久しぶりに銀座に出かけた。娘と息子が泊まりの行事に出かけたので、私達も二人きりで出かけた。こんなことができるのは一年に一度、この時だけ。
銀座はこの数年で大きく変わったといわれている。高級ブランドが服飾の店舗だけでなく、ビルごとかかえて、インテリアからレストランまで揃えている。ファッション雑誌でそういう新しい店の知識は得ていても、慣れない店、それも敷居の高いところへは冷やかしでも入る気がしない。結局、いつも行く洋服屋で、いつも買うシャツの新色と秋のスーツを下見して、いつも行く書店へ向かった。
表通りに向いた1階は狭く、置いてあるのもよそにもある雑誌ばかり。だからいつも、裏手へ曲がり、古びた雑居ビルのようなロビーからエレベーターで上へ上がる。
一番上にある児童書の専門店から、一階ずつ立ち読みをしながら下りてくる、これがいつもどおりの私の銀ブラ。今回は1階に貼ってあったポスターでかこさとしの原画展が開催中であることを知り、児童書フロアの上にある最上階へはじめて上った。
幼いころに買ってもらったかこさとしの絵本は、『かわ』『海』『地球』などの科学絵本が多かった。『からすのパンやさん』や『だるまちゃんとてんぐちゃん』などの物語を読んだのは自分が親になってから。
かこさとしは1926年生まれ。もう90歳を過ぎている。入口に直筆で原画展への案内が掲げられていた。力のこもった文字が、いまも気力、体力が十分なことを感じさせた。
軍国少年だったことの罪責感から、子どもに平和の意識をもたらす作品をつくりたいと思ったということが、入口のあいさつに書かれていた。絵本作品を手がけるようになった動機に軍国少年だったことへの罪責感と平和をつくる教育への強い意志があったことは前に読んだ自伝に書いてあった。同じように戦後日本の児童文学を開拓した瀬田貞二もまた、同じようなことを回想記に書いていた。
戦争の間、若かった人びとが第一線で活躍するようになった1970年代、反戦と平和への思いを託した作品を多く世に出た。
原画展をひとまわりして、小さなテーブルで読んだことのなかった科学絵本『宇宙』を手に取った。驚いたのは、「解説」と題された長い長いあとがき。
かこさとしは反戦と平和を動機付けとしていても、戦争そのものを扱った作品は、私の知るかぎり、ない。かこさとしは、直接、単純に戦争を否定したり、戦争に反対したりすることはしない。科学と戦争、技術と戦争が切っても切り離せない関係にあることを、彼はよく知っている。
多くの尊い犠牲をはらったにかかわらず、一部では零戦や大和の長所を美化し、軍国化を試みる風潮がありますし、一方では兵器や武器の記載があるなしという、単純な基準で議論をする向きがあります。
私はそのどちらにも与するものではありませんし、多言も好みません。
第12場面においては、巨艦大砲主義によって到達した距離よりも、かよわい渡り鳥や、一少女の放った風船の到達距離の方が、はるかに大きかったことを取り上げることによって、私の考えや思想を反映させたつもりです。
私が子ども時代を過ごした1970年代、戦争の悲惨さを訴えるだけだったり、戦争さえなくなれば世の中が平和になると唱えるような、安直な、そうでなければ、素朴な作品もすくなくなかった。そうした作品を夏休みの課題図書や読書感想文の宿題にさせられて、かえって反戦、平和を訴える作品にうんざりしてしまい、平和という言葉を聞くだけである種の政治的な偏向を感じるようになってしまった人も、私と同世代にはかなり多いのではないか。
私自身、かこさとしや瀬田貞二の回想を読んでから、彼らの作品を安直で素朴な反戦作品と思い込んでいた時期がある。こうして70年代に発表されたかこさとしの絵本を読み返してみると、絵本に対する彼の動機が平和への深い思いに基いていながらも、作品を土台でしっかりと支えるだけで、表にでてきて説教臭くはならないように細かく気を配っていることがよくわかる。
かこさとしの科学絵本は、どれも読者への呼びかけで終わる。ここから先を探るのはこの本を読み終えた君たちだ、そう訴えている。かこさとしの作品は、いつも未来を志向している。
展覧会の下では、児童書専門店で科学絵本の特集をしていた。なつかしさから『せいめいのれきし』を手に取ってみた。この絵本も、読者、つまり子どもたちに未来へとはばたくことを促して幕を下ろす。
さあ、このあとは、あなたがたの
おはなしです。その主人公は、あなたがたです。
真夏の青い空に向かって、高く遠く、どこまでもはばたいていけ!
泊まりがけではなかったけれども、私たち二人も小さな旅をした。新しい絵本を土産にして帰り、成長した二人の新しい笑顔を家で待つことにした。