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           上田城おそば

 上田城は言わずと知れた真田家の居城。千曲川(日本で一番長い川)の河岸段丘の上に,真田昌幸が築き(1583),幸村とともに徳川の大軍を二度にわたって撃破したことで有名な城である。
 上田にはもう15,6年前仕事で立ち寄ったことがあるが駅前でそばを食ったことしか覚えていない。上田駅から徒歩10分くらいで上田城の二の丸の入り口に着く。
 入城した左手が昔の武者溜りに建てられた市民会館の駐車場,右手の”しだれ桑”の間を縫って大手門から本丸跡,真田神社,西櫓などを外から見学。(当日は定休日で中に入ることが出来なかった)
 上田城は徳川時代になって,真田昌幸憎さもあってか徹底的に破却され,現在残る上田城の遺構の大部分は後の大名仙石氏によって築かれたもので,現在の上田城址と昌幸が築城した上田城の場所が同じなのかどうかさえ判然としないとも言われている。 いまや上田城の周辺はすっかり市街地化し千曲川支流の尼ヶ淵に面した要害であった頃の名残は見られない。本丸の南面は断崖に面しているものの二の丸やその周囲は駐車場やグラウンドや学校施設などに変わってしまっていて,ここが徳川の大軍を二度も撤退させた場所だとは信じられない気もしないでもない。

【大手門】
 上田城の顔 大手門と北櫓。北櫓は民間に払い下げられていたものを市が買い上げて上田城に戻したもの。大手門は平成6年の復元。
【真田石】
 
真田昌幸が上田城を築城する際に,北方の太郎山から掘り出した高さ2m幅3mほどの大石。 
【真田井戸】
 
直径2m深さ16mという大きな井戸で,抜け穴になっていて太郎山に通じていて兵糧の運び入れや城兵の出入りに使われたという。 

 上田城見学を終えたところでちょうど昼時,市役所前通りを東進して藩主館跡(現上田高校)の脇を抜けて”刀屋”というお蕎麦屋さんを目指す。
 そば屋に着いた時は1時少し前ではあったが,店の前に行列が出来ていた。地元の人も昼食に使っているようでさすが名物そばやさんと感心する。

【上田藩 藩主館跡】
 現在は長野県立上田高等学校
 江戸時代の藩主館跡で,塀・門・堀・樹木など当時のものが大切に保存されている。
 門は藩主屋敷にふさわしい豪壮な造りの薬医門,今は上田高校正門になっている。
 上田城破却後にこの地に入った真田信之は,徳川家に遠慮してか上田城の復興には手をつけず,ここに藩主屋形を建て藩政を執った。
【真田そば】【かも煮】
 刀屋は故池波正太郎ゆかりの店。わたしは味噌だれをつけて食べる真田そば(850円)を注文。かも煮(実は鴨ではなく鶏 700円)を一皿取り5人でつつく(ネギが素晴らしく美味しかった)。この店のもりそばはかなりの大盛りである,間違っても(大)を注文しないこと,そば好きのわたしでも(普)で十分であった。

 ”刀屋”のHPは,こちらです。
 もう一軒お奨めのお蕎麦屋さん”おお西”のHPは,こちらです。
 上田市内のそば屋さんぜん〜ぶまとめて ”口こみそばmap”です。
【迎春花】
 藩主館跡の近くの民家の塀に見事な迎春花が咲いていた。迎春花は中国の華北・西南・華東地区の山岳地帯の原産,北京で最初に咲きはじめる花が迎春花とのこと。

 実はこの花、日本では黄梅というが,梅の仲間ではなくモクセイの仲間だが,香りがしないと言うところが特徴。黄色い花が梅に似ていることと咲く時期が同じことからこの名前になったようだ。

迎春花……とってもいい名前である。

 上田駅へ戻る途中で,信州名物のひとつ”みすず飴”をつくっている「飯島商店」のお店を発見!優雅で壮麗な木造3階建て洋館造りの風情ある建物,内部も落ち着いた静かな雰囲気,ジャム,生ものなどみな美味しそうだ。時間の余裕が無いので,パンフレットを頂き後日注文できることを確認して,味見用のみすず飴を4個ももらって上田交通別所線の電車に乗る。
 みすず飴の”飯島商店”のHPは,こちらです。

 上田交通別所線は,上田〜別所温泉を15駅,約27分,運賃570円で結ぶ地域の足として活躍している電車である。実を言うとわたしは60年前この電車に乗っている,姉達が,この辺り当時の塩田村とか青木村のお寺に学童疎開に来ていて,そこを訪れた母親に連れられて来たことがあるということだ。かすかに記憶が残っている程度だがなんとなく懐かしさがこみ上げて来た。