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昭和30年代は美唄の人口が9万人に達し、炭鉱も健在で最も活気のあった時代です。
しかし昭和38年に三井美唄鉱山が閉山。これ以降人口は減少を続けます。
昭和30年代の美唄の建物
美唄駅前 昭和31年頃です。 中央バスが見えます。 →拡大(別ウィンドウ) |
昭和36年1月 北海道拓殖銀行新店舗完成 昭和36年4月 我路小学校が沼東小学校に統合 昭和36年6月 三菱美唄鉱ガス爆発 死者8人 昭和36年7月 集中豪雨被害発生 昭和36年7月 美唄初の信号機が大通り4丁目に設置 昭和36年8月 第1回の市民体育祭が開催昭和36年11月 中央バスが札幌、旭川間に特急バス運行 このころから農業の機械化が進み馬が急激に減少 昭和37年8月 台風9号の集中豪雨で被害発生 昭和37年11月 花田病院開設 昭和37年 人口80359人 昭和38年7月 三井美唄鉱閉山 昭和38年9月 東明公園開園 昭和38年10月 美唄ガス鰍ェ設立 ガス供給開始 昭和38年10月 大舟産業美唄鉱業所閉山 昭和39年5月 大型店やまじゅう共栄百貨店営業開始 昭和39年6月 清水台炭鉱住宅で9世帯37人焼け出される 昭和39年7月 美唄学園開設 昭和39年9月 美唄市長選で沢田孝夫当選。 |
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市立病院 後に鉄筋ビルになりました。 |
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労災病院です。 昭和30年に診療を開始しています。 これは多分竣工したばかりの写真です。 上の方に東高等学校が見えます。 |
やまじゅう百貨店 ベルトコンベアみたいなエスカレーターがありましたね。 |
昭和35年頃のバスの発着場です。写真があまり良くありませんが、左から中央バス、国鉄バス、三菱バス |