炭鉱
美唄
おもしろ話
                                    
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  炭鉱の街美唄にちなんだおもしろい話をいい加減に集めてみました。テーマのない単なる戯言です。深く考えないで気楽に読んでください。
え、こんなこと書く暇あったらほかのページを更新しろ?
まあそんなこと言わないで読んでください。 


  その1
線路走るの
全部
「汽車」
1
 昔は鉄道は全部汽車,つまり蒸気機関車でした。
しかし、 蒸気機関車がすっかりなくなった今も、北海道では
線路の上を走るのは汽車という人が多いのです。
かなり若い方もJRを利用するとき、「汽車で行く」と言います。
電車で行くとか、ましてディーゼルで行くとはあまり言いません。

 私の両親が北海道から上京した時、一緒に新幹線「ひかり号」に乗りました。
そしたら座席に着くなりいきなり、
「この汽車、便所ついてるの?」
北海道の人にかかると新幹線も汽車になるんですな。
思い切り、こけましたわ。 
     

  その2
屋根が
飛んだ
 
 昭和29年9月、未曾有の大型台風が北海道を襲った。
昭和29年9月、北海道を襲った台風15号、俗にいう洞爺丸台風。
わが美唄も、その日は夕方から風が強くなり、夜がふけるとともに
次第に風雨が激しくなったのである。
 私が住んでいた三井美唄の炭鉱住宅はなにしろ安普請。
夕方から強風の音と共に、天井で、ドーンという異様な振動が始まった。
で、早めに帰ってきた父親が外に出て確かめると、なんと屋根がフワーと
持ち上がっては、バタンと音を立てて軒先に落下しているではないか。
そのうち次第に空中に浮いている時間が長くなって、強い風がくると20セ
ンチ位フワーと浮き上がってはバタンと凄い音を立てて落ちてくる。
 これは、やばい、とあわててはしごを持ってきて5寸釘で屋根を固定。
それでも私が住んでいたのは4戸社宅なので、屋根も大きく全体に重量
があったのでまだよかったのだが、もっと安普請の小さな2戸社宅は悲惨
だった。
屋根が完全に飛んでしまった家が、何軒かあったのだ。
 父と同じ職場のIさんも不幸なことに、その一番小さな2戸社宅に住んで
いた。
この人は豪快な人で、台風など全く気にせず、何も対策しないで、いつものように寝てしまった。
 そしたら夜中、部屋の中が騒々しくてふと目をあけると、視界に入ったのは黒い雲が上空を流れている凄まじい光景。なんと屋根が天井もろとも吹き飛んでしまったのである。
 この台風の美唄市の被害は実に甚大なものであった。
後にも先にもこんな凄まじい台風は2度と北海道には上陸していない。
 この屋根が吹き飛んでも寝ていたという豪快なIさんは、その後三井鉱山砂川鉱の所長になったと聞いている。 
   昭和29年
洞爺丸台風で
倒壊した
茶志内中央小学校
 


  その3
春風は
甘い
香りと共に
  

ちょっときたない話
食事前の人は
読まないように
 昔は馬車で荷物を運びましたな。石炭を運ぶのも馬車です。
で、冬は雪が積もるのでそりです。いわゆる馬そりですな。
この馬そりというやつ、なかなか優雅に走るのですがひとつだけ欠点がありまして。
時々立ち止まって馬が用を足すんですな。馬糞ですわ。
図体が大きいだけに半端な量ではありません。
夏はすぐに腐敗して土に同化してしまうんですがね、
冬は困る。
なんせ冬ですから
そのままの状態で、すぐに雪に埋まってしまうんですな。
それが春になって雪が溶けると大変です。
雪の中に埋まっていた馬糞が一斉に姿を現すんですな。
それも春風に乗って、空中を花粉のように飛ぶんです。
これが恐怖の馬糞風ですわ。
風の強い日、うっかり口をあけて外を歩くと、馬糞の粉が口から入ってきましてね、
「ばっふーん」と何回もくしゃみをしたもんです。 
   これが馬そり
覚えていますか。
昭和38年頃です。
三井美唄南町配給所付近

て。
 
     


  その4
糞が
凍って
クソ!
 

すんません。
またまたきたない話
食事前の人は
絶対読まないように
 美唄の冬、積雪は半端じゃなかったですな。
多い年は2、3メートルも雪が積もってしまうから、全てのものが完全に雪に埋まってしまうんですわ。
で、困ったのが当時の汲み取り便所。
何しろ家族4人ですから、2カ月もすると便槽が一杯になって、汲み取りに来てくれんと、困るんですな。
ところが冬は雪が積もるから、汲み取り来てくれんのですわ。
春まで待ってくれと。

だから冬はすぐに便槽が一杯になって、便器から○○が、あふれてくるんですよ。
ガチンガチンに凍った○○チがエベレスト山の様に盛り上がってきて、
そのうち用を足せん様になるんですわ。
で、おやじが金槌を持って、その凍りついた○○を、
「くそ!」
て、言いながら叩いて、崩すんですわ。
それでようやく空間が出来て用を足せるんですな。
本当の話ですよ。
春が待ちどおしかったですわ。 
 
       
  その5
恐怖の
壁紙
 







壁紙といってもパソコンのデスクトップの壁紙ではない。
部屋の壁紙だ。昔の炭鉱住宅の壁紙。
覚えているだろうか。
初期の炭鉱住宅の壁はベニア板だ。 しかも板がむき出し。
仕方がないから自分で壁紙を貼る。何も貼らないと見栄えがどうのこうのではなく、冬は寒くてどうにもならんのだ。
しかしもちろん今でいう壁紙など配給所には売っていない。
で、何を貼るかというと、新聞紙。
新聞紙が壁紙だ。ちなみに配給所で魚や肉を買うと新聞紙にくるんでくれる。
包装紙も新聞紙だ。
新聞紙は貴重な資源だったのだ。
で、新聞紙の壁紙だがこれが無造作に貼ると、とんでもないことになる。
何故なら壁は毎日いやでも目に入るもの。
筆者が炭鉱住宅に住んでいた子供の時、布団の横の壁に貼られた新聞に、詳細は不明だが、船が沈没して乗客が死んだというニュースが載っていた。
そのニュースが何しろ壁紙だから、毎日目に入ることになる。
だから沈没記事を毎日、無意識のうちに寝る前に見ながら眠りについたのだ。
それが筆者の子供時代の最大の不幸だった。
船が沈没する夢を毎日の様に見るのだ。
何度寝小便をして怒られたことか。

新聞紙を壁紙にするときは注意しなくてはいけない。
あれから50年。今でも時々、乗っている船が転覆する夢を見るのだ。
 
       
   その6
いい加減な
南美唄線
 
美唄から南美唄への枝線。南美唄線。
当初は蒸気機関車に客車2両で往復していましたな。
それが昭和33年にディーゼル化したのですが‥‥、
う〜むしかし、ここは三井炭鉱ですぞ。
現役の石炭王国に向かう汽車を、よりによって重油で走る
ディーゼルカーにするとは少し不謹慎ではありませんか。
これほど炭鉱地をコケにした話はない。
まるでトヨタの本社に日産の車で入り込むようなものではないですか。

と、当時は思ったのですが、まあこれは仕方ありませんな。

しかし1両で走るディーゼルになってから運行が、少しいい加減になったのです。

筆者がたしか中学生のころだった。
美唄駅から南美唄線に乗ろうと思って、改札が始まり
3番ホームに行ったら車両が見当たらない。
ホームには貨物列車がでんと止まっている。
で、駅員に「あの〜南美唄に行くんですけど」って尋ねると、
「あれ!ちょっと待って。   おーい、南美唄入線してねえぞ〜」
で、5分くらいしてから、ディーゼル車両が面倒くさそうに入って来た。
しかし貨物列車がホームを占領しているから、端にかろうじてドアをつけて
「悪いね、気をつけて乗ってね。‥‥よし、じゃあ行くべか。」
て、いきなり動き出す。
おいおい、バスじゃねえんだぞ。
発車ベルはともかく、笛くらい鳴らせよ。信号は大丈夫なのかよ。
大体、何で発車時刻に貨物列車がホームに止まってるんだよ。

これ、本当の話です。
朝夕はまじめに運行していたみたいですが、昼間はかなりいい加減でした。
 
南美唄線のディゼルカー

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    ところで、こちらおまけです。
     まだまだ暇な方はこちらへどうぞ(炭鉱および美唄とは全く関係ありません) →爆笑!もうひとつの宇宙戦艦ヤマト