黄昏の稲村ヶ崎

海老坂武は、前に『戦後文学は生きている』を読んだことがある。その本でも、森有正は戦後文学の代表の一人として取り上げられていた。

フォローしているX(旧Twitter)のポストで海老坂の名前を見つけ、図書館で蔵書を検索して本書を見つけた。

本書はいわゆる研究論文ではない。著者が、どんな時代に森有正に出会い、どんな気分のときに読み、どこに共感したか、違和感を感じたか、そういう個人的な事情や感想が詳しく書かれている。言葉を換えれば、海老坂は読書体験というものを非常に大切にしている。この姿勢は『戦後文学は生きている』でも踏襲されていた。森の文章との出会いについて書いたあと、海老坂は「前置きのようなものが長くなった」と弁明しながら主張する。

われわれの読書体験のなかには、その内容自体よりも、自分がどういうきっかけで一冊の本に導かれ一人の著者にめぐりあったか、自分と対象とのこの位置どりの方が重要だという書物があるからだ。

こういうエッセイは非常に面白い。とくに森有正を読む場合、客観的なアプローチを試みる研究論文のスタイルよりも、自分が森有正をどう思うのか、小手先でなく体当たりして書いた感想文の方が面白く感じる。

実際、著者の森有正評も面白い。

誤解を恐れずに言えば、、そして読み方によっては、この二十年同じ一つのことをーーそれを夢想とは言わないがーーぶつぶつつぶやいているだけの〈孤独な散歩者〉にすぎない。

フランス文学者が書いたこの件りは、言うまでもなくジャン=ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』を念頭に置いているのだろう。森有正の文章をじっくり読んだことのある人にはよくわかる、なかなか気の利いた評価ではないだろうか。「同じ一つのこと」とはもちろん「経験」を指す。

「ぶつぶつつぶやいているだけ」という言い回しは一種の韜晦であり、実は、それこそが森有正の最大の功績でもあると著者は結論づけている。

(前略)戦後思想にとっての森氏の最大の功績は、「経験」を中心として、「自由」、「個人」、「自然」、「思想」といった一連の概念を執拗に打ち鍛えてきたことにある、と私は考えている。(カッコは原書では傍点)

それでは、著者は森有正のどこに共感し、どこに違和感を感じたのか。

幼くして洗礼を受け、小学生の時代からフランス語を学んだ森有正は、当時の日本において格別に「西洋化」した人間だったことを著者は指摘する。だからこそ、森はフランスでヨーロッパ文明に触れたとき、自分のなかにある「西洋」的でないもの、すなわち「日本的」なものに気づかされた。そこで森はヨーロッパ文明の伝統と向き合い、同時に「日本」と対峙しなければならなかった。

著者を含めて読者は、森のように圧倒的な「西洋的」文化資本ので生育したわけではないから、ヨーロッパ文明や日本との向き合い方を森と共有することはできない。読者は自分にとって何が向き合うべきものか、対峙すべきものか、自分で探さなければならない。森有正のエッセイは、その孤独な探究への道案内となる。言葉を換えれば、森有正の文章は読み手に自分自身を読むことを促す。

著者も、森との生育環境の違いを重視して、自分なりの「ノートルダム」を見つけることにフランス留学時代を費やした。

こうした海老坂の視点に共感する。『遥かなノートルダム』が森の思想が凝縮された傑作であるという指摘にも頷く。同書が最も端的に森有正の思想を表していると私も思う。

『遥かなノートルダム』が収録されている『エッセー集成3』の感想で、私は、自分が向き合うべきは教養文化(ハイカルチャー)であり、対峙すべきは自分を形成している大衆文化(ポップカルチャー)と書いた。

「ノートルダムも法隆寺もない場所へ」旅立つ、という森の言葉を借りて、私が旅立つべき行き先は「ヘーゲルもクラリスもいない場所」と書いた。

一度は就職したものの、教養文化に憧れ大学院に入りなおした。けれども、実力、財力、努力のいずれも足りない私は学問という教養文化の前に敗北した。ヨーロッパ文明の堅固な伝統の前に森有正が戦慄したように、私は学問世界の厳しさの前に平伏すしか無かった。

己のなかにある教養文化に対するコンプレックスと、大衆文化に対する親近感と嫌悪感をどのように折り合いをつけたらいいのか。ひそかに悩んでいたときに出会ったのが小林秀雄と森有正だった。

海老坂のエッセイも、森有正のエッセイと同じように、著者の経験に共有することを許さない。代わりに、彼の文章は読み手自身を読みはじめることを促している。

しばらく森有正から離れていた。昨年、運よく全集を買うことができた、今年はゆっくり森有正を再読しようと思う。つまり、もう一度、自分自身を読みなおそうと思う。

加藤周一はまったく読んだことがないので、今回、海老坂の文章も読まなかった。いつか「読む時」が来たら読む。


さくいん:海老坂武森有正ジャン=ジャック・ルソー小林秀雄