有路家住宅 Ariji |
国指定重要文化財 (昭和44年12月18日指定) 山形県最上郡最上町堺田59-3 建築年代/江戸時代(18世紀中頃) 用途区分/農家(庄屋) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 この住宅は、一重寄棟造の茅葺で、桁行24.755m、梁間9.999m、平面積269.180㎡(約81坪)の大型民家です。山形県東北部に江戸時代から見られた広間型民家の好例として、昭和44年12月18日に重要文化財に指定された最上町有の建造物。建築年は不明ですが、江戸時代には新庄領小国郷堺田村の世襲庄屋・有路家の住宅兼役屋(当時の村役場)でした。昭和46~48年の解体復元工事によって、建築当時そのままの姿が今日に伝えられています。住宅内部は、床の間、奥の座敷、中座敷、ご座敷、納戸の5部屋と水屋、土間、ろうじ及び内馬屋に分かれています。建物の大きさ、3つもある出入口、畳敷きで天井がある床の間と奥の座敷、複数の馬屋と広い三和土の土間などが、庄屋役のほかに問屋(貸客の継ぎ送りを担った役職)と旅館の機能も兼ね、熱心な馬産家でもあった有路家の歴史上の多様な役割を物語っています。 通称の「封人の家」とは、国境を守る役人の家という意味ですが、この通称は俳聖・松尾芭蕉の「おくの細道」に由来します。元禄2年(1689)5月15日(太陽暦7月1日)、門人の河合曽良を伴いようやく仙台領を抜け出た芭蕉は、その日の夕暮れ時に堺田村に辿り着きました。芭蕉師弟は梅雨時の風雨のために、17日早朝まで堺田村の「封人の家」に滞在しました。芭蕉はそのときの印象を「蚤虱馬の尿する枕もと」という句で表現しています。馬を主題としたこの句には、江戸時代から馬産が盛んだった当地(最上町)の歴史的地域性が詠み込まれています。昭和40年代以降、この住宅は芭蕉が堺田村で滞在・宿泊した「封人の家」と見なされ、広く知られてきました。 【現地案内看板より】 |