08月14日 晴れ後雨 、15日 雲のち晴れ
写真中:6:38乗り込んだ始発列車。車両の中央にも出入り口があるが防寒対策のためここにも2重扉の客車構造 写真右2枚:7:30豊幌駅。赤煉瓦のモニュメントあり。はて何かな? 小さな時計の下に電話ボックスが鎮座。 小樽駅と町中の風景 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:10:15小樽駅前の三角市場 写真中:10:16三角市場の中の「ゲジゲジ眉毛の店主(店の名刺に登場=TV的に有名らしい)の食堂」で3色丼を ちなみにHPは→http://otaru-takeda.com 写真右:10:53於古発(おこばち)川の上にある庶民の味方の妙見市場、ただ、お盆の影響か市場はへい閑。 運河の風景 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:10:15橋から運河の奥(南南東)方向 写真中:10:16運河の奥から橋(北北西)方向 写真右:10:53運河のもっと奥から。手前に妙見市場の下を流れていた水の出口(河口)。ゴミ捕獲の図。 運河の側面の填め物の図1 最南端 小樽と日本海航路 についての記念碑 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 運河の側面の填め物の図2 力自慢の仲仕 についての記念碑 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 力自慢の仲仕:記述内容 船荷は、かってハシケに積まれ、運河沿いに並ぶ石造り倉庫と、構内の船との間を運ばれていました。その荷を肩に、右端に描かれているように積み下ろしをするのが仲仕で、沖仲仕、陸仲仕、倉仲仕、木材仲仕などに別れていました。力のいる仕事で、米2俵をかついで、やっと一人前と言われていました。皆との貨物は、始めは石炭や木材が主で、石に描かれている手宮の石炭桟橋が多いに活用されましたが、開拓が進むにつれ農産品も増え、仲仕の活躍する場も広がり、仲仕は小樽の働き手の代表といわれて居ました。 小樽市 昭和61年3月 竣工 運河の側面の填め物の図3 商業の町 小樽 についての記念碑 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 運河の側面の填め物の図4 開拓で伸びた鉄道 についての記念碑 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 小樽の町中〜駅へ ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:09:53銀行 写真中:11:06駅 気温は28℃。瓶ビールを手に入れて...と 写真右:11:16、出発11:21ここからディーゼル列車 くっちゃん駅 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:13:00くっちゃん駅、「んゃちっく」の看板 写真中:13:06昴の泉=羊蹄山の伏流水だとか 写真右:13:33、出発13:42ここかもディーゼル列車 くっちゃん駅 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:13:05駅の自動販売機、本州とは違う飲料が並ぶ 写真中:13:22、ホクレンの倉庫を前景に後方羊蹄(シリベシ)山 写真右:13:30くっちゃん駅の産物展示。白樺焼、羊蹄山10割そば・・・・ 長万部駅 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:15:18長万部駅1 写真中:15:22長万部駅2 写真右:16:03、出発16:08さらにディーゼル列車 20:07〜9函館山の頂で ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 函館山〜フェリーターミナル ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:20:10函館山の頂で。ロープウェイ待ちの500人の一部 写真中:23:09函館フェリーターミナルから。函館の夜景と工事船の上に函館山の灯火が見える。 写真右:23:01はやぶさ号、出発23:30 青森フェリーターミナル〜青森駅〜大館 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:03:38青森フェリーターミナル。歩き客は、すっかり車が無くなってから下船。 写真中:04:57青森駅前の広場から青森駅ビル(左)と青森ベイブリッジ(正面) 写真右:07:36大館駅前の不動産屋兼園芸店前のコアニチドリとムカゴ(右下) 象潟〜酒田 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左上:10:53鳥海山 象潟付近から北面の図 左下:11:21鳥海山 遊佐付近から南面の図 写真中:12:09酒田駅 屋上の看板が何ともユニーク。 南・東・北はあるけど、西なしクボタ 写真右:12:33、出発12:53青森からここまで電車、ここからも電車 新潟〜柏崎 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左〜中:17:02 こしひかりを使った越後ビールと風味爽快ニシテビールで気分爽快 写真右:18:29 柏崎近くから見る米山
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