——————故・田中幸彦の思ひ出のために——————

 わが友・田中幸彦は 2006年12月 突然この世を去った
 58歳という 惜しむにあまりある若き死であった
 このページに
 彼の若き日の記念碑である同人誌『ぷりずむ』を紹介する
 『ぷりずむ』は  彼と
 彼のごく身近なまわりの人たちによってつくられた
 一読して 稚拙でつたない
 市井の人々の生の声が記録されているのを見ることができる
 これこそ 彼の願いであった
 地の底から頭を出した水晶のきらめき『ぷりずむ』である   

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(号数か、表紙をクリックすると jpg ファイルが開きます)
1号 (1977年1月) 2号 (1977年2月) 3号 (1977年3月) 4号 (1977年4月) 5号 (1977年5月) 6号 (1977年6月)
(A4本文2ページ) (B6本文10ページ) (B6本文8ページ) (B6本文6ページ) (B6本文6ページ) (B6本文12ページ)
           
湿式のA4コピー専
用紙で作られたわず
か4ページの歴史を
感じさせる作品。表
紙の「77」の版画
が鏡字になっている
のがご愛嬌。
第1号に比べ、厚紙
の表紙と談組による
本文など多少とも本
らしくなった。表紙
は田中による富士山
(?)の意匠で、この号
からぷりずむの特徴
である版画の表紙が
始まる。
この表紙は「お尻」
という説がある。田
中はニヤニヤして言
葉を濁した。左下の
「春」の字が愛らし
い。これはこの号の
テーマである。
この号は本文わずか
6ページで、創刊号
を除けば全ぷりずむ
中でも最小の部類に
属する。まさに風前
の灯とでもいえる状
況であった。
テーマは「仕事と報
酬」。ここで私は勉
強したてのマルクス
主義的労働感を熱く
カタっている。今で
も基本的立場は変わ
っていないつもり。
これが「表紙」であ
る。実際にPDFをみ
ると最後のページに
本当の表紙がある。
貴重(?)な製本の失敗
作。

7号 (1977年7月) 8号 (1977年9月) 9号 (1977年10月) 10号 (1977年12月) 11号 (1978年1月) 12号 (1978年3月)
(B6本文8ページ) (B6本文10ページ) (B6本文10ページ) (B6本文10ページ) (B6本文12ページ) (B6本文12ページ)
           
「宗教」がテーマ。
ここにも声高にカタ
っている自分がいる
。この号に友人のS
君が詩を書いている
。これに次の号で私
が曲をつけた。
巻頭言「シグナル」
に「北海道で火山の
噴火があった」とあ
る。有珠山の噴火の
ことで、こういう時
事的なことを書いて
おくと後々い
ろいろ参考になるも
のだ。
ごらんのようにこの
号には名物の版画が
ない!さびしいねと
いわれた。前号から
月と号数がずれたし
、月1回というスタ
ンスがむつか
しくなった。
「後記」にもあるよ
うにこの号は私・福
沢が編集した。表紙
も私。田中に比べて
なんとも味のない絵
柄で今でも恥ずかし
い。本文中「はだか
の王様」の藤井氏は
私の高校時代の恩師
である。
ふたたび田中の版画
が戻ってきた。彼は
これらの画材をどこ
から得てきたのだろ
う。ちなみに版画の
板はいつもごくあり
ふれたベニヤであっ
た。「ぷりずむ」の
題字はカマボコの板
この号の掌編小説は
創作のネタがなく、
苦し紛れの翻訳(L.ハ
ーン「おしどり」)に
なった。こんなこと
を目論めたのも「ぷ
りずむ」あって
のことだった。Tに
感謝。

13号 (1978年4月) 14号 (1978年7月) 15号 (1978年10月) 16号 (1978年12月) 17号 (1979年1月) 18号 (1979年2月)
(B6本文12ページ) (B6本文8ページ) (B6本文10ページ) (B6本文14ページ) (B6本文12ページ) (B6本文16ページ)
           
前々号・前号とこの
号で田中は「最近腹
の立つこと」を書い
ている。それは政党
や裁判あるいはメデ
ィアへの批判である。
それは今でも通用す
る。ニホンは変わら
ない・・・
この号の中に「天人
午睡」のもとになっ
た「天人五衰」とい
う言葉が出てくるの
を、久しぶりに読み
直して思い出した。
「男と女」という、
やや背伸びしたテー
マで書かれたものを
今読むとなんだか恥
ずかしいものである
。私と幸博(田中)だ
けがめげずに書いた
この号で驚くのは古
い友人の佐藤くんの
「ソ連拝見記」であ
る。「プラウダ」の
ことが書いてある。
ぷりずむが歴史文書
になっている!
前の号で「ソ連拝見
記」を書いた佐藤君
がこの号では作成に
も協力してくれた。
「ぷりずむ」がもっ
とも獣実していたこ
ろかもしれない。
ついに「ぷりずむ」
が一般書店にも並べ
られることになった
記念すべき号。もっ
とも店主さんの好意
で片隅に置いてもら
うだけだが…

19号 (1979年4月)  20号 (1979年7月)  21号 (1979年11月)  22号 (1980年6月)  23号 (1981年3月)  24号 (1985年6月) 
(B6本文14ページ) (B6本文14ページ) (B6本文8ページ) (B6本文20ページ) (B6本文18ページ) (B6本文16ページ)
どんなものにも初心
、円熟、衰退がある
ものだとしたら、こ
の号は円熟か?とい
うことは衰退の始ま
りとも言えるのかも
2016年6月まで欠落
していたが、林和弘
氏が所蔵していたも
のをお借りして掲載
できた!ありがたや
。表紙のインパクト
に注目。
どういうわけか、こ
の号には私の書いた
ものがない。我なが
ら珍しいのだが、理
由もわからない…
この号も欠落してい
たが、やはり林和弘
氏のおかげで全ての
ぷりずむが揃った。
感謝!全号中最長の
20ページ。この号の
み裏表紙に「¥50」
の値段付き。
この号に不敵な4人
組の窃盗団のことを
書いている藤井英明
氏は私の高校時代の
恩師である。ぷりず
むのことを話したら
快く一文を寄せてく
ださった。感謝。
巻末の「編集室から」
にあるように実に
4年ぶりの発行!た
だ、内容の充実ぶり
は、もう玄人はだし
で、評論、小説、研
究論文など多彩であ。

25号 (1987年10月) 26号 (1989年2月)
(B6本文20ページ) (B6本文20ページ)
       
前号から2年、つい
にワープロ化を果
たす!竹田良巳氏の
中国紀行文「希望と
失望の狭間で」はぷ
りずむ全号中の白眉
かも。竹田大助展の
感想なども。
ついに最終刊。ただ
田中氏はその気は
全くない。原稿募集
、締切日まで書いて
ある。参加者の顔ぶ
れも広がってきてい
たのだが…。残念!

増刊号 (1977年7月)
(B6本文13ページ)
         
松島武治(=福沢)
の創作による増刊号。
紛失していたが、
和弘
氏が所蔵してい
たものをお借りして
めでたく掲載できま
した。感謝!

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