炭鉱のしくみ                             TOPへ戻る

石炭の採掘。
それは想像を越えた重労働です。また命がけの仕事でもあったのです。
炭鉱は暗くて狭い。幾万トンとも知れない重圧が頭上から、側面から牙
をむき、いつ火を吹くかわからないガスの充満する自然条件。
これが坑内労働者の職場なのでした。
 炭鉱のしくみを解説するには、膨大な項が必要です。
ここではとりあえず、採炭方式を中心に、簡単に説明してみたいと思います。

竪抗方式と斜坑方式

炭鉱の開抗方式には、大きく分けると2つあります。
 1つは、炭層に沿って斜めに掘り進む斜坑方式、もう1つは、一度地底に垂直に深く掘り、そこから水平に掘り進む竪抗方式の2つです。
 斜坑方式は、当初設備費用が安く、掘ってすぐに採炭できるという利点があります。しかし採炭が進むにつれ、次第に坑道が長く複雑になり、大規模になるにつれて、技術的にも経済的にも、コストがかさんできて、わりと早く行き詰まってしまうことが多いのです。
 これに対して竪抗方式は、一度垂直に深部まで掘ってから、採炭を開始するので、出炭するまでに多額の設備費と時間を要します。 しかし一度設備が完成すれば、斜坑方式に比べ能率が格段に優れ、生産利益を長期に亘って維持できる利点があるのです。大規模炭鉱に適した方式であるといえます。
■三菱美唄は竪抗方式・三井美唄は斜坑方式
↑三井美唄奥沢通洞入り口
採炭場まで約2キロ。電気軌道で石炭と人を運んでいました。

←三菱美唄の竪抗巻上げ機。
地下170メートルまでのびています。
この巻上げ機は現在も保存されています。
採炭説明図
美唄教育資料からの引用。

竪抗方式と斜坑方式の両方が説明されています。


→こちらに拡大版があります。

採炭

手堀の時代
炭鉱初期の時代、坑道も浅かった時代は、手堀り。これは大変な作業でしたね。
3人一組で掘ります。先山(さきやま)、後山(あとやま)そして小頭(こがしら)の3人でハッパをかけて石炭をくずし炭車まで運びます。気の遠くなるような重労働です。
三菱美唄は歴史が古く、初期の頃は手堀りによる採炭が行われました。
ツルハシによる採炭

資本力のない中小炭鉱では、このような採炭が戦後も行なわれていました。
機械化採炭

戦後、大手炭鉱では採炭の機械化が進みました。
その代表的なものがカッペ採炭。
昭和25年頃から、三井、三菱両炭鉱で採用されました。今までの木柱にかえて高低自在の鉄柱とカッペ(金属性の梁)で地圧を支えながら掘る方式で、ダブルカッターや、コンベアと組み合わせて格段に採炭能率が向上したのです。

写真をクリックすると拡大します。
ダブルカッターによる採炭 カッペ採炭

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