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2024年09月16日(月) 算数三昧
8月はブログがお休みになったが、遊んでいたわけではない(まぁ、遊びといえば遊びだが)。1ヶ月ずっと算数オリンピックの問題(中学入試もある)をやっていた。小学生対象の問題なのに難問ぞろいで悪戦苦闘の連続だった。以下に図だけ載せておくが、これらすべて解いたものがこのブログの<Contents>「小論文(「小学生が解く問題」)」に出してある。ただし解き方は「算数」では無理だったのでなりふり構わず「数学」を用いたところもある。
こうした問題を「算数」とか「小学生向き」とかいっていいのかという疑問を持った。まぁ「算数オリンピック」「中学入試」というからには難問もやむを得ないだろうが。
私はこの三問を解くのに1か月を費やしたが、「数学」を使って解くだけならばそんなに苦労はしない。特に最後の面積問題は座標と三平方の定理を使えば誰でも5分で溶ける。しかし「算数」だけで解くことはネットの記事を参考にさせてもらわなければできなかった。
よく、数学の難問には高度な解き方はあっても、初等的な解法がないものもある(例:素数を表す一般式など)。例えば「算数」しか使わないことを初等的解法というのであれば、初等的解法で解けない人がたくさん出てくるだろうし、逆に「数学」を用いればすぐ解ける問題は「難問」と言えるのか、等々、いろいろなことを考えさせられる1か月であった。
2024年07月11日(木) 樋口一葉全集を読む
Amazon Kindle Unlimited(月額¥980)でいろんな作家の全集本をDLしたが、これまですべてを読んだものがなかった。確かに藤村や谷崎などは生前に読めるかも怪しいくらいの量だ。そんな中、樋口一葉全集だけはDLしてから2週間ほどですべて一気に読んでしまった(作品+資料・解説全46作¥99 以下「全集」)。すべて短編だったからともいえるが、やはり面白かったのである。
Amazon Kindle Unlimitedの画面より
さらに主立った作品についてはネット上にあるいくつかの評論文をじっくり読ませてもらった。歴代の一葉研究家の労作が多く、とても参考というか勉強になった。いちいちお名前等紹介しないが、心から感謝しています(一例:https://www.andrew.ac.jp/soken/assets/wr/sokenk39_5.pdf)
自分にはそれらの研究に及ぶとてないが、個々の作品について感想くらいは残しておきたいと思った。以下、作品ごとに短く記す。あらすじ等も略す。
<暁月夜>(全六回)
全集の最初に載っている小説(初め、朧月夜かと)。封建思想が普通の時代としては恋や結婚を遮断する一重の人生観に不自然さはないと思うが、それにしてももったいない人生。「深窓の令嬢」といわれるような人にはときどきいそうな人物である。悪く言えば世間知らずの意志堅固。それに惑わされる敏(大学生、のちに一重の屋敷で庭男に)も彼女の告白を聴いて最後には納得したのか。普通に読めば時代錯誤となるような作品だが、一葉の擬古文の美しさについ引き込まれて、ふたりの気持ちに共感してしまう。一葉の文は時代の制約というより内容からくる必然性を持っている。
ひとつ気になったのは、敏が一重の心情を吐露させるための狂言回しとなっていること。そのため、敏にはいささかのステレオタイプが見出される。敏の恋が実らないことはやむを得ない。
<うつせみ>(全五回)
「暁月夜」の一重は姉妹のなかでもひときわの美人だったが、この作品の主人公お雪(雪子。姓は不詳)は心を病んだ「病美人」とされている。病気の養生のため貸家を転々としながら終に死に至ることが暗示されている。雪子の甦生を想わせるものはいっさいない。雪子が病んだ原因は、雪子の通っていた女学校の植村録郎なる男(たぶん教師)が彼女に恋しながら、雪子に許嫁がいることを知って自殺したことにある(らしい)。遺書によると雪子に恨みを残してはいないまでも世を儚んだものらしい。雪子はそれを自分の罪として思い詰めることで病を得たのであろう。
いちいち断定しないのは作品の描写がそうなっているからで、そのことを作品の弱点とするか、作者の意図とするかはむずかしいが、私は後者を取る。そのほうが作品の幅になると思う。いろいろ想像をたくましくすることは小説の楽しみでもある。
それにしてもつくづく時代を感じる。好きだった人を失ったこともあろうが、その人を死なせてしまったことを自分の罪として苦悩し、精神の病を得てしまうのである。現代にもあるのだろうか。
「病美人」としての雪子の描写は鬼気迫る迫力がある。作者はどこかでそのような人を見たのであろうか。また、雪子の家人たちの口語も作者がそこに居合わせたかのようなリアリティがある。少し長いが許婚の正雄(養子義兄)が雪子を言い含めるときのセリフを紹介する。
こら何うした、蝶も何も居ない、兄は此處だから、殺しはせぬから安心して、な、宜いか、見えるか、兄だよ、正雄だよ、氣を取直して正氣になつて、お父さんやお母さんを安心させて呉れ、こら少し聞分けて呉れ、よ、お前が此樣な病氣になつてから、お父樣もお母樣も一晩もゆるりとお眠になつた事はない、お疲れなされてお痩せなされて介抱して居て下さるのを孝行のお前に何故わからない、平常は道理がよく解る人ではないか、氣を靜めて考へ直して呉れ、植村の事は今更取かへされぬ事であるから、跡でも懇に吊つて遣れば、お前が手づから香花でも手向れば、彼れは快く瞑することが出來ると遺書にもあつたと言ふではないか、彼れは潔く此世を思ひ切つたので、お前の事も併せて思ひ切つたので決して未練は殘して居なかつたに、お前が此樣に本心を取亂して御兩親に歎をかけると言ふは解らぬではないか、彼れに對してお前の處置の無情であつたも彼れは決して怨んでは居なかつた、彼れは道理を知つて居る男であらう、な、左樣であらう、校内一の人だとお前も常に褒めたではないか、其人であるから決してお前を恨んで死ぬ、其樣な事はある筈がない、憤りは世間に對してなので、既にそれは人も知つて居る事なり遺書によつて明かではないか、考へ直して正氣になつて、其後の事はお前の心に任せるから思ふまゝの世を經るが宜い、御兩親のある事を忘れないで、御兩親がどれほどお歎きなさるかを考へて、氣を取直して呉れ、え、宜いか、お前が心で直さうと思へば今日の今も直れるではないか、醫者にも及ばぬ、藥にも及ばぬ、心一つ居處をたしかにしてな、直つて呉れ、よ、よ、こら雪、宜いか、解つたかと言へば、唯點頭いて、はいはいと言ふ。
(Ichiyo Higuchi Complete works (Japanese Edition) (p.42). Kindle 版. )
読めば病人に対して酷な言い分にも聞こえるが、家人の切羽詰まった心情があふれていて正雄にも親たちにも同情してしまう。さぞ大変な苦労であろうことは現代の介護の実情からも想像がつく。ただ雪子がさる名家の令嬢であるからこのような至れり尽くせりの看護を受けられるのであって、この作品の持つ悲哀感もそこに依拠していることを知らなければならない。世を儚むにも富貴貧賤の差があるのだ。
<うらむらさき>(「上」のみ・未定稿)
未完ながら問題作! なぜなら一葉の作品中唯一であろう不倫もの。しかも主人公お律の所作を、こころなし作者も批判よりは推しているかにも取れるのだ。
お律は嫁ぐ前から心に決めていた「吉岡さん」への想いをつのらせ、今の夫がどれほどいい人であろうと、「私の命が有る限り、逢ひ通しましよ切れますまい」(本文より)と迷いを思い切って、寒い夜風の中を愛しい人の所へ行く決心をして終わっている。
年譜によれば、この作は「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる一葉の作家活動のうち最後期の作品で、明治29年5月に発表、同年11月23日に死去と。その意味でも、代表作「たけくらべ」等ののちに書かれたものとして、もし生きながらえたならば一葉の作家としての次の作品への橋渡し、あるいは新境地を示し得たのではないかとさえ思われる。未完であることが惜しまれる。
(つづく)
2024年06月13日(木) 森博嗣「新版 お金の減らし方」を読む(2)
(2024年06月09日(日)の続きです。)
もう一つ、森先生(あえて敬称)と同じなのはパソコンである。
本文内容からパソコン初購入時期は私とほぼ同じだと思う。塾を始めたころ、なにかの情報でパーソナルコンピュータなるものを知ったが、高くてなかなか手が出なかった。どうしても欲しくなり、結局奥さんに内緒で貯金を降ろして買ってしまった。日立のべーシックマスター(LEBEL1)という機種(モニタ別売)で、メモリがたった4kB、作ったプログラムはカセットテープに「録音」するという代物だが、当時としては画期的だった。すぐにLEBEL2にグレードアップ(メモリ16kB)したのでトータル30万円くらいしたと思う。決してパソコンで一旗上げようとかではなく全くのオモチャとして買ったのである。
先生は「ゲームを自作したこともあるし、あらゆるアプリを自分で作った。今でいう、「イラストレータ」のような作図ソフトや、「エクセル」のようなスプレッドシートも自作して使っていた」(本文p.157)そうで、私なぞとても足元にも及ばないが、それでもべーシックマスターゲームコンテストに応募して佳作になったことはある。
やがてNECのパソコンが一世を風靡すると私も日立を見限ってPC98シリーズを購入、ワープロは松、表計算はLotus123、データベスはdBASE、最後はAccessからSQLServerに到達したが、言語はVB(VisualASIC)とSQLだけ(この辺は先生とはかなりレベチだ)。
自営塾は引っ越しを機に20年前に閉鎖、その後は友人の紹介で10年ほどSEまがいの仕事をした。今でも自分が作った売上管理システムを使ってくれている人がいて、年に数回メンテナンスに通っている。先生曰く「最初に買ったパソコンは数十万円だったけれど、のちに、それらは何倍、何百倍にもなって還ってきたのだ。」(同上p.)自分の好きなものがお金になったのだ。先生のような何百倍は怪しいが、まさに同じことを感じている。
そして現在、私は念願の年金生活者となってほぼ毎日を好き勝手に生きている。生活は苦しいが、ギャンブルも旅行もしないしファッションにも興味はない。「靴下は年中同じ種類のものを使っている。出かけないから、着るものは多種類はいらない。(新版のまえがき)」私もまったく同じ。友好関係もほぼゼロ(お世話になった人はたくさんいるのに恩知らずです)。そのかわりといっては何だが、趣味とくに数学に多くの時間を割くことができて、その成果として「平方剰余の相互法則」を証明することができた。この証明は現在全世界で1000以上あるとのことだが、自分もその一員になれたという自負がある。
欲しいものは次から次に出てくるが、買えるものは買っている。クルマも好きで何台か軽に乗ったあと、今は10年前に50万で買った中古プレミオがとても気に入っている。クルマはもうこれが打ち止めだろう(先生の好きなポルシェには興味がなかったことに安堵している)。他に買ったものといえば、iMacとiPad、Oculus Quest2、FileMakerPro19,電子ピアノなど。ピアノは今一番時間を割いている「趣味」である(もうすぐショパンのエチュード(別れの曲)が完成しそう)。もっと早く買っていれば今頃はピアノ教室を開いていたかもしれない。
数年前からこれも近所の方の紹介で、名古屋市が行っている中学生学習支援事業で週2回塾講師の有償ボランティア活動をしている。同じ講師の中には大学生の方たちもいて、中学生との勉強ともども老境せまる日々に良い刺激になっている。楽しみでしかない。
結論。私の「お金の減らし方」は、ただ欲しいものを買うこと。一方「増やし方」は、残念ながら出費を抑えるだけ。矛盾しているが、結局何を買って何を買わないかの基準は先生の言われる通り「どれくらい欲しいか」(p.81)なのである。
「満足というのは、いわば好奇心を満たすことでもある。知りたいことを知る。手に取りたいものに触れる。新しいことを試してみる。思い描いたとおりかどうか確かめてみる。子供はなんでも自分でやりたがる。それが人間の本来の性質、本来の生き方なのである。」(p.177)
珍しく鵜の羽干しを見た。昔の映画「ラドン」を思い出した(^ ^)。拡大可
2024年06月09日(日) 森博嗣「新版 お金の減らし方」を読む(1)
ちゃんと新版とことわられているにもかかわらず、4年前に書かれていた本の’24年版を買ってしまった。作者も執筆は「コロナ禍以前。ウクライナもガザも戦争になるまえ」(新版のまえがき)であったが、新版でも「何一つ直すところがなかった」(同)とのこと。さすが森博嗣先生(あえて敬称)である。
私はAmazon Kindle Unlimited(¥891)で購入して1日で読んでしまった。それくらい簡単に読めてしまう。内容も題名に反して(?)至極まっとうなことしか書かれていない。その意味では失望感もあるが、納得感ももちろんある。一番に感じたのは自分が先生(以下こう呼ばせていただきます)とほとんど同じ考え方をしているということだった。
森博嗣「新版 お金の減らし方 (SB新書 657) 新書」(Amazonの画面から)
ここではあえて先生の著書の批評ではなく、いかに自分が先生に似ているかを書こうと思う。
自分は先生よりちょうど10年年長(誕生月が同じ)のいわゆる団塊の世代のど真ん中である。戦後民主主義と新憲法のもとで育ってきたが、父親はこてこての封建主義者、母親はやや知能障害のある人で、二人は内縁であった。どちらからも教育らしいことは受けていない。私は極端な貧乏の中で育ち、小学校には冬でも裸足に草履履きで通っていた。ランドセルを背負った記憶はない。そのころ生まれた妹の世話のため長期に登校しないこともあった。風呂にも満足に入っていなかったので、よく担任が用務員室へ連れて行って顔を洗わせたりした。風呂が嫌いなわけは脱腸のせいで、私の陰嚢はいつもソフトボールくらいに膨らんでいた。幼少期は母親が女風呂に連れて行ってくれた。母が亡くなってからは一人で風呂へ行くのだが、陰部をじろじろ見られるのが嫌だった。このため学校でのいじめがひどかった。集団で「だっちょ、だっちょー」と節をつけて囃し立てるのである。
しかし私はひねくれものにはならず、勉強はそこそこできた。少なくとも勉強が好きだった。たった一人といってもいい友人のH君が漫画好きで、彼の影響で漫画の虜になった。彼は漫画を読むだけでなく自分で書いたりするので、私も漫画を書くようになった。中学生になると、理科の授業で天文学に興味を持ち、図書室の本を漁って読んだ。ノートにぎっしり天文知識を図入りで写していた。一年生のときのあだ名は天文学者だった。同じ学年のとき、音楽の授業でサカフォーンというハーモニカを買わされてからこれに夢中になった。クラシック音楽への耽溺はこのときから始まり、今まで60年飽きたと思ったことはない。
中学3年になると、今度は数学に興味を持つようになった。展開と因数分解が逆のことだと知ってから俄然数学にのめり込み、やはり図書室の本を片っ端から読んで、一人で3次方程式や4次方程式を解いて悦に入っていた。5次以上の方程式は解けないと書いてあって、自分で解いてみようとしたこともある。アーベル、ガロアなどの名前もこのとき知った。角の三等分は不可能と書いてあったので、自分で解いて数学の先生に見せに行ったこともあった(もちろんダメと言われたがその理由がわからなかった)。
この頃になると、私をいじめるものはほとんどいなくなった。その理由はたぶん私が「アタマがいいから」ではないかと思っている。私は何もいじめられないようにと思って勉強をしていたのではないが、結果的にはそうなった。話す相手はいつも「賢い」連中で、試験の予想とか、暗記の方法などを話し合った。酵素の名前を覚えるのに「アリトマイエ」というおまじないを教えてもらった。「アミラーゼ、リパーゼ、トリプシン、マルターゼ、インベルターゼ、エレプシン」などは今でも覚えている。3年生になると進路によってクラスが分けられることになったが、私はもちろん就職組だった。成績も別々に発表される。学年一位になったとき、メモ用紙に書かれた「1」の赤い数字を今でもよく覚えている。胸が焼け付くほど進学したい気持ちだったが、父親の返事はとり付く島のないものだった。進学指導の先生から「福沢はどうしても進学できないか」と聞かれたりした。
脱腸は依然として体の「欠陥」だったが、陰嚢内の腸を鼠径部から腹の方に押し戻す方法を発見して、友達に「もう脱腸じゃないよ」と股間を触らせたこともある。それからはもうだれもこのことで私をからかうものがいなくなった(ただし、実際に手術したのは22歳のときである)。
もう一つ、脱腸が「治った」こともあって、体操の鉄棒にも夢中になった。蹴上がりや大振り、逆手車輪、宙返り降りができたときの感激はいちいち忘れない。そのころのわたしはブラスバンド部の数少ない3年生だった(他の3年生は進学のための補習があった)のに、体操部に入り浸っていたのでブラス顧問の先生が呼びに来たこともある。
中学を卒業した私は親の縁故で岐阜に就職したが、父親の病気のため1年ほどで名古屋に帰ってきて、家の近くの鉄工所に就職した。16歳以降の私がハマったのが文学である。武者小路実篤の「友情」を呼んで感動でむせび泣いた。それからは少ない小遣いで本を買っては読んだ。10年ほど経つと千冊位になっていた。小説が多かったが、哲学や評論などもよく読んだ。その頃の夢は作曲家か小説家だったが、一方、数学の勉強も続けていて、結果的にはそれが生活の糧になった。文学や音楽は「お金」にはならなかった。
24歳のとき結婚したが、そのときの我が家(借家)は、ガスはない、風呂はない、流しは屋外、トイレは汲み取り、という状態で、よくまあ奥様(あえて敬称)が来てくれたものだと今でも感謝しかありません。いつも病身の父親が作るわけのわからない食事しか知らなかった私は、婚約していた彼女の作ってくれた千切りキャベツの付いたとんかつ定食に号泣した。
二十代の私の人生設計は、大嫌いな会社勤めをしないで、なんとか好きなことだけして暮らそうというものだった。結婚した当初、共働きの奥さんの収入をアテにして会社をやめたら奥さんは怒って仲人さんのウチに(実家ではなく)避難した事があった。仲人さんにきつくお説教されてさすがにこれはヤバイと反省した。そこで考えたのが新聞配達だった。朝夕1,2時間ほど働けばあとは自由だ。定時制高校にも通い出して気分はすっかり学生というときもあったが、ここも2年のときやめてしまった。しばらく新聞配達と自分の勉強だけの生活だったが、あるとき、近所の喫茶店のママから「マサオくんは頭いいから××さんとこの子教えてあげてくれない?」と頼まれた。これがきっかけでやがて口コミで生徒が集まるようになり、自営で塾を始めるようになった。塾の名は「数学教室」。今思うとこれは「天職」だったかもしれない。森先生の「ミステリィ作家」が私には「自営塾」だったと言える(かな?)。
それから数十年、ずっと四畳半の部屋で塾をしてきた。教えてきた子は百人以上にはなるか。案外に少ないのは、1対1の対面授業、一日に3〜4人、一人90分、一人を中学から高卒まで教えるというシステムでやってきたから。収入は月に10〜15万円位になり、新聞配達より格段に良くなったのを機に、自営塾に専念するようになった。こうして24時間を自分の自由に使えるようになった。家の状態もガスを引き、水回りもよくなり、ユニットバスを購入してウチ風呂を実現した(この辺は奥様の尽力に大いに預かっている。)
―こんな話を書いて、先生に似ているとは失礼この上ないかもだが、先生の本を読んでいただけばわかってもらえると思う。家庭の事情の違いは別として、私も自分が欲しいと思ったものはそれなりに苦労して手に入れていた。好きな漫画の月刊雑誌の発売日近くなると、お小遣いをせびるのを我慢して当日にまとめてもらうとか、2種の少年週刊誌を友だちと別々に買って交換して読んだり。とにかく好きなものへの執着の強さは今でも変わっていない。<つづく>
2024年05月12日(日) ある角度を求める問題(2023年1月20日の続き)
2023年1月20日に図のような角度の問題について正しい作図ができないといちゃもん?をつけたが、今日はその問題に得意の?三角法による解答を載せることにした。
【問題】(再掲)図で、△ABCは正三角形で、∠ADB=42°、∠CEB=∠CEDのとき、∠BFCは何度か。(図はクリックで拡大可)
【解】まず、図でBC=1とすると、△ACDの正弦定理よりCD/sin18°=1/sin42° であるから CD=sin18°/sin42°。だからAC:CD=BC:CD=1:sin18°/sin42°=sin42°:sin18°。
一方、△BDEで∠BEC=∠DECより BE:ED=BC:CDだから BE:ED=sin42°:sin18°、ゆえにBE/sin42°=ED/sin18° となる。これは△BDEにおける正弦定理を示しているから∠DBE=18°となる。∠DBEさえわかれば∠ABC=60°より∠BFC=102°。(Q.E.D)
【解説】この解き方は正弦定理を使うところが中学の域を超えているので、やはり中学生以下には不向きである。ただ、「△BDEで∠BEC=∠DECより BE:DE=BC:CD」というところは中学数学でも可能。もう少し工夫すれば中学レベルでも解けるかもしれない。
以上は最近のマイブームになっている三角法による角度や線分の求め方を適用したことで得られた解法である。ところがもう一つ、これもネットでは(たぶん)かなり有名な「2009年ジュニア算数オリンピックファイナル問題」という問題に挑戦したとき、さすがの三角法もまったく歯が立たなかった。「算数」というからには対象は小学生なわけで、少々タカを括っっていたところがある。あまりの難解さに久しぶりに「悪戦苦闘」という言葉を思い出したくらいである。それは次のような問題である。
「算数星人のWEB問題集」より(拡大可)
この図と問題文はネットの「算数星人のWEB問題集」(https://sansu-seijin.jp/sansu-orympic/4672/)からコピーさせてもらった.算数星人さん、ありがとうございます.(ちなみに「算数星人」さんは「正答率0%の超難問です。。。備忘録として一応掲載しましたが,算オリの対策や中学受験生の方はスルーしてよい問題だと思います。」とコメントしています。)
ただ,この図についてはひとこと。条件に合うように作図をするとこような図にはならないのである。それは△ABCの面積が15cm2だから△ACDの面積は7.5cm2となり、ゆえにDからACに引いた垂線が30/19cmになり、その条件を活かしてAC=9.5cmとなる線を引くと、DCがこの図よりずっと短くなってBはもっとDに近いところに来てしまうのだ。
実際の図は下図左のようになるが、内容はまったく変わらない。図の赤い線ABの長さを求めるのである。
正解はAB=5.5cmなのだが、その求め方はまさに「奇想、天外より落つ」である。
上図右の図はその解法の一例で、ネット上いくつかのサイトにでている(YouTubeにもありました)。一目で理解できるほど鮮やかな方法であるが、短時間で気づく人はほとんどいないのではないか。
蛇足とは思うが一応説明するならば、Aから直線BCに引いた垂線の足をEとし、AF=CDとなるように点Fを取る。同じ△ACEを4つを組み合わせて図のように並べると一辺が9.5cmの正方形ができる。四角形ADBFは等脚台形になるのでAB=DF、そして図のピンクの部分は面積が同じになるから四角形ACDFも15cm2である。この四角形が大きな正方形の中に4つできている。中央にできた四角形は一辺がFD(=AB)の正方形になり、その面積は、9.5×9.5−15×4=30.25(=5.52)となるので、その一辺は5.5cm、これがABの長さとなる。
この問題は最初に作った人が実にすばらしい。解いた人も鮮やか、見事、文句なし。私は5日間考えてわからなかった。Give upして(ネットで)解答を見せてもらって、惜しみない称賛を贈ったものである。「オリンピック」と銘打っているからこその問題だ。ただ、算数星人さんもいっているように一般の小学生に出す問題ではない。もし誰かに問題を提出するなら同時に解答も示してそのすばらしさを理解してもらうほうがいいのではないか。
2024年05月05日(日) 朝のルーティン
ほんとは今回も数学の問題についてカタろうと思っていたが、四回続けてというのはやっぱり気がひけたので(ソンナコトキニスルンダ)、今日は自分の朝のルーティンを書いてみることにした。そのあとでまた苦心の数学問題について書く(ケッキョクカクンダ)。
(以下、この日課は妹が特養に入ったあとのことである。家の中が二人になったことでいささか変化もあった)
朝はだいたい6:40起床。妹がいたときには判で押したように6:40に起きて朝の支度を始めていたのでその影響がある。そしてわたしのやることはだいたい元気だった頃の妹の仕事の引き継ぎにすぎない。まずゴミ出しがある日はそれを済ませ、やかんの水をガスにかけ、洗濯機を回す。それから夕べの食器が入っている食洗機を片付け、夜中に猫たちが暴れまくっていたであろう食卓の上を消毒する。そのあとランチョンマットを敷いてお茶碗、箸、おかゆ用の鍋敷き、貝と昆布の佃煮、岩下の新生姜、韓国のりを並べる。予約のおかゆができあがるまでの間にヒゲを剃る。だいたいそのころに炊飯器がアマリリスの曲で出来上がりを知らせるので朝食開始となる。朝食が終わるころ洗濯も終わるので洗い上がりの洗濯物を取り出してベランダに干す(前日が雨なら部屋干しのままになっているので取り込んでから干す、当たり前だが)。
そのころやっと奥さんが起きてくる(起きてこないときもある(^^;)。でも奥さんが怠けていると言ってはいけない。彼女には昼食・夕食用の買い出しと調理という重要任務があり、これは自分には替われないことなので尊敬しています(このブログにも敬意を表して「ウチの晩ごはん」というコーナーがある)。
朝のルーティンはまだ続く。次は簡易ドリップのコーヒーを淹れながらダノンビオを用意、CMの多い朝のテレビのチャンネルをころころ替えながらコーヒーとヨーグルトを喫する。このとき欠かせないのが沖縄産の黒糖。奥さんが摂り過ぎよと注意するくらいの好物。ちょっとは気にしているが、好きなものはしょうがない。
さて、コーヒーも済んで、膝や腰に問題がないときは散歩に出かける。実は8年も履いていたNBのウォーキングシューズがとうとうだめになってきたので4月に買い替えたばかり。散歩が楽しい。団地の階段を7階まで上り下りしてから天気の良い日はそのまま団地の外へ。近所の川沿いの堤防を、ギガに余裕があるときはAirPodsでクラシックを聴きながら約30分歩いて帰る(私のスマホは1か月1ギガを超えると約千円高くなる)。
散歩中に見た珍しい鉄塔の工事。安全対策が一目瞭然(拡大可)
だいたい汗まみれになって帰るので帰宅後着替えてから机に座り、家計簿をつける。FileMakerProで作った自慢の家計簿ソフトでフリーアプリのMoneyTreeのデータと照合し、異常がないかを確認する。わたしはそれほど帳簿の記入は多くないが、奥さんは何枚かのカードを駆使しているのでそのチェックが一番の目的といっていい。あとは振込や入金の確認も大事である。ネットバンキングが進んできているのでたいていウチで済ませることができるので便利になった。わたしは郵便局が嫌いで、特にATMで並ぶのが大嫌いだ。その郵便局のネットバンキングが最近使いづらくなって腹が立っている…(テーマガカワッテイルゾ)。
そのあとは私の自由時間となる。だいたいは数学の勉強というか、そのときかかえている課題に取り組む。飽きるとピアノの練習か、読みかけの本・小説があればそれを読むことも(ちなみに今ピアノで練習しているのはショパンの練習曲「別れの曲」、読書は山田真哉著「女子大生会計士の事件簿全6冊号本」と高瀬正仁訳「ガウス数論論文集」)。
これが最近のわたしの午前のルーティンです。何の参考にもならないでしょうが。
2024年03月22日(金) 正五角形…また、数学の話です
前回のラングレーの問題を解くとき、三角比(三角関数)の威力と不思議さを強く感じた。そこで他の角度の問題を探していたとき、ふと、正五角形についてのYouTubeの動画で次のような書き方を紹介していた。( Studio Hoiさん、ありがとうございます。YouTubeの検索で「正五角形の書き方 円に内接 コンパス 定規 How to ... - YouTube)」を指定すると出てきます)
<正五角形の描き方>(以下の図と説明は私が上記YouTubeを参考に描いたものなので、Studio Hoiさんには責任はありません。)
「平面上の2点O,Aを通る直線を引き、OからOAに対して垂線を引いておく。Oを中心に半径OAの円を描き、Oに立てた垂線との交点をFとする。次に、Aを中心に半径AOの円を描き、円Oとの交点を上からB,C、OAとの交点をDとする。次に、Dを中心にDFを半径として円を描き、直線OAとの交点をEとする。最後に、Fを中心に半径FEの円を描き、円Oとの交点をG,Hとすれば、点G,Hは円Oに内接する正五角形の頂点である。」
以下、私の苦心の証明である。
この描き方で本当に正五角形が書けているかを証明するには、図の∠FOGが72度であることを示せばいい(円に内接する正五角形の一辺に対する中心角は72度)。
そこで三角比の登場である。∠ODF=θとして、∠FOGが72度であることを示そう。
まず、長さの単位としてOA=1としておく。OD:OF:DF=1:2:√5 であるからcosθ=1/√5である。
△DEFはDF=DEの二等辺三角形だから、∠EFD=∠FED=(180−θ)/2。よってOF/EF=1/EF=sin∠FEO=sin((180−θ)/2)=sin(90−θ/2)=cosθ/2(sinの加法定理)。
すなわち、1/EF=cosθ/2。よってEF=1/(cos2/θ)、さらにEF2=FG2=2/(1+cosθ)(cosの半角公式)。
すなわち、FG2=2/(1+cosθ)。
一方、もし∠FOG=72°なら、△OFGで余弦定理からFG2=12+12−2×1×1×cos72°=2−2cos72° である。
すなわち、FG2=2−2cos72°
このことから、2/(1+cosθ)=2−2cos72° が成り立つなら、FGは正五角形の一辺であることになる。
(ここで三角比の範囲を逸脱するかもですが、cos72°=(√5−1)/4 を求めるため cosの2倍および3倍角公式を用います。)
<参考:cos72°を求める>
α=72として、360=5α=3α+2αより、3α=360−2α。だからcos3α=cos(360−2α)=cos2α。つまり、cos3α=cos2α
この左辺に3倍角公式、右辺に2倍角公式を用いて、
4cos3α−3cosα=2cos2α−1。ゆえに、4cos3α−2cos2α−3cosα+1=0
一見、三次方程式だが、因数分解できて、(cosθ−1)(4cos2α+2cosα−1)=0
ここから cosθ=1、(−1±√5)/4 が出て、1と負の解は捨てて cos72°=(√5−1)/4 を得る。
2/(1+cosθ)=2−2cos72°の式で、cosθ=1/√5、cos72°=(√5−1)/4 を代入すると成り立つのである(途中の計算は省略)。
こうしてFGは円Oに内接する正五角形の一辺であることが証明された。
かなり無理強い感のある「証明」だが、むしろそこに三角比の威力を見るのである。適当な角を決めてその角から辺の長さを求め等式を導く。着眼はたやすいが、計算はたいへん面倒である。一度で正解にたどり着いたことがない。いろいろな公式を調べたり、途中式があっているかをNumbersの数値計算で確かめたりする。でも正解にたどり着いたときの喜びはひとしおである。前回も書いたが、これだから数学はやめられないんです(^^)。
2024年03月04日(月) ラングレーを解いた!?
前回から続けて取り組んでいたラングレーの問題をその後5日間で解いた。といってもあまりスマートとはいえない方法だが。
まず、もとの図にAF//BCとなる直線AFを引く。AG=DGを証明すれば△ADGが二等辺三角形となって、∠DGF=60°から∠ADG=30°が出る。あちこち補助線を引いてもできなかったので、最後の手段として使った方法は三角比である。三角比は初等幾何に属するとするが、結果としては若干の三角関数の性質も用いることになった。
アイデアはいたって簡単(ベタ?)で、原点をB(0,0)、BCを単位長とし、C(1,0)とする。点A、D、Gの座標を三角比で表し、AG=DGを示そうというのである。
詳しくは
こちら(または<Contents>「小論文」から)を見てもらうとして、ここでは結果だけを記す(例によって数学に関心のない方は飛ばしてください)。
(式が煩雑になるので tan50°は t5、tan80°は t8 等で表し、分数は平書きで a/b 、「ルート3」は√3で表している。)
まず、Aのx座標は t5/(t5+t8)、y座標は t5t8/(t5+t8)、Dのx座標は √3/(√3+t8)、y座標は √3t8/(√3+t8)。そしてGのx座標はt5t8/(√3(t5+t8)、y座標はAと同じで t5t8/(t5+t8)。
これをもとにAG=t5(t8-√3)/(√3(t5+t8))を出す。そしてDGはD、Gの x、y座標のそれぞれの差の2乗の和の平方根からDG=2t82(√3-t5)/(√3(t5+t8)(√3+t8)) となった。
AG=DGを示すにはAG−DG=0となればよい。
AG−DG = t5(t8-√3)/(√3(t5+t8))−2t82(√3-t5)/(√3(t5+t8)(√3+t8)) = (t83−3√3t82−3t8+√3)/(t82+2√3t8-1)(√3+t8)) ………(A)
この最後の式 (A) では tan50°=tan(80°−30°)=t8t3/(1−t8t3) の正接の倍角公式を使って t5 を消去した。
(A) の式の分子で t8 を消去するには、正接の3倍角公式 tan3θ=(3tanθ−tan3θ)/(1−3tan2θ) を使わざるを得なかった。 これにθ=80° を代入すると tan240°=(3t8−t83)/(1−3t82) =√3 となり、これは変形すると (A) の分子の式そのものになるのだ。
この公式は初めて使ったが、それがそのままラングレーの問題の(この解き方での)最終的解決になるのが驚きだった。ある意味問題の奥深さを反映しているのでは? なんてね。
こういうことが時々あるので数学はやめられないのです!
2024年02月28日(水) ラングレーに完敗!乾杯!
「ラングレーの問題」という有名な角度の問題がある(下図参照)。
定木と分度器ですぐ書ける簡単な図形だが、この
x の角度がなかなか求まらない。図を正確に書いて
x を分度器で量れば30°とすぐに答えがわかるのだが、証明するとなるとこれが大変である。いわゆる初等幾何とよばれる中学程度の図形の知識でも求めることは可能というので、少々ピアノの練習に飽きていたことから挑戦してみた。で、1週間がんばってあと一歩まで行きながらだめだった。以下、悪戦苦闘の痕跡。
←最後の画像がネットで見た解き方で求めた解答。これだけ拡大可
日頃、町の数学者を名乗りながら恥ずかしい結果になった。もっと日にちをかけて頑張ればいつかは解けると思うが、それほどの問題でもあるまいと思って答を見てしまった。じつに悔しい(; ∧;)。ラングレーに完敗! いい問題だ(夕食時にラングレーに乾杯した)。
世界は広く、ネットにこの問題の解答例が14個も出ていた(参考:https://www.gensu.co.jp/saito/challenge/langley.html)。探せばまだあるかもしれない。一々は調べなかったが、いろいろなアイデアを出して解いているなと思った。こうなるとやはり自分でも独自の解き方を見つけたくなる。誰かと同じになってもいいから、引き続き頑張ってみることにした。v(^ ^)v。次回のブログで報告できるといいな。
ホントに久しぶりの散歩中のショット。
いずれも近所の川で。左のは見ていて「カモのおしどり夫婦」と自分でつぶやいたのが面白かった😀。真ん中は一羽のサギが水面と太陽の影とで三羽に見えるのが面白かった。一番右はおそらくヌートリア。散歩する人たちの中でも有名で、もう何年も棲みついているらしい(拡大可)。
ホントは動画を撮ったのだがseesaaではYouTubeしかだめということで写真だけにした。
2024年01月07日(日) 地震とリハビリ
元日早々、大変なことが起きた。北陸地方での大地震である。石川県能登地方が震度7だという!
愛知県では震度4とのことだったが、これは東日本大震災以来だ。こっちでもよく揺れた。テレビや携帯でのけたたましい警報音に度肝を抜かれた。思わず腰を浮かして部屋を見回し様子を見る。もし家具が動き出すようなら身を守らなくてはならない。とっさに足の不自由な妹をどうするか考えるが、何も浮かばない。ゆっくりとした横揺れがしばらく続いたが、家具は動いていない。外を見に玄関を出て見回す。誰も出てきてはいない。しばらくすると揺れも収まり、この辺りは大丈夫そうだと部屋に戻り、テレビの情報を見続ける。すぐに能登地方に津波警報、さらに大津波警報! NHKの女性アナウンサーの聞いたことのない「逃げろ」の絶叫が響く。
テレビの定点カメラでの情報ではあまり悲惨さは伝わってこない。津波は起きていないか、起きても小さそうだと思った(実際は大変な津波だった!)。テレビ画面では実態は伝わらないと後でつくづく思った。しばらくテレビを見ていて気分が悪くなる。これはいけないと思ってチャンネルを替え、地震以外の番組を探す。テレビ東京だけが画面一部に津波情報を出しながら通常の番組をやっていた(「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」)。地震が気になりながらもこれをずっと見ていた。これはこれで良かったのではないかと今でも思っている。
翌日(2日)には羽田空港の日航機事故。しかも北陸地方への救援物資を積んだ海上保安庁の飛行機との衝突という、ある意味北陸の地震が引き起こした大事故! 日航機の乗客の安否がなかなか出ない。全員無事脱出が告げられるまでの緊張感が地震の情報と相まって二重三重の不安を煽った。今年は大変な年になりそうだと心底暗澹たる気持ちになる。
唐突に話を変える。
コロナ渦が始まって以後、新年恒例だった真清田神社への初詣と記念撮影をやっていない。我が家にも何かと様変わりが起きているが、去年の一番の様変わりは妹の介護4度の認定だ。もともと知的障害があるが、一昨年くらいから急に体調を崩し、やがて歩行も困難になり日に日に痩せてきた。そして病院で「パーキンソン氏病」という診断を受けた。ほとんど同時に視力障害の認定も受けて、それまで通っていた障害者就労支援の作業所もついに通所困難となった。以後はデイサービスを生活の基本に通院・闘病の日々である。
幼少期から施設暮らしの長かった彼女はそこで規則的な生活を送りながら、自分の身の回りのことはできるだけ自分ですることをしつけられて育ってきた。その習慣から、これまで行なってきた家事などはそのままやろうとするのだが、やはりできなくなったことのほうが圧倒的に多い。それでも朝6時に起きて洗濯物と洗剤を洗濯機に入れてスイッチを入れることが一日の始まりである。今までなら5分でできたことが20分くらいかかっている。それでもサボるとか寝坊することはまったくない。できないときはほんとうに調子が悪い時だ。Wikipedia によると、パーキンソン氏病は真面目で几帳面、融通がきかないといった性格の人がなる傾向があるとのことで、何となく納得した覚えがある。
デイサービスがあるときは8時半ごろまでに荷物を準備して、マスクを付け靴を履いて玄関先でイスに座って待つ。送迎バスが来ると車椅子でのお迎えが家の中まで入ってくれるので「いってきま〜す」の声とともに車中の人となる。
デイサービスセンターでは簡単な健康診断のあと、お風呂に入れてもらえる。ウチではもう入れないのでこれがありがたい。妹に聞くと「ブランコに乗って」浴槽に入るのだそう(リフトのことか)。他にリハビリ体操や、歌(カラオケ)、簡単な工作、お絵かき、音楽鑑賞など、なかなかバラエティに富んだプログラムが組まれている。刺激の多い一日でくたびれて帰ってくるときもあるが、ウチでテレビばかり見て過ごすよりはいいのだろう。
デイサービスセンターの様子(クリックで拡大)
リハビリで頑張る妹
(いずれも妹が通うデイサービスセンター提供)
ゆくゆくは特養(特別養護老人ホーム)に入ることも考慮してショートステイも経験させた。案の定、夜は眠れなかったなど、課題も多いがとにかく慣れさせなければならない。デイサービスも含めてこれらの手続きはすべて妻(S子)がやってくれたことである。よくもまあ50年以上もわれわれ兄妹と一緒に暮らしてくれたと思う。感謝しかない。
妻が今課題にしていることはイエ(団地)の介護用改造である。市への改造費用の補助金申請の手続きなど面倒なことも厭わずやっている。ほんとうに頭が下がるが、必ずしも私と意見が一致しているわけではない。それでもこの度は私のほうが一歩引いてすべて任せている。改造が一段落したらどこがどうなったかこの欄で紹介したいと思っている。
2023年11月28日(火) クルマでMDLPを聴く
今日、ついに長年の夢?だった「クルマでMD
LPを聴く」のを実現した。
現代のカーミュージック(といっていいのかな?)は、スマホをBluetoothでカーステレオに繋いで聴くというのが主流らしいが、それは若い人がそれぞれ好きなJ‐POPやWorldMusicを運転しながら聞きたいからだろう。私はとにかくクラシックをランダムに聞きたい。ランダムにというのは、自分にはまだまだ知らない曲や作曲家がたくさんいてそれらに出会いたいからだ。一番いいのは常時FMでクラシック番組を流してくれることだ。一方で、これまで撮り貯めた音楽資源(CD、MD、カセットテープ等々)には自分の好みの曲が入っているので、それも普段から聴いていたい。ウチに200枚ほど録り溜めてあるMDは殆どがLPモード(LongPlay=長時間モード)で録ってあり、ずっと押し入れの奥にしまってあったのを何とか活かしたいとずっと考えていた(日付のあるMDで一番古い録音は2004年4月15日となっている)。
今自分が乗っているクルマは10年前に買った当時で8年落ちだったプレミオで、カーステレオ(たぶん純正)はCD・MD付きだったから最初喜んだが、LPモードがないのにがっかりしたのを覚えている。最近売られているカーステレオにはMD自体が付いていないのでおカネがあっても(^ ^;手に入れられない。ネットでも「今どき、MDデッキ自体売れないので各メーカーは作りません。」なんていわれている。ヒドイ話だ。私は今でも毎日FMのクラシック番組のエアチュックを欠かさないが、今はMDではなく、ミニコンポのHDDに録り溜めておくやり方になった。
余談になるが、エアチェック派の生き残り(?)としては、MD、それもMDLPは非常に優れた媒体だと今でも思っている。まずデジタル録音なので音質が良い、あの小さな(72mm×64mm)パッケージに2倍モードで160分、最長320分(80分で2倍、4倍モード時)録音可能。4時間かかる歌劇を一枚に録音できる(一時期「Hi-MD」なる超長時間録音可能(最長45時間!)なものも出ていたらしいがそこまでは…)。確かにスマホ全盛の現在、録音すること自体が少なくなっているのかも知れないが、スマホでラジオがきけても録音はできないので(著作権等)、MD録音はまだその役割を終えていないと思うのだがいかが。
さて、前置きが長くなったが、クルマでMDLPを聴くハナシである。コトの始まりは奥さん(妻S子)の手作り人形のネットでの出品状況(まったく売れていないが(^^;)を見ていたとき、ふと、カーラジオを出品している人がいるのに気づいた。ということは、MDLP対応のカーステレオを出している人もいるかもと思った。案の定、いっぱいいた!しかもどれも安い。せいぜい数千円!(新品当時は5万円ほど)。たいてい動作確認されており、しかもキレイだ。ムラムラと長年の夢がアタマをもたげる。今やらなければもうできないだろう(トシからいって)。で、買ってしまった「AZZEST DMZ535SG」。ちなみに購入したサイトはメルカリ。ネットでの出品状況もきれいな写真だったので迷わず購入。値段も画面表示で¥4800だったのが実際は¥3800(勝手にクーポン¥1000利用となっていた(^^)。これが今月18日。届いたのが21日。早!
取付は初めオートバックスに頼もうかと思ったが、サイトにしっかり「ネット購入品のPIT予約はできない」とあった。あきらめて自分で取付を決意! それから数日はネットで取り付け方のお勉強。以下は実際の取り付け作業経過。
左から右へ工程順。右端で完成だが、カーステの両端に透き間がある!
こうしてみると簡単そうだが、実際は大変だった。それを書くのがこの記事の眼目である。
① まず、純正カーステを外すのに一苦労。写真を撮るのを忘れたが、機材を取り付けているボルト4本が横向きになっていたのでドライバ、スパナが入らない。結局斜めにカマせたスパナをペンチでひねるという荒業でボルトが緩んだときの嬉しかったこと。初日はこれだけで終わった。
② 次に悩んだのは純正に繋がっているハーネスの取り外し。これも艱難辛苦の末、右手の爪と左手の指の腹に痛い思いをしてやっとのことで外す。この日はピアノの練習ができなかった。
③ さて、ハーネスを外したところで「あれ?」となる。車体側のハーネスが購入したカーステのコネクタと合わない!購入品に付属していたハーネスは車体側のハーネスとはまったく異なっていることに気づく。
④ 結局、購入品のハーネスの先端のカプラーをこれまた苦労して取り外す。切ってしまってもいいのだが、取り外す方法があるはずとネットで探す。あるんです、これが。ありがたい!
⑤ 取り外した購入品付属のハーネスがこれ(下部のカプラーが購入品のコネクタにつながる)。
⑥ こうなると、次の課題は車体側のハーネス(オス)と上記購入品のハーネスをどう繋ぐのかということになる。またネットで勉強した結果、車体側にはメスのカプラーを繋ぎ、購入品側の先端をギボシ(オス・メス)に変えるしかないと判断する。アマゾンからトヨタ用ハーネスと配線用ペンチ、それにギボシを購入。アマゾンのことで翌日届く!
左:エーモンオーディオハーネス トヨタ・ダイハツ車用(10P・6P) 。右:エーモン電工ペンチ
⑦ ギボシの写真を載せていないのは大きさを間違えて注文したから(^^;。結局ギボシは近所のオートバックスで、届いたハーネスを持って行って合うやつを購入する。
⑧ 次の日は一日かけてチマチマと購入品のハーネスの先端にギボシを付ける作業。慣れないペンチで一つひとつ丁寧にギボシを付けていく。ここでもネットでのギボシの付け方が参考になる。今の時代たいていのことはネットで教えてもらえるのが素晴らしい。おカネもかからないm(_ _)m。
⑨ 翌日、コードの色を頼りにハーネスを接続して完成。クルマのキーを回してラジオの音の出たときの嬉しかったことよ! さっそくMDを持ってきて再生する。MDに付けた番号1の1曲め、ブラームスのチェロ・ソナタ第1番が無事聞こえた!
ひとつ気に入らないのは、購入品の幅が車体に合っていなくて、カーステとダッシュボードのパネルの間から車体の中が覗けている(^^;。でもまあ、MDLPが聞けることを思えば何ていうことはない。以上。
2023年10月13日(金) 岩下俊作「無法松の一生」
前回のブログで映画「蜜蜂と遠雷」「螢川」についての感想を書いたが、実はもう一本、阪妻(阪東妻三郎)の「無法松の一生」も観たのだ。ただ、これは映画を観て原作により関心を持ったので、別に稿を起こすことにした。映画そのものは、戦前(1943年)稲垣浩が監督したものが、検閲によってずたずたにされ、戦後もGHQの検閲を受けた後、同じ監督が同じ脚本でリメークし、無念を果たしたという伝説的な映画である。
無法松というキャラクタを最初に知ったのは戦後の三船敏郎主演のリメーク版のほうで、これは映画館で観たはず。とても感動した覚えがある。また、「〽小倉生まれで玄海育ち〜」という、無法松を歌った村田英雄氏の演歌も有名だが、私の古い友人で大学・職業とも建築の道を進んだ者がこの歌を好きだと聞いて、クラシック馬鹿だった私は好奇心から自分でも歌ってみた。友人は「義理と人情」が好きだといっていた。私も義理人情は嫌いではない。案外、数学や建築などと義理人情は合うのかもしれない。
阪妻の無法松は、文盲の人力俥引きで、喧嘩や博打はするものの、人を身分や富貴で判断しないなど、粗暴な外見のうちに純情を秘めた人物でもある。ふとしたことで縁を持った美しい未亡人とその一児に後半生を捧げ、最後は雪の上で悶死する。日本の映画でこのような人物を主役にし、普遍的な人気を持った映画はないと言っていいのではないか。
ただ、もともとの原作(岩下俊作「富島松五郎伝」)でも映画のような人物として描かれているのかという素朴な疑問が浮かんで、今回は特にそこに興味を持った。原作も映画も戦前・戦中の作品であり、その時代にこうした人物像が創造されたことへの驚きがある。もし、原作との間に乖離があればそれはそれで面白い問題である。
早速 Amazon で探してみると、いくつかの原作本があるにはある。ただ、私は「無法松の一生」ではなくて「富島松五郎伝」という原題の方で探したのだが、なんと安いやつで2000円、高いのは7000円もする。骨董品扱いになっている。仕方なしに戦後出版された春陽文庫「無法松の一生」(1951年)というのを選んだ。これは¥724(送料¥350)で手頃観があった(発売当初(昭和34年)は60円となっている)。
原作者の岩下俊作氏は1939(昭和14)年発表以来、この原題「富島松五郎伝」にこだわったが、映画、芝居等のあまりの人気ぶりにとうとう戦後は「無法松の一生」に改題したとのことである
(注)。だから私の入手した文庫は「岩下俊作『無法松の一生』」である。
読後の印象は、まず以外にも原作は中編であったことだ。この文庫で160ページ中の85ページ(1ページ2段)、四百字詰めなら140枚余りか(後半は「文覚」という別作品だった)。しかし、映画にあるいくつかのエピソードはすべて過不足なく描かれつつ、或るところは詳述され、或るところは簡略化されている。登場人物の性格はほぼ映画と同じで、映画がよくここまで一人ひとりを形象化していると思った。松五郎と結城豊造(映画では月形龍之介)との博打場での出会いの場面などは痛快だが、映画にはない。
表紙
本編のはじめ(クリックで拡大)
(左はAmazonでの出品本の写真で、表紙カバーが付いているが、贈られてきた実物にはカバーがなかった。いい絵柄なので残念!
結論として、原作と映画のあいだには細かいことは別にして違いはなかった。映画そのままの無法松が書かれてあった。だからこその映画化だったのだろう。細かい違いとして、松五郎は良子夫人に出会ってすぐ一目惚れしたとの記述があること(映画ではそこまでは描いていない)、良子夫人の評判縁戚関係に詳しいこと、九州・小倉の軍人気質を書いているなど(これがよく検閲に引っかからなかったものだと思った)。
私が映画で一番感動したのは、松五郎が祇園太鼓を披露するところだが、これは原作でも詳しく書かれていて、「蛙打ち」「流れ打ち」「勇み駒」、そして一番の見せ場「暴れ打ち」を俊雄の恩師と祭衆の前で披露した。ただ、松五郎がいつどんな経緯でこれらを習得したかは書かれていない、というか、これは作者が松五郎の花道を飾るための創作ではないかとも思った。私の知人で和太鼓を得意とする人がいて、或る人の結婚式で「祇園太鼓」を披露し、出席者の喝采を浴びたことがあった。今思うと、これは無法松の映画から造られた創作和太鼓ではなかったかと思う。
原作を通して読んで、もうひとつ、やはり慣れない語彙が多かったこと。戦後の出版でふりかなを打ってあるものも多いが、
蟲物,
江戸腹の丼,
凝然,
嫣然,
困憊,
梧桐,
徂徠,
擔ぐ,
諸式屋,
燠
などは読みがなもないので調べたりして読んだ。こういうことはわずらわしくてもその場でちゃんと対処するのがよろしい。
注:
慶應義塾大学学術情報リポジトリ 杉野元子氏「戦時期における岩下俊作「富島松五郎伝」の改編をめぐって」
(クリックするとpdfファイルがダウンロードされます。)
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2023年10月06日(金) 映画「蜜蜂と遠雷」「螢川」
例によって録画した映画が溜まっている。
積ん読と同じだ。コレデハイケナイと、立て続けにこの2本を観た。
音楽好きとしては「蜜蜂と遠雷」のような作品は原作も映画もすぐにでも読み、観るべき作品だろうが、そうは思わなかった。気にはなっていたが、ぐずぐずしているうちに他の人の批評や感想などが耳に入ってきて、なんとなく印象ができている。とにかく一度は見ておかなければ、という気持ちだった。
音楽、特にクラシックの曲に関しては、FM番組(今だと「クラシックカフェ」)の解説を頼りにしている。それでたいてい自分なりの感想ができる。番組として聞くので知らない曲などとも出会いがある。考えてみればすべての音楽には、いろんなメディアを通じて出会う以外にない。
例えば映画「蜜蜂と遠雷」のクライマックスシーンで、主役の栄伝亜夜(松岡茉優)が本選でバルトークのピアノ協奏曲第3番を弾いた。この曲は初めて聴いた(聴いたかもしれないが記憶はない)。超難曲を弾きこなす元・天才少女(?)に、鹿賀丈史演じるクセのある指揮者が祝福し、聴衆は足を鳴らして絶賛する。これを観て、あらためて聴いてみたくなる(自分で弾いてみようとは思わないが)。
映画を見て、それでも原作を読んでみようとは思わなかったのは、たぶん、作者・恩田陸氏の音楽観(?)に染まる、あるいは(言葉は悪いが)洗脳されるのがコワいのだ。これを書く上でチラとネットを見てみた(https://ja.wikipedia.org/wiki/蜜蜂と遠雷#映画)。やはり並々ならぬ労力でこの作品をものしている。重いなぁ。所詮、自分にとって音楽は趣味にすぎない。だからこそ自分の感性を信じて大事にしたい。職業として音楽を選ぶのでなければそれでいいのだと思う。
「螢川」(監督・須川栄三氏)は、はじめ宮本輝原作とは知らず(芥川賞受賞作)、なにかの映画批評でラストシーンのホタルの乱舞を高く評価しているのを読んで興味を持っていた。宮本輝氏の映画は他に「泥の河」を観ているが、これは宮本輝というより映画監督の小栗康平氏の作品として観た。しかし、結果としてどちらも自分の少年時代にぴったり重なっていて、それが感想の中心になる。
宮本輝氏は自分と同い年(学年では1コ上か)だから、少年時代を描けば自分と重なるのだろう。「泥の河」では貧困が子供たちに与える精神的憂悶を再体験し、「螢川」では当時の大人の優しさと残酷さに共感する。自分でも20代のとき「
門出」という小説で、中学を卒業して社会に出るときの惨めな気持ちを書いた。今思えば自分も宮本氏のような作品が書きたかったのかもしれない。
中学3年生の主人公・竜夫は三國連太郎氏演じる父親から、大雪の降った年の夏には「いたち川上流」に無数のホタルが現れるという話を幼馴染の英子とともに聞く。映画は竜夫の英子への想いや友人の死、父の旧友や本妻への複雑な感情などを織り交ぜながら、富山を舞台に雪から桜、そして初夏のホタルの季節までを描く。竜夫の情感深い体験がいちいち自分の若き日の思い出と重なって、自分が竜夫になったような面持ちで映画を観た。
私の父は三人の奥さんを持っていたが、最初の人は亡くなり、二人目とは別居(理由は不明)、そして私の母との内縁生活の中で私と妹が生まれた。映画の竜夫には、幼児期に父親が本妻さんのところへ竜夫を連れて行って三人でサーカスを見に行った記憶があるが、私にも幼い頃父が私を本妻さんのところへ連れて行き、そこで異母姉たちに遊んでもらった記憶がある。また竜夫の親友が亡くなった場面では、ずっと忘れていた記憶が蘇った。私が17〜8歳ごろ旋盤工として働いていた会社で、歳ではちょっと上の同僚が病死するという出来事があり、そのお通夜のときの親族(たぶんお父さん)の方の挨拶が本当に心に染みて、私が感極まってみんなの前で号泣してしまったのだ…。ほかにも、ここかしこにわかるなあという場面があった。思春期の性の目覚めには世代を超えて誰にも思い当たるだろう。映画の設定は自分とは大違いだけれど、ここまで私の青春時代を再現しているのは他にはないかもしれない(別に探してはいないが)。
初めはホタルの乱舞シーン目当てで見始めた映画だが、いつしか竜夫のひとつひとつの経験を自分も追体験するようになり、ときには録画を巻き戻して確認しながら見続けた。そしてついに有名なホタルのシーン(特撮)となったが、あまりに幻想的でやや引いてしまうくらいだった。ラストで竜夫と英子が抱き合い、それをやさしく見守る母(十朱幸代)で、映画は終わる。
2023年09月13日(水) マイブログ復活!
やれやれ、やっとこのブログが復活した。
数えてみると、このブログの中でざっと50枚ほどの写真データが失われていた。biglobeにアップしたとき、もういらないかとPC内のデータを消したことが原因。少々ばかりのメモリを惜しんだがために散々な目にあったことである。それでも(PC内で)消し残していたデータも数十枚あって、それはそのまま新しいプロバイダであるseesaaにアップしたのでこの作業はかなり捗った。問題は本当に亡くなってしまった写真データである。
では、それらはどうやって復元したか、簡単である。Appleの「写真」とGoogle Photos に残っていたのだ。ただ、それに気づくのにずいぶん時間がかかった(^ ^;。そういえば勝手に撮った写真を勝手にbackupしてくれていたはずだと気がついて、それからは本気で復元作業に力を入れるようになった。
諦めたものもある。それは「
うちの晩ごはん」の写真データで、これはAppleやGoogleからもほとんど削除していたので無理だった(残っているのもあるが)。でも、これに関してはあまり残念に思っていない。うちの晩ごはんはほとんど10通りくらいのメニューの繰り返しに過ぎない。今は毎日instagramにアップしているが、過去7〜8年前のデータも今と代わり映えはしないから、復元の意味があまりないのだ。要するに「うちの晩ごはん」自体が意味がないのである。それでもテキスト(メニュー)としては残っているので記録(日記?)として残しておくのである。
ボクの画像も戻ってきたよ。
もうひとつ頑張ったのが、
古いブログ(2002年〜2015年)の画像データをすべて seesaa に移したことだ。実はこの仕事のほうが大変だった。300枚以上のローカル画像データをアップし、URLをすべて差し替えた。今まではデータをそのままbiglobeの個人ホームページにアップしていたので、わずか100メガしかない許容量を圧迫していた。これで個人ホームページ内の画像データを大幅に減らせる。最終的にはテキストデータもseesaaに移し(移動ではなくコピー)、自分のPC、biglobe、seesaa の3つの媒体に保管することにしている。なにしろこのブログこそが私のライフワークとなりつつあるから、消えたりしてはたまらない(もちろん自分の死後のことも考えている)。
2023年08月16日(水) オブジェクト指向を学ぶ
今更(このトシで)オブジェクト指向(Object Oriented Programing、以下OOP)を学ぼうと思ったのは、いささか不純な動機もあるのだ。
現在週2で通っている塾講師のバイト先で、ある大学生のバイト講師の方と知り合った。卒業後は某大手ITメーカーに就職が決まっているとのことで、スキルアップのために今夏「基本情報技術者試験(FE)」を受けるという。その自習用テキストを見せてもらったが、そのなかのOOP関連の問題・解説が自分にはさっぱりわからない。日頃いっぱしのSE気取りで簡単なシステムくらいなら今でも作れるぞなどと鼻を高くしていたのがポキンと折られてしまった。
試しにこの過去20年間のわがブログで「オブジェクト指向」を検索しても一語もでてこなかった。なんと意識の低いことよ。「オブジェクト指向」なる用語は90年代に「the BASIC=ざべ」という雑誌で知ったような記憶はある。思い返せば以前(パートで)勤めていた会社で売上管理システムの開発の一員としてVBA(Visual Basic for Applications)を使っていたが、OOPを意識してプログラムを作ったことはない。実はこれもOOPプログラミング言語だそうな、今ごろへぇ〜そうだったのという体たらくである。もう私の書いたプログラムなど跡形もなくなっているだろうけれども、多少ともそれで動いていたシステムへの懺悔の気持ちがある。
…と、まあそんな気持ちから、ネットやAmazon Kindle Unlimitedを使って始めた勉強だったが、そこからDLしたある本にいきなり「未熟なプログラマーによって,世の中には大量のオブジェクト指向でないプログラムコードがあふれかえっています。」(peacock-ANDERSON C# オブジェクト指向 Kindle版 )とあった。まさにワタシもそうだ(った)。それについては今更取り返しはつかないが、せめてOOPが「わかる」ようになりたい。若い人がこれから身につけようとしている技術がわからないままでは悔しいではないか。
これは憶測だが、昨今世間を騒がせているマイナカード・保険証紐づけ騒動なども、こうしたことが背景にあるかもである。
「出るとこだけ!基本情報技術者」と「C#オブジェクト指向」2018年(by Amazon Kindle Unlimited)
話は変わるが、わがブログ「天人午睡」のルームメイトたる方たちの「部屋」がやっと復旧した(自分のブログはまだこれから)。
思えば1年前、biglobeのウェブサービスが終了すると聞いて、ああ、わがブログもいよいよ終わりかと思ったら、個人ホームページが終わるのではなくて「ウェブリブログ」というサービスが終わるのだった。やれ安心と思っていたら、そのウェブリブログに積んでいた各種画像データが今年2月全て消えてしまったのだった(
2023年03月26日付既報)。
それを半年かけてようやくルームメイト内の画像データの大半を復活させることができた。なかでも苦労したのは林和弘君の「純情物語」だった。1〜4部作は彼から贈られた贈呈本が手元にあったものの、それはきちんと製本されているものだったので、新たにアップするには本を解体して一枚一枚をスキャナで読み込んでからあらためてseesaaプロバイダのファイルマネージャを使ってアップした。1部につき数日かかるので(3部は75ページ、4部は93ページある)、林君のルームだけで修復に1か月近くかかった。
一昨年彼が亡くなり、私の手物にあるものが贈呈品から遺品となってしまった。彼のルーム再建にあたってはなんとなく供養という思いが浮かんでいた。それにしても彼が「Rinの漂流記」を完成させることができなかったこと、その画像を(私が)失ったことが残念でならない(この主人公のRinという女の子は右手の手首から先がないのをなぜかと彼に聞いたら、「それは続きの次回作で」と答えていたが、それも完成しないままの急逝だった)。
今回は主に画像データの復旧が主な作業となったが、考えてみればこのHPすべてをseesaaに移すことも可能だなと思った。もちろんbiglobeを退会するつもりはないが、画像だけでなくブログのテキストなども移しておけばまたぞろ何かの事故があったときにバックアップになろうというものだ。これは一考する価値があると思った。
とにかく当HPの改修作業は一段落し、あとは自分のブログのみとなった。これはおいおいゆっくりのんびりやっていくことにする。責任のないブログなのでこの辺はありがたい。
2023年06月15日(木) Amazon Kindle Unlimited
約3か月ぶりにブログを書く。最低でも月1回を目標にしてきたけれどなかなか守れない。しかし活動は旺盛だ。
3月の記事でブログの修復を(自分に)約束したが、まだ回復していない(あちこち画像が見られない)。主な理由は読書に時間を割いているから。それも紙ではなくて「Amazon Kindle」というのが今回のテーマ。
最近は紙の本を購入することに抵抗がある。今後も本が増えていったら置き場所など何かと煩わしい。今でも押入れなどを昔の本が占拠していて、本当に大事なものが仕舞えない。持っているはずの本を読み返したいのに場所がわからないとか、新聞の書評などから読んでみたい本があるとき、それを購入するのが面倒になっている。本屋さんには申し訳ないが、デジタル本の便利さには逆らえない(しかし、古本探しはまた別の魅力があってこれはやめられない。まったく矛盾している)。
Kindle本(Amazonの電子書籍のこと)はiPhoneでも読んでいたが、やはり老眼にはきつい。iPadは寝転んでも読めるところがいい。そして、今年の1月にメインPCをMacbook AirからiMac(24-inch. M1 2021 ¥202,800)に替えてから画面が大きくなったこともあって、イスに坐った楽な姿勢で読めるようになった。そこで Amazon Kindle Unlimited を利用するようになった(月額¥980)。Amazonで普通に紙本を購入しても良いが、欲しい本がKindle本であればDownloadしてすぐ読めるし、場合によっては無料である。「江戸川乱歩作品集110作品収録+関連作品」が¥99で、それをポイントで買ったので0円だった(DLするのに10分位かかった!)また、チェーホフの「桜の園・三人姉妹」など25篇が入って¥100、「決定版 谷崎潤一郎全集 決定版日本文学全集 (文豪e叢書)」が¥0(これなど全部で5000ページを超える量で、もし今どき新本で買おうものなら数万円になるだろう)。われわれ古き文学青年にとっては天国のような環境である(実際にすべて読みきれるかは別問題だが、持っていることに意味がある、と自分に言い聞かせる。場所も取らないし…)。
江戸川乱歩作品集 110作品収録+関連作品 Kindle版 ¥99
桜の園・三人姉妹・かもめ・犬を連れた奥さん 他 Kindle版 ¥100
他にマンガや雑誌なども0円で読み捨てできるものがたくさんある。biglobeを通じて契約していた雑誌読み放題アプリ「タブホ」(月額¥500)で読んでいた「子供の科学」(通称コカ)もkindleで読める(¥750ほど)ので、タブホは解除した。昔、毎月買っていた「BE-PAL」はあまりに場所を取るようになって引越し時に処分したが、これもコカと同額ほどで購入できる。それやこれやのメリットがAmazon Kindle Unlimited利用の動機である。
そんな前置きをして、さて耽読していたのが、このブログでも頻繁に登場する森博嗣先生の「すべてがFになる【S&Mシリーズ全10冊合本版】 (講談社文庫) Kindle版 ¥6,112」である。森先生の最新W,WWシリーズを読んでいて何度も何年経っても登場する真賀田四季が気になって
気になって、とうとう初登場ごろの連作を買ってしまったのだ。ここで思い出したのが森先生の「店主の雑駁」(現「森メトリィの日々」)の中の次の一節。
電子書籍だけにあるシリーズ合本が、特に好調です。読者にはお得感があるし、作者には単価が大きくて印税が多いのです。新しいシリーズを読もうと思った人とか、昔に読んだシリーズを電子書籍で読み返したくなった人とか、そんな読者心につけ込む商法かも。
(「面倒なことを片づけるには」(2019年7月5日金曜日)より)
見事に策(商法)にハマってしまっている。まさに私は「昔に読んだシリーズを電子書籍で読み返したくなった人」だった! それも半端なく10冊を一気に(2週間くらいかな)読んでしまった。そして驚くことに(オドロいているのは自分だけだが)私はこのシリーズをリアルタイム('90年代)ですべて読んでいるのに、犯人もトリックもテーマもまったく忘れていた! だからまるで新作を読んでいるのと同じだった(もちろんほんの一部分よく覚えているところもあるが)。
「F」の強烈な印象、「今はもうない」のあざやかなエピローグ前の一文。そして「有限と微小のパン」の最終章の驚愕。これらはしっかり覚えているのに、再読しているときはそんなことを忘れてまた同じように作者に「してやられる」のだ。そうだった、そうだった、思い出したゾと手を打つのだが、「だいじょうぶか、オレ」と思わずつぶやく。こういう現象は、たんに私のアタマの老化だけでは片付けられない(片付けたくない)問題だ。
2023年03月26日(日) biglobeのウェブリブログ終了
以前、といってももう6、7年前になるが、
ここ(2016年05月15日)で紹介したbiglobeのウェブリブログを「利用」した個人ホームページの作成がついにだめになった(;_;)。ウェブリブログが終了したためである。
この終了はおそらくは他のSNSの普及によるウェブリブログ利用者数の減少が原因かと思う。自分は個人ホームページの「会員は100MBまで無料」というサービスを利用しながら、画像など大きなファイルの置き場としてこのウェブリブログの「プレミアムオプション」を利用してきた。プレミアムオプションとはウェブリブログの利用者は無料で3GBのエリアを画像などの保管に使用できるというものだった。個人ホームページの使用者がこれを勝手に利用するのはイレギュラーであることは承知しているが、ではなぜプレミアムオプションでは3GBも無料(しかも家族会員それぞれに)としながら個人ホームページにはたった100MBなのか、納得がいかなかった。
私は、このプレミアムオプションをいわば「終の棲家」のようなつもりで利用していたので、ここにデータを置いておくことがバックアップのつもりだっだのだ。ウェブリブログは終了してもプレミアムオプションに保管したデータは残るものとなぜか勝手に考えていた。それが見事にあてが外れて期限の1月31日を過ぎたらデータはすっかり消えていた! 保管していた画像などは2GB位あったと思うが、そのうちの3分の2くらいを失ったのだ。もちろんbiglobeは終了時期を1年も前から予告していたし、再三記事の転送を(転送先も紹介しながら)促していた。ただ、私は記事本文の転送だけを意識していて、画像などのフォルダは残るものと思っていたのが失敗だった。まあ、考えてみれば儚い希望的観測だったことは否めない。
本ブログ2022年04月06日以前の記事ではウェブリブログにアップしてあった画像はすべてHTMLでいう「代替テキスト」になっていて、「クリックして拡大」などはすべて次のような画面になる。ハイパーリンクももちろん「アクセスしようとしているサイトを見つけられません」。
クリックして拡大
直近数日分のブログの画像は幸いにも手元のPC内にあった(アップしたあと消さないままだった)ので、あわててbiglobeが推薦していた「seesaaブログ(無料)」というところに間借りして応急処置をした。seesaaブログの「ファイルマネージャ」はウェブリブログのものにそっくりで、おそらく引越し作業のサポートとして新たに開発されたのであろうか、快適に移行作業ができる。とはいえ一つひとつの画像を再アップしながらhtmlファイル内のURLを書き直すのは煩雑この上ない神経を使う作業である。
まだ詳しくは把握していないが、間借り中のseesaaブログでは、どうも5GBまでは無料でデータ保管できそうである(太っ腹)。万一、ディスク容量が足りなくなったときは「プレミアムプラン」(また「プレミアム」だ)として月額330円で無制限となるとのことだが、たぶん5GBあれば十分だろう。
一番の「被害」はルームメイトの人たちのデータが消滅したことである。中でも
林和弘君の漫画のデータは最近作「Rinの漂流記」など数点をすべて失った! 林君は昨年急病で亡くなっているので、いわば遺作となった作品を失ったのだ。この作品をHPにアップするときに原稿を預かり、のち(ウチでのバックアップをとらずに)お返しして、そのままになっていた。今も原稿は彼の遺品のなかにあると思うが、諸般の事情から今となってはもう拝見することができない。ウェブリブログ終了前に引越転送を行わなかったことが実に悔やまれる。幸いというか、彼から寄贈された他の数点(「純情物語」など)は発行物が手元にあるため、これらは復刊可能である。現在(自分のブログも含めて)鋭意復興作業中。
最後に、やはり各種データを「外」に置くことは何があるかわからない、これに懲りて自分で作成したすべてのデータは自分の手元に何らかの形で置くことをバックアップとすることにしようと心に決めた。40年パソコンをいじってきて何度同じ決心をしたことか。痛い春になった。
2023年02月26日(日) 父・竹之内懸一について
昨日(25日)のNHK総合テレビ「チコちゃんに叱られる!」で「なぜ羽田に空港がある?」というテーマが取り上げられた。その中の「チコジェクトX」で三重県の玉井清太郎・藤一郎兄弟が国産第一号の飛行機を開発・製造そして実際に飛行した話を放送していた。
これを観て、私の父が若い頃、ドラマの中の飛行機と同じような複葉機に乗っていたのを思い出した。下の写真は当時(大正前期ごろか)絵葉書(!)になった父の「勇姿」である。
どちらもクリックで拡大
私の父は竹之内懸一(1890−1976)という。私と名字が違うのは私が私生児だからである。私は父が57歳のときの子で、これまでも父のことは時々このブログに書いたが、息子としては高校へ行かせてくれなかったことへの恨み?から、どちらかというとネガティブなことばかり言ってきた。当時の家庭事情から無理とはわかっていたが、行かせてやりたいという気持ちだけでもあれば、もう少し違っていたかと思う。
上の絵葉書のようなことは父としてはかなり自慢できる話ではないかと思うのだが、私は幼少からその話を聞いた覚えがほとんどない。父がこれに乗っていたのは30歳前後だというから、私が物心ついたときには父にはもう数十年前のこととして、あまり強い思いはなかったのかもしれない。ただ、中古オートバイの修理販売をしていた家の店先の工具類のなかに、模型飛行機のプロペラらしきもの(モーターも着いていた)や、箪笥の引き出しに無造作に放り込まれていた写真の束のなかに上の絵葉書があったことなどは覚えている。
さらに父のことについてこんな資料がある。以下の写真は1960年のある月の「モーターファン」という雑誌の切り抜きである。
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これは父が所持していたドイツ製星型エンジン「メゴラ」を取り上げた記事である。この雑誌の現物をネットで探したところ、国立国会図書館にあるところまではわかったが
(https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2304139/1/4「35才の星型エンジン(これは これは) / 竹之内懸一/92~94」)、これをコピーするための手続きがいささか面倒なので、手元にあるこの汚い資料を掲げることにした。記事中の右上の写真は父ではなく、父の友人(中野要太郎氏?)が
あるイベントで披露したメゴラ(注)が走っているときの写真で、私もこの会場にいたらしいのだが記憶がない。
(注:以下は「 モーターサイクルフォーラム中部 」(https://motorcycle1958.exblog.jp/)で私の問い合わせにお答えくださった回答(原文)です。ありがとうございました。)
「メゴラ号 確か昭和33~34年ごろ、名古屋市の 熱田まつり の際、瑞穂球場で開催されたオートレースのお昼休みにバイクパレードがあって、その時 メゴラ のエンジンをオートビット?に載せた車が走りました。何しろ昔のことですから自信はありません。悪しからず。遅くなりごめんなさい。事務局」
メゴラに関するネットの記事はいくつかあった。前輪に組み込んだ原型で、実際に駆動させている動画もあった(https://www.nicovideo.jp/watch/sm40554054)。私が覚えているのは記事の左上の写真にある形になってからで、これは父がエンジンを車体(フレーム)に移し、チェーンで後輪に駆動を伝えるように改造したものだ。エンジン以外すべて父のお手製である。私も実際に乗ったことがある。普段は店先に看板替わりに置いてあった。何人かがこれを目当てに訪ねて来たりした。そのたびにエンジンをかけて説明している父を見て子供心に誇らしげであった。メゴラは父の存命中に人手に渡ったようで、父の死後、現「名古屋郷土二輪館」館長の富成一也さんが持主を突き止めて下さり、一緒に訪ねたことがあった。それももう数十年前のことで、今はもうどうなっているかわからない。
当時の自宅(右の雨戸の家)前のメゴラ。飲み屋の看板は長屋続きのお隣り。クリックで拡大
モーターファン記事の最下段に飛行機の絵葉書のことも出ている。読みづらいので書き出しておく。
なおこの竹之内さんは「私の秘密」的素晴らしいエピソードの持主でもある というのは 大正8年に来朝して日本人を驚倒させた宙返りのスミスの鮮やかな飛行振りを見てから すっかり飛行機熱に取りつかれ これまた大工面の末6500円でカーチス式復葉機を買入れ名古屋東築港の原っぱで練習に熱を上げた かくして熱心な練習の甲斐あって 押しも押されもせぬ民間飛行家第1としてデビュウ 世間をあっといわせた 当時29才(左写真が当時エハガキとなった民間飛行家竹之内青年とカーチス機)
(ここで2024/05/22の後日談)'24年の春、妻が部屋の模様替えのときに古い写真の束を見つけ、その中にこの写真があった。まぎれもないメゴラである。「父の存命中に人手に渡った」その人を前述の富成一也さんと一緒に訪ねたときの写真だ。時々生前の父を訪ねてきていた人で、私もうっすら覚えている。その人も自動車関係の仕事をしていて、メゴラはその工場の看板のようにちょっと高いところに「展示」してあった。大切に手入れされている感じがして嬉しかったのを覚えている。写真そのものは明らかに自分のカメラのものだが、自分が撮ったという記憶がない。日付などのメモもない。
クリックで拡大
もう一つ。父の経歴で特筆すべきは「
名古屋TTレース」である(Wikipedia「https://ja.wikipedia.org/wiki/名古屋TTレース」参照。この記事の中にも父の名がある)。
このレースは1953年3月21日、まだ敗戦の傷跡残る愛知・岐阜・三重3県にまたがる歴史的なオートバイレースである。当時の名古屋には多くのバイクメーカーがひしめいていた。このイベントの発起人であった平田友衛氏は父の友人で、他にも多くのバイク仲間がこのレースに参加した。
余談だが、私が小学生の頃、時々父の友人が訪ねてきてウチにあった旋盤を使っていった。そのときにいつも10円玉をひとつ私にくれた。その人が平田さんだったと何となく記憶している。私はその人が来るのがとても楽しみだったが、いつだったか父から「みっともないから客がいるときは出てくるな」と言われた。
名古屋TTレーススタート前のスナップ(禁無断転載)。選手車体番号56番が父・竹之内懸一(当時62才のレース最年長)。Wikipediaによればバイクは「ホダカ号」で、順位は完走55人中37位と出ている。
以下に、わが家の古いアルバムからTTレースや父の経歴に関係のありそうな写真を掲載しておく(禁無断転載)。
↓この5枚はTTレース関係だと思う。
↓オートバイ関係の展示会だろうが、日時など詳しいことは不明。ホダカの他にホンダのロゴも見える。右のバイクはTENBAか。
↓以下の2枚はTTレースではないもっと小さな競技会らしい。モーターファンの記事のメゴラが走ったところかも。
↓父はサーカスで使うオートバイにも関与していたらしい。ウチにも猿の乗るバイクの車体があって、右端は私が自転車替りに乗っている写真。ペダルが無いのが不満だった。
その隣の網の球体は、その中をバイクがぐるぐる回る芸で、今でもやっているのをネットで見た。
↓父の写真三枚。
←右が懸一、隣は中野要太郎氏。
←左端が懸一、隣は中野氏
←珍しい仕事中の写真
父は近所でも評判の変わり者で、もう一つネタを上げると、キツネを飼っていた事がある。私もかすかに覚えているが、1.5m丈の鉄製の檻にキツネを入れ、生肉を与えていた。ある日、どこかの老婆がキツネを見せてほしいと訪ねてきたので見せてやると、おばあさんは檻の前でしくしく泣いていたと云う。そしてその晩、キツネは檻の底を破って逃げてしまった。あれはきっと母親だったのだろう…と父が話していた。私は長くその話を信じていた。
…これでもう父親のことを書くこともないだろう。
2023年01月20日(金) ある角度を求める問題
(
注:biglobeのウェブリブログが今月で終わるので、この日から画像を「seesaa」プロバイダに変えました。)
ネットで時々図形の問題を見つけては解いたりするのだが、ネットに出すくらいだからみんな一筋縄では行かない問題ばかり。あっと驚くようなアイデアとか、なるほどと思う問題も多い。とても勉強になる。
だが、次の問題には首をひねった。一度考えてみてください。
(問)図で、△ABCは正三角形で、∠ADB=42°、∠CEB=∠CEDのとき、∠BFCは何度か。
(図はクリックで拡大)
(解説)図形の問題には、一見簡単そうにみえて実は難問というものは多いが、これもその類かと思われる。角度がわかるところから追い詰めていこうとしてもなかなかたどりつけない。
こういうときの常套手段は正確に作図をしてみることだが、その作図ができないのだ。
まず、正三角形を書き、次に∠ADB=42°を取りたいのだが、それは無理なので∠CAD=60°−42°=18°だからこれを作図して点Dを求める。
さて、次に∠CEB=∠CEDを得るために点Eを取りたいのだが、これがまた無理。Bから、またはCからどのようにして∠CEB=∠CEDとなるEを得るか。
実はこれ、簡単に解を予想できる。まずすぐに気づくのは∠EBD=∠CAD=18°だろうということ。そうであれば∠CEB=∠CED=60°の条件を満たしながら求める∠BFC=102°となる。しかしこの∠EBD=18°をどうやって求めるか、あるいは△BED∽△ACDをどうやって証明するか、いろいろアプローチしてみたが、すべて全滅。(この苦労?の中で鈍角三角形の合同条件「二辺と鈍角が等しい」を初めて知った(^^;)
こうして約一週間がんばってみたが、解決できず、最後にたどり着いた解答が以下の通り。
【解答】まず正三角形△ABCの外接円をOとする。 BCからBを中心に正の方向(反時計回り)に18°の角を作図し、外接円Oの円周との交点をEとする。ECを引くとき、四角形ABCEは円に内接しているから∠CBE=∠CAE=18°、ゆえに∠ADB=42°、さらに「円に内接する四角形の一つの外角はその内対角に等しい」から∠ECD=∠BAD=78°となり、そこから∠CED=∠CEB=60°が出てくる。これは題意に合っている。ゆえに∠BFC=102°となって、これが求める角である。(解答終わり)
この解答は同一法という証明法によるものといえる。すなわち、直接∠BFCを求めることが困難なとき、「もしここがこうだったらできるのになぁ」という場合を利用して、そこから問題の条件を導き、「ここがこうだった」ときの結果がただ一通り(つまり題意の通り)しかないことが示されれば、それをもって解答とするのである。こういう問題は中・高学生に出すべきではないと思う(実際に出していないだろうけど)。
2022年11月24日(木) 自動車運転免許の更新(2)
免許更新についての報告(1)の8月19日から3か月経ったが、このたび無事更新が叶った(祝)。
認知機能検査の件は前回報告の通りパスしたものの、教習所での「高齢者講習」では、運転技能はまあまあだが、視力でクレームが付いた。視野は問題ないが眼鏡両眼で0.6しかないという。合格基準の0.7に届いていないのだ。ガッカリして後日眼科で診てもらったら「いいえ、大丈夫ですよ。両眼で1.0ありますから」と言われた。不思議に思ったが、これは医者を信じていいと思い、メガネもそのまま前回と同じ春日井警察署へ更新に行った。すごい人だったが更新以外の人が多いのか、すぐに自分の番が来て、受付、視力検査、そして新しい免許証受領まで30分くらいで済んでしまった。なんだかあっけない幕切れだった。肝心の視力も左、右、両眼ともにあっさりパスできた。教習所での検査は緊張のせいで眼が萎縮?していたのかもしれない。
ひとつだけ残念なのは、ゴールドでも有効期限がこれまでの5年から3年になったこと(71歳以上)。おかげで今回更新したらクルマを乗り換えようと思っていた気持ちがぐらついている。次回更新時には免許返納の可能性が出てくるので、3年しか乗れないのなら今のままでいいかと思ってしまう。今のクルマにはなんの不満もない。10万キロ超えているが、まったく問題がないのだ。ただ、最近のEVカーやSUV、キャンピングカー、軽自動車等々…、次々新しい情報を目にすると、今のクルマでオワリにするのがなんだか寂しくなる。ただ、気持ちがぐらついているだけだから、ひょっとしたら買っちゃうかもしれないゾ。
初冬の恵那山遠景(クリックで拡大。一部画像処理あり)
2022年11月06日(日) 『算法少女』
このブログもとうとう二ヶ月ぶりになってしまったが、相変わらずのコロナ禍と物価高・円安、あれこれ政府の無為無策ぶりにすっかり嫌気がさして、いささか意気消沈の日々が続いていた。軽いながら鬱になっていたかもしれない。
そんな中、ホントに久しぶりに外へ出てみたのが円頓寺の古本市だった。先月のある日、奥さんをどこかへ送り迎えしたときの車内で、
妻「最近はあまりでかけないのね(私と違って)」
私「行くとこもないし、だいいち、コロナがね。でも円頓寺の古本市なんかあったら行ってもいいな」
妻「ちょっと調べてみようか」
といって、助手席でスマホに向かって「ヘイ、Siri、円頓寺、古本市」とやってくれた。10月22・23日、11月5・6日に開催されるという。そうか、あるんだ。
この古本市(正式には「円頓寺 本のさんぽみち」)もコロナのせいで一昨年は中止だったが、なんと去年は開催されていたことがわかった。そして今年も感染対策をしっかり行いながらやるという。てなわけで、ホントに久しぶりに外へ出てみたのが10月22日。駐車場が心配だったが、かなりの盛況にもかかわらずなんとか確保でき、ゆっくりと散策、といいながら10冊近く買ってしまった。
この日購入したのは、松本清張の未読の文庫4冊、原田康子の小説と随筆、森鴎外の「即興詩人」、岩合さんの猫の写真集など。読書に飢えていたわけでもないのに、あっというまに読破。清張の「湖底の光芒」など一日で読んでしまった。以前から小説の名付けの天才と思っていたが、この題名にもすっかり感心した(解説によると改題とのこと)。
掘出物だったのは鴎外「即興詩人」で、これは明治三十五年発行(初刊)の復刻版だ(
上下2冊で千円!)。この本には関心があって以前にAmazon kindleでサンプルをDLしたのだが、iPad・iPhoneの画面での擬古文が読みづらかった。これが現物で手に入ったことになる。もちろんまだ読み切ってはいないが、読みやすさは歴然。きっと読み切れるだろうと信じている。有名な書き出しは次の通り。
羅馬に往きしことある人はピアツツア、バルベリイニを知りたるべし。こは貝殻持てるトリイトン の神の像に造り做したる、美しき噴井ある、大なる廣こうぢの名なり。貝殻よりは水湧き出でゝその高さ數尺に及べり。 (アンダーライン、ふりかなも原文のまま)
さて、今日の題目が「算法少女」なのは、上述の日ではなく、昨日(5日)の同じ古本市で買った本について書きたかったからである(前フリが長くなった苦笑)。
11/5 円頓寺商店街にて。せっかくの古本市なのに撮ってきた写真がコレ一枚。まったく撮る気がなかった、、、
実は10月に目にした本の中に「種田山頭火全句集」というのを見つけておきながら買わなかったのを悔やんで、昨日再度でかけたて探したが見つからず、代わりに見つけたのがこの「算法少女」だった(遠藤寛子著 ちくま学芸文庫・復刻版)。一日で読める少年少女向けのやさしい小説だが、近ごろ経験していない大きな感動を味わったので、久しぶりにブログを書く気になったのである。
1973年に岩崎書店から出版されて以後、ちくまの復刻版が出るまでのいきさつは本書の「ちくま学芸文庫版あとがき」に詳しい(Wikipediaでも可)。少年少女向けに書かれた和算の小説という困難な課題を克服した非常に良くできた作品である。江戸中期、安永4(1775)年に実際に出版された「算法少女」という和算の本についてできるだけ史実を踏まえながら、想像力豊かに形象化された登場人物たちを活躍させているのは、作者が国語の教師であったことが幸いしていると思われるが、それにしても和算のことがやさしく興味深く説明されていて、作者の苦労が思いやられる。天元術と
点竄術の違いも知らないで町の数学者気取りだった自分を心から恥ずかしいと思った。
主人公は千葉あきという町医者の娘で、父の手ほどきで無類の和算好きとなった十三歳の少女である。その腕前は神社に算額を掛けに来た若侍の誤りを指摘するほどだが、一方で近所の子供たちと大好きな鞠つきをしたり、九九を教えたりするやさしい子だ。噂が広がり、ある大名の姫君に和算を教える話が舞い込み、ライバルとも言える同い年の少女とお殿様の前で和算の試合を行なったり、はては一揆の首謀者のお許しを願う領民の手助けをしたりとなかなかの活躍ぶりをみせる。そして当時最新の蘭学にも触れ、日本の和算が流派どうしで争っていることの無意味さを悟ったりするのである。
カバー装画、本文挿絵は箕田源二郎(クリックで拡大)
箕田源二郎氏の挿絵も江戸の庶民の風俗、生活ぶりがよく描かれ、作品にこの上なく合致している。自分が子供のときにこの本に触れていたらきっと和算に大いに興味を持ったに違いないと思う。
ちなみにこの作品は、企画製作/ 製作工房 赤の女王、アニメーション制作/外村史郎氏らの努力により、アニメ化されていることをWikipediaで知った。YouTubeでその予告編も閲覧できる。
2022年08月19日(金) 自動車運転免許の更新(1)
7月13日付けで「運転免許の更新に関わる通知書」なるものが愛知県公安委員会から届いた。
今年12月に免許の期限がくるのだが、それにしても早いなと思っていたら、今度は高齢者講習以前に「認知機能検査」もあるという。免許返納はまだ考えていず、今度も更新手続きをするつもりなので、8月1日に西警察署に行って30分程度の検査を受けなければならなくなった。
←「運転免許の更新に関わる通知書」
とにかく暑い日が続くのと、公共交通機関での往復が面倒なのでクルマで行くことにし、例によってstreetviewで調べてみた。もちろん警察署にも駐車場はあるが、止められないことも考えて近くの駐車場を利用することにし、所要時間を調べるために7/29下見に行ってみた。この日もうだるような蒸し暑さ! 駐車場から西警察署までの10分程度でも、かなり参る。傘があってもあまり変わらない。成程、この暑さに負けるようなら更新はあきらめなさいということかと邪推する。そう思うとファイトも湧くぞ(^ ^;
さて当日、思ったより早く着いたので、時間をつぶしがてら水分補給のため自販機を探していたら、こういうときにはないもので、結局そのために15分も余計に歩いてしまった。かえって時間ぎりぎりに警察署に着いた。すでに数人の当該者と思しき人が受付を済ませていた。手数料(1050円)を払ってしばらくすると試験場に案内された。といっても10畳ほどの部屋に学校で使う机と椅子が10人分くらいあってあとはホワイトボードがあるだけ。
ほぼ満席の受験者が席に着き、試験担当の教官らしき人から試験の内容や色々注意事項を聞かされる。スマホと時計は仕舞え、指示があるまで試験用紙に触るな、声を出してはいけない等々、まるで小学生のテスト風景だ。ただ時節柄、持参のお茶・水だけは机の上に置いてもいいとのこと。暑い中歩きまわってきたのでこれは助かった。
やがて試験用紙が配られたが、早くも「触ってはいかんと云ったでしょ!」と誰かを注意。またしばらく説明。やっと始まり、用紙をめくった最初のページに通知書の「通知番号」や自分の名前などを書いてすぐ鉛筆を置く。
「今から映像でいくつかのモノを見せますからその名前を覚えておいてもらい、あとでその名前を書いてもらいます。やめ!といったらすぐ鉛筆を置いてください」
そしてスライドで次々に、バス、電子レンジ、バイオリン、等々のイラスト(写真ではない)が映し出される。16個くらいを見てから、すぐ書くのではなく、別の問題をやる(今日の年、月、日、今何時頃かなど)。このとき、「すみません、もう一度言ってください。ちょっと耳が遠いので」という人がいた。それを聞いて教官は「え、耳、遠いの? だめだめ」。そして他の教官を呼んで「ちょっと別室へ行ってください」と、その人を連れ出させてしまった(確かに通知書の説明の中に「補聴器が必要な方は持参してください」とあった)。次のページでいよいよ記憶を頼りに先程のイラストの名称を書くのだが、半分くらいしか書けない。ちょっとどきどきする。さらに次のページに今度はヒントが書いてある欄(台所用品など)が出てきて、これはなんとか埋めることができた。以上で試験は終わり。「結果は遅くとも2〜3週間後に届きます」などの事後説明を聴いて会場を出た。
…2〜3週間後ではなく早くも1週間後に「認知機能検査結果通知書」が来て、「36点以上で、『認知症のおそれがある』基準には該当しませんでした。」その裏面の説明が次のとおり。ご参考までに。
やれやれ、第一関門を突破したぞ。次は高齢者講習で、これは5年前にも受けたことがあるのであまりどきどきはしていない。でも実車指導があるので要注意! 結果通知書をみて早速前回と同じ教習所を予約した。その結果もまたお知らせします。
2022年07月23日(土) 戻り梅雨の中で
このところ、古典づいている。
きっかけは今放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の原作ともいうべき「吾妻鏡」を読もうと図書館へ行ってみたが、あまりにもむつかしそうで引いてしまった。ネットで適当な入門書を探してみると、角川ソフィア文庫の「吾妻鏡」(¥1,580)というのを発見、即購入。膨大な原文(変体漢文という(「◆はじめに◆」より))から「重要な出来事を中心に」(同)抜粋し、現代語訳・原文の書き下し文と逐次解説が載っている。これを読みながらドラマをみると吾妻鏡の中での出来事をどのようにドラマ仕立てにしているかがよく分かる。たとえば、有名な曽我兄弟の仇討譚などは、ドラマの中では仇討に見せて謀反を起こそうとしているのを、逆に「謀反にみせた仇討にするのです」(主役の北条義時(俳優:小栗旬)が頼朝(同:大泉洋)にいうセリフ)として、謀反をなかったことにしてしまう(子供のころから知っている曽我兄弟がこの頃のハナシだとはツユ知らなかった!)。角川ソフィア文庫については、「吾妻鏡」が気にいって「源氏物語」や「枕草子」も買って読んだ。これらはたぶん生きているうちは完読できないと思っていたので、こんな形でも大略を理解できたのがよかった。源氏物語についてはもう少し深入りしてみたい気になっている。
「鎌倉殿…」では、先週からは鎌倉二代将軍の頼家の話になった。頼家は岡本綺堂の戯曲「修禅寺物語」が有名だから、これまた以前どこかの古本屋でみつけた「岡本綺堂・小山内薫・眞山青果集 日本現代文学全集・講談社版34」(¥100で購入!)を引っ張り出して記載の作品を読んだ。これは完全に創作だそうなので、ドラマの筋とは関係ないかもしれない。
吾妻鏡は772ページ、源氏物語は503ページ、枕草子は242ページ。
ついでながら(失礼)同じ本にあった小山内や眞山の作品も読んでみた。どれも初見。その中で眞山青果の「南小泉村」は自分にとって興味深い発見だった。明治の中ごろ、宮城県仙台市郊外の寒村に生きる農民を描写したルポルタージュ風の小説で、若い医者の見習いとして村の仮診療所に着任した「僕」が見聞きした村人の赤裸々な生活を描いている。「僕はその
濕氣臭い、鈍い、そして
みじめな生活を見るたびに、
毎も、醜いものを憎むと云ふ、ある不快と嫌惡とを心に覺える。」(「南小泉村」第一の前書き。傍点・ふりかなもママ)。部外者として百姓を嘲るような、見下す文章で、読んでいて自分もそんな気持ちになる。それでも最後まで面白く読んだのは、なぜだろう。自分はこういう人たちよりはマシだという、作者と同じ見下した眼で見ているのだろうか。このこともそれなりの発見になった。
もう一つ、今度はMD(Mini Disc)の話。上述の岡本綺堂の本を探していて、もう聞かなくなって久しいMDのセットを「大量発見」した。日付から2003〜5年ごろに録り貯めたもののようで、250枚くらいある。いずれもFM放送のクラシック番組をエアチェックし、さらに編集したものだが、これをこのままなかったことにするのがあまりにもったいない(; ;)。MDは一枚標準で80分、LP4モードで4倍の320分録音できる。貧乏リスナーにとってもうこれ以上のメディアはないと思っていたのに、こんなに早く廃るとは。ネット記事によると主な要因はiPodだそうである。そのiPodの時代もMP3や音楽のサブスクなどのおかげで終わりを告げているらしいが(私自身、今はApple Musicのサブスクを利用している)、しかしまさかMDの媒体自体がなくなるとは思わなかった。これらのリソースをどうしようか、新たな難問の出現だ。
…こんなふうにひとつのきっかけから好奇心のまま次々と新しい課題にあたっていくのは楽しいことではあるが、なんだか終活のようでわびしくもある。
2022年05月18日(水) 初夏―戦争は続く
まだ戦争は続いている。なのに自分のこのゆとりは何だ。慣れてしまっているのか。とにもかくにも自分のところにはミサイルは飛んでこない、食料もある、自分を殺そうとするものが周りにはいない。こうしたことが関心の薄れに拍車をかけているのだろう。
ニュースは見る。ウクライナ側に少しでもいい状況があると嬉しくなり、ロシアに不利なことが伝わるとホッとしたりする。明らかにウクライナを応援している。これでいいのか、考えてもいない。北欧の国々がNATOに加盟するという。これでいいのか、わからない。でもロシアに対してはやったり!と思ったりする。それみろ、侵略なんてろくなことにならないぞ。日本がいい例だ。日本は侵略戦争を起こした側で敗北して曲がりなりにも民主主義国家になった(かな?)。遅かれ早かれロシアも同じ道を歩むのだろう。ただ、そのためにとてつもない時間と犠牲が伴うのだ。
ブログを書くたびにまず戦争のことを書く。書かないでは自分のことが書けない。これはいいことか?たぶん、無関心ではないぞという意思表示なのだろう。なにをしていいのか、署名、デモ、募金、SNS発信…、どれにも自分はあまり乗り気でなない。これでは無関心と同じだ。なにかしなくては。
春から初夏にかけて恒例の草刈りの季節がやってきた。草たちはいくら刈ってもめげない。今年もまた生き生きと命の息吹を咲かせている。雑草は強いのではないのだそうで、逆にその弱さゆえにあらゆる戦略をあみだして生き残りを図っているという。それをまたわが愛機を抱えて空き地の草を刈る。名も知らぬ草花たちを、名も知ろうとしないまま、その命を奪っていく。でも絶やしたとはこちらも思っていない。また伸びてくることはわかっている。だからコロシタとは思っていない。だから平気で草を刈る。また生えてこいよと、どこかで思っている。少しは空き地に緑もあったほうがいいので、根絶やしにするような除草剤などは撒こうとは思わない。こんなものを使うのは卑怯である。草と人間の戦いのルールに反する。
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写真は20日。名古屋市指定 45L 燃えるゴミ用袋にパンパンになるまで入れた。約20分の成果!
もう一つがんばっているのはピアノの練習。ここまで夢中になれるのならもっと早くピアノを買うべきだったと、つくづく思う。そうすれば今頃はショパンの2,3曲は弾けたかも。そのショパンに今取り組んでいる(「別れの曲」Etudo op.10-3 "Chanson de l'adieu")。ピアノを買ったときオマケとして付いてきた楽譜本に出ていて星4つ★★★★の最高難度の曲である(ちなみに「エリーゼのために」は★★★☆)。とうてい無理なので、我流に編曲している。でもできるだけ原曲に近づけたいので少しうまくなると楽譜をしょっちゅう変える。楽譜作成は MuseScore Ver3.6.2.548020600 を使用。
ちなみに、原曲の最初の4小節は次の通り(YAMAHA 50Classical Music Masterpiecesより)。
これをいきなり両手で弾くのはムリ、特に右手は初心者には不可能と言っていい。そこで初めは次のように弾いてみた。要するに右手の部分を両手に分けて弾くのだ(3小節目の右手はさらに音を間引いている)。
これが弾けるようになるとやはり物足りなくなってくる。今は次のように、原曲の左手部分も一部取り入れて少しでも原曲の雰囲気が出るように変えてみた(ペダルも使用)。
本当は原曲の左手のB音によるシンコペーションを取り入れたいのだが、これはどうやっても無理だとわかった。そのためには原曲通り弾く以外にない。それを目指すか、それとも別の曲にいくか、悩みは尽きない。
2022年04月06日(水) 春爛漫―戦争と平和
春。いつもの年の春とはずいぶん違う。去年も様変わりの春だったがが、今年はさらにロシアのウクライナ侵略。
毎日、ウクライナの情勢をテレビで見ながら何もできない歯がゆさを感じているのは自分だけではないだろう。ずっと見ていることが苦しくなる。中学生の時キューバ危機があって、世界が今にも第三次大戦かと大騒ぎになったとき、子供心に恐怖を感じたが、今、その時と同じような気持ちになっている。あまり思いつめてはいけないと思って、のんきなバラエティに替えたりするが、何を見ても心からは楽しめない。すぐ現実に引き戻される。ジェノサイドなどという言葉も出てきている。プーチンを裁く日はいつになるのか。
それでも春は春。桜満開、どころか、もう散り始めている。3日見ぬ間の云々…。
4/6 春日井市の春日山公園の桜。目線の高さで咲くのが特徴。(クリックで拡大)
新年度になって自治会長の職は解かれたが、これから2年、同じ自治会の会計係をやることになった。2月の自治会役員選挙で一度役員をやった人は選ばれても辞退できるという選挙の規約があるので、被選挙人名簿には前役員名は載せない慣例があったが、選ばれても辞退できるということは被選挙権はあるということだと考えて自分の名前を載せた。これまでの自分の活動の評価も知りたかったのかもしれない。
得票結果は2位。思惑通り選ばれたものの、少し後悔しているのはやはり自分の時間を確保できないことである。4月になって急に忙しくなった。会計と言っても帳面だけつけていればいいというわけにはいかない。特に期首の作業は面倒だ。前年度の決算書を作ってみるといろいろアラが見えてきて(前任会計さんのせいではない)、いわゆる帳尻合わせ(言葉は悪いが)が大変。次にいろいろな名義変更も必要だ。銀行通帳の名義変更では店舗で何度も住所氏名を書かされ、あげく1時間も待たされた。ついでにネットバンキングも申し込もうとしたが、「自治会」は法人と同じ扱いになるということでできないそうだ。これからは度々店舗に出かけることになりそう。銀行もまだまだ何かとおくれているなぁ。
心強いのは、先日買ったFileMaker Pro19(fmp19)だ。今こそDBS(データベースソフト)の出番だろう。自治会などコミュニティ団体向けの会計ソフトもたくさん販売されているが、やはり自分で作るのが一番の勉強になる。会計をやるから買ったのではなく、ソフトを買って遊んでいたらたまたま会計になったのだ。これを先見の明といわずしてなんというか。自家の家計簿作成で複式簿記もだんだんわかってきた(つもり)のでこれも役に立ちそう。
複式簿記は、資産、負債、資本、収益、費用という5つの基本的勘定によってある社会的活動体の経済的活動を数学的に記述するものである。その基本は「資産+費用=資本+負債+収益」という方程式である。これをもとに貸借対照表が作成される。また「利益」を第一とする活動体(企業)では「利益=収益−費用」という方程式も重要で、これは損益計算書の基礎になる。われわれの自治会は営利団体ではないので損益の計算はしない。よってはじめの方程式だけを考えていけばよい。
…と、まあこういうふうに理解しているが、面倒なのはこれら勘定の細目ともいうべき「勘定科目」(現金、事務費など)で、たとえば自治会費はどの勘定になるかとか、誰かが立て替えたお金はどこに入れるか、あるいは仕訳帳の借方・貸方のどちらにどの科目を書き入れるのかの判定がなかなかむずかしい。ただ、間違えた記述をすると借方・貸方の合計が合わなくなるので間違えていることがわかる。単式簿記(現金出納帳だけ)だとこうはいかない。
複式簿記とDBSとの関係でもう一つ画期的なのは、仕訳帳に記入すればそのまま総勘定元帳に記述されること。いわゆる「転記」が不要なことだ。複式簿記を手書きのみで行なっていて面倒なのはこの転記である。面倒なだけでなく間違いのもとにもなる。DBSでは「仕丁」とよばれる各帳簿へのページ記述などが必要なくなるし、仕訳帳に記入してすぐに総勘定元帳を確認できる。これだけでもDBSを使う意味があるだろう。
こんなことを書いていても、現在ウクライナでの、人命的被害はさることながら、人々の行なってきた積年の経済的努力がことごとく灰燼に帰しているのだと思うと、またしてもプーチンの悪逆非道な侵略蛮行に怒りを募らせるのである。
2022年02月22日(火) FileMakerPro19を購入!
ここ一年でピアノ購入を始め、Oculus Quest2、冷蔵庫など、年金生活にも関わらず大口の出費が続いているが、今度また「Claris FileMakerPro19」(以下fmp19)を買ってしまった。Apple系のデータベースソフト(以下DBS、¥63,360(税込))で、ClarisのHPからDLで購入(だからパッケージなどがない)。前から欲しかったのだが、その高価なのに二の足を踏んでいた。以前働いていた会社では主にMicrosoft AccessによるSEのような仕事をしていたのでデータベースには慣れていたが、自分用のPCをMacに替えてからはAccessが使えず、これというDBSがなく困っていた。iPhoneなどのスマホにはTapFormsという簡易DBSもあるが、隔靴掻痒、帯に短しなんとやらで、ネットでいろいろ検索してもやっぱりコレ(fmp19)しかないか…とあきらめが付くまでに数年かかったのだ。
会社勤め(パートだったけど)もリタイヤしてゆうゆう(でもない)年金生活に入った今、なぜこんなモノを買うのか。趣味としかいいようがないが、妻には「投資だ」と言い張っている。fmp19の宣伝でもこれを企業の基幹ソフトにするところが増えていると謳っている。自分のスキルを磨いておけば、またぞろ新たな仕事がなくもない…かも。
とりあえず個人的な利用としては家計簿がある。家計簿は数十年前からつけているが、PCやソフトが代わるたびにデータが消えていった。txtやcsvデータで残しているのがあっても、データ形式が一貫していないので新しいソフトに乗せるのが厄介だ。一番重宝したのが有名な「Sabanowa」で、これは今でも使わさせてもらっている。しかし、これもMacのVersionUpで一時使えなくなったことがあり(現在はまた使用可能になっている)、そのときはやむなくiPhone用の「MoneyTree」などに乗り換えていた。
今回、fmp19を買ってまず試したのは自分用の家計簿ソフトを作ることだった。Sabanowaのデータはcsvで「書き出し」ができるので、これをfmp19に「インポート」するだけで、テーブル、フォームといったAccessでおなじみのオブジェクトがすぐ出来る! なんと簡単なことか。ローコード、ノーコードというのはfmpのウリ文句であるが、確かにプログラミングという概念がない。データに何か処理をするときもfmpに備わっている機能を選ぶだけである。はじめはAccessで多用していた「クエリ」という概念がないので戸惑ったが、例えばデータの抽出は検索と同じであり、データの更新は検索したデータに対してフィールドに更新データを書き込むだけで一瞬で可能。AccessのクエリはSQL文をビジュアル化したものなので、使いこなすにはSQLの知識が必要だが、fmpはそれもいらない。
実はわたしはfmpを25年も前(1997年)に買っていたのだった。古い家計簿データに「エイデン/ファイルメーカーPro3 ¥17,787」という記録があった(これらのことが判明したのもfmp19に古い家計簿データを移行して一括検索できたおかげ)。もちろん当時のことだから Window95対応。 その頃のわたしは Access96/97 全盛期で、fmpの印象は「クエリがないから何にもできない」だった。大金をはたいて買ったソフトをまったく使わなかったことは多々あるが、これもその一つだ(他にもMicrosoft Multiplanなど苦い思い出もある泣)。ただ、その時のパッケージ(外箱)がなぜか今も残っていて、中にまったく関係のないものが入っている。
懐かしいfmp3 for Windoes95のパッケージ(クリックで拡大可)
ソフト自体は当時のことだからたぶんフロッピーディスクだったか。いや、もうCD−ROMになっていたかな…。まったく記憶がない。取説もずいぶん長く取っておいたはずだが、いつの間にか処分したようだ。これも記憶が…。思えばずいぶんと遠回りしたしたことよ。
fmp19は使い始めてまだ1週間だが、家計簿のほかに自治会長の資料保管(日記など)とかCD、DVDのDBとかパスワードの管理帳などをTapFormsから移行した。ただ、しばらくは並行して使うつもり。もう一つすごいと思ったのは、Macのfmp19で作ったDBソフト(カスタムAppという)をそのまま iPhone で見られること。FileMaker GoというソフトをDL(無料)すればすぐ可能。もちろんiPhoneだけではなくて iPad でもOK。これは Access には逆立ちしてもマネできない。本格的なシステムにするには当然新たな投資が必要だが(FileMaker Serverなど)、自分のような単独での使用にはこれで十分である。
いま、思ったが、これ(fmp19)は自分の新しいオモチャなんだなと…。
2021年12月28日(火) いつもながらですが、良いお年を…
あっというまに今年も押し詰まった。
去年今年、コロナ禍での生活にもすっかり慣れてしまった感じ。
もともとインドア派であるが、それでも少しは外に出ていたものが、スーパーやモールへのちょっとした買い物以外にはまったくというほど出かけなくなった。いいのか悪いのかわからないが、なんといっても今月12日は我々夫婦の金婚式! S子(妻)からはどこか行こうといくらせがまれてもガンとして出かけなかった(替わりに妻は実家のお姉さんとコロナの間隙を縫ってあちこち出ていた)。自分の誕生日も今月にあるのだが、このトシでもうケーキや何やかもイヤで、結局プレゼントにかこつけてAirPods(Proだよ!)を買っ(てもらっ)たくらい。妻は「イヤホンでいいの? 百均にあるじゃない。もっと他にないの?」とバカにする。DAISOのイヤホンといっしょにするな。
これ(AirPods)を買ったからにはさっそく散歩には出かけなくては。というわけでiPhoneのFMラジオをAirPodsで聴きながら栄まで歩いてみた。すごいのはノイズキャンセリングという機能で、これをオンにするとかなり外部の雑音を消してくれる。名古屋の地下鉄は乗車中の騒音が有名だが、それに負けないで音楽もアナウンサーの声もはっきり聞こえる。これだけでも値段だけのことはあると思った。気をつけなくてはいけないのは、買い物などで店の人と話す必要があるときはこの機能を止めること(感圧センサー長押しで切替)。
先月紹介の「娘巡礼記」の影響もあるのだが、以前よりはまた歩くようになった。しかしやはり1万歩を超えると右足にあまり経験したことのない痛みが出て、それが二、三日続いたりする。長いことサボっていたことがひびいているようだ。
遅ればせながらの紅葉の一枚(12/5)。那古野神社、名古屋東照宮にて(クリックで拡大)。
昨日(27日)などは雪も降った。クルマのフロントガラスに積もった雪を溶かすのにヤカンでお湯をかけた。年に一度くらいこんなことがある程度で、名古屋はホントに雪が少ない。もう50年も前、4月に雪が降って会社に行くのに苦労したことが都市伝説みたいに思える。子供の頃には霜柱を踏んで歩いたり、学校の帰りに凍った田んぼでスケートごっこをしたことなども雪が降ると思い出すことだ。
とにかく今年も終わり。今年の収穫はなんと行ってもピアノ。一大決心で買ってから7か月になるが、われながら上達が早い(←
ウソ^ ^;)。今、ショパンの「別れの歌」を自分流に編曲して練習している(オリジナルはとてもムリなので右手パートを両手に分けて弾いている)。それでも雰囲気は出るからおもしろい。「エリーゼのために」はほぼ全曲をマスターした。あとはひたすら練習して上手になること。モーツァルト「トルコ行進曲」も暗譜はできたのでこれもひたすら練習。来年の目標としてバッハ「シャコンヌ」を(自分流に編曲して)弾けるようになりたいと思っている。
来年もよろしくおねがいします。
2021年11月17日(水) 高群逸枝「娘巡礼記」を読む
10月9日付けの「新婦人しんぶん」に月岡祐紀子さんの「瞽女さんの唄と三味線に魅せられて」という記事が出ていた(「新婦人しんぶん」は旧友の
T木M子さんからもう20年以上もタダで郵送してもらっている^^;)。月岡さんは
瞽女の唄と三味線を継承するという稀有の人で、「旅をしながら演奏するというのがどういう心境だったのか――」(記事より)実際に四国八十八カ所すべてをお遍路をしたという。遍路旅に高群逸枝の「娘巡礼記」を携行したそうである。
女性史研究家・高群逸枝は1918年(大正7年)、24歳のときに同遍路を実行、この本をものした。私はこの本に興味を持ってさっそくAmazonでチェックすると、朝日新聞出版のオンデマンド版というのがあった(1979年朝日選書発行、2013年オンデマンド版発行)。ちなみに月岡さんも「平成娘巡礼記 四国八十八ヵ所歩きへんろ」を出版している(文春新書2002年)。合わせて購入した。
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左¥2640 右¥770(税込)
「娘巡礼記」を読んでの第一印象は、まず発表当時そのままの生き生きした表現力である。そして当時の地方の(熊本県)若い女性の見識と教養の高さに驚いた。両親から受けた幼少からの教育に裏打ちされたその表現は宗教的というより哲学的である。大正7年という時代に24歳の女性が歩いて四国遍路をしたというそのことだけで、まったく驚くべきことだ。旅の動機には若い上の恋愛などいろいろ複雑なものがあったようだが、本人にはよほどのことだったのだろうと想像はつく。余人には知れない苦悩と思索から生まれた表現は漢籍の素養によって比類ない孤高のものとなっている。この点は「原文をそのまま残すことを基本方針とした」(同書「解説」)編集者の英断が評価されるものの、令和の若者には中々に読みづらくはあるだろう。
少し紹介しよう。本文「四十五 遍路の墓」の冒頭である。
其処此処で遍路の墓と云ふのを見たが、其何れも遍路道に近く面して立てられ新しいのは杖や笠などまで置かれて有る。
恁うして遠く旅に来て、死に行く人の運命を思ふと、寂しい様な、悲しい様な、又仄な夢路を歩く様な、微な愁ひにそゝられる。
此庵から数町とは離れてもゐまい。つい近くの草径の傍へにも、一つの古い寂しい墓標が立ってゐる。福岡県福岡市重松某と仄によまれた。あわれ巡礼が繊弱き供養を受け給へとて、露草の花を手向け水を注ぎ暫く其前に額づいた。
丁度夕方で入日は赤く附近の山々谷々を染め、云ふばかりない静謐は恐ろしいまでに四辺の空気を厳粛ならしめた。
(高群逸枝「娘巡礼記」四十五より ふりかなもテキストのまま)
私事でいえば、このところ散歩もせず、たまに出かけてもクルマかせいぜい自転車でしか行動しなかったものが、この二冊を読んで発奮し、にわかに歩き出したことである。4,5年前までは一日に10kmほども歩いていたのを思い出してそのころと同じ道を歩いてみた。もうトシだからと尻込みしていたものが不思議と歩けるものだ。がぜん自信を取り戻した。さて四国は遠いが、もうひとつ有名な巡礼行に西国三十三ヵ所というのがある(第一番は和歌山県青岸渡寺)。これに挑戦するかなどという野望もアタマをかすめるのだ、たぶん行かないけど…。
2021年10月13日(水) PCあれこれと…
9月は自治会の仕事が忙しかったためか、ブログを書くことをすっかり忘れていた。なので、珍しくひと月飛んでしまった。ま、しかし大したことではない。
緊急事態宣言も解除されて、なぜか日々の感染者数も激減状態が続いている。昨夜も塾で他の先生方と話し合ったが、少なくなっている理由がわからない。憶測はいろいろできるが、科学的根拠がないものばかりだ。なぜこうした調査がきちんと行われないか。「減れば結構だ」で済ますつもりか。
…と、まずはいつものボヤキから始めて。
ここ数十年、パソコンと自作システムのメンテナンスを行なってきた小さな(失礼)事業者さんが2軒ある。うち1軒はほぼ4か月に1回お邪魔しては売上のチェックをお手伝いしながらその時々の問題点を片付けてきた。開発当時のわが稚拙さは今となってはもう直せないが、一番困るのはWindowsの更新である。Ver.10にVersionUpしたときには、パソコンを買い替え、Officeも新規購入、システムも修正した。Microsoftはもうメジャーな更新はしないといっていたのに今度はWindows11になるという。先日お邪魔したとき、「なんかまた新しくなるらいしいけど、どうしたらいいですか」と聞かれて困った。現在の私はもうWindowsと縁を切って5年以上になるのでそちらの状況がさっぱりわからない。で、とりあえず今のまま使いましょう」と答えた。セキュリティ上できるならstandaloneで使ってもらいたいのだが、同じPCにネット前提のソフト(ブラウザ等)も入っているのでそれもできない。私が作ったシステムは今ではもう古いOfficeで作ってあるので、W11になったら使えなくなるかもしれないし、ひょっとするとOfficeも有料に(Office365?)なるかもしれない。
この事業者さんはドットインパクトのプ
リンタで3枚重ねの手書き用納品書(兼請求書兼控え)を毎日何十枚と印刷する。3枚重ねなのでインクジェットでは無理なのだ。ドットインパクトプリンタはインクジェット式に比べて割高でしかも量販店にはない。もしドットピンが一本でも折れたらもう使えない。
もう1軒の事業者さんではこのインクジェットプリンタに問題が起きた。ここのPCは何とWindows Meである!それにつないで使っていたPM-G700というプリンタが動かなくなった。3つのインジケータランプが同時に点滅している。こうなるともう修理も効かないことがこれまでにもあった。問題は今売られている新しいプリンタが Me では動かないことである。ウチで使っている比較的新しいプリンタ(PX-105)を持っていってネット上のドライバをいろいろ試してみたがだめだった。Meがあまりに古すぎるのだ。結局新品のプリンタは諦めて中古の同型をネットで買うことにした。ちゃんとあることに逆に感心した。さて、あとはこの中古品が動くかどうかだが、それは届いてからのお楽しみ。
2021年08月27日(金) 「クララとお日さま」を読む
今年3月の「赤旗」読書欄にカズオ・イシグロの「クララとお日さま」(土屋政雄=訳 早川書房)の書評が出ていた。この作家が2017年のノーベル文学賞受賞者であるということより、以前「日の名残り」という映画を観て静かな感動を覚えたことを思い出して興味を持った。しかも内容がAIロボット(作中ではAF=人工親友)と少女の物語だという。人間とロボットの話にはとても興味があることは
ここにも書いた。すぐに図書館に予約した。しかし待てど暮せど「予約確保」のメールが来ない。出たばかりの新刊だが、すでに予約者が多かったらしい。途中、何かの手違いかとも思いたびたびアクセスしてみたがちゃんと「貸出中」の表示がある。先日森博嗣先生の作品をまた予約したので今月23日にメールが来たときはてっきりそっちかと思い、行ってみると「クララとお日さま」だった!
カズオ・イシグロ著「クララとお日さま」(土屋政雄=訳 早川書房 2021年3月15日初版発行 同3月22日8版発行 ¥2500+税)
ネタバレにならないように書いてみるが、要するにジョジーという病弱な少女とクララというAFが周囲の様々な人達とのいろいろな出来事を通してお互いの理解を深めていく過程がクララの一人称で綴られている。題が「クララとお日さま」というのはクララが(おそらく太陽光によってエネルギーを得ているため)太陽を神様のように崇めていることからそうしたのであろうが、その太陽による「奇跡」によって小説の筋書きががらりと変わっていくことが予想外でもあり当然のようでもある。
クララは人間の考えうる限りの理想のロボットである。優しくて賢くて献身的で思いやりが深い。クララを「売っていた」お店の店長さんが「するどく物事を見通す目」を持つ「もっとも驚くべきAFの一人」と評価している、深い観察力を持って周囲の人間たちに接し、その都度自分の取るべき最善の行動は何かを考える。河内恵子氏による巻末の解説の題も「美しい子供」となっている。このようなクララに対して私はラスト(第6部)を涙なしでは読めなかった。これは私の考える未来とは違う!と、強く思ったのである。
2021年07月23日(金) 愚行開始日
いよいよ世紀の愚行「TOKYO2020
+1」が始まった。今、開会式をやっている(らしい)。もともとオリンピックには夏冬ともに興味がないほうだが、今回は世論の圧倒的開催反対を無視してでも行なうという政府・組織委員会の愚行に対して強い関心を持つようになった。緊急事態の中での強行、無観客、度重なる組織委員会の不祥事、全国的な感染の広がり(23日全国の感染確認4225人)など、何一つ良いことのないこの国際イベントが、世界に一体何をもたらすか、恐れおののきながらの強い関心を持たざるを得ない。
開催の意義で唯一明らかなのはオリンピックにまつわるさまざまな金銭的利権がこれまでどおり守られるということだろう。ぼったくり男爵というみごとなニックネームをもらったバッハや同類のコーツなどはまさに空飛ぶ利権だ。彼らのために感染にあえぐ日本国民を犠牲にしてオリンピックをやるのである。日本の現政権はこの愚行から何を得るつもりなのか知らないが、もしさしせまる総選挙での圧勝を望んでいるのならこの愚行を「やめる」ことだ。それは「かんたんなこと」だと首相自身が言っている。そんな「かんたんなこと」で内閣支持が回復できるのにやらないというのは、きっと支持回復より重要な目的があるに違いない。やっぱりカネなのか? いや、スガや他の大臣たちにバッハほどのカネが入るとは思われない。組織委しかり。では何か。
こうなるともう意地としか思われない。何年もやる、ヤルといってきた以上、今更やめられないのだろう。いつの時代も社会の支配層の魂胆はわれわれ一般国民には計り知れないものだ。それをあれこれ慮っても仕方がないので、われわれとしてはとにかく反対の意志を様々な形で示す以外にない。
愚行といえば、なぜPCR検査を広げないか、これもわからない。去年の段階で検査を進めて陰性の人たちだけで経済活動を進めるということをやれば、これほどの被害を被ることはなかっただろう。自民党の支持も天を衝く勢いにまであがっただろうに、なぜやらない?未だに。
未だに人類はコロナウィルスに打ち勝てていない。スガもそれは認めたらしく、初めはオリンピックを「コロナに打ち勝った証」にしようとしていたが、誰が見てもそんなアカシができたとは思えない。だから「今だからこそ…この困難を乗り越えていくこと」のためにやるんだと言い換えている。オリンピックでコロナに勝てるって、意味がわからない。なんにもしていないのだから勝てるわけがない。もうとっくに負けているではないか。
例えば、去年もし東日本大震災級の大災害が起こっていたらオリンピックなど到底できなかっただろうことは容易に想像できる。コロナ禍での死者はまさに東日本大震災に匹敵している。それが世界規模で起きているのだ。このことを思えばオリンピックの中止は常識となる。しかもコロナ禍の悲惨さはその大半が人災ともいえるほど政府の無策・愚策に依るものである。その愚策の最たるものがまさにオリンピック開催である。
2021年06月30日(水) 「わくちん」とワクチン
6月8日にコロナ「わくちん」1回目を打ってきた(モデルナ製)。会場は名古屋空港ターミナルでいわゆる大規模接種会場となったところ。時間は夜7時15分で遅い時間だが、夏至前で時期的にまだ明るかったので助かった。大規模というだけあってすごく広い会場にほぼ同数の接種従事者と被接種者が多くのコーナーに散らばっていた。本人確認や予診などいくつかの受付を通過してやっと注射となり、その後20分の待機のあと、2回めの予約をとって帰宅。ほぼ1時間のイベントだった。
妻のS子はかなり早くから打ちたいと思っていたようで、5月の予約受付開始とともに iPad 片手に長時間奮闘し、ついに中村区の保健センターでの予約にこぎつけた(ファイザー製)。もちろん送り迎えは私だが、会場がわかりにくいところで(カーナビの施設名称に「中村保健センター」がない!) 住所入力で行ったが、細い道をクルマでぐるぐる回ってもわからないので、駐車して歩いて探してやっとわかった。他の部署との複合ビルで、保健センターはその5階にあった。2回目のときにも一方通行で苦労しながらやっとたどりついたほどだ(これは私の運転能力の問題)。「なんでこんなバスも地下鉄もないような田舎の保健所で打つのだ」と切れてやると「すぐ近くに中村日赤の駅があるよ」と反論した。
1回目を終えた妻は、次にのんびりしている夫(私)に予約を促すようになった。いささか「わくちん」に懐疑的だった私はもうしばらく様子を見ようと思っていたが、妻の「同調圧力」に負けて自分の(妹のも)ワクチンクーポンを渡した。すると「空港でならすぐ予約できるよ」というので、じゃあ頼むよと、妻任せにしたおかげで冒頭のはめになった。ちなみに2回目は来月6日同所同時間である。
「わくちん」に懐疑的なのは私だけではないようで、今(6月末)でも二、三十代の若い人の半数が摂取を躊躇しているという。いくつかのデマ情報のせいもあるらしいが、その心持はなんとなくわかる気がする。だが、インフルエンザのワクチンにはその懐疑さは持っていない。注射は嫌いだがイヤではない。躊躇することはない。この違いはやはりコロナワクチンが新しく外国で「作られた」ものであるところにあるようだ。5年で死ぬとか、不妊になるなどのデマは噴飯ものだが、現在の日本人は外国製のものには相当強い不信感を持っている。「国産」のポップ広告が人目を引く時代である。だから外国でワクチンが広まってなんでもない(というよりコロナが収まる)ようだったら打とうかなくらいの不安にすぎない。しかしそもそもワクチンを打ったからと行ってコロナが収まるというエビデンス(使ってみた)はまだ世界中どこにもない。ワクチンは特効薬ではないし、一方でコロナウィルスの変種が続々出てきているらしい。アルファ、ベータ、デルタどころかラムダ型(ペルーで確認)まであるという。いずれにしてもコロナ渦は現行ワクチンの普及だけで収まるとは思えない。それがワクチンではなく「わくちん」とした理由である。
2度目を終えた妻は、心なしかある種の開放感に浸っている。我慢していたスパ銭通いも始めるようになった。
2021年05月29日(土) ピアノのある日々
ピアノという楽器に始めて会ったのはたぶん小学生のときだろうが(和音でお辞儀をした記憶がある)、まじまじと観たのは中学生になって音楽に興味を持ち出してからだ。音楽室のグランドピアノは黒い大きな物体でいかにもものものしく重厚感があった。だが、音楽にハマったのはピアノからではなくサカホーンというハーモニカのような楽器を生徒がみんな買わされたことからである(
過去の記事参照)。中1のときの音楽の先生はH城先生という若い女の先生で、生徒が舐めきってよく困らされていた。ピアノはもちろん上手だった。わたしは授業の終わりにすぐ駆け寄って演奏をねだったりした。先生は月光や幻想即興曲などを弾いてくれたと思う。このような超有名な曲を生演奏で聞くのは初体験で、おかげですっかりピアノの虜になった。
中学卒業後、人生の夢は作曲家になることだった。そのためにはピアノがほしい。ボール紙に書いた鍵盤や知人からもらった足踏みオルガンでバイエルを練習したこともあった。毎週のように通っていた柳橋のヤマハビルで羨望の眼差しでピアノを観ていると、どこかのお嬢さんが見事に試弾している。そこへ声をかけて自分が作曲した曲を弾いてもらえないかと頼んでみると、気がすすまなさそうに、でもはいと言ってくれた。今ここには楽譜がないので来週ここで会ってほしいと約束する。しかし翌週楽譜を持って行ってみても当然ながら彼女は来ていない、などということもあった。また、ヤマハビルの鍋田さんという店員さんにピアノが欲しいことを相談すると「私達もそういうかたにぜひ買って頂きたいのです」といって、当時の我が家にピアノが設置できるかわざわざ見に来てくれた。ところがまだ未成年だったことで月賦(ローン)を組むのに保証人がいるというので、当時親しかった友人のお父さんに頼んだが残念ながら断られた。友人が熱心にお父さんを説得してくれたのをよく覚えている。結局この話はこれで終わったが、わたしの長い人生でもっとも切ない経験だったと今でも思う。わたしはろくに弾けないピアノの曲を作って「作品1」としてその友人に贈ったりした。友人はしばらくその楽譜を額に入れて部屋に飾ってくれていた。今その曲は手元にはないが、頭の中にぼんやり残っている。無調形式の(そのくせ調号には♯が4つも付いた)すごく背伸びした曲だったと思う。
その後いつか作曲家への夢は消えて小説家になろうと努力したが、ろくに応募することもなくずるずるになって、そのうち趣味としてやってきた数学の勉強が役に立って塾講師が主な仕事になった。結局音楽や小説より数学のほうが生活の糧になったという話である。
ピアノを買う決心をしたのにはこのごろのコロナ禍が関係しているといっていい。われわれ年寄りにはコロナの恐ろしさは若者の比ではない。感染したら終わりなのだ。まず助かる見込みはないだろう(と自分では思っている)。いくら気をつけていても感染するかもしれない。では何かやり残したことはないか、最後にしておくことは? この切迫感が後押ししたのだ。五十年ずっと心に残っていて今でも惹きつけられているもの、それがピアノだった。ギターもいいが、やはりそれは「代用品」だったことが今更わかった。ピアノを買ってまだひと月にもならないが、ピアノ三昧の毎日にギターなど手にも取らなくなった。
ヤマハのHPなどを見てARIUSシリーズのYDP-S34というのが気に入った。何より奥行きが30cmないというスリムさがいい。アップライト型より小さい電子ピアノ(ヤマハではデジタルピアノという)で、ヘッドホンで聞けるので団地でも問題はない。ちゃんと88鍵あって音色はヤマハのグランドピアノを模している。Amazonにもあったが、とりあえずヤマハビルで実物を見ようと、5月3日何年かぶりに奥さん同伴で柳橋まででかけてみた。お相手してくれたA徳さんという店員さんが親切に説明してくれた。値段は本体が¥87,780、高低自在椅子¥15,400、配達料¥9,900(設置料込)、合計¥113,080。ただコロナのせいで生産状況が悪く、納期が早くて7月、色違いでも5月末とのこと。買うとなるとすぐにでも欲しいわたしはもう腹の中では「ネットで買おうかな」と考えていた。いったん引き上げて改めて同製品をネットで見ると何と本体・自在椅子・ヘッドホンも込みで¥96,000、お届け日も1週間後で、しかも送料無料となっている。もう決まりである。
5/9届いた本体の梱包(一部) 自力設置後のYDP-S34(ブラック)の勇姿
付属品に「50 Classical Music Masterpieces」という楽譜が付いていて、バッハ「プレリュードBWV 846」、ベートーヴェン「エリーゼのために」、モーツァルト「トルコ行進曲」などが比較的弾きやすく編曲されている。さっそくエリーゼに挑戦している。この曲は昔から紙の鍵盤やオルガンでも練習してある程度は弾けるのだが、もちろん本格的に練習するのは初めてである。
付属のベートーヴェン「エリーゼのために」(これはオリジナルのまま)
上の楽譜の左側はだいたい弾けるが、右のページの上部の32分音符の連続が(わたしには)至難の業である。ここを克服すればピアノで美しい曲を通して弾きたいという超長年の夢のひとつが叶うのである。
2021年04月29日(木) 年度初めの抱負
もうコロナのことなど書きたくもないが、政府や自治体がいつまで経っても大規模検査をしないことにハラワタが煮えくり返っている(こんなコトバは今まで使ったことがない)。まだ感染者が少ないうちに大量検査で陽性者を隔離保護すればこれほど(大阪連日の千人超え、今日は東京も)の市中感染は抑えられただろうに。本当にオリンピック・パラリンピックをやるつもりならなぜ検査をしないか。自分で自分の首を絞めているのだ。来日した選手たちに毎日検査をするというのならなぜそれを日本国民にやらないか。感染者を最小限に押さえれば世論も8割が反対・再延期とはならなかっただろう。まったくわけがわからない怒。
団地の庭に誰が植えたか、オオツルボ(大蔓穂)というそうな。(クリックで拡大)
…このまま続けてもキリがないから話を変えよう。
コロナだけが理由ではないが、めったに外出もしなくなった今日このごろ、このひと月いちばん熱心にやったのはギターの練習。「アルハンブラ」の運指もやっと思い出したし、「禁じられた遊び」もほぼまちがえずに弾けるようになった。気のせいかトレモロもだいぶ早くなったような…。その他「日本のうた125選」(小胎剛編)から「青い目の人形」「赤い靴」「翼をください」「月の砂漠」等々どんどん増えていく。しかし初めに覚えたものを忘れていくので繰り返しの練習が増えて結局一番熱心?にやるようになった。この本、小胎先生の編曲が抜群で、どの曲も運指がそれほど難しくないにもかかわらず何度も弾いてみたくなるような美しい和音が続く。もとの曲がどれもわれわれの世代には懐かしい馴染みのある曲だからよけいである。世間的にもいろんな楽器がよく売れているようだからご同輩が増えているに違いない。数日前のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」でコメンテータの玉川さんが「 りっちゃんの音楽channel」のYoutubeを見て「僕の人生で悔やまれるのは楽器を覚えなかったことです」というようなことを言っていた。まだテレ朝定年ギリ前なのだからエレクトーンでもピアノでも今から十分間に合うと思いますよ、と老婆心からのおすすめ。
実際、自分は何をやるにも年齢を考慮したことはない。ハングルだって始めてもう3年、今も毎日(少しずつだが)進めている。どんどん忘れながらそれでも単語の貯金はゆうちょの利息よりは増えている。好奇心だけは(偏ってはいるが)今も旺盛で、これからも何か始めそうな気がしている。因みに今、気になるものとして家電のスマートシステムとDIY用の道具たち、そしてMTのクルマがある。スマートシステムではとりあえず人感センサ付きの電球(プラススタイルスマートLED電球(人感)/E26等)を玄関、洗面所、トイレに付けてみた。いずれも付け忘れが多いところ。先日妹が風呂から出ても灯りをつけっぱなしにしていたので注意すると「勝手に消えると思った」と言う。あちこち自動で消えるようにしたので風呂もそうだと思ったのだ。次は自分の部屋の照明を声で点けたり消したりしてみたいと思っている。スマート対応の照明器具を買うのではなく今の照明になにか付け足してできるようにしたい。できればテレビやコンポも声で操作できたらいいな。
DIYの道具は、まず去年活躍した草刈り機から始まったのだが、これを久しぶりに引っ張り出したらまったく動かなくなっていた。修理しようとすると草刈り機の先端の歯の付け根のモーター部を分解するのにネジをいっぱい外さなくてはならない。普通のドライバではまったく面倒だ。今話題の小型電動ドライバ(ベッセル電ドラボール220USB-1 )をカーマで買ってきた。以前から電動ドライバは欲しかったがピストル型は高いのが(1万円前後)ネックだった。電ドラボールは3〜4千円で買える。8本のネジがあっという間に取り外しできた。
ベッセル電ドラボール220USB-1 ¥4,378(税込) アマゾンにもう少し安いのがあった。
草刈り機が動かなかった原因は歯の付け根のベアリングが全く回らなかったため(たぶん放置サビのせい)で、これをCRE-556などで根気よくひねっていたら動き出した。そこで汎用グリースを買ってきてたたっぷり塗りつけ元通りにしたら完璧に(たぶん)復活!めでたし。これからはペンチやニッパなどの小道具もいいモノを揃えていきたい。あと、自治会長としては植木の刈込鋏や高枝切りバサミも欲しくなってきている。
MTのクルマは自動車学校以来めったに乗ったことがないが、いまでもあこがれである。誰に聞いても「トシからいってやめといたほうがいい」といわれるし、自分でもそれはそのとおりだと思っている。今乗っているクルマ(2004年プレミオ1800cc)で十分に気に入っているが、このクルマでもシフトレバーをけっこう細かく使って運転する。市道で減速したいときなどDから2レンジに切り替えてフットブレーキは最後にしか使わないとか、ショッピングモールの立体駐車場の急坂を上り下りするときはLレンジを使う。アクセルを踏むか離すだけでクルマがキビキビ動いて面白い。だからこれだけで楽しんでおればいいのかもしれない。しかしMT車に興味はある。とくに半クラッチ操作は慣れればクルマを自分の思い通りに動かせるだろうと思える(慣れればだが)。一昔前まではハイブリッドや電気自動車に興味があったが、いまはFCV(燃料電池車=トヨタのMIRAI)の方に関心が移っている。所詮手の届くクルマではないので(7〜8百万円くらい)、いずれ100万くらいの中古車が出てきてから考えよう笑。
2021年03月29日(月) 年度末
このひと月は年度末ということでとても忙しかった。何よりも自治会長としての実務が多かった。
わたしの住む団地は一つの棟がそのままひとつの自治会を持っていて(住民はすべて自治会員)、その自治会が他の棟の自治会とともに学区「連合会」を作っている。また、団地全体が共同で使用する「集会所」は関係する自治会の役員からなる「運営委員会」がある。
今年度はコロナ渦のおかげで会議やイベントの数はずいぶん減った。盆踊り、秋祭り、運動会などのスポーツイベントが中止になったが、そのかわり文書でのやりとりが多くなった。パソコン、プリンタが大活躍した。とくに今月は年度末の役員交代・引継ぎでわたしもたくさんの連絡、案内、名簿などを作った。
回覧板の作成、会議やイベントの開催・中止、施設使用料金の改定を持ち回り会議で行なうこと。名簿では、各団体で次年度の役員が誰になるかを聞いて、名簿一覧を作って配布する。同じ人がいくつかの団体に属しているのでいろんなタイプの名簿が必要である。それも一度にはできないで、いったんサンプルを作って見てもらい追加・訂正を返してもらってやっと完成という作業になる。
引継ぎも例年ならば全員参加の会議を開いてそこで一気に引継いでもらうのだが、今年は3密を避け、新旧役員にそれぞれ個人的にひきついでもらった。例年のように引継ぎ会議を行なえばよかったか、むずかしい選択だ。
引継ぎでの問題として役員をしてくださる方の高齢化がある。連合会にはさまざまな分科会があってなかでも体育委員会は毎年種々のスポーツイベントを組んでいてその役員に各自治会から「体育委員」を選出する。しかしその体育委員がかなりの高齢者であれば委員としては参加はできない。だから自治会の中の各役職が形骸化する。これはウチだけでなく、ある意味全国的な問題であろう。自治会や連合会のメンバーが役こそ違え毎年同じ顔ぶれになるのもそういう背景がある。
年度末作業以外に通例の行事もある。連合会の方ではわたしは「防犯委員」になっていて、毎月5の日の夜に他の委員と地域のパトロールをする。また、交通事故0の日には登校時の子どもの見守りで近所の交差点に立つ。これは例年ならば自治会役員全員の輪番制なのだが、今年度は学校の長期休校などがあってスケジュールが組めず、結局学校再開以後はわたしが一人で勤めた。いつまた休校になるか先が読めない状態だったからだ。
3/29 大口町奈良子 五条川の桜並木にて
連合会の会長は同時に学区の区政協力委員長であり、自治会長は区政協力委員となっていて、これらは市の政策の下請け機関という性格もある。費用弁償という名での報酬もある。こちら側からの要望も出せないことはないだろうが、それが主たる任務ではない。あくまで「区政」に「協力」する組織だ。わたしは個人的にはこれらの組織はなくしたいと思っている。そのかわりとして本当に自主的・民主的な「市政に要求する組織」を作ればいいのだ。いわば「区政要求委員会」である。下請けではなく要求を出して実現を目指す組織を作るのである。市は自治会を使って自分たちの仕事をやりやすくするのではなく、自治会を本当に市民が必要としていることを下から吸い上げるための組織という位置づけをしなくてはならないと思う。だから各町内に一個ずつ作るのではなく、自主的に自由にどこにでも市民が組織を作ってそれらが連合体を作っていけばいいのだと思う。
それでも今(29日)くらいになるといろんなことが片付いてくる。今月31日は集会所の大掃除をして備品台帳を作って一年を締めくくる。やれやれであるが、何と来年度(令和3年度)も自治会長をやらなくてはならない。
2021年02月25日(木) コロナ禍の時間割
コロナ禍でステイホームが常識となった昨今だが、自分はもともとインドア派で、うちの中でいろいろなことをしている方が好きだから、あまり困ることはない。もちろん買い物や散歩などはするが、クルマで遠出などはまったくしなくなった。クルマ自体はいいが、やはり出かければ人との接触も増えるし、何かの出来事で三密になるかもしれない。ワクチン接種も始まっているようだが、これは重症化を防ぐのには効果があってもウィルスの感染力を抑えるわけではないからあまり期待はしていない。われわれの年齢(七十代)では感染したらオワリという意識が強い。とにかく
罹らないことに越したことはないのだ。
そこで、といってはなんだが、家での過ごし方として一週間の時間割を作ってみた。自分の趣味やしなければならないことを学校の授業のように一定の時間を取って、それに従ってコトを進めていくことにした。いま自分が毎日行なっていることといえば、数学、読書、Oculus Quest2、ギター、ハングル、ビデオ。しなければならないことは、家事と自治会。これらを1週間の時間割にしたのが以下の通り。
月曜:体育、国語、外国語、音楽、社会、家庭
火曜:家庭、数学、国語、外国語、音楽、仕事
水曜:体育、国語、外国語、音楽、家庭、特活
木曜:体育、数学、国語、外国語、音楽、社会
金曜:体育、国語、外国語、音楽、仕事
土曜:家庭
日曜:体育、国語、外国語、音楽
2/20 猫の給食の時間。久しぶりに二匹並んでごはん食べてた。
このうち、体育はウォーキング(散歩)、国語は読書、外国語はハングル、社会はOculus Quest2、音楽はギターの練習、仕事は塾講師、特活(特別活動)はビデオ・映画鑑賞というわけである。家庭科は清掃と料理(あまり熱心ではない)。
読書とハングルはほぼ毎日。読書はいま森鷗外「伊沢蘭軒」。これは先月の「渋江抽斎」の続きみたいなもの。社会がOculus Quest2なのは、Oculus Quest2の「Wander」というソフトで世界旅行をしているからである。これはGoogleのストリートビューをVRにしたもので、かなりリアルな臨場感を味わえる。これまで日本三景、ピラミッドとスフィンクス、姫路城、万里の長城などを廻ってきた。あと自由時間ももちろんあるが(一番多いかも)、そこでは主にゲーム(ソリティア)などをしている。最近この時間が増えている(^^;。
音楽のクラッシックギターは去年まる一年苦しんだドケルバン病(腱鞘炎)が治ってきこともあって、恐る恐る始めてみた。まだ痛みはあるが、弾けないことはない。カルカッシ教則本の「アルハンブラの思い出」はせっかく覚えた運指をすっかり忘れている。少しはできていたトレモロも完全にダメ。武満徹の「ギターのための12の歌」も3曲まで行ったのに全滅。そこでむつかしい曲はさておいて一日で弾けるようなやさしい曲から練習することにした。ずっと以前に買った「ギターでうたう日本のうた125選」(小胎剛 編 ドレミ楽譜出版社)が難易度も選曲もピッタリなので、今はこれを練習している(夏は来ぬ、琵琶湖周航の歌、ローレライ等)。運指が簡単なのであとは覚えるだけで良い。数年前は簡単すぎると思っていたが、なんの中々奥が深いことに感心している。もっと早く取り組めばよかった。ある意味腱鞘炎のおかげだ(ただちょっと再発が心配。去年の発症もギターのせいかもと思っている)。
ハングルのお手本はNHK出版が出している「ハングル単語帳」(劉卿美 原作)というスマホアプリ(現在は更新されていない)。約1500語の単語と短文が載っていて今の自分にちょうどいい感じ。中学生のように毎日小テストをする。一回10語ほどの単語・短文テストを何回も繰り返して満点になってから次のテストに行く。Twitterも韓国語表記にしている。以前はよく韓国ドラマを観ていたが、どれも波乱万丈の筋書きなのが気に入らなくて観なくなってしまった。NHK教育テレビのハングル講座もなぜか見なくなった。どうも自分は会話よりも文章が読めて意味がわかればいいだけを目指しているようだ(英語もそう)。
本業(?)の数学は、かなりまえから高木貞治先生著「代数的整数論」に取り組んでいるが、途中知らない行列式が出てきてそこを飛び越していくともうわからなくなってしまう。現在は仕方なく(x_x;)同著者「代数学講義」の「行列式」に戻っているところ。行列式はむかし未知数が多い連立方程式を同じ公式で解いてしまう(クラーメルの公式)ことに関心してBASICでプログラムを作ったことがあるが、それ以外には勉強したことがなかった。今回「
Vandermondeの行列式」を初めて習って、その奥深さを垣間見た。しかし遅々として進んでいない。
2021年01月24日(日) Oculusと澀江抽齋
我ながら妙な題目だが、どちらも最近の日常で多くの時間を割いたのでそのまま付けてみた。
まずOculusだが、これはOculus Quest2というバーチャル・リアリティヘッドセットのことである。森博嗣先生のW、WWシリーズを読んだ影響で、VR(バーチャルリアリティ)に強い関心を持ったのが動機だ。この小説シリーズでは登場人物たちが毎日の生活にかなり多くの時間をVRで過ごしている。もちろんミステリィなので事件がらみではあるが、VRのなかであの真賀田博士や人工知能「オーロラ」などと話をしている。作者は未来においては現実とVRとはもう区別のつかない世界になると予想しているようだ。その考えに自分もかなり共感している。
一方、テレビでOculusがOculus Quest2のCMを流しているのをみて、現在ではこのアイテムがもっともWシリーズのVRに近いと考え、ついに買ってしまった(¥37,180 Amazonで1/3に注文して4日に届いた。恐るべしAmazon) 。初めあまり期待していなかったせいもあるが、使ってみての第一印象は「すごい!」のひとこと。よくここまでできていると思った。電源を入れると初めに日本旅館の一室にいるような情景が自分の周りに現れた。庭があり、遠くに富士山(かな?)、大きな池に鯉が泳いでいる。遠近感が立体的でまさにバーチャル! さっそくまた高いオモチャを買ったと思っているカミさんにも見せてご機嫌取りをする。カミさん言うには「私はゾンビは嫌いだが恐竜なら見てみたい」という。いろいろメニューを調べて「ジュラシック・ワールド」という映像(無料)を見つけ、まず自分で見てみた。自分が本当に恐竜の世界に入り込んだような臨場感で、アパトサウルスがこっちを見て顔を近づけてきたときは鳥肌がたった。カミさんにもみてもらうと「かわいい!」と、まずまずの評判。すでにいろいろな会社がVR用のソフトを提供しているので何を見るかで迷うほどだ。大きく分けて、まず360度視界が広がる体験もののVR映像。そして新旧の映画を劇場の大画面で観せるもの(有・無料あり)。お決まりのあらゆるジャンルのゲーム。そしてだれもが想像するAV等々、もうすでにたくさんのVRソフトが販売されている。
Oculus Quest2の梱包物と使用例(https://www.oculus.com/より)
まずYou Tube VRにあった360°視界の映像では米軍のブルーインパルス?のコクピットにいるような飛行風景を体験。急上昇や宙返りでちょっと酔ったような気分になる。VR酔いとはこれかと思う。次に海の中をダイバーになって泳いでみた。臨場感は抜群。すぐ横を巨大サメが通過する。しかしこれもすぐに気分が悪くなってくる。どうも自分にはこういうものは向いていないようだ。
ゲームでは「BEAT SABER」(Oculus)と「JUMPY BALLS」(Fire Fox)をやってみた。BEAR SABERはこちらに飛んでくる巨大なブロックを剣で切り落とすというVRゲームの先駆的作品らしい。JUMPY BALLSはキャノン砲からゆるく打ち出されたボールを2〜3枚の板で跳ね返しながらゴールに持っていくという単純なゲームだが、どちらもつい夢中になって、操作中をヒトに見られていないかが気になってくる。今のところ、VR界の「人物」と会話ができるようなソフトには会っていないが、そんなことはもう時間の問題だろう。次のバージョンアップが楽しみである。
「澀江抽齋」は、もちろん森鴎外の小説のことである。現在出ている本では多く「渋江抽斎 」と記する(岩波文庫など)ので、以下現代的に記名する。私が読んだ本はこのブログにもちょいちょい出てくる昭和三十年発行の角川書店の昭和文学全集の別冊「森鷗外集」で、文章はすべて鴎外の原文のままである(多分)。読みにくいことこの上ない(誤用(^ ^;)。にもかかわらず通読できたのはとにかく面白かったからである。
鴎外は歴史の過去に多く創作の材料を得ているが、その中に「武鑑」という江戸時代の諸大名の事績を書き記した史料があり、これをたくさん収集している。その史料について新旧の異同を調べているうちに、ある事柄について彼と同じ結論に至っていた人物が過去にいたことに気づいた。史料に度々「弘前醫官澀江氏蔵書紀」という朱印があり、文中異同の箇所に註をして「抽齋
云」と
考證を記している。鴎外はこの弘前の医者という渋江氏と注釈者の抽斎とが同一人物であるのを相当な努力を持って突き止め、以後彼は渋江抽斎の祖先・父母から、妻女、子女・師弟・友人など実に多彩な人物たちを江戸の中期から現代(鴎外の時代)まで編年体風にいきいきと丹念に描き出していくのである。
白眉は抽斎の4人目の妻
五百で、抽斎以上に小説の主役といっていい。小説渋江抽斎は新聞連載で「その百十九」をもって終わっているが、抽斎は「その五十三」においてすでに死去し、その後は五百の子女(抽斎没時四男二女)や友人を中心とする話が延々続く。五百の初出は「その九」だが、抽斎に嫁したという記事は「その二十九」だから実に全編六分の五に渡って登場する。鷗外自身この五百に殊の外の執心と見えて多くの逸話を載せている。
中でも「その六十」「その六十一」は出色で、抽斎が勤王の
志から或る貴人に大金を献上すると約したところ、約束の期日前に不逞の浪人が3人でやってきて献上金を出せと云う。あきらかに偽の使いで抽斎が固辞したところ浪人が刀の𣠽(つか)に手をかけた。その時部屋の障子がすぅっと開いて、五百が現れた。その姿はなんと腰巻きひとつの裸体に懐剣を口に銜(くわ)え、両手に湯桶を持っていた。五百は入浴中だったときに良人の危急を知り、「衣類を身に纏ふ
遑は無」く馳せ参じたのである。五百は武家奉公で匕首(ひしゅ=短刀)一口を身から離さぬことを覚えたそうである。
五百偽使者撃退の件 渋江保(五百の二人目の息子)自筆(クリックで拡大)
東京大学附属図書館蔵 鷗外文庫より(https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/html/tenjikai/tenjikai2012/tenji4.html)
五百は湯殿から持参した熱湯を浪人たちにあびせ「どろぼう」と叫んだという。屋敷にいた
仲間や書生たちが駆けつける前に浪人たちは皆逃げてしまった。渋江家では後々までこの五百の武勇伝が伝えられ、そのたび五百は恥ずかしさに席を逃れたという。
また、五百がまだ実家にいたとき、牧という父の妾がいて、牧が五百の母の耳の不自由になったことをたびたび「つんぼ」と呼んでいたのを兄から聞き、「さうして見ると、わたし達には親の敵がありますね。いつか兄さんと一しょに敵を討たうではありませんか」。これを知った牧は五百を手懐けようとするが果たせず、後年父なきあとは渋江家に奇寓し、五百は恨みに報いるに恩を以てしたという。(その四十八)
このような話は枚挙にいとまがないが、もうひとつ。嫁ぐ前の五百はすでに三人の配偶者を亡くしている抽斎のところへ自ら望んで行きたいと思い、抽斎が自分を乞うてくれるように人に頼んだという。それは学問のある夫が持ちたいということと、彼女の兄が吉原の娼妓を身請けしていて、今後は隠居して実家は妹に婿をとらせて継がせようと考えているのを嫌い、「わたくしは渋江さんのところへ往って、あの方に日野屋(実家)の後見をしていただきたいと思います。」というのだ。実家にいては兄に好き勝手にされ、婿の手前自分の意思も軽んぜられると考えたのである(その百七)。抽斎はその深慮遠謀には気づいてはいなかったようである。学問好きも本当で、人に教わるだけでなく自分でも洋書を直接読むほど勉強好きだった。抽斎は五百が地動説を知っていることで驚いたそうである(その百六)。
全編を通じて武家町家の封建時代の雰囲気がよく表されており、そのなかでの人々の生活がリアルに描かれていることが面白い。「渋江抽斎」が読みにくいことを述べたが、今では死語古語になっている語彙も辞書(ネット)片手に調べながら読んでいくのは意外に楽しくもある。いくつか列挙してみると、傾蓋、康衢通逵、怙を失う、刪除、先考、趨舎、大己、伉儷、觴政、尺牘、禁闕、子婦、隆準、啓沃、涓滴、悍、掣肘、荏苒、胞衣、…。鴎外が一流の学者であり、洋漢問わぬ学識の持ち主であったとはいえ、われわれはいかに多くの言葉を失っているかを痛感したのも感想の一つになった。
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(C) 福沢正男