作品概要 |
★作品について
ジャン=フランソワ・ミレー (Jean-Francois Millet 1814-1875)画伯のエッチング、ミルク粥(La bouillie)です。ご存じのようにミレーは落ち穂拾いや種を蒔く人等で有名なバルビゾン派の巨匠です。ミレーの版画についてはこちら。本作品は、熱いお粥を冷ましながら食べさせようとしている農家の若き母親とその子を、愛情あふれるまなざしで描いています。1861年に美術雑誌・ガゼット デ ボザール(Gazette des Beaux-Arts)に収載されたもので、刷師はドラートル。 画面左下に版上サイン、余白に「Gazette des Beaux-Arts」「Impe A Delatre Paris」の記載つき。(本作品ではこれらの記載が額装に隠れてしまっていますが、写真でご覧いただけるように「Impe A Delatre Paris」のAとDとlとPとiの文字の上部が確認できます。写真上2つの掲載文字はHP掲載の同作品のもので、その下のものが本作品のものになります。) 刷り師ドラートルは名人と呼ばれ、依頼した作家の想像以上に作品の表現力を高め、深い味わいのある画面を創造しました。摺りの調子が作品ごとに異なる版画が「印刷物」でなく1枚1枚が独立した「美術」であることを世に問うかたちとなったのです。 コロー、ドービニー、マネ、ブラックモン、メリヨン、ヨンキントなど合計300点以上の銅版画を世に出したのもドラートルです。 ミレーとドラートルの見事な連携によって実に味わい深い作品となっています。(写真では表現しきれないのが残念ですが、黒と白の中間調の表現など実に見事です。) 作品の状態は良好。(わずかな波打が認められますが、150年も昔の作品とは思えない程に状態は良いと言えます。)額も格調高いもので、状態も概ね良好です。拡大詳細画像をp_prince collection ホームページにアップしていますので作品と額の状態等ご確認下さい。 本作品は、ホームページの版画・絵画作品ページに掲載の作品と同作品になります。ミルク粥は全部で第6版まで刷られましたが、ガゼット デ ボザールに収載されたのは本作品の第4版です。(ミレーの生前刷りになります。ドラートルの刷りはこの版までです。) 同作品は大変高価に取り引きされます。インターネットで検索していただければ分かりますが、同じ版の作品に148万円をおつけになっている画廊様もございます。十数年前に某有名美術雑誌の頒布で第5版を含んで(本作品は第4版になります。)、70万円程だったと記憶します。オリジナルはオークションでもなかなか入手できません。 エスタンプと呼ばれる複製版画でさえ、オークションで10万円を超える金額で落札される程の人気です。(画像の最後の作品はパリ・ラクリエール銅版画工房作とされる作品ですが、黒色がベタ状態で、中間調がまったく表現されていないのが、画像からでもお分かりいただけると存じます。この作品もたしか定価30万円ということでした。希望価格でご落札の方には、この作品もおつけします。) 何とかオリジナル2点の作品を入手しましたので、そのうち1点のみを格安にお譲りいたします。 作品はもちろん真作保証です。最低落札価格は大変お値打ち価格と存じます。(当ギャラリーご紹介の作品はいずれもお客様よりご好評いただいております。ホームページ掲載の過去のオークション作品もあわせてご覧下さい。) ミレーのコレクションで有名な、山梨県立美術館のホームページで同作品の画像を検索できます。(同美術館に問い合わせたところ、同館所蔵のミルク粥も、第4版と思われるという回答でした。検索画像のものは色が実物より色が濃くなっているようです。) ★作家概要・略歴・版について 19世紀 フランス バルビゾン派の画家・版画家。生涯を通じ銅版20点。石版6点、ガラスステロ版画2点、木版画6点を制作。 1814年、フランス、ノルマンディー地方の海辺にあるグリュシーに生まれる。19歳の時、シェルブールの街で絵の修業を始める。22歳の1837年、パリへ出て、当時のアカデミスムの巨匠であったポール・ドラローシュ(1797−1856)に師事する。26歳の時、サロン(官展)に初入選するが、生活は相変わらず貧しかった。1841年、ポーリーヌ=ヴィルジニー・オノと結婚するが、彼女は3年後の1844年、貧困のうちに病死する。1846年には同棲中だったカトリーヌ・ルメートルとの間に第1子が誕生。1849年、パリにおけるコレラ流行を避けて、パリの南方約60キロの、フォンテーヌブローの森のはずれにあるバルビゾンへ移住。以後同地で制作を続ける。翌1850年『種まく人』をサロンへ出品する。ミレーの代表作に数えられる『晩鐘』『落穂拾い』などは、バルビゾン移住後の作品である。 ミレーの版画については、主に以下の二冊を参考にします。 Loys Delteil, Le peintre-graveur illusutre (Paris, 1906) Michel Melot, L'oeuvre grave de Boudin, Corot, Daubigny, Dupre, Jongkind, Millet, Theodore Rousseau (Paris, 1978) 《ミルク粥》は『ガゼット・デ・ボザール』に掲載されています。 1861年の『ガゼット・デ・ボザール』(美術雑誌)に 批評家のフィリップ・ビュルティがミレーの版画論を掲載しています。 この論文の掲載にあたり、ビュルティがミレーに制作を依頼して、 できあがったのが、この《ミルク粥》です。 《ミルク粥》については、全部で6版あることが確認されています。 第1版 いくつかのスケッチが周囲にある試し刷り(ミレーのサインなし) ビュルティによれば3枚の版画が刷られた。 第2版 周囲のスケッチはなくなる(ミレーのサインなし) 非常に希少 第3版 サイン入り (ブラックモンが彫り込んだもの) 第4版 「Gazette des Beaux-Arts」「Impe A Delatre Paris」の記載つき (1861年9月1日号) ガゼット・デ・ボザール パリにてA.ドラートル刷 第5版 ロジャー・マルクスの著書(1903)のための複製 銅版の縦寸法が221mmから186mmへ縮められたため 「Gazette des Beaux-Arts」「Impe A Delatre Paris」の文字は消失 第6版 アンドレ・マルティの著書(1906)のための複製 (銅版破毀) ビュルティは、次のようなことを、書き残しています。 ビュルティはミレーに連れられ、版画家ブラックモンのアトリエへ行きます。 そこで彼らは、版を腐食させました。 そしてできあがった版をドラートルの工房に持っていき、 試し刷りをしてもらい、そのできあがりをみながら さらにミレーがタッチを加えました。 このような記録から、 刷師ドラートルによる版は、第3版、第4版と考えられます。 山梨県立美術館の所蔵しているのは、第4版だと思われます。(山梨県立美術館の見解) |
作品の詳細他 |
絵画を中心に美術作品を出品していきますので、よろしくお願いいたします。 新品額と表記したもの以外は展示済みです。額のスリ等はご容赦ください。 配送 お客様のご都合を伺った上、ご入金確認後、速やかに発送いたします。 ストア規約に則り、消費税を申し受けます。 ★出品者のその他のオークションも、是非ご覧ください。 Gallery p_prince collection 美術品商 神奈川県公安委員会許可 第451380003610号 |
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