作品概要 |
★作品について
VIENNA STYLE(ヴィエナスタイル)金彩絵皿「ローレライ」です。 (ウィーン磁器 Vienna porcelain オーストリアの磁器窯。英語でヴィエナ。) 絵付けと金彩は大変丁寧に緻密に行われています。ウィーンスタイルとしても、優秀な製品です。絵付けはKPM陶板画に見られるような古典絵画をモチーフに、絵画以上の描写力で見る者を圧倒します。磁器製品は絵画と違って劣化が殆どありません。割らない限り何百年もその美しさを保ちます。 絵付けの技術は大変高度で、現在では再現不可能でしょう。また装飾部分の金彩も緻密です。光の加減によって、まわりの地の部分(写真では茶色っぽく写っている)は七色に、模様一つ一つが正確で、美しく金色に輝いています。(工芸作品の域を超えて、まさに美術作品です。)古い作品ですので、金彩の一部に小さな剥落が見られますが、鑑賞にはあまり影響しません。中央の絵付けは髪の毛一本にいたるまで繊細に描かれ瑕疵はありません。 額装は、高級二重額仕様でビロードのマット・木製の外側のフレーム内側にも濃紫のビロード地が使われています。額の状態は概ね良好です。 詳細・拡大画像をp_prince collection ホームページにアップしていますので作品と額の状態等ご確認下さい。 原画は、Wilhelm KRAY (1828-1889) の ローレライ LORELEY です。ドイツ、ライン川のローレライ伝説をモチーフに、美しい女性(実は岩の妖精あるいはセイレーン)が断崖に座り手を振っています。 このモチーフはKPM陶板画などでも見られるものですが、特に繊細で素晴らしい絵付けです。(拡大画像をご覧下さい。)ときには油彩原画よりも陶板や絵皿の絵付けの方が緻密で素晴らしいことがあります。ちなみに、同絵柄の陶板画がフロリダのギャラリーで$13,800で落札されています。(当然小売価格はそれ以上です。) 日本ではこれだけ傑出した作品は、なかなかお目にかかれません。デパートなどでは、もっと稚拙な絵付けの作品が倍以上の価格で売られています。陶板画や絵皿を購入するときは、KPMやヴィエナという窯のブランドだけ(窯印のみの判断は危険です。)にこだわらず、絵付けや細部の善し悪しを総合的に判断することが必要です。 ウィーンの窯印の盾のマークは、19世紀後半には一種の流行となりました。(中には現在のコピー製品のように、あまり上等でない製品に無造作に入れられた例もみられます。)オーバーグレーズといって釉薬の上から描き加えられたマークに本物はないと、真贋判定の一要件にもなっています。 絵付けが雑で、オーバーグレーズの窯印は贋作(コピー)と言ってよいでしょう。 本作の場合、窯印は釉薬の下(アンダーグレーズ)に入れられています。(しかしそれすなわちインペリアル・アンド・ロイヤル・ヴィエナとは言いきれません。本作品は長い年月、ヴィエナとして扱われてきた良質で価値ある作品ではありますが、念のためにヴィエナスタイル磁器として出品いたします。本作の絵付けの年代は、モチーフ・絵柄・原画作者の活動年代より19世紀後半の作と思われます。) 本作品は、手彩色の絵柄と金彩のアンティーク絵皿であることを保証いたします。 ★窯概要・略歴 ヴィエナ VIENNA(ウィーン)窯は、1719年に神聖ローマ帝国の首都であるウィーンにクラウディウス・インノケンティウス・デュ・パキェによって開かれた硬質磁器の窯です。1744年には女帝マリア・テレジアの主宰で再発足しました。世界帝国ハプスブルグ家の栄華を伝える世界で最も贅沢だと言われる硬質磁器です。 1744年までの製品にマークは無く、様式も初期マイセン風で後世の物とは違います。セーブル風のロココスタイルが導入されるのは1770年頃からです。それから19世紀初期までがこの窯の全盛期になります。 1864年に廃窯しました。 ところがアンティーク市場ではここからがウィーンの全盛時代と言ってよいのです。VIENNA STYLE ヴィエナスタイル(ウィーンスタイル)とは、ウィーン窯が閉じられた後に造られた、ウィーン様式の製品を意味します。 通常、「スタイル」とは、マイセンスタイルというように、マイセン風の別窯(つまりは偽物)、あるいは窯を特定できない製品を意味します。 マイセン(本物)とマイセンスタイルでは出来はもちろん、価格にも相当差がつくのが一般的です。ところがウィーンの場合は必ずしもそうとは言えません。絵付けや・出来によって19世紀後半のウィーンスタイルの方が王立ウィーン窯のオリジナルより高価な例も多いのです。 つまり、ヴィエナスタイル(ウィーンスタイル)の製品は、独自のブランドを築いてしまったようなものです。(もちろん良質な製品・絵付け・装飾であることが前提です。単に盾のマークを模して入れたただけの粗悪品に価値はありません。) ★ローレライについて ローレライ(Loreley)は、ライン川流域の町ザンクト・ゴアルスハウゼン近くにある、水面から130mほど突き出た岩山のことである。スイスと北海をつなぐこの河川でも一番狭いところにある。 流れが速く、水面下に多くの岩が潜んでいるため、かつては航行中の多くの舟が事故を起こした場所である。現在は幾度に渡る工事により、大型船が航行できるまでに川幅が広げられている。 ローレライ伝説は、ローレライ付近が航行の難所であったことから生じた。ローレライにたたずむ金色の櫛を持った美しい少女に船頭が魅せられると船が川の渦の中に飲み込まれてしまう、という魔女伝説に変化したのである。 ライン川下りでも有名で、周辺にはフドウ畑や古城が点在し、ローレライの岩の上に登ることもできる。ローレライの岩のあたりは、川幅が少し狭く流れも急になるため、昔から遭難する船が多かったという。 魅惑の美声で人々を惑わす妖精ローレライ伝説 ローレライには、昔からいくつかの妖精の伝説が残されている。内容には多少の違いがあるが、ローレライは、不実な恋人に絶望してライン川に身を投げた乙女で、水の精となった彼女の声は漁師を誘惑し、岩山を通りかかった舟を次々と遭難させていったという。 ブレンターノのローレライ キャロル・ローズが著した『世界の妖精神話事典』では、ローレライは古くからある伝承ではなく、ブレンターノ(1778-1824)の創作であると記されている。 ブレンターノの詩では、ローレライが妖精になる前のこととライン川に飛び込むまでが描かれている。 詩に描かれたローレライは、見る者を虜にしないではおかない美女であり、多くの男達の面目をも失わせてしまうこともあった。裁きの場に出された彼女は、恋人の裏切りに絶望していたこともあって、死を願うが叶えられず、修道院へと送られた。道中で、最後の思い出に岩山から恋人がかつて住んでいた城を見たいと願い出、岩山の上からライン川へと身を投げた、という詩の内容であった。 『ローレライ(Loreley)』 ドイツの作曲家フリードリヒ・ジルヒャーによる1838年作曲のドイツ歌曲 歌詞は、ドイツの著名な詩人ハインリッヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine/1797-1856)による詩が用いられた。 日本では、明治42年の『女声唱歌』に掲載された近藤朔風氏による訳詞が広く知られている。
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作品の詳細他 |
絵画を中心に美術作品を出品していきますので、よろしくお願いいたします。 新品額と表記したもの以外は展示済みです。額のスリ等はご容赦ください。 配送 お客様のご都合を伺った上、ご入金確認後、速やかに発送いたします。 ストア規約に則り、消費税を申し受けます。 ★出品者のその他のオークションも、是非ご覧ください。 Gallery p_prince collection 美術品商 神奈川県公安委員会許可 第451380003610号 |
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