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個人ページの公開法について
組織の中の研究者・技術者がウェブで語るとき

個人ページの公開法|組織の中の研究者・技術者|アクセス解析アクセスログと個人情報こまごました疑問その他

 この文章は、私が分析屋であり、主に化学関連の個人ページを中心にウォッチしているという背景に基づいて書いています。一般的な用語を使っている部分もありますが、どんな範囲にまで一般化できるかについては不明です。(2004/3/7 記。この注意書きを書いた経緯:blog版記事

組織の中の研究者・技術者がウェブで語るとき(2003/12/20)
組織の中の研究者・技術者の個人ページ(2003/12/20)
学術情報の発信(主に個人として行うもの)に関するリンク集(2003/12/20)
@ニフティでの発言(2003/12/20)

組織の中の研究者・技術者がウェブで語るとき(2003/12/20)

 会社や行政機関に勤務する研究者や技術者が実名でインターネット上で発言するのは、多少なりとも勇気がいることだろう。「会社はどう思うか?」とまず考えるのが、平均的な日本のサラリーマンというものだ。ましてや、自分の専門分野に関わることとなると、ほとんどの知識は組織で働きながら身に付けてきたものに違いないから、個人的な余暇活動に使うのは躊躇するというのが自然な気持ちだと思う。私もそんな後ろめたさを感じながらこのサイトを公開している。この文章では、組織の中の研究者・技術者がウェブで語るときに起こりそうな問題や、それらに対する考え方を私なりに整理してみたい。

「組織の中の研究者・技術者」とは

 いまどき理系の専門職というのは、高額な機器やコンピュータなしには成立しにくい。そのような設備投資は個人では無理だから、たいていの研究者・技術者はどこかの組織に属している。従って「組織の中の研究者・技術者」を字義どおり解釈すると、理系に限れば、ほとんどすべての研究者・技術者ということになってしまう。

 私が「組織の中の」という言葉で表現しているのは、「組織として仕事をする度合いが大きい」という意味だ。だから、例えば大学の教員は多くの場合含まれない。また、公立や民間の研究機関に属する研究者でも、研究内容や研究方針を自分で決める比率が高いほど、この中には含まれない。そのような研究者たちは、むしろ個人としての独自性を出しながら仕事を進めていくことに価値があると認められているからだ。もっとも、個人が完全に組織と一体化することも独立することも不可能なことなので、この区分けはあいまいで、本人の主観によってさえ変わりうる。自分の中の何割かは組織として仕事しているし、他の何割かは個人として独自性を出しているというような研究者・技術者だって多いだろう。

組織の中の専門家がウェブで発言する動機はあるか

 個人としてオリジナリティを出すのが商売だという専門家が自分の専門分野に関してウェブで発言(あるいは宣伝)するのは、ごく自然だと思う。職務の目的に照らして合理的なことであり、あとは情報発信にかかる手間・コストが効果に見合うかどうかを個々が判断して、力を入れたり入れなかったりすればよい。既に多くの方が、個人として行う学術情報の発信について考察している。でも、組織の中で働いている専門家の場合は?そんな人が発言して何になるのだろう?組織で得られた情報の発信は組織としてやればいいのではないか?組織の中の専門家は、組織の歯車として黙々と自分の持ち場だけを守ればいいのではないか?

 こう言う私も某機関に所属する分析屋だが、このサイトを開設した当初は、あまり強い動機は感じていなかった。そもそものきっかけが、既に公開していた情報をインターネット上に残すためという消極的なものだったから、もっとコンテンツの少ない、めったに更新しないサイトにするつもりだった。しかし、初志に反して週一度の更新をいまだに続けている。実は、やり始めてから知ったのだが、こういうページを作り続けるのは結構おもしろいのである。分析化学の基礎と言うより応用に関してこのようにくどくどとしゃべり続けるページは他にあまり存在していないので、たいした発想でなくても自分が開拓者みたいな気分になれる。開拓者というと大げさで有意義なことのように聞こえるから言い直すと、新芽を食い荒らす青虫というか、積もったばかりの雪野原に初めて足跡をつける子供というか、そんな楽しみがある。

 まったく自己満足でしかない嬉しさが持続するのも、なぜかアクセスが増えているからだ。もちろん、サイトの情報量が増えるにつれて、単に検索でヒットして訪問する人は確実に増える。でも、それだけでなく、ブックマークでのアクセスも増えている。こんな固くて面白味のないサイトに対する需要があるとは、正直なところ予想もしていなかった。ネット人口の増加と、分析という分野に携わる人の母数の多さによるのだろうか。

 ページ作成は余暇活動としてやるわけで、おもしろければ動機としては十分だ。でも、自分にとって勉強になるという副効果もある。理解しにくい内容を他人にも説明できるほど理解するのは、自分なりに何とか理解するよりも数倍むずかしい。そういうむずかしいことを繰り返してコンテンツを作っていくのだから、非常に勉強になる。

組織に迷惑がかかってはいけない

 では、組織の中の研究者・技術者が専門的なページを作りたいと考えたとして、どんなことに気をつければいいだろうか。社外秘を漏らすとか勤務時間内に作業するなんてことは当然絶対あってはならない。そのように明確に戒めるべきことを除けば、自分個人の意見が組織と何らかの関係があるように見られることを防ぐのが、最も気をつけるべきことではないだろうか。そのための具体策として私は、表紙の目立つところに「個人のページ」であることを書く、サイト名に個人名を入れる、サイトポリシーにも個人でやっていることを書く、など、くどいくらい組織と関係ないことを強調している。

 それから、専門家としてレベルが低いとみなされそうなことは書かないのも重要だと思う。自分が恥をかいてすむことでない。会社のサービスや製品に不信感を持たれるような内容では、会社はひどく迷惑する。かといって、常に完全無欠な内容だけを書くことは、常人には不可能だ。現実的には、自分の到達点を意識しながら、よく勉強していることについては自信を持って書き、まだ勉強中のところはそう断りながら書く、あるいは勉強中のことは書かない。そんなところだろうか。未熟ななりにそれを自覚して向上しようとしている姿勢があれば、会社への不信感は持たれないと思う。

 組織に迷惑をかけない最も単純な方法は、所属先をサイト内に書かないことだ。ただし、所属先不明な作成者に対しては読者の関心がわきにくく訪問者もその分少ないかもしれない。それに、実名を出せば所属先がわかる場合だっていくらもある。完全に組織との関係を断つためには、匿名で公開するしかない。しかし、特殊な主張をするならともかく、学術的・技術的なことだけ書くならば、匿名よりも実名でやるほうが読者に信頼されるし自分の気合の入れ方も違ってくると思う。

力を注ぎすぎない

 組織に雇用されている研究者・技術者(要はサラリーマン)について話しているが、人を雇うということは一種の投資だ。投資には常にリスクが伴う。雇った人物が思うように働いてくれず、給与分以上の価値を生み出さない可能性がある。個人としてオリジナリティを出す専門家ほど自己責任も大きいが(自分のパフォーマンスが研究費や次のポスト獲得にはね返るという形で)、サラリーマンは終身雇用と年功序列で守られている度合いが大きい。

 するとサラリーマンは「これは本当に誠実に努力した結果なのか?」と常に問われることになる。直接の上司が見ているだけでない。その上司はさらに上の人に対して、部下に最善の努力をさせていることを示さなければならないし、上の上のトップだって、株主なり納税者なりに対する説明責任がある。公務員には専任義務というものもある。その際、インターネットという公開の場で個人的に大きな労力を割いている雇用者がいたら、誰かが弁明するはめになるかもしれない。サラリーマンというのは、自分が怠けるかもしれないリスクを他人に負わせている立場とも言える。

 従って私は、あまり一気に書かない、こまぎれの時間で少しずつサイトを作っていく、更新は週に一度、ということを心がけている。これはもちろん自分のためでもあるが、実は他人の目を意識してのことでもある。本人が思うほど他人は見ていないものだが、見られていると考えて行動しておくほうが、精神的に楽だ。

「世の中の役に立つことをしている」というのは言い訳になるか

 ところで、会社に迷惑がかからず、専任義務違反を疑われない程度にやるとしても、まだ問題はある。それは、冒頭にも述べたとおり、自分の専門知識は組織から機会を与えられながら身に付けてきたものだという事実だ。専門知識は会社や納税者(公務員の場合)のものだとも言える。それを使って個人的な余暇活動を行うことに、なにがしかの問題を感じる人もいるかもしれない。

 若干の問題があっても、それを補う以上の意義があるなら許されるだろう。娯楽的なことでなく学術情報の発信だ。世の中の役に立つではないか。だからいいではないか。という理屈も成り立つかもしれない。しかし、本当に必要とされているものならば、組織の責任体制のもとで発信するほうが、ずっと信頼性の高い情報になるだろう。それにネットの利用者が飛躍的に増えてきたとはいえ、まだまだ全人口に占める割合は低い。ネットを通じたサービスは、非常に偏った便宜供与であると言えるかもしれない。たとえ本当にネットで価値を生み出しているとしても、それが直接会社や組織の利益になるわけでない。つまり、世の中の役に立っているという主張は、サラリーマンにとってあまり言い訳にならないと思う。

 もっとも、組織に属する個人がプライベートな時間を使って専門情報を提供することが組織のイメージアップにつながる場合は多いと思う。組織の中の研究者・技術者の個人ページに挙げたようなサイトを訪問すれば、それぞれの作成者が所属する会社や公的機関に対して好印象を持つ人の方が多いと思うし、高校生や大学生が読めば、こういう会社に就職したいとか、こういう専門に進みたいと感じるかもしれない。ただし、自分自身がやっていることとなると、なかなかそのようには思えないし、公言する気になどとてもなれない。

「自己研鑽の動機付けになる」という意義

 そして私がたどりついた最大の意義は、個人ページを公開することが自己研鑽の動機付けになるということだ。社員(公務員)が熱心に仕事関係の勉強をするのは、会社(納税者)にとってもプラスになるはずだ。そういうシンプルな理由によって、問題性は補われるのではと思っている。題目として「自己研鑽」を掲げるのは簡単だが、本当にサイト公開が自己研鑽に結びついているのかどうかを証明するのはページ内容だ。質の高い内容だけを公開していきたいと思っている。また、類似した専門性のサイトが多く開かれれば、お互いリンクしあって意見交流を行うことができ、ネット上の輪読会か学会の討論のようなことも可能だろう。

 仕事と遊びを区別して割り切ることができるのは、サラリーマンの特権だ。個人として自分を売り込む専門家の場合は、「ホームページ作りに時間を使うより論文を書くほうが業績になる・・・」といった雑念も沸くかもしれない。逆説的だが、「自分はサラリーマンだ」と割り切れる人ほど、楽しく専門知識のページを作れると思う。

 なお、もう少し具体的なノウハウについては、実名で専門知識を公開するための工夫で既に書いている。それから、学術情報の発信全般に対するやや斜めな見解は「学術的なページ=社会貢献」と考えてもよいかで書いている。


組織の中の研究者・技術者の個人ページ(2003/12/20)

 一般企業、地方自治体、国の機関(行政に関わりの深いところ)に勤務する研究者・技術者が専門知識に基づいて作成している個人ページを集めてみた(化学・薬学関連)。「行政に関わりの深い国の機関」とはどの範囲か迷うが、一応現時点で独立行政法人化されていない機関ということにした。(サイト名の五十音順)

実名で公開

半匿名で公開

匿名で公開(企業勤務のかたのみ)


学術情報の発信(主に個人として行うもの)に関するリンク集(2003/12/20)

 個人による研究的・学術的な情報発信や情報交流について述べられた文書。社会的な意義より個人の自発的な活動重視の意見を主に集めた。


@ニフティ「化学の広場」での発言(2003/12/20)

 2003年10月に@Niftyフォーラム「化学の広場」でいつくかの発言をした。【情報】ネット上の化学関連情報の部屋では県立新潟女子短期大学 本間善夫さん(ハンドルネーム シェーマさん)がコメントを付けてくださった。私の発言だけをここにまとめておく。(この部屋は@Niftyのメンバーでなくても閲覧可能。)


企業や公的機関に勤務する人が実名個人ページを開設するには

2003年10月02日 木曜日 06時23分

こんにちは。【情報】には初めての書き込みです。公的機関で化学分析をしてきた者です。半年ほど前から、津村ゆかりの分析化学のページというものを公開しています。
大学の先生はネット上でかなり自由な活動ができて羨ましいと、かねがね思っていました。企業や公的機関に勤務していると、制約を受けずに発言するには匿名でということになりがちです。しかし自分の持つバックグラウンドはきちんと述べたい。それは実名で論文になってしまっているので、匿名と両立しない。というジレンマに陥ります。
実名を出しながら、業績リストだけでない、作成者が思い入れを持てて訪問者にも楽しんでもらえる人間味のあるページを作るにはどうしたらいいか、試行錯誤をしているところです。個人ページの公開法についての中で色々書いています。特に実名で専門知識を公開するための工夫という文章の中では、このタイトルどおりのことを考察しています。よろしければ御一読いただいて、御批評ください。生産や行政の現場にいる技術者たちが公けに自分を表現する機会が増えれば、これから化学をめざす人たちにもきっと得るところが大きいと思います。
(【分析】にも別の紹介文を投稿しています。)


Re3:企業や公的機関に勤務する人が実名個人ページを開設するには

2003年10月08日 水曜日 21時17分

 シェーマさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
 シェーマさんのサイトの中の環境ホルモン情報は、私も関連の仕事をしていた頃によく利用させていただきました。たいへんな労作で、日本語では最も充実した環境ホルモンのリンク集だと思います。

 個人ページの開設自体は、特別なコンピュータ環境や技術がなくても、誰でも簡単にできる時代になってきました。それでも、企業や公的機関所属の個人が実名で情報発信するのは、かなり敷居の高いことだと思います。

 その理由の一つが、自分の発言が所属先の方針や見解と関係があるように見られてしまうのではないかという心配です。大学の先生の場合は、よほど反社会的な主張でない限りは、自由な発言がむしろ大学らしさとして評価されるのではないでしょうか。
 また、個人ページを開設・維持するための労力自体も問題になります。大学というのは、教育と研究そのものが売り物ですから、各教員が自分の教育や研究の内容について広報することは、大学の目的とも合致します。一方、企業や公的機関は、商品やサービスが売り物であって、個々の研究者や技術者がどんな人物であろうと、とりあえず関係ありません。(基礎的な研究分野で、研究そのものが売り物である場合は除きます。)従って、ページ作成にあまりに労力をかけるのははばかられます。

 このような敷居の高さがあっても、企業や公的機関所属の人が個人ページを開設するにはどうしたらいいのか、そもそも開設する動機があるのか、といったことを考えていきたいと思っております。安井至氏や中西準子氏のページようなメジャーなものは全く考えておらず、同業者どうしが情報交換しあうことを念頭に置いています。

 ところで、シェーマさんは私と同じプロバイダでサイトを開設しておられて、プロバイダ独自のアクセス解析を使用しておられるようですね。
 私は技術的な方法論にも興味があり、アクセス解析などという解説ページを作っています。この中で、別の解析サービスに乗り換えた経緯を報告していますので、御参考にしていただけるかもしれません。


Re5:企業や公的機関に勤務する人が実名個人ページを開設するには

2003年10月16日 木曜日 21時02分

 シェーマさんは、こういうテーマに関してずっと以前から関心を持たれてきたようですね。
インターネットによる知の共有への試み
がシェーマさんのお考えを最もよく代表する文章でしょうか。他にもありましたら教えてください。

 価値のある情報を持っている人が、それをウェブ上で公開する「動機」をどこに求めるか(どう作っていくか)というのは、根本的な問題だと思います。
 私の考えですが、本当に価値がある(つまり需要がある)なら、それを提供した人に報酬が支払われる仕組みを整えることは、たいていの場合可能だと思います。需要が広く薄すぎて料金徴収が困難であっても、需要が強いならいずれ公的サービスとして実施されるでしょう。

 ただし、報酬を受け取って情報公開する立場になれば、情報メンテナンスや網羅性に関して責任が生じます。個人が自分の感性で(ときにはバランスの良くない)広げ方をしていくようなやり方とは、本質的な違いがあるでしょう。報酬を得て行う情報発信は、信頼性は高いけれど面白味のないものになりそうな気がします。

 竹中明夫さんは研究者がウェブで語れば皆が楽しいで、個人が情報提供する主要な動機を「楽しみ」や「満足感」に求めておられます。一方シェーマさんの上記文章からは、自分が直接担当する学生だけでなく広い範囲の人たちに化学に親しんでもらうこと、つまり「社会への貢献」のようなことが大きな動機であるようにお見受けします。

 しかし企業等の組織に所属する人の場合は、「楽しみ」と「社会への貢献」だけでは踏み切りにくいのではないかと私は考えています。それは、たとえアフター5のこととはいえ、組織の利益にならないことを大っぴらにやる、しかもその情報内容が組織内での仕事で得たものであるということに、問題を感じる人もいるのではないかと思うからです。

 ですから、3つめの動機として「自己研鑽」を入れたいと思います。つまり、ネットでの情報公開が自己研鑽への強い動機付けになっている、こういう活動によって自分の専門的力量を高めているのだ、ということのわかるサイトにしたいと思っています。組織員の力量が高まることは、組織のメリットになるからです。
 それから、似たようなことをする方が増えればいいなと考えて、自分の経験を書いたり、このフォーラムで発言したりしています。できるだけ目立ちたくないから、仲間は多いほうがいいのです。

 ところで、昨年1月5日に放映されたNHK教育テレビ「サイエンスアイ」の「環境ホルモン・最新メカニズムにせまる」の中で、コンビニ弁当中のフタル酸エステルを分析していたのは私です。まあ、顔を覚えておられる方はいないだろうと思いますが・・・。また、環境ホルモン情報のリンクの中に私のページも加えてくださり、ありがとうございました。


「学術的なページ=社会貢献」と考えてもよいか

2003年10月27日 月曜日 21時02分

 やや挑戦的なタイトルですが・・・。
 インターネットで学術的な情報を発信することには何らかの社会的な価値があると考える人は多いでしょう。
 自分の好きなように表現してそれがそのまま世間にも認められる---誰もが望むハッピーなことです。審査もなく勝手に情報発信して立派なことと言われるなら、ひねくれた見方かもしれませんが、なんだか結構すぎるなと思います。

 私がネットで発信した情報が役に立ったと言ってくれる人が一人でもいれば、たしかに価値はゼロでないでしょう。
 でも、研究的な職業や専門知識に基づく職業には、サラリーマン的な側面と自営業的な側面があります。サラリーマン的とは一定の業務を行って給与を受け取る働き方ですが、私がホームページ管理をするのはもちろん勤務時間外ですから、本来娯楽なりに消えていくはずの時間を使ってほんの少しでも価値を生み出したなら、それで社会に貢献したと言えるのでしょう。
 しかし一方で、専門家には自営業的な側面があります。自営業的とは、自分が何に時間や労力やお金を使うかを投資判断し、それによって生じる結果責任も自分が負う働き方です。終身雇用が一応保証されている立場であっても、勤務外の時間の使い方まで含めて自分の専門性をいかに高めていくかということを、専門家なら少しは考えていると思います。

 そうだとすれば、私がホームページの管理をする時間は、余暇時間ではないかもしれません。もっと別のこと、例えば論文を読むとか書くとかに使っていたかもしれない。となると、インターネットでの情報発信が社会的に有益かどうかの判断は、別のことをしていたら生み出されたはずの価値との差引き計算になる。学術情報の発信法として既に確立していて、専門家どうしのチェックも一応掛かる論文発表や学会発表というスタイルに匹敵するほどの価値が、個人ページにあると言えるのか。また、本当に価値のある情報なら、組織の一員として組織の責任体制のもとで発信するほうがはるかに有益ではないか。これらの質問に答えるのは難しいと思います。
 というわけで私は、個人的な専門情報の発信を手放しで「社会貢献」「社会的責任」「社会的な価値」等に結びつける論調には、やや疑念を持っています。

 ただ、自分で個人ページを開設してみて感じることは、人間はやはり労力をかけるならそれに応じた見返りがないと長続きしないものだなということです。何の反響もない、アクセスも少ないサイトを手間をかけてメンテナンスし続けることができる人はあまりいないでしょう。逆に言えば、息長く更新が続けられているサイトは、それだけ有用性を認めて訪問する人々が多いのでしょう。とすれば、案外うまく自然淘汰が働いていくのがインターネットというものなのかもしれません。


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管理者:津村ゆかり yukari.tsumura@nifty.com