山形孝夫の自伝的エッセイである『死者と生者のラスト・サパー』は、私の死生観を大きく変えた。この本を読んで「自死遺族である」という自覚を強く意識するようになった。
『ラスト・サパー』で山形は、他人には言えない、自分でも言葉にできないような苦しい死別の悲しみを、ゆっくり記憶の森を歩くように溶かしていくことで、死者と交わした時間の記憶がよみがえると書いていた。
本書は、東日本大震災以降の講演や短文をまとめたもの。山形自身が東北地方にゆかりがあり、テーマは『ラスト・サパー』を引き継ぎつつ、死別の悲しみに対する考えが、より広く深く展開されている。前著では、自身の母との死別体験がテーマだった。本書は3.11という大災害を踏まえて、より広い意味での死別体験を視野に入れて語っている。
一言でまとめれば、「悲しみを深める」ことの大切さを山形は強く主張している。
悲しみの経験は、人間の経験の成熟に不可欠な酵素のようなもので、それがないと人の心は干からびたおたまじゃくしのようになってしまう。(「神を呼ぼう」)
人間の魂の成熟とは、精神と肉体が乖離し崩壊するような「苦難」「悲しみ」の経験の中で、言葉にはならない〈祈り〉、あるいは「生きる望み」、あるいは「存在への勇気」(P・ティリッヒ)という魂の経験をとおして初めて確かなものとなる。つまり、人間はそのような過程において、初めて創造的な存在となる。(「傷ついたメシア あるいは魂の傷について」)
悲しみを深めることで人間性が豊かになる、という考え方には強く同意する。
人は死者を記憶することを通して悲しみと向き合い、悲しみを通して人生の究極の知であるような死者との和解と赦しという生の深層に辿りつくことができるのではないか。(「宗教の力」)
こうした言葉のあとに続けて、「哲学の動機は『驚き』ではなくして深い人生の悲哀でなければならない。」 という西田幾多郎の言葉をつないでもあながち間違いではないだろう。
悲しむ、とは、思い切り泣くこと、と山形は言う。
私には哭くこと自体が死者との語らいであり、悲しみの告白であり、死者との和解であるように思われてなりませんでした。(「神を呼ぼう」)
泣くことをとおして死者と語り合う。死者との語り合いをとおして悲しみの涙が和解と赦しの酵素のように発酵し、私たちの背中を押して〈優しさ〉の未来へ旅立たせてくれるように思うのです。(「神を呼ぼう」)
泣くことはむずかしい。とくに「手放し泣き」と呼ばれるような、全身を震わせて泣く(哭く)ことは、死別の衝撃が大きいと心も身体も硬直してなかなかできない。
山形も述懐しているように、自死による死別は衝撃が大き過ぎて、泣くことさえできない。私もそうだった。葬儀では泣いたけど、泣いて苦しみや「なぜ」という疑問から解放されるような感覚はなかった。
また、自死遺族であることを公言することも簡単にできるものではない。これについても山形は言及している。
今はこんなふうに言えますけれども、これは家でも外でも絶対口に出して言えない話でした。小学校の時も、中学校の時も、そんな話は誰にもできない。家族の中でも話し合ったことは一度もない。自分からは言わない。やっと人前で言えるようになったのは、六〇歳を超してからだと思います。(「記憶の森」)
これがまさに「公認されない死」というものだろう。
私も、『庭』以外の場所で誰かに伝えることはほとんどない。子どもたちには叔母にあたる人がいたことは伝えても、自死したことは話していない。母とも姉のことは話さない。
そのことを今は悪いこととも思っていないし、悔やんでもいない。各人が秘密のように心のなかでだけ、その人なりに受け止めればいいと、最近では思っている。秘密を持つことは悪いことではない。
本書の印象は、しばらく前に読んだ自死遺族によるパーソナル・エッセイ、『自然のものはただ育つ』とはだいぶ違う。
「悲しんでいる暇はない」と断言し、死別体験から強い意志で再起しようとするイーユン・リー。「悲しみを深めることで魂に磨きがかかる」と綴る山形孝夫。
そして、言葉にも涙にもできずに、心の奥底に悲しみを封印している人にとっては「心から悲しめることが幸せ」と考える私。
死別体験の受け止め方は人それぞれ。正しい受け止め方というものはない。
私個人としては、山形孝夫の考え方に共感するところが多い。悲しみを乗り越えるというのでもなく、抑えるのでもなく、悲しみとともに生きる、悲しみを深めながら生きる。そういうとらえ方のほうが私の肌に合う。ただ、その先にある信仰という領域にはまだ踏み込むことができないでいる。
クリスチャンである山形は、キリスト教の教義において公式にはいまだに「自死が大罪とされている事実」についてどう考えているのだろうか。母は天国に入れたと考えているのか。尋ねてみたい気がする。
グリーフについての文章のあとに付された、外典『マグダラのマリアによる福音書』も興味深い内容だった。これについては、紹介されていた専門書を読んでから感想を書きたい。
さくいん:山形孝夫、死生観、悲しみ(悲嘆・グリーフ)、自死遺族、西田幾多郎、秘密