[人形浄瑠璃巡り#4]和泉市信太の森
[葛の葉伝説]
([Puppet Joruri 4] Forest in Shinoda, Izumi)

-- 2007.06.20 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2007.09.05 改訂

 ■はじめに - 「葛の葉伝説」の地

人形浄瑠璃のマスコット。 [人形浄瑠璃巡り]シリーズの取材で信太森神社(=葛之葉稲荷神社)(大阪府和泉市葛の葉町2)に来ました。JR阪和線の北信太駅に近いですが、私は03年12月3日(水)に大阪市中央区の家からチャリンコで来て取り敢えず写真を撮りました。ここは浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』(初世竹田出雲作)(※1~※1-3、※2)の舞台として非常に有名です。
 実はこの話は2003年に安倍晴明神社(大阪市阿倍野区阿倍野元町)の所で概略を記して在ります。▼下▼です。
  阪堺電車沿線の風景-大阪編(Along the Hankai-Line, Osaka)

 左が大阪市阿倍野区の安倍晴明神社で、右が境内摂社の泰名稲荷神社です(この写真は03年9月26日に撮影)。泰名(やすな)とは「葛の葉伝説」(※1-2)で安倍晴明(※x)の父とされる安倍保名(※x-1)のことです。
 他にも「安倍晴明公産湯井の跡」や「孕み石」などが在ります。
 この安倍晴明神社付近は安倍氏(阿倍氏)に所縁の土地で、もう少し先には阿倍王子神社も在り、地名にも阿倍野区阿倍野元町や隣の晴明通りなど、何れも阿倍氏や晴明に因んだ地名です。詳しくは前掲ページをご覧下さい。

 ここ「信太の森」(※3、※3-1)は写真を撮ってから4年が経て漸く記事が完成しました。写真を撮るのは簡単ですが、それを文章化するには色々調べたりしますので時間が必要なのです。
 それでは「信太の森」を、ご緩りとお楽しみ下さい。

 ■浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』













    {この記事は07年9月5日に最終更新}

 ■信太森神社(葛之葉稲荷神社)




木山葛之葉支教会







 ■








 ■結び - 





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【脚注】
※1:蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)は、浄瑠璃の一。竹田出雲作の時代物。1734年(享保19)初演。女主人公(実は白狐の化身)の名を「葛の葉」と言う。
※1-1:竹田出雲(たけだいずも)は、この場合、浄瑠璃作者。(初世)竹本座の座元で作者を兼ねた(?~1747)。初世竹田近江の子で俳号は奚疑(けいぎ)。宝永2(1705)年から座元として竹本義太夫近松門左衛門の協力体制を強化し竹本座の基盤を築く。作「蘆屋道満大内鑑」など。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※1-2:葛の葉(くずのは)とは、浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」の通称。又、その女主人公の名。和泉国信太(しのだ)の森の白狐が女に化けて安倍保名と結婚し、1子を儲けたが、正体が知れて「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」の歌を残して古巣に帰ったという話。説経節や古浄瑠璃の題材にも成った。→信太妻。
※1-3:葛の葉の(くずのはの)は、(葛の葉の、風に見せる白い葉裏の印象から)「うら(裏)」「うらみ(恨)」に掛かる枕詞。古今和歌集恋「秋風の吹き裏返す―恨みてもなほ恨めしきかな」。

※2:蘆屋道満(あしやどうまん/―みちたる)は、道摩法師とも。平安時代の陰陽家。生没年不詳。藤原道長の頃、安倍晴明と法力を争ったと伝える(宇治拾遺)。<出典:一部「日本史人物辞典」(山川出版社)より>





※3:信太の森(しのだのもり)は、大阪府和泉市信太山に在る森。の大樹の下に、白狐の棲んだという洞窟が在る。葛の葉伝説で有名。時雨・紅葉の名所。「篠田の森」とも書く。(歌枕)源氏物語若菜上「この―を道のしるべにてまうで給ふ」。
※3-1:信太/信田(しのだ)は、大阪府泉北郡の旧村名。今は和泉市に属する。葛の葉伝説で有名な信太の森が在る。
※3-2:信太妻(しのだづま)は、信太の森の葛の葉狐が安倍保名と結婚し、1子を儲けたという伝説。説経・浄瑠璃・歌舞伎などの題材と成った。→葛の葉。
※3-3:信太鮨(しのだずし)は、(狐は油揚を好むという事から、信太の森の狐の伝説に依って命名されたと言う)稲荷鮨の別名。
※3-4:信太巻/信田巻(しのだまき)は、(油揚を用いるので、信太狐の伝説に依って命名されたと言う)魚介・野菜・乾物などを刻み合せて、油揚を袋状にした中に詰めたり、巻いたりした物を甘く煮た料理。











※x:安倍晴明(あべのせいめい)は、平安中期の陰陽家(921~1005)。子孫は陰陽道を以て朝廷に仕え土御門家と称した。良く識神(しきがみ)を使い、有らゆることを未然に知ったと伝える。伝説が多い。著「占事略決」。
※x-1:安倍保名(あべのやすな)は、浄瑠璃「葛の葉」(=「蘆屋道満大内鑑」)中の「葛の葉」の伝説上の人物。保名/泰名(やつな)。伝説上では、白狐と結ばれ1子を儲けたが、それが安倍晴明とする。即ち、晴明の占いの法力が圧倒していたので「晴明は狐の子」という伝説が広まった。





※y:道行(みちゆき)とは、この場合、浄瑠璃や歌舞伎狂言の中の舞踊に依る旅行場面。主に相愛の男女が連れ立つ場面が多く、「駆け落ち」の意にも使う。





    (以上出典は主に広辞苑です)

【参考文献】






●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):言葉遊びや粋は当サイトのコンセプトの一つ▼
当サイトのコンセプトについて(The Concept of this site)

補完ページ(Complementary):人形浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』の話の初出▼
阪堺電車沿線の風景-大阪編(Along the Hankai-Line, Osaka)


補完ページ(Complementary):初世竹田出雲作『蘆屋道満大内鑑』は
初めて「三人遣い」を導入した人形浄瑠璃史上画期的作品▼
人形浄瑠璃「文楽」の成り立ち(The BUNRAKU is Japanese puppet show)







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