月川翔の監督作品をこれまでに2作観ている。『君の膵臓をたべたい』と『君は月夜に光り輝く』。どちらも命をテーマにした作品だった。本作もそのテーマを引き継いでおり、本作を合わせて月川翔「命の三部作」と呼びたい。
もう少し具体的に書くと、『キミスイ』は、突然の死別体験が激しい悲嘆をもたらすことを描いていた。『キミツキ』は短くても人の命は輝けるということを明示した。そして、本作は命と意志は受け継がれるということを伝えている。
映画は、先週の土曜日に、吉祥寺ヲデオンで一人で見た。それから実家に帰る途中、銀座教文館で原作を購入し、その日の晩に読み終えた。そして今週の月曜日。母を連れて上大岡でもう一度見た。母もいい作品と思ったようで、原作を貸してほしいと言ってきた。
父親は人工心臓を作って娘を救うつもりだったものの、人工心臓を作ることはできず、また娘の病状も悪化して人工心臓があったとしても救うことはできないことを知らされる。
絶望する父親に娘が思いがけない言葉を伝える。この言葉に、本作のテーマが凝縮されている。自分の娘を救うという父親の願いは「一人でも多くの人を救う」という家族の願いに昇華される。そして、今ではそれが会社の理念になっている。
どうすると、こんな利他的な気持ちになれるのだろう。原作を読むと、母親と三人姉妹は教会に熱心に通っていることがわかる。キリスト教信仰が彼らの献身的な努力を支えていたのだろうか。映画にはないけど、家族が讃美歌「うるわしの白百合」を病室で合唱する場面は心を動かされた。
病室で仲良くした友人の死を何度も見たことも彼女が「一人でも多くの人を救いたい」と思うきっかけになったのかもしれない。映画はそのように示唆している。
『キミスイ』では、亡くなる場面が映像で表現されていた。『キミツキ』では「消えた」というセリフだった。本作では臨終の場面はなかった。亡くなったことを暗示するセリフすらなかった。
原作にある看取る場面がないことは、映画版を湿っぽい話にさせない効果を持っている。エンディングで、父親は悔しさをにじませるけど、妻の言葉は希望に満ちている。娘の遺志を受け継ぐ勇気と決意が感じられた。
不治の病を背負う役を演じた福本莉子はとてもよかった。悲壮感のない、自然体だった。
彼女は、家族に支えられる立場であると同時に、家族を一つにする中心でもある。そこに特別な意識を感じさせない演技だった。前に見た『今夜、この世界からこの恋が消えても』よりもよかったと思う。
もともと、福本莉子は『思い、思われ、ふり、ふられ』で知り、関心を持って追いかけていた。今回、好きな監督である月川翔の監督作品に出演すると知り、とても期待していた。そして、彼女の演技は期待以上のものだった。
娘のために獅子奮迅する父親役の大泉洋は別として、母親と姉妹は誰か一人が突出するということはなく、それでいて母、長女、末娘という立場が伝わる一体感があった。
佳美の子役もとてもよかった。
『キミスイ』では浜辺美波、『キミツキ』では永野芽郁、そして、本作では福本莉子。それぞれ儚い命を全うする少女を好演した。それぞれの個性を最大限に引き出した月川翔監督の手腕に拍手を送りたい。
『キミツキ』の感想に、月川翔監督の死生観が表現されていると書いた。本作は、さらに深く、さらに広く、命と愛が描かれてる。監督自身も成長していると感じた。
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