2020年12月24日(木) 家電失態三題
今日はクリスマス・イブ。うちでも人並にケーキを買い、チキンも買ってきた。これらはみんなカミさんがやったくれた。もし自分だけだったらそんなことやったかどうか。最近の幸せの定義は身近な人との安定した日々の生活なのだそう。この意味ではウチは幸せな家族ではある。しかし不安がないわけではない。コロナもそうだが、やはり老人三人がこれから安心して余生を送れるのかということに尽きる。不安を起こさせる一番の原因は政治の無為愚策・腐敗である。将来にみじんも希望を持てない政治とはなんと情けない国になったことか。来年の総選挙でももし現政権が勝てばいよいよ戦前の暗黒時代に逆戻りであろう…。冬の果実
今年は自治会長と国勢調査員というふだんやらない役職を仰せつかったおかげでいくばくかの報酬(費用弁償)があった。そのため気が大きくなって これまで使ってきたMacBook Air(2014年購入) がそろそろ寿命っぽいので買い替えを決心した。これが第一の失敗で、買った次期がまずかった。9月1日に¥126,280で買ったのだが、そのすぐあと(11月)に新しいMacbook Air が出たのだ。それもApple初の独自開発CPU・M1が搭載されて128GB¥134,800だと! このスペックがすごい(ネット参照してみて〜)。アップル発表会のニュースをみてどれだけ落胆したことか。
そこで一計。今自分が使っているiPadは奥さんのよりはやや新しいので、これを彼女に譲って自分は新品のiPad Air を買って使うのだ。そうしよう!ってんで勢いでAirを購入。ここまではムダ遣い(?)ではあるが失態ではない。失態はiPadのデータ移行で、バカなことに、よく考えもせず自分のiPadを初期化して奥さんに渡してしまったのだ。さて新しいiPad Airに自分のデータを移そうとしたらiCloudにデータがないという(顔面蒼白)。ネットで見たら2台のiPadを並べておいて起動すれば自動でデータ移行するという。正しくはまず新しいiPad Air に自分のiPadのデータを移し、それから初期化して奥さんのiPadから私の旧iPadにデータを移すというドミノ方式にすべきでした(急にですます調?)。
失態はまだ続いた。今月になって温水洗浄トイレのリモコンが動かなくなったので、たぶん電池切れだろうと交換してみたがだめなのだ。ネットで調べてみると、電池の次にはスマホのカメラ画面で赤外線が出ているか確認せよとあったので見てみたが、出ている様子がない。いよいよリモコン自体の故障だと思った。もちろん便座本体のパネルからでも使用可能だが、洗浄の強弱などはリモコンだけの機能なのでやはりリモコンは必要である。ところがネットでいくら探してもリモコンだけというのが売られていない。まず製造メーカーではすでに製造中止、購入可能な部品の中にリモコンがない。アマゾンのマーケットプレイスには本体の中古はいろいろあるがリモコンだけというのはない。そこでまた苦渋の決断、同じ型式の中古を本体ごと購入すればリモコンが手に入る。本体は今のが壊れたときの予備にすればいい。というわけで¥20800で購入。さすがアマゾンでわずか2日後に届いた。さっそくリモコンだけを取り出してトイレで試してみたがやっぱり動かない。えっ、なんでだ。これには焦った(- -;。困ったとばかりいろいろ試していると、なんと本体の赤外線受動部近くまで持っていくと動くではないか! つまりリモコンの赤外線が届いていないのだ。これでわかった。これまでリモコンが設置してあったところの上部に網棚があってそこにどっさりトイレットペーパーがおいてある。これが赤外線を遮断していたらしい。思い当たって以前のリモコンを持ってきて赤外線受動部に向けて試してみると、…動いた。以上が第三の失態。
今月齢七十三を迎えて少しは年の功や一日の長を気取っていたがなんのことはない。進歩というものがまったく感じられていない散々な年末となった。
最後に余談であるが、最初に書いた自治会長と国勢調査員の「いくばくかの報酬」とは、正直に書くが合わせて7万円ほどである。ゆえに足の出ること13万円で、こんな簡単な計算もできない自称数学者である。
これらの記事を書いているとき、テレビでこの年末に仕事を首になり、住むところも追い出された人のニュースをみた。年金を受けながら公営住宅に安穏と(でもないが)暮らしていられることに一抹の後ろめたさを感じている。これをツイッターにアップしようものなら炎上ものかもしれない。
2020年11月28日(土) 森博嗣「Wシリーズ」について
無能愚策(=GoTo)内閣ののおかげでコロナの第三波がひたひたと押し寄せ、全国的な感染爆発が始まってしまった。いったいどうしてくれるのか、菅さんよ!あなたが総理に留まっている限り日本の年寄りは毎日命の心配をしながら過ごさなくてはならない。頼むからすぐGoToは中止してくれ。そしてコロナを止められないのならすぐ総理大臣をやめてくれ、全日本国民の頼みだ。…と、まあ毎日コロナというより スカ政治の恐怖におびえながら、それでも残り少ない人生をなんとか楽しみたいために、Stay homeを守りながらいろんなことをやっている。まず、Apple WatchSEを買った v(^ ^)。散歩の楽しみが増えた。5年前まで毎日練習していたギターも始めた。「アルハンブラ」などせっかくいいところまでいっていたのにやめてしまったことが気にかかっていたのだ。読書はむか〜し読んだハンスリック「音楽美論」を再読。漫画も読み始めた(北条司「CTY HUNTER」)。もちろんハングルも数学も続行中、等々。
しかし今一番気になっているのは森博嗣先生のWシリーズである。これはおよそ二百年後の世界が舞台の、人類と「ウォーカロン」(Walk Alone)と呼ばれる「新人類」との存亡の物語で、すでに十数冊の文庫本が出版されている(らしい)。実はもう以前にシリーズ初めの十冊は読んでいるのを再読している(図書館で。すみません、森先生)。まだ続編のWWシリーズがあるので完結していない。
この小説で僕が意識しているのは人類社会の未来がいわゆる社会主義・共産主義体制になっているのかということである。こう書くと、やれまた共産党に洗脳された半可通が何か言っているゾと敬遠されることは承知の上だが、自分の思想の問題であるから他人の批判には関心がない。
森先生の小説では、その社会体制というところが曖昧で、依然としてまだ資本主義なのか、社会主義なのかはっきりしないのである。ただ、ウォーカロンを作っているという巨大企業が出てくるのでどうもまだ資本主義社会のようだと思われる。しかし、他面、世界政府といった機構も存在しており、人間は進歩した生命科学のおかげでもう死を意識しないほど長く生きられるようになっている(第1作の「彼女は一人で歩くのか?」の主人公は八十歳で、先輩の同僚科学者は百六十歳である!)。また発達した科学技術によって巨大な生産力が生み出されており、戦争・貧困やエネルギー・環境という現代の深刻な社会問題はほとんど解決されている社会なのだ。
このような社会では、労働者たちはひとつの企業で首切りを恐れながら資本に服従する存在ではなく、その労働はすべて社会的労働であり、生産力の膨大な発達のおかげで生活に必要な物資はだれもが自由にどこででも受け取れることになっている。人格としても独立した社会的存在であり、シホンなどというもののくびきからは完全に自由である。このような社会は社会主義、いや、もうすでに共産主義社会といっていい。もう資本主義など存在の意味がないのである。
森先生のこの作品のテーマはそこではなく人類の存亡である(といっていいかな)。というのはこの時代の人類にとっての最大の問題は子供が生まれないことなのだ。その原因はよくわかっていないが、どうも人間が死ななくなったことと関係があるらしい。またウォーカロンはあらゆる面でほとんど人間と変わらない存在にまで発達している(それどころかあらゆる能力において人間を凌駕しているのだ)。主人公のハギリという科学者の研究が人間とウォーカロンとを区別する技術であることがミステリィの根幹となっている。
一息いれよう。
季節外れの桜?(11/22) 名古屋市北区米が瀬町の公園(名称不明)にて
もうひとり、ヒロインといっていい登場人物がハギリをガードする特殊工作員(?)のウグイという女性だ。彼女の身体能力が凄まじい。ウォーカロンだろうと思われるが、わからない。この二人の関係も小説の重要なテーマである(らしい)。とにかくやや遠い未来を描いた実にリアルなSFミステリィである。ただ、私も実は数十年前になるが、こうしたロボットが登場して、いずれは人類の後継者となるというSFを思い描いたことがある。「タケル」という名のロボットとして短編を書いたりした。遅かれ早かれ人類の後継者はこのようなロボットの進化したものになるのではということは、意外と多くの人が考えているのではないか。有名な手塚治虫先生の「火の鳥・復活篇」のロビタなどはそのすばらしい具象化であろう。ロビタは人類にとって考えうる限りもっとも友愛的なロボットで、これ以上の能力を持つと人工頭脳が人類を支配するというディストピア的世界が生まれてくるのだろう。森先生のWシリーズは人類の未来が決してバラ色ではないことを示唆している。。WおよびWWシリーズの究極のテーマが「人間とは何か」だというのは間違いのないことだろう。
2020年10月28日(水) 魔の1−√-5
ここ数ヶ月の数学三昧が一段落して、やっと「イデアルとは何か」の論文を更新した(本HP「小論文」のコーナー)。当初は「平方剰余の相互法則」の証明だけを書き直すつもりだったのが、論文最後の例題問題がどうしても解決しなくてそれだけで二ヶ月かかったのだ。その例題とは「x2+5y2=1314684641」の整数解(x,y)をイデアルを使って求めるというものだ(1314684641=541×1223×1987。それぞれ100番目,200番目,300番目の素数の積)。これは確かに解けたのだが(解:(x,y)=(273692, 106362), (315692, 79762),復号±略.以下同様)、解答の途中 1+√-5 で割りたいのにどうしても1−√-5 しか出てこないという壁にぶつかった。これはまだ自分がイデアルについての理解が乏しいのではないかと考え、テキストの「初等整数論講義」(高木貞治著)を何度も読み返し、何か思いついたら再計算というのを二ヶ月繰り返したのである…。しかし結果は惨敗であった。壁は越えられなかった。
ではなぜ正解できたかというと、割りたい数の因数の中に 1−√-5 はなかったが、1+√-5 はあったので試しに割ってみたら正解にたどり着いたのだ。二次体の整数Z[√-5](整数と√-5からなる数の集合)の中では1+√-5 という数は非常に重要な数なので、そこの追求が足りないのだろうといろいろ工夫してみた。
今日のボウイ。日向ぼっこを見守る義母
ところが、この解答の途中で(3,1+√-5 )というイデアルが出てくるのであるが(これをなぜイデアルというのかはここでは説明できないm(_ _)m)、これを(3,1−√-5 )というよく似たイデアルに置き換えると別の解答が出てくるのである! またしても1+√-5 と1−√-5 の違い! しかしこれは「共役イデアル」ということで代役が可能である。よって無事に(x,y)=(2,11), (22,5) という別解を得た。こうなるとまだ他にも解があるのではという疑心暗鬼が生まれるが、そこは「このあたりのことは「講義」による二次体の理論をいっそう究めることで理解されるであろう.」という文句で逃げることにした。これはつまり自分に言いきかせている言葉である。
「初等整数論講義」を初めて手にしておよそ三十年、「石の上にも○年」という言葉があるが、先日「赤旗」本紙の読者欄に同名のコーナーがあったので、最近の心境を投書してみた。今の所まだ掲載されていないが…。
2020年09月27日(日) 国勢調査と草刈り
アベがやめてスガになった。何も変わらないどころかもっと悪くなりそうである。早速「自助・共助・公助」や悪質女子議員のセカンドレイプ発言が不問に付されるなど、新政権としての謙虚さなどどこにも見当たらない。いよいよもって野党統一の政権交代に依る以外、日本の未来はない。
今日のボウイ。遊び疲れて一休み。
しかし一方、社会活動(といっていいのか)としては自治会長職も全う(?)しているぞ。今月から来月は国勢調査の「調査員」がけっこう大変だ。自治会長が国勢調査までやるのかといえば、自治会長は区政協力委員でもあるため、その委員会の推薦によって半ば強制的に決められている(らしい)。準備から後始末までほぼひと月がかりである。一ヶ月前に説明会があっったが、その日に調査票が宅配で届いた。テレビのコメンテータが「調査票配るだけでン万円ももらえるの?」などと呆れていた人がいたが、たしかにそのとおり。ただ、ダラダラ使命感が続くだけでもしんどさはあるぞ。一番面倒だったのは下準備で、配布前の調査票に調査員が色々記入するところがある(何を書くかは守秘義務)。これを間違いなくやるのはけっこう大変で、実際あとで気づいて記入をやり直したことが二度ほどあった。マニュアルにボールペン不可とあったが成程と思った。何事も事前によく仕組みを調べておかないといけない。昔、十代のころ町工場で旋盤工をしていたとき、先輩から「削るのは簡単、むずかしいのは段取りだ。段取り八分といってな」といわれたことをこれまでにも何十回と思い出したものだ。次には調査票は一軒一軒に特定されているので配る家を間違えないようにしなければならない。これも簡単そうで神経を使う。無事配布が終わったときは心底ホッとした。実はコロナ禍のおかげ(?)で、会話はインタホン越しに限るなど、調査内容の聞き取りなどは大幅に自粛しなければならないとのこと。で、今回の調査はおもにネットで回答するよう強く勧められている。そして調査票の回収は基本なし。これはありがたかった! 日程の区切りごとに役所から確認の電話が入るが、今の所失敗はないと思う。あとは十月半ばに督促のチラシを配布して終わり(のはず)。
もう一つ、大変だったのは夏場の草刈りだ。自治会長というのは要するに掃除当番のようなもので、日々見回りをして気づいたところを掃除するのだ。ありがたいことに住人の中に掃除や剪定に熱心な人がいて木や花の世話はおまかせしているが、雑草の始末は月イチの一斉清掃だけではその生命力に敵わない。で、自分なりに気づいたところの草刈りをやろうと。ところが、自治会の倉庫にある草刈機(刈払機)が故障していて、これでは鎌での手作業になってしまい、とても無理。機械の修理も考えたが、申し込んで預けてしばらく待って云々で埒が明かないと思ったので、思い切って自費購入した。自治会費での購入も考えたが、修理したらという住人もいたのでモメたくなかった。自分が買ったのはリチウムイオンバッテリーで動くヤツで、力は弱く駆動時間も短いが軽くて音も静かだ。実際使ってみるとバッテリーが切れる前に自分が暑さでバテるほうが早いくらい。音はまったく気にならない。ガソリン仕様の機械はうるさいなあと思っていたからいい買い物になった。
←8月3日
←8月6日
ここは昔、浄化槽だったところだそうで、本来は住宅供給公社がやるべきだと思っているのだが、あまりに雑草がひどいので一番気になっていた。とてもさっぱりした。…ところがひと月も経つとまたぞろ元通りになってしまう。で、おととい昨日と(少し涼しくなったので)また刈ってきた。夏の草刈りの一番の敵はもちろん暑さだ。何度も熱中症の危険を感じた。後始末も入れて作業は一時間が限界(先日観た「世田谷ベース」で所さんが「夏場の作業は後始末で命取りになるから気をつけましょう」といっていた)。また虫も無視できない(シャレではない)。首から蚊取りマットを下げているが、それくらいでは命がけで血を吸いに来る蚊を追いやることはできない。毎回数カ所は覚悟しなければならない。でもやり終えた後の爽快感はけっこうハマるかも。
あと、どうでもいいことだが自宅から草刈場まで50メートルほどあるところを、長靴を履き麦わら帽を被って草刈り機を下げててくてく歩くとき、ゴッホの「仕事に出かける画家(Painter on his way to work)」をいつも思い浮かべている。
2020年08月30日(日) 「私本太平記」
おととい(28日)、あれほど待ち望んだ安倍首相の「辞任」が急遽実現することになった。しかしそれは国民の批判に圧されての世論の勝利とはいえない残念な幕引きである。結局は第一次安倍内閣と同様健康上の理由となった。ともあれ、8年に及ぶ悪政に一応の幕は降りるが、問題はその引き継ぎである。自民党内の現状からは次期総裁候補は菅官房長官の呼び声高く、「アベノミクスとアベノマスク」に象徴される愚策・悪策の延長が必至である。党内「反」安倍の筆頭ともいうべき石破氏はすでにカヤの外の様相を示している。相変わらずの国民無視はどこまで続くか、この日本。…などと柄にもなく政局展望などを述べつつこの頃は吉川英治「私本太平記」を読み耽るのが、わが日常の三本柱のひとつとなっている(他の二本はもちろんハングルと数学)。「私本太平記」とは、私にとってとても懐かしい響きのある名称であって、一抹の郷愁さえ感じられるのだ。というのは、きっと誰でもある少年期の思い出の一つ、新聞の連載小説である。当時、貧乏な我が家にも新聞はとられていて(たしか「中部日本新聞」)、連日吉川英治の新聞小説が連載されていた。「新・平家物語」や「新・忠臣蔵」(舟橋聖一)などの記憶もかすかにある(ただ、すべて中部日本新聞だったのかはかなり怪しい。Wikpedia によれば「私本太平記」は毎日新聞に掲載とある)。
そんな新聞小説にノスタルジがあるというのは、自分でもそれをマネして小説(とまではいかない雑文)を書いてみるようになったからだ。たぶん小学高学年くらいと思う。白紙ノートに挿絵も自分で描いて、毎日は無理だが連載第何回などと悦に入っていた。だから「私本太平記」がどんな小説で作者は誰だったかはまったく記憶にはない。ただ、新聞に来る日も来る日も延々と続く不思議さに圧倒されていた。
長じて本物の(?)「太平記」(岩波古典文学体系)などもちらと見たりはするようになったが、「私本」が付いていないので印象は別物だった。しかしNHK大河ドラマの「太平記」をリアルタイム(1991年)で観たとき(現在NHKーBS日曜早朝で再放送中)、その面白さに新鮮な興味を持ち、その原作者が吉川英治であることにたどり着いたわけである。
とにかく長い。 いま読んでいる厚い文庫で八冊、およそ四千ページに及ぶかという超長編である。とても一度に図書館の貸出期間では読みきれない。たぶん新聞連載では軽く二千回は越えていただろう(ざっくりの計算では2800日分!)。しかも毎日みごとな挿絵入りだった(あの杉本健吉画伯だったのだ。by Wikipedia)。今読んでいる文庫の表紙にも当時の挿絵ではないが美しい武者絵が載っている(装画 佐多芳郎画伯)。
講談社 吉川英治歴史時代文庫(楠図書館蔵より)
(以上は多分に Wikipedia を参照。記憶と違う部分もあるが、自分の思いのままに書いた。)
2020年07月23日(木) With COVID-19
相変わらずのコロナ禍のさ中、GoToキャンペーンなるものが昨日から始まり、日本中に前代未聞の混乱が起きている。為政者の無策どころか愚策によって弱いもの貧しいもの小さい者たちが生活から命まで危険にさらされている。わずか10年足らずで日本は世界に例を見ない後進脱落国になってしまった。もちろん時の権力者たちの悪政が主たる原因ではあるものの、それをよしとしている(?)国民の政治的選択の結果である。そんな時でもコロナ禍をいいことに引きこもりを決め込み、ひたすら我が道を歩む我輩はそんなことを言えた義理か!この1か月は数学三昧である。きっかけはやはり散歩で、かねてよりの懸案であった整数論での「ガウスの予備定理」をどうするかについてヒントが浮かんだのである(「どうするか」とは、これを使わずに「平方剰余の相互法則」を証明するにはどうするか、という意味)。
もう二年前になるが、「平方剰余の相互法則の証明」という小論文を仕上げて、やれ、これで平方剰余ともお別れを決め込んでいたが、日が経つに連れ、もやもや感が沸き起こり、どうしても「ガウスの予備定理」なしで証明を成し遂げたいという決意に変わっていった。ヒントとは有限体とその乗法群を使うことであるが、もう一つ肝心なのは有限体の元に別の元をかけることを置換によって表せることに気づいたことだ。その置換が偶置換であるか奇置換であるかによってその元の平方剰余・非剰余が決定できるのを「発見」したのである。その証明は意外に簡単であったが、問題はその後で、ガウスの予備定理にある負の元の個数が偶数・奇数であることと置換が偶置換・奇置換であることの同値の証明がむつかしいことだ。ここでぱたりと歩みが止まってもう1週間になる。さらなる女神の降臨を願って散歩もしてみるが簡単に女神様も降りてきては下さらない。
ただ、遅々としてではあるが、まったく進んでいないわけではなく、この置換がかなり特殊なものであることや、ゆえに独特の性質をもつことがわかってきた。この性質をつきつめていけば…というかすかな希望はある。
今月からまた塾の仕事が始まった。実は6月初めから塾は始まっていたのだが、我々老人はコロナを恐れ、現場復帰を躊躇していたのだ。老人仲間のS先生などは「我々はかかったら(感染したら)イチコロだからね」と冗談ながら深刻な顔で話していた。しかし、いつまでも復帰しなかったのでいつも一緒に勉強していた生徒から「せんせー、いつ来るの?」と電話で催促され、「年寄りはコロナが怖くてね」といったら、「でもHせんせーは来てるよ」と返された。H先生は私より5、6歳お若い方だが、生徒からみれば似たようなものだ。熱心な方で塾再開と同時に復帰されていた。で、返す言葉がなく、「じゃあ、来週から行くよ」。というわけでやっと重い腰を上げたのである。できたらまだしばらくは引きこもりを決め込んでいたかったのだが、復帰してみると生徒たちの活き活きした様子が何よりの滋養になり、これが「元気をもらう」ということかなと感心したことであった。
2020年06月25日(木) 播州平野と放浪記
この数か月、もともとが引きこもり気味の生活だったところへコロナ禍のおかげでますます外に出なくなった。週二回の塾の仕事も「自粛」となり、出かけることといえば自治会長の仕事とリハビリを兼ねた散歩くらいである。おかげで自分のことに使える時間がぐんと増えた。ハングルの勉強も進んでいるが、今年の検定試験(6月)が例によって中止になったので半分はホッとしている。4級の模擬テストを自分でやってみるととても合格ラインには届かない。受験して不合格よりは試験が中止になって一年延びるほうが気持の痛みが少ない?
読書でいえば、もう数十年前に買った角川書店の昭和文学全集を読破するチャンスだと心得、まず宮本百合子(全集8)に取り掛かった。「伸子」「「播州平野」「風知草」「二つの庭」が収録されている。「伸子」はもうはるか昔に読んでいるので「播州平野」から始めようと思った。
共産党員として戦前戦後の混乱期を生き描いてきた作者の戦後第一作(1946年3月から連載)である。敗戦が決まり、疎開先の東北・福島から網走刑務所の夫を迎えに行こうとした主人公ひろ子が、ある事情から夫の実家である中国・山口へ行くことになる。山口での水害、さらに東京に帰る途中関西・播州平野までのその旅程における様々な体験を通して無数の日本人の敗戦直後の生態が実に生々しく描かれている。私小説風ながら作者のはっきりとした階級的視点が貫かれている作品である。
いっぽうで、理不尽極まる弾圧によって引き裂かれてきた夫・重吉への主人公の内面的連帯には作品の私小説的性格が強く現れており、作者ほど強い階級的意識を持たない者にとってはある距離感を抱かせる。支持はできても共感はしにくいのだ。この点は本作以降にはもっと強く表され、それが百合子の「大衆的人気」の獲得を得難くしている。作者が戦後の作品によって表現した強い社会性と階級性は、反対に「貧しき人びとの群れ」「伸子」の持つ大衆性とロマンチシズムを「克服」してしまったのである。
このような感想を持った私は、百合子は「播州平野」だけで終え、次の林芙美子(全集19)に移ってしまった。百合子と芙美子を比較してみたくなったからである。二人は六歳違い(5年10か月百合子が年長)ながらほぼ同時代の女性作家として戦前戦後を通じて独自の文学的道程を進んだ。芙美子の「放浪記」は、リアルタイムで見ていたNHK・朝ドラの「うず潮」(1965年)への共感から一度読みかけていたが、日記体という体裁が当時の自分の好みに合わず、以降はまったく作品に接することがなかった。むしろ後に(テレビで)観た映画「浮雲」「めし」の原作者としてのみ意識していた。
今度、「放浪記」をじっくり読んで、日記体の筋書き不明にも慣れたのか大変おもしろく読んだ。貧乏という自分にも親しい(嫌いだけど)感覚がある意味懐かしく蘇ってきた。もちろん今でも自分は貧乏だが「放浪記」の貧乏とは違う。住むところや社会保険があり、ライフラインが整っていてインターネットまで使えるこんにちの「貧乏」とは比べ物にならない。ただ、「放浪記」の主人公が繰り返す人生への絶望感には強く共感できる。若いときの自分が持っていた将来への不安と重なるのだ。ここが百合子と違う。それは百合子への批判というより自分の進歩の無さに対する忸怩(じくじ)である。われわれ(自分)はあんなに強くは生きられない(生きられなかった)という情けなさである。だから芙美子のほうにより親近感を感じてしまう(次作の「清貧の書」にも同感)。芙美子には作品のいくつもの映画化があるのに対して、百合子にはそのようなものはない(百合子自身を描いたものはあるようだ)。将来においても百合子作品の階級性を主題とするような映画が作られることを想像することはできない。こうした比較は作品の性格の違いであって、その出来不出来や作家の人間性とは関係のないことである。
2020年05月23日(土) 二度目の会長
新型コロナウイルスと検察庁法改定案関連のニュースに関しては多々言いたいことはあるが、そのほとんどがツイッター上で述べられているので同意見に「いいね!」を押すことで自分の意見を表明している。あえてここには書かない。結論的には、コロナについては流行の第二波に対して検査体制を完備すること、検察庁法改定案には反対(ただし国家公務員法改定案には賛成)、そして1月の黒川東京高検検事長の定年延長の閣議決定は撤回を望む。なにより安倍内閣に責任をとらせたい。
庄内緑地公園のバラ園(2019/05/24)(クリックで拡大)
前回こちらに転居して1年ちょっとで選ばれたのに比べれば、今はいろいろ様子もわかっているのでそれほどのプレッシャーはないが、この会長職は自動的に名古屋市の「区政協力委員会」の一員にもなるので、その方の荷が重い。なにしろ神経痛と腱鞘炎である。ちょっと出かけるのにも着替えに一苦労し、歩くのに杖に頼る生活が続いた。それもあっていろいろ失敗もした。
失敗のひとつといえるかもしれないが、我が家の固定電話では登録してある人以外の電話には出ないことにしている。私への連絡がつかないといっていくつかクレームが来た。「携帯の番号を教えて下さい」というので「携帯は公表していない」とことわると、「じゃあお宅の電話に登録してください」とキレ気味に言われた。ごもっともである。で、かかってきそうな人の電話番号を何人も登録したが、なんだか時代錯誤な感じを強くした。携帯の電話番号は訊くのにメルアドは訊かないのである。携帯電話がフツーならメールもフツーだろうになぜメールでやりとりしないのだろう、このご時世に。…と思ったことである(思っただけで言わないが)。
ひとついいこと(?)はコロナのおかげでいろんな集まりや行事が中止になり、そのぶん楽をしてる。一番嬉しいのは区政協力委員会の会議の中止が続いていることである。会場まで行って入り口で回覧物をもらってくるだけでいいのだ。それで済むならコロナ禍が過ぎてもこのままであってほしいと願っている。
私たちの団地ではどの棟でも月一回の全員による棟清掃が決まっているが、棟によってはコロナのため清掃を中止しているところがある。ウチの棟はちゃんとやっているのだが、それに文句をいってきた者がいたらしい。自粛警察?とも思ったが、一応ウエ(自治会の連合組織)におうかがいを立てると「外だし、三密をまもっていただければOK」ということだった。
縁起直しに書いておくが、神経痛の方はもうかなりいいようだ。とにかく心がけたことは無理しない程度に運動すること。まずは足踏みから始め(2015年に買ってもらったヨガマットが役に立った)、100歩、200歩と増やしていき、1000歩くらいできるようになってから外に出てみた。初めは外でも家の中でも杖を使っていたが、今月中頃から杖無しで歩けるようになった。腱鞘炎は手術もありますよと医師に勧められたが、気がすすまないので多少長くなっても自然治癒を目指すことにする。半年は覚悟している。
2020年04月26日(日) 腱鞘炎と坐骨神経痛とコロナ…三重苦
最初に断っておくが、ウチではいまのところ誰も新型コロナウィルスには感染していない…たぶん。(^ ^;このブログではG腰(注:ギックリ腰)のこと以外にはあまり体調のことは書かないのだが、今回は腱鞘炎と坐骨神経痛のダブルパンチの上に新型コロナウィルス(以下コロナ)への恐怖心との「三重苦」ということで特別に書いておく、自戒を込めて。
右足の異常は半年くらい前、去年の秋ごろから意識し出した。散歩していてなんとなく重く、膝が上がらない。やがて膝が痛むようになり、次に足を前に出すと尻の神経がビリッと痛むようになった。腰痛が数十年越しの持病だからそのせいかと思っている。自己診断で「坐骨神経痛」ということにした。現在も基本的に症状は変わらず。
次に、先月3月ごろから左手首が痛み出し、市販の湿布薬を貼っていたがさっぱり良くならない。ついには夜眠れないくらい痛むのでとうとう近所の整形外科のお世話になった。時節柄、まず電話して発熱のないことを申告してから診察を受けた。若い先生が1分で「腱鞘炎です」。念の為レントゲンも撮ってもらうが診断は変わらず。湿布が効いていないことをいったのでステロイド注射をしてもらい、手首を保護するサポーターをもらう。服薬はない。効果てきめんで翌日には痛みがかなり軽減する。しかし数日したらまたぞろ痛み出し、現在に至る。
そしてコロナだ。一昨日の岡江久美子さん死去のニュースは本当に驚いた。そして背筋のゾッとするような恐怖を感じた。われわれの年代では感染即ち死といっても過言ではない。ウチでは誰か一人感染すれば一家全滅になるだろう。今の状況では病院は頼れない、救急も受け入れ先がないかもしれない。結局は自宅待機で突然容態が悪化して死んでいくのだ。
この期に及んで、まだPCR検査は進まず、発熱外来も遅々として進んでいない、後手後手の政府のコロナ対策は誰が見ても明らかに失政だ。政府は営業自粛を呼びかけても休業に補償はしない。それでも選挙では自民党が野党統一に勝つのだ(今日開票の静岡4区補欠選挙の結果)。もう今の日本には真っ暗な未来しかない。
ことほど左様にコロナへの恐怖とは、病気そのものへの怖さよりもそれに対する日本人の甘さへの怖さだ。政府・内閣の危機感の薄さ、与党・官僚の政策能力のなさ、そして自粛よりも遊びたい方を選んで他県にまで出かけるノー天気な大衆。こうして日に日に日本の滅亡が近づいている…。
この先コロナに対する予測としてもっとも恐ろしいのは、このコロナ禍はこれからもずっと続くだろうということ。1年くらいでは収まる気配はない(新・新型コロナウィルスの発生)。東京オリンピックは中止となり、経済は地に落ちる。とんでもない不況がやってきて、暴動があちこちで起き、政府はそれこそ「緊急事態宣言」による国民の権利制限に乗り出し、ますます独裁化を進める。ABE政権はついに憲法改正の野望をコロナによって達成する。国会は翼賛議会と化し、共産党(保守も含めて)は非合法化される。国民はこぞってそれを歓迎する。その兆候はすでにいろいろなところに現れている。
…そうならないことをせつに願ってこれを書いておく。
2020年03月23日(月) 新型コロナウィルスとの戦い
新型コロナウィルス(以下コロナ)の攻勢に人類が苦戦している。日々クラスター感染、株の暴落、新たな患者数と死者の数が発表され、明るいニュースが一つもない。希望的観測としては若者や子供は感染しても軽症で済む場合が多いとか(これが逆に問題)、すでにあるいろいろな薬が効くかもしれないという憶測だけだ。
厚労省のHPで見るコロナ感染者数は3月23日現在で960名、死亡者41名となっている。これとは別にクルーズ船「ダイアモンド・プリンセス号」における感染者(PCR検査陽性者)712名、死亡者7名である(https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10385.html)。しかし世界では同日現在で患者数332,930人、死亡者14,510人(WHO発表 https://www.who.int/docs/default-source/coronaviruse/situation-reports/20200323-sitrep-63-covid-19.pdf?sfvrsn=2176eb7a_2)。
毎日「羽鳥慎一モーニングショー」で岡田晴恵氏を観る。わかりやすい理論立てでどのように疫病と戦うべきを提言している。しかしなかなかそれが実現されない。毎日同じことを提案しているのにそれがいつまでも実現されないという岡田氏の苛立ちかあせりのような素振りも垣間見え、観ているほうもつい感情的になる。後手後手の思いつきのようなコメントしか出さず、ろくに記者会見もしない安倍首相に悪態を突く。
手を洗う、睡眠をよく取る、散歩する、…、コロナに対して私がやっていることはこのくらい。「巣ごもり」という言葉も聞くがそれに近い。我々のような比較的元気な年金生活者はまだいいが、介護をする人される人、重い病気の人たちは毎日が恐怖である。この恐怖を取り除くことこそが政府・自治体の急務である。そしてすぐにPCR検査の拡充と発熱外来の設置(岡田氏の提言)を実現してほしい。
今月は先月の機種変に続いてNTT・Bフレッツをauひかりに変更したことについて書こうと思ったのだが、今、世界がコロナとの戦いのさなかにあり、そんな暢気なことはいっていられないと思った。これはまた後日。
2020年02月25日(火) ついに機種変更!
この一年、われわれ夫婦はKDDIの回線でiPhone7plus(夫、SIMはiPhone5)、及びiPhone5c(妻)を「愛用」してきたが、最近 auの3G回線について「2022年3月で使えなくなりますので機種変更を」という案内が何回も届くようになった。
'19年12月に届いたもの。この中のおすすめ機種にはiPhone8はない
ところが、いざ契約をと手続きを進めると、iPhone7はすべての色で在庫切れ。iPhone8ならあるのだが、高い(今年はちょっと無理ができないのだ)。どこまでいってもツイてないと思ったが、サイトを見ていてひとつ気付いたのが、auショップではなくて大手家電メーカでも機種変やUQ、Y!モバイルを扱っていることだ。ではいつも利用しているKデンキに相談してみようと考えた。店に行って応対してくれた女性店員にその旨話してみると、「UQへの乗り換えには途中契約解除にともなう違約金¥9500/人が発生致しますが、もし一旦auで機種変されてからなら違約金が¥1000/人になります」などとおっしゃるではないか!さらに「お客様のご契約されている機種は現在3G回線機種変更キャンペーンということで新機種が大変お値打ちになっており、いろいろ合わせるとiPhone8が無料になります」
「えっ、む、無料?!」「はい、しかも新機種なのでご契約でも1ギガで収められれば月額を初年度3千円台に出来ます。ですからどうしてもUQ乗り越えということでなければそのまま1年位ご使用されてもと思います。」「その手続はここで全部できますか?」「はい」
…というわけで、じゃあ勿体ないが私の iPhone7plusもいっしょにということで、結局 iPhone7plus(実はiPhone5)と5cが二台とも0円でiPhone8に替わった。ついでに固定電話回線もNTTからauひかりに変更してしまった(いま流行りの一つにまとめるというヤツ)。おかげで手続きに二時間ほどかかったが帰りには新品のiPhone8を二台受け取って帰宅した。
それにしてもこの家電量販店での応対の見事さには感心した。特定のキャリアの利益よりは顧客の望みをよく聴いて一番良い方法を教えてくれる。固定回線まで変更させられたのはうまくノセられた感も無きにしもあらずだが、別に後悔はない(来月切替工事の予定)。キャリアショップとはずいぶん違うことを認識させられた。最近のショップは仕事の半分が高齢者の携帯相談所と化しているとも聞くが、全体に契約内容や料金体系が複雑化し、携帯電話の性能もどんどん高度化しているのでこれからますますその傾向はひどくなるだろう。それがキャリアショップの中心的な業務になると思うし、それでいいのだと思う。
2020年01月29日(水) 二つの「死者の書」
一月ももう終わりである。今月行なったことで心に残った読書を。折口信夫著「死者の書」。「死者の書」はついぞ知らない本であった。きっかけは散歩のとき聞いていたNHKラジオ第二放送の「カルチャーラジオ『死者の書』~古代エジプトと折口信夫をめぐって」であった。折口信夫は私にとってずっと以前日本古代史に関心があった折よく見聞きした名で、古代民俗学者で和歌も詠む人という印象であってもその著書を読むことはなかった。「死者の書」という「小説」を書いていることもこの番組で初めて知った。番組の内容は、折口が古代エジプトのピラミッドにあったという「死者の書」の影響のもとで同名の自著をものしたというのである。十数回に及ぶ講演内容すべてを聴いていないが、どういうわけか強い関心を持つことになった。幸い自宅にある古い日本文学全集に「釋迢空」(折口の筆名)集もあり、その中に「死者の書」も入っていたのである(角川書店「昭和文学全集43 高濱虚子 釋迢空 日夏耿之介集 昭和二十九年八月初版発行。同書年譜によれば執筆は1938(昭和13)年)。
作品は平城京の中期、難波と飛鳥の境にある二上山頂の墓の中の大津皇子(小説では滋賀津彦)が数十年来の眠りから目覚めて延々独白するところから始まる。謀反の罪で賜死の際に見初めた耳面刀自姫への強い情念がなぜか藤原家の第一嬢子(郎女=姫)に及び、まるで神隠しのように郎女が二上山麓の萬宝蔵院(當麻寺)にひとりやってくる…。
このあと主人公郎女のこれらに至るまでが描かれる。郎女の繊細な心情の描写が至るところに散りばめられ、作者の古代研究の賜物である美しい大和言葉が読者に強い印象を与える。郎女はこののち蓮の茎糸を用いて二上山の頂に見た俤人のために「五十條の大衣とも言ふべき」曼荼羅を仕上げる。それが今に伝わる奈良・当麻寺の国宝「當麻曼荼羅」となる…。すなわちこの郎女のモデルは当麻寺の中将姫伝説に採られているのである。
今ひとつこの作品に関して特筆したいのは、関連記事をネットで見ていて発見した漫画、近藤ようこ著「死者の書」(発行 株式会社KADOKAWA 2019年3月初版第4刷)である。折口の原作を忠実に漫画化した入魂の傑作である。迷うことなく購入した本のオビには「日本幻想文学屈指の傑作を初読四十年にして、入魂の漫画化―。」とある。少々おおげさに見えるこの文句も一読すれば納得できる。郎女を始め大伴家持や藤原仲麻呂など多彩な登場人物それぞれの形象化が見事で、読後また原作を読み直してみることで今度は原作の難解だったところが逐一理解できるのである。これは作者の目指す「死者の書・鑑賞の手引」(上巻あとがき)になればという願いが如実に叶っていることになる。
この作品でおそらくもっとも美しいと思われるところを抜粋してみよう。やや難読ではあるが、次第に文章の美しさに引き込まれていく妙を少しでも味わえるものになればと。(以下、強調文字は上記原作からの引用、フリカナも。「」の台詞は原作では「」なしの段落)
第七章より。當麻寺の結界を犯して忍び入った姫に寺僧たちが問う。「それで、このように具体的に筋を追うことができるようになったのも近藤ようこ氏の著書に依る処大であった。「長い宿題が終わった感じです。及第点がつくかどうか、それは読んでくださる人のまにまに……。」(下巻のあとがきより) ありがとうございました。御館 はどこぞな。」「みたち…。」「おうちは…。」「おうち…。」「おやかたは、と問ふのだよ――。」姫が答える。「をゝ。家はとや。右京藤原南家……。」色めき立った寺僧たちがただちに藤原家に使いを出す、藤原家から長老や乳母など迎えが来る。姫をお戻しせよ、いや、たとえ藤原家でも禁を侵されては物忌みして贖いしてもらわねば。…この膠着状態がしばらく続く。
第十一章は「ほゝき ほゝきい ほゝほきい―……。」で始まっている。これは鶯の鳴聲である。郎女は幼く聴いた語部の伝承に、昔、ある嬢子 が、多くの男の言ひ寄るのを煩しがってそれを避けるため深い山の林の中にただ一人入り迷い、ついには裳も、著物も、肌の出るほど、ちぎれて思わずさくり上げて來る感情を、聲に出したのが、この鳴聲となり、やがて袖は翼に、柔らかな唇はささやかな管のような喙 になってしまったという。千部写経の願半ばにいた郎女はこの物語の嬢子が、そのまま、自分であるやうな氣がして來る。
しかし、郎女は、仕える雑女たちの戯言から、鶯は「あれで、法華経々々々と言ふのぢやて。」法華経によって「女でも救ふ道が開かれた。其を説いたのが、法華経ぢやと言ふげな。」というを聴いて、自分もこの願を果たせぬままになれば「我が魂 は何になることやら。やつぱり、鳥か、蟲にでも生まれて、切なく泣き続けることであらう。」と思い巡らした。こうして蓮 の花がぽつちりと、莟 を擡げたやうに、物を考へることを知り初 めた郎女であつた。
第十二章。寺の禁を犯した郎女の処遇について、ついに藤原家の長老額田部子古 が態度を硬化、強引に連れ戻そうとするを、郎女の乳母 は、この上は姫の考へに任せようとて決断を問う。「御思案お洩し遊ばされ。」郎女が答えて言う。「姫の咎 は姫が贖 ふ。此寺、此二上山の下に居て、身の償 ひ、心の償ひした、と姫が得心するまでは、還るものとは思やるな。」乳母にとって頭の髄まで沁 み入るやうな、深い感動が呼び起こされた。かうまで賢 しい魂を窺 ひ得て、頬に傳ふものを拭ふことも出來なかつた。…
2020年01月04日(土) あけましておめでとうございます。
新年すでに4日。もう正月気分はないが、まだおせちの残りなどをいただいておせち本来の役割を果たさせている。恒例の真清田神社の一枚。代り映えしないがそれがまた良し。
1日は朝から飲んで日がな一日テレビ三昧の寝正月。2日は一同奮起して散歩がてらの初詣巡り。西八龍社(お餅いただく)、味鋺神社、少し足を伸ばして春日井白山神社。元日ではないせいか人手も三々五々。帰ってからスマホのヘルスケアを見ると7.5キロの9600歩。よく歩いた。S子(妻)さんも久しぶりによく歩いたと褒めてあげた。T子(妹)は毎日このくらいは歩いているので全然平気そうだった。
そして昨日真清田神社へ。さすがに大きな神社だけあって本殿はすごい人。去年同様ここを避けて末社の三八稲荷社にお参りする。真っ赤な千本鳥居が見事。千本はないがなかなか壮観である。ここでも一枚。
神社前の駐車場を出ると昼食時間だ。これも恒例化しつつある「うどん市」一宮店へ寄ってみる。まだ正午前だったので少し余裕があってクルマも停められたし席にもすぐに座れた。しかし注文して待っている間にどんどん人が増え、表の待合椅子に何人か座り始めた。12時を境にあっという間に満員となった。去年は自分たちもこの時間にやってきて諦めたのだった。10分ほどのことでずいぶん違うことを思い知らされた。
うどん市一宮店「小天丼付きかけうどん」¥880 (クリックで拡大)
2019年12月19日(木) 巨星落つ
あっというまに今年も暮れた。15日には還暦にもう一回り干支が追加(72歳)されてしまった。体重計の年齢設定を1年upするのがやりきれない。今月4日いきなり中村哲先生の訃報という衝撃的なニュースを受け、暗澹たる思いに苛まれた。これが戦争なのだとつくづく思った。
先生は私とほぼ同年代で、その功績は広く知られているが、私が知ったのは15年ほど前、テレビのドキュメンタリー番組だったと思う。なんてすごい人かと感動した。それからずっと関心を寄せ、ペシャワール会の会報もずっと楽しみに読んでいた。2010年のマルワリード堰完成の報告を読んだときには思わず「万歳!」と叫び感涙に浸った。先日、最新の会報が届き(No.142)、先生の「凄まじい温暖化の影響」と題し「二〇一九年一二月 ジャララバードにて」と後付された現地報告が冒頭に掲載されていた。まさに死の直前に書かれた報告だ。別紙として会による先生訃報の悲しい報告も同封されていた。会報発送の準備のさ中の訃報であったことを思い知らされた。悲しみの極みにある会の方々の思いが迫って、なんともいえない読後感に襲われた。
ノーベル平和賞の呼び声も高い先生だったが、やはりヨーロッパはアフガンからは遠かったようだ。もっとも先生が受賞したとしてもそれはむしろノーベル賞の方の権威が高まるだけかもしれない。それよりは先生は今年十月七日アフガニスタン・ガニ大統領より「アフガニスタン・イスラム共和国市民証」(アフガン名誉国民)を授与されたことの方を喜ばれていたようだ。
先生の死の意味があまりに大きくて、誰がやったのかとか、政治的背景はなどといった疑問はあまり浮かんでこない。それよりはこののちもアフガンでの事業を如何に引き継いでいくかを真剣に考えて行かなければならない。先生も当然それを願っておられることは自明のことである。「今回、アフガニスタン大統領から直接、このアフガン名誉国民の地位が与えられました。…これで文字通り現地に溶け込んだ活動になります。…私たちの試みが、この絶望的な状況の中で、多くの人々に希望を与えると共に、少しでも悲劇を緩和し、より大きな規模で国土の回復が行われることを希望します。」
(ペシャワール会報142「市民証授与後のメッセージ」より)。
アフガンの緑は消えず巨星落つ ―不善庵―
11月14日付記事の後日談:12月10日、ハングル検定試験の合否通知書が届いた。自己採点では54点で不合格とすっかり思い込んでいたのだが、なんと60点でギリ合格だった! 自己採点をやりなおしてみたら、2点配点を1点で計算していた問題が6問あったのだ。
ハングル検定協会HPで検定試験状況を見てみると、五級受験者数2,601人、合格者2,059人、合格率は79.1%だった。8割の人が合格しているのだから落ちていたらホントに恥ずかしいところだ。こうして見ると、あの試験日に出会った美しい人は私にとっての女神さまだったのだろう。(^ ^;
2019年11月14日(木) 名古屋地下鉄「桜通線」
名古屋に長く住んでいる者には名古屋の地下鉄といえばまず東山線で、次に名港線かと思う。子供時分から市バス・地下鉄をよく使っていたが、45歳でクルマの免許を取って以後ほとんど利用しなくなった。中川区にいたときはまず名駅か金山へバスで、あとは地下鉄に乗ったものだが、北区に引っ越してからは名古屋駅もすっかりごぶさたで(このブログ「2016年06月17日」付に「名駅散策」がある)、栄も妹の病院通いとApple store以外には行くところがない。それもクルマで行くので普段使いとしてはまず乗らなくなった。しかし、考えてみれば中川区にいた頃の名駅が今は黒川になり東山線が名城線になっただけともいえる。「桜通線」などはWikipediaによるとできたのは平成元年だそうであるからもう30年以上にもなるのに乗った記憶がない。それが今年はなんと2回も利用した。出かけるだけの用事があったのと、クルマでは行きにくいところだったからだ。
1回目は9月、今の仕事である塾講師のための研修会が桜山の某大学構内であったときに利用した。まず市バスで黒川まで出てから名城線で久屋大通まで行って桜通線に乗り換えるのである。このときたまたま吹上ホール(現在は名古屋市中小企業振興会館というらしい)で骨董祭があって、最寄りの駅が桜山の2つ手前の吹上というので研修会の前に寄ってみようと考えた。クルマで行くには駐車場探しが面倒だし、敬老パスのおかげで交通費は無料とくれば他に選択肢はない。
骨董市は見るには面白かったが、自分に買えそうなモノは何もない。ただ古書市のコーナーもあって、そこは興味津々。とうとう「朝日百科『世界の文学』日本Ⅰ〜Ⅲ」というのを買ってしまった(@200×3=600円)。これが5kgはあるかというクソ重い本で、これを持って研修会に行くのは無理なので、吹上の駅でコインロッカーに預け、帰りに我慢して持ち帰ることにした。こういうときにはつくづくクルマがいいなあと思ったことである。
2回目はついこのあいだ、今月10日にハングルの5級検定試験を受けるため車道まで行った時。ちなみに桜山へは久屋大通から6個目だが、車道は2個目の駅である。車道は私にとって懐かしい地名で、むかし(もう50年も前)妻のS子がまだ結婚前に愛知大学車道キャンパスの生協で働いていて、付き合っているときに会いに行ったことがある。S子が学生たちに冷やかされたという話を聞いた(ような気がする)。もちろん当時は桜通線はないので市バスで通ったのだと思うが、その辺はまったく記憶がない。
東山線は昔から乗りなれているし、名城線も北区へ来てからはちょいちょい乗っていたのであまり意識しないのだが、桜通線は格別の感があった。名古屋の地下鉄らしくないと思った。一番の特徴は「ホームドア」だろうか。各駅のホームすべてに柵がしてあってホームから線路が見えない。電車が止まるとホームドアの方が少し先に開き、電車のドアが開く。電車もなんとなくおしゃれでどこかよその街にいるみたいに感じた。
ハングル検定試験の日、桜山の駅を降りてエレベータで地上へ出たときに、別の出口から出てきた若い女の人に道を聞かれた。見ると自分と同じ「ハングル受験票」を持っている。試験会場を聞かれたのだ。「僕もここへ行くところですよ」「え、良かった。ご一緒していいですか?」と言われた。悪いわけがない。会場は歩いて5分くらいのところで、着いてみるとすごい人!ざっと50人くらいが外に溢れていた。列を作っているようで、どうも5階の試験会場へ上がるエレベータを待っているらしい。われわれも並んでエレベータを待った。女性の話ではハングル歴は1年位で自分の実力を知りたくて受けようと思ったとのこと。私とまったく同じである。話してるこちらが恥ずかしくなるくらい美しい人で、このままいっしょに試験を受けられたらそれだけで来たかいがあると思った。だが、幸せはここまでで、受験番号の違いから彼女とは別の部屋となり、泣く泣くお別れとなった。ちなみに、私の試験結果は100点満点中60点が合格なのに自己採点で54点。不合格となった。やはり会場に入るまでに運を使い果たしていたようである。
2019年10月21日(月) もう「異常気象」ではない
15号、19号と相次ぐ台風の襲来は多くの日本人に「もうこれは異常気象ではない」と気づかせている。「自然災害」によって毎年何万人もの被災者が出ていることが常態となっている。これが現在の日本である。まったく他人事ではない。いま現在(午後10時ごろ)も台風20号(今日午後温帯低気圧になった)による大雨注意報が出ていて大変な降り方である。三重県は19号に続く大雨となっている。明日の天皇即位の儀式も雨の中になるのか。この常態の第一原因が地球温暖化にあることは既に論を待たない。未だにそうでないと言い張っている人たちは世界的にももう少数派である。ただその少数の中に為政者が何人もいるのが問題である。彼らを支持する市民も温暖化を支持しているのではない。彼らは明らかに「わが亡き後に洪水来たれ」の信条の持ち主である。現在の自分たちさえよければ人類および地球の運命などどうでも良いのだ。
核兵器はほぼ一瞬にして人類の息の根を止めるであろうが、地球温暖化は真綿で首を締めるがごとくじわじわと我々の生活を破壊し、人類史の様相を一変させるであろう(ひょっとすると、人類はもうすでに幾度かの絶滅を経験しているのかもしれない)。
地球温暖化を止めるにはCO2等の温室効果ガスの出力を止め、あるいは減らさなくてはならないのであるが、世界の為政者の行なうことは明らかに逆行している。グレタ・トゥーンベリさんの怒りの根源がここにある。世界を変えるための力を持っている人たちがこのことに無関心どころか敵意さえ持ち、相変わらず経済最優先という選択をかえようとしないことに「よく、そんなことが言えますね。」と最大限の怒りを持って告発したのが国連温暖化対策サミットでの演説となった。
温暖化が平気なのは人から奪った巨大な富によって、いつでも快適な生活を維持できる1パーセントの人々だけである。それ以外の彼女を称賛する人もヘイトする人も等しく温暖化の「恩恵」を受けることになる。現にここ数十年世界で多発する巨大災害は人がどんな意見を持っているかに関係なく襲いかかっている。
地震や小惑星の衝突の危機に対して対策を行なっていることをヘイトする人はいない。温暖化も「人間の起こす自然現象の恐怖」として我が事とし、自分にできる行動を起こさなければならない。同じことなのである。
先日このブログでの「天使の交代」を報告したが、今度のボウイは写真を何枚撮っても天使に見えない。どうみても「悪魔」(?)なので、天使から悪魔に交代ということでこの画像にした。百枚くらい撮ったなかでいちばん写りのいいものを選んだ。もっとも悪魔も天使の仲間なのだからかわいいことには変わりはない。
黒い箱に入っているので体と箱の境目がわからない。
2019年09月12日(木) 消費税10%問題
10月から消費税が現行8%から10%に上がることを、もうテレビなどマスコミは既成事実のように取り扱っている。軽減税率導入に対してどんな買い物が賢いかなどという特集を放送しているくらいだ(テレビ朝日12日「羽鳥慎一モーニングショー 」)。しかし、この新税率導入は今でもやめようと思えばやめることができるはずで、そういう意見がまったく報道されていないことが腹立たしい。すでに多くの自営業者が軽減税率対応のレジスタなどを購入(補助金も出ている)しているため、今「中止」となると「何だよ、せっかく買ったのに!」というクレームも出ると思うが、しかしそれでもこれから先の大騒動を思えば今からでも中止したほうがいいに決まっている。テレビ局などはむしろその大騒動を手ぐすね引いて待っているのではないか。僕はふだん、自分の周りの人たちと政治について話すことはない。共産党を支持しているが、ことさらにその見解を広げようという行動を取っていない。だが自分が尊敬する人が自分とは異なる意見だと知ると、非常に興味を持ってそれを聞こうとする。中でも作家の森博嗣先生はもう十何年来ブログを読ませていただき、さまざまなことがらについて卓越した意見の持ち主であると尊敬している人である。僕がこのブログを始めようと思ったきっかけにもなった人で、ミステリィ作品もたくさん読んでいる(西之園萌絵のファンでもある)。
その森先生は、消費税について、
と基本的には賛成と述べられ、さらに少し前の2019年7月1日月曜日付では「デフレも消費税も歓迎します」と題して、僕は、消費税は嫌いです。少しでも安い方が嬉しいから、当たり前。税金も大嫌いです。だけど、消費税には賛成ですし、増税もしかたがないかな、と考えます。好き嫌いと、賛成反対は、別問題。(「店主の雑駁」2019年8月29日木曜日付より)
という見解を書かれている。これに僕はとても斬新な印象を受けて、読んだときあっと驚いたのを覚えている。こういう見方をする人もあるのだと思ったのだ。たしかにいつも「赤旗」だけを読んでいてこれを基準にマスコミなどをそれこそボロクソに批判している自分は、ある意味共産党の「洗脳」を受けているのかと思う。しかしそれでも消費税(増税だけでなく税そのもの)反対は自分の中で揺るがないので、森先生のお説には多分の違和感を覚えたのである。消費税を一番嫌がっているのは、企業でしょう。また、お金持ちも大金を支払う機会が多いから、2%は大きいでしょう。財界からは、消費税を上げるな、という圧力がずっとかかっているわけですが、その理由として、庶民が困るという理由を一番に挙げて、これは正義だ、と訴えるわけですね。沢山の人が、これを鵜呑みにしているようです。
まず、「消費税を一番嫌がっているのは、企業でしょう。」という意見には、中小業者にとってはまさにそのとおりで、税金分を消費者に転嫁したり、取引業者に増税分を支払ってもらうよう交渉することのいかに面倒なことかが想像できる。相手業者が大企業であるほどそれは難しいだろう。しかし巨大企業にとってはどうなのか自分には想像できない。また「財界からは、消費税を上げるな、という圧力がずっとかかっているわけですが、その理由として、庶民が困るという理由を一番に挙げて、これは正義だ、と訴えるわけですね。」に至っては断然同意できない。今の自公政権にとっては財界の意見を無視した政策を取ることなどあり得ないのではないか。「沢山の人が、これを鵜呑みにしているようです。」についても「沢山の人」は財界の「訴え」を鵜呑みにして反対しているのではないと思う。もし本当に財界がこぞって消費税増税に反対している(財界内部のごく一部には反対もあるとのこと。「赤旗」に登場したこともある)のなら、僕は日本の財界も捨てたもんじゃないと尊敬したいくらいだ。しかし、そのようなニュースは聞いたことがないからわからない。
「赤旗」に書いてあることで恐縮だが、消費税導入後、その大半は巨大企業の減税にまわされ、政権が導入や増税のいいわけにした社会保障のためという実感は殆どないのが事実であろう。大企業の内部留保が財務省資料でも2018年度過去最高449兆円(参考:しんぶん赤旗電子版2018年9月4日(火)付)などを読むと、とりあえず2%の増税分だけでもそこから取ってほしいと庶民は考える。そういう仕組を作りたいが、今の政府では絶対できないだろうから政権交代を目指す野党を支持するということになるのである。
…森先生の意見が、今は異国にいて潤沢な著作権料によって悠々自適の趣味生活を送っている人の戯言でないことを信じている。
2019年08月27日(火) またも天使の交代(ToT)
悲しいお知らせ。といってももう半年前のことだが、あのとてつもなく元気だった「ボウイ」(このブログの看板ネコ)がわずか2歳で亡くなった。死因と思しきはFIVウイルス感染症、俗に猫エイズとよばれている病気。ウチの猫たちは代々ノラばかりで(ボウイは珍しくもらい猫だったが)、たぶん誰かが保菌していたものが他の猫に感染したらしい。誰が誰に感染したかはわからない。延べ5匹いた猫たちが去年からあれよあれよという間にすべて死んでしまった(うち1匹は19歳というトシだったので老衰と思われるが)。
2月にボウイが逝って、しばらく無猫状態が続いていたが、5月20日、近くの公園で見つけた三毛のサクラ猫(ボランティアによって避妊手術を受けたメスの地域猫。手術中に耳の一部をカットした形が桜の花びらに見える)を世話をしていた人にことわって貰ってきた。これが「さつき」である(S子(妻)が命名。5月だから)。かなり大人だが、無邪気なところもあるので推定2歳とする(翌日獣医さんに診てもらったが、よくわからないらしい)。
来たばかりのさつきで〜す。もうこの落ち着き
さて、まだ話の続きがあって、実は天使の交代はさつきではない。さつきが来てから2か月後の7月末、今度は仕事で通っている塾に行く途中、ある工事現場でにゃーにゃー言う声を聞きつけ、自転車を停めて声の主を探した。石材と雑草の間に黒いものが蠢いていた。呼ぶと逃げようとするのでそっと近づきすばやく手に取った。まだ生後2週間くらいの目やにだらけの子猫(少しグレー混じりの黒)だった。真っ先に思い浮かんだのは妻の喜ぶ顔で、自転車の前籠に乗せてUターン、小さいくせに籠から這い出そうとする。元気だ。なんとか右手で押さえながら自宅へ急いだ。
家に入るや床に降ろして「子猫拾った。あと頼む!」と言うと、「あらぁ、どうしたの」と早くも笑顔の妻。「どうしたの、これ?」「拾った。詳しくはあとで」と言い残し、塾に戻った。
仕事から帰って様子を聞くと、部屋の隅の本棚に入って出てこないと言う。
「目やにすごかったから見えないかと思ったけど、拭いてやったらきれいな目。見たって!」
で、最初に撮った写真がこれ。
とりあえず「菜々」(7月なので)と名付け、翌日これも獣医さんに診てもらったらなんとオスだという。勝手に女の子と決めて菜々にしたが、カミさんの提案でまたしても「ボウイ」に改名。曰くこれで悲しい思いをせずにボウイという名が呼べると。何となくわかる気がした。
…というわけで、無猫状態から一変、急に2匹のネコが来たわけだが、当ブログの天使の交代はさつきではなくボウイに決めた(名前だけからすれば交代ではないかも)。いずれにしても、さつき、ごめんね。
(ブログ冒頭のプロフィール写真は近日交代予定)
2019年07月29日(月) 한글데 가크(ハングルで書く)
교넨 노 8가뜨가라 하저메다 한글노 오벤켜으 와, 지분데모 이가이마호더 네씬니 드드게르거더가 데기따. 서커데, 다메시니 거너 브러그 오 한글데 가이테 미르 거터 니 시타. 머지런 마다 '한국'데와 가케나이노데, 한글데 가이타 '니헌거' 데 아르.(去年の8月から始めたハングルのお勉強は、自分でも意外なほど熱心に続けることができた。そこで、試しにこのブログをハングルで書いてみることにした。もちろんまだ「韓国語」では書けないので、ハングルで書いた「日本語」である。)
벤켜으 노 허으허으 와,
① 헝야데 CD트기 노 데키스터 오 가으
② 데레비 노 '한글'커으자 오 미르
③ 히타스라 단거 오 어버에르
거너 3뜨데 아르.
(勉強の方法は、
① 本屋でCD付きのテキストを買う
② テレビの「ハングル」講座を観る
③ ひたすら単語を覚える
この3つである。)
한글 노 벤켜으 데 기드이타 거터 오 이그트카 가이테 미르. 마즈, 거터바 노 하지메니와 'ga', 'za', 'da'겨으 나더노 'daku-on'데 하지마르 머너가 나이 거터 (한닥엉('pa' 나더)데 하지마르 머너 와 아르. '베으다'[p𝜺uda]=나라으).
ハングルの勉強で気付いたことをいくつか書いてみる。まず、言葉の初めには「が」「ざ」「だ」行などの「濁音」で始まるものがないこと(半濁音(「ぱ」など)で始まるものはある。'베으다'[p𝜺uda]=習う)。
ここまで書くのに1時間!。疲れてしまったので中止。まだまだハングルが身についていないのだ。
テレビの講座は一年分のテキストを予約し、自分を追い込んでみた。4ヶ月経って今のところはまだテキストや番組に付いていっているが、番組の内容も(スキットはともかく)レベルが高くなってきているので油断はならない。とにかく単語を覚えるのに必死。
日本語を韓国語でなんと言うかを思い出すとき、連想して絵が浮かんでくればかなりの確率で思い出せる。
それでも現在せいぜい100語くらいだろうか。英語はもう少し多く覚えているが、英文も映画もさっぱりだめだから、韓国語の方は推して知るべしである。つくづく外国語は難しいと悟ったこの頃である。
一方、テレビドラマの方は勉強よりドラマの面白さにハマって、お昼の帯ドラマをずっと(録画で)見続けている。挨拶くらいは聞き取れるが、普通の会話(と思しき)台詞もさっぱりわからない。単語を覚えてもヒアリングにはまた格別の難しさがある。
もう一つ、小説も読むようになった(もちろん翻訳)。まず、신경숙(申京淑=シン・ギョンスク)の「母をお願い」。次に「冬のソナタ」。「冬ソナ」はNHKで放映されたテレビドラマ(観ていない)のノベライズのようだったが、ドラマを観ているような感覚でよめたから不思議だ。映像も浮かんでくる。数カ所で涙したほど入れ込んで読んだ。純愛と記憶喪失、そして最後の感動の再会。我々の世代を泣かせる要素が満載だった。
「母をお願い」では登場人物を二人称で書きすすめるという斬新な方法にも感心したが、「母=オモニ」の献身的な家族愛に感動した。また、韓国の現在を垣間見ることもできる。隣国韓国と日本との共通の問題とともに違いも知ることができる。が、一番の問題はこれだけ近い国のことを何も知らない自分に気づいたことだ。その根底に子供の時から植え付けられた民族差別意識があることは否めない。韓国のことをもっと知らなければならぬと痛感した。
2019年06月08日(土) 井上靖「城砦」
井上靖という作家の作品はずいぶん前に歴史・西域ものの「風濤」「楼蘭」「敦煌」などを読んでとても感動した。同じ関心から「城砦」もその題名から歴史ものかと思って読み始めたのである。今もう手元にないのではっきり言えないが文庫で約700ページある長編。しかし読み始めで現代ものとわかり、興味索然となった。我慢してかなり読み進んだ所でイラクの遺跡を発掘している考古学者が登場してきたのでちょっと期待したが、結局歴史小説ではなかった。現代もの、それも恋愛小説といっていいだろうか。(以下、ネタバレといっていい内容もあるので注意!)しかし、そのときの読後感はいい意味で裏切られ、主人公の女性の性格や人生観が以来ずっと心に引っかかっていたので、今回改めて図書館から借りて読み直したのである。最寄りの図書館にはなくて鶴舞から取り寄せてもらった。(毎日新聞社刊の単行本 427ページ)
「城砦」は恋愛小説だが、もう一つの側面は原爆小説である。原爆に関するもので私が読んだものは甚だ少なく、記憶のあるのは大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」くらいだが、この「城砦」ももし内容を知っていたら読まなかったかもしれない。
主人公(といっていい)の江上透子は10歳のとき幼い弟(淙一郎)とともに長崎で原爆に遭い、九死に一生を得たものの、それからは非常に悲観的な人生観を持つようになった。その性格をひとことで言い表すことは難しいが、あえていえば、すべてのものはある日突然消えてしまう、この世に確実なものはなにもない、愛もそうである…。以下は、透子が考古学者高津恭一に語った言葉である。
作者は全編いたるところで彼女の性格を非常に丁寧な筆致でもって著している。それがもっとも著しく表されるのは、お互いに愛し合っている高津恭一と結婚の約束をした翌日に別れの手紙を出して自殺行に出るところであろう。――廃墟というものは好きです。廃墟が好きなのではなくて、そこに残っているものを見ているのが好きなんです。そこに残っている物だけが確かだという気がするんです。(中略)日本の城あとへ行っても、同じように思います。わたし、いつも石垣の石へ触ります。これは残っている! これだけが残った! あとは何も信用できないものだった。信じることができるのはこの何個かの石だけだった!
(毎日新聞社刊 昭和三十九年発行「城砦」四章より)
私が何十年もこの小説の主人公が「心に引っかかっていた」のは、ひとえにその性格である。宿命に翻弄される人の生きざまに強く惹かれた。宿命といえば、松本清張の「砂の器」の主人公和賀英良もやはり宿命におびえ、殺人を犯し破滅していくのと比較してみると、透子は自らの心を堅強な城砦によって囲い込み他の何者をもその中には入れようとしなかった。それもやがては我が身を滅ぼす危険な生き方であろう。奇しくもこの二人は音楽という共通点を持ち、和賀英良は自らが作曲家であり、透子の弟淙一郎は作曲家の卵として描かれ、透子はそれを全力で支えている。そしてまさに淙一郎が世に出るときに透子は帰るつもりのない旅に出るのである。淙一郎の作品は被爆体験が色濃く反映されたもので、誰にも理解されないと彼は思っている。一方、和賀英良の作品は映画やドラマでは「宿命」と題した曲が登場するが、松本清張の原作では必ずしも宿命をテーマにはしていないようである(当時流行していた具体音楽?)。宿命を、自身に振りかぶる自分の手ではどうしようもない境遇とすれば、それが日々の生活を脅かす苛烈な現実として眼前に現れたとき、人はどうするのか、そのことに強い関心を覚える。被爆やハンセン病などのような「苛烈な現実」でなくても、人は内容はともかく誰もが宿命を持っているといえよう。自分の生まれた家や両親はすでに幸不幸を問わず宿命である。人はそれに向き合って生きていくほかはない。「城砦」の重要な登場人物である桂正伸が作品の最後で透子にいう台詞がそう言っているのではないか。
「愛が信じられないなら、愛なしで生きてごらん。世の中が信じられないなら、世の中を信じないで生きてごらん。人間が信じられなかったら、人間を信じないで生きてごらん。生きるということは恐らく、そうしたこととは別ですよ。――この石のように生きてごらん。僕は宗教家でも、哲学者でもないからこんなことしか言えない」
(同上 十七章より)
2019年05月09日(木) お出かけの春
3月に愛車の車検を友人のH井君にお願いした際に、バッテリィが老化しているかもと言ったら、「もう少し乗ってくださいよ」と言われた。あまり乗らないので自然放電が大きいそうだ。確かに出かけるときエンジンの始動時にかかりにくかったものが帰ってきた頃には良くなっているような気がしていた。そこで少し散歩をセーブしてクルマでの外出を増やそうと、何だかエコとは反対のことを考えるようになった。そういう意識の変化もあって、家族がいない日に自分だけで出かけてみることにした。車検後すぐに行ったのが大垣城で、これはおととしからの歴史民俗資料館巡りの復活のつもりだった。大垣城の咲きかけの桜が素晴らしかった。大垣市役所に駐車してできる限り市内を歩いてみた。「奥の細道むすびの地記念館」で食事しようと思ったが気に入ったものがなく、売店で蕎麦屋を教えてもらい、ざるそばを食べたのがいい思い出になった。
次には守山の志段味古墳群を見に行った。まだ「しだみ古墳群ミュージアム(SHIDAMU)」は完成していなかったが、外周にある古墳群を公園として完璧に整備した風景がむしろ本当に古代の復元になっているかもと妙な想像をした。その後4月に開館したSHIDAMUにも行ってみた。展示物の前でボランティアで案内をかっているらしい老人が詳しく説明してくれた。ここにあるレストランでランチを取ったが値段(¥1058)のわりにはイマイチだったかな。今、思い出したが、支払いのときレジが故障したらしく長く待たせるのでしびれを切らして1060円置いて「おつりはいいので」といって出てきてしまった。ちょっと大人気なかったと反省している(^ ^;
そして昨日行ったのが「一宮地域文化広場」。向かう途中のクルマのラジオで園児たちにクルマが突っ込んだという滋賀県の事故のニュースを聴いた。いろんな立場の人達の気持ちが一度に思いやられ、運転しながら身を引き締める気持ちになった。まったく他人事ではないのだ。
到着してみると、ずいぶん田舎だなという印象だった。案外せまい区域内にびっちり詰め込まれたフィールドアスレチックには誰もいなかったし、隣のプラネタリウム館は「ただいま閉館中」の張り紙で、午後3時に開くそうだ。もうひとつ隣の有隣会館の小さな図書室でぱらぱらと蔵書を見ただけで出ることにした。受付で近くに食堂はないかと聴くと、ちょっと離れているところの喫茶店を教えてくれた。田畑に囲まれた田舎道だが、新しい家が多く見通しはあまり良くない。初夏の日差しの中を30分ほど歩き、途中で3回道を聞いてやっとたどり着いた。カラオケ喫茶でランチは金曜日だけ、そのかわりモーニングを午後2時までやっているという。さすが一宮! 本当はごはんものが欲しかったが仕方なくモーニングを頼む。写真を撮るのを忘れたが、コーヒー、小さく切り分けたトーストに卵、バター、ジャムを乗せ、バナナ一切れ、ヨーグルト、それになぜかひじきの煮物が付いていた。これだけ付いて¥400!
(上記写真はいずれもクリックして拡大)
2019年04月28日(日) 和算の問題を解いた?
寝起きの授業(9) <数学> 和算の問題小寺裕著「江戸の天才達が開花させた和算の魅力に迫る!」(2016年5月 C&R研究所発行)の37ページに次のような和算の問題が載っていた。自分なりに解いたものをここに載せておく(原著者 藤田貞資「精要算法」中の問題とのこと。なお、以下の図や問の文章はこのブログの筆者なりの解釈なので著者お二人には何の責任もありません)。
(問)図1のように,等脚台形ABCDがあり二つの円O,Pが内接している.いま,AB=12,円Oの直径が15,円O,Pの共通接線EF=20のとき,円Pの直径はいくらか.
(解)図2で,準備として HE=FJ を示す.
① 四角形ABCDは等脚台形だからHK=GJ.
② 接線の長さは等しいから,HE=EL,EK=EM.よって HK=HE+EK=HE+EM=HE+EL+LM=2HE+LM.
③ 同様に GF=FL,FJ=MF.よって GJ=GF+FJ=LF+FJ=LM+MF+FJ=LM+2FJ.
④ HK=GJから 2HE+LM=LM+2FJ.ゆえに HE=FJ.
これによって HK=GJ=EF=20 であることがわかる.
(図3では,図2での点の名称をいったんクリアして付け直してあることに注意)
図3で,AB∥HH',AJ⊥HH',AJ∥GL,OM∥AD である.
① まず,△AOHは直角三角形であるから,三平方の定理より,AH2=AO2+HO2だから,GH=yとおくと,
(y+6)2=(62+7.52)+(7.52+y2) ∴ 12y=112.5.
これを解くと y=GH=9.375.
② 次に,△AJH∽△GKL より,AJ:GK=AH:GL.よって15:20=(6+9.375):GL.ここからGL=20.5.
③ △GKLも直角三角形だから,KL2=GL2−GK2=20.52−202=20.25=4.52.
∴ KL=4.5.
④ 最後に,△GKL≡△OMPより,KL=MP=4.5.よって PK=PM+MK=4.5+7.5=12.
⑤ 以上から 円Pの直径は 12×2=24 となる.‖
実のところ、初めの三日くらいはさっぱりわからなかった。そこでやむなく小寺裕先生の「江戸の天才達…」に載っている解答を参考にしたのが上の解である。だから自分一人で解いたなどとは言えないシロモノであるが、それでもそれからまた数日はかかってしまった。和算の問題は難題が多いとは思っていたが、これでもう次の問題にチャレンジしようとは思わなくなった。何といっても自分にはもう時間がない(でもまたやるかもしれないが…)。
2019年04月10日(水) 「願はくは…」
久しぶりの雨。これで今年の桜も終わり。去年から庄内緑地公園へ散歩に行くようになってから今度のお花見はここだなと決めていたが、想像以上に美しい桜が見られた。これまで桜といえば五条川のような川沿いの並木のイメージが強かったのだが、庄内緑地公園には「桜の森」があるのだ。その満開の写真がこれ(4月2日撮影)。森の中にいると廻り360度がすべて桜という荘厳さ。これは初めての経験。ウィークデイなので人も少なくむしろ怖いくらいの美しさだ。ここに来たら誰でも動けなくなるだろう。この公園には桜並木道もあってそれもきれいだが(上右の写真)。
5日には恒例の五条川にも行ってみた。例年通りの美しさと賑やかさである。川沿いにヨシヅヤ(スーパーマーケット)があるので駐車にも困らないし、お弁当なども現地調達できてとても便利。いつもここから少し下流の「堀尾跡公園」まで散策して帰ってくる。たいていひとつふたつベンチが空いているのでそこでお弁当を広げる。
S子(妻)は大の桜好きで毎年山崎川や岡崎まで出かけていくが、私はいつも散歩で見るだけで十分である。それでもこのように春になって今年も桜を見ることができたのだなどという感傷的な気持ちを味わうようになった。『山家集』(西行法師)の「願はくは…」の歌にも惹かれるこの頃である。
2019年03月24日(日) 森博嗣「夢のような未来って……」
森博嗣先生のブログ「店主の雑駁」(2019年3月24日日曜日)付の題は「夢のような未来って……」である。私がその内容を要約するのは誤解を生ずるので、ぜひ、みんなに直接読んでいただきたい(リンクを貼ることの許可を得ていないので皆さんで検索を)。これこそが人類の未来の社会である。これは例えば150年前にマルクスが「共同的生産手段で労働し自分たちの多くの個人的労働力を自覚的に一つの社会的労働力として支出する自由な人々の連合体」(注)と表現した社会をとてもわかりやすく描いたものといっていい。マルクスはここで資本主義社会の「商品の物神的性格とその秘密」(引用した第四節の表題)の批判において「目先を変えるために」このような言い方で未来社会を表現したのだが、森先生は「ちょっとお伽噺というか、大雑把で簡単なモデルを考えて」(該当ブログより)みられたのである。確かに誰でもちょっと考えてみれば現在の社会で生産力が膨大になって有り余るほどの生産物ができるようになれば、もう資本主義では人類社会は成り立たないことは明らかである。
森先生は「さらに、極端な話」として「すべての仕事をロボットやAIが行い、人間は働かなくても良くなった」社会をも考えておられる。これは狭義の共産主義社会ともいえる社会である。もちろん先生を社会主義者や共産主義者といっているのではないが、そういう社会を想像することは誰でも十分可能なことである。
社会主義、共産主義というと旧ソ連や中国、北朝鮮のイメージだけで語られることが多いが、社会科学的な概念として資本主義社会の「次の」人類社会を考えていけばおのずとこのような社会を想定しないではいられないのである。
森先生はこのような社会の実現のためには「無駄な争いをしないことが、たぶんとても重要になってくると思われます。」と卓見しておられが、まさにあらゆる戦争・紛争は人類の未来を踏みにじる最大の自滅的愚行である。さらに先生は「問題は、エネルギィが続くか、ということ」も述べておられる。それも含めて、ではどのようにしてこのような社会を実現していくかということがこんにちの課題である。
注:(「資本論」第一部第一章第四節より 新日本出版社新書版1985年第11刷 p133からの引用) 戻る
2019年03月17日(日) 「断捨離するならスマホから 」続編
森博嗣先生のブログからヒントを得て、スマホを断捨離するアイデアについて考えてみた。その結果、スマホ自体を断捨離することはやっぱりできないが、電話の機能だけをなくしてしまうことはできるかもしれないと思った。スケジュールや家計簿、写真、SNS(LINEなど)、各種DB(データベース)、ゲーム、電子書籍、等々は便利すぎてとても「断捨離」はできない。逆にこれらがあるおかげで身の回りの雑多な物たちを断捨離できるのではないかと。スマホの電話(の機能)がいらないのは、実際にほとんど使っていないことと、だれかに連絡するときはSNSで十分なことによる。すなわちスマホから電話機能をなくし、そのかわり若干量のモバイルデータ通信機能を持つことで常時SNSを使用可能にする(現在は不使用)。
このことが実際にできるかを考えたとき、問題は家族からの緊急連絡である。S子(妻)は私と同じ機種のスマホなので問題ないが、T子(妹)はスマホが使えないのでいわゆる「ガラケー」である。だからSNSも無理。これをどうするか。
2019年03月09日(土) 1円はどこへ?
寝起きの授業(8) <算数> 内田百閒のパズル技術評論社の「電脳会議」を長く読んでいる。そのVol.193に同封されてきた「良書案内」の「瀬山士郎先生の数学よもやま話」が連載⑲「元祖乗り鉄」と題して内田百閒の随筆に出てくる有名なパズルを紹介している。「特別阿呆列車」(注)という旅行随筆の中で、同行の付き人から聞いたという「三人が宿屋に泊まった話」だが、瀬山先生はほぼ原文で紹介していてややわかりにくいので、ここでは駄菓子屋と4人の子供の話にして再紹介しよう。
なぜD君がパシリをさせられているかとか、黙って2円ちょろまかすのはよくないとかのツッコミはこの際なしで考えてください。随筆では百閒先生は「考えてみたがよくわからない」で済まし、それより自分の旅費が予算オーバーになったことを嘆いて終わっている。公園で遊んでいたA、B、Cの3人が駄菓子屋で1本10円のうまい棒を買おうとして10円ずつ出し合い、あとから来たD君が買いに行かされた。D君が駄菓子屋でうまい棒を3本買い、おばちゃんに30円払うと、おばちゃんは「いつも買ってくれるからおまけね」と25円だけ受け取り、D君に1円玉を5個戻してくれた。D君はそのうちの2円を内緒で自分のポケットに入れ、みんなには「3円負けてもらったよ」といって1円ずつ3人に返した。さてそうすると、A、B、Cの3人は10円出して1円ずつ返ってきたのだから9円しか払っていない。9×3=27円、そしてD君のポケットには2円だから合わせて29円になる。3人は最初に30円出しているのだから残りの1円はどこへ行ったか?
この計算は9×3=27円とD君の2円を足すところが間違っている。例えばおばちゃんが5円ではなく10円負けてくれて、D君がそのうち7円ごまかして3円だけ3人に返したとすれば、やはり9×3=27円にポケットの7円を足したら34円になって明らかにおかしいことに気づく。正しくは3人が得した3円とD君のポケットの2円の合計がおばちゃんのおまけの5円になるというだけの話である。
これと似て非なる話。ある実業家が5%の配当を約束して3人の資産家から100万円ずつ融資を受け、300万円を運用して一年後には320万円にした。そこで利益20万のうち15万を3人の資産家に5万ずつ払い、残りの5万が自分の儲けになった。実業家は法律に触れるような悪いことは一切していない。ではこの実業家や3人の資産家の利益や配当はどこから来たのか? 答えは労働者からの搾取である。
3/8 初たんぽぽ 3/12 菫と菜の花 (いずれも庄内緑地公園。クリックで拡大)
注:参考「昭和文学全集42 内田百閒 高田保 尾崎一雄 集」(角川書店 昭和29年) 戻る
2019年03月04日(月) 誕生日プレゼント
昨日がS子(妻)さんの誕生日で、毎年のことながら何かを贈るべきプレッシャーをどう解決すべきかと思案し、出した結論はケータイの機種変更となった。これまで使っていたのは iPhone5c で、特に不満はないが遅いのが気になるといっていたのを取り上げたのである。ホントに欲しいものが他にもあるかもしれないが(実はあるのだが私が無視している)、ケータイの機種変なら私にも興味があるからだ。Apple のHPで見ると、iPhone5c のSIMカードが上位機種にもそのまま使用できるとのことだから、せっかくだから 8Plus にしてやろうと思っていたが、栄のApple Store で聞いたら7Plus までしかだめということだった。結果、iPhone7Plus32GBが¥64800、BELKIN強化ガラス保護フィルム¥4380、計¥69180(税抜)となった。画面はこれまでの4インチが5.5インチになったからとても大きくなった。老眼には嬉しいことだろう。翌日(今日)にはケーズデンキでケースも買った。
←自分で買ったケーキを前にご満悦のS子さん ←iPhone7Plus32GB(左)とiPhone5c
森博嗣先生のブログ「店主の雑駁」2018年10月14日日曜日付のタイトルが「断捨離するならスマホから 」となっていて、本文中に「(今日のようなタイトルが、炎上商法の基本です。誰かをかっとさせるのが常套手段ですから)」というコメントがあった(笑)。身辺をすっきりさっぱりさせたい気持ちはずっと持っていたので、「スマホから」という発想は「目からウロコ」であった。なるほどスマホをやめればかなりすっきりしそうだ。他人はともかく家族間で常に連絡が取れるという利便性は捨てがたいが、目標にはしてみよう。
2019年02月27日(水) 相性が悪い
au から「au携帯電話のご利用に関する重要なお知らせ」が立て続けに3通来た。要旨としてはCDMA1XWINを2022年3月末をもって終了するのでauスマートフォン(4GLTE)への機種変更を提案するとのこと。うちは家族3人ともがau携帯でそれが全部該当するらしい。まだ2年あるが感謝クーポンなどを贈呈するという。なんとなくそわそわしてしまったが、とりあえず話を聞いてみよう、うまくいけば痛みの激しい妹のケータイを更新できるかもしれないと考えた。そこでauのショップへ行こうと思ったのだが、自分はどうもauショップとは相性が悪いようで(当ブログ「2017年02月27日」参照。奇しくも同じ日!)、今回は他のショップに行ってみようと思い、以前名古屋トヨペットにあるPipit で気持ちよく新規購入できた経験から近所のPipit(別の店)を検索して行ってみた。ところが例の「お知らせ」を見せると女子店員から「まだ先のことですし、在庫も十分ないので」と門前払いにあった。明らかに面倒くさがっている。これにはかなり気分を悪くした。仕方ないので相性の悪い方のauショップに行って受付で「お知らせ」を出して用件を述べると、住所・氏名・電話番号を書かされ、30分待たされた。やっと順番が来てデスクに座ると応対の女子はせっせとパソコンを叩いている。私の契約内容を見ているらしかった。やっとこっちを向いて「お客さまのご契約は…」と言い出したので、「ちょっと待って。僕じゃなくて家族のケータイのことなんだけど」と「お知らせ」を出して見せた。「ではご本人様ではないのですね」「ええ、家族です」「機種変更はご本人様でないとできません。今日はお見積りをご提示するだけになりますが。それにこちらの(といって私の名前を指して)方にもご案内が行っているかと」。来ているのは確かだが、今日は自分の件できたのではない。なんだか急に恥ずかしくなって早々に引き上げることにした。あわてて出てきて帽子を忘れたくらいだった。だが考えてみれば見積もりだけでも出してもらえばよかったのである。せっかく30分も待ったのにちょっと早まってしまった。これが相性の悪い所以である。ケータイのショップはどうも居心地が悪いのだ。これでまたしばらくはショップへは行かないだろうからケータイの更新はしばらくお預けになる。なんとかショップへ行かずに更新する方法はないものか。
寝起きの授業(7) <社会> シンギュラリティ
シンギュラリティ(singularity)とは特異点のことである。簡単な例をあげると、数学で、素数のなかの2や、分数全体のなかにおける「0分の1」などがあげられる。同じ仲間なのに明らかに他のものとは相容れない性質を持つものをいう。
最近よくいわれるシンギュラリティはそういう数学的な意味ではなくて、高度に発達したAI(人工知能)が人類の能力を超える(技術的特異点)ことである。AIがヒトを超え、遅かれ早かれ人類はその役目を終えて次の「生物」に地球の主役の座を譲ることになるというのだ。
だが、ひょっとするとそれは永久に来ないかもしれない。シンギュラリティが訪れる前に核戦争や自然破壊によって人類は自己破滅するかもしれない。もしかすると地球の長い歴史の中で過去にすでにそのようなことがあったのかもしれない。手塚治虫先生の「火の鳥」にもそんなストーリーがあったと思う。
ただ、無事に座を譲ることができれば人類はわりと幸福な形でその終末を迎えるだろう。発達したAIは人類を敵対的に滅ぼそうとはしないであろう。自分たちを生み出した「立派な先祖」としてその意義を認め、最後の一人まで面倒を見てくれるだろう。そうでなければ人類の後継者とはいえないからだ。その意識は現在の人類が絶滅危惧種生物に対して抱く感情にどこか似ているかもしれない。同時に我々が自分たちの祖先としての類人猿を想うときの根拠のない優位性をも感じるのだろうか。
2019年02月10日(日) 「前回り」ができた!
前回の「寝起きの授業(5)」で「鉄棒」のことを書いたが、なんと今日「前回り」ができた! 実はもうかなり前から「もうちょっとでできそう」だったのだが、まだ先だと思っていた。今日はひときわ寒風が強くて散歩に出るのもおっくうだったが、出かけてみて良かった。去年の秋以来、最初は(雲梯の)懸垂から始めていたが、一回でもできるまでに果てしない年月が思いやられたので、直接鉄棒に行き、蹴上がりも逆上がりも無理なので一番負担のなさそうな前回りを目標に日々努力を重ねてきた(週3回程度だが)。それが今日実ったのである。できない頃と何が変わったのかがわからない。相変わらず懸垂は無理だし、腕立て伏せや腹筋運動もいつものできなさ具合は変わっていない。あえていうなら「コツ」がわかった、というか思い出したのであろう。昔はできたのだから。いよいよ逆上がりが直接の目標となった。
見よ、この勇姿!?
寝起きの授業(6) <音楽> 趣味としてのクラシック毎日FMでクラシックを聴いていて自然に指揮者や演奏家の名前を覚えているが、その名前の感覚が自然と自分のクラシック歴を網羅しているような感じがする。カラヤンは聴いた初めから大家、カールベームは大先輩、トスカニーニ、エルネストアンセルメは古典、オットマールスイトナー、オットークレンペラーは同輩、ヨーゼフカイルベルト、ロブロホンマタチッチは懐かしい。声楽家ではエリザベートシュワルツコップは大先輩、ディートリッヒフィッシャーディースカウは同輩、バイオリニストではヤッシャハイフェッツは先輩、諏訪内晶子は後輩、ピアニストのホロヴィッツは未知の人、ブーニンは後輩という感じ。何を持って先輩・後輩とするかといえば単に年齢だと思う。(以上、記名は自分の耳で聞いたままを書いているので正確ではない)
趣味は自分の気持ちがそこに向いていることにウソがないから楽しいのである。これが仕事(解説者など)になってしまうといろんなしがらみがからんできて、楽しむのが二の次になるだろう。趣味を仕事(お金)にすることが理想のように言われているが、それはむしろ自分を殺すことにもなりかねない。自分の生きている時代を自覚するには、ひとつの趣味を長く続けていくことが一番確実である。
2019年02月06日(水) ハングルの覚え方
ハングルのお勉強が続いている。最初に買ったテキストは終了にし(マスターしたわけではない)、今度は「練習帳」というのを購入した(「韓国語を話したいと思ったら練習帳」金泯秀・駿河出版社¥1500+税)。文字の練習や文法の説明の後に簡単なドリルを行なえるようになっている。韓日辞書もやっと引き方の順序がわかって慣れてきた。テレビ愛知「朱蒙(チュモン)」(月〜金・AM8:15〜)とNHK教育テレビ「テレビでハングル講座」(金AM6:00)もずっと(録画して)観ている。前にパソコンで書く練習をしていると言ったが、やはり紙に書くほうが覚えやすい。それと単語の覚え方もちょっと工夫してみた。英語の曜日を覚えるのに「火事には水をチュウズデイ」とか「木刀腰にサーズデイ」というダジャレを中学生のときに何かで見たが、同じ方法でハングルの単語を覚えようというのだ。いずれは忘れてしまうものなのでここにちょっと書いておこう。作るコツはできるだけ七五調にすること。
① 波長無限茶小夜アンニョイ 蟻カーむさ住みーあ申し知恵どうチョン大食えん
② ひぬなよクンチャグ ウエサムチョン、コモイモ ナムアネ アドゥルッタル
これは親族を表す語群。「ひ=ヒョン(兄)、ぬ=ヌーナ(姉)、な=ナムドンセン(弟)、よ=ヨドンセン(妹)、…(略)」と覚えた。父(アボジ)や母(オモニ)はもう覚えているので入れてない。詳細は略す。
③ 疑問詞:どのオヌはムオムスンで誰がヌグ オディがどこかでいつオーンジェ 汝がミヨッしでファイウェー オルマはいくらハウオットッケ
④ 位置を表す:前後ろアプトゥィーで横はヨプ上はウィー 下のアレミッよ右左オルンチュクとウェーンチョク 中のはアンで外はパクッ間にサイがいる
⑤ 猫は呼んでもコヤンイ(고영이)
⑥ ベッドはチームデ寝る(짐데)
⑦ 帽子はモジャ頭に乗せる(모자)
⑧ 机にチェクサン本がある(책상 本=チェクも含む)
⑨ ハンカチ落としてソンスゴン(손스건)
⑩ 財布落としてチガプいた(지갑)
⑪ 久しぶりだねオレガンマン(모래간만)
⑫ ♪サザンカさざんかサンダファち(상다화)
←コヤンイとサンダファ(サザンカ)→
寝起きの授業(5) <保健体育> 鉄棒中学生の頃、同級生とよく授業後に運動場の鉄棒に集まってきていろんなワザを覚えた。逆上がりや足掛け降りなどは小学生で覚えたが、中1のときにやっとのことで蹴上がりを覚えた。当時これができるのは体操部の連中だけだったのでかなり自慢になった。しかし体育の先生に「へーお前蹴上がりできるのか、見せてみろ」といわれて披露したところ、「う〜ん、できるにはできるがキタナイなぁ」と言われた。つまり技というものはきれいにできなければイケナイのだ。それから大振りや巴、背面蹴上がり、逆車輪、最後は宙返り降りも苦労してマスターしたが、同好の士などからも「う〜ん、オマエのはなんか美しくないなあ」といわれてがっかりした。「そこへいくとT島はキレイだなあ」。この同級生のT島は私の鉄棒の師匠で、自宅にも鉄棒があるというツワ者だった。確かに彼の車輪は美しかった。彼の家へ行って鉄棒をやらせてもらうこともしばしばになった(それどころか晩ごはんをいただくこともあった)。
社会に出てからは鉄棒ともすっかりご無沙汰になったが、公園に幼児向けの低い鉄棒があるとやっぱり気になって触ったりする。年月が経つにつれだんだん触らなくなり、いつの間にか蹴上がりどころか逆上がりもできなくなった。青春の思い出でもある鉄棒に今一度花を咲かせたいと思っている。
2019年01月29日(火) 懐かしいクラシック曲
今日のNHK−FM「クラシックカフェ」の最初の曲がスッペ「軽騎兵」序曲だった(W.サヴァリッシュ指揮/バイエルン国立歌劇場管弦楽団)。誰でも知っている有名な曲で、私も大好きだった。中学一年のころクラシックに目覚めてから主にラジオ(まだFM放送が始まっていなかったのでいわゆる中波放送)でいろいろな曲を聴いた。他に好きだった曲はヴォルフ=フェラーリ「マドンナの宝石」間奏曲、ビゼー「カルメン」前奏曲、ベートーヴェン「交響曲第5番」第1楽章、ワルツではイヴァノヴィチ「ドナウ川のさざなみ」など。至って普通の入門といえる。古い歌謡曲などは純粋に懐かしいだけだが、クラシックの曲は古くならないので何度も聴いているとその時々によって思い入れが違う。「軽騎兵」序曲も昔はカッコいいだけだったが、今聴くと作曲技法や全体の構成などがよくわかって感心してしまう。トランペットのファンファーレで始まり、次いで競馬中継などで使われる8分の6拍子の有名な行進曲、一転緩やかな調べが続き、また行進曲に戻ってファンファーレも入った壮大なコーダで終わる。聴きながらいつの間にか自分が指揮者になっていることもある。
「マドンナの宝石」間奏曲はその美しさに酔いしれた。今でもその感動は薄れない。ずっと後にマスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲を知ったとき、この2曲は全クラシック曲中双璧を成す美しさだと今でも思っている。中学を卒業して一年ほど経った頃最初のクラス会があって、その二次会にみんなで喫茶店に行き、クラシック好きの女子とお互い好きな曲を言い合ったとき、ふたりともこの曲だったのでずいぶん盛り上がったというちょっと甘い思い出も。その人はモチヅキさんという名で、彼女も今は七十を超えているとは信じられないこの頃である。(上記中、作曲者や曲名の表記はWikipediaのそれぞれの項目を参考にした)
寝起きの授業(4) <理科> 月
今朝洗濯物を干していたら朝の南天に三日月が出ていた(月齢23。国立天文台暦計算室HPより)。いわゆる有明の月である。もう太陽が出ていてもまだ輝きを残している。月がいつも同じ顔を地球に向けているのは月の公転周期と自転周期が同じだからである。NHK−TVの番組「チコちゃん」で地球の自転がだんだん遅くなっていることをやっていたが、月も大昔は自転速度が今よりずっと早くてその頃には地球から月の裏側も見えたはずである(裏が見えたのではなく裏表がない?)。それがだんだん遅くなって公自転周期が同じになってしまったのは、もともと月はラグビーボール(断面が楕円)のようにひしゃげていて、地球の引力によって楕円の長径の方向に引っ張られてついに月の自転の力が地球の引力に勝てなくなったからだろう。ちょうどヒモの付いたボールを自分の周りで振り回しているのと同じなのだ。中国が月の裏側に探査機「嫦娥(じょうが)4号」を軟着陸させて中継船を使って画像を地球に送っているとのニュースがあったが、いろいろな意味ですごいことだと思う。日本でそれほど取り上げられていないのはなぜだろう。
もう一つ、月のことで不思議なのは地球の潮汐運動である。潮の干満は主に月の引力の仕業ということであるが、これがにわかに信じられない。もちろん状況証拠はいくらでもある。第一は月の満ち欠けに応じて海面が上下するという相関関係が顕著だ。満月のとき海面が盛り上がるのは月が引っ張っているからで、これがもっと強力だったら海水は宇宙に持っていかれてしまうことだろう。地球の引力がそれを押し留めているともいえる。ニュートンの万有引力の「発見」以前のずっと昔から人間はそのことに気づいていた。だとすればそのことをどのように理解していたのだろう。自分の体重を毎日気にしていても、それが地球の引力の仕業とはあまり意識しないものだ。
2019年01月26日(土) 襖の張替え
今週はずっとS子(妻)さんが旅行でいなかったので、その間に襖紙の張替えをした(いると邪魔でできないというわけではない)。ホームセンターに裏紙を剥がすだけですぐ貼れるものを1000〜1500円くらいで売っていたのでとりあえず一枚だけ買ってきて試してみたら本当に簡単にできたので翌日三枚買って来た。本当は襖4枚に裏表で8枚必要だが、経済的にこれが限界である。一日一枚、一枚2時間かけて延べ4日で完了。貼るのは本当に簡単だが、面倒なのは古い襖紙をきれいに剥がすこと。これにおよそ1時間かかる。とくに木枠との境目をきれいにしなくてはいけない。細部に魂宿るという言葉が何度も浮かんだ。それと襖の取っ手を外すのに意外に手間取った。小さな釘2本で止めてあるのだがこれがなかなか取れない。結局釘の埋まっている木の部分を錐でほじくって出てきた釘をニッパーで挟んで上へ持ち上げ、出てきた頭を抜くという強引なやり方になった。ここには魂は宿っていない。もう一つ手を抜いたのは、木枠に養生テープを貼らずに直に貼り付けたことだ。説明書によると襖紙は襖全体の大きさに切り、木の枠部分には養生テープを張りその上から襖紙を貼ってから最後に木枠の部分を養生テープごとカッターで切りとって仕上げることとなっていた。ここにも魂を込めなかった。ただ、仕上がりは修理以前の無残な状態(猫の爪とぎのあとなど)から見れば上々の出来である。なお、重ねて言うが、奥さんがいない間にやったのは決して邪魔だからではなく、帰ってきたときに「すごいじゃん!」と褒められるのを期待したのかもしれない。
寝起きの授業(3) <社会> SNS
私が常時見ているSNSはLINE、twitter、Instagram、Facebook,Pinterestくらいだが、いずれもニュース、フォローしている人のツィート、コメントと写真を読む(見る)程度である。今は年金暮らしという環境のおかげで、ヒトと常時連絡を取らなくても良くなった。自分から欲しい情報を取りに行くだけでいいのだから、これはとても自由なことである。私にとってはSNSはいわば情報の海に釣りに行くようなもので、釣ったものに対して返信・リツィートすることはない。自分が発信したいものはすべてWebサイト「天人午睡」の中にあるのだからそれ以上SNSでやることはないのだ。
それでも釣りに行く(つまりSNSを見る)のはなぜだろうか。まあ、ひとことでいえば好奇心である。孤独が好きだけれど繋がってはいたい。好きなことだけやって暮らしていきたいが世の中のことも知っておきたいというわがまま(自分の中の社会性)だろう。わたしにとってはわがままでも、今の若者たちにとっては必需品のようだ。常にスマホをチェックし、着信があればすぐに返信・リツィートし、何かを食べてはインスタにアップ、それに対するいいねの数を気にする…と際限なしに付き合わなくてはならない。われわれトシヨリがこうした風潮を批判することはたやすいが、それよりは直に目の前にいる生身の人間とのつながりの大切さを伝えていく責任がこちら側にあることを自覚しなければならない。シカトされることを承知でワカモノに声をかけていこう。
2019年01月17日(木) 壮大な目標!?
このところの散歩は夏の頃から引き続いての庄内緑地公園で、行き帰りの自転車(電動アシスト付き)と、公園に着いたら1周2kmのウォーキングコースを回るのは同じ。これにメニューがひとつ増えて、公園内の鉄棒や雲梯のあるところに寄ってぶら下がりや逆上がりの練習をするようになった。ただ逆上がりはまだとても無理で、このまま続けてもできるようになるかはわからない。もう一生できないかも。一番の障害はやはり過体重と筋力の衰えだと思う。雲梯にぶら下がるとなんと自分の重いことか。脳裏にある若い頃の自分がウソのよう。続けて通っているうちに同じ場所で懸垂運動をしている人と時々話すようになった。私よりは少し若いらしく、聞いてみるとやはり体力の衰えを感じて懸垂を始めたそうで、今のように「脚前挙十字懸垂」(!)ができるまでに5年かかったとのこと。さて私は希望を持っていいのかどうか。
寝起きの授業(2) <国語> 「それな」
若者ことばはとどまるところを知らず 「発展」し続けている(らしい)。ネットで見ればいくらでも拾えそうであるが、自分が最近聞いたものは「まじ卍」「それな」「ほぼほぼ」「げきおこ」くらいか。どれもあまり使いたいとは思わないが、「それな」にはちょっと興味がある。「それ、納得」という意味らしいが、「それな」を使うとき「それはだなー」という意味は意識しないのだろうか。ちょっと前に流行った「チョベリバ」や「ってゆーか」には知性のかけらも感じなかったが、「それな」にはそれなりの教養(というほどでもないが)を感じる。それを言う人が相手の主張を聞いて同感しているからだと思う。
若者ことばの特徴に短縮・縮約があるが、私は逆に長くする。よく口癖で「それは、ほぼおおむねあらかただいたい、その通り」などというが、これなどは「ほぼほぼ」とほぼほぼいっしょではないかと思う。また、「それは、逆のあべこべがさかさまの反対だ」なども使う。これは要するに「その通り」と言っている(逆にする意味の言葉が偶数個あれば肯定になるから)。「どえらいいっぱいやまほどぎょうさんようけ、あるよ」など方言も入れたりする。事程左様に若者と同じく言葉遊びが好きである。お気に入りに「あのことはもはやまぼろしの伝説になっている」というのもある。伝説がもうまぼろしなのである。テレビで時々「まぼろし〜」というのを聞くが、あれよりもっとまぼろしなのである。
2019年01月16日(水) 「店主の雑駁」に触発されて
最近また森博嗣先生(作家)のブログを読むようになった(「店主の雑駁」(「森博嗣堂浮遊書店」))。そもそも私がブログを書くようになったのは、今はもう昔の先生の「近況報告」を読んで、「なるほどこういう風に書いていけばいいのか」とお手本にしたからだった(当「古いブログ」2002年11月7日付参照)。先生の著作は買ったり借りたりして数十冊読んでいる(たぶん20冊くらい?)。最近はもっぱら図書館に頼っているが、これは先生に怒られるので内緒である。いろいろなシリーズが出ていてどれも中途半端な読者に過ぎないが、一番興味があるのはおおかたのファンと同様、真賀田四季についてと、西之園萌絵と犀川先生との「恋?」の行方である。ただ最近は新作を追っかけたりはせず、時々図書館で未読の作品を探す程度になった。ある意味「森ミステリィ」の呪縛?から抜け出しつつあるかも。
ただ、「店主の雑駁」を読んでいるとまたぞろその呪縛にハマっていきそうで、自分ながらコワい。そういう魅力を秘めた文章に知らず知らず取り込まれていくのだ。先生のブログのなかで時々先生を批判した意見を見るが、よくまあ森博嗣に楯突く勇気があるものと感心する。ある読者からの、(小説は)「連載でなければ仕事が成り立たない事情を知らないのか」とか「オリンピックの国別参加をやめたら、経済的に成り立たないことくらい想像できるだろ」という意見に先生が反論されている(「森博嗣堂浮遊書店」2018年2月25日付「制作側の都合なんかどうだって良い」より)。詳しくは先生のブログを見てほしいが、要するにあちこちの都合ばかり考えていたら何の進歩もないということだ。
ただ私自身も先生に聞きたいことはいっぱいある。特に原発(原子力発電所)については私は廃止論の立場なのでもっと詳しく聞きたい。放射性廃棄物についてはどうするのがいいのか、何らかの想像を超える苛烈な事故によって原発が破壊されたとき、われわれはどうすればいいのか、などなど。きっと納得の行く説明が聞けると確信しているが、それは自分で考えるべきだというのが帰ってくることはわかっている。
いずれにしても森先生の文章を読むといつも何か触発される。こうしてすぐに自分のブログを更新してみたり、あるいはまたマネをして何か新しい企画を考えようとするのだ。
…というわけで、今日から「MORI LOG ACADEMY」のマネをして中学校の教科になぞらえた短文を書いてみることにした。これは今日、散歩しながら思いついたことである。「寝起きの授業」と題し、とりあえず得意?な算数から始めよう。
サクラ、春まだき…
寝起きの授業(1) <算数> 足し算の九九小学校では算数だった教科が、中学になると数学になる。中学では方程式や関数などを学ぶ。高校になるとさらに微積分や行列なども出てくるが、これらの課題はより複雑で困難な問題を解決するために人類が考え出した知恵なのであるから、自分がどこまで学んだかによって解決できる問題が決まってくるといえる。しかしあらゆる数学の問題は結局は「いくつになるか?」を知ることであるから、最後は算数の基本に戻って「算数=数を数(算)えること」になる。それが小学校で学ぶ数の四則計算である。あらゆる計算の基本は数えることであるから、まずは足し算・引き算が基礎になる。次にかけ算になるが、かけ算は足し算の繰り返しなのでこれを簡便にするために九九が考え出された。一桁の足し算を間違えても九九は間違えないものだ。これも人間の知恵である。一桁の足し算を間違えないように、一桁の足し算用の「九九」が必要だと思っている。試しに次のような一桁どうしで和が二桁になる足し算の「九九」を作ってみた(答えが一桁になるものは指を使おう(^ ^;)。
二の段 二八(にはち)で十(とお、じゅう)、二九(にく)で十一(じゅういち)全部で44個。()の中は読み方の参考。かけ算の九九と混同しないように「しろくでとお」のように「〜で―」ということでかけ算の九九と区別している。子どもには「『で』は足し算だよ」と教える。
三の段 三七(さんな)で十、三八(さんぱち)で十一、三九で十二
四の段 四六で十、四七(しなな)で十一、四八(しはち)で十二、四九(しいく)で十三(じゅうさん)
五の段 五五(ごうご)で十、五六で十一、五七で十二、五八(ごはち)で十三、五九(ごっく)で十四(じゅうよん)
六の段 六四(ろくし)で十、六五で十一、六六(ろくろ)で十二、六七(ろくな)で十三、六八(ろっぱ)で十四、
六九(ろっく)で十五
七の段 七三(なさん)で十、七四(ななし)で十一、七五(ななご)で十二、七(ななろ)六で十三、七七(ななな)で十四、
七八(ななは)で十五、七九(ななく)で十六
八の段 八二で十、八三(はさん)で十一、八四で十二、八五で十三、八六(はちろ)で十四、八七(はちな)で十五、
八八(はちは)で十六、八九(はちく)で十七
九の段 九一で十、九二で十一、九三(くさん)で十二、九四(きゅうし)で十三、九五(きゅうご)で十四、
九六(きゅうろ)で十五、九七(きゅうな)で十六、九八(きゅうは)で十七、九九(きゅうく)で十八
2019年01月07日(月) 謹賀新年
あけましておめでとうございます。いつもながらに年末年始の過ぎゆく速さに驚くこの頃だが、お正月がいろいろな意味で節目になることは変わらない。まずトシを取る。もちろんホントは誕生日に取るのだが、私は12月生まれなので「ああ、またひとつ」という実感がある。一休さんの「冥土の旅の一里塚」なんていう狂歌?がよく浮かぶ。
小学生の頃の正月をよく覚えている。まず父親にお年玉をせびる。言わないとくれないのだ。すると父は財布からあるだけの十円玉を渡してくれる。百円札をポチ袋に入れてなんてことは一度もない。それでも普段のこずかいが十円玉1個なので嬉しかった。お雑煮は家で食べた記憶がないが、ヒトのうちで食べたことは覚えている。餅は年末に見開きの雑誌くらいの大きさで近所の公設市場の米屋さんから買っていたようで、一人でよく食べた。電気コンロ(すぐ下に注)に金網を乗せてそこで餅を焼き、醤油に砂糖を混ぜたタレにつけてもう一度軽く焼くと手に持ってもベタベタしない(少しはする)。海苔はなかった。
注:この電気コンロとは、土でできた台に渦巻状に溝が掘ってありそこにコイル状の電熱線(ニクロム線)を埋めて電気を通すと赤く発熱するという、昭和を代表する?電気器具の一つである。熱効率が悪く、電熱線がよく切れるのが難点。切れたときは線を割り箸で引っ張って熱でつないではまたしばらく使う。いよいよ使えなくなると、近所の電気屋さんでニクロム線を買ってきて自分で修理した。父がやるのをみて覚えた。今でも売られているのをネットで見て驚いた。 凧揚げやコマ遊びは友達とよくやった。凧は正月だけだが、コマ遊びは普段から人気の遊びで、友達どうし紐を巻いたコマを空中に投げ上げてビンの蓋に乗せ、廻っているあいだ道路を走り、止まったらまたそこでやり直して一周してくるという競争をよくやっていた。こういう遊びは普段の練習がものをいう。あと、コマを蓋ではなく手のひらに乗せ、小指から垂らしたヒモに乗せて宙返りさせるという芸当にも挑戦した。なんとなく出来たことを覚えているが今はとうてい無理である。
恒例の真清田神社は2日に。
三が日は2日だけがS子(妻)のパート休みだったので、福袋購入、初詣、温泉と一度にやろうと計画。まずエアポートウォークで福袋を買い、それから真清田さんへ。昼食は去年行った「うどん市一宮店」が超満員だったので諦め、41号線沿いの「なか卯」で親子丼。それから尾張温泉に行こうかと思っていたが、運転手(私)が前夜の夜更かしで眠くてたまらなかったので中止、帰宅。今年はこれで正月おしまい。なか卯ではちょっとヒヤッとしたことがあった。券売機で親子丼3人前を買ったのだが、食券を1枚だけ持って席に着いてしまい、そのまま注文してしまった。店員さんがちょっと怪訝な顔をしていたので、?と思って置いていった半券をみると一人前だけだ。さては取り忘れたかと思って券売機を見るとちょうど若い人が自分の買った券以外の券を持って店内を見回していたので、「すみません、それボクのです。取り忘れてしまって」ともらってきて事なきを得た。改めて店員さんに渡してやれやれ。その間席を外していたS子さんが戻ってそのことを話すと「田舎のじいさん丸出しね」とバカにした。カチンときて「誰が払ったと思ってるんだ!」とちっちゃいところを見せてしまった。
2018年12月27日(木) 師走
今月十二日は結婚して四十七年、十五日は祝う気持ちが何となくわかってきたような七十一歳のわが誕生日であった。師走なので忙しかった。今日までに散歩は数日しか行なっていない。まず、月初めにベランダの網戸を張り替えた。ホントなら虫の多い夏にしなければならなかったのを今頃やっている。ただ、やってみると1〜2時間で済むことである。終わったあとの片付けのほうが大変なくらいだ(ねこが邪魔をしてはかどらない)。
次に、ベランダに向いているサッシ戸の結露対策である。数年前、同じ団地の人から薄い発泡スチロール(以下、発ス)をガラス全面に貼ると結露しないと聞いて、まず自分の部屋(玄関横の北向き)に試してみたところ大成功!だからすぐにベランダの方もやればよかったものを、南向きの戸を発スで覆ってしまうと暗くなってしまうとか外が見えなくなるなどへの抵抗感からぐずっていた。しかし今年も結露の季節になって毎朝雑巾で拭くのが煩わしかったところへ、ある日床に結露の水溜りが出来ていてそれを踏んでしまったことで決心がついた。さっそくその日のうちにカーマへ発スを買いに行ったら、意外と安かった(1820×910×10mmを3枚で963円)。作業も寸法を測ってカッターで切り、両面テープを四隅に貼るだけで簡単(キャットタワーから外を見るのが日課の猫のために一部貼ってないところもある)。翌朝、見てみると見事に結露がない! よく見れば若干は結露しているものの雑巾で拭くほどのものはない。さらに思ったほど暗くはなくむしろ柔らかい日差しになってこちらのほうがいいくらいである。毎年カビ汚れで悩まされていたカーテンも取り外してしまった。外が見えないこともさほど気にならない。こんなことならもっと早くやればよかったとつくづく思ったことである。
左は発スを貼ったサッシ戸。戸4枚のうち3枚に貼る。右は取替前のカーペットとボウイ。頼んでもいないのにこのポーズ。右下にかじった跡がある。
次は最大のイベントとなったダイニングの床カーペット(商品名クッションフロア)の取替である。家計簿で調べてみたら’13年の12月に替えたっきりで、汚れだけではなく、猫(ボウイ)にかじられて見るも無残な有様である(右上の写真)。取替作業は老体にはかなりしんどいが、これをやらないと年は越せないと決めていたので、またぞろカーマへ行って幅1700mm×6mを1万円で購入。動かせる家具は動かし、無理なものはそのキワまでカーペットが行くようにカッターで切り揃え、半日かけて敷き詰めた。これをやるとさすがに掃除をした気分になる。もちろん翌日からしばらくは腰痛に悩まされた。
最後に浴室(というより風呂場だが)の扉のカビだらけのパッキンを取り替えるつもりでいたが、体調が思わしくなく断念し、洗い場のすのこを取り替えるだけにした。そして古いすのこを電気丸ノコギリ(電ノコ)で小さくするため団地の空き地に持ち出すと、そこに自治会の役員さんが剪定した木の枝が山と積まれていた。自分も役員の一人なのでついでにこれらも電ノコで小さくしていたら、自治会長さんが通りかかって作業に参加。すのこだけなら5分でおわるはずが1時間以上もかかってしまった。電ノコの使いすぎで右手がしばらく痺れていた。
25日は塾の先生・生徒たちみんなでピザを作って食べるというイベントがあり、年の暮れ感を満喫した。26日には無事インフルエンザの予防接種も受けられ、こうしてやっと今年も暮れていく。
2018年12月01日(土) ハングルのお勉強
今年は毎月一回はブログ更新するつもりで書いてきたが、とうとう11月は書かずに月越しをしてしまった。書かなくてはいけないことがなかったのが一番の理由だが、考えてみればないこともないのだ。そう、見出し通り、今年の8月くらいからハングルの勉強を始めた。以前から興味はあったが、まずネットに多々あるハングル講座から初めてみると、これがなかなかおもしろい。だんだん本気になってきて、9月には『文法がしっかりわかる韓国語』(長友英子・荻野優子著 池田書店 以下『韓国語』。¥1700+税)と日韓・韓日辞典(成美堂書店 ¥1600+税)の二冊を買ってきた。『韓国語』に、ハングルが15世紀の朝鮮王朝世宗の時代に「訓民正音」として作成された言語で、(『訓民正音解例本』が)1997年ユネスコの「世界記録遺産」に選定されたとある。とにかく合理的にできていて覚えやすい。見た目は漢字みたいだが、実はローマ字に近い。アルファベットと同じ数くらいの母音と子音の組み合わせですべてのハングルができている。何より語順や助詞があることなど文法が日本語とよく似ていてとっつきやすいともいえる。
まずは『韓国語』のなかにあった「最初に覚えたい基本会話」の「こんにちは」「ありがとう」「すみません」など、22の文章というのを丸暗記した。 発音もだが、書くのにさすがに苦労した。예요と에요の違いとか、パッチムのㅇとㄴの使い分けなど今だによく間違える。
初めはハングル文字を紙に書いて練習していたが、肩こりがひどく、首の捻挫まで起こしてしまった(これが原因かはわからない)。Macでハングルが入力できるのをネットで知ってからはもっぱらパソコンで練習している。紙に書くほうがいいに決まっているが、カジャ表(ハングルの五十音表)を覚えてしまえば、これで十分である。 韓国語の話し言葉を聴くために、これまでまったく興味のなかった韓国のテレビドラマ(
2018年10月24日(水) 二人の父
今月13日、妻の父、お義父さんが亡くなった。98歳の大往生であった。今年2月に介護施設入所、今月初め肺炎を起こし病院でなくなるという事態経過はむしろ家族思いの最期であった。お義母さんを十三年前に亡くしており、施設に入る前は実家を守っている妻のお姉さんと二人暮らしが長かった。ときどき妻が好きな芝居見物などに連れて行っていたが、それは親孝行というより姉孝行のようだった。私は妻と結婚して五十年近くになるが、お父さんとはほとんど疎遠で孝行らしいことはまったく何もしなかった。自分がしない分妻の親孝行には理解を示そうと努力した。葬儀は今は普通に行われるようになった家族葬で、通夜は妻の妹も含め姉妹3人で、告別式には遠くから来た孫の家族を加えて十人に満たない。他に会葬者も弔電もない質素な、しかし美しい葬式であった。ことに皆が涙して喜んだのはお願いした庵主様の美しい読経で、通夜、告別式、野辺送りいずれも流麗な格調の高いものであった。私は黛敏郎の「涅槃交響曲」をたびたび思いだしていた。
故人の葬儀には何かしら思い出があるはずのものだが、私には妻との結婚を許してもらうときの挨拶と、たった一度だけわが愛車で岐阜の薄墨桜を観に行った(しかも激しい渋滞で見ず仕舞い)ことくらいである。このとき私が辛抱強く渋滞を我慢している横でお義父さんが「わしだったらもうUターンだな」と行ってくれたので得たりとクルマを返したのをよく覚えている。結婚して数年は新年の挨拶に訪れていたと思うが、やがて疎遠になっていった。疎遠の理由はわたしが何となく苦手に思っていたことを妻が許してくれていただけのことである。
もう一人の父とはもちろん私の父である。私は父が57歳の時の子である。異母兄姉がたくさんいるが、今は同母妹と一緒に暮らしている以外、他の兄姉とはまったく疎遠である。どちらかというと私の方からそうしている感がある。
父の思い出は決して良くはない。暴力を振るわれたとかではなく、何より高校進学をまったく考慮されなかったことが大不満である。父は自分が十代前半の歳で奉公に出たことを基準としていたようだ。明治23年生まれと一緒にされたのではかなわない。ただ小学生のときに鉛筆を削って持たせてくれたり、中学生のときは望遠鏡を買ってくれたことなど良い記憶もある。妹が障害児として認定されたときに「お前はT子(妹)の知恵も取ってしまった」と言われて衝撃を受けた。
父は私が中卒後異母兄の縁故で岐阜に就職して1年後、病で倒れた。すでに妹は施設へ預けられていて、病弱の父との二人生活が数年続いた。父の仕事は終戦後しばらく個人でオートバイの製造販売などをしていたが、時代がホンダ・ヤマハなどの大手メーカーに移るとそうしたメーカー車の修理や中古販売が中心になり、私もその仕事を寝たり起きたりの父に叱られながら教えられた。古いお客さんに「後継ぎができてよござんしたね」などと言われて父が嬉しそうなのがわかった。
やがてオートバイでは生活ができなくなり、私が近所の鉄工所に勤めるようになると、父の態度も変化した。夜更けまで友人と遊んでいても何も言わなくなった。24歳で今の妻と結婚するとき、妻の実家に挨拶に行ってくれたが、お義父さんの前に小さく正座している父がなんとなく哀れに見えた。お義父さんは私には娘をやりたくなかったのだろうが、私にはお義父さんの気持ちなど慮る気持ちはまったくない不肖の婿であった。
父は1976年2月、私が28歳のとき自宅で死んだ。85歳だった。入院などは頭に思い浮かぶことさえなかった。経済的に無理だったし、時世的に非難されるようなこともなかった。私は近所では孝行息子の評判さえ取っていたのである。父の終末はあまり記憶がない。死の数日前から意識が混濁し、寒い時期なのに着ているものを脱いでしまうなど奇行が見えた。かかりつけの近所の医師がもう無理と思うから亡くなったら知らせるようにと見放した。医師の死亡確認のとき、私は小さいときから「叔母さん」と呼んでいた歳の離れた異母姉に知らせ、その後の葬儀一切も取り仕切ってもらった。雑用は私の結婚式のときと同様親しい友人たちが惜しまず尽くしてくれた。そのことを今思っても感謝に堪えないのであるが、私はその恩の万分の一も返していないままである。
葬儀は雨の中自宅で行われた。家中に黒白の幕を張り、せまい中にも立派な祭壇が作られ、感動した。玄関に箱庭のような小さな流れが置かれ、白木の大きな板に「竹之内家告別式場」と書かれていた。我ながらなんと立派な葬式かと感心した。唯一の心残りは霊柩車が出発するまえの喪主のあいさつで私は式次第を知らなかったせいもあって「ありがとうございました」としか言えなかったことである。近所の人が大勢見送ってくれたことがなにより嬉しかった。
下の写真は葬儀場となった今は懐かしい我が生家である。長屋自体がすでになく、隣の銀行も今は名を変えている。
2018年09月23日(日) 寸虫先生に謝す
7月のブログで「今取り組んでいる」としていた自然数論は題を「数のなりたち」とし、一応の完成を見て「小論文」のコーナーにアップした。今回の論文には巻頭に「寸虫先生に捧ぐ」と献呈の辞を記した。寸虫先生は数年前に仕事の関係で出会った方で今も週に2度ほどお会いしている。英語の堪能な方だが漢詩などもものされる。わたしが世間話に生い立ちや数学好きを語ったのをきっかけに今年の春、次のような漢詩(のような詩)を作って下さった。
畏友 福沢翁を謳う
古聖宣はく学を好むは知に近く力行するは仁に近しと
来し方を顧みるに我が境涯何ぞこの至言に愧じんや
思へば幼童にして赤貧を洗ひ弱冠十有五にして鉄工を生業とす
炎昼に五体を汗として呻吟し寒夜に手を擦りて文机に向ふ孜孜(シシ)営々の烏兎
書籍常に我が前にあり筆墨また恒に座右にあり
炎熱膚を焦がすとも寒風骨を貫くも刻苦勉励に寸も遅疑なく毫も懈怠なし
斯く苦学力行の蛍雪裡に知らず春秋は経巡り星辰は天球を移ろひ廻る
幾星霜は須臾(シュユ)にして今や陋巷の白髪翁となるも志学の一念紅顔の昔日に変らず
日夜唐国の古書に親しみ秋津洲の古典に耽る是我が乾坤なり
就中西洋数理の学は是即ち我が魂魄にして是が究理に夜を明かし日を暮らす
数術難問の叢林に迷へば没我懊悩に疾く深更を過ぎ
暁闇に至りて遂に求法一条の曙光射す亦嬉しからずや
かほどの粒々辛苦を以て何の実利を得るやと人問はば
胸底に隠然と呟く燕雀焉んぞ鴻鵠の志を知らんやと
而して昴然と面を上げ呵々と答えん世人は財を追ひ我は智を求むと
我が学びは濁世に黄白靑銭を追ふ便法に非ず酒食蓄財また我が事に非ず
唯に無可有の塵外境に遊び夏炉冬扇の道を楽しみ以て我が玉を磨くものなり
かの良寛曰く嚢中三合の米炉辺一束の薪を以て安息すと
斯く世俗の名聞を忘れ名利を思わず無位にして孤高無冠にして不羈を愉しむ
東に聳立する先哲の驥尾に附し西に屹立する先賢の泰山に攀じんと冀う
依て数の哲理を究め以て世界の秘奥を窺わん
美衣美食豈この喜びに如かん粗衣粗食何ぞこの志気を挫かん
嗤ふべし高位高官の栄輝金銀宝珠の栄花如何でこの楽しみに及ばんや
術理の太洋に寄る辺なき孤舟を浮かべ黙念と独り漕ぎゆく
智慧の蒼穹は無路遥かにして学理の海原また茫洋限りなし
綾目分かたぬ茫々の大海は我が指す枝折の他に如何でか道あらん
迷ひ深くして即ち舳先を転じ又進みては即ち迷ふ彫心鏤骨の独行独歩
然れども山頭火曰く一歩即一切一切即一歩なりと
我が才のよし如何に拙くもあれ我が老ひの残喘はよし幾許にもあれ
一漕に一漕を重ね一歩に一歩を継ぎ限りある身の力試さん
天より授かるこの道を拝し父母より享くるこの身を謝す
今宵また一穂の灯を友として机前に端座す
鳥に空あり魚に水あり而して人に道あり
その道を独りゆく老骨求道の消光亦楽しからずや
二〇一八年 如月二十三日
寸虫 謹呈
(注:△△△△は先生の本名)禁無断転載
わたしは人から自分の生き方に対しこのような見方をされたことがない。どのくらい感動したかしれないのである。もちろんわたしはこの詩に値しない、しかし目標にはできる。励まされる。とくに「胸底に隠然と呟く燕雀焉んぞ鴻鵠の志を知らんやと」とは爾来まさに心中密かにたぎらせる闘志となった。この詩なくして「平方剰余の相互法則の証明」や「数のなりたち」はなかったことが寸虫先生への感謝となった。
2018年08月26日(日) 真夏の散歩
もう何年も前から夏の散歩(ウォーキング)を街中で行なうのは危険な気候になっている。特に今年は「命にかかわる暑さ」のせいでそんなことをするのは自殺行為である。そこで涼しい緑陰の下を歩くのならいいかと思い、自転車で西区の庄内緑地公園まで行って約2kmのウォーキングコースを1、2週してまた自転車で帰るというメニューにした(ここは10年くらい前から時折徒歩用コースにしていた)。自転車は電動アシスト付きのママチャリなので往復時のちょっとした坂道(けっこうあるものだ)などもへいちゃらである。庄内川に沿って作られている信号なしの自転車・歩行者専用道路を快適に走り、15分ほどで到着。平坦なところはアシストを切って走れば省エネサイクリングにもなる。35度超えの炎天下でも風を感じてけっこう涼しく、歩くのとはまったく違う。ただし日焼けは半端ないので薄い長袖シャツにしなければならないことをすぐに知った。庄内緑地公園は堤防の一部を切り欠いてあり、大雨時の遊水地としての機能を持つ公園であるが、ふだんはスポーツや娯楽を楽しむ人でよくにぎわっている。ランニング(サイクリング)コースでは歩く人、走る人、ロードバイク、ママチャリなど、ファッションも様々な人達がトレーニングに励んでいる。私は公園に着くと自転車を停め、長袖は脱いでランニングシャツ一枚になりバッグを肩がけにして右手にタオル、左手に扇子とすっかり老人モードでウォーキングを始める。バッグに入れた水筒で時折水分補給。扇子はあおぐのにも使うが、コースにちょっとだけある炎天の道で日除けに使う。いっとき折りたたみ傘を持っていったが、荷物が多いのでやめた(本来雨具だし)。
一周2kmくらいの大きなコースの内側にはグラウンド、噴水、池、キャンプ場などがあり、景色としても悪くない。日々いろいろな人が利用している。驚くのは炎天下のグラウンドで大勢の少年少女たちがホッケーの練習をしていることだ。よくまあこんな日にと思う。とくにマスクに手袋、大きな足カバーというゴールキーパーのスタイルがすごい。我々なら5分で倒れてしまうだろう。となりのテニスコートもけっこう人気である。コートとは反対側のちょっと高くなったところに「グリーンプラザ」があって休憩・トイレなども可能。無理をしないことが大事なのでよく利用する。
コスモス畑の早咲き三姉妹(8/17 庄内公園にて。クリックでちょっとだけ拡大)
T子(妹)も作業所通いの日以外は散歩を欠かさない。「今日は35度だからやめたら?」といっても「行く」という。最近はあまり一緒に出かけることがなくなった。お互い一人のほうが気楽なようである。去年一度転んで怪我をしたことがあったので、治ってから久しぶりに一緒に歩いてどこで転んだかを聞いてみたが、普通の平坦な歩道で特に転んだ原因もわからなかった。彼女のコースは名古屋高速の高架下の国道で午前中なら歩道が日陰になる道で、帰りはバスで帰宅という方法を教えてある。暑いには違いないがほとんど日が差さないので時間帯さえ守れば悪くないと思う。何より帰りは冷房の効いた(効きすぎくらいの)バスなので、家に着く頃はかなりクールダウンしているのがいい。
ついでながらわが妻S子さんは最近はすっかり散歩には出なくなった。夏は暑いし、冬は寒いそうだ。春秋の気持ちのいい日に「猫見に行こうよ」と誘って出かけるくらいである。かならず何か買い物をし、荷物係にされるのでこっちも敬遠気味になる。
2018年07月30日(月) 7月が終わる
今月は何といっても西日本豪雨が凄まじかった。6日〜8日に続けて特別警報が11県に出た。九州から次第に東へ向かって岐阜県にまで及んだときには次は愛知だと覚悟した。結果的には愛知県には出なかったが、放送中のテレビ画面の上部に警告音とともに刻々と「△△県に特別警報」というテロップが流れるたび恐怖心が沸き起こった。最終的に200人以上の死者・行方不明者が出た。正式名称は「平成30年7月豪雨」とのこと。あまりに広範囲だったので地域名称を入れなかったのだという(https://ja.wikipedia.org/wiki/平成30年7月豪雨)。大きな災害に固有名を付けるのは、つい去年「平成29年7月九州北部豪雨」があったばかりである。昨今の「異常」気象から毎年このような規模の災害が起こることになるのではと考えてしまう。実際、西日本豪雨の直前・直後には「命にかかわる危険な暑さ」という39度超えの猛暑が全国を襲っている。小学1年の児童が学習活動中に熱中症で亡くなるなどのニュースが全国民に衝撃を与えた。クーラーを使わないのは自殺行為とまでいわれるようになった。そして次は28〜30日、台風12号が日本を東海から近畿・中国・四国・九州へという前代未聞のコースで抜けて行った。まだ九州南海上で屯している。これらの事態はもう「異常」気象ではなく、これが日本の常態になったといっていいのではないか。今年レベルの命に関わる危険な夏の猛暑と大雨がこれからの日本の夏の「風物詩」になってしまうのだと思う。
災害の記事のあとにのんきな話になるが、今取り組んでいる数学の課題は「自然数論」。有名なペアノ(の公理)やデデキント(数について)、高木貞治(自然数論)などほとんどの数学者は自分の自然数論を持っている(と思う)。で、自分でもそのようなものを持ちたいというのが動機だが、アタマの中ではできているはずだったのが、いざ書き出してみるとずいぶんと曖昧な論理で済ませていたことを痛感する。そこで本気(と書いてマジ)で取り組みだしている。例によって思いつき次第の締め切りなしの執筆だからいつ出来上がるかはわからない。しかし今の自分を虜にしているテーマであることは間違いない。
今月、嬉しい出来事としてはみうら英先生に2年ぶりにお会いできたこと(2016年05月09日付参照)。今年も昨年と同じ「無双舎展」(第2回)での創作で、実は昨年も案内をいただいて展覧会は観たものの、時間の都合でご本人にはお会いできず終いだったのである。今回もまた絵手紙を手ずから頂戴して、こちらはなんのお土産も持たず恐縮した。以下は先生の最新作(の一部)、「毒世異景図」。人間の未来図(地獄)である。
(左の2枚はクリックで拡大) 一番右は みうら英(ヒデリ)氏
2018年06月11日(月) 溜まった録画を一挙に消化
数学での課題を一段落させて(5月21日付参照)やや気抜けしたときには、溜まった録画を片付けるのが常である。このたびは「奇跡の丘」「十戒」「ウィル・ペニー」「博奕打ち・総長賭博」「ある愛の詩」「狼よさらば」…、まだいくつかあったが忘れてしまった。あとテレビドラマでは「モンテ・クリスト伯―華麗なる復讐―」「コンフィデンスマンJP」「そろばん侍」「 鳴門秘帖」、その他「チコちゃんに叱られる!」「にっぽん縦断 こころ旅」など。みんな紫陽花(だと思う)
意外にもこの中で今回一番感動したのは「ある愛の詩」だった。懐かしかった! 1970年とのことだから結婚する前後、妻(S子)とのデートで観た記憶だがちょっと不安で妻に確認できない(笑)。金持ちの御曹司が親の反対を振り切って「身分違いの」女の子と結婚し、苦労して弁護士になったが、妻が白血病で亡くなるという直球ど真ん中の恋愛映画(原題「Love Story」)。自分にはこういうものはもう卒業どころか引退(?)したと思っていたが、途中早送りにすることもなく見終わって涙腺が弱っているせいもあるだろうがまさかの号泣。これを観た当時の自分のことなども思い出していたような気がする。「奇跡の丘」もすっかり忘れていたが、観た映画である。聖書に基づくイエスの生涯を描く。1964年制作とのことだが私が観たのはもう少しあとだったと思う。このころ(十代後半)の私はキリスト教に関心があって近所の教会にも通っていて、神父さま(イタリア人)にこれを観たことを言うと神父さまも観ていて「あのイエスさまはちょっと厳しいです。もっとやさしいお方のはず」と評されたことを覚えている。今回テレビで見ながらだんだん「あれ? これって観たやつだ!」と思い出したときの驚きは、テレビで見る映画の醍醐味のひとつではないか(「めぐり逢い」や「野のユリ」などもそうだった)。
「十戒」はチャールトン・ヘストン主演の映画で、「十戒」はもう十回も見たなんていうダジャレがあるくらい多くの人が何度も見ていることだろう。やはりキリスト教に「かぶれていた」ころに見に行って海の分かれるスペクタル・シーンに酔いしれ、神様は絶対いる!と確信したものだった(なぜそう思ったかはわからない)。「ウィル・ペニー」もチャールトン・ヘストンの主演だが、「十戒」とはずいぶんイメージが違う。録画タイトルの「情報紹介」欄を見て「シェーン」のような映画かと思ったが、あんなにカッコ良くはない。でも放浪するカウボーイたちの過酷な生活がリアルで新しい(当時としては)西部劇だったのだろうと思った。
「博奕打ち・総長賭博」は鶴田浩二が出ていたので見ただけ。特にフアンというのではなく、われわれの世代には映画スターの代名詞のような俳優。大友柳太朗、大川橋蔵、東千代之介等々、この人たちの名前があるとつい見入ってしまう(先日何の番組だったか鶴田さんの娘さん(?)が出ていたのを見てよく似ていると思った)。昨夜やっと見た「狼よさらば」は、やはりわれわれには懐かしいチャールズ・ブロンソンが主役。男性化粧品のCMでよく見た人だ。家族を殺された男の復讐譚。
テレビドラマの今クール(4〜6月)中もっとも気に入っているのが「モンテ・クリスト伯―華麗なる復讐―」(フジテレビ)。ディーン・フジオカ主演。19世紀の原作をかなり無理して(?)現代風にアレンジし、悲痛な復讐劇にしている。まだ終わっていないので感想は次の機会に。ディーン・フジオカは意外にも適役だったかなと思っている。「コンフィデンスマンJP」(同)は有名なハリウッド映画「スティング」をオマージュしたようなドラマ。視聴者をも騙そうとラストで苦労しているのが健気。「そろばん侍」(NHK)は向井理のイメージ通りの痛快な時代劇。「 鳴門秘帖」もNHKの時代劇。山本耕史主演。野々すみ花さんがきれい(タイプです)。同名の映画を小学生の頃映画館で観た(と思う)。渦潮の映像に大きく「鳴門秘帖」と書かれたスクリーンを覚えているが、あらすじとか主役が誰とかまったく記憶にない。
一度見ていっぺんにフアンになったのが「チコちゃんに叱られる!」。テーマや解説も意外で面白いが、なによりチコちゃんがかわいい! スタジオでのチコちゃんは最初別撮りして合成しているのかと思ったが、首から下は明らかに着ぐるみ。そして刻々変わる豊かな表情はあきらかにCG。新しい技術だと思う。そっちに興味が行っているのでテーマははっきり言ってどうでもいいかも。でも男が女より短命なのは「男はもともと女だったのに無理して男になったから」(5月25日)なんてのは痛快だった!。もう男がいばって政治をする時代ではない。男は女の「保険」に過ぎないことを自覚しなければならない。ましてやセクハラ大臣なんて身の程知らずにも程がある(この言い方合ってるかな?)。
…ちょっと話が逸れた。最後に「にっぽん縦断 こころ旅」(NHK-BS)。朝版はリアルで観るが、夜のとうちゃこ版はすぐ溜まってしまう。7年前の開始当時からずっと観ている。視聴者の想い出の土地を自転車で訪ねて「お手紙」を読むだけの番組だが、火野正平さんのキャラクタと絶妙なカメラワークで根強い人気がある(と思う)。番組開始してすぐ東日本大震災があったが、そこに訪れたときは火野さん独自の目線で暖かさと厳しさを視聴者に強く焼き付けた。長い上り坂をはぁはぁぜいぜい言いながら上り、今度は下りを「人生、下り坂サイコー!」の名言を吐きながらすごいスピードで走り抜ける姿はまさに「高齢者の希望の星」(番組登場の某おじ(い)さん)。強面で通っている火野さんが吊り橋を四つん這いで渡る(高所恐怖症だそうです)姿はかわいいを通り越してかわいそうである。
2018年05月21日(月) 241番目(?)の証明
2月26日のこの欄で平方剰余の相互法則の「51番目(?)の証明」を発見したと書いたが、今日はそれが実 は241番目だったという話。「51番」とは岩波数学辞典第2版(1975年)に50個の証明があるとの情報によったのだが、先日見たWikipediaでは240個くらいあると出ていた(https://ja.wikipedia.org/wiki/平方剰余の相互法則)。40年くらいの間に200近くも増えていたのか…。いずれにしても2月の時点での証明はまだ納得がいっていなかったのでこの3か月がんばってやっと最終稿を書き上げた。で、前作は降ろして今回のを「新作」としてアップすることにした。(こちら)前回の題は「平方剰余の相互法則の群論的証明」だったが、今回は「平方剰余の相互法則の証明」とし、章も2つだけ、第1章は「準備、有限体」第2章は「平方剰余の相互法則」。ずいぶん短くなったがその分抽象度が増して、いわゆる「初学的」とはいいにくくなったかもしれない。
前作では群を舞台としてかなりいいところまで攻めてみたが、いつのまにか群の要素を頻繁に足したり引いたりしていることが気になってきた。これは群ではなくて「体」だろうと気付いたのが今回の論文の動機になった。体とは四則計算ができる集合のことだが、特に有限体は有限個の要素内で加減乗除ができるのである。素数pの剰余から作られる有限体はあのガロアの発見に依るものである。
私の知っている平方剰余の相互法則の証明は「ガウス整数論」の難解な第一証明と高木貞治先生の美しい幾何学的証明(「初等整数論講義」)のみであるが、自分の新証明も劣らず美しく簡潔なものと自負している。もちろんそれはガウスと高木貞治という二人の巨人の肩の上に立って初めて望める眺望であるが。
ボウイ1歳――手足伸ばした最長90cmのベンガル猫です。
もちろんこの3か月は数学ばかりではなく、読書の方も頑張っていた。とくにF.エンゲルスの「イギリスの労働者階級の状態」(熱田図書館蔵 岩波文庫上・下巻 1990年)を初めて読んだことは我ながら快挙といっていい(今日は自画自賛が多い)! 自称マルクス主義者の私はもちろん若い頃からこの本の所在は知っていたものの今日までずっと読まずに来ていた。エンゲルスの著書はフアンといってもいいほど好きで、「フォイエルバッハ論」「空想から科学へ」「自然の弁証法」等々は何度も読み返したくらいである。「フォイエルバッハ論」の胸のすく痛快さはマルクス主義の論客中随一であろう(マルクスはもちろん別格)。この著作はエンゲルスがマルクスと共同する前に書かれたものであり、その点からももっと早くに読むべきであったのだ。この本の「序説」にはイギリス(イングランド)の労働者階級の成立過程、18世紀から19世紀に及ぶ時期の苛烈悲惨な状態、そして革命への展望が明瞭な党派的立場から簡潔に描かれている。ここを読むだけでも彼(エンゲルス)が独自の調査と研究から「マルクス主義」者となっていったことが理解できる(お陰で「国民経済学批判大綱」も必読書となった)。本文内容はまさにマルクスの「いわゆる本源的蓄積」で有名な「資本は、頭から爪先まで、あらゆる毛穴から、血と汚物をしたたらせながらこの世に生まれてくる。」(マルクス「資本論」第一巻第24章より。新日本出版社文庫版 1985年第4刷)そのときの有様が一人ひとりの労働者の生活状態を通じて具体的に精密に述べられている。読んでいて胸が悪くなる記述が次々に延々と続く。それが産業革命時の労働者の現実だったのだ。私のような現代のへっぽこ労働者でさえいかに彼らの血の犠牲の上にその恩恵を受けていることかを思い知らされる。このごろよく聞く「勝利する方法は簡単だ、勝つまで諦めないこと」はまさに労働者の「階級是」である。労働者の武器は銃でもお金でもない、団結であることをかみしめる一冊であった(上下二冊だけど)。お堅い本の他に、もう一冊「川端康成集」。これはこのブログにもときどき出てくる自前の「角川書店版・昭和文学全集 1953年発行」の一冊だ(読書継続中)。ずっとむかし「伊豆の踊子」だけ読んでいたが、それ以外の作品を読むのは初めて(「古都」(1962年発表)は他の文庫本で読了)。「雪国」「禽獣」「虹」「舞姫」まで読んだ。岸恵子さんの「雪国」をテレビで観て読み出したのだが、思いの外(?)面白かったので引き続き他の作品を読んでいる。歴史仮名遣いがそのままなのが雰囲気がよく伝わってくる。「舞姫」は戦後7〜8年経っているがまだ戦争の影が尾を引いている頃の、舞踊家の不倫を扱った新聞小説である。抑えた性的描写の筆がかえって艶めかしさを感じさせたり、中年、若者の男女それぞれリアルな心理描写とまだ焼け跡の残る東京の緻密な風景描写など客観小説としても絶品といっていい作品だと思うが、今ではあまり読まれていないのでないか。最後の場面、主人公があとで間接的に衝撃の事実を知るであろうところで終わっていることも「えっ!ここで終わり?」と思わせて秀逸である。確かにもうこれ以上書く必要はないだろう。
2018年03月30日(金) 春爛漫
桜が満開である。昨日は家族で五条川へ、今日はひとりで近くの桜堤と御用水跡街園にいってみた。←五条川にて(3/29) ←桜堤(3/30)
どこも本当にきれいだが、今日の御用水跡街園の桜はまさに圧巻。息を飲むという表現がピッタリで、その美しさを伝えることができなくて悔しいくらいだ。万分の一でもという気持でこの一枚を。昨日、五条川沿いにあるAPITAでお弁当を買ったのだが、その時、美しい桜模様の着物を着た妙齢の婦人がカートを押して行くのを見た。思わず「おきれいですね!」と声をかけてしまった。にっこりして「ありがとうございます」と返してくれたのがまた何ともいえず品が良かった。また今日も御用水跡街園で柵に持たれてうっとり桜を見ていたら、隣に桜模様の帯を締めた可愛らしいおばあさんが同じように桜を見ていた。この時も「帯がお似合いですね」と話しかけると、「今しか着られないでしょ」と微笑んで帯に手をやった。
春は桜だけでなく、女性の衣装もいっしょに花開く季節なのか。
2018年02月26日(月) 51番目(?)の証明
2月21日、とうとう平方剰余の相互法則の証明が完成した!ひとつ前の論文「イデアルとは何か」の最終章に、明らかに不十分な証明を載せたことで、やはりちゃんと証明したいと思い、約半年をかけてついに念願を叶えた。もちろん勝算なしに突っ走ったわけではなく、イデアル論や以前からのガロア理論の研究から群論による手法が非常に有効であることを「発見」したことが大きな動機になっている。したがって論文の題は「平方剰余の相互法則の群論的証明」(注)となる。
初等整数論において、二次合同式 x2≡a (mod. p) に解があるとき、aをpの平方剰余といい、(a/p)=1と表わす(ルジャンドルの記号)。解がないときはaはpの平方非剰余であるとして(a/p)=−1 と表わす。奇素数p,qにおいて次の等式を「平方剰余の相互法則」という(以下「法則」)。
(q/p)(p/q)=(−1){(p−1)/2}・{(q−1)/2}
(これを文章で言うと、奇素数p,qのどちらかまたは両方が4n+1型であれば (p/q)=(q/p),すなわちp,qは互いに平方剰余であるかまたは平方非剰余であり、どちらも4n+3型であれば (p/q)=−(q/p)、すなわちqがpの平方剰余ならばpはqの平方非剰余、またはqがpの平方非剰余ならpはqの平方剰余である。)
私は高木貞治先生の「初等整数論講義」に長く私淑してその「イデヤル」論に深い感銘を受けるとともに、ガウスの「Disquisitiones Arithmeticae」(以下「ガウス整数論」)にも強い関心を抱くようになった。さいわい長瀬正仁氏の名訳著「ガウス整数論」を手に入れることができ、この「法則」に特段の興味を持つようになったのである。
この「法則」にはこれを補完する「平方剰余の第一・第二補充法則」というのがあって、これを「群」によって解明したことで味をしめたのである。しかし城攻めにたとえるなら、外堀にあたる「補充法則」は難なく(?)攻略できても、さすがに本丸を落とすことは困難を極めた。できた!と思った翌日には浅はかな町のポンコツ自称数学者をあざ笑うかのように伏兵が次々と姿を表した。ただ、そのことがまた新たなアイデアを提供し、そのためむしろあきらめがつかないでずるずると無為な日々を送るという状態が続いた。
最後の望みは、やはり高木貞治先生の「もっとも簡明である」(「初等整数論講義」§13.)証明であった。それは座標平面上の格子点(座標が整数である点)によって出来る六角形の対称性によって鮮やかにこの難問を解決している。紙量においてわずか2ページである。この「法則」の持つ対称性への着眼が、対称性を数学的に表現するには「群」をおいて他にはないという私の信念を希望に変えていた。そしてついにそれは成ったのである!
証明の概要は以下の通りである。(興味のない方は飛ばしてください)
奇素数p,qの絶対的剰余類群をそれぞれP,Qとし、P,Qの元を絶対値の小さい順に並べた数列を基数列という.Pの基数列にqをかけると、Pの元の置換になるが、そのとき正の基数列の置換の結果をP(q)と表わすと、その中の負の元の個数が偶数か奇数かによってルジャンドルの記号(q/p)の値が決まる(これをガウスの予備定理という).一方、Qにおける正の基数列にpをかけた結果Q(p)の元を r とすると、−r ∈ P(q) である.なぜなら r はQ(p)の元 kpをqで割った絶対的剰余だから、kp=lq+r となる.ゆえに lq=kp−r .すなわち−r はlqを p で割った絶対的剰余になるから−r ∈ P(q) .これはQ(p)の元はすべて符号を変えてP(q)に含まれることを意味する.すなわちQ(−p)⊂P(q)である.ゆえにP(q)内の絶対値1〜(q−1)/2内の負の元の個数はQ(p)の絶対値1〜(q−1)/2内の正の元の個数に等しい.
次に集合P(q)−Q(−p)、すなわちP(q)の元のうちQ(−p)でないものを絶対値の小さい順にならべると、両端の項、次にその内側の項と順に内側にとった項の各組は符号が等しくなる.例えば p=29,q=17 のとき,P(q)−Q(−p)={−9,10,−11,−12,13,−14}となって,両端の−9と−14,次にその内側の10と13,さらに内側の−12と−13はそれぞれ符号が同じになる.P(q)−Q(−p)の元の個数が偶数のときはそれで負の個数が偶数と決まるが,奇数のときは,P(q)−Q(−p)の数列の真ん中の項の符号によって偶・奇が決まる.その偶奇性は絶対的剰余類群Pにおける「4」の逆元の符号によって決まり,さらに素数pが 4n+1型のときには4の逆元の符号は負で,4n+3型のときには正となるのである.
以上の議論によって,(p/q)から(q/p)が決定される.図で,A(+),B(−)はQ(p)の正・負の個数,X(−),Y(+)は P(q)-Q(−p) 内の負・正の個数,A'(+)はQ(p)の負の元が正として,B'(−)はQ(p)の正の元が反映しているので,個数としてはA=A',B=B'となる.よって(q/p)の値はA'+Xの偶奇性によって決まる.
B'(+) A'(−) X(−) Y(+) 例:p=29,q=11のとき,
P(q) |――――|―――|―――――|―――――| P(11)={11,−7,4,−14,−3,8,−10,1,12,−6,5,−13,−2,9}
Q(p) |―――|――――| ↑ P(q)−Q(−p) Q(29)={−4,3,−1,−5,2} ∴ Q(−p)={4,−3,1,5,−2}
A(+) B(−) P(11)−Q(−29)={−6,−7,8,9,−10,11,12,−13,−14} 中央の項は−10(pが4n+1型だから負).
① p,q がともに 4n+1型のとき,Q(p)は偶数である.このとき,
(p/q)=1 ならばA,Bは偶数.∴ B',A'も偶数.P(q)−Q(−p)も偶数だからXは偶数.よって A'+Xは偶数,∴ (q/p)=1.
(p/q)=−1 ならばA,Bは奇数.∴ B',A'も奇数.P(q)−Q(−p)は偶数だからXは偶数,よって A'+Xは奇数,∴ (q/p)=−1.
② p,q がともに 4n+3型のとき.Q(p)は奇数である.このとき,
(p/q)=1 ならばA,Bは奇・偶.∴ B',A'は偶・奇.P(q)−Q(−p)は偶数だからXは偶数.よって A'+Xは奇数,∴ (q/p)=−1.
p/q)=−1 ならばA,Bは偶・奇.∴ B',A'は奇・偶.P(q)−Q(−p)は偶数だからXは偶数,よって A'+Xは偶数,∴ (q/p)=1.
③ pが 4n+1型,qが4n+3型のとき.Q(p)は奇数である.このとき,
(p/q)=1 ならばA,Bは奇・偶.よってB',A'は偶・奇.P(q)−Q(−p)は奇数で pが 4n+1型なのでXは奇数,よって A'+Xは偶数,∴ (q/p)=1.
(p/q)=−1 ならばA,Bは偶・奇.よってB',A'は奇・偶.P(q)−Q(−p)は奇数で pが 4n+1型なのでXは奇数,よって A'+Xは奇数,∴ (q/p)=−1.
④ pが 4n+3型,qが4n+1型のとき.Q(p)は偶数である.このとき,
(p/q)=1 ならばA,Bは偶数.よってB',A'も偶数.P(q)−Q(−p)は奇数で pが4n+3型なのでXは偶数,よって A'+Xは偶数,∴ (q/p)=1.
(p/q)=−1 ならばA,Bは奇数.よってB',A'も奇数.P(q)−Q(−p)は奇数で pが4n+3型なのでXは偶数,よって A'+Xは奇数,∴ (q/p)=−1.
①〜④をまとめると,p,q の一方または両方が4n+1型のときは,(p/q)=(q/p),両方とも4n+3型ならば(p/q)=−(q/p)ということになる.これは相互法則そのものである.
これが相互法則の「世界で51番目(?)の証明」になることを切に願っている。この証明の根拠となっているのはオイラーの基準とガウスの予備定理であるが、これを用いないでは証明を完成させることはできなかった。それは次の課題となる。それができたときに相互法則を卒業したい。
「類体論」はまだ遠い…
(注:この欄でいう「平方剰余の相互法則の群論的証明」は現在は新しい論文に差し替えて削除しました。「2018年05月21日付」を参照してください) (戻る)
2018年02月01日(木) 祝!「赤旗」創刊90年
きょう2月1日、日本共産党の中央機関紙「しんぶん赤旗」(以下「赤旗」)が創刊90週年(第24098号)を迎えた。1928年(昭和3年)以来ほぼ1世紀の歴史がある。私にとって「赤旗」は同じ紙誌を購読し続けて50年という、他にはない特別な紙媒体である。家の都合で高校への進学ができなかったことで強いひがみ根性を抱いていた私は、一方で読書に励みながら、他方で若者サークル(当時は全盛期だった?)の活動を通して何とかしてこの泥沼から逃れようとしていた。読書も次第に左傾化し向坂逸郎編集のマルクス・エンゲルス選集を読み漁り、はたちの頃には長谷部文雄訳「資本論」第1巻を苦心の末読み通し、いっぱしの自称マルクス主義者になっていた。
当時、名古屋市中川区役所が
「赤旗」はそんな私には一番ぴったりした新聞だったが、記事によく出てくる「労働者」が大企業中心なのがこれまた不満で、この世界でも疎外感を感じたことが一度ならずあった。しかしちょいちょい載る長大な論文(中国・ソ連共産党との激烈な論争や「反党分子」批判など)は大好物で、熟読しては民青の仲間たちに議論をふっかけたりしていた。当時の民青は全国的にもかなり大きな組織で、私の所属した地域班でもフォークダンス・ハイキング・スケートツアーや歌う会などのイベントや、原水爆禁止世界大会へ代表を派遣するためのカンパや署名を町内で集めて回ったり、なにより若者たちの楽しい集いの場であった。今でもあまり変わっていないと思う。
やがて党とも深く関わるようになり、それからかなり長い間「赤旗」の配達集金活動をやってきた。「赤旗」の看板を出しながら自宅で学習塾を開いていたが、近所から特に何か言われるようなことはなかった。党地区委員会にも顔を出して当時まだ珍しかったコンピュータによる「赤旗」の領収書印刷を手伝ったこともある。党大会への意見として配達集金への活動報酬(「援助金」という)を10倍にするよう(無理を承知で)提案したこともあった。
二度の引っ越しを機に「赤旗」の配達集金活動からは手を引くことにした。もう十分やったという気持だった。しかし「赤旗」を読むことは十分ということはない。これを読むことから一日が始まるのはずっと変わらない。民放や一般新聞(もう取ってないけど)ではわからない社会の出来事の本質をずばり解き明かしてくれる。テレビであの首相の顔を見て一日気分の悪い人は多いと思うが、そういうかたにはぜひ「赤旗」がオススメである。
きょうの創刊90年特集の記事で「私と『赤旗』」と題してたくさんの人の投書がでている。私と同じ世代の人が多く、長く活動し今でもがんばっておられるのがわかる。それをみれば確かに励まされるのだが、私はわたしだという気持があって、これからはマイペースで党や社会と関わっていこうと決心している。折しも今日から「JCPサポーター」(https://www.jcp.or.jp/supporter/)なるものが始動している。日本共産党を応援したい人のためのゆる〜い活動組織である。今の自分にピッタリだと思う。いま時計を見たら夕方6時すぎ。もう登録開始しているはずだから登録する。
…登録してきた。簡単。
日本共産党さん、これからもよろしく。
<(注):「二女子」は郵便番号簿等では「ににょし」だが、私(たち)は漢字を知る前に「にによ
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2018年01月09日(火) 明けましておめでとうございます
…といいながら、もう9日、おめでとうでもないが、年頭ではこのあいさつしか思い浮かばない。恒例の真清田神社ショット、今年は7日に。7日、暖かい日。
年末年始ずっと仕事のS子(妻)は、それでも寸暇を惜しんで掃除や料理をこなしていた(私もすこしはがんばったが)。ちゃんと年越しそばも食べられたし、おせちも買ったものを並べる程度だが(当HP「うちの晩ごはん」参照)、わたしは昔から出し玉子巻きと蒲鉾さえあれば十分満足である。元旦には妹と二人で近所の神社へ初詣に行ったが、それなりの人出でいかにも正月らしい気分になった。 そしてやっと7日にS子の一日休みが来たので恒例の真清田神社へ。ちょっと贅沢して名二環と名古屋高速を使って早めに到着(¥440)。毎年苦労する駐車場もこの日はガラ空き、しかし本殿前は百人以上の行列。横一列が5〜6人でそれが数十律儀に並んでいる。いかにも日本的な景色かも。行列の横を先頭まで行って横からお賽銭を投げ入れるのはさすがに割り込みみたいで気が引ける。といって同じように並ぶ気もないので、すぐ隣の行列の全くない「神水舎」にお参りをと思ったが、ここは一人三百円の初穂料がいるところ。道理で
お昼は去年行った「うどん市稲沢店」というお店にするつもりでカーナビをセットしようとしたら、なんと一宮店もある。稲沢店までは6kmあるが、一宮店ならここから2kmもない。行ってみるとたまたま駐車場も空いていて席にもすぐ座れた。ただ人は多い。すぐ行列になった。頼んだものが来るまでやや待たねばならなかった。「市おろし天丼セット」¥880というちょっとぜいたく(?)をする(正月なので(^^;)。汁に解けた大根おろしが美味しかった。こうしていつもながらの楽しいお正月になったのである。
2017年12月10日(日) 数学ざんまいの一年
もう12月である。早い。今年はよく勉強した。去年からのガロア理論に続いてイデアル、そして平方剰余の相互法則(続行中)。興味の尽きないテーマが次々と出てきて、ほんっとにもっと若かったらなあと思うが、実際若かったら毎日の生活に追われて勉強どころではなくなるだろうから、結局今が一番いいのかもしれない。中学生時代の方程式への関心が卒業後の独学へのバネになって三十代からの数学塾経営(個人経営だけど)に繋がった。岩波数学講座を購入してあまりの難度に辟易してテーマをガロア一本に絞る。ガロアが10代に発見した定理を私は50年追いかけることになった。40代になって初めて高木貞治の本に出会う。それからは整数論とガロアに明け暮れて(というほどでもないが)、こんにちの論文執筆にまでこぎつけた。このブログを始めた頃(2002年11月)にもすでに人生の目標が類体論だと「宣言」している。15年かけてやっとスタート地点に立てたという気持である。齢70にして立つ。しかし脳細胞はいささかも衰えていない(と思う)。たしかに計算が遅いとかおまけに間違っていることは目立つがそれはもともとであるから衰えたのではない。
初冬の紅葉。春日井市王子町にて。(12/5撮影。クリックでちょっと大きくなります)
自分にとっての群論と整数論はもともと別の興味(ガロアと高木貞治という人物の魅力)から入ったのであるが、今、それが合流して整数論を群論的な観点から見るようになった。こと新しい見解でもないが、自分にとっては大きな展開となっている。ヒントはやはりガウスである。ガウスはもうその著書(高瀬正仁訳「ガウス整数論」朝倉書店 2003年)の至る所で剰余類を「群のように」扱っている。自分はそれを書き直しているだけだ。だからそれを平方剰余の相互法則にも適用できないかと、今、もがいているのである。(以下、数学の話です。興味のない方は飛ばしてください)
2が奇素数pの平方剰余であるか否かについては相互法則の第二補充法則に(2/p)=(-1)(p2-1)/8という判定式がある。(p2-1)/8が偶数なら(2/p)=1で平方剰余、奇数なら(2/p)=-1で平方非剰余である( (2/p)はルジャンドルの記号)。この証明にはそれなりに重要ないくつかの定理を経て到達するのであるが、これを群で行なうと次のようになる。簡単な例で、p=7としよう。7の絶対的剰余類群とは、7を法とする剰余を7/2より大きいときは7を引いたもので群を作るのである。群表は次の通り。
1 2 3 -3 -2 -1
1: 1 2 3 -3 -2 -1
2: 2 -3 -1 1 3 -2 →7の絶対的剰余の前半1,2,3に2をかけたもの(表のゴシック)は2,-3,-1 で2番めからの2個が負の数になっている。
3: 3 -1 -2 2 1 -3
-3: -3 1 -2 2 -1 3
-2: -2 3 1 -1 -3 2
-1: -1 -2 -3 3 2 1
この負の数の個数が偶数なら2は平方剰余、奇数なら平方非剰余である(ガウスの予備定理)から、7が法の場合、2は平方剰余である。実際32=9≡2 (mod.7) .
これを一般的な奇素数pでいうと、pの絶対値最小剰余のうち正のものに2をかけたものは2,4,…,p-1になるが、これらの絶対値最小剰余を取ったとき、剰余が負の数になるのは(p-1)/2よりあとの数全てある。これは2をかけたときだけの性質である。逆にいえば(p-1)/2以前の数はすべて正であるから正の数の個数は[(p-1)/4]個(ガウス記号)である。したがって負の数の個数は全体の個数(p-1)/2から[(p-1)/4]を引いたものになる。あとはpを8n±1、8n±3と場合分けすれば第二補充法則が完成するのである。
上記の手法に気付いたことが群論を整数論に応用しようという動機になったのである。現在は相互法則自体に挑戦中であるが、成果については予断を許さない状況である。年を越すことは間違いない。やや焦り気味…。
2017年11月02日(木) 高齢者講習―免許更新(追記)
10月31日、運転免許更新のための高齢者講習へ行ってきた。いよいよお墨付きの老人になるのだという、寂しいというより覚悟を決めなくてはという気持ちである。県公安委員会から通知(←写真)が来たのが7月上旬で、最寄りの自動車学校に「すぐ予約を取るように」とのことだったので考えもなしにいつも散歩で目馴染みになっていたところに予約してしまった。あとで自宅近くに別の車校があることに気付いて、さっそく老人力を発揮しているなと思ったことである。それはともかく講習までの3ヶ月間いろいろ考えてしまった。体力は確かに落ちてはいるものの運転に差し支えるほどではない(と思う)。一番気がかりなのは視力である。かなり落ちていることを自覚している。メガネを新調しようと一度は行きつけの眼鏡屋さんに行ってみたらたまたま休みだった。そのまま行かずにしまった。当日を迎えるまで思い出しては緊張する3ヶ月だった。
クルマで行って駐車できるのか不安だったが、Googleのストリートビューで見ると車校の駐車場に「高齢者講習用」という看板があったので安心して出かけた。講習目的と思しき人がもう何人か来ていた。
受付で通知と免許証を渡し、少し経ってから手数料の4650円(高!)と交換に免許証を返してもらう。講義室に案内され、車校の先生の講義が始まる。人数は思ったより少なく全部で9人。「高齢者」への配慮だろうトイレとか気分が悪くなったら言って下さいなどの注意事項のあと講義になる。内容は、交通事故の死亡者の世代別人数では高齢者が多いこと(運転だけでなく歩行者としても)、夕方や自宅の近くでの事故が多いこと、子供の登下校時間はできたら運転しないなど、中々具体的で参考になった。このあと二組に分かれ、ひと組はすぐ「実車講習」(学校のコースを運転して回る)に出て行き、われわれは適性検査。これは通知の記載では「動体視力、夜間視力、視野検査等を行い」、その結果を本人に自覚させ安全運転の意識を高めるものらしい。検査の結果、案の定視力が衰えていると言われた。ただ、先生は「メガネを替えれば更新はできるでしょう」とのことでややほっとする。しかし検査機はともかく車校の先生は目の専門家ではない(と思う)。油断してはならない。
実車講習は3人1組で交代で運転する。私が一番になった。他の二人は後部座席、先生は助手席に座ってコースを支持しながら運転中気付いたことを注意する。先生がしきりにメモしているのが気になる。バックで駐車、S字カーブ、段差乗り上げ、車線変更、踏切、等々。昔の自動車学校での仮免試験を思い出した。特に厳しいことを言われることもなく3人ともつつがなく終了。講義室に帰って「講習終了証明書」をもらって終了。ぴったり二時間で終わった。やれやれである。あとは実際の免許更新を待つばかりだが、もちろんメガネを新調しなくてはならない。また出費のかさむことが増えた。(v v;
(11月20日追記)今月10日に「運転免許証更新連絡書」のハガキが来たので、いよいよ眼鏡を作らねばとまず近所の眼科に行く。5年前にも免許更新でお世話になったところ。このときは変える必要はないとの診断で助かったが、やはり今回は替えましょうかということになった。もらった「眼鏡処方箋」を持って行きつけの眼鏡屋さんで新調した。ちょっと奮発して縁をレンズが90度回転させられるタイプのものにした。いつも書き物をするときにかけたり外したりしていたのでこれは便利である。出来上がるのに1週間かかった。
更新連絡書によると、高齢者講習を受けた人は平針でなくても最寄りの警察署(どこでもというわけではないが)で当日受け取れるとのことである。これはありがたかった!「高齢者」もワルいことばかりではないと思った。20日朝、春日井警察署に行って手続きをすると、心配した目の検査も新しい眼鏡のおかげで問題なし。高齢者講習を受けているので更新日講習を受ける必要もないとのこと。写真を撮って10分もすると名前を呼ばれて新しい免許証を受取った。久しぶりのゴールドである。署に着いてから30分も経っていない。
次の更新は5年後で、今度は後期高齢者(生きていればであるが)になる。そのころには更新の条件がもっと厳しくなっているかもしれないし、こちらの健康状態もどうなっているかわからない。その意味では今回が最後の更新になるかもしれないなとつくづく思った。
2017年10月26日(木) 歴史民俗資料館巡り(2)
ここ一ヶ月ほど体調をくずして資料館巡りが頓挫している。前回せっかく「巡り(1)」と銘打ったので今日は笠松その後の資料館を概括して紹介して次回に備えたい(^ ^;。8月しょっぱなには西尾市の「尾崎士郎記念館」を訪れた。「人生劇場」で有名な尾崎士郎である。西尾市吉良町立吉良図書館の奥隣りにある真新しい建物で、胸像が立っている。資料は生原稿や映画のポスター、挿絵原画など。あとはパネル。復元された書斎にも入れる。
士郎像の前で。隣の「旧糟谷邸」管理人の方に撮ってもらった
村田英雄氏の歌は知らぬ間にフルコーラス覚えているほど馴染んでいる。ただ原作は読んでいないで歌や映画のポスターからのイメージでやくざものの話だと思っていた。実際は作者の自伝的大河小説で文庫でも十冊以上出ている大作らしい。ウチにある「角川書店 昭和文学全集」(昭和29年)にも「靑春篇」「愛慾篇」「殘俠篇」が入っていたので帰ってからさっそく読んでみた。面白かった。やはり主人公の靑成瓢吉よりは「吉良常」と呼ばれている侠客のほうが魅力的だった。演歌の「人生劇場」でも瓢吉ではなく吉良常を歌っているのだろうと思った。次は同9日江南市民文化会館内にある「歴史民俗資料館」。展示も充実していて面白かった。ここでランチしたあと「文化財マップ」というのをもらって織田信長の側室として有名な吉乃の方の実家である「生駒屋敷跡」と前方後円墳の「二子山古墳」を見てきた。古墳跡は一応公園になっていたが、遊具も錆びていて昼間でもちょっとコワいような雰囲気のところだ。墳丘のてっぺんに赤とんぼがたくさんいてそれが楽しかった。
同13日は「大口町歴史民俗資料館」。大口町は毎年五条川の桜を観に行くところで馴染みがある。金助や吉晴で著名な堀尾氏ゆかりの地で地元でも展示に力を入れている(「きんすけくん」は資料館のマスコットキャラクターにもなっているようだ)。堀尾吉晴は江戸慶長年間には雲州松江城を整備(2015年天守国宝指定)、現在松江市と町は姉妹都市になっているとのことである。資料館のあと、「小口城跡」(長久手の戦いでの一拠点)というところへも迷いながらやっとのこと見に行った。遺跡ではないが望楼のような黒い建物が印象的だった。
小口城跡 外観
29日は「一宮市木曽川資料館」と「山内一豊公誕生の地」「黒田城跡」。みな隣接している。一豊公誕生の地は法蓮寺というお寺。ここに駐車してお寺と黒田城跡、そして木曽川資料館へ。ここへくるまでにJRと名鉄の二つの踏切を渡る。資料館は建物が旧町会議事堂とのこと。 木曽川資料館 外観
(外にも舟木一夫展の張り紙)
2017年09月21日(木) 歴史民俗資料館巡り(1)
このところ、県内各地の歴史民俗資料館をたずねるということをやっている。5月に笠松町歴史未来館(ここは岐阜県)へ行ったのが始まりで、8月に尾崎士郎記念館、江南市歴史民俗資料館、大口町歴史民俗資料館、木曽川資料館及び三岸節子記念美術館、9月になってから尾西歴史民俗資料館、そして昨日は犬山市文化資料館。なかなかのプロジェクトになって来た。今日は笠松のことを書く。
私にとって「カサマツ」という地名にはやや複雑な思い入れがある。私の母は父とは内縁関係のまま亡くなった。父が母と暮らす前に本妻さんがいてその人が笠松にいた。自分には数人の異母兄姉がいるらしいことを知ったのは小学校低学年の時で、「カサマツのマチコ姉ちゃん」という人が公園のブランコで遊んでくれていた記憶がおぼろげにある。異母という人にも会った記憶があるから同じ時かもしれない。私が笠松に連れて行かれたのか、マチコさんたちがこっちへ来たのかもわからない。母の死は四年生の時で、それとの前後関係もはっきりしない。そんな時に本妻やその家族に会わせる父の神経も理解できない。また、私が中学卒業後就職した岐阜の鉄工所は、父が異母兄に「頼んで」入れてもらった会社だった。私はそこで一年半働いて名古屋に帰ってきたが、その間異母兄から優しくされた記憶はない。数年後の父の葬儀にも笠松からは誰もこなかった(香典が届いていたことは後で知った)。こんなイキサツが笠松の民俗資料館行きの動機にはなるはずもないのだが、まあ、気になっていた土地ではあるのだ。
5月7日に意を決して出かけた。別に父にゆかりの人を訪ねようというのではないのだから「意を決する」ことではないが、まあそんな気持ちだったのだ。国道22号経由でけっこう遠かったが、木曽川を渡ってすぐのせいか、あまり県外に出たという気にはならない。
笠松町歴史未来館(WEBより)。 木曽川の川湊に残る荷車用の敷石。 鮎鮨街道。 米野の戦い跡。
未来館の受付の人にクルマを止めたままでいいかを聞いて快諾を得たのでここから歩いて街をぶらつく。外に出てすぐ近くにある「みなと公園」には川湊で栄えた頃の遺物が色々残っている。今は町民の憩いの場という感じ。レース場の中に畑があるので有名な笠松競馬場から名鉄笠松駅まで来て、中華料理屋のラーメンでランチ(¥450)。「鮎鮨街道」といわれた古い道を辿って未来館に戻る。このあとクルマで「米野の戦い」跡(関ヶ原の戦いの前哨戦のひとつ。未来館のパネルで知った)を見に行き、帰路に着く。
歴史のある街はどこもそれを観光に活かそうとする。笠松にもそれを感じたが、押し付けがましくはない。寺社だけでなく民家にも古い家が多いけれど古くさくはない。いい印象の町だった。「かさまつ応援寄付金」(ふるさと納税)のパンフを真剣に検討してみた。
2017年08月25日(金) 久しぶりにクラシックを
以前からどうもこの「クラシック」という言葉で自分の趣味を語ることに違和感があるのだが、実際にこのジャンル以外はそれほど聴かないので仕方ないとは思う。もう60年近く今でも毎日二時間以上は聴いている。ただ、コンサートやリサイタルにはほんの数えるほどしか行っていないので筋金入りというほどでもない。20代の人生の目標が作曲家だったので、ある程度は系統だった勉強もしたが、今では書籍や雑誌、CDもほとんど買わない、知識はもっぱらラジオからの「耳学問」に過ぎない。で、今よく聴いている曲はメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」である。曲そのものは以前から知っていたが、ハマったきっかけは今年の初めNHK-FMの放送(「クラシックカフェ」)でカラヤン・ベルリンフィルの「スコットランド」を聴いてからだ。イデアルの論文を書きながら何回聴いただろう。論文を終えて、さて次は何をやろうかと考えて、これだけこの曲を聴いていながらこのままスルーする事が出来なくて、結局、久々に楽譜を買い、Apple StoreからDLもした(クラウディオ・アバド&ロンドン交響楽団、1985年、¥1600。同じ作曲家の「イタリア」も付いている)。
各楽章、いろいろ感想があるが、ほんの印象だけを。第1楽章序奏の哀切のこもったメロディのあと、一転してダイナミックな早いフレーズに変わり、甘い叙情的なだけの曲ではないことを示す。展開部はベートーベンを凌駕するほどである。メンデルスゾーンの天才が先人の偉業を受け継いでいるのを見る。第2楽章は4分の2拍子ながら軽快なスケルツォ風の曲。第3楽章はアダージョの緩徐楽章だが勇壮感もあって個人的にはスコットランドの自然描写の気がする。第4楽章は早いテンポの付点八分音符—十六分音符が連続する舞曲風の第1主題と民謡風の第2主題の対比を際立たせながら、最後にはスコットランド讃歌のような雄大なコーダで全曲を閉めている。——
同じ作曲家の第4番「イタリア」は人気が高いが、個人的には「スコットランド」の方が好きだし、優れていると思う。今度買ったアルバムに一緒に入っているのでもう少し聴き比べてみよう。第5番の「宗教改革」は一、二度聞いたことがある程度なのでなんとも言えない(放送されることも少ない気がする)。
早咲き(?)の萩とコスモス(8/24撮影)
FM放送での曲紹介で、メンデルスゾーンはエディンバラの古城を訪ねてメアリー・スチュアートの時代と19世紀の「現在」との隔世の感に襲われてこの曲の着想を得た、と話していた。われわれ日本人はイギリス民謡はあまり知らないが、スコットランドやアイルランド民謡には幼少から親しんでいる。「故郷の空」(ス民謡)や「庭の千草」(ア民謡)などは誰でも歌えるのではないか(今の小・中学生はともかく)。これらの民謡から受けたイメージとメンデルスゾーンのこの曲とのあいだに特に違和感はない。音楽の与える印象と実際に訪れてみて得られるものとは違って当然だが、少なくとも自分は一抹の憧れを抱くようになった。BSプレミアムで放送されていた「クイーン・メアリー 愛と欲望の王宮」もしばらく見ていたが、あまりの権謀術数の連続に辟易して見るのをやめてしまった。しかし主役がメアリーなのでスコットランドびいきではあった。これがきっかけでイギリスの歴史に興味が湧き、Wikipediaを漁っていたが、複雑すぎてよくわからないままになっている (^ ^;)。カラヤンとアバドの演奏で一番大きく違ったのは、カラヤンは第1楽章の掲示部の繰り返しがないのに対し、アバドは(楽譜通り)繰り返していることである。自分は楽譜通りの方が好きである。楽譜を見て気づいたことでは、第1楽章と第2楽章の間が終止符で終わらず、楽譜上では連続して書かれているのが目を引いた(メロディが続いているわけではなく曲自体はきちんと終わっている)。また第2・3・4楽章の間はちゃんと終止符があるが、そこには「attacca」(切れ目なく演奏する)の用語が印刷されている。もちろん作曲者の意図なのであろうが、聞いている方はいつのまにか次の楽章に行っているという感じで、おや?とは思うものの何か新鮮な感じがした。ライブ録音などでは楽章の切れ目によく聴衆の咳払いが聞こえていささか興ざめすることがあるが、まさかメンデルスゾーンはそれを嫌ったのではないよなと思ったことである。
2017年07月31日(月) ギリ、間に合った!
何が?と言われるかもしれないが、「イデアルとは何か」が7月内に完成したことである。おとといくらいにやっとできたかなと思えるようになって、昨日一日考えて、えいっと決心した。別に締め切りなどはないが、自分で遅くとも6月までにはと思っていたのがひと月伸びたのだから「やっと」なのである(pdf→jpg変換作業はまだです。m(_ _)m →3日に変換終了し、アップしました。)。「イデアルとは何か」(http://www5e.biglobe.ne.jp/~tennin/ronbun/ideal_theory.pdf)
大半は5月にはできていた。2か月も伸びたのは「平方剰余の相互法則」の証明である。シンプルな定理なのにとても奥が深く一筋縄でも二筋縄でもうまく行かなかった。お手本にしていた「初等整数論講義」(高木貞治著、以下「講義」)に出ている証明を初学者向きでないと独断して、ガウスの本に出ている方法を参考にしたのが大間違いであった。高木先生が「最も簡明である」と記されていた方法を素直に取り入れていれば、もっと早く出来上がっていたのだ。しかし、この2か月の苦労のおかげで「整数論の方法は繊細である。小心である。その理想は玲瓏にして些かの陰影をも留めざる処にある」(「講義」序言)ことを垣間見た気がする。ガウスの「数学は科学の女王であり、整数論は数学の女王である」という言葉の意味も少しはわかった気がするのである。
論文全体としては「講義」を「丸写し」したところはない(引用は多々あるが)。もちろん参考にし、勉強もしたが、たくさんの定理も一つ一つ自分で証明し、問題も自分で作って解いている。例えば、平方剰余の相互法則でも二つの「補充法則」の証明はお手本にはない方法でやって見たし、イデアルを使えば x2+5y2=1314684641のような方程式でも、解けるのだということを示した。また「講義」ではやや専門的で「初学者」向きでないと(勝手に)判断したところでは、なんとかそれを回避するための別の手立てを考えたりした。その時の基準は自分自身であった。自分にとって難しいなと思ったものはきっと他の人にも難しいだろうと考えたのである。
一方、ガウスが解いた合同式の問題を彼より150年も前に江戸時代の数学の普及書「塵劫記」に同じ方法で解いていることが出ているのを「発見」して、「和算」への新たな興味も湧いてきた。和算の存在意義が実用よりも遊興であったことの意味をもっと深く考えて見たいのだ。また、今まで見たことがなかったユークリッドの「原論」などにも(もちろん翻訳書だが)目を通したりした。等々、実に実り多い半年であった。
次の課題はもちろん「類体論」、と行きたいが、やはり「平方剰余の相互法則」の証明の中途半端さが気になっているので(夢にまで出てくる!)、これをなんとか納得のいくまで仕上げて、それから「類体論」に進みたいと考えている。
2017年06月29日(木) 家庭内事故
梅雨に入ったせいもあり、我が家の風呂場は本当にキタナイ。家中で一番人に見せたくない場所になっている。ここの団地の風呂場は床と天井はコンクリートの打ちっ放し(床はもちろん防水だが)、壁は住人が替わるたび塗り替えているようでちょっとはキレイになっていたが、今は見る影もなくカビと塗料のひび割れにやられている。住人としてやれることは、桶と風呂釜の自費購入以外にはないので、洗い場はすのこを敷いているところが多いと思う(あまりヨソのウチの風呂場を見たことはないが)。もちろん、住む人の努力でいくらでもキレイにできるとは思うが、我が家ではいかにも中途半端だ。まずできることはすのこの交換。これを一年に一回くらいのペースで。だいたい年末か、今のように梅雨時に行なう。事故はこのとき起きた。
6月19日のボウイ。ほんのちょっと大きくなった。記事とは関係ありません。
少しでもすのこを長持ちさせようという貧乏人の浅知恵で、今回はその上に透明な塩ビの敷物を敷いてみた。正価では思いの外高価だが、商品の切れ端を特価で売っていたのに誘われてつい買ってきた。実際に風呂に入って試して見るとなかなかいい。思ったより滑ったりしない。これはいい買い物をしたと思った。風呂を出て一服してから風呂場の換気窓が閉めっぱなしになっているのに気づいて風呂場に。ドアを開けて見ると、塩ビの敷き物に水が溜まっている。水はけが悪いのだ。スリッパのまま中に入るのがイヤで裸足になって浴室に入った途端、ツルリとなった。
思いっきり顔面を浴槽のカドにぶつけ、一瞬意識が飛んだ。が、すぐ戻ってきて額に手をやると手のひらが真っ赤。スポイトで滴らしているように浴槽内がだんだん赤くなっていく。しばらく動けないままタオルで傷を抑えていた。S子さん(妻)が「救急車呼ぶよ!」と言ったが、「(呼ばなくて)いい!大丈夫!」となぜだか怒り声。五分くらい経ってからやっと自室に戻り、血止めを繰り返しながらその度に傷口を見ると、こめかみと右目の間に2センチくらい傷口がパックリと口を開けている。
「ヤバイなあ」と自分の声を意識しながらつぶやいている。意識を確かめているのだ。傷の痛みとは別の痛みはないか、右目は見えるか、白目に血が滲んでいないか、歩けるか、…。奥さんが心配して見に来るが、「大丈夫だから」を繰り返す。なかなか出血が止まらない。家中のバンドエイドを使ってしまい、最後はティッシュを折りたたんでセロテープでとめる。机に向かって今絶好調の「イデアル論」の執筆を試してみる。しかし不安が先に立って集中できない。テレビで「マツコ&有吉 かりそめ天国」というのを見てみた。わりと観ていられる。ふと鏡で傷を見るとティッシュが真っ赤。また不安がつのる。しかし、少しは止まっているようにも思う。向こうで奥さんが何かやっている。見にいくと例の塩ビの敷物を取り片付けている。自分の考えのなさを非難されているようで「勝手に片付けるな!」とまた怒鳴る。しかし片付けるのは当然のことだ。敷いたままにしていたらまた誰かが滑るかもしれない。結局塩ビは捨てることに。
傷がズキズキ痛んでその夜はなかなか寝付けなかった。しかし3時ごろになると出血は止まったようだ。関係あるのか少し下痢気味になるが、その他の異変は今のところない。
翌日(つまり今日)、行きつけの内科に電話して近所のK外科を教えてもらい、クルマで出かける(やっぱりクルマはまだ必要だ)。あまり混んでいなくて受付の後、看護師さんがにわか張りの絆創膏を張り替えてくれる。メモ用紙に住所と名前を書く(これも検査の一つかも)。15分ほどで順番が廻ってきた。K先生はまだ若い医師で、出血は止まっていること、縫わなくてもいいこと、傷は残らないだろうことを話してくれ、看護師さんが3人がかりで(頭を押さえている人、傷口を合わせる人、テープを貼る人)手当をしてくれた。不安はやっと少し治まる。自分ではレントゲンも考えていたが、他に異常がないことで先生が必要なしと判断したのかもしれない。
3日分の内服薬(感染症予防)だけもらって帰る。今度は7月4日に行ってテープを取ってもらう。それまでは外さない、濡らさない。治療費1310円。'14年10月の歯医者以来の久しぶりの医者通いになった(このブログアップも自分では「検査」のつもりです)。
2017年05月22日(月) 天使の交代
昨年8月に飼い猫のもえちゃんとしろが相次いで天に召された。しろは19歳というトシからいってほぼ寿命だったが、もえちゃんは猫の白血病といわれるFeLVによる急死だった。まだ2歳になる前だった。しばらくあてね一人(一匹)だけの期間が続いたが、今月(S子(妻)の)念願叶って子猫が我が家にやってきた。ずっと拾い猫ばかりだったが久しぶりのもらい猫である。名前は「ボウイ」(二代目・オス)に決まった。ボウイです、よろしく。 仲良くしてます…
初代ボウイはかれこれ三十数年前に我が家(今の家ではないが)にいたオスの茶トラ猫で、キジトラの妹と一緒にやってきて私の写真術を向上(?)させてくれた功労者である。彼らのためにソニーのベータムービーを買ったくらいだ。最初チルチルとミチルにしようと私が言ったのを妻が好きだったイギリスのロックスターの名からボウイになった。妹の方も「チル」と言う半端な名前になってしまった。初代ボウイ(茶トラ)と妹(キジトラ)のチルちゃん。兄妹だけあってとても仲良しだった。1984年ごろ
初代のボウイは5歳くらいの時に行方不明になったので、今でもどこかで誰かの世話をしていると妻は言う。チルちゃんは当時としては長寿だったが、これも晩年ふと居なくなった。チルちゃんで思い出深いのは、ある皮膚病にかかった時、獣医さんが「これはついこの間アメリカから来た特効薬です」と言って服用させた薬がびっくりするほど効いてみるみる元どおりの毛並みになったことだ。それ以来動物病院の薬は人間の病院のクスリより信用している。初代の話はともかく、今度来たボウイはおとなしかったのは最初の1日だけで、次の日からはいかにも子猫らしく飛び回っていたずらのし放題である。もえちゃんはどちらかというと人よりは猫(しろやあてね)の方に親しかったが、ボウイは人によく懐いてあてねにはあまり関心がないようだ。もらい先の人に大事にされていたことが窺える。とはいえ、絶えず足先に纏われたり噛み付いてくるのは困ったものだ、カワイイけど。
…というわけで天人午睡の看板猫も、もえちゃんからボウイに変わったと言う話である。
2017年04月30日(日) 誰にも会わない日
桜もすでに終わり、今はツツジが満開、藤棚のあるところでは見頃の候となってしまった。今日のお題の「会わない」というのは人ではなくてネコのことである。ほぼ毎日続けている散歩(自称「数学の小道」散策)で一匹の猫にも会わない日がある。「猫の惑星」とも言われている地球で(誰が言った?)ヒトは見てもネコを見ない日というのは珍しい。特に会うのを楽しみにしている馴染みのネコに会わない日はデートにすっぽかされた時のように寂しい思いをする。特にこのブログにも時々(写真で)登場していたみけちゃん(勝手に命名)は、ぱったり見なくなってしまった。とても愛想のいいネコだったのできっとどこかいいお家に拾われて行ったのだと思っているが、こちらは会えなくなってとても切ない。五十メートルも先からこっちを見つけてとっとっとと走ってくるときのいじらしさはたまらないものがあった。みけちゃんの仲間には他にも「ニャジラ」や「まゆちゃん」「くろ」(いずれも勝手に命名)など四、五匹いたネコたちが全く姿を見せない時がある。ひょっとして集会場が変更になったのか!?
ネコたちの集会場(だった?) 飛鳥の酒船石を思い出した…
みけちゃんたちに会う場所(写真)は名古屋市との境にある県道に架かった橋のたもと一帯なのだが、歩道と車道の間に茂みがあり、ソテツがあるのが目を引く(と言ってもこの写真を撮るまで気づかなかったが(^ ^;)。巨石(写真右、二メートル以上。やや加工の跡)がゴロゴロしている不思議なところである(写真左手前の石はよく磨かれて椅子になっている)。その環境がネコたちのたむろするのに都合がいいのかもしれない。みけちゃんはいつもこの茂みの中から姿を現し、目の前の歩道でネコがよくやるあのゴロゴロ転がりを見せてくれた。それにしてもなぜここにソテツが? 気になるところだ。実は車道を挟んで反対側にも同じように茂み、ソテツ、巨石が島を作っている。たぶん橋を作る前後の何かの遺構だろうと思っているが、特に案内掲示板のようなものはない。さて、誰にも興味のないわがイデアル論の進捗であるが、やっと半分までは来たかなという状態。今はイデアル論の基本定理の一歩前。つい先週まで難問に出くわして数週間ほど考えては書き、書いては削除といった状態が続いていた。精神的にも最悪で体調にも影響していたと思う。この苦労(?)を忘れないためにも書き留めておくが、二次体の整数の定義を「換骨奪胎」したおかげで Z[√-5] のある性質(AA'=n)を証明できないことだ。今になって整数の定義を原書(「初等整数論講義」)通り書き換えることはしないでいきたかった。Z[√-5] でいくつか自分で例題を作って見ると全てうまくいくのだからきっとできると思った。結果としてでき上がったものは思いの外簡単なものになったので、ひょっとしたらどこか間違っているかもしれない。
イデアル論の基本定理が証明できたら、最後の章としてイデアル論の応用として二元二次不定方程式論を展開し、一応のけりをつけようと考えている。
2017年03月24日(金) カルメン
今月17日(金)のNHK-FM「オペラ・ファンタスティカ/藤原歌劇団公演“カルメン” (管弦楽)日本フィルハーモニー交響楽団(指揮)山田和樹(2017年2月5日 東京文化会館大ホールで収録)」を聴いた。クラシック音楽は中学生の頃から好きだったが、オペラをすすんで聞くようになったのはここ数年である。歌は歌謡曲や唱歌以外にはあまり興味が持てなかった。せいぜいシューベルトの歌曲をバリトンで聴くくらいだった。ソプラノの高い歌声を美しいと思うようになるまでにずいぶん時間がかかった。今では有名アリアなどをダウンロードしてまで(1曲数百円)聴くのだからヒトは変わるものである。
歌劇「カルメン」全体を(テレビで)見たのはずっと後だが、改めて思うのはビゼーの音楽の素晴らしさである。ビゼーの音楽には長く親しんできた。中学の音楽教材にも序曲、闘牛士の歌などたくさん出ていた。ハバネラもあったしカスタネットの歌というのも載っていた。「アルカラの竜騎兵」などは「カルメン」の劇中の曲と知らずに覚えていた。序曲のはじめの部分をハーモニカで吹けるのはクラスで自分だけというのが自慢だったが、他にやろうというものがいたわけではない。スペインやロマの音楽などの異国情緒も馴染みやすい(歌劇そのものはフランス語)。第2幕冒頭のいわゆる「ジプシーの踊り」の曲はいつもはオーケストラだけで聴くのだが、今回の放送では特にこれに群衆の喧騒や合唱、それをつらぬくカルメンの歌が入り混じってロマの音楽の哀愁と熱情がひときわ強く印象に残った。解説者の室田尚子さんが合唱を高く評価していたのが頷ける。この後に「闘牛士の歌」が続いて息つぐ間もない。
原作はずっと前に読んでいるはずだが、すっかり忘れているので今回もう一度読んで見た(メリメ「カルメン」杉捷夫 訳 岩波文庫)。意外にもオペラとは色々違ったところが見つかって面白かった。まずカルメンは「カルメンシタ」という名でもあること(歌劇でもその名を使っているところがある)。原作の主人公ドン・ホセが一味に加わるカルメンの情夫ダンカイレは密輸団どころか強盗・殺人・追い剥ぎなんでもやる、仲間を平気で見捨てアシがつかないようにと仲間の死体の顔に何発も銃を打ち込むという残虐な男で、いろんな成り行きの後ホセはその男を殺してしまうが、そのシーンはとてもリアルである。また、ホセに飽きたカルメンが次に惚れる闘牛士の名前は(歌劇での)エスカミーリョではなくルーカスとなっていて、牛と闘って大怪我をする。その彼を見舞いに行こうとするカルメンをホセは殺してしまうのである。またホセの婚約者ミカエラは原作には登場しない。これらかなり込み入った筋立ては歌劇化のためかなり単純化してあるが、これが成功していると思う。カルメンはよく魔性の女と言われるタイプの典型であるが、歌劇でも原作でもこれは多分にロマという民族性からきているもので、例えば日本ではあまりこのタイプの女性はお目にかからない。自由についての考え方があまりに異なっていると思う。第1幕のカルメンのアリア(ハバネラ)は「恋は野の鳥」と題されているが、カルメンの自己紹介的な歌でこのままの女である(ヴァーチャルうたごえ喫茶「のび」のHPより「ハバネラ(恋は野の鳥)」堀内敬三訳 http://www.utagoekissa.com/habanera.html を参考 感謝m(_ _)m)。原作の第4章でメリメはロマ民族(作中ではボヘミアン、ヒタノス、ジプシー、チゴイネルなど)についての詳しい「研究」を載せているが、小説なのでどこまで知識として取り込んでいいのかはわからない。しかしこの章によって作者がいかにロマの女に対して大きな興味と関心を抱いていたかがわかる。
←昔買ったのはもうないので図書館から こっちは初めて読む。
ついでと言っては何だが、同じ放送で歌劇の終了後の余時間に「アルルの女」第一組曲が流れたので、今まで読んだことがなかった同名の戯曲(ドーデ作。ビゼーがこれに付随音楽を作曲した)もビゼーつながりで「カルメン」と一緒に借りて読んだ。昔から親しんできたこの組曲は、どの曲を取っても物語を全然反映していないかのような印象で、アルルの女がどんな女なのかずっと不思議なイメージを作り上げていた。今、原作を読んでなるほどと思ったが、ネタバレになるので書かない(読んだ人が少ないそうなのでぜひ読んでください)。音楽として特に第二組曲の「メヌエット」はフルートとハープの何とも言えず甘い美しいメロディが好きだったが、これはビゼーの別の歌劇の曲だとウィキペディアで知って複雑な思いである。今となっては「アルルの女」から切り離せない。また終曲の「ファランドール」も「アルルの女」という名前にそぐわない狂熱的な祭典のイメージが強いのだが、戯曲を読んだ後ではむしろ納得がいくのを不思議に思った。
2017年02月27日(月) 二月が終わる前に
もう十日ほど前に愛機iPhone5がいわゆる圏外病にかかった。再起動を繰り返しても電話がかけられない、受けられない。他の機能はすべて問題ないのだが、画面左上に「圏外」と出たまま。特に困ったことはないが、やはりイザというとき使えないのでは困る。色々ネットで探してみると、あるある。「圏外病」という言葉もそこで覚えた。何だか持病の一つのように書いてあるものもある。AppleのHPやいろいろな人の(HPの)助言に従って、再起動だけでなく、「設定/一般/リセット/ネットワーク設定をリセット」も何度もやってみた。すると、「圏外」が白丸五つ○○○○○に変わった!やれ嬉しやと思ったが、○○○○○ではやはりかからない、受けられない。必死の思いでネットワークのリセットを繰り返していると、一瞬だけ一番左の○が●に変わった。「直ったか?」と思ったらすぐ○に。やっぱりダメである。
次に思ったのは「電話がかけられないのだからキャリアショップだろう」ということで、auショップに出かけた。平日でもたくさんの人。しばらく待たされるかと思いきや、受付用紙に記入していたら「どんなご用件ですか?」と聞かれたのでこれこれ説明すると、「わかりました。一度、SIMを診てみましょう」と愛機を持っていって調べてくれた。帰ってきて言うには「SIMは正常です。どうも本体の故障のようですね」と言われた。
このとき、「実はそろそろ機種を変更したいと思っているのですが」と持ちかけると、「ご希望は?」「(iPhone)SEなんですが」「わかりました。現在のご契約等をお調べしますのでお待ちください」と、先ほどの受付用紙を持ってデスクの中に入り、ちょっとして戻ってきて言うには「お客様のご契約はLTEプランの従量制になっているので機種変更するとLTE定額制になってしまうのですが」とのこと。こっちは???
聞いてみると、現在は従量制は無くなって新契約(機種変でも?)はすべてLTE定額制(LTEフラット)になるのだそうで、SEに替えると+¥5700の出費を強要されるらしい。それは困ると言うことで「じゃ、Appleに行って修理をお願いしてみます」とすごすごと帰ってきた。ネットで見てみるとなる程、その旨HPに出ていた(参考:http://news.kddi.com/kddi/corporate/newsrelease/2015/09/30/1386.html)。
憤懣やるかたないのだが、貧乏人の悲しさ、長い物には巻かれろ重いものには轢かれろで、iPhone5を修理して使う決心をした(はずだった)。
帰ってAppleのHPからGenius Barに修理の予約を入れると、なんと5日もあと!仕方なく待つことにしたが、電話以外全く正常なのでほとんど困らない。ここは年金生活者の呑気なところ。しかもあろうことか、データを消すのが嫌で躊躇していた「設定/一般/リセット/すべての設定をリセット」を実行したら治ってしまった!(しかもデータは残ったまま。こんな方法があるのなら早く言ってよー)。
それでも新機種(SE)目当てに約束の日にAppleのショップへ出かけた。iPad片手に受け付けている人(「スペシャリスト」というらしい)に声をかけると、「おかしいですね、ご予約承った時間が違うのですが…」「確か2:40のはずですが」と私。その場でAppleからの予約確認のメールをみると14:40ではなくて午後4:40でした(~ _~;)。それでも話は聞いてくれて、「いっそのこと新機種を購入したいのですが」と話したら、
「多分、iPhone5のSIMをSEに移すだけで問題なく使えると思いますよ」
「でもauさんは機種を替えるにはLTEフラットしかないと…」
「まあ、auさんにはそちらの都合があるのでしょうけど、でも使えると思います。試して見ますか?」
喜んだのは言うまでもない。目の前でSIMを旧iPhoneから新iPhoneへ移し変えてくれた。何の問題もなく終了。数日様子見て調子悪かったら返品も可能とのこと。至れり尽くせりである。嬉々として大枚5.4万円ハタいて(カードだけど)帰路に着いた。
さて、悲劇(喜劇)はここからである。さっそく夜中までかかって新旧iPhoneのアプリ・コンテンツ移行作業に没頭した。そして今日、auの「My au」というアプリを開いてびっくり!バケット通信料が1万円を超えているではないか!どうもアプリ移行作業で(知らぬ間に)モバイルデータ通信機能を使っていたようである。真っ青に(気持ちの上では)なってauショップに飛び込んだ。ちゃんとデータ通信はオフにして作業したと言い張ったけれどどうにもなるものではない。黙って愚痴を聞いてくれるキレイな店員さんの「お気の毒に」という表情を見て冷静さを取り戻した。
まあ、これで明日以降バケット通信料が増えていなければ、高い月謝を払って機種移行の教訓を学んだということにするが、それにしてもiPhoneを5からSEへ替えるのにLTEフラットにしないとダメというauショップの話には納得がいかない。だってAppleショップではSIMを移し変えるだけで済んでしまったのだから。もしこちらが「じゃあ仕方ないのでそれ(LTEフラット)でお願いします」と答えていれば「しめしめ」だったの?
Appleのやり方が au にとって面白くないのはわかるが、それが問題のない手段であるならば、auショップとしてはできないとしてもせめて教えてくれるだけでもいいのではないか。あ、それともAppleへ行くようにと暗に教えてくれたのか?まさかねぇ…
二月も明日で終わり。この10日間はiPhoneに振り回されたけど、それだけなくてはならない存在になってしまったようで、前にも書いたがどうか故障だけはしないでくださいと祈りに近い気持ちで新しいiPhoneを見つめている。
2017年01月24日(火) 「イデアルとは何か」
三日付本欄に、今年の抱負として「まずは JavaScript 」と書いておきながら、それを後回しにして実は小論文の方を書き始めている。題は「イデアルとは何か」に決定した。とりあえずは簡単な整数の問題を解くことから始めて見たが、これだと高木貞治著「初等整数論講義」(以下「講義」)を我流でなぞっているだけのような記述になっている。コレデハイケナイ。やはり前作「ガロア理論の初等的解題」のようにいきなり核心的な命題を天下り的に示すところから書いてみようかとも考える。とすれば第1章は「イデアル論の基本定理」ということになるだろう。
「初等整数論講義」中表紙。共立出版株式会社 1994年7月1日第2版28刷発行
(以下、数学のハナシです。)イデアル論の基本定理とは「講義」によれば「1以外のイデヤルママを素因子に分解することができる。分解は一意的である。」(定理5.12)というものである。もちろんイデアルが何のことかわからないままこう言われても何も理解したことにはならないのだが(イデアルの定義についてはここ)、この定理中の「分解は一意的である」というところが核心である。いわゆる初等整数論でも、その基本定理は素因数分解の一意性であるとされているが、「整数」の範囲を広げるとこれが成り立たなくなるのである。例えば拙論「ガロア理論の初等的解題」でもよく出てきた二次体Q(√n)(Qは有理数の集合、√nはルートn、nは平方因数を含まない整数)の一般的な元は「x+y√n」(x、yは有理数)で表されるが、この時x、yを整数に限った集合を新たに「二次体の整数」として定義すると、nの値によっては素因数分解の一意性が成り立たないものがある、というより、成り立つ方が稀とされる。有名な「ガウス整数:x+yi(x、yは整数、i は虚数単位)」は成り立つ方であるが、x+y√-5 では成り立たない。
(注:例えば二次体Q(i)の整数x+yi(ガウス整数)では、2=(1+i)(1−i) と 2 が一意的に素因数分解されるが、Q(√-5)の整数 x+y√-5 では 6=2×3=(1+√-5)(1−√-5) のように 6 が2通りに分解される。
そこでハタと困るのは素因数分解の一意性が成り立たない「整数論」というのはもう整数論とは言えないことである。「講義」では、Kummerという数学者が「理想数」(Ideal number)という新しい数を考えることでこの困難の打開を図ったが、その理論は結局は普及せず、「ここに Dedekind はさらに深く問題の根底を究めて、簡単明瞭にしてかつ一般的なイデヤル(Ideal)の理論を構成することに成功した。」(§41. 6)と述べている。すなわち、イデアルとは高次(ここの例では二次)の数体の整数論における素因数分解の一意性を確立するために創成された概念で、これによってさらに一般的な数体における整数論が確立されることになり、イデアル論は代数的整数論の飛躍における画期をなしたのである。ちなみに、「整数」自体の拡張を行なうことの有効性として、「講義」ではいくつかの2次ないし高次不定方程式の解法が簡明に説明されることを例題を載せて解説している(例:x2+y2=a など)。
現代の数学では整数のような性質を持つ集合を「環」という概念でとらえ、イデアルもその中で考えることが普通になっているが、これでは抽象化の度合いが強すぎて初学者にはむつかしい。そこで我が小論では「講義」にあるように、初等整数についての基本的な性質から初めてごく自然に代数的整数論に至るように議論を運ぶことにする。結局は「初等整数論講義」の平易化(換骨奪胎?)にすぎないことになるのかもしれないが、それでも何より自分が理解するためのヨスガとなることだけは間違いない。
2017年01月03日(火) 明けましておめでとうございます
あっというまに年が明けたという感じ。S子(妻)さんは年末年始ともろくに休みがないのだが、私は掃除以外はのんびりしたもので、テレビぼけが進んで数学もJavaScriptもどこへやら。何はともあれ恒例の真清田神社ショットを。S子はこの日だけ休み。
昨日の真清田神社参拝のあと、門前商店街を冷やかしているうち、S子がおもちゃ屋さんでシルバニアファミリーのおうちの値打ちなのを見つけてしまった。店員さんの「今だと半額ですよ〜」との甘い言葉につい…。T子(妹)が店員さんに「お孫さんが喜びますね」と言われたと店を出てから話していた(まだうさぎの人形(?)がなく、写真の撮り映えがしないので後日紹介)。
お昼はどこでと思案の結果、帰り道の丸亀製麺でとなったが、今日までが年始休業。がっかりしたが、すぐ近くに「うどん市」というまだ入ったことのないうどん屋さんを見つけて、ここで昼食。丸亀よりやや高くついたが、まぁお正月だし。実物を撮らずにメニューだけ撮ってきた(ほんの一部)。食べたのは上から2段目の卵とじとかき揚げ。
今、去年の一月一日の自分のブログを見て冒頭の「あっというまに年が明けた」という語句を見つけた。題も今日と同じ。いかにも芸がないが、どちらも実感なのでこのままにします (^~^;)。
さて、少しは抱負なども。何度も書いているがまずは JavaScript 。何とかモノ にして師匠である倉金さんへの約束(巨大整数の四則計算PRG)を実現しなくてはならない。あまり期待はされていないとは思うのでその点、気は楽だが、「やっぱりできませんでした」では師匠の命名たる「素人大数学者?」の名がすたる。もう一つはこれも何度も書いている「類体論」。そこまでは無理でも高木貞治著「初等整数論講義」は踏破したい。今は「二次体の整数論」に四苦八苦しているところ。やっぱりイデヤルママが大きな壁(2002年11月16日のブログから14年経っている!)。意味や性質は大体わかったつもりだが、イマヒトツ理解が進まない。「イデヤルとは倍数の拡張」くらいの捉え方では納得がいかないのだ。次の小論文の題名は「イデアルとは何か」に決めているが、こんなことでは類体にはいつたどり着けるのか…。相変わらずの体たらくである。2016年12月23日(金) 暮れに臨んで
この半年は月に一度しかブログを書かなかった。別にいいのだが、月いちでは「日記」にはならない。毎日書きたいことはあっても、それをすることよりもっと他のことに時間を取りたいようだ。近況:朝は7時過ぎ起床。ゴミ出しをして猫のごはんを用意し洗濯機を回す(回すっていうかな?)。自分のご飯が済んで洗濯物を干したら、出かけが寒いのでかなりの防寒対策をして散歩(ウォーキング?)に出かけるが、たいてい汗びっしょりで帰る。ほぼ毎日コースはいつも同じ。3年履いたスニーカーに穴が空いたので先月新調した。アマゾンで¥5600。初めは足に合っていない気がしたが、履いているうちにぴったりきたので今は気に入っている。6〜7年前に同じ団地の友人に「いいよ」と勧められてからニューバランスばっかりになった。いつも持参するiPhoneアプリの「Walker」によると年間だいたい800km歩いて3年も持ったのだからモトは取ったと思う。一日だいたい7〜8千歩で6km、1.5時間くらい。堤防の上を歩くのが半分、あとは県道沿いの歩道が半分だが、歩道は段差やクルマに注意しなくてはいけないので思索には向かない。ネコに出会えばたいてい写真を撮る。
ハルジオン?ヒメジョオン?今ごろ咲いているとどっちかわからない…(12/22 洗堰堤防付近)
今年は5月から週2回塾の先生もやるようになった。名古屋市が行なっている中学生への学習支援事業の一環で、地域の診療所の一室を借りて5人くらいの先生(市ではサポーターといっている)が10人くらいの中学生に色々な科目を教えている。名付けて「寺子屋塾」。もちろん無料である。いろいろな事情の子たちが困難の中でそれなりに頑張っている。進学塾とは違って文字通りの「学習支援」で、基本的なことを教えることが目的である。サポーターを始めた頃は学校の授業に遅れている子供たちをなんとかついていけるようにするのが目的かと思っていたが、半年経って見て、また他のサポーターの先生たちと話してみて、こういう形こそがホントの教育?ではないかと思えるようにもなった。寺子屋塾とは言い得て妙なのである。江戸時代の寺子屋というと「読み書きそろばん」という生活上必要な技能だけを教えていたように思われるが、実は非常に高度な教育形態であったことはいわゆる「和算」の発展を見ても明らかである。江戸の勘定方の武士は日食の予言や太陽暦の作成なども行なっていたし、関孝和を祖とする関流の弟子たちは微分積分や行列式、無限級数の計算まで行なっていた。円周率などは小数点以下数十桁は常識としていた。「塵劫記」のような数学書がベストセラーとなり、多くの武士・商人・農民たちが競って算額(数学の問題を解いて神社に奉納したもの)を奉納したりしていたのである。彼らの「学び」を支えていたのは全国津々浦々にあった寺子屋や私塾であった。
こうした社会基盤があったからこそ、日本がいわゆる明治の「文明開化」による西欧化を乗り切れたと同時に、一方では寺子屋としてあった日本独自の理想的な教育形態は明治政府の新「学制」による国家教育の施行によって一気に破壊されてしまった。大戦後の民主教育の確立にもかかわらず、国家の名による「教育」の弊害が、いじめ、差別、格差、高額な学費等々、いかに深刻な社会問題となっているかは火を見るよりも明らかである。その意味では「寺子屋塾」のような学習支援事業が教育本来の「学び舎」としての役わりを果たすものにならなければならないのではないか。…こんなことも散歩中に考えたことである。
10年以上使ってきたプリンタEPSON PX-V630がとうとう印刷物に太い線が出るようになった。替え時と思っていたのであまり直そうなどと考えずさっそくアマゾンで最安値の機種を探し、同じメーカーのPX-105というのを買った。¥6340。なんとWiHiが使えるではないか! 今時は常識なのだろうが細かい仕様も見ないで買ったので嬉しかった。ただ実際に無線LANで使うにはちょっと苦労した。というのは MacBook Air にはCDDiskがないので、まずWindows10機でインストールし、プリンタにIPを振っておいてからMacで設定するという方法になった。また、iPhoneからは直接印刷できないこともわかった。この値段だからそれほど残念とも思わない。ひょっとすると、次のバージョンアップでできるようになるかもしれないと期待している。
2016年11月17日(木) 「ガロア…改訂版」アップ!
13日に「あとがき」を書いてやっと終わった。MacのPages(MS OfficeのWordみたいなアプリ)でこんな長いものを書いたのは初めてだし、MathTypeという数式入力も初めて使った。だが、初版の時のOpenOffice・Writer+タグ式の数式入力に比べればずいぶん楽だった。MathTypeでは√(ルート)なども記号を選ぶだけでいいのに、Writerでは「√2」と書くのに「sqrt{2}」と書く。あのTeXと同じだった。改訂版が出来上がってすぐPDFに変換してみたら18MBもある。無料分のHPの容量(100MBまで)がだんだんヤバいことになってきているのでこれではマズいということで、例のTaxHaven(大きな声では言えない)を使うことにした。ただ、TaxHavenはPDFファイルは使えないので、jpgファイルに変換してからアップした。
「ガロア理論の初等的解題・改訂版」(http://www5e.biglobe.ne.jp/~tennin/ronbun/galois_theory_kai.html)
書く上での苦労したこと、楽しかったことなどをあとがきにも書いたが、面白かったのは実際に机に向かっているときよりも散歩(ウォーキング?)しているときの方が「数学」していたことだ。机でPCに向かっているときはどうしてもタイピングが主となるが(そのせいで筆が走る)、川沿いの堤防などを歩いているときは頭がよく働いてアイデアが湧き出て思考がどんどん進む(もちろんいつもではないが)。「さぁ、ここはどーする…」なんてときはたいてい散歩で解決するのだから不思議だ。一度思いつけばあとはゆっくり熟成させるためにわざと別のことをしたりする。床の拭き掃除や風呂掃除などがこれに適している。そのあとPCに向かって筆を(タイプを)進める。最近できたお友達のみけちゃんです(勝手に命名)。クリックするとお近づきになれます…
もう一つは午睡(昼寝)の夢の中で素晴らしいことを思いつくことがある。ただ、夢の中の自分は大発見をしたつもりなのに、目が覚めてみるとたいてい無意味なことでしかない。これがもうちょっと役に立っていたら「天人午睡」面目躍如なのにと思ったりする。オイラーだったか、日頃考えていた難問の解決を、馬車に乗るためステップに足を乗せた途端思いついたとか、ガウスが教授になってからは、あと少しで大発見につながるときに授業開始のベルが鳴って妨げられることを嘆いたとか、ことの軽重にに関わらずヒトの頭脳の働きにはずいぶん不思議なことが多い思う。
私の次の数学的課題は今まで何度も宣言してきた「類体論」だが、だんだん自信がなくなってきた。高木貞治先生の著書でいえば「初等整数論講義」なら何とかなりそうだ。なかでも二次体の整数論は、これを応用することで整数についての難問がいくつも明瞭に解かれていることが魅力である。だが、同著者「代数的整数論」(=類体論)は難解さがハンパないので自分に残された時間では間に合わないかもしれない。でも、科学や数学の「理論」というものは、物質的・電子的なメディアの上に記号として乗っかっているだけでは存在していることにはならない。それはヒトの頭脳の中に反映されてこそ初めて実体として存在するのである。自分は類体論の体現者の一人になりたいと思う。
2016年10月27日(木) 「ガロア理論」Part2
もうすぐ10月が終わってしまうので、何となく慌ただしい気持ちでこれを書く。もう2か月近く拙論「ガロア理論の初等的解題」の改訂版を書いている。改訂版のつもりだったがどうもほとんど新規に書き直しているといったほうがいい状態である。前回スケッチ風で終わったところや自分でも曖昧なところをそのまま書いてしまったところを詰めてみると、確かに生半可にしか理解していないところがたくさんあった。コレデハイケナイと一念発起、相当突っ込んで勉強し直してみた。おかげで随分理解が進んだ(と思う)。
もっとも難しかったところは、「可解群の部分群は可解群である」ことの証明だろうか。最初はあまりの抽象性に辟易して証明なしにスルーしようかと思ったが、何とガロア理論のもっとも優美な見せ場である五次方程式の代数的解法が不可能であることを証明するところで最後の決め手としてこの定理が使われるのだ。これを証明しないでは「画竜点睛を欠く」というやつになってしまうではないか。コレデハイケナイと一念発起(2度目)、何とか自分なりの証明を工夫してみた。果たして初等的になっているか。だいたいにおいて全編、よく言えば初等的、悪く言えば換骨奪胎の連続であるが、それは自分がこれまで数学を専門書で勉強してきたとき、そのほとんどが難しくて読破できたものがほとんどなかったことへの不満が根底にある。数学に限らないかもしれないが、入門書や軽い読み物風な本だととても面白いのに、これで興味を持って専門書に入るとあまりの難解さに挫折してしまうのだ。
ガロア理論などはまさにそうで、この拙論を書く動機は、数学の魅力的なところと専門的なところを何とか繋ぎたいと思ったことである。ガロアという20歳で夭逝した天才的数学者の起こした理論というだけでも興味を引く上に、人類が数百年間考えてきた「ギリシア三大問題」の、3つのうち2つをスラスラと解いてしまうほど、この理論は強力である。天才の仕事は美しく単純であるからこそ、その応用範囲も広い。こんな魅力的な理論を理解したいと誰でも思うはずだ。しかし現実にはガロア理論を理解している人は専門家を除けば決して多くない。アインシュタインの「相対性理論」ほども知られていないだろう。物理学の世界ではこの相対性理論に連なる新たな理論が次々と生まれてきてたくさんの人がノーベル賞を受賞しているのに、数学界ではどれほど素晴らしい理論が生まれても世間的評価はイマイチである(無理もないが)。だが、物理・化学やその他の分野でも数学を抜きにしてはその発展はありえないほど数学は他の分野に寄与しているのである。
心象風景…かな?
一方、確かに数学者たちも、何とか数学に関心を持ってもらい、若い人たちがこの道を歩んでくれることを願って色々な本を出しているが、残念ながらその多くは学生向きの参考書であったり、興味のありそうなエピソードやクイズ的なものなどを羅列するだけの本になっている(と思う)。いわゆる歴史的名著といわれる本になると、世代と時代を超えて読まれるものだが、数学にもそういう本はたくさんある。高木貞治「解析概論」「近世数学史談」などは嚆矢とすべきだろう。遠山啓「数学入門」も名著である。他にも多々あるとは思うが、数学は色々読むより自分が惚れた一冊をトコトン読むのがいいと思う。何十年もかけて読むのだ。「代数的整数論」(高木貞治の類体論の本)など私は十分の一も読めていない。でも繰り返しまた読み始めるのだ。もうこのトシだから多分読みきれないまま終わるだろうが(そんなこと口にしたくもないが)、それでも未知の世界を知りたいという強い思いに駆られる。
(注:ギリシア三大問題とは、①与えられた角を3等分すること。②立方体の体積を2倍にすること(デロスの問題)。③与えられた円と等しい面積を持つ正方形を作ること。いずれも定木とコンパスのみで作図することが条件だが、全て不可能。①と②は1837年ワンツェルによって証明され(ガロアの死後)、③は1882年リンデマンが証明した。(典拠:「数学小辞典」矢野健太郎編 共立出版株式会社 昭和49年初版19刷)☆戻る☆
2016年09月01日(木) 祝!敬老パス
以前、市から敬老手帳をもらった時には遠慮していた「敬老パス」(市交通機関福祉乗車証)を今年から受けることにした。6月に市役所へ手続に行ったら「今年9月からIC化されるので今すぐに交付すると旧のパス(磁気カード)で1か月ほどしか使用できませんがいかがされますか」と言われたので、それでは負担金がもったいないからIC化まで待っていた。そして待望?のカードが8月末に届いた。デザインはイマイチな感じが…
いわゆるマナカと同等な機能を持ち、何かと便利そうだ。今までの磁気カードはバスなら提示、地下鉄は改札機に投入だったのが、どちらも基本的に読取部にタッチするだけに。また現金をチャージすれば私鉄などにも乗車可能(有料)、電子マネーとしてコンビニや自販機でも使える。ヘビィユーザにはお楽しみなマナカマイレージポイントも付くそうである(有料乗車にのみ対応)。私としては本当は iPhone でそんな風にして欲しかったのだが、日本の現状では今すぐは無理だろう。いずれ一個のモバイルで社会生活上必要な瑣事の全てが片付いてしまう時がきっと来ると思う。
ここからはズッコケ初体験。
それはそれとして、せっかく敬老パスを手にしたのだから今日早速使ってみることにした。ウチの近く(そう近くもない)から「博物館」行きのバスがあって乗り換えなしで名古屋市博物館まで行けるので初体験にはちょうどいい、確か今「ポンペイの壁画展」というのをやっているはずだからそれを見に行くことにした。ネットでバスの時刻表を見るとほぼ一時間に一本しかない。さて、バス停まで歩いていくか、それとも自転車かと考えて、バス停のすぐ近くに大きなパチンコ店があるのを思い出し、広い駐輪場もあるのでそこへ自転車を止めてバスに乗ろうと考えた(ここまではなかなか冴えているところ)。
で、バスの来る15分前くらいにパチンコ店に駐輪し<(^_^;すみません)、そこから長い赤信号を待って国道を渡り約5分歩いてバス停に着いた。それが3分前。ところがバス停の標識を見ても「栄」「黒川」「名古屋駅」の時刻表はあるが、「博物館」というのがない。あれ?ここじゃなかったかな。もっと手前だったかと今来た道をあわてて引き返す。残暑厳しい中を汗まみれで探したがバス停はない。焦りだした。こういう時はおもしろいもので、見るものがなんでもバス停の標識に見える。消火栓とか「郵便局はこっち」の看板を見て「違うなあ」と思いながら歩いているとなんと目の前を「博物館」行きのバスが追い越して行ったのだ!えっ。じゃ、やっぱりさっきのバス停でいいのか。あわててまたUターンして今度はバスを追う形になったが、いつもは遅いと感じるバスもこういう時は早い。さっきのバス停に停車、しかしすぐ出てしまった。走れば間に合ったかもしれないが、何せ腰に爆弾(G腰)を抱えている身としては無理はできない。がっかりして改めて時刻表をよく見ると「栄」の時刻表が2列になっていて右列が「博物館」用になっている。時刻表の右列は普通祝休日用だと思い込んでいるのでさっきは見逃したのだ。「騙されたぁ」(誰も騙してはいない)と思い、一瞬、初体験は「栄」にしようかとも考えたが、初志貫徹を決意。しかしこの場所で次のバスを待つ気にはならなかったので(とにかく暑い!)、パチンコ店まで戻って待機しようとまたぞろ引き返し始めた。
その時、私の脳裏にひらめくものがあった。博物館行きのバスが「こっち」から来たということはもう一コ手前のバス停の方が近い(パチンコ店に)のではないか?そもそもあのバスの始発バス停(ターミナル?)はどこだ?云々…。案の定というか、これまで知らずにいたのがアホみたいな話だが、「博物館」行きの始発バス停がパチンコ店の真向かいにあったのだ。バスが数台留れそうな広場の隅にちょこんとバス停の標識が立っていた。これまで何回この前を通ったか知れないがここにバスターミナルがあるとは全く気づかなかった!
やれやれということで、およそ30分パチンコ店内の涼しい休憩所で一休みし、水分も補給して次のバスの時刻の5分前にパチンコ店を出てやっとバスに乗ることができた…というお粗末な話である。
これにはもう少し続きがあって、めでたくバスに乗り、やれ初体験とばかり料金箱の読取部にタッチすると無事「ピッ」という音がして乗車手続を完了。始発乗客は私を含め3名。先頭は見た目ヒスパニック系の女性、私の後ろは同年代の男性。途中の乗降者はたくさんいたが、博物館まで乗っていったのは私だけだった。約1時間の乗車で博物館に隣接したターミナルに到着した。帰りのバスの乗り場と時間を確認して入り口に向かった。
博物館は平日にもかかわらずかなりの混みようだった。しかも老人ばかり!(私もだが)。館内ロビーをウロウロしたがよくわからないので「総合案内」で聞くと入口を入る前の窓口でチケットを買うようにとのこと。窓口に行って見て初めて気づいたが、「ポンペイ展」は特別展なので老人割引はないのだ。つまり一般と同じ¥1300でないと入れない。HPで見た時、常設展ならば一般¥300が65歳以上は¥100とあったのでてっきり特別展にも割引があるものと勝手に思い込んでいたのだ。手持ちの金がないわけではなかったが、今の私は千円以上の支出はやや躊躇する。ポンペイは興味津々だが、好奇心以外の意義がなければムリはしない。そんなわけであと10分で出るという帰りのバスでさっさと帰ってきてしまった。
初めは東海地方に来るかもとかなり緊張した台風10号が北海道・東北に無残な爪痕を残していった。避難の遅れた大勢のお年寄りが汚泥に呑まれて亡くなった。堤防が切れるということがどんなに悲惨な結果を生むかを思い知らされた。とてもひと事とは思えない。明日の我が身を思い知らされる。
2016年08月21日(日) 志賀直哉
今朝、志賀直哉の夢を見た。そういえば最近阿川弘之氏の「志賀直哉」をちらちら読み直していて、それにつられて原作のいくつかを再読していたので、なんで?ということはなかったが、それでも近代日本文学史上特段の位置を占める作家が自分の夢に出てくるとは思いがけない出来事だ。
夢の中の志賀氏は、はげた頭に白いあごひげとメガネ、それに着流しの着物という何かの写真で見た晩年の姿だった。私はしかし、志賀氏の動く映像は見たことがないので、夢の中のかくしゃくとした氏の姿は、おそらく阿川氏の著書に出てくる彷彿とした描写によって創られたものだと思う。近代評論史上でもことさらに多く論じられてきた志賀直哉だが、人物を描いたものとしては阿川氏のそれを超えるものはないといえるのではないか。
夢の中で、私は何を問いかけて、何を答えてもらったのかもう覚えていない。ただ、面倒がらずに答えてくれたこと、最後に「もう、いいかね」と言って奥に(たぶん氏の自宅)入っていったことを覚えている。
私が志賀直哉という作家を知ったのは、以前にも書いたが16歳の時、当時働いていた町工場の社長の奥さんからもらった昭和三年刊行の改造社「現代日本文學全集」(いわゆる「円本」)の「志賀直哉集」だった。当時で40年近く前、今から約90年前の本である。ボロボロになったが今でも大切にしている。
円本「志賀直哉集」の巻頭言と奥付( クリックで大きく見られます)
この本を読んで作家を志すようになったとは、あまりにも小説を知らなさすぎたことによる勘違いも甚だしい決意であった。太宰治が「如是我聞」で志賀直哉のことを「アマチュアである。六大学リーグ戦である」と呼んだことは有名だが、私は案外納得したものだった。日常瑣末なことを丁寧に書いてそれで小説になるのだと思い込んだ私の習作時代が始まった。それは今でも続いていると言っていい。やがて不思議にも彼のことをほめそやす批評家が多いことをいぶかしく思うようになった。当時、神とまで思っていた小林秀雄が書いた2つの志賀直哉論に打ちのめされた、神はこっちだったのかと。それからは志賀直哉の評論を探して読み漁った。しかしやがて志賀文学批判の金字塔ともいうべき中村光夫の「志賀直哉論」に至りこれに心底合点してこれでやっと志賀直哉の呪縛?から逃れた気になっていた。
確かにその後の自分は文学の視野も広がり、いわゆる古典ばかりでなくちょっとバカにしていた大衆小説や今どきのライトノベルまがい(言い方が失礼だが)の作品も偏見なしに読めるようにはなった。だが、今思えば、それは単に自分が小説を楽しみでしか読まなくなったことに過ぎない気がする。
志賀文学に接する時、誰でも(かどうかは断言できないが)自分の人生に面と向かわされる。小説の中のある場面で、もし自分ならどうするとは誰でも考えることだが、では、実際の出来事の中の自分をどう描くか。出来事を後から述懐するのではない。出来事の中の自分をどう表現するか。そのことに作為を持たない作家が志賀直哉である。確かに彼が作為を持って「存分に作った」作品(「邦子」)などは上出来ではない。「和解」が捕りたての生魚なのに対して、「『或る男、その姉の死』は同じ魚の干物だ。」と作者自身がいう(「續創作餘談」)ことにも表れている。だが、それは彼が「アマチュア」だということでは決してない。
彼がアマチュアのように見えるのは作品の透明性に依るのである。作為のなさに依るのである。技術も経験もない幼児の絵が大人を感動させるのは作為がないからで、同じ理由で誰も志賀直哉を超えられないでいる。その作品を前にして自分はどんな小説を書いていくのか自問させられる、あるいは書くのをやめさせられる。そして書くことを選んだ者は一生その自問を繰り返すのである。
私の好きな作品は「網走まで」「速夫の妹」「老人」「クローディアスの日記」「范の犯罪」「好人物の夫婦」「赤西蠣太」「「雪の遠足」「焚火」「真鶴」「濠端の住まい」「矢島柳堂」「豊年虫」「万暦赤絵」「「早春の旅」「山鳩」等々。いずれも短編、小品である(題名は現代表記)。
中でも「焚火」「豊年虫」は大好きで、前者はなぜか行ったこともない赤城山麓の景色がくっきりと浮かぶ。後者を読むと蕎麦が食べたくなり、蕎麦を食べるとこの作品を思い出す。
若い頃所属していた同人誌の集いで、それぞれが好きな作品を持ち寄って合評会をした時、私は「焚火」を選んだのだが、或る同人から「なんでこんな作品を選ぶのかわからない」と言われたことを今でもよく覚えている。その人は小説というものは人間と社会を変革していくものでなくてはならないというのだ。志賀直哉を読む人と読まない人の差はこんな風に現れる。
語らずにはおけない「暗夜行路」は実はあまり好きな作品ではない。好きでない理由は「暗夜」であること、不義の子とか妻の密通とかそういう話であることが一番の理由だ。しかし、初めて読んだ時からあらすじは忘れてもいちいちの場面をはっきりと記憶して、後々まで忘れない。前編では、主人公謙作の芸者遊びや、飼っている仔山羊の描写など、そんな経験などない自分にもその場面が思い浮かぶ。十代の少年(初読当時の私)にしてそうだった。前編中もっとも美しいところとされる尾道の風景描写については、しかし大人になるまでわからなかった。風景の描写などというものに文学的価値があるとは思っていなかったのだ。今では尾道の風景をテレビや映画で見ると、作品に植え付けられたイメージ通りなのに驚く。
第四の九で謙作が妻の直子を走り出している列車から突き放す場面がある。この場面には私が自分の妻にしたことかもしれないと思うほどのゾッとするリアルさがある。直子の「乗れてよ、一寸掴まへて下されば大丈夫乗れてよ」というセリフもまるで私の妻が言ったかのように、つまり私自身がそう言われたかのように思ってしまう。それほどの描写力をもって全編暗い話でこられた日にはとても読み通せたものではないが、全体としては(意外にも?)さほどの深刻さはない。これは作者が「作為」を持って非常な苦労をしてこの長編小説を書き上げたためである。太宰の「この作品の何処に暗夜があるのか」(「如是我聞」)といういやみも一理あるところだ。もちろん「暗夜行路」の価値は暗夜にあるのではないから太宰のいやみは嫌味でしかない。
後編のこれも絶賛される大山の夜明けの描写は、読んだのが大人になってからということもあってか感動して読んだ。「地引網のやうに手繰られて」くる大山の影を私もはっきり見た。その時の謙作がとても身近な人に思われた。(引用はいずれも角川書店「昭和文学全集7『志賀直哉集』昭和28年発行)
最近、又猟期に入った。(中略)こわいのは地下足袋の福田蘭童で、四五日前に来た時、
「今年はこの辺はやめてもらおうかな」というと、
「そんなに気になるなら、残った方も片づけてあげましょうか?」
と笑いながら言う。彼は鳥にとつては、そういう恐ろしい男である。
(「中央公論社 日本の文学22『志賀直哉(二)』」(昭和44年発行)より)
2016年07月27日(水) javascript とCanonLIDE220
前回から一ヶ月以上経ってしまったが、ナマケていたわけではない。いろいろあるが、まずは javascript の勉強を始めたことを書いておこう。(^ ^)vきっかけはS子(妻)さんのHP作成だった。そのまたきっかけは今年5月15日付の「ウェブリブログ」の再利用に書いたHP上の「タックスヘイブン」の「発見」だ(大きな声では言えないので小さく書いた)。
奥さんのHP作成はずっと以前から考えていたが、とにかく写真・画像が中心になるので、試算の結果最低でも30〜40MBくらいは必要、タダではムリとわかって延ばして(諦めて)いた。それが biglobe の「ウェブリブログ」では3GBまで無料の領域が使えることがわかった(しかも家族会員全てに3GBずつだよ)ので、自分のHP同様容量の大きな画像などはそっちに置くことで基本的な問題はなくなった。そうして出来たのが「アトリエさわ」だ。
そしてこのHPの中に奥さんが昔編集に関わっていた「骨髄バンクを支援する愛知の会」の会報「ひろば」を(史料として)載せることにしたのだが、これが古いとはいえ個人情報満載。そこで愛知の会の「会員ナンバー」を入力してもらい、会員のみ閲覧可能にしようということにした。すると必要なのが cgi や javascript のようなHTML以外の言語だ。cgi は以前いた会社でちょっとだけ使っていたので初めはコレで行こうと思っていたが、なんとすっかり忘れている。例によってネットで探していろいろ読んでみると第一環境作りが大変そう。しかも「TryThe Homepage 」さんのHPで見た以下の注意事項でビビってしまった。
CGIは命取りそーいえば会社でやってた時もこんなことどこかで読んでたなあと思い出して、 cgi はヤメにし、javascript ということにした。一通り基礎知識を仕入れてみると cgi よりは取っ付きやすそう。幾つかのサンプルスクリプトで練習してから実装してみた(ちなみに javascript はクライアントPCのみで処理され、サーバには迷惑をかけないそう)。大成功!とはいえこれだけで2週間はかかった。
といってもあなたの命を盗る訳ではありませんが、前述のとおり、CGIは、あなたのパソコンではなく、 サーバで実行されます。十分バグ取り(エラー削除)されていないスクリプトを実行したり、 あいまいな知識で作成したスクリプトを実行させるとサーバがハングアップ(暴走)することもありえます。 あなたは、あなたの加入しているプロバイダの数万、数十万の会員に迷惑をかけることになるのです。責任が取れますか?。 完成していないスクリプトをテストするなどはもってのほかです。
あと、「ぷりずむ」復刻版のコーナーで今まで欠落していた2冊のぷりずむが(20、22号)、古い友人のH氏が自宅の整理中に見つけてくれて、全号が揃うという嬉しいことがあった。私も嬉しいが、天国の田中君(ぷりずむ代表)はさぞ喜んでくれているのではないかと思う。これまで何か写真・画像をアップする時は iPhone のカメラばかりを使用してきたが、これを機に新しいスキャナを購入した。実はもう15年くらい前に買った「Canoscan N1220U」を持っているのだが、Windows は7まで、MacもOS X ver.8までしか対応していないので使用不可になっていた。「VueScan」という外国製のドライバソフト(有償)を使えば OK なのだが、どうせ買うのならということで同じCanon製の「LIDE220」というのを買った(¥9,279)。さすが技術の進歩というかスキャンの速度が倍くらい上がっている。新品のスキャナや例の「タックスヘイブン」のおかげで何の懸念も苦労もなくアップできた。
2016年06月26日(日) 激震 − G腰、英EU離脱
恥ずかしい話だが、またG腰をやってしまった(2016年04月10日付も参照)。棟清掃の時にちょっと自転車を持ち上げて「うっ!」となってしまった。今回は歩けるようになるまで7日かかったのでM7クラス。かなりひどい。不注意この上ない。おかげで家族だけでなく団地の人たちにも迷惑をかけてしまった。年2回のG腰祭りなどとふざけていて、今年の春にやったので秋まではないと思っていたのだろう。反省することしきり。(v_v ;
そんなことより、世間は大騒ぎである。イギリスのEU離脱。
「英EU離脱」世界市場 激震」(日経新聞HP:http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL24HNT_U6A620C1000000/)
激震といえば今でいう震度7だ(マスコミのくせに古い言葉を使っている)。M7〜8クラスといえる。安静にしている時だったのでテレビとネットでいろんなニュースを見て回った。ワイドショーやニュース番組でもひときわ大きく取り上げている。世界中のマスコミも離脱・残留が拮抗していることはずっと以前から報道していたが、なんとなく最後には残留で落ち着くと見ていた傾向がある。自分もそうだった。不謹慎だが残留派の保守党議員が暗殺された時には残留で決まったようにも思った。だが、結果は逆で、4ポイントの僅差とはいえ100万票以上の開きで離脱を選んだように見える。
一方、今日のロイターネットニュースで、米グーグルが国民投票後の英国でもっとも検索回数が多かった質問は「EU離脱は何を意味する?」だったと明らかにした。さらに第2位は「EUって何?」、3位以下にもEUへの素朴な疑問が続いているという。また同じロイター社のニュースでは投票のやり直しを求める署名が250万人を超えたとも伝えている。これらを見ると、一概には言えないが、多くのイギリス国民が意思決定をする前に投票日がきてしまったのかもしれない。イギリス国民(の無関心派?)が離脱決定の結果で世界が大騒ぎしているのを見て「何事?」と思っているフシがある。
もう一つ気になるニュースとして、投票の結果、「英 若者の70%余「残留」 高齢者の60%「離脱」」というのがあった(iOSアプリNHK NEWSより)。通常、高齢者は現状維持、若者は改革という気がするが、逆の結果が出たことになる。離脱派は国民投票でイギリスのEUへの資金拠出や難民流入による国内の雇用・社会保障への悪影響をうったえていたが、これが「かつての大英帝国の威信を取り戻したい」というイギリス「超」保守層の琴線に触れたのではないか。
何れにしてもイギリスのEU離脱は間違いである。いろいろな問題があるにせよ、それらはEU内に留まって解決すべきである。今回の国民投票は3年前これを選挙公約したキャメロン首相の読み違いであることは否めない。EUの原点は第二次世界大戦への苦い反省と教訓にあるはずである。ここからの逸脱は歴史の後退と言われても仕方ないだろう。遅かれ早かれイギリス国民はEU離脱撤回の大運動を起こし、歴史を元に戻す栄誉を勝ち得ることと思われるが、その代償は国民の分裂という大きなものになる。キャメロンを初めとするイギリス保守党首脳部の責任は重い。
初アキアカネ (6/27 名古屋市 クリックでちょっと大きく見られます)
イギリスのEU離脱は日本にも大きな影響があることは株安・円高を見ても当然だが、実はそういう景気の上っ面での影響よりも国民の実経済活動や内需拡大という面から考えなくてはならない。現在の政権は上っ面での経済発展においてでしか経済政策(アベノミクス?)を取っていないが、その限りにおいては現に多大な悪影響を受けている(今回の株安は前回の消費税3%増税分を額面上すべて帳消しにするほどの損失を被っているはずだ)。消費税10%増税先送り等すでに破綻しているこの政策を終わらせ、本当の意味で労働者の雇用安定を考え(実経済活動の保証)、最低賃金保証と大企業の溜め込みの拠出に依る賃上げを促す政策(内需拡大)に切り替えなくてはならない。それは近い将来日本が北東アジアでの政治的共同体を展望するときにEU離脱というイギリスの轍を踏まないことの保証となる。2016年06月17日(金) 名駅散策
昨日のこの欄でサイクリングを始めたと書いたが、私の電動アシスト自転車は2010年秋に買ったもので既に6年近く経っており、車体はともかくバッテリーの疲弊がひどく、フル充電しても5分しか持たない(^^;。非常勤通勤時にも片道で使い切ってしまい、帰りは人一倍重いペダルを漕いで帰ることになるのだ。で、最近は乗ることも少なくなっていたのだが、ある日一念発起サイクリングで足腰を鍛えようと思い立った(ウォーキングに少々飽いてきたのかも)。バッテリーに頼っていては体力作りにならないから重いペダルを漕ぐことが逆にいいのだと思うようになった。発想の転換というか一大進歩である!(それほどのことでは...)...というわけで自分では「サイクリング」と銘打ってウォーキングよりはやや遠くまで足を伸ばすようになった。一応バッテリーもフル充電していくのだが、急な上り坂以外では使わないと決めて走っていくとこれが大発見というか、片道20kmくらいまでは遠出ができるのだ。平らな道はアシスト無しでトップギアのまま走り、上り坂(けっこうあるものだ)では電動アシストをONにしてスイスイ登るので全然へこたれない(体力作りになっていない(vv;)。こうしてこれまでウォーキングではあまり行けなかった名古屋駅まででも出かけられるようになった。駅前の駐輪場(¥100)に駐輪してあちこち散歩できる。再建なった「大名古屋ビルヂング」も見てきた。
変わるのかと心配していたビル名も元のままでした。v(^ ^)
名鉄百貨店屋上。左が46年前、セルフタイマーで撮ったもの。右が現在の同じ場所。時期的にビヤガーデン風。
サイクリング用の iPhone アプリは abvio Inc. 社作成の Cyclemeter という、もうバージョンが10を超えているような年季の入った素晴らしいアプリである。位置情報を使って地図に軌跡を残せるし、距離、時間、速度、消費カロリーなどが記録される。さらに年間¥1200で「Elite」を購入することでもっと多くの機能を利用できる。最初に地図を見たとき現在地が何となくずれているような気がしていたが、走った後にコースを確認するとやっぱり地図のポインティングが東に500mずれているのだ。そのことをサポートにメールするとすぐにリプライがあった。以下はサポートが英語の原文とともにGoogle翻訳を使ってわざわざ日本語に翻訳したものをこちらに送ってくれたメールの一部である。
あなたのためにこの問題を修正する必要があり、アプリの設定があります。これは、中国のGPS補正と呼ばれ、中国のマップ座標GPSの問題を解消するために使用されることを意図しています。それは中国の都市のマップを公開していたときに、中国政府は、GPSの位置データを歪めます。中国GPS補正スイッチをONにすると、我々のアプリは、地図上に表示されるルート/パスをシフトマッピングシステム/ソフトウェアで使用した場合、それが正しく見えるように、基礎となるデータをシフトします。あなたはスイッチをOFFにした場合、我々のアプリは、基礎となるデータをシフトしません。マップは、マップビューで正しい表示させたいのであれば、ONスイッチをオンにし、ワークアウトをエクスポートします。あなたがマップ衛星ビューで正しい表示させたい場合は、中国GPS補正スイッチを切って、ワークアウトをエクスポートします。世界中で使われているアプリになるとこういうこともあるのだなと、ちょっと背筋が寒くなる感じだ。とはいえ、いわれるように設定を変えると地図のズレがピタリと直った。これでもう何も問題はない。ついでに同社の「Walkmeter」もDLして使うようになった(これはウォーキング記録用のアプリ)。
2016年06月16日(木) 梅雨のさ中に思うこと
前回から早1か月が過ぎてしまった。梅雨の真っ只中である。この間「ウェブリブログ」の再利用に自ら触発されて、主にS子(妻)のためのHPを作っていた。妻のHPはなにしろ画像(写真)が多いのだが、それにもかかわらずほとんど容量の心配がなくなったので、言葉は悪いがやりたい放題になったのだ。実は biglobe ウェブリブログの「プレミアムオプション」はひと月を待たず解約してしまった。容量13GBも必要ないし、無料でも3GBまで使えるのだ。現在の容量を確認すると、妻のHPの容量はまだ7MB、私の「個人ホームページ」の容量でも41MBで+1MBしか余分に費消していない。100MBまでは追加料金はないので、まだまだ大丈夫。
妻のHPは主に昔、彼女が米山京子氏の本をもとに作った人形の写真(撮影は私)で、本人より私の方が乗り気で作ったものだ。手前味噌になるがこれがよくできているのです。ひとに見せたくなるのです。「ヘンゼルとグレーテル」などは現物がないのがとても残念!。
福澤節子作「ヘンゼルとグレーテル」(型紙は米山京子氏)。クリックでちょっと大きく見られます。
とはいえ、ヒト(妻だけど)のことばかり考えているわけではない。自分のことももちろんやっている。最近ではHTMLによるHP作成が高級言語によるプログラミングのようなものだという認識で、これを使って何か作ってみたいと思うようになった。昔(30年くらい前)、何かの雑誌に出ていた「クリンゴン殲滅ゲーム」というBASICのPRGを自分のPCに打ち込んで当時の塾の生徒たちと遊んだことがあった。あのスタートレックに名を借りたなかなかの名作でロジックもしっかりしていて、一応シューティングゲームだが、初期設定でのクリンゴンの数などは確率統計学の理論が用いられていたような気がする(勝手な憶測です)。戦略を立て経過年数も考えながら、乗船するエンタープライズ号も距離や方向を(ピタゴラスの定理を用いて!)計算しなければ思い通りに移動もできないくらい「知的」なゲームだった。今でもこれを超えるゲームはないと思っているくらい(今のゲームはグラフィックがハデなだけだ=暴言)。どうにかしてこれを今WEB上で再現できないかと以前から考えている(実はこれを iPhone アプリとして作ろうと Swift の勉強もしたが、実現までのハードルが高すぎて挫折した)。
話は少し変わるが、最近ハヤリの言葉で IoT(Internet of Thingsの略らしい)というのがある。企業的なものはともかく家庭的には iPhone はそのハシリと言えるだろう。今年の Apple の WWDC でも、秋には一歩進化したHomeKitシステムのアプリとして「Home」が出るという報告があった。今自分の持っているiPhone5 では対応は無理かもしれないが、遅かれ早かれ機種変更はするのでこれに大きな期待を持っている。以前にも書いたが、自分の生活の大半をiPhoneで管理することは今や当たり前で、最近ではゴミ出しや健康管理も iPhone で始めた。ウォーキング管理の他にサイクリング(電動ママチャリだけど)の管理も始めた。全て無料のアプリを用いてである。さらに近い将来もっと本格的な、例えば家中の施錠とか、家計や買い物、エアコンや冷蔵庫の管理、健康管理への積極的な関与などもスマホで行うことになれば、これはもう新たなライフラインと言っていい。こうしたスマホへの異常とも言える依存状態は非常な危険を伴っている。スマホの紛失・破損・盗難はライフラインの破壊に等しいものになる。もうずいぶん前から若者は「ケータイとコンビニがあれば生きていける」といっていたが、ひっくり返せば「ケータイ(=スマホ)とコンビニの一方がなくなったら生きていけない」社会が到来したのだ。
2016年05月15日(日) 「ウェブリブログ」の再利用
このブログ「天人午睡」は、最初は自分が加入しているプロバイダ biglobe の会員サービスの一つである「ウェブリブログ」を利用して始めたのだが、やがてそのお手軽さが逆に気になって、それよりHTML言語を覚えて自分で作ろうと思い、同じ会員サービスの「個人ホームページ」を利用してずっとやってきた。これは100MBまでは追加料金なしで利用できるが、それを超えると50MBごとに月額+500円というサービスだ。だんだんHPの内容が多くなってくると当然100MBでは難しくなる。このHPで「ぷりずむ」や「虹」という pdf ファイルを初めてでアップした時は当然容量不足になった。また数十秒の動画をアップしただけで何十メガも食う。一時は容量を増やして対処していたがほとんど誰も見ていないHPのために毎月2000円も払うのがもったいない気がしてきた。で、その後アップした「ぷりずむ」と「虹」はいったん削除し、「Contents」での案内表示もしばらく見合わせていた。
ふだん biglobe のHPはあまり見ないのだが、先日久しぶりに「ウェブリブログ」の管理ページを見ていたら「プレミアムオプション」という新サービスが目についた(前からあったのかも(^^;)。これは月額+200円で容量がなんと13GB(!)まで拡張利用できる云々というのだから驚いた。「個人ホームページ」が50MBで+500円なのとは比較にならない。向こうが大盤振る舞いなのかこっちがケチなのか。
これを利用しない手はないと思い、詳しく見ていくと、なんと「プレミアムオプション」を利用しなくても「ウェブリブログ」だけでも3GBまでは追加料金なしなのだということに(今頃)気がついた。長いこと biglobe の会員をやっていながらこんなことも知らなかったのだと思うとずいぶん損をしたような気持ちになった。やっぱり自分の入っているプロバイダは時々チェックすべきだと思ったことである。
さらに、「ウェブリブログ」の「新規作成」画面の中に「[画像貼付]が動作しない場合はこちらから貼り付けてください。」という案内があってそちらへ行ってみるとなんと(今日は「なんと」が多いなぁ)添付(登録)した画像たちのサーバ上のアドレスがわかるファイルマネージャーになるのだ(画像ファイルを選んで「タグ表示」を押すと画像たちのタグが表示され、アドレス(=URL)がわかる)。
「ウェブリブログ」のファイルマネージャー
話がここまでくると感のいい人はもうわかると思うが、要するに容量の食う pdf ファイルを jpg ファイルに変えて「ウェブリブログ」上に登録し、それを自作のHPからアプローチすれば、「個人ホームページ」の方の容量はほとんど増やさずに思いのままに自分のHPが拡張できるのではないか。「ウェブリブログ」をこんな形で利用するのはなんだか今話題のタックスヘイブンみたいで、ちょっと気がひけるが、同じプロバイダ内のサービスを利用しているのだから特に問題はないだろう。で、手始めにまずわが労作「ガロア理論の初等的解題」を jpg に変換してアップしてみた。大成功。次に「虹」をアップした。その結果「個人ホームページ」の容量は全く増やさずに「虹」全号数の jpg での表示が可能になった(あまり嬉しかったのでさっそく「虹」にたくさん記事を書いてくださったみうら先生に手紙でお知らせした)。続いて「ぷりずむ」の復刻版も実行。これは昭和の時代のミニコミ誌で「虹」よりはるかに大容量だったが、それでも三作合わせて120MBもないくらいである。「個人ホームページ」ではすでにアウト(+1500円になる)だが、こちらは13GBもある。余裕のよっちゃんである(わかる人いるかなぁ)。急にバブルな気持ちになってしまう自分が怖い(v v;)。このうえ自作の動画も直接登録できるようにしてくれればとは思うが、まあそこまでは図々しくて口が裂けても言えない。
2016年05月09日(月) みうら先生健在!
ronbun/index2.html テレビのGW向け放送もようやく終わったが、そんな世間の連休騒ぎとも無縁になって早1年余。いわば毎週がGWだから、特に予定もなく毎日が同じように過ぎていく。ある意味理想的な日々である。そんな中で古い友人であり、人生の師匠でもあるみうら英先生から久しぶりに愛知県美術館のある展覧会に出品される旨のお知らせをいただいた。近頃にない朗報であった。折しもここ数日、私はこのブログ内で『赤旗読者ニュース「虹」』の復刻版作成の作業をチマチマやっていたのだが、この「虹」にはみうら先生の投稿記事がたくさん出ている。この読者ニュースは最初こそ私ではない人が表題どおり赤旗読者の人たちへの地域ニュースなどを載せていたが、やがて私が編集するようになってからはほとんどが私の好き勝手な乱筆記事を掲載するだけの独断ゴシップ紙(ちょっと言い過ぎ)になってしまった。一応形だけは日本共産党の宣伝や記事も載せているが、一番の目論見は自分の創作物などを発表する場が欲しかったのである。また、そうであったからこそ6年も続けられたのだと思っている。毎回おかしな記事を読まされていた読者の方々には申し訳ないことであった。m(_ _)m
みうら先生の記事や発言は折々の政治的情勢や為政者に対する痛烈な批判や風刺に溢れているが、その絵画作品はもっと深刻な人間自身への不信と未来社会への絶望感に覆われている(と思う)。今回の出品作品も例外ではなかった。
(縦1.5m × 横4m クリックで拡大されます)「不条理と格差の21世紀を問う。地球が戦争ビジネスにSOSをだしています。」(展覧会パンフより。)
自作の前のご本人。
ロビーで十数年ぶりの出品の感想などを伺ったが、傘寿を迎えられ生きた昭和史を体現された「みうら節」の健在が嬉しかった。話しているうちにふと記念にと思いついたので先生に断って録音させていただいた。以下にほんの一部を披露しておこう。時々甲高い声で合いの手を入れているのが私である。談:みうら英。(2016年5月7日愛知県美術館にて録音。3分52秒)
ハガキでこの日お会いすることを知らせておいたためか、先生はわざわざお土産を用意してくださり、得意の絵手紙を美しいフォトフレームに入れたものを2枚と、犬山名物げんこつ飴をいただいた。こちらは何も用意していなかったので恐縮することしきりであった(いただいた絵手紙は「みうら英絵手紙」の「★ 絵手紙以外の作品も」に掲載)。2016年04月21日(木) 大災害を想う
熊本の地震は1週間経っても終わっていない。今日は九州全域で大雨も降るとのことだ。1日も早く地震が収まること、被災者たちの生活が元に戻ることを祈るばかりである。今回の地震で、自分の気持ちの中に、21年前の阪神・淡路大震災と、5年前の東日本大震災、そして今回の熊本地震に対し、それぞれ微妙に異なるものがあることに気づいた。阪神・淡路大震災の時は名古屋でも相当揺れた。あの日はある美術館へ行く予定だったのだが予定通り出かけてしまった。多分にひとごとだったような気がする。2004年の新潟県中越地震でも同様にどこか遠くで起きている出来事だった。しかし東日本大震災は明らかに違った。この時に感じた津波と原発事故に対する恐怖はそれまでの長い人生の中でも経験したことのないものだ。思わず「日本は全滅するかも」という言葉を口にしたのを覚えている。そして今回の熊本地震では、日本はどこでも過酷な災害が起きることをつくづく思い知らされた。あまり詳しくはないがわが東海地方にはここ百数十年のあいだに濃尾地震、東南海地震などの大震災が起きている。そして今後数十年のあいだにいわゆる南海トラフ域でのM8〜9クラスの東海・南海・東南海地震が確実だと想定されている。他人事ではない、明日はわが身に起きることなのだ思った。
日本では古代からの文献にも苛烈な天災の記録が多く残されている。「方丈記」などは教科書にもなるくらいであるから日本人は自分たちの国の宿命のように感じているのかもしれない。しかし、わずか四半世紀のうちにこれだけの惨事が繰り返されるのは歴史上でも稀有のことではないか、と思うのは自分の生きている時代ばかりを特別に考えてしまうからだろうか。
今を盛りのヤグルマギク。人の世をどこまで知っているのだろう…
良寛禅師が友人に宛てた震災見舞いの手紙の中に「…災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是れは是災難をのがるる妙法にて候…」という有名な一節がある(引用は岡元勝美著「良寛争香」300ページより)。災難に「遭う」のではなくて「逢う」のだという。大災害のたびに思い出すのだが、なかなかこの境地にはなれないでいる。2016年04月15日(金) 「平成28年熊本地震」
夕べ9時半頃、いつものようにFMで録音した放送を聞こうとラジオをつけたら「どうか落ち着いて行動してください」という慌ただしいアナウンスが聞こえた。これは大地震の時の呼びかけだと思ったからすぐにテレビをつけてみた。熊本で震度7の大地震が起きていた。ついこのあいだ3.11の記憶を蘇らせたばかりのときに、天災を忘れないでいるときに次のが来てしまった。日本列島は地殻変動の活動期に入っていると誰かが言っていたが、まさにそれを証明している。
誰もがまず、川内及び玄海原子力発電所は大丈夫か?と思ったことだろう。津波はないということだが、もし原発の直下で震度7が起きていたらどんな影響を受けるかは全く予想ができない。放射能の拡散などが起きてしまえば、立地的に見ても風に乗って内陸へ向かう。フクシマをはるかに超える膨大な被害を免れない。原発は一刻も早く停止しなければならない。ましてや老朽化した原子炉を規制緩和で再稼働させるなど論外である。日本で今最も必要な大規模災害対策は原子力発電所の停止・廃炉である。
現在も余震が続く中で川内原発は停止することなく運転を続けているという。気象庁が今後1週間くらいは震度6弱程度の余震が続くと言っているのだ。その中で近隣の原発が運転を続けるなど被災者たちの不安を煽る以外の何物でもない。地震の影響で停電が起きても原発が発電を続けていれば早く回復できるという理屈は、ついこの間まで原発なしでやってこられたのだからそれは成り立たない。とりあえず最小限余震が収まるまででも原発を止めるべきである。それが国と九州電力が行なう最初の災害対策である。
2016年04月10日(日) 春のG腰祭
今日まで4日間、恒例春のG腰祭(ぎっくり腰のこと)で安静にしていた。実に正確に半年に一度やってくる。ここまで正確なのは要するに季節に関係しているのだろう。暖から冷、冷から暖への変わり目がわが腰に対して何を行なうのか重要な研究課題である。最近の傾向としては、「魔女の一撃」のようにあの日あの時やられたというのではなく、背中から腰にかけて何となく変だなという予感がありやがて痛み出して動けなくなる、というパターンになってきている。「何となく」の頃に気をつけてはいるのだが、これを停めることができない。自覚症状から2日後の朝にはもう痛くて動けない。いや、魔女の一撃時ほどはひどくなくなったのも顕著な傾向としてある。以前から痛みの程度を地震のマグニチュードで表しているが、今回はM4くらい。数年前の最悪時はM7〜8だった。この時はMRI検査なども行なってみたが、特に椎間板ヘルニアも見られず、医者にこれ以上は造影剤によるCT検査になると言われてそれきりにした。以後、発症時には気休めに湿布薬を貼るくらいで医者には行かなくなった。平時の生活習慣のうち、ちょっとでも腰をかがめる動作にはすべて激痛が伴うのだが、ヒトの動作にはほとんどこれがあるので、したがって何もしないのが一番ということになる。とにかく安静にしていればゆっくりだが改善する。G腰直前の4日、五条川へお花見に行って自撮りの練習。
さて、これも恒例だがG腰の時はいつも撮り溜めしたビデオ(HDDだけど)と読書の消化が進む。安静時の時間つぶしにはこれが一番。この中に映画とバレエの両方に「アンナ・カレーニナ」があってどちらもとても面白かった。映画はキーラ・ナイトレイ主演のもので、バレエはNHK-BSプレミアムで放映されたマリインスキー・バレエのもの。原作はもちろんトルストイの長編小説で、二十代の頃に一度読んでいるが、当時はあまり面白いと思わず、それよりは「復活」の方を好んだ。読む前から主人公の悲惨な最後がわかっていてそれがどうもイヤだったのと、もう一人の主役ともいうべきレーウィン(表記は今回読んだ原卓也訳より)の理屈っぽい人生観が好きになれなかったのかもしれない。
今回見た映画では、キーラ・ナイトレイのアンナに同情できたのと、特に嫌いだったアンナの夫であるカレーニンが意外にいい人でこれにも共感できたことが我ながら意外であった。で、痛い腰を我慢して近いところだがクルマで図書館まで出かけて、中央公論社「世界の文学セレクション36『トルストイII』アンナ・カレーニナI・II」(原卓也訳)を借りてきた。
去年の二子山公園にて。今年は行けなかった…(クリックで拡大)
時々腰を気にしてこわごわ寝返りを打ちながら読み進めたが、感想は昔読んだ時とあまり変わらなかったと言っていい。絶妙な筋立てと半端ない描写力とで作家としてのトルストイの驚嘆すべき力量は再認識させられたが、やはりアンナの悲劇的な運命は納得が行かない。作者のテーマが冒頭の「復讐は我にあり、我これを報いん」という聖書の一句にあることからしてもアンナにはこの結末しかなかったのだろう。俗っぽい言い方だが「美人薄命」の典型という気がする。美人に生まれると結婚前はもちろん結婚したあとでもいろんな男から求愛され、苦労が絶えない。ましてや自分から不倫に走るなどすれば美人である上に人もうらやむ社会的地位にあることで人一倍非難を受けることは目に見えている。つまり彼女には現世において制裁を受けたあげくに「神の復讐」がくだるのである。キリスト教では、死後の罪人には地獄の業火が待っているそうである。ダンテの「神曲」に怖気を震うような地獄が描かれているが、アンナはあのような世界で未来永劫の罰を受けるのか。キリスト教信者でないからといってこんなことを言ってはいけないかもしれないが、同情に堪えない。2016年03月31日(木) 十五の春
毎年桜の少し前、菜の花やタンポポの季節になると中学を卒業した頃を思い出す。50年以上も前のことなのに、それ以後のどの春よりもこのころのことを思い出す。もちろんもう具体的な出来事などは忘れているが、その時の切なさ、寂しさなどは忘れないのだ。昭和38年、卒業式は3月15日だった。その翌日がいわゆる公立高校の入試日で、同級生の多くは卒業への想いよりは試験のことで頭がいっぱいだっただろうが、私は進学はせず、近々岐阜の異母兄のいる中小企業に縁故就職することになっていた。今思えばそれはまったく意に染まないことだったのだが、15歳の頭ではどうしていいかわからずなんとなく「定められた運命に従う」といった心持ちだった。私の父は、貧しさよりもこれ以上の学業は必要ないという考えから住込就職を決めたのだった。奉公に出すというもりだったかもしれない。学校とか、勉強とか、マンガの事しか考えていなかった私は、これから自分が出て行く社会や世間一般のことにはまったく関心がなかった。だから自分のこれからというものを真剣に考えたことがなかった。
これからもみんなと同じように高校へ行って勉強や好きなことだけ考えて暮らせたらいいと思っていたのに、もうすぐみんなから離れて一人だけ遠いところへ行かされるのだと思うと寂しくて寂しくて仕方なかった。その気持ちが50年経った今でものどかな春の風景や温かい風に触れるとふと思い出されてくるのだ。毎年花は同じように咲くが人はだんだん変わっていくという意味の有名な漢詩があるが、毎年同じ季節になると同じ心持ちを感じるということもあるのだ。人は変わるのも確かだが、変わらないところもある。それでは進歩がないのかもしれないが、変わらないのはそれがその人の生きる上での「原体験」になっているからだろう。
私の原体験は「十五の春」である。それ以後の私の人生はすべてここから始まると言っていい。この体験が私に世間の厳しさ、いやらしさを思い知らせ、その後の私をひねくれ者にした。今でもそうである。社会への反発心もあって、それがいろいろなことを学ぼうという気にもさせているが、性根はひねくれ者である。人の言うことを聞かない、人に受けた恩を忘れる。若い頃には友達がたくさんいたが、だんだん素性がバレてやがて去っていくから今は友と呼べる人がほとんどいなくなった。たくさんの人を裏切ってきたなと思う。それでいて反省もしない。この年になると根性を叩き治してくれる人もいないからこのまま行くしかない。(v_v;)
春の候といういい季節にこんなクラい話では失礼なので、縁起直しに思い出話をひとつ。中学を卒業して1年後に東山公園でクラス会があった。岐阜で過ごした一年があまりにも別世界だったので、たった一年なのにとても懐かしく喜び勇んで出席した。この公園の池でみんなでボートに乗って、そこで稲沢の同年の女子高校生たちと知り合った(^ ^)。互いに住所を教え合い、文通が始まった。それはその後の私の味気ない住込生活の唯一の楽しみとなった。
2016年03月25日(金) サギと白山とiPhoneSE
なんだか寒い日が続いている。もう桜もちらほらなので花冷えと言っていいのかも。今朝の散歩でも初めは大山川の堤防の上を北向きに歩いたので風が冷たく耳が痛かった。それでも30分も歩いていると汗ばんでくる。途中、川の土手にアオサギが何羽も群れているのを見た。
サギたちをもうちょっと近くで撮ろうと土手を下り始めたら一斉に飛び去ってしまった。
同じ土手をシルバーカーを押してきた私よりちょっと年上っぽい女性が、「いつもここにいるからすぐ帰ってくるよ」と笑いながら教えてくれた。 同じ場所から北のはるか遠くに雪をかぶった美しい山陵が見える。加賀の白山の峰々だと思う。 尾張地域一帯は御岳信仰と並んで白山信仰も盛んだったようで、自宅近くにも白山の名のつく神社や御社が大小たくさんあるが、御岳はともかくなぜあんな遠くの白山への信仰が広まったのか不思議に思っていた。だが、少し高いところからなら今でもこうしてご本山を拝めるのだ。先達と呼ばれる修験者たちの布教の努力もさることながら、昔は今よりもっとどこからでも拝めたことを思うと得心がいく。冬の快晴日の御岳なども白山より近いこともあって富士と見紛うばかりの美しさである。私は信仰心は皆無だが遠くから見る山が好きで、御岳、伊吹山、白山をわが町の三名山と勝手に思っている。
さて、22日(日本時間)のAppleの新作発表会をネットで見た(リアルタイムではないが)。やっぱり新iPhoneの名は iPhone SE だった。仕様もほぼ事前の予想通りのようで、簡単に言うと4インチサイズで中身は 6s 並とのことだ。欲しいなと思っている。問題は価格だが、最小の16GBでもアメリカでは$399と言いながら、日本では57,000円もするのはおかしくないか?(単純計算で1ドル=113円なら45,000円) いわゆる「足元を見る」ってやつかな。ちょっと二の足を踏む。ホントは64GBが欲しいがそれだと7万円だ。ムリかなぁ。だが、それでもiPhone6や6sよりは大幅に安い。下取りなどもあるそうだからゆっくり考えよう。
2016年03月19日(土) 「私のiPhone観」
最近「世界観」という言葉が流行っているようだが、我々の世代には何となく重厚な言葉で、普段はきまりが悪くて使いにくい言葉だ。もともとは哲学用語のはずだが、今では主にRPGゲームの作成や評価として使うらしい。テレビのバラエティー番組などでも使われるので、聞いていておや?と思ってしまうのだ。「〜観」というとむかし読んだ小林秀雄の「私の人生観」を思い出す。彼にしてはキザな題と思って読んでみるとどうも講演会での与えられた題目だったようで、内容はすっかり忘れてしまったが題だけはそんなことで覚えていた。で、自分でもこんな題をつけて今の自分にとっての iPhone について考えてみようと思った。
おかあさんといっしょ(まま母だけど)
iPhoneは電話ではない。電話もかけられるパソコンである。その証拠に(証拠か!?)私は電話としてはほとんど使っていないが(キャリアはauです)、毎日なくてはならないものになってしまった。だから「ケータイ」というのは正しいが「携帯電話」ではないのだ。スマホ、あるいはスマートフォンという言い方はそれ自体が固有名詞化しているので、ま、いいかと思っている。iPhoneはパソコンなので日常的には情報管理として使っている。朝、iPhoneで目覚め、今日の天気と予定を確認、ついでに奥さんのスケジュールを確認して、自分の行動を決める。散歩に出れば歩数や距離を記録し、写真も撮り放題(Google Photos にアップした後はiPhone の方は削除可)。途中買い物する店舗に近づくと何を買うかを思い出させてくれる。時々カミさんから電話もかかる。毎週や毎月の定例行事なども教えてくれるし(もちろんイベントを登録しなければダメだけど)、ギターの練習には無料ソフトでチューニング(Instrument Tuner)し、お金や通帳の管理は MoneyFree でバッチリ!紙の通帳はもう1年くらい見ていないし更新もしていない。カミさんの膨大な買い物レシートもMoneyForward でカメラ入力(っていうのかな?)だから手間がかからないし、後から検索するのも1年遡って可能…etc。
…と、まあこんな調子でiPhoneべったりの毎日が続いている。これだけのことができてしかも「モバイルデータ通信」は必要としない。auの「バケット通信料定額サービス(LTEフラット)」は月々プラス5700円かかる。どう考えても無駄なので使わない。今、私のiPhoneの利用料金はもう機器の月賦も済んだので月額1400円くらい。カミさんのももうすぐ月賦が終わるので同じくらいになるはず。キャリアメールもできたらやめようかと検討中だ(さらに–300円になる)。外でネットが使えないことでの一番のネックは地図だったが、それも「maps.me」という無料アプリで外でも地図が見られるようになった。位置情報さえオンにしてあれば自分の現在位置もチェックできる(方向音痴の自分には必需品)。上記に記したアプリはもちろんほんの一例で、他にも多くの有料・無料アプリがあるのでこれからもチェックが必要である。
私のiPhoneは現在「5」で、上記のことくらいなら今でも充分である。これから先も、おそらく日常のすべての瑣事はiPhone(や他のスマホ)で済ませられるだろうことは容易に想像できる。今後導入が予想される Apple Pay がクレジットカードや現金も必要でなくなるような形で始まり、どこのお店でもiPhoneをかざすだけで買い物できることになれば便利さはさらに加速するだろう。私は、人類の将来は社会的労働を納めた人々がその証明手段を持つことでどこでも必要な生活手段を手に入れられることになると思っているが、カード類や現金を持ち歩かなくてもいい社会はそうした高度な共同体の土台実現に一歩近づくことになる…。iPhoneはそういう夢も担っている道具である。
もちろん課題も多い。すべての機能に共通する課題はセキュリティである。特にモバイル決済時のそれは絶対的に重要で、この点を Apple Pay その他の決済手段はどのようにクリアしてくのかに非常に関心がある。次に、電池の能力だ。iPhoneのフル機能をフル稼働した場合(例えば動画、地図の軌跡、SNS、音楽など)、電池の寿命は数時間に過ぎない。以前よりは電池性能はよくなっているのであろうが、それ以上に機器能力が向上しているのでイタチごっこになっている。これは携帯機器の宿命である。この頃自分のiPhoneでも電池の消耗が気になっている。まだ40%も残っているのに突然落ちたりする。逆に5%になるまで使ったので充電を始めると急に30%にまで数値が上がったりすることがある。もし寿命なら電池交換にするか、新規購入するか悩むところ。Appleの今年の新製品発表会(3月22日?)に出るという iPhone SE (まだ巷間での予想名だが)にちょっと食指が動く。
2016年03月18日(金) みぞろぎ孝さんのクイズ
昔からの知人の好意でもう20年近く「新婦人しんぶん」を読んでいる。女性問題に限らず戦争法(「平和安全法制」)、消費税増税反対などにも積極的に取り組んでいる「新日本婦人の会」が発行する週刊紙である。女性紙ではあるがオトコが読んでもタメになるいい新聞である。この新聞に毎月1回、みぞろぎ孝という人のクイズが載ってくる。毎回これがおもしろい。3月17日付のを紹介しよう。漢字で表された計算式をもとにどの漢字にどの数字が当てはめられているかを求め、最後の質問に答えるのである。
この場合、ヒント4と8から直ちに「茴」は3、「木」は0とわかるが、それ以外の漢字はなかなか難しい。れっきとした数学の問題で、残りの6つのヒントから8つの漢字(耳杏杞香通子草枸)の数字を決定しなければならない。いわゆる多元1次不定方程式というやつである。これを解くためには一つの漢字は一つの数字を表し互いに異なることを利用する(「0〜9の数字を全部使います」と書かれている)。要するに0、3以外の数字を次々に当てはめていけばいつかは正解するのだが、面倒なことこの上ない。
こういうものをおもしろいと思うのが「数学好き」の所以かもしれない。もちろん数学嫌いでもパズルは好きという人はたくさんいるだろうから、上に記したようなやり方ではなくて別の解き方もあるだろう。例えば「問い」中にある「ABは生の葉も体にいいのよ」というみぞろぎさんのお母さんの言葉から漢字を組み合わせて何かの名前を導く、など(私は真っ先に「木耳」を思いついたが正解ではなかった)。
毎度のことながら、こういうものに出会うとつくづくアタマのいい人がいるものだと思ってしまう。自分はクイズは解くのは好きだが作るのは苦手だ。あらゆる科学の分野でも難問を解いた人はもちろん偉大だが、素晴らしい問題を作成した人たちを忘れてはならない。教科書や参考書に出てくる多くの問題は必ずただ一つの答えがあり、その解き方や考え方まで明かされている。いわゆる科学の王道である。この仕事無くして科学の継続・発展はないという重要な仕事である。この道を作る人たちは多くは生活のためにこの仕事を行なっている。これらの仕事に対する社会的評価は低いかあるいは無視されているのではないか。試しに算数・数学の問題を自作してみるといい。いかに難しいかがわかる。また、この王道を歩く者もスラスラ歩いているからといって自分は天才だなどと思ってはいけない。人の作った答えのはっきりしている問題を解いたところで、それはその人の後を追いかけているだけである。その王道の果てには真の天才でさえ持て余す超難問が待ち構えている。王道の果てにこそ解かなくてはならない本当の「問題」があるのだから。
2016年03月17日(木) ウグイスの初音と iMovie
少しは暖かくなってきて散歩も汗ばむようになった。どちらかといえば冬に歩く方が好きなのだが、家にいるときはやはり暖かいほうがいい。暖房なしでも遅くまで机に向かっていられるからいろんなことがはかどる。昨日の散歩で、ウグイスの初音を聴いた。もちろんもっと早く鳴いているのだろうが、ふだん名古屋の幅広の国道沿いを歩いていてはなかなかウグイスに出会わない。昨日は大山川という川に沿って歩き、さてそろそろ帰路につこうと川を離れて国道41号に出る手前にもうずいぶん前に廃屋となったようなホテルがあり、その敷地内にある木の上で鳴いているのに出会った。
《ウグイスの声を聴く(49秒)》
木はナラカシであろうか、肝心のウグイスを撮ることはできなかったが、ちらと姿は見た。声は iPhone でにわか録音したものを iMovie(Mac付属のビデオ編集アプリ) でちょっと編集しただけなので、雑音やらカラスなどもそのまま入っているが、このブログで初めての音のコンテンツであるv(^ ^)。実は写真を背景にして音を出すように試しに作ってみたのだが、なんと40MBもの容量を食う。このファイルだけでこのHP全部のコンテンツ分くらいあることになる!つくづくビデオのUPは無理と諦めた。だが、iMovie の使い方がちょっとでもわかってとても嬉しい。2016年03月11日(金) 東日本大震災
大震災からまる5年。テレビのチャンネルごとに様々な特集をやっている。久しぶりに震災当日の津波の映像を目の当たりにする。「ああ、またあの日だ」という暗澹たる気持ちになる。画面に「ストレスを感じたら視聴を控えてください」というテロップが流れている。自分でさえこれだけのストレスを感じるのだから東北の人たちはさぞ、と思われる。映像は我々に忘れかけていたものをはっきりと思い起こさせる。その意味では貴重な記録ともなる。また、ある番組で、津波に奪われた妻を探すために潜水士の資格を取った男性の話を聞いた。自分に送られるはずだった妻のメールに「帰りたい」とあったのを見て海に潜る決心をしたそうである。
直接被害を受けていない我々にも、冷厳な記録と家族に会えないままの人々の思いとが重なり合って、震災の現実を突きつけてくる。この現実を見据え、自分のなすべきことは何かを考えていきたい。
2016年03月03日(木) 誕生日の一日
今日は恒例の(当たり前か)S子(妻)の誕生日である。私はこういうイベントが苦手で自分の誕生日などいつも「もうやめようよ」と言っているのだが、妻はまったく聞く耳を持たない。イベントと言ってもプレゼントとバースデイケーキくらいなのだが、これがめんどくさい。まあ十年に一度くらいならいいが、毎年はイヤだ。自分のもイヤだが人のを祝うのもあまり好きではない。人が祝っているのはまったく気にならないが、自分がからむと面倒だなと思う。誕生日や記念日(のイベント)が好き、あるいはキライというのは個人によって違うのか、それとも男女の違いだろうか。一般に男の方がめんどくさがりやで、女はこういうことが好きらしい(特に根拠があって言っているのではないが)。S子に言わせると、誕生日とは「一年を生き延びたということで、それはおめでたいことよ」という。確かにそうだが昔ならともかく、現在はそんなにめでたい感はないんじゃないか。昔は還暦だ古希だとお祝いしたが、最近では米寿や卒寿でも珍しくはないから白寿くらいから祝うくらいでちょうどいいのかもしれない。
他の人はわからないが、S子のホンネを推し量ると、普段いろいろ生活に苦労していて、頑張っている自分を年に一度くらい褒めてやりたい、また人にも褒めてもらいたいという気持ちではないか。いわば「母の日」ならぬ「妻の日」である。確かにこっちからみると苦労はかけているし、ありがたいと思っているのだが、じゃあお祝いしてあげなくては、とは私の場合、ならない。これはツメたいのではなく、照れくさいのである。心の中で思っているからいいではないかというわけだ。
ケーキを前にご満悦のS子(妻)さん
こういうことをいうと世の女子陣から一斉攻撃を受ける(気がする)。だから日本の男はダメだ、女の気持ちがわかっていない、ちゃんと口で言わなきゃダメよ云々…。仰せの通りかもしれない。だから時々は(ごくたまには)ちゃんとお祝いもするし、ガラにもなくサプライズなんてこともやったりするのです。これで勘弁してほしいなんて思いながら。私の誕生日の時には、毎年S子の方から「今年は何がいい?」などとリクエストをとったり、ケーキも普段から食べ歩いて美味しいと思ったところに予約したりしている。だから昨年末の誕生日には本当に欲しいものを注文したりもした。ただこれは誕生日のお祝いというよりは、その時に必要なものを自分で買わずに他人(妻だけど)を利用して買ったということだから、S子のイベントの趣旨からは外れているだろう。このズルさは年金生活からくるビンボー性から来ている。
昔、英語の勉強でO・ヘンリーというアメリカの作家の作品を翻訳した時に、ついでに「賢者のおくりもの」(題は矢川 澄子訳)という短編を読んだことがある。教科書にも出ているとても有名な作品であるが、プレゼントというものはこの作品に出てくるようなものでなくてはならないのだと思う(もし読んでいない人がいたらぜひ!)。私がもらったものはこれとは正反対の物欲そのものだ。恥ずかしい。
2016年02月29日(月) 「未成年」と格闘
ロシアの作家フョードル・ドストエフスキーには5大長編(注)と言われる作品があって、このうちの4つは10代後半に読んでいたが、ただ一つ「未成年」だけは読まなかった。未成年が「未成年」を読むのだからど真ん中のはずだが、5つの作品の中ではもっとも地味で、いくつか読んだドストエフスキー評論でもあまり重要視されていなかったように思い、なんとなく読まずにきてしまった。今回そんな「未成年」を読もうと思ったのは、時々もたげる「やり残したことを片付けるような気持ち」からだった(「戦争と平和」を再読したのもそうでした(^ ^)。「悪霊」のスタヴローギンや「カラマーゾフの兄弟」のイヴァン(名前の表記はいずれもWikipediaに依る)などから受けた強烈な印象は、そのまま60代後半の今でも引きずっているほどである。このようなキャラクターを創ったドストエフスキーが「未成年」ではどのような思想を展開しているのか、大いに興味を惹かれてもいいはずなのだ。しかもこれは「悪霊」と「カラマーゾフの兄弟」の間に書かれているのだからなおさらである。
というわけで、例によって図書館に予約をしたのだが、全集本は貸し出しできないそうで、3種類の文庫版(1940年、1976年、それに2008年発行)が借りられるようになっていた。で、いっその事最古の1940年版を借りることにした(ひょっとしたらこれも来年からは貸し出しされなくなるかも?)。
上中下3冊全1103ページ!
上巻の奥付
上巻本文書き出し。いずれもクリックで大きく見られます。
さて、中身であるが、ブログの題に「格闘」と入れたように理解するのに苦労した。読みにくくはないが、延々続く科白や筋の分かりにくさなどに退屈した。そのうえ例によって登場人物の名前の煩雑さがある。詳しく書くと投げ出されそうなのでやめるが、読み進めてキャラが立ってくるまでが大変である。
簡単に言うと、「私生児」として出生した主人公(未成年)が、初めはロス・チャイルドそのものになるという人生の目標を立てるが、実父、母、戸籍上の父、その他もろもろの人物の間に起こる金と愛憎関係を克服して、新たな人生の目標に向かっていくという話である(独断です)。
最後の「新たな目標」についてはよくわからないのだが、なんとなく「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャを思い起こさせるところがある。しかし最初のロス・チャイルドを目指している頃はむしろ「罪と罰」のラスコーリニコフに近いかなとも思う。ドストエフスキーの作品では、それぞれの登場人物の共通性はよく言われるが、いちいち誰を誰に比定してみてもこの作品の理解にはあまり役に立たないだろう。大胆にいってしまえば、「未成年」は「カラマーゾフの兄弟」の下書きか(いくらなんでも言い過ぎ)。
ともあれ、「やり残したこと」の一つを片付けた気になっている今日このごろである。
(注) 言わずもがなですが、「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」です。(戻る)
2016年02月26日(金) 第3次HP改造と市川さんのCD
やっとこのホームページ(以下HP)の「第3次改造」のめどが立った。チマタで噂のHTML5に対応させるつもりで始めたのだったが、あれもこれもということになって結局かなりの大きな改造になった。このHPも初めからタグを使って書いていたわけではなく、最初は契約ISPのbiglobeの「ウェブリブログ」を利用していた。これは、記事を書いて写真をアップするだけで誰でもきれいなHPが簡単にできるというスグレモノだった。しかし、ナツメ社の「HTMLハンドブック」を見て「な〜んだ、HPって自分でできるんだ」と思って始めたのがこのコレの原型。そのときお手本にしたのが森博嗣先生の「近況報告」サイトだった。それから10年近くはせっせとコンテンツ拡充に勤め、CSSを使うようになったのが2013年8月(1回目の改造)、次に画面の分割にフレームを使っていたのをやめたのが2014年10月(2回目)、そして今回HTML5対応と、ついでにスマホでも見やすいようにと画面構成も大きく変えた。初めはスマホ用の画面を別に作ろうかと思ったが、ファイル管理が面倒になるのでやめ、すべてを一つの画面構成で済ませることにした(一部例外はあるが)。このためCSSファイルの役割がとても大きくなった。
CSSは便利である。class もここで定義しておけばどこでも使える。ここの内容を変えることですべてのファイルの表現を制御できる(これらはすべて「倉金家ホームページ」(http://kuragane.jp/html5-font.htm) さんのおかげです。感謝!)。cgi や java などはあまりやる気ないので(というより必要性の問題)、これでシステム的には完成かな、な〜んて言っているが、実はもう一つ大きな夢がある。インターネットサーバの自作(自宅ネットサーバ)である。しかしこれはあまりにハードルが高い。他にもやりたいことが多い中で残り少ない(?)人生を賭けるほどの魅力があるか、甚だ疑問でもある。だからこれはぜひ叶えたい夢というよりは「暇とカネとやる気があったらやってみようかな」程度の願望である…。
さて、話変わって、20日やっと市川紗椰さんの歌手デビューCD「夜が明けたら」をゲットした。いろいろ回ったが近所のCD屋さんでは手に入らず Amazon で購入した(タワーレコード¥1486)。11トラック中、歌は「夜が明けたら」一曲だけで、あと10本はすべて鉄道関連の録音。これはすべて本人のコレクションから厳選したものとのこと。「夜が明けたら」は浅川マキ(故人)という人の歌をカバーしたもので、私はこの歌を知らなかったが、S子(妻)さんは「アングラの女王って言われてた人の歌」だと知っていた。彼女は時々私の知らないことを知っていて驚かされる。というか、私が知らないことにびっくりしていた。私もひょっとしたら知っていたのに忘れてしまったのかもとちょっと背筋が寒くなった≀≀(* *;)≀≀ボケタカモ…。
市川さんの生写真?付きCDパッケージ
それはともかく、いい歌だ。孤独な女が何を求めてか街を渡り歩くという歌で、意外に市川さんに合ってるかもしれない。ガンダムや鉄道などに惹かれている彼女は、ヒトにはない何かを求めて趣味を渡り歩いているのかもしれない(^ ^;スミマセン…。それにしても初めて出す歌のCDにオトテツのコレクションを満載する美人モデルとは、いったい何を目指しているのか。これからが楽しみな市川紗椰さんである。私は意外と鉄道は好きで(マニアではないけれど)、4〜5歳の頃、東海道線(だと思う)で母の実家の大阪に行ったことや、「日本食堂」らしきところで食事をしたこと、列車の窓を流れる雑木林の景色などを覚えている。もちろんSLだった。これが刷り込みになっているのか今でも電車・列車は種類を問わず好きだ。前に住んでいた家からそう遠くないところに国鉄の操車場(笹島駅・現JR東海名古屋車両区)があり、その近くの向野橋まで出かけて橋の上から長い貨物列車の入れ替えなどを飽かずに眺めていたこともある。子供の頃、夜中ふとんの中で聞く夜汽車の汽笛や鉄橋を渡る音に旅情というか郷愁のようなものを感じていた。今思えば名古屋駅近くの小さな鉄橋を通る貨物列車だったろうか。寂しい音だったが嫌いではなかった。
現在の向野橋の遠景(2015/3/31撮影)
2016年02月08日(月) 「フリーソフト」のおかげ
先月25日に自分のHPを2日くらいでHTML5対応にしたように書いたが、これは <font や <a name= などを使わないようにしたくらいで、その後まだまだたくさん修正するところが見つかって結局1週間以上かかってしまい、厳密にはまだ終わっていない(^ ^;。驚いたのは <img にalt属性(画像非表示時の説明文)が必須となっていることだった(例外はあるみたい)。自分が最初に勉強したHTML3(に準拠したテキスト)では省略可となっていたのでこれまで alt なんて一コも付けたことがなかった。 <img は何百行と使っているので修正が今でもまだ終わっていない。HPソースの修正以上にここしばらく力を入れていたのが自作曲の楽譜作成で、これもフリーソフト「MuseScore」のおかげでこんなにきれいにできた。フリーソフトでここまでできるのだから本当にすごい。一つの五線譜に二つ以上のパートを書くことも、最初はできないのではと勝手に思っていたのに実は簡単に入力できる(しかも4つまでパートが記入可能!)。
試しに武満徹の「ギターのための12の歌」の一部を写譜してみた。
ショット・ミュージック株式会社発行「武満徹《ギターのための12の歌》」の一部をフリーソフト「MuseScore」で写譜したもの(クリックで pdfファイルが開きます)。
ご覧のとおり、一つの五線譜に三つのパート、弦の番号や指の指定、クレッシェンド、dolce等どんな指示でも記入できる。しかも指示のほとんどが再生時に反映される。印刷もきれい(私には)。少しも不満がない。これで free なのだから、世の中には奇特な人がいる。何度も言うが素晴らしいソフト。https://musescore.org/jaによると寄付ももちろん募っているが、「しかし、何と言っても、お友達やご家族に口コミなどで広めていただくことがMuseScoreの力となります!」というメッセージが心憎い。昔、パソコンがMS-DOSだった頃に、圧縮ソフトの lha (吉崎栄秦氏作成)とか バイナリファイル⇄テキストファイルという Ish (石塚匡哉氏作成)にずいぶんお世話になったが、これらもいわゆるフリーソフトでどれほど作者の人たちに感謝したことか。WindowsからMacに移った今でも mi とか FileZilla 、そしてMuseScore など非常に多くのフリーソフトのおかげでこうして何不自由なくパソコンに携われるのである(これまで以上かも)。優れたソフトウェアを無償で提供している人たちとはいったいどういう考えを持っているのか不思議に思ったことがある。いっときでも何かプログラムを作って「ひとやま当てよう」と考えたことのある自分が恥ずかしい(_ _;。現在でもたくさんのフリーソフトが開発され、多くの人が利用しているが、パソコンという分野には他にはないこういう側面がある。これはすでに文化と言っていいだろう。自分としてはスキル不足でなかなか難しいが、こういう方面で何か貢献できないだろうかと思うことはしばしばある。
他方で忘れてはならいないジャンルに「有償ではあるが廉価なソフト」というのがある。「シェアウェア」などもそうだが、これはなぜかたいてい試用期間内で使わなくなる。理由は同じことができるフリーソフトがあるからではないかと思う。初めからお金を払って購入したソフトは「せっかく買ったのだから」という気持ちで頑張って使うせいか、けっこう長く使っている。
一番の思い出はMS-DOS時代の「EZ98 Editor」である(兵藤嘉彦氏作成。98 とは当時のパソコンの代名詞ともいうべき「NEC PC-9800シリーズ」のこと。PC-9801がその代表的機種)。これは後年DOS時代を席巻した「Vz Editor」の前身で大須のアメ横で確か数千円で購入した。薄いパッケージに地味な印刷で梱包されていたのが印象的だった。当時「テキストエディタ」というものを知らなかったので「どんなソフトなんだろう」というくらいの気持ちで購入したが、これが自分にとってパソコンの世界にのめり込むエポックメーキングとなった(と思う(^ ^;)。しかも実行ファイルの大きさが9801バイトという洒落たこだわりに強い共感を覚えた。取説も数十ページのお手製のような簡易なものだったが穴の開くほど読んだ(今でもどこかに保存しているはずだが、ちょっと見つからなかった)。プログラマと呼ばれる人たちは「MIFES」などを使っていたらしくこれは数万円もするので初めから眼中になかった。こういう経験をすると高価なソフトが買いにくくなる。後の Vz Editor の¥9800でも高いと思ったくらいだ(買ったけど)。
お話ついでに自分のパソコン歴も書いておこう。
初めて買ったパソコンは日立の「ベーシックマスターレベル1」で、時期としては1980年前後、やはり大須アメ横だったと思う。メモリはたった 4kbite、専用のディスプレィを付けて30万円くらいした。簡単なBASIC言語でプログラムを作ったが、すぐに同レベル2にバージョンアップした(チップを買って増設した、ような気がする)。メモリは16kになり、カセットテープにプログラムが保存できるようになった。saveの速さが「300ボー」というのを覚えている。
(画像参考:http://hp.vector.co.jp/authors/VA011804/b_mas.htm 懐かしい!「GARAさん」様、感謝です)
この時までのBASICはプログラムがエラーで止まった時でもそのままの状態で修正ができ、続けて走らせることができたのに、後から出た同シリーズのレベル3やS1などは一旦止まると修正後は変数値などがリセットされ、続けて走らせることができなくなった。これが大いに不満でBASICがマイクロソフトに変わったせいだと今でも恨みに思っているほどである。これらをしばらく使いこなしていたが、やがて世の趨勢に逆らえず日立からNECのPC−9801VF2に乗り換えた。これは640KB・FDD2機搭載という中途半端な仕様で、当時流行していた同じシリーズのVM2が1MB・FDDを2機搭載しているのに比べて多少廉価でついケチってしまったのだ。これにはずいぶん後悔した。友人・知人の持っていた垂涎のソフト群が皆1MB・フロッピーディスクでそれを利用させてもらえなかった。このことは後々までPCのスペック選択時の教訓になった。PC-9801VF2を使う若き日のS子(妻)さん。1980年代中頃か
この時の苦い思い出としては Microsoft 社製の表計算ソフト「Microsoft Multiplan」を5万円とかで買ったことだ(現在まで私物としてはこれ以上値段の張るソフトを買ったことがない)。「Lotus1-2-3」を知るまでは苦労して使っていたが、結局あきらめてしまった。使いにくいことこの上ないソフトだった。のちに同社から出た「Microsoft Excel」とも比べ物にならない。さっきの BASIC のことと、このMultiplanのことで私はどうもMicrosoft が好かないままでいる(^ ^;。
2016年01月31日(日 ) 市川紗椰さん(続き)と自作曲
最近日課のように市川紗椰さんの過去ブログを読んでいる。とても面白い。もちろんモデル兼タレントさんだからファッションや出演番組告知も多いが、何より本人の趣向が楽しい。コアな趣味を前面に出し過ぎてつい大事な告知を忘れる(ファンにも叱られるくらい?)など、パーソナル感丸出し。掲載されている自身の写真(自撮り他撮りいろいろ)も写真集の売れ行きに影響するのじゃないのと心配するくらいたくさんあって、どれもチャーミング。ポーズがいつもバルタン星人なのは狙っているのか天然なのかわからないが、テーマがはっきりしているので嫌味はない。ちょっと気取っているふうはファッションの紹介だし、それ以外はたいてい鉄ものとのツーショットか何か食べているところ。嬉しそうな様子がこっちにも伝わってくる。ブログの文章全般に散見される字抜けやタイピング間違いもそのままにされていて、間違い探しにも使える。どうか直さないで欲しい(^ ^。市川さんは歌手でもあって「夜が明けたら」というCDも出していることを2015年05月10日付けのブログで告知している(http://saya-ichikawa.com/date/2015/05/page/2/?cat=2)。「ボーナストラックとして、録音by市川の鉄道走行音が収録」されているそうで、歌っている本人も買う方もこっちの方がメインでは…などと言ってはいけません。久々にCDを買おうかなと思っている。
例によって市川さんではありません。もえで〜す。久しぶり(このあと見事なパンチで引っ掻かれました)。
さて次は、題に書いた通り昔作った自分の曲をクラシックギターで仕上げようという話である。自作曲は20曲くらいあるのだが、このうちの半分くらいはハタチの時ほとんど1年くらいのうちに作ったもの。不思議なことにそれ以前には交響曲だピアノソナタだなどと大作曲家のマネゴトをしていただけで、いってみれば楽譜の書き方の練習だった。そして20歳を過ぎてからはばったり作曲できなくなってしまった。興味がなくなったのではなくネタが切れたという感じである。今でも何か浮かべば書き留めるがろくなものはない。長年色々な曲を聴いてきてハードルが高くなったせいだと思うが、それでも若い頃の自作曲は捨てられない。そこでこれを本格的に「作品」にしようと思って始めたのがクラシックギターへの再挑戦だった。ほぼ毎日1〜2時間は練習したにもかかわらず、相変わらず指の動きが楽譜についていけない。トレモロもいつまで経っても早くきれいにできない。それでも一番良かったのはやはり武満徹の「ギターのための12の歌」にチャレンジしたことだった。これは弾いて楽しむよりは、ギターという楽器でどんなことができるかを学ばせてくれた。その影響でできたのがわが「作品1」ともいうべきこれ↓である。
《「MuseScore」での再生音が聴けます(2分4秒。ボリュームに注意して下さい)》
「山河抄」という題は作曲した時につけたもので今は気に入らないけれど当時の自分に敬意を表してそのままにした。いずれ何曲かまとめて作品1にするときにまた題を考えるつもり。楽器の指定はないが一応一台のギター用である。楽譜作成はMuseScore Ver 2.0.2(https://musescore.org/ja)を利用させてもらった。フリーソフトながらpdf出力でこのクオリティである。演奏もできるので聴きながら作曲できるという優れもの。素晴らしい。感謝に堪えないm(_ _)m。自分ではうまく弾けないが、弾くのが不可能でないことは実証済み(^ ^;。2016年01月25日(月) HTML5・CSSを学習
この10日間HTML5に関する知識を主としてネットの記事を読ませてもらって勉強した。今となっては今月14日に書いたブログも過去の遺物となった。<font>や<center>をなくす理由がイマイチよくわからないのだが、変わるものは仕方がないので対応せざるをえない。- 主にお世話になった記事は次の通り。
- http://kuragane.jp/html5-font.htm(趣味の部屋/ホームページ余話)
- http://k-hiura.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/html5div-21c4.html(万象酔歩)
- http://www.htmq.com(HTMLクイックリファレンス)
- http://delaymania.com/201209/web/blog_html_font/(fontタグ使ってる人はもう使うのやめよう)
- http://www.tagindex.com/index.html(HTMLタグ・CSS・テンプレート - Web制作のインデックスサイト)
特に「1.趣味の部屋/ホームページ余話 HTML5への対応 <font> タグ」からはこの中のCSS用テキストをそのまま借用させていただいた(^ ^;。趣味の部屋本文中の言葉を借りれば「はっきり言って前よりもずっと楽になった。もっと早く気がつけばよかった。」である。
このCSS用テキストを丸ごと我がCSSファイルに追加させてもらったおかげで<font>などの旧HTML記述をエディタの一括置換処理で<span> などに変えることができた。10日のうち8日は学習だったが、後の2日で自分のHPのソースのほとんどを直すことができた。
拝借したCSS用テキストには例えば「.red { color: red }」(文字色を赤に指定)とか「.large { font-size: large; }」(文字の大きさを「大」に指定)などのように、{ } 内のややこしい処理を .xxxxx のように一言で表したもの(classと呼ばれる)が記述されていて、 これをCSSファイルとして読み込めば HTML文の<span class="red">AAA</span> では「AAA」が赤色になるし、<span class="large">AAA</span>とすればAAAのように文字が大きくなる。赤くて大きくしたいのならば<span class="red large">AAA<span> とclassを列記すればAAA のようにできる。こんなのが何十行もある。記述も一律、使い方も一通りなので大変便利。しかもこの方法をマネすれば自分でも新たに class を作成することが容易にできる!
で、早速必要に駆られて追加作成してみた class が次の3つ。
.spacing10 { letter-spacing: 10px; } (メニューなどの均等割付け。14日付け記事の続きになる)
例:<span class="spacing10">ABCDEFG</span>→ 「ABCDEFG」が「 ABCDEFG」に
.nihongo {text-align: justify;text-justify: inter-ideograph;} (ブログの記事全体の均等割付け)
例:<article class="nihongo">【ブログの記事】</article> おかげでこのブログも行末が揃うようになった(以前はそうではなかった(^ ^;)。
.bg_gazou1 { background-image: url(pass/bg_gazou1.jpg); } (背景画像の設置)
例:<div id="left_frame" class="item bg_gazou1">〜</div>→フレーム「left_frame」の背景画像を「bg_gazou1.jpg」にする(このHPの左側の<Contents>の背景参照)。(→2016.3.11追記:「左側の背景」はスマホ対応のためなくしました。)
虎視眈々…お箸の先を狙う4つの目
また、「2.万象酔歩」さんからはHTML5に対する考え方でまたメカラウロコ(最近よくウロコが落ちる)。万象酔歩さんは、HTML5は <center>〜</center> をなくして替わりに「margin-left:auto;margin-right:auto で中央置きを示すなどというのはどう考えても低レベルの内部処理がそのまま表にこぼれ出して来たとんでもない記述です。退化です。その内<center>タグ に再進化する可能性があると考えます。」と「予言」されている。何はともあれ、これで一段落。みなさん、ありがとうございました。もうしばらくはタグの勉強はしなくて済む(かな?)。
2016年01月14日(木) 均等割り付け
昨日も書いたHPの「趣味のコーナー」作成で一つ勉強したことがあった。題字などの均等割りの方法である。このブログのトップに「懐かしのHeroes」等々のメニューを作るときに幅を揃えようとして適当に空白を入れてみたのだが(いつもそうしてきた)、何かいい方法があるはずとググって見たら、あるわあるわ空白で均等割りするのはご法度云々の記事がいっぱい。じゃぁどうするんだよと親切そうなのを探したら、やはりCSSファイル(スタイルシート)に記述する方法が出ていた(感謝 http://www.htmq.com/style/letter-spacing.shtml)。まずCSSファイルにdiv.foo{letter-spacing: 32px; text-align: center;}
と記述し、HTML文書には<div class="foo">数学</div>
と記述することで、ブラウザには、数学
と表示される。成程、文字の間に隙間ができている。CSSファイルの記述の「32px」の数字を大きくすれば隙間も大きくなる。これをハイパーリンクにするため <a href=〜 を付けて、<a href="xxx.jpg"><div class="foo">数学</div></a>
とすれば、となってハイパーリンクさせることもできる。それが目的である。
しかし、この方法ついては一つ不満がある。このように「数学」にアンダーラインが付くのだが、アンダーラインの末尾が文よりはみ出ているのだ。<div と <a の入れ子を逆にしても同じである。これを解決(?)する手段としてこれまた他のサイトから教えてもらったのが、CSSファイルを用いず直接HTML文書に
<a href="xxx.jpg"><font style="letter-spacing: 32px; ">数学</font></a>
と書く方法である。これでもこのままではアンダーラインの末尾が文よりはみ出るが、今度は <div ではなく<font 〜 なので「学」の一文字を</font> の後ろに持ってこられる。すなわち、<a href="xxx.jpg" target="_blank"><font style="letter-spacing: 20px">数</font>学</a>
で、こうするとブラウザでは、となって目的を達成できた v(^ ^。ただこれだと検索で「数学」がマッチしないという弱点もあるが...。
これまでHTML文を書くときにいつもずっと手引きにしてきたナツメ社の「HTMLハンドブック」(1996年版)にはCSSも <font style=〜 も出ていないので知らなかったのだ(古!)。HTMLは日進月歩である。
ついでにもう一つ、これもずっと使ってきたセンタリングのタグ <center> 〜 </center> も、今は推奨されないそうで、できるだけ スタイルシートで行なうか、 <div align="center">〜</div> を使うようにといたるところに書いてあった(HTML5では廃止とのこと)。
HTML5は書式制御はすべて CSSファイル で行なうべきという思想に基づいているらしい。ということは直接HTML文書中に <font size=-1> や <center> を使うのもイケナイのだろうか。というわけでまた CSSファイルの勉強です。
(謝辞:このページで多用したHTMLの特殊文字をそのままブラウザに表示する方法については、「TECH-UNLIMiTED・すぐに使える便利なWEBツール HTML特殊文字変換ツール」(http://tech-unlimited.com/escape.html)を利用させていただきました。ありがとうございます。m(_ _)m)
2016年01月13日(水) 市川紗椰さん
このブログを始めて足掛け14年になる。あくまで「足掛け」であって一年のうち数回しか記述していない時もあるから年数の割には大したことはない。それでもざっと50万字は書いている(byエディタmiの編集∕テキストカウント)。400字原稿用紙なら1200枚、文庫本なら2冊分はある。今月からこのブログの中からテーマを見つけて抽出し、それを「趣味のコーナー」として独立して掲示することを試みている。今までに「懐かしのHeroes」、「数学」、「音楽」それに「映画」の4つをアップした。それぞれ改めて読んでみるとやっぱり数学に関する記述がもっとも多い。他の「趣味」がブラウザで数ページなのに「数学」は40ページくらいある。数学はブログ以外にも「論文」と銘打って書いたものも数編あるから改めて自分は数学「者」なのだと得心したことである(^ ^;。今後は「ネコ」「旧跡探訪」などを増やすつもり。
この方式は最近ハマっている市川紗椰さんのブログを見てマネをしたのである。市川さんのブログでは、日々の記事に内容によってタグが付いており、それによってカテゴリーごとに分けられたものを読むことができるようになっていた。これまでブログは日記として独立のものとし、それ以外はコンテンツを増やすことで対応しようとしていた私はメカラウロコ。市川さんに感謝です。
市川紗椰さんといえば最近オタクモデルとしてブレイク中のハーフタレント(今日も「ヒルナンデス」(日テレ系)で見たばかり)。昨年タモリ倶楽部に出ていたので知ったのだが、ハンパない鉄道オタクである。ブログによるとガンダムやハンバーグなどにも造詣が深い。なのに「profile」には「趣味:音楽 ライブに行くこと 歌 読書」だって(^ ^
(http://www.sc-n.jp/artist/supercontinental/saya/index.html)。鉄道やガンダムは趣味ではないのだな。
彼女の魅力はひとえにその美形とオタク趣味とのギャップにある。趣味は隠してはいないがひけらかすのでもない。話すときは話すが、基本的には一人で楽しむ。ブログからそれがよくわかる。お酒も好きなようでおしゃれなバーよりは煙もくもくのガード下の居酒屋の方が好きらしい。もちろん高学歴バイリンガル。自分から見れば雲の上の人なのだが、そんな気を人に起こさせない気さくなお嬢さんで、趣味さえ合えば誰とでも仲良くなれそうな人柄に思える。
「櫻井有吉アブナイ夜会」(TBS系)に出たとき、第一印象で50人中46人の独身男性がお付き合いしたいと言っていたのに、VTRで彼女のオタクぶりを見た後では16人にまで減ってしまったのが痛快だった。当分カレシができる余地はないかもです。いいぞ〜(^ ^。久しぶりにファンレターを書いてみたい芸能人が現れた感じでなんだかとても嬉しいこの頃である。
2016年01月07日(木) 少年画報
新年明けてもう1週間。今年はまだ何も始めていない。今日は古い友人H君宅へ年始挨拶を兼ねて「少年画報」(昭和35年正月号の復刻版、税込¥5500)を受け取りに行った。昨年12月にテレビのワイドショーで私がこの復刻版のことを知り、H君に共同購入を持ちかけて即OKをもらった。Amazonのマーケットプレイスで6日に注文したら7日に届いた。早速H君のところへ届け、先に1か月預けておいたのだ。我々団塊の世代には懐かしい雑誌である。昭和30年代前半の頃の私は「月光仮面」にハマっていたのだが、それが載っていたのは「少年クラブ」で、少年画報は「赤胴鈴之助と「まぼろし探偵」が目玉漫画になっていた。月光仮面とまぼろし探偵には白紙ノートにコマ割りをして自分でもマネをして漫画を書いていたほど熱中していた。そういうことはH君の方が先輩で、彼は私の<師匠>だった。お互いに書いたものを見せ合ったりしていた。以後お互い趣味が変わらず、今でもこうして復刻版を買っている。
本誌と10冊の付録!
当時子供向けの雑誌は週刊誌(少年サンデーなど)が出るまでは月刊誌が中心で、付録の漫画が5〜6札付いて値段は¥120〜150。毎月父からこの金額をせしめるのに大変な思いをした。オートバイの中古販売をしていた父はある時など私にバケツ一杯の鉄くずを持たせ、近所の「鉄くず屋」さんで換金してくるよう命じたこともあった(それで本が買えたかどうかは記憶がない)。この復刻版を手にして「そうそう、あった、あった」と思ったのが「かみなり童子」。全く記憶から消えていたが、絵を見て、そして原作者が川内康範であることもいっぺんに思い出した。川内康範は言うまでもなく月光仮面の原作者であり、「おふくろさん」「誰よりも君を愛す」など多くの歌謡曲の作詞者でもある。我々の世代にはなじみの深い作家である。H君が彼の原作ものを見つけてはノートに記録していたのをよく覚えている。
まぼろし探偵には夢中になった。父の鳥撃ち帽子を拝借し、独特の形状のマスクは自作、手ぬぐいをマフラーに変装ごっこをしてよく遊んだ。必携アイテムの拳銃は駄菓子屋で買った100連発銃だ。自作の連載漫画も月光仮面に次いで多かったと思う。今でも顔くらいは書ける。→
興味深かったのはまぼろし探偵の容姿が連載開始からどんどん変わっていったこと。顔も変わったが特に独特のマスクが変化していくことに強い関心を持った。原画者の桑田二郎先生の画風の変化なのだが、子供心に「進君(主人公の名)もやっぱりマスクを時々新しくするんだ」などと思っていた。
赤胴鈴之助はある意味国民的漫画にまでなった傑作だが、絵にはあまり興味はなく、自分では書くことはなかった。だが鈴之助の「真空切り」を真面目に練習したことがある。こういう人は意外と多いかも(いないか...)。今でも冬の木枯らしに枯葉が渦を巻いているのを見るとそのことを思い出す。
2016年01月02日(土 ) 初詣と今年の抱負
今真清田神社から帰ったところ。ここはすごい人だった。駐車場はいつものところにすんなり停められたが、拝殿前には何百人のすごい混雑!とても並ぶ気がしないので拝殿横からお賽銭だけ投げ入れ、いつもの交通安全のお守りを買い、去年のお札を返してお参りはお終い。こんな初詣ではバチが当たるかもしれない。S子(妻)さんが好物の串カツをおごってくれた。境内で立ったまま臨時に設置されたきれいなゴミ箱の前で食べた。4本で600円、揚げたてでとても美味かった。真清田神社楼門から拝殿を見る(2日)。グリーンのパイロンの左側が参拝者の列。
⇩真清田神社恒例ツーショット。昨日もそうだったが、今日も素晴らしい天気で、去年とは打って変わって暖かく、S子(妻)さんもちゃんと顔を出しています(^ ^。自撮りでツーショットしてみました。
帰る頃もうお昼だったが、ここでは年賀ハガキを10枚買っただけで、帰路につく。途中例によってMacでコーヒーとポテト。けっこう疲れたのか家での昼食後すぐに寝てしまった。だんだん耐久力が心配になってきた(v v;。
さて、今年の抱負だが、「非常勤」もいつまでも続くわけではないので、とりあえず仕事を見つけなくてはならない。目減りする年金といい、消費税率アップといい、アベ政治のおかげでますます生活が苦しくなることは目に見えている。「軽減」とは真っ赤な嘘、減るのではない、上がらないものがあるかもしれないが上がるものは確実に増えるのだ。こういう言葉の詐術で我々を欺き選挙で票をかすめとろうというのだから本当に憎らしい。そうだ、一番の抱負はアベ政治の打倒にしよう!日本を戦争前夜にしてしまった輩をいつまでも首相にしておいてはいけない。1日も早くせめて去年の夏以前の日本に戻さなくてはいけない。
二番目の目標は拙論「ガロア理論の初等的解題」の改訂である。現在アップしてある論文をもっと端的にわかりやすく、そして新しい観点を持とうと考えている。新しい観点とは「対称性」である。今の論文中でも対称性は論じている。「対称性の破れ」とは2008年に小林誠・益川敏英両氏がノーベル物理学賞を贈られた際のニュース解説の中で知った言葉であるが、この言葉によって5次方程式が代数的に解けないことをよく示しているのではないかというのが今の論文の趣旨である。それをもっと発展させ、思想の基軸にしようというものである。これは昨年11月放送のNHK–BSの「数学ミステリー白熱教室」でエドワード・フレンケル教授の講義を観て、「対称性」という概念が自分が考えている以上にもっと重要な概念ではないかと思ったのに端を発している。
2016年01月01日(金) 明けましておめでとうございます
あっというまに年が明けてしまった。確かに大掃除もしたし紅白も見たが、刻々と年が明けていくのを意識するという気持ちが全くなかった。いつものように夜が過ぎていき、なんとなく眠ってしまってもう新年という感じだ。S子(妻)さんは元日から仕事(スーパーのレジ)なので、朝は大急ぎでお雑煮を作って出かけて行った。ご苦労様。最近のスーパーの初売りはどこでも1日からで年末年始は店舗の休みが全くないのが普通らしい。子供の頃近所の公設市場が普段は夕方7時頃には店じまいしているのに年末31日には深夜12時まで開いているのが非日常的で楽しかった。正月にはどこの店も「xx日より営業」の張り紙をして4〜5日は休むのが当たり前だった。いつ頃からかコンビニができて元日早々店が空いているのが不思議な気がした。ありがたいことだが、店の人は大変だろうとつくづく思った。コンビニとスーパーが普段の買い物先になってから個人商店が激減し、それがため町の正月風景も変わってしまった。今の商店街はシャッター通りでまるで昔の正月のようだ。違うのは年末年始休業の張り紙ではなく不動産屋の「テナント募集」の張り紙になっているところか。
2016年の初猫
T子(妹)と散歩を兼ねて近所のいくつかの神社へ初詣に行った。雲ひとつない好天で風もなく暖かい日だったが、どこの神社も三三五五といった人出で去年と比べても少ない気がした。おととしの白山神社や去年の羊神社のイメージが強かったせいだろうか。おととしの白山神社などは4列縦隊で何十メートルもの行列だったのに、今日は全く並ぶことなくすっと本殿前まで石段を上がってお参りができた。ただ去年は白山神社には行っていないのでこれらの現象を分析するほどのデータはない(^^;。羊神社には去年と同じ3日に行ってみようと思っている。まあ未年は終わったので大した人出は望めない(別に望んではいない)。
年末の大掃除について。今回は風呂場を重点的に攻めたのだが、何より壁の黒カビが課題だった。引っ越してきたときにはなかったのだろうが(新規入居者がある時には壁を塗り替えるはず)、15年住んでいるうちにすっかり黒くなったらしい(風呂場だけに限らないが)。去年洗剤を使って落とせるだけは落としたが、天井に近い壁は少々擦っただけでは落ちない。いかにも汚く、掃除したように見えない。で、擦って落ちないなら壁と同じ色を塗って隠そうと考えた。以前、玄関ドアの塗装に使った水性ラッカー塗料(スプレー缶・アイボリー)がまだたっぷりと残っている。色がぴったりなのでこれを塗ることにした。この時、もっとも気を使ったのが匂いと換気だった。一度は仕舞い込んだ扇風機を取り出して風呂場に設置し、ずっと回しっ放しにして換気しながら何度も塗り重ねた。塗料の匂いが通路に漏れていないか時々嗅ぎに出てみた。こういう時は団地風が頼もしい。
一度塗装した後はしばらく放置する必要があるのでその間に台所の換気扇も掃除した。大掃除では油汚れの定番中の定番だ。テレビの大掃除特集でもよく取り上げられている。これまでなら新品を買って済ませていただろうが、今は節約第一の家計を考えなくてはならない。それに特に壊れているわけではなく、ただ汚いのだ。換気扇の半端ない汚れと闘いながら時々風呂場に行って壁の塗り重ねをやる。こうしてややムラが残りながらもまあ満足に仕上がった。今度はちゃんと掃除したように見える。我ながら上出来の部類に入る。換気扇の方は見た目あまり綺麗にはならなかったが、それでも以前より外側の蓋の開閉が楽になったようでこれはこれでやったかいがあるというものだ。めでたし、めでたし(^ ^。