ぼくらの町の大事件

京王帝都6・・・参考ページ(営業所&ワンロマ車)

(参考)営業所による車種統一

本文では、ある時期から府中営業所に三菱の新車と旧年式車が突然やって来た、という話をしました。この話の何がポイントかというと、「三菱」という部分です。
京王帝都では、営業所によって車種統一しており、いすゞと日産ディーゼルだった府中営業所に三菱が配置されるということは、それまでの常識だとありえないことだったのです。
それでは、なぜそのような配転が突然行われたのか。それには、当時の交通事情や住宅事情に応じた路線・営業所の再編が影響していたようです。(注1)
ここでは、そんな京王帝都の営業所別のメーカー割当に触れておきます。

中野営業所・・・日野
京王帝都 日野RE140(1973年式)
京王帝都

練馬22か866 社番:A2168
撮影:新宿駅(1977.7)

中野営業所は日野車で統一。写真の車両は、3扉車でかつ前ドアに広幅4枚折戸を試用した意欲作。
この時期の都心の京王帝都バスは、前面に大きな系統番号表示箱をつけていました。

永福町営業所・・・三菱
京王帝都 三菱B800N(1973年式)
京王帝都

練馬22か1044 社番:D3196
撮影:中野市(1983.8.10)

永福町営業所は三菱車で統一。都心担当のため、やはり系統番号表示窓付。ただし、この時には大きな幕に「京王帝都」と表示しており、系統番号は表示されていません。1972年式から方向幕に系統幕を併設する方式に統一されたためでしょう。
これら永福町の三菱車は、1970年代に府中に投入、転入した車両と関連性が多く、興味がありました。

調布営業所・・・いすゞ
京王帝都 いすゞBU10(1976年式)
京王帝都

多摩22か1167 社番:L1008
撮影:吉祥寺駅(1977.8)

府中営業所の支所だったため、調布営業所はいすゞ車で統一。しかし、この時は府中営業所が三菱に変っていたため、いすゞの新車が入るのは調布だけという状況でした。
そんな中、京王では見たこともなかった「いすゞ−富士重工」の組み合わせの新車を見かけ、驚いてシャッターを押しました。

桜ヶ丘営業所・・・三菱
京王帝都 三菱B800M(1970年式)
京王帝都

多摩22か151 社番:J3146
撮影:立川駅(1977.7)

府中営業所の支所だった時は、いすゞや日産ディーゼルがいたようですが、営業所に昇格したこの時点では三菱車の営業所でした。
写真は、桜ヶ丘を皮切りに1970年に初めて導入された「ワンマン用ジャンボバス」(京王帝都電鉄30年史による表現)。裾にオレンジ色のある3扉車は、このグループだけだと思われます。
(白黒写真をカラー化してみました)

京王帝都 いすゞBA20N(1972年式)
京王帝都

多摩22か1523 社番:J1166
撮影:府中市(1982.10.20)

三菱車の営業所になった桜ヶ丘にも、狭隘路線には短尺ナローのいすゞが配置されていました。まだ路線バス用の中型バスがなかった時代、ナロー車はいすゞにしかないため、このような車種選択になったのです。
永福町営業所にも同様のいすゞ車があったようですが、これらの後継は順当に三菱の中型になりました。

八王子営業所・・・日野
京王帝都 日野RB10(1968年式)
京王帝都

多摩2う312 社番:C2093
撮影:八王子駅(1977.7)

八王子営業所は中野と同じ日野車で統一。
この当時は国鉄八王子駅前にあり、目の前で視野拡大窓の車両が出入庫を繰り返していました。京王での帝国ボディはGMC風の視野拡大窓を好んで導入し、この後も日野車のみは前面窓が下に拡大された仕様を継続購入していました。

京王帝都 日野RE140(1976年式)
京王帝都

多摩22か1120 社番:C2001
撮影:八王子駅(1977.7)

最新型だったサブエンジン冷房の3扉車。まだ試験的な導入に過ぎない冷房車で、この後の新車は1980年になるまで非冷房車に戻っています。
この当時の多摩地区はまだ前乗り後降りの信用方式で、3扉車は終点での一斉下車に寄与していました。

(参考)ワンロマ車の系譜

京王帝都電鉄では、1980年代に「ワンロマ車」と通称される路線・高速兼用車を3世代にわたって増備しています。
これは、平日と土休日の需給の差に着目し、平日は都内の一般路線に、土休日は高速バス富士五湖線の増発便に使用するという効率的な車両運用を実現した車両です。
都内の各営業所に配属され、短期間でグレードアップのモデルチェンジを行ったのも、魅力を高めた要素でした。


初代ワンロマ車
京王帝都電鉄 三菱K-MP118M(1980年式)
京王帝都

練馬22か2577 社番:D3086
撮影:山中湖(1980.8.24)

初代ワンロマ車の中で、永福町営業所に配属された三菱車。
外観は路線バスと変わりありません。しかし車内はロマンスシートが並びます。ボディカラーも黄色と朱色の一般カラーと同じですが、塗り分けはほんのちょっと高速バス寄りになっています。
(中野に日野車、調布にいすゞ車もあり)

2代目ワンロマ車
京王帝都電鉄 日野K-RC381(1981年式)
京王帝都

練馬22か3058 社番:A2090
撮影:山中湖(1986.8.19)

2代目ワンロマ車で、中野営業所に配属された日野車。府中営業所に配属されたワンロマ車と同世代。
メトロ窓で高速カラーに塗られており、どの座席に座っても車窓から外が見られるように、方向幕が上部に、中ドアが4枚折り戸になるなど工夫がされています。乗ってしまえば、リーフサス以外、通常の高速バスと変わりません。
(永福町に三菱車、調布・府中にいすゞ車もあり)

3代目ワンロマ車
京王帝都電鉄 いすゞP-LV218N(1986年式)
京王帝都

多摩22か3202 社番:B18603
撮影:山中湖(1986.8.19)

3代目ワンロマ車で、府中営業所のいすゞ車。前後のスタイルが観光タイプになり、カラーデザインも1980年からの高速・貸切カラーを身にまとい、中ドアがあることに気づかなければ、路線バス兼用車だとは分かりません。
(中野に日野車、永福町に三菱車もあり)

(注1)
京王帝都電鉄(1978)「京王帝都電鉄30年史」P140-141、P157によると、昭和40年代に入っての都区内の道路事情の悪化により都区内路線の縮小が行われた一方、住宅地の開発による多摩地区での路線拡大が行われた。これらの影響で、新宿営業所廃止(1967年)、世田谷営業所廃止(1970年)、練馬営業所廃止(1975年)など都心の営業所整理が実施された一方、府中営業所に調布支所新設(1968年)、桜ヶ丘支所を営業所に昇格(1968年)、府中・小金井を統合して府中営業所新設(1972年)など多摩地区の営業所が強化されている。
また鈴木文彦(1999)「京王電鉄・京王バス・西東京バスのあゆみ」(バスジャパンニューハンドブックス27)によると、これらと同時に営業所ごとの車種統一が実施されたという。
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