Tea with Milk, Allen Say, Houghton Miffin, 1999

Home of the Brave, Allen Say, Walter Lorraine, 2002


四年間続いた年始のラスベガス出張が今年はなかった。いつもなら書店に立ち寄り絵本をいくつか買うので、アメリカに行かないまでも、いつか買おうと思っていた絵本をネット書店で買うことにした。

“Tea with Milk”は、“Grandfather's Journey”(1994)につづく、自分の家族の歴史をふりかえる物語。“Home of the Brave”は、第二次大戦中にあった日系人収容施設を舞台にした幻想的な物語。


二つの作品は対照的。一方は歴史から個人的な体験へ、もう一方は個人的な体験からアメリカの歴史、そして人間の普遍的な問題へ向かう。

自分が慣れ親しんだ世界から切り離されて生きるとき、人は強い孤独感にとらわれ、何かしらのつながりを求める。つながりには縦のものと横のものがある。

自分を育んできた文化や血筋の根源をたどったり、自分から生れた子どもや作品を自分の生きてきた証として大切にする。これは縦のつながり。似たような境遇の人々を探し、彼らと集まり新しい世界をつくる。これは横のつながり。

“Tea with Milk”の主題は、横のつながりを求める孤独。その一方で、“Home of the Brave”は、縦のつながりを手がかりにしながら、これまでつながりのなかった世界や人々へ、新たなつながりを縦横に模索する連帯が主題になっている。


紅茶にミルクを入れて飲むのは、母親がそうしていたから。では、大戦中に日系人を閉じ込めた収容施設に戦慄するのはなぜか。そこに母に似た名前の人がいたからか、自分と同じ名前の人もいたからか。では、似た名前をもたない人には関係ないことか。合衆国政府、自分が住んでいる国は、いまも同じような政策をしているのではないか。幻のような過去を旅した見た主人公は自問する。

私も自問する。米国に渡った日系人の歴史に興味を持ち、共感したり同情したりするのはなぜか。似た肌の色だから、名前になじみがあるから、私が住んでいる場所から旅立った人々だから。

そもそも、アレン・セイの絵本にひかれるのは、なぜか。彼が日系人だから、私と同じ街で育ったから、それとも、私がよく知っているカリフォルニアにいるからか。そんなつながりではない、作品そのものの魅力と、果たして言い切れるだろうか。

それでは、私の知らない場所から、アメリカに渡った、聞き覚えのない名前の人々の苦労を聞いて何も感じないかというと、そんなことはない。

私の知らない場所から、私の知らない場所に移り、辱められ殺された人々について、怒りを感じたり、悲しみを感じたりすることもある。

「正義」とか、「人権」とか、「平和」とか、普遍的で抽象的な言葉があるから、それらに反するように感じることについて、私は怒り、悲しむ。

片方では個人的な体験をもとに親しみを感じ、もう片方では抽象的な概念をもとに、怒りを燃やす。二つの感情は、必ずしも一致しない。一致していないのに、その矛盾に気づかず、どちらかに傾いていても平気な顔を、人間はしている。


表現、より正確にいえば思想的表現は、普遍と個別の両端を往復する。あるいは、それら無限の両端のあいだにある中点を模索する。

思想的表現は、トンネル掘削に似ている。先が見通せない、堅固な岩盤を両側から掘り進む。勝手に進めば、互いにまったく違う場所へ抜け出てしまう。

熟練した測量、精度の高いレーザー光線が、両端からの掘削を一つの場所へ導く。

ミルクを入れた温かい紅茶を愛おしく思うように、名前を知らない人々のことを親しく思うことはできないか。思いを一気に飛躍させるのではなく、普遍的な言葉と個人的な体験の両岸から、一歩ずつ想像力を積み重ねていくことはできないか。


セイの絵本は、問いかけながら、その問いかけじたいが、想像力の積み重ねとなり、私に、自分の想像力を折り重ねることを促す。

また、文章も絵も緻密で、書きなおせば一篇の小説になるのではないかと思わせる。話が直線的な筋書きではなく、流れに厚みがある。そして、個人的な経験を土台にしながら、体験という物語で終わらずに普遍的な何かを目指している。

それは思想といってもいいと思う。アレン・セイは、緻密な水彩画と吟味された簡潔な言葉で、つまり、絵本のなかに思想を表現する。

もっとも、セイの絵本は普遍的な何かをあからさまに提示はしない。いつも謎めいた終わり方をして、不安な気持ちさえ残す。

それは、迷いではなく、彼の思想がつねにとどまることなく、動きつづけていることを意味している。“Grandfather's Journey”の締めくくりは、端的にそれを示している。

The funny thing is, the moment I am in one country,
I am homesick for the other.

“Home of the Brave”の最後に、空の彼方へ散っていった名札たちは、どこへ帰っていったのか。以前、住んでいたところか、彼らの両親が生まれ育ち、やがて離れた国やそこにあった小さな村か、もしかすると、もっとも辛い経験をした場所かもしれない

“Tea with Milk”でも、Masakoは、緑茶よりもミルクを入れた紅茶がずっと好きだったけれども、嫌々覚えた和服もずっと着ていた。セイの物語は、いつでも一つの場所には帰りつかない。この話では、父親の影があまりに薄くて、かえってセイの“Father's Journey”がどんなものだったのか、そして、彼がそれをどう思っているのか、描かれていないことが気になる。