地下鉄大江戸線大門駅構内

「生命倫理」という言葉をごく最近知った。興味を持ったのでもうすこし詳しい本を読みたくなり、本書を手に取った。

手には取ったものの、読みはじめてみると、「この本の感想は書けないかもしれない」という気持ちを感じた。その理由は、私の日常的な関心事が生者ではなく死者にあることに気づいたから。

死者を悼む悲嘆については何度となく書いてきたし、2月には自死に関する本ばかりを読み感想を書いた。

もちろん、私自身生きて生活をしている以上、常に死について考えているわけではなく、生活にまつわる命について考えることもある。ただし、そういう考えは医療や介護の問題に限られていて、それこそが本書が批判の標的としているインフォームド・コンセントと自己決定権の枠を出ることはない。

「生命の尊厳」という本書が掲げる大きな主題は、私の関心事になかったことをまず認めなければならない。


元々、70年代に米国から輸入された「生命倫理」は「米国」「70年代」という制約のなかで生まれた学問だった。ところが、その点が考慮されないまま日本で流布されて行った。

学生時代に手元に置いていた事典にも同様のことが書いてあった。

だが視点を変えると、この学問は、1970年代のアメリカが切実に必要とし、この国において隆盛を極め、完成の域に達した学問とと言う性格も強い。
(米本昌平、コンサイス20世紀思想辞典、三省堂、1989)

本書の目的は、ある制約のなかでしか語られてこなかった「生命倫理」という学問を根本から批判し、あらためて普遍的な学問として問い直すところにある。言葉を換えれば、横のもののまま輸入された学問を単純に縦に変えるだけではなく、あえて縦横無尽に切り刻み、あらためてどこからも見渡すことのできる球形にしようとする試みとも言える。


本書には最近『自死と遺族とキリスト教』で読んだ土井健司も寄稿している。

土井は前に読んだ本と同じように非常に厳しいことを書いている。

「フィランソロピア」文字通り「人間愛」であるが、愛される対象としての「人間」とはいったい誰のことか。すべての人間であるというのは優等生の答えであろうが、実のところ現実的ではない。私たちの現実は忘却のうちに成り立っており、しばしば相手が人間であることを 忘れているからである。
(「第7章 忘却されし者への眼差しを——バイオエシックス・人間愛・キリスト教」)

かつて、ハンセン病患者は人間とはみなされず、隔離された場所での不自由な暮らしを余儀なくされた。現代でも、 重度の障害者は死んだ方が世の中にとってもその人にとっても幸福と考え、その意図を実行した人さえいる

それほど人は自分の無慈悲さに気づいていない


最終章、田中智彦「終章 生命倫理に問う——忘れてはならないことのために」は従来の「生命倫理」の考え方を覆すという本書の意図を的確にまとめている。

最終章を読み終えた感想は「生命倫理」は体系化したり、ありうべき「生命倫理」を定義する学問ではなく、「生命倫理」にまつわる主張や行為をいつも、どこまでも批判的に問い続ける学問ではないか、ということ。

なぜなら体系化したりありうべき「生命倫理」を定義したりすることはこれまでの枠組みからは脱出することができても別の枠組みに自らをはめ込むことになるから。つまり本来、患者のためになるはずの「生命倫理」は容易に患者を束縛するものとなる。

さらには働き方から生き方までを制御する「生政治=バイオポリティクス」となる。言葉を換えれば、「倫理」という言葉は、権力を振りかざす者によって「道徳」という「科目」にすり替えらる危険性を潜ませている。

それ(「生命倫理=バイオエシックス」)が単に法や権利の言葉に置き換えることで終わっているならば、むしろそこには「生命倫理=バイオエシックス」のいわば知的な貧しさが露呈しているとみなされよう。そしてそのことと、「生命倫理=バイオエシックス」が「生政治=バイオポリティクス」に資する「装置」でも歩き音は、いまや無縁ではないように思われるのである。
(終章 生命倫理を問う)

終章は「倫理」の原点、すなわち「いかに生きるか」という問いに帰ることを訴える。

その重要性はよくわかる。法や権利の問題にすり替えされがちな現代にあって生命は常に「倫理」として問われなければならないという田中の主張に異存はない。

けれども、私自身について言えば、「いかに生きるか」という問いは、まだ深く関われるものではない。なぜなら私は「生きるべきか」「 人生にYesと言えるか」という場所でまだ立ち止まっているから。

それでも、「かけがえのない生命」という単純でいて奥深いテーマを追究する学問があり、真摯に研究している人がいることを知ったことは、迷子の 幼児のような中年にも十分な知的興奮を与えてくれた。


さくいん:土井健司田中智彦