ANAの飛行機

機内食の図鑑を読んで、飛行機によく乗っていた頃のことを思い出した。

この機会に、ファースト・クラスに初めて乗ったときのことを書いておく。確か1999年のこと。LAの南、アーバインで仕事があり、帰路はオレンジ・カウンティ空港(通称ジョン・ウェイン空港)からサンフランシスコ経由で帰る予定だった。

ところが、空港に着いてみるとSFOまでの便が欠航となっていた。変更ができるノーマル・チケットだったので、帰路をLA経由に変えてもらい、LAの空港まではまだ滞在が続く同僚にクルマで送ってもらうことにした。

LA空港に着き、カウンターでチェックインしているとき、運転してくれた同僚がポツリと言った。

え、わざわざ陸路で来たのにアップグレードもないの?もう、この会社、やめたら。
今度はオレとJALに乗ろうよ

その場では何もなかった。私も特別なことは何も期待していなかった。

指定されたビジネス・クラスの座席に座り、新聞を読んでいると、離陸直前、突然、係員が来て「申し訳ありませんでした。こちらへどうぞ」とファースト・クラスへ案内された。

彼のあの一言がなかったら、アップグレードはなかった。彼とはいまだに年に数回会う間柄なので、呑むたびに礼を言っている。

ファースト・クラスの乗客は私を含めて3人。ほかの二人は乗り慣れているようで、"Udon and coke"と離陸する前に軽食を取り、さっさと寝てしまった。残されたのは緊張と興奮で固まっている私一人。

まず、着替えを渡された。リラックスできるルーム・ウェア。ほかに誰もいないので着替えようとすると「お着替えは洗面所で」と促された。トイレ自体はほかのクラスと違わない。着替えのために足を置く台が取り付けてあったことは違っていた。

いかにもファースト・クラスで応接しているという感じのベテランのCAが「お客様お一人なので、何でも召し上がってください」とすすめてきた。私はすすめられるがままに、超高級シャンパンをボトルで呑みほし、キャビアを機内にあるだけ食べた。到着後、食べなかった食事は全て廃棄されると聞いた。それを聞いて何か責任感のようなものが湧いてきた。

残さず、食べなければならない

それからは、もう食べられるだけ食べた。子羊のロースト、ステーキ、ご飯を機内で炊いたカレーライス。うどん。メニューにあるのでバナナを頼んだら、きれいに切り分けて、ハイビスカスの花を添えた皿に盛り付けて出てきたのでびっくりした。

このときはほとんど眠らなかった。記念にメニューをもらっておけばよかった。そういうことを忘れるくらい興奮していた。

そのあと、一度、往復ファースト・クラスという出張をしたけれど、あまり覚えていない。理由は後ろ向きの仕事の出張だったから。金曜日の夜、客と新年会をした帰り際、駅で指示された。チケットはノーマルでいいから自分で手配しろと言われた。それで持っていたアップグレード券を使い、往復ファースト・クラスに乗った。せっかくのファースト・クラスだったのに、いい思い出はない。

初回の体験は衝撃的だったのでよく覚えている。

この体験記は、アップグレードのきっかけを作ってくれた同僚と呑むたびに毎回話す、いわゆる小噺、ネタの一つになっている。

最後に一番驚いたこと。機内が乾燥していたので、リップクリームがないか尋ねた。するとCAの一人が「機内には準備していませんが私の物でよければ」と言い出した。ファースト・クラスの客にはそんなことまでするのか。驚いた。さすがにこの過剰サービスは遠慮した。

通常、着陸する前にヘッドフォンが回収される。この時はなぜか回収されず、着陸する時も音楽を聴いていた。流れていたのはゴンチチ「放課後の音楽室」。今でも、この曲を聴くとあの豪華なフライトを思い出す。

ファースト・クラス自体も衝撃的な体験だったけれど、サービスされる客が自分一人だけという異常事態がさらに驚きを倍増させたことは間違いない。

Kさんへの御恩は一生忘れない。


ビジネス・クラスに乗っていた頃はデジカメが普及しはじめた頃で写真は残っていない。

下は2003年1月にSF経由でラスベガスへ出張したときのビジネス・クラスの機内食。

これ以降、徐々に海外出張が減っていき、飛行機に乗ってもビジネス・クラスに乗る機会はなくなっていった。

いつか、また、飛行機旅したい。行き先はどこがいいか。パリブリュッセルロサンゼルスサンフランシスコ。この4都市は再訪したい。

こういう俗っぽい欲望でも、あれば「もう少し生きてみようか」という気持ちになる。

機内食

さくいん:ラスベガスサンフランシスコロサンゼルスパリブリュッセル