伊達政宗 南奥羽メイン簡略年表
自分が知っている内のほんの一部なのですが、簡略と言う事で(^_^;)
いずれ二本松界隈の部分だけでも詳細に記載したいと思います!(かなりの量なので少しずつ増やします)
1567年 |
8月3日、米沢城主伊達輝宗の嫡男として梵天丸(のち政宗)誕生。 |
1571年 |
梵天丸5歳、疱瘡により右目失明。 |
1575年 |
片倉小十郎19歳、輝宗(政宗父)に見い出され伊達家に従える、梵天丸9歳の近侍となる。 |
1577年 |
梵天丸弟・竺丸(のち小次郎)が誕生。梵天丸11歳、元服し政宗と改名。 |
1579年 |
政宗13歳、三春城主田村家より11歳の愛姫(めごひめ)が嫁ぐ。 |
1581年 |
政宗15歳、相馬氏との戦のため伊具郡(現在の宮城県丸森)にて初陣。 政宗の危うい所を小十郎が、自分が伊達政宗だと名乗り身代わりとなり敵を引きつけたと言う逸話が! |
1582年 |
小十郎26歳、正式に政宗の家臣となる。 |
1584年 |
政宗18歳、伊達家家督を相続。 |
1585年 |
政宗19歳、会津・葦名氏に寝返った大内忠綱を撃つため岩代・小手森城を攻撃、伝説の城中全員800人斬り。 大内と謀略していた二本松城主畠山氏を撃つため、岩代・小浜城に拠点を置く。 畠山氏、岩代・宮森城で隠居していた輝宗に伊達軍への降伏を願い出るも叶わず、そのまま輝宗を拉致。 二本松・粟の須にて、父輝宗を人質にした畠山氏もろとも攻撃した。 輝宗は畠山氏の脇差しによって命を絶たれる。享年42歳。 そしてこれまた伝説の、本宮・人取橋の戦い。 |
1586年 |
7月、二本松城を受け取る。受取人は政宗の従弟・伊達成実19歳。 8月、小十郎30歳、政宗により二本松城に配置される。 12月、成実を中心に二本松城の再建が進められ、そのまま成実が二本松城に入る。 |
1588年 |
政宗弟・竺丸12歳、元服し小次郎と改名。 |
1589年 |
政宗23歳、摺上原の戦い。 |
1590年 |
政宗24歳、暗殺を計った実母に毒を盛られるが一命を取り留める。 伊達家存続のため暗殺は弟小次郎の謀とし、小次郎を斬って件を収める。 |
1591年 |
政宗25歳、米沢城を引き払い、岩手沢城入府。「岩手沢」を「岩出山」と改名。 |
1600年 |
関ヶ原の戦い。政宗34歳、縄張りを仙台とする。 |
1601年 |
仙台城の普請始め。 |
1602年 |
小十郎46歳、白石城主へ。 |
1603年 |
政宗37歳、仙台城入府。 |
1615年 |
小十郎死去、享年59歳。 |
1636年 |
政宗死去、享年70歳。辞世の句「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く」 |