アレルギー、花粉症…現代人特有の体の不調は腸内環境の悪化によるものかもしれない
では、実際にどのように日本人の食卓が変わっていつたのか、その変化の移り変わりを具体的にたどってみることにしましょう。詳しく記載してある資料があるわけではないので正確性にはかけるかもしれません、しかしおよそ日本の当時の食卓のイメージがわくはずです。過去の日本人の食事内容を知ることは、腸の病気を予防することのヒントになると考えるからです。明治36年(1903)年、当時の政府が、農商務省「職工事情」労働事情の調査の一環として、労働者の食生活の実能首調査した記録が残っています。この記載によると、ご飯は、米7分麦3分は上等で、普通は米3分麦7分くらいでした。さらに副食は味噌汁、沢庵および葉大根、芋等の煮付けぐらいしかなかったようです。また、3~5日に一度くらいの割合で、香の物や味噌汁のかわりに、野菜の煮物がでたそうです。また魚に関しては、目刺しや干物が日に1度程度でました。これは、明治時代には、ごく普通の食事だったのではないかと考えられます。その後、大正10(1921)年に日本で初めて国税調査がおこなわれました。これによると、明治時代に比較して、食事の内容が副食を中心に豊かになってきていることがわかります。しかし、一般家庭では、まだまだ肉類や乳製品などは出現していなかったようです。意外に思われるかもしれませんが、魚食だって頻度は少なかったのです。つまり、日本人の食は、いまの「和食」のイメージとは違って、米、麦等の穀物が中心だったことがよくわかります。さらに、参考までに、戦前の昭和2年、8年、15年、25年の1日の食事内容ですが、戦前、そして戦後まもなくの日本人の食卓が目に浮かぶと思います。戟後5年たった昭和25年、夕食に洋食風のものが献立にのり始めました。日本人の食卓の欧米化の始まりが、このあたりです。