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5月01日 津和野城趾&秋吉台&移動  


5/1  やや曇り

朝飯前に津和野城址に向かう。リフト駅下の駐車場から歩き。5:45 大鳥居を抜け、徒歩4−5分で登山口。
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写真左:リフト乗り場下の駐車場にある案内看板    中:お稲荷山の大鳥居       右:登山口
写真提供 全て、Oさん

結構薄暗いものの歩きやすい道を登る。途中、リフトを潜り、20分ほどで稜線につく。
まずは右手の出丸という高みに歩み、眼下の町並みを眺める。6:10頃 朝霞がいい感じ。
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写真左:稜線着 写真提供KTさん    中:さあ、出丸に登るぞ 写真提供KTさん  右:その出丸からの眺め

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写真:Oさん提供  出丸の眺め
       

「案山子、wiki」で検索したのをそのまま引用すると ここをクリック
『都会で一人暮らしをする弟(あるいは妹)を、雪の中にぽつんと立つ案山子になぞらえ、故郷にいる兄が気遣うメッセージを送る歌である。
さだによれば、この曲のきっかけは大分→福岡間の車窓の風景。降雪の中、ぽつんと立つ案山子を見たときに、自身の都会での一人暮らしの経験、弟の台湾留学中の思い出などが重なり、この曲を思いついたという。
さだ曰く「曲の原風景は津和野(注)、インナースリーブの表紙の写真の撮影は琵琶湖のほとり」とのこと。
 (注)佐田家は、津和野から25−30kmほど北東の浜田市三隅町の地主の家系』・・・・なんだとか

「城跡から見下ろせば細く蒼い川」がそのままに。
ただ、『橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突』は双眼鏡で探せどもコンクリ煙突しか見出せない。

我々しかいない高みで、しばし見とれてしまう。名残惜しいが、6:22ここより高い本丸に向かう。
道はいったん下るが、中間点で大手筋からの道(現在進入禁止)をあわせ、登りに。先行するKTさん、Nさんが足元のたけのこの残骸を示す。周りにはいのししが掘り返した跡が歴然。たけのこもその犠牲物かな。
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写真左:出丸を降りた所の案内         中:出丸−本丸の中間点の看板        右:食害の実績
写真提供 全て、Oさん

先を進むと、石垣が膨らんで崩壊の危険があるらしく、正規のルートをパスした人工のハシゴ段を登り、本丸の三十間台に上る。6:35.
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写真左:人工のハシゴ段を登り           中:本丸下の案内看板         右:天守台から見下ろす台所跡

正面の火山(コニーデの青野山)にガスがかかっていて、朝日を隠しているのが残念。もっともそのうちいい具合に晴れてくるのだが・・・。
一番高いところである三十間台からの眺めはさっきの出丸よりもさらに良い。
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写真:正面の青野山 津和野城趾から東側の町並み。ほぼ全景。 右手の学校の右には・・・・・なんかある。

KTさん持参のタブレット端末からの「案山子」の歌を聞きつつ、「山のふもと、煙はいて列車が走る」は線路のみ確認。
後で調べると、今日はSL運行は無し。しかも残念なことに、今年は、4/29、5/3−6運行だが、昨年夏の集中豪雨で線路が痛んでいて途中の駅まで。その駅から津和野までは代行バスが走る始末。

川の上流:右手を眺めていると、学校の右の道脇に大きなレンガ煙突らしきが見えた。
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写真左:昨夜の宿「津和野ホテル」が見える 中:三十間台から下界を見下ろす面々 右:レンガ煙突らしき 黄矢印の先
写真提供:左:Oさん、中&右:Nさん  

田んぼは東側にはところどころしかない。西側には結構あるようだが、樹木が邪魔をしてあまり見晴らせず、案山子は・・・・・・、確認できず。
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写真左:西側の田んぼ          中:ガスの取れた青野山。この城石の産地。  右:太鼓丸から見上げる三十間台

7:00頃下山にかかる。
台所跡をチラ見し、下山道の手前で我々以外の方々と(3−4人連れ)本日始めてのすれ違い、7:30過ぎ駐車場に戻る。

宿に帰し、朝食。
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写真左:部屋のベランダからの城趾方向      中:朝食風景             右:朝食  さて誰の?
写真提供:左&右:Oさん、中:KTさん  

身支度を整えて、ナビ設定を行き先:雲仙・小浜温泉、経由地をサファリランド。Nさん運転で出発。今日は雲仙まで約360k(=80k+52k+120k+87k+18k)以上のロングドライブ。
9時ごろ出発。国道9号線をひたすら進み、山口市から向きを北西に変え、峠を超えた先にある道の駅「みとう」で一休み。10:40−50
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写真:Oさん撮影  道の駅「みとう」全景

今日明日の食料を探すが、めぼしいものは無し。
フレッシュ菜々のパン屋で、食料調達。お魚売り場には山口県らしく「金太郎、(=正式名:ヒメジ。ヒメイチ、オジサンとも呼ばれる)」が並んでいたりする。関東ではあまり食べない魚だが、ミカンの皮を同重量加えて2日ほど煮込むと骨までやわらかくなるのだが。
傍を流れる川にバイオトープが作られていたりする・・・。この上流側に銅山があり、奈良の大仏に使われたとのことだが、渡良瀬川同様、鉱毒で死の川だったかも・・・・。
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写真左:「奈良の大仏のふるさと」の謂われ        中:バイオトープ      右:お魚。なぜか全部の魚に頭が無い

小雨がぱらつき始めた中、出発。無料の高速道路に乗り、大回りして秋吉台サファリランド経由で秋吉台に向かう。
運転者にサファリランド前での指示が遅れ、Uターンさせる羽目に。
大正洞方向に進み、快適な秋吉台道路を進む。ナビがしつこく、「サファリランドに戻れ」とアナウンスする。

「帰り水」を見下ろし、11:30カルスト展望台に駐車。そこからの展望を見てすぐ出発の予定が、10分ほど先の若竹山まで散策に変更。
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写真:秋吉台のパンフレットとその眺め 矢印と番号は見た地点と見た方向   
写真提供:パンフレット&1〜5:Oさん、6〜7:Nさん  

アイスを食べながら、撮りながらのそのそと進む。
11:43−55日本山脈縦走西日本起点の碑のあるピークでしばし眺めるが、「西日本起点」の是非や如何に。
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写真左:フィギュアと楽しむ秋吉台の図。        中:展望台付近       右:若竹山の問題の碑

碑の起こりは、「日本山脈縦走」というイベントを読売新聞社が計画し、新聞紙上に紀行文を掲載したのが始まり。
  2班に分かれて、1班は秋吉台→富士山、2班は八甲田→富士山間を歩き、富士山で合流したらしい。
これをまとめ、1960年に「日本山脈縦走」名で出版。

本の目次は、→ http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001383371-00

本を読んだ方の解説は、下記に詳しい。→http://yiz00776.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-c4db.html
かなりな部分は太平洋(瀬戸内海)-日本海の分水嶺を結んでいるらしいが、山と山の間は車利用も。富士山集合なので途中からは太平洋-日本海の分水嶺を外れてくる、とある。
秋吉台&八甲田の両起点が、「なぜそこに設定されたか」については探しきれず。

秋吉台は分水嶺上では無く、碑のある地点は、西は厚東川本流に、東は厚東川の支流大田川(道の駅「みとう」の傍の川)に挟まれているので、東西南に進むと必ず川に突き当たる地点。
秋吉台にこだわるのなら、254m弱のここ(若竹山)よりは2kmほど西方の秋吉台最高峰:龍護峰425.5mか、山渓推薦の西の西山398.9mがまだしもよいのではと思ったりして。


若竹山からの帰路はピストンではなく、5分ほど余計にループを巻いてゆくことに。12:10頃帰着。30分のロスに相当。

ここでナビをセットしなおすと、「サファリランドに戻れ」のアナウンスが消え、目的地へまっすぐ。
途中間違えかけたところもあったが、秋芳洞入り口を通りすぎ、程なく高速に乗る。約1時間ほど進み、本州最後の壇ノ浦PAにて休息13:08−25。
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写真:関門大橋の眺め

本州−九州間の近さを実感。巌流島は・・・・良く判らず。どうも山の陰にあったよう。
Nさん運転で出発。本州−九州間がわずか1分ほど。
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写真左:橋の入口の鉄柱(本州最後)   中:橋中央から瀬戸内海側(壇ノ浦)の眺め     右:九州最初の地

高速道は山の中をうねうねと進む。特に混むことも無く順調に進む。
佐賀のジャンクションでは少々ガイドに迷ったが、14:30頃サガンクロス橋経由で長崎道に入る。

少々進んで、14:40−15:05金立SAで一休み。メロンパン、じゃこてんなど明日役立ちそうな食糧調達。

KTさん運転で出発。最初は順調な運転であったが、そのうち時短運転に。
15:58、諫早で高速を降り、一般道に入ると少々の渋滞。数km先のコンビニでと交代。16:17−23

交代した辺りから渋滞が少なくなり、順調に進む。遠くには雲仙岳の尖がり帽子が見えたりして。
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写真左:金立SA付近からの天山      中:諫早湾側からの雲仙岳(Oさん提供)  右:橘湾側からの雲仙岳

16:32諫早湾側から、橘湾側に移り、高台に上ると、フェニックスが並び、眼下に入り江の見えるいい眺めが続く。宿が近づくにつれ、あちこちに白煙があがる。
町全体が温泉の蒸気で囲まれているのではと思ってしまう。
16:50過ぎ、今宵の宿:望洋荘に着く。クーポンが使え2000円安。これで刺身盛り1人前2160円を追加。チョビット贅沢に。
地元の共同浴場の位置づけらしく、大きめの温泉浴場。部屋も20畳はあり広い。日の入りは残念ながら木が邪魔する。
明日山中でコーヒーを飲もう、ということになったので、ガスボンベ購入に近くのコメリに向かう。プラコップ、プラ食器もついでに購入。途中のコンビニで、ドリップコーヒーとチキンラーメンを手に入れる。
夕食時に日の入りが見えるので途中で表に出るが、時すでに遅く、没した後。
夕景を撮っていた人に無理を言って撮影画像を映させてもらったりして・・・・結構不評。
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写真左:本日の宿 望洋荘                  中:夕食               右:夕日の入りの後の図

食後、洗濯物を持って近くのコインランドリーに。300円の洗濯機が使用中で、やむなく500円(=布団も洗える大型)を利用。
コンビニで買ったビールとつまみと本で暇をつぶしつつ、洗濯物を取りにきた地元の住人と話しつつ・・・・。
帰りに、すぐ前のドラッグストアで、明日の餌:ミニトマト.バナナなどを仕入れる。
帰り着くと、皆静かにお休み中・・・・・。




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