにとっては衝撃的な内容だったかもしれない。


昭和の映画として本作を見ると、このあと大物俳優となっていく人たちが多勢出演しているので面白い発見がある。伊藤雄之助、仲代達矢、小林桂樹、中村伸郎、北村和夫、児玉清、加藤武、加山雄三⋯⋯…。1977年公開の『八甲田山』、1979年公開の『太陽を盗んだ男』に出演している俳優も多い。登場する俳優に見覚えのある人を見つける楽しみがあった。

昭和の名優たちが懐かしく見えるとは、やはり私は「昭和」の人間らしい。

最後に一つ。印象に残った場面について書いておく。

クーデタ部隊が宮内省を襲撃した時、侍従の一人(小林桂樹)が防御のための鉄窓を閉じながらポツリともらす。

空襲のときにも閉めなかったこの窓を閉めることになるとは⋯⋯…。

この台詞を聞いて、大学紛争の時代、研究室をめちゃくちゃに荒らした学生たちに対して「ナチスでもこんなことはしなかった」と嘆いた丸山眞男の言葉を思い出した。

真の敵は意外にも身近にいるのではないか

そういう真理であってほしくない真理を二人の言葉は問いかけているようだった。


写真は東洋文庫ミュージアム、知恵の小径にあるアルメニア語の知恵の言葉。

知恵と諭しをわきまえ、分別ある言葉を理解するため


さくいん:半藤一利『八甲田山』丸山眞男60年代70年代