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昭和30年代
美唄の風景                                           


昭和30年代は美唄の人口が9万人に達し、炭鉱も健在で最も活気のあった時代です。
しかし昭和38年に三井美唄鉱山が閉山。これ以降人口は減少を続けます。


昭和30年頃の美唄市街です。
写真をクリックすると大きな画像がご覧になれます。
  昭和30年1月 美唄消防署設置
昭和30年3月 三舟鉱業所開鉱
昭和30年4月 市長選で桜井省吾が当選
昭和30年10月 国営による索道客土工事が開始される
昭和30年10月 人口88667人
昭和31年4月 石狩川沿岸融雪水害
昭和31年4月 市立アカシア幼稚園設置
         旭幼稚園設置
昭和31年7月 上美唄南小学校が中美唄小学校に改称
昭和32年4月 美唄市立栄幼稚園開設
昭和32年9月 白樺炭鉱開鉱
昭和32年11月 市立美唄病院が総合病院として認定
昭和32年12月 人口90264人
昭和33年1月 国営客土事業開始
昭和33年1月 美唄警察署新庁舎落成
昭和33年3月 市立常盤幼稚園開設
昭和33年10月 自動電話交換方式となる
昭和33年12月 桂沢上水道による送水開始
昭和34年4月 美唄市議会議員選挙執行
昭和34年8月 美唄市教育開館新築
昭和34年9月 4日間続いた集中豪雨で市内に大きな被害
昭和34年12月 人口90404人
昭和35年1月 美唄練炭工場で火災発生
昭和35年8月 美唄市長選で菅秀基が当選
昭和35年12月 中央バスターミナル新築
昭和35年12月 人口87345人
 
昭和35年頃の大通り。、まだ車も少なくのどかです。  

昭和30年代の美唄の建物

美唄駅前
昭和31年頃です。
中央バスが見えます。

→拡大(別ウィンドウ)
  昭和36年1月  北海道拓殖銀行新店舗完成
昭和36年4月  我路小学校が沼東小学校に統合
昭和36年6月  三菱美唄鉱ガス爆発 死者8人
昭和36年7月  集中豪雨被害発生 
昭和36年7月  美唄初の信号機が大通り4丁目に設置
昭和36年8月  第1回の市民体育祭が開催昭和36年11月 中央バスが札幌、旭川間に特急バス運行
このころから農業の機械化が進み馬が急激に減少
昭和37年8月  台風9号の集中豪雨で被害発生
昭和37年11月 花田病院開設  
昭和37年    人口80359人
昭和38年7月  三井美唄鉱閉山
昭和38年9月  東明公園開園
昭和38年10月 美唄ガス鰍ェ設立 ガス供給開始
昭和38年10月 大舟産業美唄鉱業所閉山
昭和39年5月  大型店やまじゅう共栄百貨店営業開始
昭和39年6月  清水台炭鉱住宅で9世帯37人焼け出される
昭和39年7月  美唄学園開設
昭和39年9月  美唄市長選で沢田孝夫当選。
市立病院
後に鉄筋ビルになりました。
 
労災病院です。
昭和30年に診療を開始しています。
これは多分竣工したばかりの写真です。
上の方に東高等学校が見えます。
  やまじゅう百貨店

ベルトコンベアみたいなエスカレーターがありましたね。 
 昭和35年頃のバスの発着場です。写真があまり良くありませんが、左から中央バス、国鉄バス、三菱バス
     

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