絵日記。ぼくらの町の大事件

都会のバス事業者では、営業所ごとにバスのメーカーを統一していたりします。いすゞが配置される営業所は、いつまでたってもいすゞだけ、日野が配置される営業所はいつまでたっても日野だけ。
しかし、何かの拍子でこれが変わる場合もあります。そういうことが起きると、地元のギャラリーにとっては大事件になるのです。
もっとも、大事件の話を聞いてほしくても、家族、友達、そして学校の先生も、全く相手にしてくれません。というより、理解できる興味も知識も持っていません。
こういうことは、10年経っても、四半世紀経っても、そして間もなく半世紀が経とうとしている今も、全く変わりません。
バスの世界というのは、非常に狭い地域で、非常に短い期間を共有できたほんの一握りの人にしか分からないからです。

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社番について

京王帝都も立川バスも、車体前面と側面に番号が書いてありました。
両社とも社番の付け方はよく似ていて、ローマ字で所属営業所が、数字の頭でメーカーが分かるようになっていました。
(ここに記載した付番方法は、1970〜80年代当時のものです)

京王帝都
B4073

所属営業所A・・・中野営業所
B・・・府中営業所
C・・・八王子営業所
D・・・永福町営業所
J・・・桜ヶ丘営業所
L・・・調布営業所
メーカー1・・・いすゞ
2・・・日野
3・・・三菱
4・・・日産ディーゼル
固有番号上1桁と合わせて、4桁で連続番号を構成する。
立川バス
K747

所属営業所H・・・拝島営業所
J・・・上水営業所
K・・・国立営業所
メーカー1・・・日産ディーゼル(中型)
2・・・三菱(中型)
3・・・いすゞ(中型)
4・・・日野
5・・・日産ディーゼル
6・・・いすゞ(1979年〜)
7・・・いすゞ(〜1978年)
8・・・三菱(1973年〜)
9・・・三菱(〜1972年)
固有番号上1桁と合わせて、3桁で連続番号を構成する。
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80s岩手県のバス“その頃”