HALF AND HALF JOURNAL
無 意味 な 破 片 無意味な破片
Fragments
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★〈センチメンタルな理由〉の女心は世界共通と思うけど[A] ☆ ☆ ☆ Updated 2010.4.28 半分半分 アトリエ 編集長―あえて分類すれば、植物的なアール・ヌーボー様式と機械的なアール・デコ様式と言ってもいい。小豆沢大日堂舞楽の黒い仮面には金色の鳥のつばさが耳の上についてるが、あれは直線のデザインだ。有栖川錦の鳳凰のつばさと同じコンセプトだよ。ユーラシア大陸にはない。 放送局長―よく似てる。 アロマ―こういう若草色と空色もめずらしい。 ナモネ氏―大日堂の再建は718年、養老2年。そのとき音楽博士が舞楽を伝えた。能衆たちが着るのはスモーク・ブルーの衣装だ。 特派員―空色の鹿とスモークブルーの鹿角、おもしろいジョークですね、はい。 放送局長―青い鹿にダイヤが描かれてるな。まるで20世紀のアヴァンギャルドだ。 編集長―川の流れの反射のイメージ。貴金属や宝石のメタフォール。鉱山の象徴。尾去沢鉱山の三菱。正確なことは仮面のエセーで見てほしいが、本来製錬炉で溶けた銅の白熱光線を表わしている。五大尊舞の黒い上着にも正方形の白いダイヤ柄がある。青い鹿は白神山地で見れるよ。青鹿岳という標高1000メートルの山だ。そして、北には青鹿山がある。青鹿がつく地名は他の地方にないと思う。 ☆ アロマ―ちょうど女性の元明天皇の時代よ。藤原京で白鳳文化が花開いた。藤原京というのは、チェック柄の都なのよ。 編集長―チェック柄か?曲線は生命的で女性のやわらかさがあるけれど、直線は知性のパワーだな。 特派員―七寺を建てた聖徳太子の知性、建築設計家の構想力ですよ。 ナモネ氏―有栖川錦の図柄が普通の女に受けるとは思えないが、な。 放送局長―ふうむ、何となく惑わされてしまうなあ。二つの半跏思惟像は曲線の美しさにうっとりさせられる。有栖川のデザインは固い美しさだが、やわらかい布だ。有栖川アートが流行してどこかに保存されてもよさそうに思えるが…飛鳥文化、白鳳文化、天平文化の記憶として。 特派員―龍村の説明では、有栖川錦の龍と鳳凰の図柄は安土桃山時代にオランダから輸入されたらしいということだ。しかし、オランダ貿易はまだその時代にはない。 アロマ―十字が空に浮かんでる凰(おおとり)の織物もあるけど、キリスト教の影響じゃないの? 編集長―それは星の光と見るべきだろう。しかし、複雑だが、影響があったかもしれないな。漢字の〈朝〉を書いてみれば? アロマ―十字と太陽と十字、お月さま… ナモネ氏―京都大学哲学教授梅原猛の《隠された十字架》、あれは聖徳太子と法隆寺がテーマだが、十字架のことが一言も書かれてなかった。 放送局長―自分で隠したという大変な冗談。 編集長―国際文化の時代だから、さまざまな思想が混在していたと考えるほうが現実的だ。 ☆ ☆ ☆ A For sentimental reason:
Mildred Bailey and Her Orchestra Piano
Teddy Willson |
★〈キャラヴァン〉は明るいムードでなければ…[A] ☆ ☆ ☆ Updated 2010.4.22 アトリエ 半分半分放送局長―これは法隆寺に飾られたと思うが、やはりミステリーがあって、いつのまにか忘却された。1274年文永11年、鎌倉時代に中宮寺の尼さん信如が夢のお告げで法隆寺の蔵から発見するまで。漢と高麗は秦と同じく大陸からの帰化人だ。漢は綾織りの語源だと思うね。そこで有栖川錦との連関が気になる。 ☆ 編集長―有栖川錦についてはよく分からないな。有栖川宮の歴史を調べはじめたときウェッブにそういう絹織物があった。ブラウン系の色彩で、中央アジア風の幾何学的なデザインだ。安土桃山時代の南蛮文化だろうと思った。しかし、ファイルがどこかにまぎれて、しばらく想い出すこともなかったけれど、幸運なことに高松宮日記にリンクがあった。戦後、1945年12月22日、東郷青児のアトリエをアメリカ人向けに京都の龍村織物の陳列館にしたとある。 アロマ―東郷青児の美女は弥勒菩薩半跏思惟像の上半身をモデルにしたような感じね。町のケーキ屋さんの包装紙のデザインにもなってる。 編集長―誰でもそう感じると思うけれど、それはわきに置いて、その龍村織物のHPを開くと、大正末期に帝室博物館から正倉院御物(ぎょぶつ)の研究と復元を依頼されたのが始まりで日本と世界のさまざまな古代織物の復元を手がけたが、その中に有栖川錦と呼ばれる中央アジア風の幾何学模様の織物がある。錦といっても、美しい模様がある絹織物の意味だ。シルクロードを通って日本に伝わったものらしい。ただ宮内庁の正倉院サイトには有栖川錦という織物は見当たらなかった。 アロマ―正倉院は756年天平勝宝8年に聖武天皇の遺品のコレクションをおさめた倉庫だけど、コレクションはそれ以前の時代から伝えられたと考えていいの?推古天皇は遣隋使を派遣して国際文化を取り入れた女性だから、正倉院の国際的なコレクションには女帝の私有物もあるかもしれない。 編集長―そう思いたい。シルクロードの歴史はずっと古いからな。 特派員―フェニキア語のアリスという言葉もそれを通ってきたんじゃないかな? 放送局長―なるほど、有栖川という名前がそのころついていた可能性はある。秦久麻とスタッフが壁掛けを制作した推古女帝の開放的な時代に。 特派員―有栖川のほとりにアトリエがあったのかもしれない。 ☆ ☆ ☆ A Caravan: Duke Ellington
and His Orchestra ▼ 高松宮日記メモ: 生の感触---ある画家へのリンクと、それから ▼ 〈生の感触〉に関する会話: 終戦後のアンダースンと東郷青児 |
★〈あなたに会った最後のひととき〉はそれだけで歌になる[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated 2010.4.14 アトリエ 特派員―そうですね。寺崎英成はシャンハイにいたことがある。《マリコ》で読んだけど、うっかり忘れていました〔2〕。石田博英と森繁久弥という登場人物が想像力を刺激したから、じゃないかな?関連する外交官寺崎の足跡をたどると、1932年満州事変を調査するリットン調査団と同じ船でシャンハイに行き、総領事館に勤務した。リットン調査団との交渉係ですね。そのあと1937年3月ハバナ領事館兼公使館に転勤。のんびりとリゾート・ライフを楽しんだ。ちょうどその年の春長谷川テルがシャンハイに渡る。7月7日、上海事変。長谷川テルはホンコンに脱出。それから、チョンキン放送局で反日放送。寺崎がシャンハイにもどるのは、1939年春、石田博英と森繁久弥が中国に渡って活動をはじめた季節。 半分半分放送局長―歴史はじまって以来のラジオ放送ドラマだ…寺崎は自分から出演を希望したんじゃないか? ナモネ氏―悪乗りするのは無理もないな。新しい戦いだ。 編集長―タイミングを見れば、疑いようがないな。長谷川テルを下手にあつかえば、どうなるか、分からない状況だったと思う。しかし、《マリコ》には長谷川テルもラジオ放送も、存在しない。 ナモネ氏―ラジオはあの時代の文学にも出ないな。 ☆ 特派員―寺崎が中外新報シャンハイ支局の記者石田博英と会ったことがないとは考えられない。しかし、事実は何も残っていない。5月から海軍航空隊が臨時首都チョンキンの空爆をはじめて、長谷川テルを地獄に突き落とした。このタイミングは最悪ですね。寺崎はFBIがスパイのボスと呼んだ外交官だから、シャンハイでも裏の活動をしていたにちがいない。そして、次の年の1月北京大使館に転勤する。そこでどんな仕事をしたのか、それも全然分からないけど、1年後アメリカとの戦争の危機が強まったので、野村吉三郎新大使と一緒にワシントン大使館に移った。そのあとは〈謀略のパール・ハーバー〉にあるとおり。 ナモネ氏―運命のいたずらと言うか、その日照宮と出会ったのは? アロマ―ちょうど1か月前の9月12日ね、日比谷公会堂の慈善芸能祭で〈りんごの唄〉を歌う予定の並木路子がステージに姿を見せなかった…それで不満の嵐が起きたと思うけど、高松宮日記にはそんな反響は書かれてない。チャリティだから、入場料を半分返せ、なんて叫ぶ人はいなかったみたいね。 放送局長―怪しいもんだな。第一、トップ・スター並木路子のことが日記にない。名前はプログラムにあるだけだ。しかし、寺崎は慈善芸能祭の出来事を知っていたとすれば、その日の会食にはシナリオがあると予想したはずだ。照君とリンゴを歴史に書き入れたことには、立派な理由があるよ。ああ見えて、良心的なんだ。 編集長―それは言えるね。 放送局長―寺崎は会食しながら、地震で食い逃げしたという冗談を言った。それはいつか?テーブルに赤いリンゴが出されたあとだ。 編集長―照れ笑いだろうな。しかし、有罪だ。 ☆ ☆ ☆ □ V字型の階段の記憶 18 A The last time I saw you; Doris Day and Les Brown
Orchestra 1
寺崎英成御用係日記 2
柳田邦夫 著 |
★〈スウィング・ザット・ミュージック〉もサッチモおじさんの熱演[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated 2010.4.8 アトリエの庭 アロマ―黒と灰色の街で色彩が花開く情景が目に浮かぶ。平和というのは、ああいうやわらかさね。シュー・クリームみたいな… 特派員―何でも可能な、自由になる、そんなイメージもあるね。 編集長―ぼくが言いたかったことだ。 アロマ―9月1日にアメリカ陸軍音楽隊のコンサートが市民文化会館で開かれるけど、タイミングがぴったりじゃない? ナモネ氏―ああ、そうだ。古き良きジャズをやるというから、な、終戦だよ。終戦。 放送局長―人間性を侮辱する政治は永久に終わらせなければいけないな。 編集長―自殺攻撃の思想も消滅させなければいけない。 ナモネ氏―人の死を悪用するから、この国の頭脳は狂ってるんだ。 特派員―法律の限界でしょうか、ね? 編集長―しかし、次の政権はどんな法律を作るべきか、何よりもそれに知恵をしぼらなければならないな。 特派員―HHJは、悪いところを直せばいいと考えて活動してきましたが、ね。単純に。 編集長―そう、特別な政治思想は必要がない時代だな。 ☆ アロマ―ジャニーの父ヘンリー・アンダースンは、東京に来るまでどこにいたんですか? 編集長―さあ、ぼくは聞いたことがない。戦争の話はしなかったよ。終戦後のことも…ただ進駐軍のパーティの写真を荻原寛子さんが見せてくれたけど、そこでは軍服を着てたね。 アロマ―ジャズ・バンドは? 編集長―どうだったか、なあ?映画で見たような雰囲気だったが。 放送局長―しかし、あのルイ・アームストロングのドーナッツ盤だけ一枚持っていたというのは、何なのかな? 編集長―そうだな。誰でも知ってるルイ・アームストロングの名演だ。A面が〈La vie en rose〉B面が〈C’est
si bon〉だったね。留守のときにアトリエで絵を学んでる青年がそれを見せたんで、書斎の豪華なディスクにプレイヤーを置いて、レコードを回すと、だみ声の歌とノイズが聞こえた。ただ〈When you
kiss me〉を何度も繰り返す。 放送局長―おれにはよく分かるよ。傷だらけのレコードだ。 特派員―これには第2次世界大戦の謎があるというのは、どうでしょうか? ☆ 放送局長―東郷青児とはいつ知り合ったのかな? 編集長―それも分からない。日本文化を愛する人だから、絵の展覧会や芸術文化の案内などで知り合ったかもしれないな。 特派員―事実から考えれば、龍村の陳列館で知り合ったはずですよ。 アロマ―そうね。それから、奈良と京都の古い建築、その他の芸術のガイド。 編集長―ありえないことじゃないな。 ☆ ☆ ☆ Cat Willow 2009.8.28 より。最後の一節は新たに追加した。 A Swing that music; Louis Armstrong |
★〈雨月〉はショーターがつくったファンキー・ジャズの幻想的な名曲[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated 2010.4.1 米代川 扇田 半分半分放送局長―同時に作られたな、と直感したが、文献を見ると、どうもあいまいだな。日本書紀によれば、推古天皇11年603年、秦河勝が聖徳太子から仏像をゆずられて蜂岡寺のちの広隆寺を建てた。中宮寺は607年聖徳太子が法隆寺と同じころ創建したらしい。中宮寺による寺の縁起、つまり起源は伝わってない。747年、天平19年の〈法隆寺縁起〉と〈上宮聖徳法王帝説〉には〈聖徳太子建立七寺〉のひとつと記されてるそうだ〔1〕。 編集長―七寺は北極星を回る北斗七星のことだな。半跏思惟像の作者は分かってるのか? 放送局長―それも記述が見当たらない。 編集長―そうか、そういうあいまいさは犯罪的な構図だと考えたいな。 特派員―高松宮日記に有栖川宮幟仁(たかひと)親王の皇子と女王の百年祭が京都で行なわれたことが書かれてるけど、墓所は中宮寺ですね。天保14年1844年に沽(きつ)宮7月14日、染宮8月4日 長宮8月14日、3人の皇子と女王があいついで天国に行った〔2〕。 アロマ―理由は分からないけど、有栖川宮は代々中宮寺に門跡を送ってるのよ。尼さんを。 ☆ 放送局長―有栖川宮と中宮寺の関係は、今はそれだけにしておこう。飛鳥時代に有栖川宮はまだ存在しなかったんだから。 編集長―しかし、有栖川という川がミラー・イメージのように名づけられた可能性はあるね。よく似た半跏思惟像がふたつ広隆寺と中宮寺に置かれたのと同時代に。中宮寺は大和川の近くにあるから、非対称的な感じだが、見方を変えれば、そうでもない。半跏思惟像のミラー・イメージは南北に、有栖川のミラー・イメージは東西に…それで光りかがやく十字のサインが浮かび上がる。その記号が表わすのは銅が生成するときの白熱光線、北極星、十字架だな。 放送局長―芸術家の夢想だ。 ☆ 放送局長―広隆寺の南西に目を移すと、秦河勝の墓と言い伝えられる蛇塚古墳がある。京都府では最大の横穴式石室をもつ前方後円墳で、蘇我馬子の墓と言われる飛鳥の石舞台古墳に匹敵する規模だ。どっちも巨岩が残ってるだけだが、実力を示してると思う。 ナモネ氏―蘇我馬子は背後で天皇を動かしていた男だよ。 放送局長―まあ、地位は別にして、推古天皇の時代、聖徳太子の下では仲よく協働していたらしい。疑う理由がない。しかし、鉱山開発と経営の問題になると、蘇我と秦は対立したかもしれない。 編集長―十分ありえたことだな。半跏思惟像を見たせいか、秦河勝は思慮深くて穏やかな人のように思えるが、対照的に蘇我馬子は高慢な僭主だ。 放送局長―秦一族が桂川流域開発に情熱をかたむけたのは、利巧だったわけだ。 ☆ ☆ ☆ A Ugetsu; Art Blakey’s Jazz Messengers
Wayne Shorter ts. 1 wikipedia 2 高松宮日記 |
★〈クレオパトラの夢〉はぴったりな題名でないが、名曲だ[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated 2010.3.22 真中橋 米代川 アロマ―北嵯峨から流れる有栖川は、歴史をさかのぼれば、古墳群が一番古い。大覚寺の東南の台地に古墳時代後期6世紀前半の古墳が四つ。嵯峨野を支配した豪族の墓と言い伝えられてる。1975(昭和50)年発掘調査で新羅焼の陶質土器の破片が見つかったそうよ〔1〕。それだけね。 放送局長―古墳時代後期の古墳と言えば、おなじみの継体天皇陵と推定されている今城(いましろ)塚古墳がある〔2〕。大阪府高槻市の淀川水系に位置する、長さ190メートルの巨大な前方後円墳だ。それにくらべれば、大覚寺古墳群は一番直径が大きいものでも約50メートル。様式は円形と方形だ。天皇の墓が淀川流域に作られたのは画期的なことらしい。それまでは南の大和川流域が中心だった。 編集長―淀川は瀬戸内海と琵琶湖と日本海を結びつける川だから、な。 特派員―継体天皇が米代川上流のトンボ伝説に登場するのは、自然なことだ。 ☆ 放送局長―北嵯峨の有栖川と桂川が合流する地域に焦点を移せば、歴史はもう少し古くて、にぎやかになるね。それを手際よくまとめたいところだが、神話時代に始まるので、簡単でない。応神天皇の時代に朝鮮半島の百済から弓の月と書く弓月君(ゆづきのきみ)が帰化して秦(はた)氏の祖先になった。応神天皇は3世紀後半から4世紀はじめに統治したが、実在が確かな最古の天皇と言われてる。秦一族は大和と京都、大阪に住んだ。京都の居住地はどこか、と言えば、山背(やましろ)国葛野郡(かどの、現在の右京区太秦)、山背国紀伊郡(現在の伏見区深草)だな。秦一族はそこで土木と養蚕、機織などの技術を伝えた。治水事業と湿原開拓事業が得意だったということだ。雄略天皇の時代には秦酒公(さけのきみ)が各地で活躍した。これは、《仮面について》の考察にしたがえば、鉱山開発を意味すると考えていいな。それから、秦一族は5世紀か6世紀ごろ桂川の渡月橋あたりに葛野大堰(おおい)というかんがい堰を築き、桂川右岸と嵯峨野を開発した。大覚寺古墳群と同時代だな。そのころ右岸の松尾山に古い社をつくり、これが8世紀前半に松尾大社となった。左岸の太秦(うずまさ)には7世紀前半聖徳太子に仕えた秦河勝が建てた広隆寺がある〔3〕。地図で見てみよう。 特派員―はい、ちょうど有栖川の下流ですね。 アロマ―これは京都で最も古い寺院らしくて、あの繊細な弥勒菩薩半跏思惟像が置かれている。 ナモネ氏―有栖川という名前はそのころ付いたのか? アロマ―そういう記録はないの。たぶんもっとあとのことね。 ☆ ☆ ☆ A Cleopatra's dream; Bud Powell Trio |
★〈赤の中のレディ〉は情熱的というより冷ややかな感じ[A] ☆ ☆ ☆ Updated 2010.3.17 大館橋 アロマ―それ、何ですか? 放送局長―へたな絵やイラストのことだが、特徴は気にさわる落書きに近いね。 編集長―作者が芸術をめざしてないのは、明らかだったな。しかし、それを派手にばらまいたジャーナリズムが、問題だ。西洋の価値観をひっくり返そうという意図があった。 特派員―挑発的な? 編集長―そう、ちょうどそのころ求人広告で〈芸術家お断り〉という条件をつけたのを見て、こういう時代だな、と思った。冗談じゃない。 アロマ―へたな絵やイラストを広めたメディアと作者はなぜそんなことをしたのかな? 編集長―世界的な状況から切り取ると、西洋の優秀な思想と芸術を追いかけた日本人の絶望があると思う。 ナモネ氏―その気持ちはよく分かる。 特派員―米さんは? 放送局長―おれはフジテレビの局長でもテレビ朝日の局長でもない。追いかけるような仕事はしてないんだから。 ナモネ氏―まあ、心理学はわきに置くとして、北野武の映画《Hanabi》なんていうのは寄せ集めが目立つよ。 編集長―それが目的かもしれない。思想とイメージの横流しで国際的な賞を取れば、嫌味にもなる。 放送局長―行きづまりで苦労してる、ね。よくあることだ。言葉の樹にたとえれば、ありえない果実が下がってる。 編集長―ひさしぶりの名言だ。 ☆ アロマ―そのニュースの2日前、大館市出身の画家が第11回日仏現代美術世界展で受賞したという記事が北鹿新聞にのったけど、これもおかしい。 放送局長―えっ、何だって? アロマ―JIAS日本国際美術家協会と欧州美術クラブが主催する美術展で特別賞。根田(こんだ)穂美子、58才。 編集長―ポップ・アート風の抽象画なんだが、新鮮さがない。 ナモネ氏―あれもやはりまねっこだな。恥ずかしいことだ。 特派員―気になるのは根田という名前ですね。 ナモネ氏―世間を騒がせてるよ。田代地区で操業をはじめた生ハム会社の社長が根田だ。 アロマ―大町の根田商事とどんな関係か、分からないけど、スタジオの喫茶コーナー開店の日、あそこは約束を破ってアート・コーヒーを持ってこなかったのよ。89年のことね… 編集長―そう言えば、そうだった…忘れてたよ。 放送局長―すると、国家暴力団が裏ではたらいてるな? 編集長―国際テロ組織とつながってるね。何でもメッセージ送信の手段にしてしまう。 特派員―困ったことです。脅迫に弱い人たちが審査するのは悪徳ですよ。 編集長―政治が大胆に責任を引き受けなければ、解決はむずかしい。 放送局長―芸術の国も21世紀に入ってから状況があらわになったから、な。これ以上黄色のアートに汚染されたくないもんだ。 アロマ―たとえば、黄色の郵便ポスト。 放送局長―そろそろ昼めしだな。今日の会話は〈文化という美名に隠れて〉にリンクをつけると、おもしろいよ。 ☆ ☆ ☆ A A lady in red; Stan Getz Quartet |
★〈二人でお茶を〉の甘いメロディは女性向き[A] ☆ ☆ ☆ Updated 2010.3.9 小坂鉄道 御成町踏切り 特派員―そうだったんですか?インターネットに姿も足跡も残ってないのは、おかしいですね。 アロマ―〈V字型の階段の記憶〉で森繁久弥の過去についてしゃべる前のことね。 半分半分放送局長―芸人森繁と俳優森繁の関係はどうなってるのか、謎だが、とにかく、森繁久弥は本当のことを語らないままあの世に旅立ってしまった。 編集長―おかげで日本の国も道連れだよ。二人の森繁はミラー・イメージだから、今の話をプロローグに入れないか? 特派員―悪くないですね。あとで考えてみましょう。 ☆ 特派員―鳩山首相は11月10日96才で死んだ森繁に国民栄誉賞を贈ったけど、ナモネ氏は何か想い出がありますか? ナモネ氏―何もないな。くだらないシリーズ映画の主役でしかなかった。 特派員―興味深いことに森繁は日比谷公会堂の慈善芸能祭があった年に映画にはじめて端役で出演してる。衣笠貞之助監督の《女優》、封切りは12月〔1〕。島村抱月と松井須磨子の演劇活動を描いた作品だけど、須磨子の後追い心中は妙な連想させる。 アロマ―ふうん、そうね、その年の春、長谷川テルはリュー・レンのあとを追うように満州で死んでる。 放送局長―宿敵が片づいたあとに、戦後初の晴れやかな仕事。満州コネクションだろう。偶然とは思えない。 編集長―そうだな。森繁は久弥はソ連に抑留されて1946年11月日本に帰るまで生死をさまよったと言うけれど、終戦後二人が満州に行ったとき、どこで何をやっていたのかな? ぼくが草柳大蔵の《満鉄調査部》を読んだのは、冒頭に森繁の回想が出るからなんだ。森繁は引き揚げのとき満州の夕日を想いうかべた。しかし、最後まで新京放送局は出ない。あれは何だったのか、と思ったね。 特派員―それから、森繁は1950年〈愉快な仲間〉でNHKのラジオ放送に復帰した。これは3年つづいて、森繁を国民的な人気タレントに仕立てた。 ナモネ氏―朝鮮動乱のあいだ馬鹿の真似をやってたわけだ。 アロマ―偶然とは思えない。 ☆ ナモネ氏―森繁が作詞作曲した〈知床旅情〉は、忘れるわけにはいかないな。紅白歌合戦でも歌った。 放送局長―あれは1960年映画のロケで知床半島にいたとき作ったというけど、70年にリヴァイヴァルした。森繁久弥の歌だとは思わなかったよ。 編集長―71年の夏、観光船で半島の岬を回ったとき、知床という地名に性的な意味があると思ったね。 放送局長―キャンパスで何かそういう話をしてたな。おれが昼めしを食いながら週刊誌で知ったのは、森繁は女の尻にさわる癖があるっていうことだ。 アロマ―被害者は数えきれないでしょうね。 放送局長―中国女にさわった男に国民栄誉賞なんて、でたらめだよ。 特派員―国際関係を悪くするのが目的ですよ。 ☆ 編集長―森繁は満州時代と変わらないことをやっていたと思うね。戦後は、映画とラジオ、そして、テレビが心理戦の武器だ。 放送局長―さまざまなテクニックを開発する才能があったかもしれないな。新京放送のノウハウは貴重だ。 編集長―そう、ただの役者じゃないな。80年代の半ばTVのドラマを見ていたら、森繁が登場して、顔のクローズ・アップ、それからカメラに向かって嫌らしい横目で〈ふん、まだ生きてるのか?〉と言うのだ。演出のひそかな目的を知っていたはずだ。 ナモネ氏―なるほど、なあ。罪悪感がないな。完全な二重人格だ。 放送局長―あんなやつは絶対に戦犯だ。ソ連に抑留というのは信じがたい。 特派員―放送局で証拠隠滅をやってたにちがいない。本当なら中国で処刑されてる。 アロマ―V字型の階段が死刑台への階段になったというわけね。 ナモネ氏―そうだ。HHJと高松宮の合作だ。運命だ。 編集長―追いつめたが、逃げられてしまった。 ☆ ☆ ☆ 〈リンゴの唄の秘密〉をめぐる対話 b a A Tea for two; Benny Golson Jazztet 1 wikipedia 新京での森繁とその後 情報局、歌合戦、芸能祭、ラジオ放送 |
★〈マイ・ファニー・ヴァレンタイン〉はどれも胸にしみる[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated 2010.3.1 小坂鉄道 御成町踏切り ナモネ氏―終戦の年か?朝鮮動乱のあとだったように覚えてるが、なるほど、進駐軍が合戦という言葉を好ましくないと拒否したのはもっともなことだ。 特派員―当時は朝鮮戦争じゃなかったんですか? ナモネ氏―戦争でない、というわけだよ。 アロマ―ナモネ氏の記憶は案外正しい。その特別番組はそれだけで終わり。予定どおりだったらしいけど、評判がよかったから、1951年正月に再開されて、番組のタイトルが紅白歌合戦になった。 半分半分放送局長―朝鮮戦争が起きたのは、1950年の6月だから、男たちと女たちの歌が応援したか…大気を狂わせる魔力があったのか? アロマ―ギリシア神話のシレーヌ(サイレーン)みたいに歌声で人間を惑わせる? ☆ アロマ―おもしろいのは並木路子と川田正子は第1回の出演だけで、あとはないのよ。 編集長―それは、二人が嫌ったと考えるべきだろうな。 放送局長―〈リンゴの唄の秘密〉だな。 アロマ―1946年(昭和21 )9月12日日比谷公会堂の慈善芸能祭で、並木路子はなぜかステージに姿を現さなかった。邪魔が入ったのよ。 放送局長―おれもそう思うね。彼女は日比谷公会堂に行けなかった。 編集長―高松宮日記にそういう想像はないね。予定より遅れてはじまり、進駐軍の時間になったので、中止、それだけだよ。 ナモネ氏―何かあるなあ。慈善芸能祭の次の年、昭和22年だが、映画の一場面で〈リンゴの唄〉が流れた。黒沢明監督の《素晴らしき日曜日》だ〔2〕。 アロマ―並木路子が歌ったの? ナモネ氏―それが、やはり問題で、な。高級クラブでオーケストラが演奏するんだが、その曲が地下の飲み屋に流れてくると、ダンサーの日高あぐりが酔っ払いみたいに登場してふらふらとガラス窓にぶつかる。白衣の医師と看護婦がちらりと見えて、女を連れてゆく。歌が聞けるか、と思ったら、とんでもないのだ。観客のいない野外音楽堂の場面が最後に出る、おもしろくない日曜日だよ、あれは。 放送局長―〈リンゴの唄〉とアヘン中毒女…慈善芸能祭のハプニングがうわさになったんじゃないか? ☆ ☆ ☆ 〈リンゴの唄の秘密〉をめぐる対話 a b A My fanny Valentine; Miles Davis Quintet 1
wikipedia 2
制作 東宝 |
★〈あなたは私のもの〉とは言えば、あとがこわいね[A] ☆ ☆ ☆ Updated 2010.2.22 大館橋 編集長―そう、そして、黙殺というせりふは6日から8日の朝までのごたごたに重なる。陸軍はパール・ハーバー攻撃をラジオのニュースで知らせようとしなかった。西太平洋でイギリス・アメリカと交戦したという案を出したから、高松宮は毅然として反対した。 特派員―日記にはこうある。〈今後そんなインチキ発表や武力行使をびくびく遠慮しつつやるような仕方をしないように言った。〉これを読むと、宣戦布告をハワイ攻撃のあとに延ばすことを知って、高松宮は怒って止めさせようとしたと解釈できる。 編集長―それでいいんじゃないか? ナモネ氏―陸軍幕府の黙殺とは文字どおり黙って殺すという特殊な意味なのだ。それにこだわったのは黒船以来の深い恨みがある証拠だ。 特派員―黙殺は徳川と陸軍のお家芸で、一種の政治手法ですよ。 編集長―脅迫のメッセージを送る目的があるから、な。 放送局長―日本人への差別と石油の輸出禁止に対する憎悪も忘れるべきじゃないな。しかし、黙殺というせりふで有罪だ。黙ってハワイを奇襲攻撃する計画だったということを暴露してるんだから。エトロフ島を返せ、とは言えないな。 アロマ―アメリカ人は傍観してるけど、パール・ハーバーと同じく触れたくない過去なのね。ナチスのスパイの裁判記録も例外的に非公開だから、ね。 編集長―そういうことだ。ともあれ、独白録が1991年まで出版されなかった最大の理由は黙殺というせりふだろう。高松宮宣仁は1987年まで生きていたから、でたらめな歴史記述に黙ってるわけがない。 ☆ 放送局長―パール・ハーバー攻撃と宣戦布告について日本政府が真実を言ってたら、北方領土問題はあれほどこじれなかったかもしれないな。アメリカ政府の認識では、国際法にしたがって先に宣戦布告したというのは卑劣なうそなんだ。 特派員―だから、エトロフ島に関する密約で仕返しをした…気持はよく分かるね。 編集長―しかし、罠を仕かけたとは思えない。日本が当然の権利として偽善的に返還を要求したから、おかしな方向に意味がねじれた。運命的になった。 ナモネ氏―宣戦布告をパール・ハーバー攻撃のあとまで意図的に遅らせたと日本が率直に陰謀を認めていれば、な。 アロマ―日本が〈北方領土を返せ〉と叫べば、ロシアとアメリカの関係がこっそり深まる、というわけね。 放送局長―そうだろうな。第2次世界大戦の記憶があるから。悪いことはできませんね、君。 特派員―しかし、密約があったら、日本側が交渉のとき何か変だと感づいてもよさそうですが、ね。 ナモネ氏―感づいたかもしれないが、国民のことはどうでもいい悪党だよ。 ☆ ☆ ☆
A
You belong to me; Dean Martin |
★〈あなたの想い出〉は横岩の静かな水面に映る[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated 2010.2.14
特派員―そうですね。あのシチュエーシュンが最高だった。 編集長―あそこを選んで、風景にぴったりな橋をデザインしたにちがいない。 半分半分放送局長―ガーデン・ブリッジのアイディアもつぶれて、残念だった。両岸の一部でも残せば、立派な遺跡になったはずだ。 編集長―そう、設計者にしてみれば、あれは作品の破壊なんだから、な。国は真中橋に対する住民の愛着をも無残に壊してしまった。 放送局長―米代川ドキュメンタリーの意義は、〈見られる〉から〈見る〉へ中央と地域の関係を逆転したことだよ。NHKは何をどう撮影して番組をつくるか、決定権を持ってる。だから、地域住民にはフィクションに思える。真中橋のように報道番組でも取り上げないときは、やはり現実のフィクションだ。 編集長―それは最初から自覚してたことなんだ。生物の発展段階の最後に視覚器官ができたが、この地方にはそれがなかった。 ナモネ氏―理由は言うまでもないな。国家権力と自冶体の行政機関が嫌うのだ。 ☆ アロマ―政治は見るのが仕事だから、市民が自由勝手に見ると、困るのよ。どういうふうに見るかの争い。 特派員―哲学的に言えば、見ることは対象化すること。対象化は、写真を取るように物(オブジェ)としてあつかうということなんだ。 編集長―それは所有することにつながるけれど、悪い意味ばかりじゃないね。公共事業を通して議会と行政の実際的な仕組みを知れば、住民は以前より自由な人間になれる。それを知られたくないために政治は迷路をつくる、システムと文書で。 アロマ―そうね。受身でいれば、建設工事なんか不思議な現象のように見えるときがある。 特派員―大町の花壇24個がある日突然のように長木川公園に移されたときも、そうだったね。狂った機械はだめな製品をつくる、という例ですよ。 放送局長―システムと文書の迷路は特派員を悩ませたな? ナモネ氏―消印のない葉書のときは危なかったな?大文字マーク塗装事業で阿部塗装店が県の土木事務所(現北秋田地域振興局建設部)に送った請求書? 編集長―スクープだと思ったら、封筒で送ったという事実があとで分かった。 特派員―はあ、完全な罠でしたね。 アロマ―でも、自由な市民になるためにはそうして実際に身近な事業の全体的なプロセスを学ぶのが一番ね。TV番組や新聞記事を毎日追いかけても、本当に理解できるとは思わない。 ナモネ氏―歴史を学べば、今と明日が見えるようなものだな。 特派員―新米いじめはやめよう。新米には新米の味がある。 ☆ ☆ ☆ A Memories of you; Benny Goodman quartet |
★〈サン・ヴァレー・ジャンプ〉はスキー場にぴったりなジャズ[A]。 ☆ ☆ ☆ Updated 2010.2.6 田町交差点 半分半分放送局長―そういう命令にしたがったんじゃないか?よくあることだ。小沢一郎と民主党の評判を落とせば、第一幕の終わりだよ。 編集長―秘書が3人も起訴されたんだから、小沢一郎は責任を取って幹事長をやめるべきだね。 特派員―国会議員の秘書とは秘密を書くのが仕事なんでしょうね。二面性のある変な存在ですね。親分に容疑がかからないようにしたのはいいけど、資金管理団体陸山会によるあんな犯罪的な4億円の土地購入や政治資金規正法にひっかかる虚偽の収支報告をする必要がどこにあったのか、と思う。 編集長―その構造を探り出すのが検察の役目だ。 ☆ ナモネ氏―奥州市のあの胆沢ダムというのはおよそ2000億円の巨大なダムだ。岩手県の帝王の集金装置にどれくらい金が流れるかな? 特派員―事情通の話だと、公共事業の1割はバック・リベートになるそうだから、胆沢ダム建設で200億円の金が政治屋に流れこむことになりますね。 編集長―現金がいろんな形に化けて、だろう。法の網に引っかからないから、不愉快だな。 放送局長―パーティ券、馬券、バー券、骨董品、絵画…エトセトラ。 アロマ―政治屋がああいうセールスをやるのは、おもしろくない。強要罪だ。 特派員―共同企業体の西松建設からの裏献金も、そうですね。東京の土地購入資金はそういう色々な仕掛けで作られたというのが特捜部の仮説だった。しかし、佐久間達哉部長の発表では、証拠がないから不起訴にした…〈今回の事件は、問題となった土地の購入にあてた原資を隠ぺいするのが目的で、この原資の実態から起訴すべきと判断した。隠ぺい工作の手口や執拗さから、隠さなければならない性質だった〉と語ってる〔1〕。 ☆ 放送局長―まあ、難しい話はわきに置いて、鳩山首相は小沢幹事長で参議院選挙に勝つとがんばってるみたいだが、無理じゃないか、君? 特派員―それが世界の常識。1月末小沢幹事長が地検の事情聴取を受けたあと、JNNの調査では、内閣の支持率が5割を切って46.4%に落ちて、逆に支持しない人は5割を越えた。理由は鳩山内閣に期待できないということです〔2〕。 編集長―鳩山首相は何を考えてるのか、疑問が残ることを言う人だな。しかし、法律も分からない幹事長では、危険だ。議会制民主主義が立ち直れない。 放送局長―岩手が滅茶苦茶にぶち壊して、困ってるところへ神様仏様が後片付けに登場する…小沢一郎はマイケル・グリーンが話したとおり、〈“影武者(黒幕)”のようなもので、すべてを動かす謎の人物〉だよ。 アロマ―誰も反応しないって、おかしい。問題にしていいことよ、ね。鎖国みたいな感じよ。 ナモネ氏―ふうん、しかし、あれが独裁者とは思えないが、なあ。岩手が日本の北朝鮮になったとしても…今のは問題だな。 編集長―ともあれ、黒幕一人裁いただけでは、いい世の中にはならないね、敗戦後の歴史を見れば分かるように。 ☆ ☆ ☆ A Sun valley jump;
Glenn Miller & His Orchestra 1 TBS 2月05日00:09 2 TBS 1月25日01:59 |
★シャンソンの〈待ちましょう〉がジプシーの粋なジャズになった[A] ☆ ☆ ☆ Updated 2010.1.24 矢立峠 国道7号線 湯の沢温泉入口 ナモネ氏―そうか、よかった。よかった。 アロマ―1才から6才までの子どもたちはみんな健康で、養子縁組したフランス人の家族にあずけられた。 特派員―クシュネール(Bernard Kouchner)外相によれば、900人あまりの子どもたちがフランスの養子縁組局に登録されていて、そのうち276人はできるだけ早くフランス本国に送るということです。しかし、カタストロフのあとに活動する組織には〈養子縁組市場〉に結びついた悪のネットワークがあって、誘拐から子どもたちを守らなければならない、そうユニセフは警戒している。 アロマ―あんまりだわ。NHKも報道してたけど、ユニセフの報告では病院から子どもたちが15人ほど消えてしまったというの。家族でない人たちと一緒に。つまり、誘拐されたってことよ。こういう状況は地震前と同じで、となりのドミニカ共和国経由でどこかに連れ去られるらしい。 ナモネ氏―どこかに、ねえ。 アロマ―かわいい黒んぼは高く売れるんだろうな? 特派員―そんなのはロマンチックな幻想だよ、アロマ。裏には国際テロ組織の闇市場があると考えなければいけないんだ。 ☆ 半分半分放送局長―黒んぼの顔は絵になる、おかしなことに。 アロマ―米さんの絵も捨てたもんじゃないわ。何、これ?《ハイチの子どもたちを北秋田地方に移住させよう》? 放送局長―ポスターの斜め前に立ってくれないか?…じゃ、撮影するよ。 アロマ―雪国の生活は本当につらいわよ。 ナモネ氏―いやはや、何てことだ。私も嫌とは言わないが、家が狭い。それが欠点だ。 放送局長―この辺の人は、案外国際的だな。人種や民族に対する偏見がない。 ナモネ氏―どんな国際映画になるか、心配だよ。 ☆ ☆ ☆ A J’attendrai; France Hot Club [Django
Reinhardt,Stéphane Grappelli,and others]
1 Les premiers enfants haïtiens
adoptés arrivent en France France Info - samedi 23 janvier - 9:01:35 |
★〈ニューヨーク・スリック〉はベースの散歩という感じが受けた[A] ☆ ☆ ☆
Updated 2010.1.18 クッキー アロマ―えっ、どういうことなの? 編集長―半分正しいが、半分間違いなんだ。地図を見て説明しよう。桂川に入ったら、まもなく合流地点が見える。右に行けば、京都を南北に流れる鴨川。それをずっとたどると、平安京の都市計画で四角四面に作られた市街。京都御所の北で、川の流れがY字型になる。左の方に入って、上陸すると、小高い丘が見える。船岡山。標高111.7メートル。 アロマ―船のような岡…港? 編集長―舟と言えば、《仮面について》で考察したように鉱山のトンネルを支える木組みのメタフォールだ〔1〕。橋もそうだ。 アロマ―坑道の木組みは鳥居と凱旋門の起源ね〔2〕。 ☆ 編集長―そう。辞書を引いたら、桂川に注ぐ川だけじゃなくて、船岡山の東のふもとから流れ出る有栖川もあった〔3〕。これは堀川に合流して烏丸通り付近を流れていたらしい。そのころの自然は分かっていない。いつ消滅したか、これも明らかでないが、平安京造営のとき今の堀川小路に沿って堀川という運河を作った〔4〕。 半分半分放送局長―なるほど。こっちの有栖川は哀れな運命だ。新しい都の都市計画で消えたんじゃないのか? 編集長―たぶん堀川という名前に、だろうね。794年(延暦13)平安京を設計するとき、船岡山は北の基点になったそうだ。基点の意味は、それを基準点にして距離を測ったということだろう。 アロマ―都のデザインの原点ね。 ナモネ氏―有栖川宮のイメージにぴったりだ。 放送局長―しかし、有栖川という川が二つあったという事実は非常に刺激的だ。 アロマ―ミラー・イメージね。 特派員―銅製錬をやったか、青銅鏡を作ったか? 編集長―青銅鏡の製造記念に有栖川という名前が同時につけられたと思いたいね。 アロマ―いつ? 編集長―さあ、古墳時代と考えるべきだろうな。船の岡は古墳でないけれど、磐座と書いて〈いわくら〉と読む自然の岩があって、古代から信仰の対象だった〔5〕。天然の銅が取れた岡じゃないかな?それで青銅鏡を作ったとすれば、平安京の北の基点として選ばれた立派な理由になる。 放送局長―有栖川と岩倉?明治維新の主役だ。 ☆ ☆ ☆ A NY
slick; Ron cater 3 大辞泉 4
wikipedia 5 聖石 HP |
★〈ブラック・コーヒー〉の苦さは人生を振りかえるとき[A] ☆ ☆ ☆
Updated 2010.1.13 アトリエ 編集長―予想どおりだ。昭和天皇がアメリカの大統領の親電に返事させたことは高松宮日記に書かれてる。《天皇独白録》という回想記では、それが〈黙殺できてよかった〉と天皇が言ったということになっていた。HHJが誤りを指摘したら、NHKが黙殺だ。 半分半分放送局長―NHKは高松宮日記をテーマに番組を作ったそうだから、責任は重大だよ。真相を明らかにする番組を制作しなければ、NHKの終焉だ。 特派員―編集長が書いた〈高松宮日記メモ〉の中では、これが一番でたらめな歴史記述をあばいてますね。 ナモネ氏―反論するとしたら、天皇と高松宮の言葉を疑わなければならないな。 編集長―人格にかかわる。アメリカとの開戦の前に、天皇は、国際法を守れ、と厳しく忠告した。信頼できる発言だ。 アロマ―でも、こう言うと失礼ですけど、編集長は昭和天皇のファンのように思えるときがありますね? 放送局長―学生のときから、そうだったね。昭和天皇に戦争責任はない、とキャンパスでしゃべってた。右翼的になるときがある。 編集長―高校生のときから、だ。あるアメリカ人が書いた《天皇ヒロヒト》を読んで、そう確信したね。 ☆ 放送局長―たとえば、メトロの連想という記事だが、高松宮は状況を浮き彫りにするためにもっと明確に書くべきだと思う。主観的なことでも、何でも、遠慮なく。しかし、エノケンについても山本嘉次郎についても全然触れてない。これは、どういうことなんだろう? 編集長―宮様の日記は、戦況記録の他は、ほとんどそういう調子だよ。何年か、忘れたが、逗子ホテルで北白川宮房子妃と徳川義親が会ったことを書きとめてる。こっちは緊張したけど、それだけで、ね、ドラマを見そこなった気分だった。 アロマ―未公開の名作だわ。 編集長―問題は、高松宮が海軍の軍人だということだ。行く先々で日記を書くんだから、秘密の保持には十分気をつけなければならない。これは海軍と陸軍の争いも影響してると思う。天皇と皇族が安全でないということも考えるべきだろうな。 ☆ ナモネ氏―しかし、天皇と皇族は戦後あまりに自由を失ったな。そこまでひどいとは思わなかった。名誉回復のために何かできたはずじゃあないのか? アロマ―普通一般の人々も、ね。 特派員―編集長が言うとおり、憲法の規定がルーズですね。皇族は自分の権利について理解しようがない。皇室典範で選挙権と被選挙権がないことを知るだけで、柔軟に考えれば、自由の範囲を広げられる可能性はあるでしょうが。 放送局長―法律論で言えば、自由だろう。ただ外務省と宮内庁が二重に閉じ込めてる。実態は戦前とあまり変化がないかもしれない。それは皇族が遠慮なく発言しなければ、分からないことだ。 編集長―皇族が放送局を持てば、問題はあっさり解決だよ。 特派員―そう言えば、天皇アキヒトは父の昭和天皇が侵略戦争に反対したと去年即位20年記念で語ったけれど、あれは岡田外務大臣が〈思い切った発言を〉求めたあとですね。特別許可なんです…あきれてしまいますね。 放送局長―イオン・グループの特別セールだよ、あれは。 編集長―そう、ともあれ、敗戦後の歴史を見れば、天皇と皇族は政府の便利な統治機関でしかないね。最新情報を言うと、昭和21年7月5日、高松宮日記に〈有栖川宮記念厚生資金〉と一言記されてる。前に問題にした有栖川宮記念奨学金制度のことだが、予想に反して軍国主義が潰したのではなかった。日記はその年で終わりだから、いつ、どんな事情で廃止されたか、分からない。 ナモネ氏―天皇と皇族は廃止に反対できなかったわけだな。何という平和だ!何という民主主義だ! 放送局長―その代わりに国家暴力団の公営競馬、競輪、競艇に名前を貸したんだろう。つまり、天皇賞、高松宮記念杯。 編集長―OKするわけがないだろう!やめてもらいたいね。 ☆ ☆ ☆ A Black coffee; Peggy Lee ▼ パール・ハーバー e : 開戦前の〈ごたごた〉と親電工作の真相 |
★〈アリス・ブルー・ガウン〉の流れるような優雅さにまいる[A] ☆ ☆ ☆
Updated 2010.1.5 大館橋 特派員―今思えば、インスピレーションですね。川に目をつけるなんて、ぼくは想像もしなかったな。しかし、ライヴァルの語源はリヴァー。 半分半分放送局長―有栖川という名前はエキゾチックにひびく。インターネットにはそんな夢想的なのがいくつもあったが、それは別にして、今日は編集長が好きな実証的な態度で真実に迫ろう。 アロマ―そうすると、あたしはちょっと困る。だって、有栖川宮記念公園に行って、いつものように散歩してる外人を見て、熾仁親王の青銅の騎馬像を見上げれば、誰でもアリスという女性の名前を連想する。読んだことないけど、《不思議の国のアリス》、かわいい少女…あとは何もイメージがない。 特派員―みんなそうだと思うね。アリスって、他に想い出せない。じゃあ、今日はこの辺で。さよなら。 ナモネ氏―特派員は何か発見したな。 放送局長―おれは川の名前から取ったと思うね。そういう名前の自然の川があるとは考えもしなかったが、アロマから聞いて京都新聞の記事を読んだら、有栖川は本当にあるんだ〔1〕。北嵯峨の山から大覚寺を通って桂川に合流してる。市街地では用水路みたいな小さい川だな。 アロマ―ウェッブには、そういう説と地名に由来するという説があった〔2〕。第3代の幸仁(ゆきひと)親王のとき高松宮から有栖川宮に名前を変えたんだけど、有栖川は別荘所在地だった。でも、どこなのか、書いてない。地図で調べたら、桂川左岸の右京区嵯峨野有栖川町。これは有栖川が流れてる地域。その南にある右岸の西京区川島有栖川町。有名な桂離宮が川のそばにある。 ☆ 特派員―地図だけ見ても、何も見えて来ませんよ。ぼくが発見したのを言うと、アリスの背後にリスボンの町があるということですね。ポルトガルの首都リスボン。15世紀エンリケ航海王子(Infante Dom Enrique)が大航海時代の幕を開けた港町リスボン!!! 放送局長―これは負けそうだな。アリストクラートじゃなくて、リスボン…日本に最初にキリスト教を伝えたザビエル(Francisco de Xavier)が船出した港町。 アロマ―ファドの歌とギターラのひびきが流れる港町リスボン。はかない夢のようなノスタルジーを感じる港町リスボン。 特派員―エコーが長いな。リスボンの起源をウィキペディアで調べたら、フェニキア人が名づけた〈Allis Ubboアリス・ウボ〉なんだ。これは〈safe
harbor〉つまり、安全な湾という意味ですね。リスボン・ガイドによれば、ユリシーズが見つけた町で、〈Allis Ubbo〉とは〈enchanting
port〉、魅惑的な港。最初のAは脱落しやすいので、リスボンはかなり原形をとどめてる。 編集長―なるほど。Allisというのは、そうすると、ハーバーかポートだな? 特派員―ええ、ギリシア語やフランス語のように形容詞が一般に名詞のあとに付く言語体系ですから。フェニキアの文字はヨーロッパの文字の源流だけど、ただAllisという単語はギリシア語にもラテン語にも入ってませんね。 編集長―有栖川が流れるあの辺の地理を見れば、湾と港と川があったと思うね。古代の京都盆地の地図があれば、な。 ☆ アロマ―はい、昔の京都盆地。琵琶湖から流れる宇治川が、盆地の入口で、木津川と桂川の合流地点に出会う上流域に、巨椋(おぐら)池という湖があったそうよ。平安京と平城京の間に位置して、古代、中世、水上交通の中継地として重要な役割を果たした。有栖川町は、巨椋池からそう遠くない。 ナモネ氏―巨椋池は干拓で消えたのか? アロマ―ええ、昭和時代に。 ナモネ氏―惜しいことだ。 ☆ ☆ ☆ A Alice blue gown; Glenn Millar &
His Orchestra 1 2009年9月6日(日) 2 歴史の館 みんなのモバ辞書 |
★〈ザ・キャット〉のオルガンは都のにぎやかさにぴったり[A] ☆ ☆ ☆
Updated 2010.1.1 大館橋 半分半分放送局長―すると、1889年の明治憲法制定の2年後だな? 特派員―ええ、大審院や地方裁判所が設置されたのが1890年、つまり、明治23年で、京都地方裁判所の所長の官舎に使用するために有栖川宮邸が移築された。時間的な継起からすれば、そう思っていいでしょうね。 編集長―芸術の宮様の芸術的な住居だから、もったいない気がするな。何か他のことを考えていなかったかな? アロマ―昇天の聖母教会堂のちょうど真北の位置に移したのは、300年前の歴史を意識してるって打ち明けるようなものよ。 編集長―和歌の表現方法じゃないかな?それとは言わない、暗示的なメッセージを匂わせてる。 ナモネ氏―おそらく、そこには何か重要なことがある、なあ。 特派員―京文化はデリケートです、ねえ。デリケート。 放送局長―ソフィスティケートなんだよ、君。 ☆ 編集長―しかし、その時点で狭い通りの向こうに教会堂を建てる構想を持っていたと思うね。それを現実化したのが大阪の川口居留地にあるミッション・スクールの移転だ。あの壮麗なレンガづくりの校舎の建設が始まったのは、それからまもなくじゃないか? アロマ―何年に建設が始まったか、どこにも情報がない。設計者はイギリス王立建築家協会正会員アレクサンダー・ハンセル。アン女王様式の建築。それだけ。 編集長―土地の購入費、設計料、建築費。安くないな。日清戦争の前だと思いたいな… 放送局長―レンガは国産だろう。 ナモネ氏―しかし、戦争が始まって、有栖川宮熾仁が教会堂を見ないで死んだのは、何か運命的だ。 放送局長―この問題は、やはりキリシタンの歴史にもどって辿りなおさなければいけないな。 特派員―問題とは? 放送局長―問題を探ることだよ、君。まず四条大橋たもとのお茶漬け屋さんに行こう。 アロマ―何たって有栖館に行かなきゃ、話にならない!有栖館は日本の伝統文化の研究、教育、発信の拠点として活用されるの。たとえば、茶道、華道、香道、書道、能、狂言,着物の授業、市民講座の開催など。夢のようなデヴュー。原則として一般には非公開なの。 編集長―庭の日傘の下でお茶を飲みながら教会堂をながめるなんて、気分がいいね。シュールレアリスムの絵画だな。ある意味でいい世の中になった… ☆ ☆ ☆ A The cat;
Jimmy Smith 1 京都風光 HP |