日本の城と藩

岩槻藩 天正18年(1590)の徳川家康関東入国に際し、高力清長が2万石で入り成立した。

高力家→青山家→阿部家→板倉家→戸田家→松平家(藤井)→小笠原家→永井家→大岡家

高力家 駿河田中より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 高力清長 きよなが 天正18年(1590)〜慶長13年(1608) 高力安長の子 2万石
三代 高力忠房 ただふさ 慶長13年(1608)〜元和5年(1619) 高力正長の長男
                                                                          遠江浜松へ
青山家
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 青山忠俊 ただとし 元和6年(1620)〜元和9年(1622) 青山忠成の子 5万5千石
                                                                         上総大多喜へ
阿部家 相模小田原より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 阿部正次 まさつぐ 元和9年(1622)〜寛永15年(1638) 阿部正勝の子 5万五千石
二代 阿部重次 しげつぐ 寛永15年(1638)〜慶安4年(1651) 阿部正次の二男
三代 阿部定高 さだたか 慶安4年(1651)〜万治2年(1659) 阿部重次の長男
四代 阿部正春 まさはる 万治2年(1659)〜寛文11年(1671) 阿部重次の二男
五代 阿部正邦 まさくに 寛文11年(1671)〜延宝9年(1681) 阿部定高の二男 9万9千石
                                                                          丹後宮津へ
板倉家 下野烏山より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 板倉重種 しげたね 延宝9年(1681)〜天和2年(1682) 板倉重矩の三男 6万石
                                                                          信濃坂木へ
戸田家 三河田原より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 戸田忠昌 ただまさ 天和2年(1682)〜貞享3年(1686) 戸田忠継の長男 5万1千石
                                                                          下総佐倉へ
松平(藤井)家 丹波亀山より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 藤井忠周 ただちか 貞享3年(1686)〜元禄10年(1697) 藤井忠晴の三男 4万8千石
                                                                          但馬出石へ
小笠原家 三河吉田より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 小笠原長重 ながしげ 元禄10年(1697)〜宝永7年(1710) 小笠原長矩の三男 5万石
二代 小笠原長煕 ながひろ 宝永7年(1710)〜正徳1年(1711) 小笠原長重の二男
                                                                          遠州掛川へ
永井家 信濃飯山より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 永井直敬 なおひろ 正徳1年(1711)〜正徳1年(1711) 永井尚庸の長男 3万3千石
二代 永井尚平 なおひら 正徳1年(1711)〜正徳4年(1714) 永井直敬の二男
三代 永井直陳 なおのぶ 正徳4年(1714)〜宝暦6年(1756) 永井直敬の三男
                                                                          美濃加納へ
大岡家  上総勝浦より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 大岡忠光 ただみつ 宝暦6年(1756)〜宝暦10年(1760) 大岡忠利の長男 2万石
二代 大岡忠善 ただよし 宝暦10年(1760)〜天明2年(1782) 大岡忠光の長男
三代 大岡忠要 ただとし 天明2年(1782)〜天明6年(1786) 大岡忠善の長男
四代 大岡忠烈 ただやす 天明6年(1786)〜寛政9年(1797) 大岡忠善の二男
五代 大岡忠正 ただまさ 寛政9年(1797)〜文化13年(1816) 伊勢東阿倉川藩主加納久周の子
六代 大岡忠固 ただかた 文化13年(1816)〜嘉永5年(1852) 伊勢東阿倉川藩主加納久周の五男 2万3千石
七代 大岡忠恕 ただゆき 嘉永5年(1852)〜慶応2年(1866) 大岡忠固の三男
八代 大岡忠貫 ただつら 慶応2年(1866)〜明治4年(1871) 大岡忠恕の長男

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