最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

池に映る人影

3/2/2017/THU

大鬱波 おおつなみ


ひどい目にあった。辛くも命拾いした。

日常として少しずつ定着しはじめた会社生活。昼休みが過ぎた頃、上長の上長にあたる人が声をかけてきた。

ちょっと、話しませんか。

小さな会議室に二人で入り、扉を閉めた。


どうですか、慣れましたか。

型どおりの様子見と思い、「はい、慣れてきました」とこちらも型どおりに返した。

そのあと、長い通勤時間が平気か、週末はどう過ごしているか、夜はよく眠れているか、など、心身の調子を気遣う質問が続いた。

本当は万全ではないのだが、最悪だった頃のように仕事中に勝手に涙がこみ上げくるような状態になったわけではないので、「順調です」とかわした。

今の仕事、どうですか、自分に向いてますか。

変化球を投げてきた。何の準備もしていなかったので、その場で思ったことを口にした。

大丈夫です。最初のタスクは時間がかかって迷惑をかけましたが、次はもっと早くできると思います。

面談はそれで終わった。叱責はもちろんのこと、「こうしてほしい」という改善の要求も、「こんな風にしたら」という助言もなかった。

しばらく前に部門長にも呼ばれて、同じような面談をした。そのときも雑談だけだった。様子を見たかっただけだろう。その時と同じように、たいしたことではないと思い、自席に戻った。


帰りの電車のなかで、今日の会話を再生してみた。そのとき、小さな疑問が思い浮かんだ。

「今の仕事に向いてるか」って、どういう意味だろう。

一段飛ばしで階段を降りはじめる。考えていることは疑問形でも、思いは確信に変わっていく。

「向いているか」と訊いたのは、「向いてないんじゃないか」と思っているからではないか。

一歩、踏み外して転ぶ。

最初のタスクの出来が悪かった報告が上長から上がったのではないか。それで、本当に「使えるかどうか」、自分の目で確かめようとしたのではないか。

ここからは、一気に転げ落ちていく

「向いてない」というのは「“ここ”に向いてない」ことを暗示していたのか。
ということは、試用期間で終わり?
また、職探し? どうしよう、どうしよう⋯⋯。

青息吐息で何とか家までたどり着くと、まだ誰も帰ってない。泣き喚いて暴れだしそうになる。まずい。この状況はまずい。


時間は夜の7時。起きていると気が狂いそうなので、布団にもぐって目を閉じた。意外なことにすぐ眠りに落ちた。気持ちが高ぶると身体も疲労するらしい。


翌朝、爽快な目覚めと言えるほどではなかったものの、異常な心理からは脱していた。冷静になれば、小さな妄想から独りでにおかしくなっただけとわかる。でも、その場では、どうすることもできなかった。

ストレス・マネジメントや認知行動療法は一通り習ったとは言っても、予期しない災害のように鬱が襲ってくると寝ること以外に対処法がない。

しかも、問題はすべて解決したわけではない。

試用期間で本契約なしはありえないとしても、会社が私をどう見ているのか、よくわからない。

認知行動療法は「認知の歪み」を正すものであって、元々の認知が正しいかどうかは別の話。客観的に判断しなければならない

「障害者枠」という特別扱いはありがたい点が多い一方で、社内でどう思われているか、とくに私のように200人以上、従業員がいる事業所で「初の精神障害者」となると、気を使わないではいられない。

しばらく、落ち着かない状況が続きそう。


下図は、眠りの深さを測るアプリ、Sleep Cycleから。目を閉じてすぐに深く眠り込んだことがわかる。ふだん、こんなに急降下することはない。10時間寝ていて快眠度100%というのも見たことがない。この日の睡眠が異常だったことがよくわかる。

Sleep Cylec, 3月2日

余談。Sleep Cycleには点数の低いレビューが多くついている。私の場合、止まったり、挙動不審になったことはない。


2017年3月11日追記。

3週間ぶりの診察でS先生に上記の顛末を話した。先生のアドバイス。

   不意に起きる感情の変化に即座に対応することはむずかしい。それでも今回は、何とか危機を乗り越えることができた。そして、今日はそのことを上手に説明することができた。それも進歩と言える。
   それは危機を客観的に見ることができているということ。この事実を書いておいて、ときどき読み返して、「次はもっと上手に乗り越えられる」と自分に言い聞かせるとよい。

この文章を書いたことにも意味があったと言える。


写真は、池に映る人影。先週の日曜は天気もよく、ダウンジャケットを着ていると汗をかくほど気温も高かった。春が近づいている。

さくいん:うつ