ぼくらの町の大事件

京王帝都2・・・事件が起きる前(日産ディーゼル)

京王帝都の府中営業所を、いすゞ車と二分していたのが日産ディーゼルです。車体は富士重工で、首都圏ではあらゆるバス事業者で見られるボディスタイルでした。もっとも、京王帝都の日産ディーゼル車というのは、府中営業所くらいでしか見られない稀有の存在だったようです。


京王帝都電鉄 日産デ4R94(1965年式)
京王帝都

多摩2う109社番:B4032(1976年時点の姿)
参考:京王帝都電鉄(2013)「京王の電車・バス100年のあゆみ」P.23

私がカメラを手にした時点では廃車が進んでいた4R94。車体裾の朱色帯が消された後の姿です。京王では、新製後8年ほどで更新を行い、その時点で採用されていたカラーデザインに変更するようです。この車両は、1973年頃に更新を受けて、裾に朱色がないデザイン(1971〜74年の間のデザイン)に変更されたのでしょう。

絵葉書「一橋大学 国立駅前大通り」
一橋大学

撮影時期:1960年代(1966〜72年)

府中営業所の京王帝都バスを写した絵葉書がありました。
先頭が日産ディーゼル4R104で、前照灯2灯なので、1968年式以前。後ろがいすゞBAで、前面窓の小さい川崎ボディなので、1963年式以前。
私が幼少期に記憶している府中営業所コンビです。
車両画像を拡大

京王帝都電鉄 日産デ4R104(1970年式)
京王帝都

多摩2う1039(社番:B4067)
撮影:国立駅(1977.7)

京王帝都

多摩2う1043(社番:B4070)
撮影:国立市(1977)

年を追うごとに京王帝都のバスは長くなります。1967年頃から標準尺の4R104に変りました。
前照灯4灯になった後、この年式からフォグランプがなくなりました。また、乗務員の負担軽減などのため、この時期、多くのバス事業者で後面の方向幕がなくなりました。
なお、富士重工のこのスタイルで方向幕がない場合、後面窓上の窪み部分は、西東京バスでは朱色が塗られますが、京王ではこのようになります。
B4067は更新により新塗装に塗り替えられた直後、B4070はまだ更新前で旧カラーです。

京王帝都電鉄 日産デ4R105(1971年式)
京王帝都

多摩22か28(社番:B4073)
撮影:国立駅(1977.7)

メーカーのモデルチェンジで、側窓がサッシになり、だいぶ近代的になりました。首都圏では富士重工ユーザーが多く、あらゆる事業者でこのスタイルが登場し、幼ない私は大いに興奮したものです。
しかし、この車両が、京王で最後の日産ディーゼルになってしまいました。
裾に朱色のあるカラーデザインでの最後の新車でもありますが、新塗装に塗り替えられることなく、廃車になったようです。

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80s岩手県のバス“その頃”