Bemelmans: The Life & Art of Madeline's Creator, John Bemelmans Marciano, Viking Penguin, 1999


ベルギー人の血をひき、オーストリアとイタリアの国境をまたぐチロル地方に生まれ、十代半ばで故郷を飛び出し、ニューヨークの高級ホテルで働き出した。ホテルに集う客を落書きするうち、いたずらから漫画を描くようになり、やがて絵本画家となったルードヴィッヒ・ベーメルマンス。

そんな彼がニューヨークでパリの子どもたちを描いた絵本。マドレーヌ(原書の発音に従えば、マデライン)の世界はまさに辻邦生のいう「世界文化混淆(アレクサンドリア)」の世界。

祖父には直接会ったことがないという孫による伝記を読むと、ベーメルマンスの人生そのものがアレクサンドリア的であり、彼がそれを楽しんでいたことがよくわかる。それは単にチロルで生まれ、終生アメリカで過ごしたという、国籍上の複合性だけを意味するのではない。

ドイツ語訛りが抜けない父親に、娘、バーバラはドイツ語で考えているのかと尋ねた。この質問にルードヴィッヒは、ドイツ語でも英語でもなく、いつも絵で考えていると答えている。まず絵を頭のなかに描き、それを言葉に翻訳してから、話したり書いたりするのだという。


ベーメルマンスの仕事は、絵本だけでなく、晩年には油彩画も描いた。若い頃には、絵と文字を組み合わせたマンガ、その後は、小説や多くのエッセイなど、文字だけの作品も多く発表している。それでも彼は自分のことを、作家でもなく、ドイツ人でもアメリカ人でもなく、どこにていても絵でものをとらえ考える画家であると充分に自覚していた。

ベーメルマンスの絵には、都会に暮らす楽しさがある。雑誌「ザ・ニューヨーカー」の表紙に長く採用されていたのが何よりの証拠。『マドレーヌ』の絵も、発表当時は子ども向けとしては洗練されすぎていると心配されたらしい。

十代でヨーロッパの辺境を飛び出し、アメリカの大都会、しかもホテルというもっとも都会的な場所で大人になったからに違いない。彼の画業はホテルの客を落書きにすることからはじまった。都会的で洗練されていて、楽観的。こういうところも辻邦生が思いついたアレクサンドリアという概念と結びつく。まだ幼いはずの娘との会話も、知的で、大人びていて、洒落ている。

ベーメルマンスは、アーリントン墓地に眠っている。彼は画家として生きた後、合衆国兵士として葬られた。彼は娘に言った。

ジプシーのように生きる必要はない、一つの場所に留まりたければ、例えばアメリカ人でいたいのなら、そのままいればいい。

彼もまた、さまよい人ではなかった。コスモポリタンにも祖国はあった、そう結んでも間違いではないだろう。


碧岡烏兎