山形の民家

青山家住宅 国指定重要文化財 (平成12年12月4日指定)
山形県飽海郡遊佐町比子青塚155
建築年代/明治23年(1890)
用途区分/漁家・地主
指定範囲/主屋・小座敷・西土蔵・東土蔵
公開状況/公開
北海道の小樽の先に祝津という漁場集落があり、そこに青山別邸という豪奢な屋敷が残されている。別邸と称するからには本邸はどこにあるのかと探究心のある方であれば訝しく思われたのではないかと思うが、その本邸こそが当住宅である。明治期における北海道は、日本海沿岸地帯の鰊漁隆盛によって巨万の富を築くものが現れた時代であった。その代表的な人物として当地出身の青山留吉は立志伝中の人物として時代の寵児とも云うべき存在であった。天保7年(1836)に貧しい漁家の第六子として生まれた彼は、24歳にして蝦夷地に渡り、雇漁夫から身を起こし、明治19年(1886)には建網15ヶ統、漁船130隻、使用人300人以上を擁する大網元となるのである。その彼が故郷に錦を飾るため、明治20年頃より構想し、同23年に竣工に漕ぎ着けたのが当住宅である。外観は主屋の下手に角屋を突き出す中門造の様相であるが、角屋部分は台所となっており、この地域の伝統的な厩中門とは異なる。内部の柱や鴨居には春慶塗が施され、まさに明治という時代が生んだ破格の民家である。
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有路家住宅 国指定重要文化財 (昭和44年12月18日指定)
山形県最上郡最上町堺田59-3
建築年代/江戸時代(18世紀中頃)
用途区分/農家(庄屋・封人)
指定範囲/主屋
公開状況/公開
山形県北部と宮城県北部を東西に結ぶ旧最上街道沿いに所在する旧庄屋屋敷である。当住宅が位置する堺田は県境の集落となるため、藩政時代には藩境を警固する封人も兼務したと伝えられる。嘗ては江戸初期の著名な俳人・松尾芭蕉が仙台領の尿前の関(現在の中山峠)を越えて新庄領に入った際、当家に宿泊し「蚤虱馬の尿する枕もと」の句を残したと伝えられ、「奥の細道」所縁の家とされていた。しかし芭蕉が当地を旅したのは元禄2年(1689)のことで、当住宅の建築年代が18世紀中頃と見立てられることから、恐らく前身の建物の頃の逸話であったであろうと推察される。ただ昭和の中頃までは、この逸話は存外なことではないとされ、馬屋を広く取り、木柄の太い柱を密に建てて古式な架構方法を残す様子は元禄年間にまで建築年代が遡ることもあり得ると見解する意見もあったようである。できることならば、私もそう思い続けていたかった。
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矢作家住宅  国指定重要文化財 (昭和44年12月18日指定)
山形県新庄市泉田往還東460 (昭和52年移築)
旧所在地・山形県新庄市萩野777
建築年代/江戸時代(18世紀中頃)
用途区分/農家(組頭)
指定範囲/主屋
公開状況/公開
新庄市東郊の泉田地区に移築保存されている農家建築である。旧所在地は現在地から東に4km程の萩野集落内で、報告書の記述によれば、文化財指定後に当主が家を新築する際に当住宅は集落の大火に3度も焼け残った「火伏の家」なので屋敷地を離れ難いとの話から、建物を移築させる方向で保存方法が決着したとの逸話があるらしい。さて荻野村は室町期に遡る旧い歴史を有する集落であるが当家については詳しくは定かでない。ただ天明年間のものと推測される村文書に組頭と記述があり、また幕末・安政年間の年貢負担帳に19石の持高が記載されていることから、村内でも中上位層の農家であったと推測される。建物は主棟に対して前方に馬屋中門を突き出し、更に中門の下手に厠と肥料小屋を兼ねた「ヘンチャ」と呼ばれる附属屋を設える複雑な棟形状をしている。内部は多角形断面の独立柱が土間や室内に林立し、床が低く土座であった時代を彷彿させてくれる。県内中門造建築の古式例として重要とされている。
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柏倉九左衛門家住宅  国指定重要文化財 (令和元年9月30日指定)
山形県東村山郡中山町岡8
建築年代/明治31年(1898)
用途区分/地主
指定範囲/主屋・長屋門・裏門・内蔵・仏間・前蔵・北蔵・大工小屋
公開状況/公開




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尾形家住宅  国指定重要文化財 (昭和44年12月18日指定)
山形県上山市下生居170
建築年代/17世紀末頃
用途区分/庄屋
指定範囲/主屋
公開状況/公開
出羽の名峰・蔵王山の南西裾に位置する葉山の麓に所在する庄屋屋敷である。屋敷の東方には生居川が流れ、西方は上山盆地の広大な田圃地が広がっており、当屋敷も平坦地形に構えられている。尾形家は中世から続く旧家で現当主は72代を数えるという。但し上山藩役所の度重なる火災により由緒を示す古文書等は失われており、元禄元年(1688)に書かれた萬覚書に永延9年(987)に生居郷全域で利用される灌漑用水路「がば沢堰」の開削事業を起こした治郎兵衛が先祖である旨が記されている。また屋敷内に祀られる生石大明神の神体を天保5年に55代権左右門が407年祭を催行した旨も記録されている。屋敷内には主屋を中心に、その背後に土蔵や稲荷社、弁天堂が散在しているが、何よりも屋敷林の古相が当家の由緒を窺わせてくれる。主屋は当地域に多く見受ける厩中門造で、上手の背面にも上座敷を角屋として突き出す。土間の上手の広間は床を張らない土座となっており、出羽地域の上層農家の有り様を知る格好の例である。
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佐竹家住宅  国指定重要文化財 (昭和44年12月18日指定)
山形県西村山郡朝日町常盤い191
建築年代/元文5年頃(1740)
用途区分/大庄屋・通船差配役
指定範囲/主屋
公開状況/非公開





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渋谷家住宅 国指定重要文化財 (昭和44年12月18日指定)
山形県鶴岡市家中新町10-18 (昭和43年移築)
旧所在地・山形県東田川郡朝日村田麦俣
建築年代/文政5年(1822)
用途区分/山村農家(肝煎分家)
指定範囲/主屋
公開状況/公開(致道博物館)
民家世界で云うところの「田麦俣の多層民家」である。決して出羽地方の民家建築を代表する形状のものではないが、その美しさから昭和中期頃に発行された民家本には必ず取り上げられてきた建物である。田麦俣集落は鶴岡と山形を結ぶ六十里越街道沿いの山間部に在り、出羽三山の一つである湯殿山への参詣者を受け入れる道者宿を兼ねた農家が傾斜地を雛壇に造成した僅かばかりの敷地に密集する宿場的な性格を帯びた土地柄であった。住宅は妻側を切り上げて兜造りとし、平側にも採光と煙り出しを兼ねた窓を設けるなど、八方(はっぽう)と呼ばれる特異な屋根形状の外観を呈するが、藩政期までは普通の寄棟造平屋建の形状だったらしく、明治初期から養蚕が盛んになると、屋根の形状を変えることで居住空間を三層に仕切り、屋内空間の有効活用を図ったことが契機となり、現在の姿となった。民家建築の中でも、これほど局地的に変貌を遂げた例は珍しい。
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風間家住宅 国指定重要文化財 (平成12年12月4日指定)
山形県鶴岡市馬場町1-15 
建築年代/明治29年
用途区分/商家(呉服商・金融業・大地主)
指定範囲/主屋・表門・中蔵・奥蔵・前蔵
公開状況/公開





鐙屋  国指定史跡 (昭和59年5月25日指定)
山形県酒田市中町1-14-23
建築年代/弘化2年(1845)以降
用途区分/商家(廻船問屋・町年寄格)
指定範囲/
公開状況/公開

弘化2年(1845)に酒田市街で発生した甘鯛大火により焼失した後に再建されたものと推測される。鐙屋は屋号で本姓を池田氏であったが、幕末に鐙谷を姓とした。井原西鶴の日本永代蔵にも登場する豪商として知られたが、同じ酒田から日本一の持丸長者として知られる本間家が勃興して以降は影が薄くなったが、幕末まで大店として続いた。

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松ヶ岡本陣 国指定史跡 (平成元年8月11日指定)
山形県鶴岡市羽黒町松ヶ岡

松ヶ岡開墾場として史跡指定されている。松ヶ岡開墾場は、明治初年に北海道開拓と並んで行われた士族授産・殖産のための開拓遺跡で、戊辰戦争で降伏した旧庄内藩士達によって鶴岡東郊で開墾事業が行われた。明治5年には旧藩士360人によって荒蕪地3町歩が僅か1ヶ月余りで開墾、その後月山山麓後田村の広大な山林100町歩を士卒3000人の規模で約58日間を要して開墾した。開墾地の中心となる経塚北麓に開墾本部として藤島村の旧本陣の建物を移築し、集会所・事務所としたのが当建物である。旧藩主・酒井忠發も当地を訪れ、経塚に登って「松ヶ岡」の立札を自筆し、以後、「松ヶ岡」が開墾地の名称となった。翌6年からは茶の栽培、桑園開発などを始め、更に204町歩の開墾を成し遂げ、事業は軌道にのることとなった。現在でも225町歩の開墾地が開墾士達の子孫64戸の共有財産として今も維持・運営されている。
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本間家住宅 山形県指定文化財 (昭和28年2月20日指定)
山形県酒田市二番町
建築年代/明和5年(1768)
用途区分/地主
指定範囲/主屋・長屋門
公開状況/公開
嘗て藩政中期以降、日本一の持丸長者として全国にその名を知られた「本間様」の本邸である。本間家初代・原光が酒田において「新潟屋」を屋号として古着・染物商を始めたのは元禄2年(1689)のことであったが、当住宅が建設された明和年間、3代・光丘の頃には庄内藩から御小姓格に取り立てられ、財は田地1万6000俵、貸金5万4781両、銀5万貫にまで達し、名実共に全国的な長者として成り上がっていた時分であった。事業を司る本店は本邸の向いに構えていたので、当住宅は純然たる住居部分ということになるが、南に長屋門、東に藥医門を開き、主屋は瓦葺平屋建に式台玄関や座敷を備えた完全な武家住居の体裁である。当住宅の建築に当たっては幕府巡見使の宿舎として本間家が費用を負担して庄内藩に献上したものを、巡見後に下賜されたという経緯があるらしいが、当時においては既に藩の財政に少なからぬ寄与を果たしており、当初から話はできていたものと推察されている。一般に2000石級の旗本屋敷に相当する屋敷構えと喧伝されているが、確かに一介の商人の屋敷ではない。
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遠藤家住宅  山形県指定文化財 (昭和49年4月指定)
山形県鶴岡市田麦俣七ツ滝139
建築年代/文化文政年間(明治10年改築)
用途区分/養蚕農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
国指定文化財として鶴岡市内に移築された渋谷家住宅の旧所在地でもある六十里越街道沿い田麦俣集落に、今も残る多層民家である。

 
丹野家住宅
(滝沢屋)
山形県指定文化財 (平成7年12月8日指定)
山形県上山市楢下字乗馬場1759-1
建築年代/宝暦7年(1757)後
用途区分/庄屋・脇本陣・酒造業・旅籠
指定範囲/主屋
公開状況/公開


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丸大扇屋  山形県指定文化財 (平成15年5月9日指定)
山形県長井市十日町1-11-7
建築年代/江戸末期
用途区分/商家(荒物商・呉服商)
指定範囲/店・店舗・主屋・内蔵・座敷蔵・味噌蔵・新座敷
公開状況/公開






格知学舎  山形県指定史跡 (昭和27年4月1日指定)
山形県天童市貫津字上貫津72
建築年代/
用途区分/名主・私塾
指定範囲/
公開状況/非公開




阿部喜助家住宅  酒田市指定文化財 (昭和59年9月4日指定)
山形県酒田市山元字千刈田27
建築年代/元禄3年(1690)
用途区分/肝煎
指定範囲/主屋
公開状況/公開

坂本新田村の肝煎。片中門造。
 
曽我部家住宅  上山市指定文化財 (平成4年8月24日指定)
山形県上山市鶴脛町1-7-38
建築年代/不詳
用途区分/武家(馬廻役・宗旨奉行/禄高50〜100石)
指定範囲/主屋
公開状況/公開


 
粟野家住宅
(庄内屋)
 
上山市指定文化財 (平成2年8月14日指定)
山形県上山市楢下23
建築年代/18世紀中頃
用途区分/脇本陣
指定範囲/主屋
公開状況/公開
楢下宿下町に所在する脇本陣建築。庄内藩主の定宿とされていた。町場を東西に横断する街道に北面して建つ平入建物で、上手に角屋を前方に突き出し舞良戸を設え玄関とする。嘗ては式台形式の玄関であったと想像されるが、復元はされていない。玄関を入ると玄関の間、中間2室、上段の間と座敷4室が一直線に並び、主棟に対して後方にも角屋が張り出す。

 
斎藤家住宅
(山田屋)
 
上山市指定文化財 (平成7年10月24日指定)
山形県上山市楢下56

 
武田家住宅 上山市指定文化財 (平成7年10月24日指定)
山形県上山市楢下9
建築年代/宝暦9年(1759)
用途区分/旅籠
指定範囲/主屋
公開状況/公開
斎藤家住宅  遊佐町指定文化財
山形県飽海郡遊佐町杉沢字中田1-1
建築年代/元禄16年(1703)
用途区分/大組頭(庄屋と大庄屋の間の中間職位)
指定範囲/主屋
公開状況/公開(令和6年末時は臨時休館中)

平津組大組頭を務めた斎藤家の主屋。遊佐町への譲渡時は榊原家が所有していた。内部は気密性を高めた工法で改変されているが、座敷等は文化財手法により復元されている。
 
叶内家住宅 舟形町指定文化財
山形県最上郡舟形町舟形2679-22
舟形町歴史民俗資料館
 
高畠民俗資料館 高畠町指定文化財 (昭和47年5月2日指定)
山形県東置賜郡高畠町糠野目2017
建築年代/
用途区分/
指定範囲/主屋
公開状況/嘗ては飲食店として利用されたが閉鎖中

片中門造萱葺民家
 
斎藤半助家住宅  大江町指定文化財 (昭和53年8月30日指定)
山形県西村山郡大江町本郷丁373-1
旧所在地・山形県西村山郡大江町十郎畑
建築年代/文政6年(1823)
用途区分/名主・養蚕農家
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/公開(大江町歴史民俗資料館)
斎藤家は、寛文年間には土着していたらしく、藩政期には小清村の名主職を務めた。青苧、漆蝋、養蚕などを生業とし、遠く上方まで販売していた。


小島総本店  登録有形文化財 (令和6年3月6日登録)
山形県米沢市本町2-752
建築年代/大正8年()1919
用途区分/商家(酒造業)
登録範囲/店舗兼主屋・土蔵・一号蔵・二号蔵・三郷蔵・四号蔵・五号蔵・倉庫・作業場・門及び板塀・北板塀・三日月稲生社本殿
公開状況/非公開


斎藤家住宅  登録有形文化財 (平成20年4月18日登録)
山形県長井市館町北639-1
建築年代/江戸末期(1830-1867)
用途区分/商家
登録範囲/主屋・土蔵
公開状況/非公開


 
山一醤油店  登録有形文化財 (平成23年1月26日登録)
山形県長井市あら町2471
建築年代/大正9年(1920)
用途区分/商家(醤油醸造販売)
登録範囲/店舗・醤油蔵・仕込み場
公開状況/店舗として営業中


鍋屋本店  登録有形文化財 (平成20年4月18日登録)
山形県長井市十日町1-573
建築年代/明治後期(1868-1911)
用途区分/商家(金物商)
登録範囲/主屋・店舗
公開状況/店舗として営業中


竹田家住宅 無指定・部分公開(やませ蔵)
山形県長井市あら町6-61
建築年代/
用途区分/商家
残存建物/



旧鈴木弥兵衛家住宅 無指定・公開
山形県尾花沢市中町5-36
建築年代/
用途区分/商家
残存建物/主屋


 
和田民俗資料館  無指定・公開
山形県東置賜郡高畠町上和田1282
建築年代/
用途区分/
残存建物/主屋


 
浜田広介生家 無指定・公開
山形県東置賜郡高畠町一本柳2110
建築年代/
用途区分/童話作家生家
残存建物/主屋





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