まず、簡単なクイズから。クロマトグラフィーにも各種あるが、下に並べたものは、どんな順序で開発されたでしょう。一番最初にできたものは?一番最近のものは?(全部略称だが、この略称の意味がわからない人は、以下の文章を読んでも面白くないと思う。)
GC HPLC TLC カラムクロマト ペーパークロマト
昨年(2003年)は「クロマトグラフィー100年」の年に当たっていた。創始者ツウェット(Tswett)が、世界で初めてクロマトグラフィーに関する講演を行ったのが1903年3月21日だったからだ。クロマトグラフィーという言葉は、その3年後にツウェット自身が考案した。一世紀を記念して Journal of Chromatography A が1000巻記念も兼ねた特別号を出したし、昨年5月13-18日にはモスクワで国際シンポジウム「生命科学における分離」の第3回として「クロマトグラフィー100年」が開催された。Journal of Chromatography B は、このシンポジウムの特集号を800巻に合わせて出している。ちょっとしたお祭り気分があった。
私はなぜか歴史の話題は苦手で、歴史もののドラマはあまり観ないし小説も読まない。科学史も好きでない。そんな私でも、他ならぬクロマトグラフィー100歳の誕生日には、何かお祝いの意を表明したいと思っていた。昨年はホームページを開設したばかりで他に書くことが多くあって果たせなかったが、遅ればせながら「101年」を期に書いてみる。
ツウェットは1972年に、ロシア人の父とイタリア系の母の間に生まれた(注)。ジュネーブ大学の自然科学科に学び、植物学の研究で学位を取った。植物学者としての研究活動は主にロシアで行っている。
ツウェットに関しては、オンラインで読める解説が2つある。一つは クロマトグラフィーの創始者 Tswett( インタクト株式会社 ホームページ)。最初のクロマトグラフィーがどんなものだったのか、詳しく書かれている。この会社のページには、上述した国際シンポジウムへの参加記 クロマトグラフィー100周年 記念学会 も掲載されている。今まで知らなかった会社だけど、分離分析への熱意を感じるので はてなアンテナ に入れておく。
それから、 日本分析化学会 の「ぶんせき」誌2003年11号に掲載された松下至さんの「M.S.Tswett創案によるクロマトグラフィーが誕生して100年」は、PDFファイルとして誰でも入手できる。(2003年11号目次。)内容は、主にツウェットの功績と後世の人たちによる再評価について。松下さんは「M.S.ツウェットの生涯と業績」という本を出版しておられる。
以上2つの解説があるので、ここでは重複することは書かない。
「M.S.ツウェットの生涯と業績」を読んで心に留まったことがいくつかある。一つは、ツウェットが化学者ではなく植物学者であったということ。意外な気もするが、分析化学が「方法の科学」であることを考えれば当然かもしれない。
それから、クロマトグラフィーという言葉には、ツウェット自身の名前が織り込まれているかもしれないということ。Chromatoに「色」の意味があるのは誰でも知っているところだが、古いロシア語でTsvetという言葉にも「色」の意味があるそうだ。これにちなんでツウェットはユーモア心で命名したのではないか?と推定している学者がいる。つまり、ツウェットが別の名前だったら、クロマトグラフィーという名でなく別の名称が付けられていたかもしれないということになる。
世界中にツウェットのファンというか、マニアのような人たちがいるらしい、と知ったのも驚きだ。ツウェットの業績は長い間忘れられていたが、発掘して世に紹介した科学者たちがいる。Chromatographia に、57ページ、関連写真20枚入りという論文が掲載された例もある。松下さんも相当なファンらしい。ツウェットの足跡を求めてヨーロッパ各地に旅をされ、資料を集めて書いておられる。全編にツウェットへの思いがあふれている。
歴史ものとして一番面白いのは、当初クロマトグラフィーがなかなか科学者たちに受け入れられなかったという話。「ドイツ科学界の教皇」ウィルシュテーターという敵役が登場する。(肩書きがいかにも憎々しい。)
ツウェットはクロマトグラフィーを使ってクロロフィルを分離し、混合物であると主張していた。これに対してウィルシュテーターは、クロロフィルは単一成分であると主張していた。クロマトグラフィーで2成分が得られるのは、成分が充填剤を通過するときに変化するからだと反論していた。
真実はもちろんツウェットのほうが正しかったのだが、ツウェットはノーベル賞にノミネートされながら受賞に至らず、ウィルシュテーターはツウェットの考えが正しかったことを認めた後、1915年にクロロフィル研究の成果により受賞している。クロマトグラフィーにはツウェットの死後長らく日が当たらなかったが、だんだん他の科学者に使われるようになって価値が認められていった。
こういう話は、知らず知らず織田信長や豊臣秀吉を応援しながら戦国ものを楽しむみたいな感覚で、今では英雄になっているクロマトグラフィーを応援しながら読んだ。
ツウェットが始めたクロマトグラフィーは、順相系のカラムクロマトだった。現在では他にも多彩なクロマトグラフィーが利用されている。Journal of Chromatography B の特集号に掲載された論文「液体クロマトグラフィーの一世紀---ツウェットのカラムから最近の高速・高性能分離まで」には、クロマトグラフィー発展の歴史が手際よく4ページにまとめられている。その内容からかいつまんで振り返ると・・・。
ツウェットのクロマトグラフィーの後、長い間をおいて1941年に分配クロマトグラフィーが開発された。このとき「理論段数」の概念が生まれた。でも、液相-液相での分配は固定相のもちが悪いため、あまり普及しなかった。液相-気相での分配、つまりガスクロマトグラフィー(GC)が導入されたのは1952年。これは周知のとおり、おおいに普及した。
一方、ペーパークロマトグラフィーは、1944年に報告された。クロマトグラフィーを用いる微量分析のさきがけだ。ここで「RF値」の概念が生まれた。やがてペーパークロマトは薄相クロマト(TLC)に取って代わられる。TLC自体は1938年に報告されていたが、本当のブレークスルーは1956年からだった。そして、TLCはいまだに他の手法に完全に取って代わられることなく、シンプルで、迅速で、汎用性が高く、半定量的な方法として利用されている。
GCに関する理論が整備され、限界も見えてきたとき、GCの研究者たちは移動相を液体に代える試みを始めた。これは最初「高圧液体クロマトグラフィー」と呼ばれ、すぐに「高速液体クロマトグラフィー」に変わった。(略称はどちらもHPLC。)HPLCを最初に始めたのが誰かを特定するのは難しいそうだ。1966年の国際シンポジウムでHorvathらによって発表されたことは確実だという。そして1969年のシンポジウムで数社がHPLC装置をプレゼンし、1970年代に入ると逆相系カラムが実用化され、これがブレークスルーとなった。
その後の進歩は、カラム充填剤の化学結合法、エンドキャッピング、細粒化においてめざましい。それから、主に医薬品分野で定量精度が重視されたことから、ポンプの高精度化が進んだ。
分析化学において、HPLCはこの40年間で最大の革命だ。分析実験室に備えられている装置の中で、HPLCは化学天秤とpHメーターに次いで第3位にランクされる。HPLCは、現在プロテオミクス、メタボロミクス等の要請に応えているように、将来の全ての「オミクス」科学でも挑戦を続けるだろう・・・と著者Engelhardtは書いている。(なぜ40年で区切るかというと、著者個人のLC歴が1958年にペーパークロマトで始まったからだそうだ。)ちょっとバイオとHPLCに肩入れしすぎの総括にも見えるが、まあ、そういうテーマのシンポジウムだったわけだから。
最初のクイズに戻ると、クロマトグラフィーが開発された順番は、カラムクロマトが最初で、ペーパークロマト、GCと続き、HPLCが最後ということになる。TLCは、最初の報告はペーパークロマトより早かったが、実用化されたのはGCより後だった。
クロマトグラフィーを説明するとき、「ろ紙にインクを落として水をしみこませたら」という話はよく使われる。だから私はなんとなく、クロマトグラフィーの元祖はペーパーだと思い込んでいた。しかし、実際はカラムクロマトが最初だったのだ。
これは私の考えだが、ろ紙のしみを展開していろいろな色が見えたところで、それだけでは遊びにしかならない。分離した物質を取り出して重量を測ったりスペクトルを取ることができて初めて科学研究の対象になる。ツウェットの偉大なところは、そういうスケールでクロマトグラフィーを行うにはどんな材料を使えばいいかを、19世紀初頭の限られた研究資材の中で考え付いたことにあるのではないだろうか。
それから、ツウェットの始めた液体クロマトグラフィーは現在のHPLCには直結せず、移動相として気体を用いるGCという過程を踏んでいる点も面白い。液体の流れにさらされても安定で有用な固定相が無かった時代に、クロマトグラフィーの移動相は気体が主流になったのだ。質量分析計との接続も、まずは相性の良いGCから進んだ。
歴史が苦手な私も、自分にとってなじみ深いクロマトグラフィーたちの歴史となると、けっこうドラマのように楽しめる。分離分析化学の次の100年は、どんな世紀になるのだろうか。
注 ツウェットの父母について、Journal of Chromatography B のEngelhardt論文には "son of a Russian father and an Italian mother" とある。ここでは「M.S.ツウェットの生涯と業績」の記述から引用して「ロシア人の父とイタリア系の母」と書いた。
2004/5/30 追記 クロマトグラフィーの創始者 Tswett のページ末尾にツウェットの父母についての詳しい調査結果が追加されました。たいへん詳細に調べられています。
2004/6/6 追記 植物生態学の研究者 竹中明夫さん から、ロシア語の知識に基づく貴重なコメントをいただきました。公開の許可をいただいて転載します。矢澤到さんが書かれたページに関するコメントも含まれていますが、矢澤さんにもお知らせした上で、こちらで掲載させていただきます。
ところで,瑣末なことですが,クロマト101年の話のなかで,ロシア語 とロシアの名前について気がついたことがあったのでご参考までに. (ロシア語を少しだけ勉強したことがあります)
>古いロシア語でTsvetという言葉にも「色」の意味があるそうだ。
と書かれていますが,ぜんぜん古くなくて,現代のロシア語でふつうに使われ ている言葉です.英語で色といったら color というのと同様にふつうです. なお,まったく同じ語が「花」の意味でも使われます.これも,英語で花と いったら flower なのと同様にごくふつうに使われています.
もうひとつ,リンクされている「クロマトグラフィーの創始者 Tswett」の ページのおわりのほうに,
> Mariaがいつロシアに来たかはわかっていませんが,ロシアにおける後見人は
> Mikhailovich Zhemchuzhnikovという人で,この人がTsvet と知り合いである
> ことから…とありますが,このなかのMikhailovich Zhemchuzhnikov という名前について.
ロシアの名前は,個人の名前 + 父称 + 姓 という構造で,父称は父親の 個人名から作り,「だれそれの息子の」ないしは「だれそれの娘の」とい う意味を持ちます.息子の場合は ○○ヴィッチ,娘の場合は ○○ヴナと いうような語尾がつきます.Mikhail Semenovich Tswett では,お父さん の個人の名前が Semen だったのでSemenovich という父称になってます.
Mikhailovich は Mikhail (ミハイル)の息子の,という意味の父称です. Mikhailovich Zhemchuzhnikov は父称+姓だけで,個人の名前が抜けてる ようです.どこかでの転記の際に落っこちてしまったのではないでしょうか.
また,この前のところに,
> 彼女はMaria Nikolaevnaとして1846年にトルコで出生しているようです。
> 彼女の父親Nicholasがイタリア人であったかどうかの確認は今回できませ
> んでした。また,MariaにNikolaevnaと分献上のDorozzaという二つの姓が
> 存在する理由もわかりません。とありますが,Nikolaevna は 「Nikolai の娘の」という意味の父称です. Maria Nikolaevna のような個人名+父称というかたちは,ていねいな呼び かけの際にごくふつうに使われます.たとえばロシアの大統領だったエリ ツィンは,ボリス・イヴァノヴィチ・エリツィン,イヴァンの息子のボリス です.友人や家族は彼に「ボリス」と呼びかけますが,それ以外の人は 「ボリス・イヴァノヴッチ」と呼びかけます.
というわけで,Mariaさんの場合,Nikolaevna と Dorozzaというふたつの姓が あったのではなく姓は Dorozza.そして,Nicholas さんの娘だというのでロシア ではロシア式の父称をつけて Maria Nikolaevna と呼ばれてた,あるいはロシア 人が書いた文献中でそう表現されている,ということではないかと思われます. フルネームは Maria Nikolaevna Dorozza となります.
私はロシア語は全くわからないので、感心するだけです。ロシア語の名前にやたら「なんとかヴィチ」が多いのは、そういうことだったんですね。「Tsvetは古いロシア語で色の意」という記述は、松下至さん「クロマトグラフィーの創始者 M.S.ツウェットの生涯と業績」のp.22とp.16に書かれています。出典はH.Purnellの1968年の論文とされています。
竹中さんのサイトには、シベリアの自然を撮影されたきれいな写真が何枚も掲載されています。残念ながら日記のあちこちに散らばっていて、まとめては見られないのですが、ここで何枚かリンクさせていただきましょう。私は「蛇行する川と三日月湖」が好きです。
竹中さん、ありがとうございました。
管理者:津村ゆかり yukari.tsumura@nifty.com