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三菱美唄炭鉱の歴史は、三井美唄よりはるかに長く、炭質も良好で長く石炭の歴史を支えてきました。
大正4年に三菱合資会社美唄炭鉱が設立され、大正13年には美唄〜常盤台間の鉄道も開通し生産を開始。
以後昭和47年に閉山されるまで、美唄の歴史と経済をを支えてきました。
三菱美唄の鳥瞰図です。 →拡大図はこちら(406KB) 新しいウィンドウが開きます。 ちょっと重いです。 |
炭鉱の歴史としては、三井美唄に比べると資料も多く、各所で詳細なデータも公開されているので、ここでは
主な写真の紹介だけして、その炭鉱の風景を再現してみたいと想います。
初期の三菱美唄炭鉱
左は竪抗完成記念の写真(大正12年) 右は昭和5年当時の様子です。 →拡大 別ウィンドウです。 |
美唄鉄道
左は美唄駅 右は盤の沢付近 →拡大(別ウィンドウ) |
これは昭和35年頃の美唄鉄道の時刻表です。約10キロを50分かけてゆっくりと走っていました。
美唄-------------------常盤台 | |||||||||||||||||||
603 638 643 653 |
705 800 806 816 |
852 926 932 942 |
1010 1046 1052 1102 |
1317 1354 1400 1410 |
1640 1714 1720 1730 |
1815 1850 1856 1906 |
2057 2131 2136 2148 |
km 7.5 8.3 10.6 |
発 ↓ ↓ 着 |
美唄 我路 美唄炭山 常盤台 |
着 ↑ ↑ 発 |
645 621 616 605 |
807 743 737 727 |
931 906 901 850 |
1222 1158 1153 1141 |
1552 1528 1523 1510 |
1719 1654 1649 1636 |
1854 1829 1824 1814 |
2135 2111 2107 2058 |
東明
東明駅です。 保存されています。 |
東明商店街 東明十字街付近の写真 三菱全盛時代、炭鉱から美唄東高等学校に通学する生徒は東明駅で下車。この道路を朝夕生徒が往復したのです。 |
盤の沢
盤の沢です。 この発電所は最近まで残っていましたが、残念ながら老朽化で解体されてしまいました。 →拡大 |
東明、盤の沢の次は我路になります。我路の風景は別な項にアップしてますのでそちらをご覧下さい。→我路の風景
清水台社宅です。 | 清水台夜景 昭和30年頃 | 旭台。旭小学校が見えます。 |
三菱美唄炭鉱病院
三菱美唄炭鉱病院は3回建て直されています。上が初代(大正10年)、これが焼失して真ん中が2代目(昭和8年)、そして一番右が鉄筋の3代目(昭和30年)です。 |
常盤台の風景
終点の常盤台です。駅のすぐ近くに竪抗がありました。常盤台の町並みは坂を上ったところにありました。
炭住のあったところは今は自然に帰っています。竪抗は保存されており、周辺は公園となって整備されている様です。
三菱美唄鉱業所 常盤台駅
常盤台社宅 常盤台会館 常盤台会館の内部です。
常盤台の風景はなかなか鮮明な写真が見つかりません。また順次追加していきます。
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