8/30/2015/SUN
「昭和」を点検する、保坂正康 + 半藤一利、講談社現代文庫、2008
長らく昭和史を研究、調査してきた二人の対談。出版社が提示した5つのキーワードを視点に据えて、日中戦争開始から太平洋戦争開戦、敗戦までを語りある。
- 世界の大勢:近代日本の呪文
- この際だから:原則なき思考
- ウチはウチ:国家的視野狭窄の悲喜劇
- それはおまえの仕事だろう:セクショナリズムと無責任という宿痾
- しかたなかった:状況への追随、既成事実への屈服
対談とはいえ、人名や日付、文書名や証言者の発言などは、具体的で且つ詳細にわたる。
基本的に二人の見方に同意するので、読んでいて、これまで抱いていた印象が裏付けられたようで、納得の読書となった。
ブクログのレビューで多くの人が指摘しているように、5つの視点は、現代の日本社会にも適用できる。原子力発電所の拡大と事故にしろ、安保法制の無理やりな審議にしろ、いじめを隠蔽する学校と教育委員会にしろ、そして、大手企業の粉飾決算にしろ。
現場はそれぞぞれの持ち場で努力しているのに、上層部は上記のような心性をもっていて、失敗の原因を現場に押し付け、自分たちは責任から逃れようとする事態も、今も変わらない。
そこで疑問に思うこと。
彼らを「自虐史観」と批判する、いわゆる「歴史修正主義」に立つ人たちは、これだけの証拠を突きつけられて、どのように反論するのだろう。何かしら合理的で有益な反論があるなら読んでみたい。
本書のなかで、一番厳しい批判と思ったことは、敗戦直後、進駐軍が来る前に重要な書類を大本営は指令を出して焼いてしまったこと。
保阪 (前略)従軍慰安婦問題でも、われわれには軍の関与を示す資料はないと言う資格はありません。だって「おまえの国は資料を焼いてしまう国だよ。信用できるものか」と言われてしまったら答えようがありません。
半藤 逆にきちんと文書を残しておいてくれてさえいれば、弁明できた部分もあったはずなんです。
都合が悪いと思った資料を焼き捨ててしまったせいで、後々になって正確な事実を提示することができない。感情に基づく叫びばかりが大きくなるのは情けない。
もう一つ。天皇の戦争責任について、これまでは漠然と「ある」と思っていた。本書を読んで、簡単な問題ではないことがわかった。二人とも昭和天皇の生き方や考え方を高く評価している。昭和天皇について、もっと知りたい。
写真は、占領中、対日理事会があった明治生命館、大理石に装飾が彫り込まれた柱。