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             松代

 八万原史跡公園から東へ数キロ,松代大橋で千曲川を渡ると真田十万石の城下町松代である。
 松代というとわたしは,二つのことを思い出す。
ひとつは松代群発地震。1965年8月3日から始まった一連の地震は体に感じるもの(有感地震)だけでも6万回を越え,翌年4月にピークを迎え,およそ2年間も続いたそうだ。
 もう一つ,大本営地下壕。アジア・太平洋戦争末期,現・長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に,善光寺平一帯に分散して作られた地下軍事施設群のことである。敗色濃厚だった当時,軍部は本土決戦の指揮中枢として松代大本営地下壕を計画し,宮城(皇居),政府の主要部,日本放送協会海外局(ラジオ)など天皇制国家を支える中枢機関をまとめて移転する計画だった。 この工事には,例の如く多くの朝鮮人労働者が動員され過酷な労働を強いられたという。
 これら地震と地下壕にかかわりのある皆上山,像山,舞鶴山を指呼の間に望み,昔懐かしい田舎駅といった風情の長野電鉄屋代線(河東線とも言うらしい)松代駅(無人)前を通り過ぎてすぐ右手が海津城址。バスは,長野電鉄の踏み切りを渡って真田宝物館前の駐車場に停車。
 ガイドさんから「真田宝物館」「真田邸」「松代藩文武学校」三施設共通入場券を貰って,各自思いのままに見学を開始する。

        【松代特産のながいも】
 
 バスが千曲川を渡る時に河川敷で小型ユンボーでながいも堀りヲやっていた。長く太い良質な長芋を育てるためには土壌の質が大きな条件となるそうだ。
松代では千曲川河川敷に堆積した肥沃な砂地に広がる畑できめの細かい良質なながいもが生産されている。
 写真は真田宝物館脇の売店で売っていた”ながいも”
太くてかつ長過ぎて持ち帰るのが大変?折ってあるの5本ほどを購入(800円)。この店においてあった「山葵の葉」,砂糖をまぶして熱湯でゆがいておひたしにするととても美味しい,ふたつとも酒の肴にグー。
           【長野電鉄松代駅】

 さすが,歴史の町だけあって歴史を感じさせる駅舎である。
【松代城と真田宝物館】
 
松代城は,1560年信玄が謙信の攻撃に備えて山本勘助に命じて築城した海津城がその始まりと
言われている。
 1622年に真田信之が上田城から初代松代藩主として移って以来真田氏10代が城主として続いた。 1981年に国の史跡指定を受け発掘調査の後,門の復元や石垣・土塁の修復工事が行われ2004年春完成した。春には桜の名所になる。
 
 真田宝物館には,真田家の歴史・松代文化財(武器・武具(大名道具)・表道具(松代城花の丸の図・花の丸の障壁画・ 真田家文書・能道具・雅楽器・茶道具類)・奥道具(日常的用具や婚礼道具(調度品類・衣類・図書・奈良絵本など)・屏風・藩主,夫人の絵画・和歌)など盛りだくさんの品々が展示されている。とてもゆっくりなんか見ていられない。

【真田家の家紋 六文銭の由来】(パンフレットより)
 六連銭紋と言い,仏教説話の「六道銭」によるもの。六道とは地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道を言い,六道能化のため六地蔵に捧げる報賽銭が六道銭である。これを家紋としたのは,柩に六道銭を収める風習にのっとり,戦にのぞむ武士の決死の覚悟を表したものとされている。銭は無文で3個ずつ上下二列に連なるのが正しい。
【真田邸】
 武家屋敷の面影がしのばれる真田邸は,江戸時代末期1862年に参勤交代制度が緩められたので,江戸住まいを命じられていた母・お貞の方が松代に帰ることになり9代藩主真田幸教がその居宅として急ぎ建てた大名屋敷(敷地面積 約8,000u 部屋数は53室)である。
 松代城跡のうち唯一残った幕末時における地方大名の屋敷の面影を残す貴重な建物である。

 庭園は京都の公卿の庭園を模して造られ心字池がある。サンシュウの花が見事に咲いていた。

 3月3日から4月3日まで市民から寄贈された雛人形が幾つも飾られる。なかでも江戸時代の享保雛は県内で一番大きなものだという。
            
【旧松代藩文武学校】 

 
真田氏10代250年間の治世は,殖産を興し文武が盛んであった,とくに8代藩主・幸貫は,一層文武を奨励し佐久間像山などの意見を入れ蘭学・西洋砲術などを積極的に取り入れ,9代藩主幸教の安政2年(1855)に開校したのがこの文武学校。
 敷地面積は3,089平方メートル、建物面積は1,505平方メートル。
 剣術所・柔術所・弓術所・槍術所(現在は長国寺に移されている)・文学所・教室二棟(東序・西序という)・文庫蔵・藩主居間・御用所・掛役人控所・番所・門からなり、ほとんど開設当時そのままの構造と面影を残している。
明治・大正期に各界で大いに活躍した人々を輩出しているという。

 わたしは今まで,「真田家といえば上田」とばかり思いこんでいたのだが,これが間違いであったのがよくわかった今回の松代訪問であった。以前から真田氏10代が続いたという上田(これはわたしの知識不足)にしては,上田という町は,田舎っぽいというか文化的香りが漂ってこない町だと思っていたのだが,なるほど合点した。実は上田は真田昌幸,幸村親子までで,真田氏10代というのは,徳川方についた信之が松代に封を受けてからのことであったのだ。
 千曲川を挟んで古戦場川中島の対岸に,ひっそりとたたずむ山あいの町,名将の誉れ高い血を受け継ぐ真田氏の250年間に渡る統治,小藩ながらも誇り高く潤いに満ちた武家文化を開花させた松代には,由緒ある武家屋敷や神社仏閣・泉水が流れる町並・町家の庭園など貴重な文化財が点在している。松代城,象山記念館や旧横田家,像山神社,旧大本営地下壕後などまだまだ見所がたくさんある。とても2時間足らずで見られるものではない。温泉もあるしまた来たい。

松代の情報満載の”エコール・ドまつしろ”のウェブサイトは,ここです。