呉市海事博物館の戦艦大和

新聞広告で吉田満の評伝が出版されていることを知った。図書館で予約して読みはじめた。

本書は、膨大な資料を駆使して吉田満という人物を誕生から死去まで詳しく記述している。時代背景とともに、彼が学んだ学校、彼が乗り組んだ戦艦大和、彼が働いた日本銀行などについても詳しく書かれている。

また、吉田本人の文章だけではなく、没後に回想した友人や同僚たちの文章からの引用も豊富で、一人の人物像をさまざまな角度から光を当てて浮かび上がらせている。

吉田満は、以前に著作集をまとめて読んだことがある。もう19年前のこと。今回、評伝を読んでみて、19年前に得た印象は変わらなかった。むしろ、詳細な評伝によって私の吉田満観は補強された。

興味深く読んだのは、本人の著作ではあまり触れられていない誕生から応召までのこと。旧制高校の雰囲気には、戦後の高校や大学にはない独特なものがある。戦争が始まるまでの自由で、ときに真剣で、ときに豪放な生活は回顧する文章から想像するしかない。

そういう自由闊達な雰囲気のなかで暮らしていた純朴で厭戦的な文学青年が、徴兵され、厳しい訓練を続け、そして慕っていた義兄戦死の報せを受け、少しずつ軍人に変わっていく。軍隊ほどのカルトはない。徴兵前の学校生活が自由で、ロマンチックでさえあるので、応召後に受ける軍隊の洗脳力に戦慄した。

もっとも、この点こそ吉田が戦後ずっとこだわり続けたところでもある。敗戦濃厚となった時代に応召された学徒たちに選択の余地はなかった。彼らは極限状態で、死を見つめ、自分たちに与えられた役割に懊悩した。「洗脳された」という言葉遣いに、吉田はおそらく激しく反発するだろう。

   死にゆく者が、いかに絶対の特攻出撃ではあっても、ただ諦めと自嘲のうちに、単に否定的消極的に斃れるというのは、自然に反する。そこには何かがある。少なくとも生命の最後の燃焼があり、生き残った日本人を刺戟する昂りがある。死者の肚のそこの声がある。それは、戦争肯定とか愛国心というものを遥かに超えているが、異様に悲痛な叫びを持っている。(「占領下の『大和』)

「あのときは適応するしかなかった」という簡単な問題ではない。だから戦後になって「忘れてしまえばいい」という問題にもならない。

吉田の思想の特徴は何よりもエリート意識にある。単なる選良意識ではない。気高いノブレス・オブリージュの意識に彼の信念は裏づけられている。戦前日本の高等教育にはそういうものが醸成されていた。

その雰囲気は、一言で言えば、竹内洋の言葉を借りて「教養」と言い換えてもいいだろう。

この点、同じ戦中派でも、一兵卒として徴兵された水木しげるや胡桃沢耕史、山口瞳とは意識がまったく違う。その違いは『戦艦大和ノ最期』と水木しげる『総員玉砕せよ!』を読み比べてみれば、よくわかる。

後者は、有無も言わせず戦場に連れてこられ、玉砕を命じられた。理不尽さへの悔しさと憤りが大きい。学徒兵のように透徹した大義は見つけられず、理不尽な暴力に支配され、死を強要された。しかも上官は玉砕から逃亡している。彼らは吉田が出会った臼淵大尉のような優れた軍人に率いられることもなかった。彼らの戦争には理不尽しかない。

吉田満は学徒兵たちの無念を代弁する。その言葉は反駁できないほどに力強い。では彼は水木しげるのような最下級の兵士どう見ていたのだろうか。本書を読むかぎり、その視点はない。自分と立場の違う者について、勝手に代弁しないところは誠実で潔いとも言える。

もう一つ、知りたいことは、人道法に違反する南京事件や無謀なインパール作戦について、吉田はどう考えていたかということ。これについても言及は見られない。ただし、戦争の不条理さについては繰り返し書いているし、平和の尊さについても繰り返し強調している。そこから類推すれば、戦争犯罪や無謀な作戦について彼がどう考えていたかはわかる。吉田満は自らに与えた「散華の世代」を代弁するという役割から踏み出すことはなかった、と言えるかもしれない。

学徒士官の吉田満と下等兵の水木しげるのあいだには共通していることもある。それは、「生き残った後ろめたさに耐えかねる苛立ち」とも言うべき感覚。戦後を生きる上で、その感情をずっと大切にしていた、しなければならなかったという点でも共通している。

そして、その感情に対して私は共感する。幼かったとはいえ、姉の苦悩を救うことができなかった。そして中学校では暴力と管理の支配する体制側に安住して、多くの友人を見捨てた。極限状況で戦友を失った戦中派と同等と言うつもりはないけれど、私にも「生き残った後ろめたさ」がある。

姉の自死にめぐるさまざまな思いを一冊の本にして、一つ先の段階に入った気がするけど、「後ろめたさ」が完全に消えたわけではない。

中学時代のことについては、いまだに教員に対する憎しみと自分に対する嫌悪感に苦しんでいる。

このことについて、ここではもうこれ以上書かない。

本書の感想に戻る。

本書を読んで感じるのは、吉田満という人は非常に真面目な人だったということ。兵役に対しても、仕事に対しても、信仰に対しても。これは旧制高校という時代だけでは語れない、彼の個性だったと思う。真面目に取り組み、真面目に苦しみ、考え抜く。その姿勢は尊敬に値する。

吉田満や森有正の文章に惹かれる理由は、彼らの思索に対する真摯さゆえだろう。内面を深く潜航するような硬質の文体を、現代では古いと言われるかもしれないけど、私は好む。島崎藤村『破戒』福永武彦『草の花』を愛読するのも、同じ理由から。

吉田満の言葉にいつでも触れられるように、思い切って上下巻からなる『著作集』をネット古書店に注文した。良好な保存状態の函入りの豪華本が二冊届いた。『森有正全集』の隣りに置くことにした。

吉田満著作集、上下巻

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